第20話 老騎士のConfession

「なんて豪雨だ。スコールか?」


 雷鳴とともに勢いよく降り注ぐ雨が、アレリオンの身体に槍のように突き刺さる。


「ザンマさん、少し雨宿りをしよう。いくらアーテンが目と鼻の先とは言え、この豪雨じゃ《グリード》は飛べない。下手に人探しをすれば周りの人に怪しまれちまう」


「そうだな。一理ある。確か近くに閉鎖されたハーフリングの天体観測所がある。そこで雨宿りをしよう。アーテンからも程よい距離感だから、《ウォーバウンド》どもがアーテンを見張っていたとしても、感づかれずに済むだろう」


 二人は丘の上の天体観測所まで急いだ。このような豪雨はヴァリンデン諸島では見られない。さすがのザンマもぬかるんだ地面に何度も足を取られそうになっていた。


「そう言えばラギはどこに!?」


 アレリオンは大きな声を出す。そうでもしなければ、この豪雨の中ではこんなに近くにいてもザンマまで声が届かない。


「ラギにはアーテンの斥候を頼んである! 心配するな! それより先を急ぐぞ!」


 二人はデパスの天体観測所までたどり着くと、外套がいとうについた泥を手で払った。


「ぐちゃぐちゃですよ。いつ止むんでしょうね、この雨は」


 アレリオンはここで足止めを食うことに焦りを感じていた。今は一分一秒でも惜しい。アーテンに近づけば近づくほど、《ウォーバウンド》と遭遇する確率が上がる。その時だった。


「いやぁぁ!! やめてぇ!!」


 若い女の悲鳴が聞こえてきた。


「裏にある小屋からだ!」


 天体観測所の裏手にある小屋に近づくと、中では怒号が飛び交っていた。一人は間違いなくマナドゥアの声だった。そしてもう一人は……、もう一人はガイエン卿!? でもどうして?

 ガイエン卿はアレリオンにとっては父代わりの人だった。何やらただ事ではない雰囲気だ。このまま黙って二人の会話を盗み聞きするか、二人の間に割って入るか、アレリオンは悩んでいた。


「アレリオン、私は周りの状況を調べてくるから、お前はマナドゥアの元に行くんだ。何かおかしい。あそこまで感情をあらわにするマナドゥアは見たことがない」


 ザンマはアレリオンに向かって大きく頷く。アレリオンは意を決して小屋のドアを勢いよく開けた。すると抜き身の剣を手にしたガイエン卿がマナドゥアと対峙していた。


「やめろ! 何してるんです!」


 アレリオンは咄嗟に二人の間に割って入った。


「アレリオン! ああぁ、アレリオン、お前なのか! 無事でよかった!」


 ガイエン卿は安堵の表情を浮かべていた。


「フン、役者は揃ったわけだな」


 マナドゥアの方はまだ興奮冷めやらぬ感じだ。


「マナドゥア、お前に言われなくても、私は全てをアレリオンに話すぞ! アレリオン、私を信じるか、マナドゥアを信じるかはお前次第だ。だが私は今からお前に全てを話す。その後でお前が私に何をしようが私はもはや抵抗などしまい。この命はお前に預ける」


 オレに命を預けるだと? どういう事だ? なぜガイエン卿とマナドゥアが一緒にいる? わからない事だらけだ。自分だけが置いてけぼりなのか?


「マナドゥア、私が話し終えるまで、貴様は口を閉じていろ」


 ガイエン卿がマナドゥアを見る目は、まるで別人かと見間違えるほど鋭い。


「いいか、アレリオン。よく聞くんだ。約百二十八年周期でこの星に接近する彗星がある。その彗星が南天に現れ、輝きを増して赤く光りだすと、ティルゲイア大陸には決まって大きな災厄が訪れた。エルフやハーフリングはその彗星を凶兆としていたようだ。彼らが凶星サイアスと呼ぶその彗星が、最後にこの星に接近したのは今から二十五年前のことだ。お前が生まれる七年前になる。あの日、大陸を一つの暗闇が覆った。二百二十年ぶりにティルゲイアで観測された『皆既日食』だ。月が太陽を完全に覆い隠し、世界が暗黒の影に覆われた時間はわずかに三十六秒。その三十六秒の間に、一人の赤ん坊が産声を上げた。

 ――――アンセロッド。古エルフ語で『禍々しい星』と名付けられたその赤ん坊には、生まれもっての特別な力が授けられていた。メイディオルの魔王の止められた時間を、再び動かすことのできる力、神殺しの秘術―――すなわちモータライゼーション!――――神の被造物によっては傷つけることすら出来ないと言われているメイディオルの魔王と、魔王によって影を奪われ不死となった七人の恐怖公どもに唯一死すべき運命を与え得る力だ」


 その時、雷鳴がとどろき、奥の薄暗い部屋が一瞬光に包まれた。そこにはエヲルと同じ薄紅色の髪の色をしたハーフエルフの少女がいた。今まさに自分に課せられた宿命を知ったかのように驚きの表情を見せていた。涙の滴が頬を伝う様がアレリオンからも確認できる。アンセロッド! アレリオンにはすぐに理解できた。アンセロッド、この娘がアンセロッドなのか!? まるで……、まるでエヲルにそっくりじゃないか! さっきの悲鳴はアンセロッドの声だったのか!


「だがあの女は皆既日食の間だけは自分の監視の目が届かなくなることを知っていた。そのため配下の《ウォーバウンド》を使って、その間に起こった出来事を徹底的に洗い出したのだ。魔女がアンセロッドの存在に辿り着くまで七年と掛からなかった。しかし魔女の魔の手がアンセロッドの元まで伸びる直前に、彼女は一人の男によって救い出された。宝珠探索のために《ウォーバウンド》を追っていたお前の父、ラスゲイルによって身柄を保護されたのだ。私は宝珠探索を続けるラスゲイルに、アンセロッドを引き渡すよう伝えた。私がアンセロッドを魔女の目から隠し通すと誓ったからだ」


 なんだ? ガイエン卿はいきなり何を喋り出したんだ? 明らかにオレの知るガイエン卿じゃない。宝珠探索者だった親父の死に、ガイエン卿は関わっていたのか?


「エヲルは私が五十を過ぎてから授かった娘だった。私にはもはや子は出来まいと思っていた。私は神に感謝した。だが生まれてきた赤子からは、何の体温も感じられなかった。抱き上げた私の腕の中で、その子は息一つしていなかった。アンセロッドを逃すために、産気づいていた妻に無理をさせた。恐らくはそれが原因だろう。私は自分を呪った。神殺しの力を授かった娘を助けた罰だったのかも知れぬ。私はその娘の命を救った代わりに、実の娘の命を失ったのだ。あの女は私にこう持ちかけてきた。アンセロッドを自分の監視下に置けば、オーロリアの宝珠の力を用いて、死んだ私の娘を蘇らせてみせる、と。私はその話に乗った。アンセロッドも、そして私の娘をも救うことが出来る。あのときはそれが理にかなっていると思ったのだ。私はあの女の企みになど気付いていなかった……」


 アレリオンはガイエンの会話にまるでついていけずに頭が混乱していた。


「ガイエン卿、あなたは一体何を言っているのです!?」


「私は魔女の手先となった。だがそこにいる老エルフのように、魔王を倒すためにアンセロッドの力を利用しようとする者も少なからずいる。だから私は《ウォーバウンド》を駆使して、ある意味ではアンセロッドの存在を守り通した。これまではな」


「魔女とか魔王とか何なんです!? 魔女も魔王も同じじゃないのか?」


「魔女アンカリッサ。メイディオルの魔王に従う七人の恐怖公の一人にして、最強の魔術師であり、そして私の真の主だ」


 アレリオンはガイエン卿からその言葉を聞きたくなかった。ガイエン卿が《ウォーバウンド》の一人だって? いや、待て。オレもいきなりのことで頭が混乱している。その前にガイエン卿は何と言った?


「エヲルは今何処にいるんです!?」


「エヲルは……、私のエヲルは……」


 そこにそれまで黙って話を聞いていたマナドゥアがようやく口を挟んできた。


「それについては実の父親の口から耳にするのはあまりにも酷というものだから、私から説明しよう。お前の知っているエヲルは死んだ」


 その言葉を聞いたアレリオンは頭の中が真っ白になった。何を、何を言っているんだ、この人は!? エヲルが死んだ? そんなわけあるか! 最年少で聖騎士の受勲を受けた天才だぞ!?


 アレリオンはビショビショになっている外套のポケットを弄り、忍ばせてあった千ゼパム硬貨を瞬時にマナドゥアに投げつけた。強烈なスピンがかかり、マナドゥアの左手に隠されていたナイフを叩き落とす。

 マナドゥアは思わず舌打ちをした。この人は、本気でガイエン卿を殺す気だった!


「マナドゥア、あんたは一体誰の味方だ。何処からやってきて、何をしようとしている? それを明らかにしない限り、オレはこの場であんたを殺す。ガイエン卿はエヲルを愛していた。だがあんたは何らかのために。さっきの話を聞いてやっとわかったぞ。あんたはオレと親父を煽り、アンセロッドを利用して魔王と戦わせようとしていたんだ!」


 アレリオンの鋭い問いにマナドゥアは言葉が詰まった。事実だ。この青年が言っていることは紛れもない事実なのだ。


「お前の言う通りだ。アンセロッドの力を用いて魔王を倒さねば、この世界は永遠の闇に閉ざされる。《ウォーバウンド》どもが世界に跋扈ばっこし、正義と法は力と恐怖に置き換わる」


「そんなことは、オレの知ったことじゃあない! 誰だ、誰がエヲルを殺したんだ!」


 マナドゥアは口を固く噤んだ。ガイエン卿も何も喋らない。


「答えろ、マナドゥア! あの暗黒騎士が、ボルヴェルクが殺ったのか!?」


 アレリオンはマナドゥアに詰め寄り胸ぐらを掴んだ。だが口を開いたのは、マナドゥアではなく、ガイエン卿だった。


「アレリオン、お前ももはや逃れられぬ運命の渦中にいる。いや、お前こそがその中心にいる。これからはお前がどのような道を選ぼうとも、運命がお前を離さない。いいか、よく聞け。私の娘を殺したのは……、私の娘を殺したのは、お前の父親ラスゲイルだ……」


 その言葉を聞くとアレリオンは力なくマナドゥアの胸ぐらから手を離した。茫然自失とする。頭が追いついていかない。親父が、オレの親父がエヲルを殺しただって?


「お前の父親は、アンセロッドの神殺しの力を使って、かつて恐怖公の一人だったボルヴェルクを追い詰め、討ち滅ぼした。そしてを得たのだ。だがラスゲイルは魔王との勝負に敗れた。魔王に影を奪われ、《影なし》となり、新しい恐怖公の一人に加わった。そこのエルフも同じだ。かつて魔王との勝負に敗れ、そして光を失った」


 マナドゥアは相変わらず口を固くつぐんだままだ。暗にガイエン卿言っていることが事実であることを認めている。アレリオンも重い口を開いた。


「……イエン卿。ガイエン卿。オレに力を貸してください! オレはマナドゥアがオレに何をさせようとしているかなんてどうでもいい。これはオレ自身の決断です! オレはエヲルの命を奪った奴を決して許さない。オレの実の親だろうが何だろうが、関係ない。これはもうオレのゲームだ。今のはオレだ! そうでしょ!?」


 重い空気が小屋の中に充満していた。この数分間でどれだけこれまでを知ったことか。


「アレリオン。あぁ、私のアレリオン。お前の決断と判断は正しい。これは既にお前のゲームとなっている。今、魔王への挑戦権を持っているのはお前だ、アレリオン。私は闇の誘いに乗り許されぬ罪を犯した。私ができる最後の贖罪しょくざいはアレリオン、全力でお前を助けることだけだ」


 アレリオンはガイエン卿のその言葉を信じた。ガイエン卿は魂の全てを魔女に売ったわけじゃない。そしてマナドゥアを鋭い目付きで睨んだ。


「あんたはどうなんだ。マナドゥア。オレをこの場に連れてきたのはアンタだ」


「アレリオン。お前とガイエン卿が《影なし》どもに立ち向かおうと言うのであれば、答えは一つしかない。私もまたお前の宿命に身を預けよう。だがその前に一つ謝罪させてくれ。《ウォーバウンド》に追われていたとは言え、お前に伝えるべきことを伝え切れていなかった。私もまた贖罪しょくざいをしなければならん」


 マナドゥアはゆっくりとした動作で畏ってアレリオンに向かって頭を下げた。エルフの臣従の証だった。


「なんだい、黙って聞いていれば、随分と賑わっているじゃないか」


 急にラギの声がした。気が付くと二人は奥の部屋で《グリード》を腕にして立っている。いつからそこにいたのだろうか。オレやガイエン卿、マナドゥアすら気配を感じとることができなかった。これが本当のラギとザンマ――――シャドウウォーカーの力なのか――――。


「無事収まったようだな。少し冷や冷やした」


 ザンマはそうは言いつつ、何か良からぬことが起これば仲裁するつもりでいた。


「ザンマさん、ラギ、いつからそこに?」


「お前ごときに気付かれていたらおまんま食い上げだよ。でもまぁ、これで、お前を中心とするコンパニオンが結成されたわけだ。頼むよ、リーダー」


「オレが……」


「《ウォーバウンド》は組織的だ。我々も組織的に戦う必要がある。組織には象徴となるリーダーが必要だ。お前以外おるまい」


 マナドゥアもガイエンもザンマもラギも全ての人間の意見が一致した。

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