第10話 星空のStage

 真円を描く月の光が夜の海を照らし、海面に映る光の橋となって水平線へと続いていた。波の音に紛れて遠くからリュートの弦を弾く音が聞こえてくる。その音に導かれてアレリオンは海岸を歩いていた。

 あの後、すぐにレディ・サイレンの姿を追って街中を捜してみたものの、結局彼女を見つけることは出来なかった。酒場の主人に聞いても、レディ・サイレンはいつも気が付くとそこにいて、気が付くといなくなっているという。あの時もレディ・サイレンがゼパムを投げるまで、彼女が店の中にいることにすら気が付いていなかったらしい。結局その日は早々に部屋に引き上げたのだが、部屋に戻ると自分宛に伝言が残されていた。それは『十五夜月の晩に奏でる海辺にて待つ』というマナドゥアからのメッセージだった。そしてその日から三日経った今日が十五夜月の日だった。


 砂浜にはいくつもの巨大な石が建ち並んでいる。それはどうやら柱の跡らしかった。以前ここには何か大きな建物があったのだ。マナドゥアはその廃墟の上に腰掛けていた。手に持ったリュートを感慨深げに撫でるようにしてかき鳴らしている。隣のアーチの上では、マナドゥアの髪の色とよく似た白銀の毛のオウギワシが、羽を休めながら静かに彼の演奏を聴いていた。海から吹き付ける強い潮風が廃墟の間を抜けると、ヒューヒューと笛のような音を立てる。波の音、風の音、そして弦の音が重なり合って一つの音楽を奏でていた。それはどこか寂しく、哀しい曲だった。


 マナドゥアは瞳を閉じて黙々と演奏を続けていたが、自分の存在を主張することなく黙って演奏を聴いているアレリオンに気が付くと、リュートを弾いていた手を止めてゆっくりと口を開いた

「待って……」しかし演奏を中断したマナドゥアが何か言いかけるや否や、それまでは静かだったオウギワシが急に翼を広げて何処かへと飛び立っていった。オウギワシの羽ばたきの音に言葉をかき消されたマナドゥアは、口を開けたまま眉間にしわを寄せて顔をしかめた。そのなんとも間の抜けた顔に、アレリオンはもう少しで声を上げて笑うところだった。マナドゥアはその顔のままで辺りが再び静けさを取り戻すのを待つと、再び口を開いた。


「待っていたぞ、アレリオン。そこにいたのであれば、声を掛けてくれてよかった」


「やっと会えましたね。あのオウギワシは先生の演奏を熱心に聴いていました。それを邪魔するほどオレは無粋ではありません。それにオレも先生の物語を聴きにここまで来たんです。確か父の話をしてくれる約束でしたね」


 マナドゥアは首を傾げた。オウギワシという言葉に覚えが無かったのだ。やがてアレリオンが何を指しそう言ったのかを理解したマナドゥアは、瞳を閉じたまま上空を見上げた。


「先生か。私も出世したものだな。ところでオウギワシとな? ああ、《グリード》か……。あいつは私の目の変わりだ。名前のとおり食い意地の張った奴でな。音楽を愛でる心などは持ち合わせておらん。静かにしていればご馳走にありつけるとでも思っていたんだろう。気にしなくて良い。ああ、いや、お前の父親の話だったな」


 マナドゥアは空を見上げたまま瞳を開けると、うつろな瞳をキョロキョロとさせて星の瞬く夜空の中に何かを探した。やがて東の空を見上げると、ゴホンとわざとらしい咳払いをした。これはこの吟遊詩人が演奏を開始するときのいつもの癖だ。きっとこれからマナドゥアが口にする話は物語のように長い。アレリオンはそう直感した。


「私には見ることの叶わぬ星辰の煌めきが、お前の瞳には見えるはずだ、アレリオン。この季節であれば東の空に蒼き竜ランドゥセンの星宿が浮かび上がり、私すら知り及ばぬ遠い昔の物語を放っていることだろう。だがな、強大な竜たちでさえ何処かへと姿を消したように、星々の輝きもまた決して永遠ではない。人の世も同じだ。しかし我々は自分たちの栄華が永遠に続くものだと信じて疑わない」


 マナドゥアはそう言うと、廃墟の上から跳ぶようにして砂の上へと降り立った。そして今まで自分が腰を下ろしていた廃墟を見つめた。


「見たまえ。これこそがその愚かさと怠慢の痕跡だ。ここにはかつて劇場があった。人々は毎月十五夜月の晩になるとここに集まり、海辺に明かりを灯して夜明けまで演劇や音楽を楽しんだのだ。その裏では混沌の影が世界を覆いつくそうとしていることに気付くことも無くな」


 これはマナドゥアがエルフだからか、それとも吟遊詩人だからなのか、あるいはただあらかじめ用意していた台詞を口にしなければ気がすまないのか、たまに他人にはよく意味の分からないことを言う。


「ええ、奏でる海辺の話はオレも聞いたことがあります。ですが最初はリュテリアで会う約束じゃなかったんですか? それにオレの親父の話とはどう結びつくというのです?」


 アレリオンに話の腰を折られたマナドゥアはあからさまに不愉快そうな顔をした。やれやれ、この若造には吟遊詩人の話には黙って耳を傾けるものだ、という言葉を教えておく必要があるな。


「つまりだ。最近は冒険者が多くなった。どの街を訪れても冒険者を見かける。リュテリアも例外ではない。だが常々思うのだが、彼らのすべてが本当にただの冒険者なのだろうか? 奴らは群集の中に紛れ込む。彼らの中に《ウォーバウンド》がいたとておかしくはあるまい。もはやリュテリアでさえ安全な場所とは言えぬ」


「《ウォーバウンド》?」聞きなれぬ言葉にアレリオンが反応した。


「《ウォーバウンド》。戦いに魅入られ、縛られた者たち。この世に戦乱と恐怖を撒き散らし、あまつさえそれを娯楽としている殺人者集団どもだ。奴らにとっては人と人とが絶え間なく殺し合う弱肉強食の世界こそが理想郷。そんな世界を影からほくそ笑みながら眺めているのだよ」


「狂っているな……。ですが、それがオレの親父とどう関係あるんです? 先日の宝珠探索の物語にはそんな気の狂った連中の話は一切ありませんでした」


 ええい、私は吟遊詩人で、お前はその客だ。客は黙って吟遊詩人の言葉に耳を傾けるのが勤めだ! マナドゥアはそう怒鳴ってやりたかった。


「さっき言った筈だ。残念ながら奴らは既にこの世界の至る所に紛れ込んでいる。リュテリアにも、リスペリダルにもな。うかつと口に出来ぬ言葉だ。だからこそ私はお前をここに誘ったというわけだ。ここならばゆっくりと話が出来るだろう、アレリオン。いい加減に黙って人の話しを聞け。さもなくば余計に私の話は長くなるぞ。いいか、お前の親父さんを殺したのはその《ウォーバウンド》だ」


 やはりそういうことか。父の仇を知ったところで、アレリオンにはうろたえる様子は無かった。マナドゥアがそういう方向に話を持っていこうとしていたことはアレリオンも察していた。次は宝珠探索とその《ウォーバウンド》との関連性だ。


「二十年前、エルフの女王シェラ・エル=ディオス・メイヨールからレン=デル・マイン王国に恒久的な友好の証として秘宝中の秘宝オーロリアの宝珠が贈られるはずだった。だがな、レン=デル・マインの使節がそれを王都リスペリダルに護送している最中、正体不明の武装集団に襲撃され、なんとも嘆かわしいことに宝珠を奪われてしまったのだ。レン=デル・マインでも指折りの強さを誇った聖騎士が護衛として付いていたにもかかわらずだ。シェラ女王はエルフの至宝をまんまと賊に奪われたことをお怒りになったが、今後レン=デル・マインとエルフとの関係がより親密になっていくことに期待してこの事実を隠し通すことに決めた。エルフの中には気高き純血を守ろうとするものも少なくは無い。そんな主戦派の連中にこの事実が知れたら、今頃エルフとレン=デル・マインとの間で大きな戦争が起こっていたことだろう。シェラ女王は賢明な判断をされた。だがエルフ側はそれで良いとして、自分の目の前で宝珠を奪われたお前の親父さんは、そこで幕を閉じるわけにはいかなかった。ガイゼリオン王に騎士の位を預けて宝珠探索者としての誓いを立てると、一人奪還の旅に出たのだ。誰も彼を止めることなど出来なかった。王も、私も、お前のお袋さんもな。何年も宝珠の行方を求めて世界を旅して歩いた親父さんは、少しずつその手がかりを掴んでいった。そしてようやく辿り着いたのが、ティルゲイア大陸に散らばる《ウォーバウンド》の存在だ。奴らこそ混沌の僕。奴らの存在に気が付くと、ラスゲイルは宝珠と共に《ウォーバウンド》どもを追い続けた。そして――――」


 そこまで話すとマナドゥアは急に耳を立て、辺りを警戒し始めた。ヒューヒューと音を立てて上空をグルグルと回っていた《グリード》が、マナドゥアに向かって滑空すると、彼の前で翼を数回羽ばたかせた。そして再び風に乗って天高く舞い上がっていく。アレリオンからはマナドゥアに何かの合図を送ったように見えた。その合図を聞いたマナドゥアが表情を一変させた。


「いかん、アレリオン君。話の途中ですまないが今日のところはここまでだ!」


 マナドゥアは手に持っていたリュートを背に背負った。


「《グリード》に空から哨戒しょうかいさせていた。彼によると連中が辺りを取り囲んでいるらしい」


「連中? 誰のことですか? なぜオレたちが狙われなければならないんです?」


ではない。奴らが狙っているのは私一人だ。そのはずだ。奴らはまだお前が……。ええい、いいから早くここから逃げろ! 詳しい事情は後だ! 巻き込まれるぞ!」

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