第8話 新米はDeceiver

 アレリオンは酒場に入ると一度中の様子を見渡した。そこはアレリオンのイメージしていた酒場とは大きくかけ離れていた。雑多だったリボリトールの酒場とはまるで違う。店内は品があって、客もある程度身だしなみが整っている。どうやらこの店は酒場というよりも、酒を飲みながらゲームなどを楽しむ社交場のようだった。

 まず目に付くのは左手の奥で盛り上がっている一行だ。恐らくは冒険者なのだろう。彼らの隣のテーブルには大きめの麻袋が4つ置かれている。口は紐で閉じられていて中に何が入っているかまではわからない。そしてあのコインが転がり落ちる音。間違いない。彼らは空いたテーブルの上でゼパム投げをやっている。ギャンブルをしながら酒を飲んで旅の疲れでも癒しているのだろうか。正面のカウンターに並んで腰掛けている若い男女の二人組は、最近リュテリアに猫が増えただの、エルディン港から届く物資の物価が年々高くなっているだのと取り留めのない話をしている。どこの宿も軒並み高かったのはそのためか。右奥の隅のほうでは、袖のない上品な黒いドレスで着飾った女性が、一人でカードを並べていた。

 アレリオンは正面の客とは少し間をとってカウンターに腰掛けた。若い男女は、顔は動かさないものの、目だけでちらっとアレリオンを見ると、また何事も無かったかのように話を続けた。酒場の主人が水を持ってアレリオンに話しかけてくる。


「いらっしゃい。あなたも旅の人ですか? 見ない顔ですがリュテリアは始めてです?」


「ええ。リスペリダルから来ました」


 アレリオンは主人に受け答えながら、ちらちらとゼパム投げの様子をうかがった。随分と卓上にコインが溜まっている。あの半分でも頂けたら、今夜からは今の部屋よりワンランク上のベッドで気持ちよく休めるだろう。あるいはもしかしたら熱い風呂で汗を流すことも出来るかもしれない。うまくあそこに割り込みたい。


「まだ日も落ちていないうちから随分と賑やかですね。あそこの客はコインを投げて遊んでいるように見えるけど、あれはゼパム投げですよね?」


「ええ、そうです。彼らはこの店の常連でしてね。仕事を終えるとここに寄ってもらえるのですが、いつもああなんですよ」


 そう言って主人は硬貨を投げる仕草を真似てみせた。


「ああ、なるほど。リスペリダルでもゼパム投げは冒険者のたしなみと言います。でもオレはまだリスペリダルを旅立ったばかりの駆け出しでして、ゼパム投げをしたことがないんですよ」


 主人はアレリオンの話に耳を傾けて、へえへえと頷きながら作業を続けている。この主人は他のリュテリア民に比べて話しやすい。表情が柔らかいのだ。


「主人、ここで一番効く酒は何です?」


「それは何と言ってもディスタイタニアですよ。エルディン港を経由して遥々ドレット地方から取り寄せた巨人族の自慢の酒です。彼らはそれらを飲むだけではなく、なんでも戦いで手傷を負うと口に含んで傷口に吹きかけるそうです」


「そいつは凄い。良かったら是非あそこの方々に一杯ご馳走したいんです。ちょっとゼパムの投げ方を教えてもらいたくてね」


「ええ、結構ですよ。私のほうからお伝えしておきましょう」


 ディスタイタニアか。確かリボリトールの酒場にも置いてあったが、客には出していなかった。アプリコットやチェリーを漬けて果実酒を作っていた。そのまま飲めば図体のでかい巨人でさえグラス二杯で沈むと聞いたことがある。巨人たちのグラスの大きさは知らないが、いずれにしろ人間の飲み物じゃない。


 主人は奥のほうからディスタイタニアのボトルを取り出してきた。どうやら新しいビンを開けるようだ。開けてすぐの最初の数杯はとりわけ効くぞ。さて、どうなることやら。

 主人は人数分のショットグラスに酒を注ぐと、冒険者の一行に差し出した。そして時々アレリオンのほうを見ながら、彼らと親しげに話している。どうやら交渉はすぐに成立したようで、主人はアレリオンに目で合図を送った。同時に男の一人がこっちを向いて手招きをしている。アレリオンは帽子を脱いで彼らに軽く会釈をすると、同じテーブルに加わった。ここからが勝負だ。


「若いの、なんでも駆け出しなんだってな? 恥ずかしがることはない。誰もが最初はそうだった。だが先達に学ぼうとは殊勝しゅしょうな心掛けだ。お前のような奴は強くなるぞ」


 男の顔は既に赤く、吐く息も酒臭い。酒が入って上機嫌になっているのだろう。


「皆さんは、旅を始めて長いのですか?」


「はっはっは! そりゃあもう!」


 男は良くぞ聞いてくれた、といった様子で得意げに答えた。


「見たまえ。今回の冒険の戦利品さ」


 隣のテーブルの上に置いてある麻袋の口を開けると、中に入っていた金貨を取り出してアレリオンに投げ渡した。そして袋の口を斜めに向けて、中身をテーブルの上に広げだしている。まさに金銀財宝の山だった。他の袋にも同じように詰められているのだとしたら四人で分配するには量が多い。一体こんな財宝をどこで手に入れたのだろうか。冒険なんてそんなに儲かるものなのか?


「凄いですね! リスペリダルで騎士を目指す若者の中には、武者修行と称して世界を旅するものも少なくはありません。ですが彼らが冒険者として大成したという話はほとんど聞きません。きっと皆さんはさぞかし名のある方々なんでしょうね」


 アレリオンは男たちをおだててみせた。テーブルの上に散らばっている戦利品を見る限り、リュテリア近辺の密林地帯を拠点にしている賊どもから奪い取ったものでもなさそうだ。それなりの実力があることは確かだろう。


「敢えて名は名乗らないでおこう。いずれお前が我々の名を知ることがあれば、そのときはお前もそれなりの実力者になっているはずだ。そうだな。その後再び出会うようなことでもあれば、お前を我々の狩りに連れて行ってやるのも悪くない。楽しいぞ。おい、主人。今のをもう一本持ってきてくれ。それと追加のグラスもな」


 男は相変わらず上機嫌だ。他の連中も駆け出しの冒険者に頼られていることに気を良くしている様子だ。もちろんアレリオンは彼らの名前になど興味はない。興味があるのはテーブルの上のゼパムだけだ。


「どうかそれはオレに払わせてください。ゼパム投げの参加費と、そして授業料として」


「おお、そうだ。ゼパム投げに混ぜてやるという話だったな」


 こうしてアレリオンは無事男たちのゼパム投げに割り込むことが出来た。男たちは酔いが回っていて狙いはほとんど定まっていない。テーブルの上にはさらにゼパムが溜まっていく。アレリオンは男たちに合わせて敢えて適当に投げたり、たまに「どうやって投げたら良いか」などと聞いて初心者ぶった。そして男たちがアレリオンに偉そうに指導をすると「言われたとおりにやったら上手に投げられた」と、ゼパムをかっさらっていくのだ。しまいにそれすら面倒になったアレリオンは、自分の技を彼らに見せ付けて、手っ取り早くその場に残っているゼパムを全部頂いてしまおうと考えた。それがいい。そうと決まればもうこんな茶番も終わりにしよう。


 男たちが投げ終わり自分の順番がまわってくると、アレリオンは目付きを変えた。獲物を狙う勝負師の目だ。狙ったポイントを一心に見つめて頭の中でコインの軌道を描く。そして投げるべき高さと強さを経験と勘で定めると、自分の目測より少し強めにコインを放った。前回本気でゼパムを投げてから少し間が空いている。自分の目測にも多少誤差が生じると考えたのだ。それも含めてアレリオンの計算は完璧だった。アレリオンの投擲とうてきは見事に男たちの投げたコインの散らばるその中心に落ちた。硬いテーブルに一度は大きく弾んだが、最初の落下地点と寸分たがわず同じ場所に静止した。これでその場にあるコインのほとんどがアレリオンのものとなった。アレリオンはにやりと笑った。今夜は熱い風呂に入れるぞ!


「お見事!」


 ずっと観戦していた酒場の主人がその投擲とうてきを見て思わず声を上げた。結果も見事だが、アレリオンの投擲とうてき姿勢は美しくもあった。カウンターの二人組もパチパチと手を叩いている。


「お、おのれ小僧! 謀ったな!」


 アレリオンにすっかりしてやられたことに気が付いた男の一人が憤って声を震わせた。しかし酒が回ってまともに立つことも出来ない。ショットグラスとはいえディスタイタニアを何杯か飲み干したのだ。彼らがどの程度の冒険者かは今となっては知ったことでもないが、こと勝負に関してはオレのほうが一枚上手だったようだな。


「オレはゼパム投げまで初心者だとは一言も言っていないぜ」


 アレリオンは巾着を取り出すと、口を大きく開けて手に入れたコインを中に詰め始めた。

 だが、その刹那、アレリオンの頬を掠めて、背後から何かが飛び込んできた。それは鋭い回転を保ったまま、まるで氷の上を滑るようにしてアレリオンの投げたコインの側面にぶつかった。投げ入れられたコインはその場に留まり、アレリオンが投擲とうてきしたコインが彼が手を伸ばそうとしていた周囲のコインもろともテーブルの外へと弾き飛ばした。


 ―――3S、ストーンスリップストライク。アレリオンはそれを見てドレット地方で行われる、確かそんな名前のゲームがあることを思い出した。まさにそのゲームのイメージそのままだったのだ。しかしアレリオンのコインを弾き飛ばしたのはストーンではなく、一枚のゼパム硬貨だった。しかも投げ入れられたゼパムは、あれほど力強く回転していたにもかかわらず、それ自体は卓外に落ちずにその場に残っていたのだ。男たちをはじめ、アレリオンですらその光景に眼を疑った。まさか、これを狙ってやったというのか?

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