第6話 別離のFireworks
今、アレリオンは街の外堀に架かっている南の橋を渡ろうとしている。時折大きな音と共に北の空が明るくなり、夜空に色鮮やかな花火が舞った。人々はアレリオンとは逆の北の橋や広場に集まって神学校の辺りから打ち上げられている花火を楽しんでいるのだろう。背後の街は依然として賑やかだった。きっと誰にも気付かれずにここまで来られたに違いない。
段々とドラムのようにリズミカルに打ち上げられていく花火の音を聞いていると、まるでリスペリダルの都が去り行く自分に別れを告げてくれているように感じた。そういえば港町のエルディンでも、長い船旅に出て暫く帰ってこない家族を見送るときには陸から花火を打ち上げると聞く。アレリオンも住み慣れた街に別れを告げようと足を止めると、ふと花火の音が途切れた。途端に周囲が暗闇と静寂に包まれる。その瞬間を見計らっていたかのように、アレリオンの背後からエヲルの声がした。エヲルは門の陰からずっとアレリオンを見ていた。こいつは本当にオレを付け回しているんじゃないだろうな。なんだってこういうときに限って!
「待ちなよ、アレリオン。こんな時間にそんな荷物を持ってさ。まさか今から花火の場所取りってわけでもなさそうだな」
アレリオンはエヲルの声に振り向かなかった。出来ることならエオルとだけは顔を合わせたくなかった。
「酒場にも顔を見せなかったらしいし、今朝から様子がおかしいとは思っていたんだ。昨晩、あの吟遊詩人がお前を訪ねてきたんだってな?」
オレの行動は筒抜けってわけか。だが酒場に顔を見せられなかったのは、お前が悪酔して酒場をめちゃくちゃにしたからじゃないか! と振り向いてそう文句を言ってやろうと思ったが、再び打ち上がり始めた花火の明かりにエヲルの顔が照らし出されると言葉が出なかった。いつになく哀しそうな表情をして立っている。最年少で聖騎士になって以来、気の強いエヲルがこんな顔を見せたことはなかった。エヲルは振り向いたアレリオンから思わず目を逸らすと、少し
「アレリオン、聞いてくれ。あたし、知っていたんだ。お前の父様のこと。あたしが騎士になったとき、父上から聞いていた……」
「なんだって!?」
アレリオンはエヲルの突然の言葉に衝撃を受けた。そんな話は初めて聞く。しかし冷静に考えてみれば、エヲルの父親はかつて聖騎士の頂点に君臨していた人だ。自分の父親も宝珠探索に出るまでは騎士だったのだとしたら、確かにエヲルの父親が自分の父親の事を知っていたとしても不思議ではない。今まで自分の父親に興味を持っていなかったアレリオンは、そんなことにすら気付いていなかったのだ。
「すぐに分かった。あの吟遊詩人が話していたのはお前の父様のことだってこと。今まで黙っていてすまなかった。ただお前が……、自分の父親のことを知ることを避けているように思えたから……」
花火の音で聞き取ることも困難なほど、いつものエヲルらしからぬか細い声だった。
「別に謝る必要はない。エヲル、お前の言うとおりだよ。オレは親父のことなんてこれっぽっちも興味なんて無かった。昨日まではな」
だが今は多少興味を持った。親父本人ではなく、親父が見てきた世界に。
「アレリオン、お前、まさかあたしを置いて旅に出るなんて言わないよな? 約束しただろう。あたしが騎士になったあの日、お前もあの頃夢中になっていた石並べに飽きたらいつか剣を取って陛下のために戦うって。あたしは、あたしはずっとその日が来るのを待っていたんだ。それなのにお前は……。アレリオン、お前ならお前の父様と同じように立派な騎士にきっとなれるよ」
「エヲル、たとえオレが騎士になったとしても、オレはお前やお前の父さんのように立派な騎士にはなれない。それに生憎オレの親父は騎士じゃない。冒険家だったようだぜ。オレが顔も知らない親父を唯一誇りに思えることがあるとしたら、それは親父が騎士ではなかったということだ。親父は騎士の位を棄てて旅立った。だからオレも騎士にはならない。オレは騎士にならずに旅に出る」
「アレリオン! ラスゲイル卿は今も――――」
今も聖騎士の一員として名誉の殿堂に名を連ねている。エヲルはそう口に出そうとしたが、アレリオンは強引にその言葉を遮った
「もう決めたことだ! だがな、エヲル。よく聞くんだ。オレは別に親父の後を追うわけじゃないぞ。オレはオレの旅をするんだ。丁度リスペリダルにも石並べやゼパム投げの相手がいなくなって困っていたところだったしな。それにもしかしたらオレはゼパム投げより面白いことを見付けたくなったのかも知れない。エヲル、お前には感謝している。お袋が死んだ後も、お前のおかげで楽しく過ごせた」
アレリオンはそう言った後、再びエヲルに背を向けた。しかし最後の一言は余計だったのかも知れない。顔を
「なんだよ、それ。今になってなんなんだよ!」
くそっ。お前こそ今になって急にしおらしくなりやがって。オレは本当にこいつが苦手だ!
「もう止めても無駄なんだな……」
「ああ」
アレリオンは素っ気ない返事をした。もう振り返らない。振り返ってたまるか。二人の間に沈黙が走る。街の賑わいと花火の音が聞こえなければ、走って逃げ出したくなるようなツンとした空気だ。自分を見つめるエヲルを背にしたアレリオンは、まるで金縛りにでもあったかのように両足を揃えたままでなかなか一歩が踏み出せないでいた。アレリオンの心の何処かで、きっとこうなるのではないかという予感があった。だからこそ一人で旅立ちたかった。この一歩を踏み出せば、きっとオレはもうこの街には帰ってこない。エヲルともこれが今生の別れとなるかも知れない。そんな考えすら頭によぎる。
数十、いや数百もの花火が重なり合うように立て続けに打ち上げられた。きっと夜空には次々と色とりどりのしだれ柳が浮かび上がっていることだろう。その仕上げに一際大きな玉がヒューと音を立てて天高く上がった。あれが祭りの終わりを告げる最後の花火だ。あの花火が散り終わってもオレが一歩を踏み出せなかったら、オレは振り返って今にも泣き出しそうなエヲルの肩を抱いてしまうかもしれない。そしたらもうオレの負けだ。騎士にでも何でもなってやる。
それはほんの数秒のことでしかなかった。しかし二人にとってはお互いの決意を確認しあうには十分に長く感じられる一瞬だった。もはや引き止めることは出来ない。そう悟ったエヲルは、最後の花火の花開く音に合わせて、ありったけの声を振り絞って叫んだ。
「行けよ……。お前なんか早く行っちまえ!!」
それはいつもどおりのエヲルの威勢の良い声だった。彼女の精一杯の見送りの言葉だったに違いない。そしてその言葉はアレリオンに一歩を踏み出させた。
――――ありがとう、エオル。
アレリオンはエヲルに背を向けたまま振り向かずに独り言のようにそっと呟くと街道を走り出した。エヲルの視界から自分の姿が消えるまでは決して立ち止まらぬように必死に走った。
北の海で生じた新しい春の風が、石灰岩の山にぶつかって沈黙の森を抜け、リスペリダルを通った。そして街を後にして街道を南に進むアレリオンの背をそっと押したかと思うと、バルシエル地方へと下って南の海へと吹き抜けていく。
「――――ポート・リュテリアか」
風の過ぎ去った先を遠く見つめると、アレリオンは自分の決意を静かに確かめた。
To be continued...
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