第2章 戦慄のWarbound

第7話 港町のStranger

-------------------------------------------------------------------------------------------

かつては誰もが平和を望んでいると考えていた

しかし認めたくは無いが

それは必ずしもそうではないということを

この廃墟は静かに物語っている

ファルドレッド卿は勇敢にも我々に仇なす邪悪な神々に立ち向かった

だが我々が立ち向かうべき敵は

本当はもっと身近に潜んでいるのではないか

私にはそう思えてならない

-------------------------------------------------------------------------------------------


 リスペリダルを出立してから三日ほどたつ。竜の眼と呼ばれるクレーターから廃都ファーレルへと伸びている運命の分かれ道を抜けると、アレリオンはバルシエル領内に入った。辺りの景色が一変し、いよいよ異国の雰囲気が漂い始める。樹齢数百年はあろうかというオークの木々が、根本に蔦を絡ませて一面に生い茂っていた。日の光を遮る木の葉は薄暗がりを作っている。その中からひょっこりと羽の生えた妖精が顔を出してもおかしくはない。もっとも道中で縁あって一泊させてもらった行商人によれば、バルシエルの妖精は人に危害を加えるという話だが。

 しかしそんな新鮮だった景色にもすぐに飽きてしまった。そこからしばらくは同じような風景が続き、さらに半日をかけて巨大なデログラ工房を迂回しなければならなかったからだ。この工房はかつてバルシエル州に住んでいたハーフリング族が建てたものだが、今はそのハーフリング族の手によって封印されていて中に入ることができない。

 ハーフリング族はレン=デル・マインとは親密な関係にあった。平和なレン=デル・マイン領内で人間と同じように生活していた。その返礼として、彼らの技術を駆使した様々な遺産をこの国に残して行ってくれた。この工房もその一つだ。廃都ファーレルから始まり、バルシエル州のほぼ全域で疫病が流行った時、身体の小さかったハーフリングたちはこの地を去るしかなかった。今はどこで暮らしているのかもわからない。ハーフリング族を見たことがあるものはもういないのだろう。

 デログラ工房をぐるりと周り、やがて正面の視界が開けると、ようやく木々の隙間から赤々な夕焼けに美しく照らし出されたポート・リュテリアの外壁と城の尖塔が見えた。リュテリアは切り立った丘の上に築かれていた。


 バルシエルの民は、ここリュテリアへの遷都せんとを余儀なくされてからも、呪いの疫病によって多くの市民が死に追いやられた。彼らの中には女神オーロリアへの信仰を捨て去ったものも少なくはないと聞く。大海を背にし、丘の上に荘厳と聳え立つリュテリアの街並みからは、そんな市民たちの並々ならぬ覚悟と決意を十分に感じ取ることが出来た。ここは混沌に立ち向かう彼らの最後の砦でもあるのだ。もしこの都が滅ぼされるようなことがあれば……。そのときはもうこの世界は終わりなのかも知れない。

 アレリオンはバルシエルの人々の受難の歴史に思いを馳せながらリュテリアへと続く最後の坂道を上った。丘の上は思ったよりも風が強い。吹き付けるような浜風にあやうく帽子をさらわれそうになる。潮の匂いもその風に乗ってアレリオンの鼻を突いた。リスペリダルにいた頃はまさかこの目で海がどんなものか見ることが出来るとは思いもしなかった。その海が今、目の前に広がっている。あの手記を手にしてから、それまでは本の中の世界でしかなかった物事が、次々と現実となっていた。

 アレリオンは坂を登りきると丘の上からじっとその海を眺めた。波打つ水が風と共に絶え間なく浜に打ち寄せては返っていく。ティルゲイア大陸とバルシエルに降り注いだ哀嘆を、海鳥の群れと共に遙か海の彼方にまで伝えているかのように。浜辺には人影は無く、アレリオンはこの景観を一人で見ていることに寂しさを覚えた。桜色の髪をした一人の少女の顔が脳裏に浮かぶ。


 ――――エヲル。この景色を見せてやったらあいつは何て思うのだろう。ああ、親父もこんな気持ちであの手記をつづっていたのかも知れないな。自分の見てきた世界をお袋に伝えるために。


 暦の上では春といっても潮風はまだ冷たい。丘の上で風に晒されていたアレリオンは小刻みに身体を震わせると、大きなくしゃみをした。暗くならないうちに宿を探さなければ。それと何か温かい飲み物を飲みたい。そう思うとアレリオンは急にクスクスと笑い出した。先日突然に我が家を訪れた来客のことを思い出したのだ。なるほど、冒険もしてみるものだ。あのときのマナドゥアもきっと今のオレと同じ気持ちだったに違いない! アレリオンは数日前まで名前も知らなかった自分の父親や吟遊詩人のことを、いつしかより身近な存在へと感じるようになっていた。


 アレリオンは少し感傷に浸りながらポート・リュテリアに入った。リュテリアの入り口にある門には化粧石で白く整えられた壮大な二体の像が立っている。レン=デル・マインに従属して、最初の属州となり、バルシエルの繁栄の祖となったバルシエル公ディレネイドⅡ世、そして疫病に苦しむ人々を導いてリュテリアへの遷都を実現させたバルシエル公ソロスⅠ世。リュテリアの人々はいつか廃都ファーレルを取り戻すこと心に誓っているのだろうか。いや、そうに違いない。その時ファーレルには三体目の像が立つのだろう。


 アレリオンはリュテリアで早速宿を探したが、リュテリアの宿は広さの割にはどこも高い。適当な部屋を捜しているうちにすっかり日が暮れてしまった。夕暮れ時のリュテリアの街はとても静かで、リスペリダルに比べると人影も少ない。リュテリアの市民は混血が多く、皆―――特に女は、顔立ちが整っていて美しくはあったが、どことなく高飛車そうで、余所者であるアレリオンからは話しかけることが躊躇ためらわれた。そのためアレリオンは自分の足で一つ一つ宿を訪ねていったのだ。それにいくら美しい街並みとはいってもいい加減うんざりもする。宿を探して街をグルグルと回るうちに幾度となく中央の噴水広場に戻ってきてしまう。そういう街の設計なのだろうが、アレリオンにはこの噴水が邪魔に思えて仕方がなかった。これがなければもっと行き来しやすいはずだ。これもリスペリダルとリュテリアの都市設計の違いってやつだろうか。もし外敵が侵入した場合、この噴水で撃退することを想定しているのだろう。


 ようやく探し当てた宿で粗末な部屋を借りると、アレリオンは荷物を置くや否やベッドの上に横になった。初めての旅は疲れた。できれば二日間ぐらいはじっとしていたい。


 目が覚めたのは翌日、昼を過ぎてからだった。出かける身支度を終えたアレリオンはもう一度街を歩いた。昨日宿を探しながら目を付けておいた酒場に行ってみたかったのだ。それにマナドゥアの行方も気になる。酒場の主人であれば吟遊詩人のことも知っているだろう。出来るだけ早く彼の所在を確かめておきたい。オレをこの街に呼んだのはあの人だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る