第5話 父親からのInvitation

 親父はかつて聖騎士の一人だった。オレはお袋からそう聞いていた。お袋はあまり親父のことを話したがらなかったが、親父は国を守るべき聖騎士という立場と、婚約していたお袋を捨てて、勝手に何処かへと旅立っていった。オレが知っているのはこれだけだ。

 顔も名前も知らなかった父親になど興味は持っていないつもりだったが、今思えばオレが体面ばかりの騎士たちを毛嫌いするようになったのは、どこかで親父を意識していたからかもしれない。

 ところがいざ親父の手がかりを知ってしまうと妙な好奇心を抱いてしまう。ついさっきまでは親父の名前すら知らなかったというのに。オレの親父だと? あのエルフ、まるで突然やって来る春の嵐のようにオレの家を訪ねて去って行きやがった。

 アレリオンは席に着き、マナドゥアの残していった父親の手記を手にとって見た。思っていたよりズシリと重みがある。薄汚れた手垢の跡はアレリオンの手にもぴたりと一致した。背表紙はのりがほとんど落ち今にも剥がれそうだ。紙を繋ぎとめていたはずの紐もすっかり変色してこびりついてしまっている。これは丁寧に扱わなければとても読むどころの話ではない。革張りの、といっても既にズタズタにあちこち破けていた表紙をゆっくりと一枚めくると、その裏には母ラテルナが旅立つ父親に宛てたのであろうメッセージが記してあった。


あなたは詩やスケッチを書くことが好きでしたね。いつも私を放っては夢中になって何かを書いていました。きっとこの国から出たこともない私なんかには想像もつかないほど大変な旅になるのでしょうけれど、あなたが旅先でひと時でも安らぎを得られるように、私からこのノートをお贈りします。いつかこのノートを旅の思い出で一杯にして、私の元に帰って来てくれる日が訪れることを祈って。


ラテルナ・フォルサウィン


 どうやらこのノートはお袋から親父への贈り物だったらしい。これは親父の遺品だという。つまり親父は死んだのだ。そして親父をずっと待ち続けていたお袋ももういない。残されたのはこのボロボロの手記と―――、それを今こうして手に取っているオレだけということだ。そう考えると、アレリオンは複雑な気持ちになった。くそっ、エルフめ。オレにこれをどうしろって言うんだ。


 結局オレは寝ることも忘れて、次の日も親父の残した手記に目を通した。たまにエヲルが誘いに来たが、吟遊詩人が街を去ってしまったことを知ると、少し寂しそうな顔をして見せるものの無理にはオレを連れ出したりはしなかった。エヲルにしてみればオレが悪ささえしていなければとりあえずは安心なのかもしれない。おかしな話だ。今まではいずれはエヲルの説得に折れて自分もレン=デル・マインの騎士となり、そしていつかあの子と一緒になるのだろうと思っていた。それが今はどうだ。一度芽生えた好奇心は、そう簡単に抑えきれるものではなかった。困ったことにどうやらオレは冒険の旅に出たいらしい。


 バルシエル州にあるポート・リュテリア、モルセイケン州のポート・エルディン、どちらも美しい港町だ。特にエルディンからは外洋に出ることが可能で、マゲイアやアズガイアといった別の大陸とも商取引をしている。港町は活気と異国情緒に溢れている。リュテリアは今でこそバルシエル州の州都だが、かつてはファーレルという都市がバルシエル州の州都だった。堅牢な都だったが、凶暴化した怪物の集団に襲撃され、疫病が流行り、廃都せざるを得なくなった。今、廃都ファーレルはアンデッド達の巣窟になっていて、とても人が近づける場所ではないと聞く。

 リスペリダルから東に伸びる街道を行くと、モルセイケン州に入り、エルフの血が混ざったハーフエルフたちの集落がある。彼らは選民思想の高い純血のエルフから差別を受けているばかりではなく、国への納税もしないので、レン=デル・マインの人々からも嫌われている。

 バァルベロン州はレン=デル・マイン最北の州だ。ランデュセンやドレットと国境線が接しており、リスペリダルの騎士で、キャリアから外れたものや、不祥事を起こしたものは巨大な要塞フォート・グレンダル送りになる。その他にもキャンプ・デュルフィードといった要所が数多くあり、異国からの侵攻に備えている。

 バルビトゥ州はバァルベロンの隣にある属州だ。レン=デル・マインを含めた全州の中で一番広いが、一番過酷な土地でもある。特に荒廃した大地ドゥームには生物の痕跡すらなく、足を踏み入れて無事に帰ってくることができたものはいない。かの有名なミエリン・バルドゥサでさえもドゥームに足を踏み入れたきり帰ることはなかった。

 大陸の北の海を支配しているヴァリンデン諸島。数十ある島国と、大陸側の都市国家郡で構成された連邦国家で、オレたちレン=デル・マイン王国とは不穏な関係が続いている。その中でも幻都セロクェル、シャドウウォーカーやアサシンと呼ばれる裏社会の人々の集まった都。彼らは傭兵として雇われることもあり、大陸側でも暗躍している。

 鱗を持ったイスファス族の国ランデュセン。彼らは神話上の蒼龍ランデュセンの末裔であることを自称している。人間よりも一回り背が高く、好んで沼地に住む。その沼地にはトロルという化け物も住んでいて、共生しているらしい。トロルは剣で何度傷つけても、浅い傷であれば瞬時に回復するという。トロルは人間を好んでいないので、彼らに会うには先ずイスファス族と仲良くならなければならない。

 巨人たちの住むドレット地方は冬を過ぎても雪に包まれたままだ。身長二メートル半を優に越える巨人たちは、レン=デル・マインのような巨大な社会は形成しておらず、原始的な細かい集落単位で生活をしているという。その中には人間に好意的なものもいれば、そうでないものもいる。巨人の作った武器はとても大きくて重いが、怪物狩りをする冒険者の中には好んで巨人族の武器を扱うものもいる。

 その他にもその手記には今までアレリオンが本でしか読んだことがなかった街や国の様子が生々と描かれていた。今まで人が訪れたことの無いようなダンジョン。おぞましい怪物たちの生態系。各地に伝わる伝承から噂話に至るまで事細かに記されていた。

 メイディオルに消えた偉大なる冒険家ラスゲイル卿……。そうか、あのエルフが歌にしていた騎士こそ親父だったんじゃないか!? アレリオンは手記を読み終えてようやくその事実に気が付いた。

 しかし何度読み直しても一つの疑問点が残る。なぜ親父は旅立たねばならなかったのか? マナドゥアは宝珠探索の物語を歌っていた。吟遊詩人の語る物語には脚色は付きものだ。だがあの物語がある程度の事実を含んでいたのだとしても、その宝珠探索とやらはお袋を置き去りにしてまでする必要のある旅だったのか。何か理由があったはずだ。そうでなければお袋があんなメッセージを残すはずも無い。あの盲目のエルフなら詳しい事情を知っていたはずだ。ちくしょう、もったいぶりやがって。


 気が付くと既に日が沈んでいた。もう暫くすれば商人たちも露店を片付け始める。リスペリダルの人間のほとんどが祭りのフィナーレを飾る花火を見るために北の橋に集まるだろう。誰にも知られずに旅立てる機会はこのときくらいしかない。別に後ろめたい気持ちがあるわけではないが、誰かに見送られて湿っぽく旅立つなんていうのは御免だ。

 アレリオンは旅の役に立ちそうな物を急いで鞄に詰めていった。レン=デル・マインとバルシエル州の地図。方位磁石。筆記用具。サイコロ。乾パン―――こんなことなら昼の間に日持ちしそうな食料を買い込んでおくべきだった。水筒。父親の手記。ブランデーのミニボトル。敷布に掛布。ロープ。下着の換え。一人旅では身軽な方が何かと都合が良いだろう。アレリオンは荷造りを終えると、くたびれたキャスケット帽を深々と被って、最後に懐に短刀を忍ばせた。最近はどの街も物騒になったと聞く。これも必要になるかも知れない。

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