第4話 血塗れのNote
オレをずっと捜していたらしいそのエルフは、その後もオレを散々脅かした後でマナドゥア・ヴィスラ・フランジルと名乗った。なんでも大陸各地を転々と回る吟遊詩人らしい。アレリオンは自分も簡単に自己紹介をすると、マナドゥアを席に案内して一人分だけ茶を入れた。まさかこのエルフを客として招くことになるとは。
「リュテリアから取り寄せた紅茶です。ちょっと古いものですけど。お口に合えばいいんですが」
とりあえず戸棚の中から客をもてなすために使えそうなものを探してみたが、お袋が好きだった紅茶が残っていて助かった。少なくとも三年は前のもののはずだが。湿気ってはいなかったし問題はないだろう。多分、問題ないはずだ。
「暖かいものを口に出来るなら何でも良い。だがそんな洒落たものがお前さんの家に置いてあるとは驚きだ。なんという銘柄かね?」
お茶の話なんてどうでも良い。さっさと用件を済ませて帰ってくれ。アレリオンは心の中でそう呟いた。
「いえ、オレはあまりお茶には詳しくなくて……。ところでなんでオレなんかを捜していたんです? オレは見てのとおり、あなたの物語に登場するような英雄には程遠いですけど」
マナドゥアはその質問に答える代わりにアレリオンの入れた紅茶を一口口に含んだ。すると途端にむせて咳き込みだした。不味そうな顔をして舌を出す。アレリオンにはそのときマナドゥアがぼそっと文句を言ったように聞こえた。くそっ、もう怒らせたくないっていうのに。やはりあのお茶はまずかったか。
ところがマナドゥアは大きく息を吐くと、意外にも何事もなかったかのようにゆっくりと喋り始めた。
「いいか、お前さんがどのような男かはこの際関係ない。私はある男との義理を果たすためにお前に会いに来たのだ」
そう言うとマナドゥアは脇に置いていた革の鞄を膝の上に乗せ、中に入っていたものを一つ一つ確認しながらテーブルの上に置き始めた。まずはリンゴが三つに水筒が一本。ルーン文字の刻まれた小石が十個くらい。リュートの弦数本。封のされた巻物七本。ピッキングの道具。磨ぎ石。やがて奥のほうから黒色の染みのついた布に包まれた弁当箱のようなものを取り出した。おいおい。あれは血の染みじゃないだろうな。
マナドゥアはテーブルの中央にそれを置くと、一枚一枚丁寧に布をめくっていく。中から現れたのは一冊の書物だった。革張りの表紙からはなんとなく手書きの文字が読み取れる。何かのノートだろうか? 随分な厚みがあったが、角は磨り減っていてすっかり丸みを帯びていた。表紙や中身もあちこちと痛んでいて所々に黒い染みが付いている。正直言ってボロボロだ。
「これはある男の遺品だ。私はずっとこの遺品を受け取るべき人物を捜していた。しかしどうやら少しばかり遅すぎた。この手記に名前があるラテルナ・フォルサウィンという娘はもう三年前に亡くなってしまったそうだ」
取り出された本の方に興味を奪われてマナドゥアの言葉は聞き流していたが、アレリオンはラテルナという言葉を聞くと頬を思いっきりつねられた気がした。このエルフ、今ラテルナと言ったのか?
「ラテルナには夫はいなかった。だがラテルナには今年で十八になる一人息子がいたようだ。そう、十八だ。だとすればあの男の息子だと考えるのが自然ではないか? そしてそれは私の前に現れた。いや、前ではなく背後だったかな。なるほど、こうしてみると確かにあの男と似ているのかも知れん。私の目が不自由でなければ、きっとあの男そっくりの小憎たらしい笑みをまた拝めたのだろうがな」
アレリオンは混乱していた。この招かれざるエルフは適当にあしらった後ですぐに追い返すつもりでいた。それなのに急に何を言い出すんだ。やたらと人の母親について詳しいじゃないか。そのボロボロの手記の持ち主がオレの親父だったとでも言うのか? それに遺品だと? いや、まてよ。人違いじゃないのか? オレの姓はアスモデュイルだ。こいつはさっき何と言った?
「つまり……」
アレリオンはここで一度言葉を止めると、すうっと深く息を吸った。頭の中でマナドゥアの言葉を整理する必要があった。
「―――つまりあなたは、オレのお袋に親父の遺品を届けに来たって言うことですか?」
「そういうことだ。思ったよりは物分りが良いな。だがお前さんの母上はもういない。そこでお前さんがラテルナの息子だと言うのであれば、この手記をお前に預けねばならぬが、間違いはないのだな?」
「ええ。確かに俺はラテルナ・アスモデュイルのただ一人の息子です。でも――――」
でも親父のことは何一つ知らない。お袋を置いて一人何処かへと消え去った元騎士だってことくらいしか、オレは知らない。
「オレのお袋はフォル何とかという名前じゃありません。そんな名前、ここリスペリダルでは聞いたこともありません」
「フォルサウィン。お前の親父さんの姓だ。どうやら知らないようだからついでに教えてやるが、ラスゲイル・フォルサウィン、それがお前の親父さんの名前だ」
この時、アレリオンは十八年間生きてきてはじめて父親らしき人物の名前を知った。これまでアレリオンは父親などという存在には無関心だった。自分には父親がいたのだということさえほとんど忘れかけていた。自分が生まれる前に既に居なかったのだ。だからエヲルの父、聖騎士のガイエン卿が親代わりになってくれていた。エヲルと腐れ縁なのもその為だ。
それにしてもラスゲイル? つい最近何処かで聞いたような名前だ。そのことが心に引っかかる。どんな男だったというのだ。それをこのエルフは知っているというのか? このエルフはわざわざお袋に会いに来たのだそうだから、きっと親父のことをお袋に伝えたかったに違いない。アレリオンはそう考えてマナドゥアに尋ねてみた。
「マナドゥアさん。あなた親父を知っているんですよね。聞かせてもらえませんか、親父のこと」
「残念だが」
マナドゥアはアレリオンの言葉を途中で遮って再び大きく息を吐くと、カップに残っていた紅茶を一気に飲み干した。
「私は吟遊詩人だ。物語を語るときは、それを楽しみとする多くの観客が必要だ。次の巡業は久しぶりにリュテリアを予定している。もし興味があるならお前さんも来るが良い」
きっと答えてくれるに違いないと思い込んでいたアレリオンは、マナドゥアの意外な返事に唖然とした。オレはあんたの物語を聴きに来た客じゃない! しかもリュテリアに来い、だと!? 冗談じゃない! もったいぶるにも程がある!
「オレの親父を知っているんでしょう!? 別に教えてくれても良いじゃないですか!」
アレリオンが声を荒げると、マナドゥアは不機嫌そうに顔をしかめた。
「私の役割はその手記を持つべき者に手渡すことだった。そしてそれは既に果たされた。もうこれ以上このリスペリダルに残る理由はない。慌しいが私はもう行くよ。でなければここのチビたちに本当にファルドレッド卿の物語を語らせられかねん」
そればかりはごめんだ、という表情を見せるとマナドゥアは立て掛けてあったリュートを手に取り、先ほど手記を取り出すためにテーブルの上に広げた荷物をそそくさと鞄に放り入れて席を立った。そして一旦は威勢よくドアを開けて外に出たが、何か忘れ物でもあったのか、閉まろうとするドアの間に片足を入れて押さえ、テーブルの上に置いたままの手記を指差してこう付け加えた。
「それは置いていく。お前さんのものだ。お前の親父さんはお前さんのことを知っていた。そして会いたがっていた。それが叶わぬこととなったのは気の毒だが。親父さんのことを知りたければその手記に目を通すがよかろう。お前さんが親父さんのことをどれだけ知っているかは知らんが、少なくともそこに書かれていることに偽りはない。このマナドゥア・ヴィスラ・フランジルの名にかけて約束しよう。馳走になったな。なかなか味わえない紅茶をありがとう。それでは名残惜しいが、ひとまずはさらばだ、アレリオン君」
そう言い残すとマナドゥアは押さえていた足をはずして今度こそ本当にドアの向こうの夜の闇の中へと消えてしまった。
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