第3話 闇夜のSneak

 すっかり日が落ち、辺りは街灯が灯されるほど暗くなっていた。広場の露店もまばらで、人影もそう多くは残っていない。きっと明日に備えて皆早々に引き上げたのだろう。

 吟遊詩人の物語を聞いた後、アレリオンはエヲルや飲み仲間を誘ってリボリトールの酒場に酒を飲みに行った。随分と飲んでしまったが、どうやらオレは酒には強いようで、みんなが酔い潰れるまで酒場に残っていた。今はその帰路についている。

 今頃リボリトールの酒場は誰かさんの後始末で大変なことになっているはずだ。ちくしょう。酒癖の悪いエヲルのせいでしばらく酒場には出入り禁止だ。あいつに酒を飲ませたのは失敗だった。

 今日の吟遊詩人の物語。名誉ある聖騎士の位を返上してまで失われた宝珠探索の旅に出た冒険者。チャンバラに明け暮れる騎士たちよりよっぽど魅力的な人生じゃないか。少なくともオレにはそう思える。

 アレリオンはぶつくさと小言を言いながら、リスペリダルの外れにある自分の家に向かっている。さっさと寝てしまいたい。とにかく明日もエヲルが来る前に朝一番で家を出なければならないのだ。さもなければ祭りの間中エヲルにつき合わされかねない。そうなったら最後だ。すぐにリスペリダル中の噂になってしまう。そしていつの間にかオレとエヲルは一緒になることにされているんだ。そういうものなんだ。オレはそんな男女を少なからず見てきた。

 冗談じゃない! ああ、神よ! あんたを信じているわけじゃないが、どうか、そんな恐ろしいことは当分先の話でありますように!

 思わず世の終焉でも訪れたかのような想像をしてしまったアレリオンは、目を瞑ると頭を大きく横に振って我を取り戻した。ああ、オレも相当酔っ払っている。


 覚束ない足取りでリスペリダルの外れまで来ると、アレリオンは自分の家の前に一つの人影があることに気が付いた。ドアの前で肩から上だけを動かして辺りをキョロキョロとうかがってる。あれは昼間の吟遊詩人じゃないのか。あの汚いマント、間違いない。エルフがオレの家に何の用があるって言うんだ?

 家の中の様子をうかがっているエルフをいぶかしく感じたアレリオンは、無意識のうちに物陰に隠れて自分の気配を消していた。暫く様子を見ていても、エルフがその場を離れる気配はなかった。相変わらず戸口を叩いたり、聞き耳を立てたりしている。まさかオレの家を酒場や宿と間違えているということもないだろうが、さては金にでも困っているのか。

 困ったエルフの顔を頭の中に思い浮かべてみると、アレリオンに一つの名案が閃いた。そうだ、エルフは大層耳が利くらしいじゃないか。それにあいつは目が見えない。オレが奴に気付かれずに後ろから驚かしてやったら、一体どんな顔をするんだろうな。アレリオンは思わずニヤリとした。

 へへっ、きっと雷に打たれたような顔を見せるに違いない。オレの家の前で何をしているのかは知らないが、明日には街中の笑いものだぜ。どんなに素晴らしい吟唱をして見せたとしても、プライドの高いエルフなら恥ずかしくてもうこの都には居られなくなるだろう。そうなれば祭りの期間中エヲルに連れ回されることもあるまい。アレリオンは足音が立たぬようゆっくりとエルフに近づいていった。忍び歩きはゼパム投げに続く十八番だ。

 一歩、また一歩と少しずつ距離を詰めていく。エルフはオレに背を向けたままだ。気付かれているものか。アレリオンは最後の数歩を息を止めて近づいた。心拍数も可能な限り落とす。まだ祭で騒いでいる連中も居る。オレの鼓動の音を聞き分けるなんて真似、いくらエルフでも出来るわけがない。見ていろ、耳元で大声を出してやる。いくぞっ!


 その瞬間、エルフはスッと身を屈め、振り向き様にボロボロのマントをひるがえすと、流れるような動作でその内側から一本の鋭い刃を手に抜き取り、アレリオンの喉元に突きつけた。それは一寸の無駄もない動きだった。暗闇のせいで表情はよく見えないが、明確な殺意を感じる。エルフはアレリオンに鋭い短刀を突きつけたまま、同じ喉から美しい歌声を披露したとは思えないほど、太く凄みのある声を出した。まるで昼間とは別人だった。


「これほどまでに気配を消すのが下手くそな盗人もいるものかと様子を見ていたが、どうやら礼儀知らずの小僧のようだな。酒臭いやつめ。よりにもよってを取ろうとするなどとは。非常に愚かで危険な行為だ」


 アレリオンは一気に酔いから醒めた気がした。顔から血の気が引いていく。今朝相手にしていた情けない騎士とは格が違う相手だ。そのことを理解するにはその一瞬で十分だった。やばい、オレとしたことがからかう相手を間違えた!


「あっ、あの、すいません! すいません! つい、出来心で……。で、でもオレは決して物取りじゃありません。信じてください! ここはオレの家なんです。人が訪ねて来ることなどほとんどないもので……。その、オレのほうもてっきりあんたが物取りか何かかと……」


 心臓がドクドクと張り裂けそうだった。アレリオンはなんとか自分の悪ふざけを正当化しようと弁解した。そうしなければこのエルフなら本当に自分を殺しかねない。この殺気は間違いなく人を殺したことのある者の放つ気だ。


「酔っ払いめが。お前さんの目にはこの吟遊詩人が物取りに見えるのかね? それにお前さんは物取りを相手に背後から忍び寄って驚かすことが賢明だと? ふん。お前のその鼓動の音を聞く限り、そんな度胸もなさそうだがな。ところで今なんと言った? 私の聞き違いでなければここがお前の家だと言ったのか?」


 エルフはチラッとアレリオンを見上げた。淡い緑色の瞳は虚ろで光を映してはいなかった。そういえば『盲目のエルフほど周りが見えているものはいない』なんていうことわざを聞いたことがあったっけな。そのときはあり得ない話だと思っていたものだが。ちくしょう。今になって思い出す羽目になるなんて。


「え、ええ、そうです。お袋が死んでからはここにはオレ一人です。だからこの家に用がある奴なんてオレの友人以外にいません。でもオレには吟遊詩人の知り合いなんていません。だから、その、つい……。その、反省しています。決して目の不自由なあなたをからかおうとか思ったんじゃありません。だから、その。もう短刀をしまって貰えませんか?」


 アレリオンは可能な限り自分に害意がないことを示した。そうだ、この見ず知らずのエルフがオレの家の前で怪しい行動を取っていたことには変わりない。この暗がりの中、吟遊詩人だと気付かず、背後を襲おうとしてしまっても仕方ないじゃないか。アレリオンはそう自分を納得させると、ようやくニヤリと人懐っこい笑みを浮かべる余裕が出てきた。

 一方のエルフはこの酔っ払った若者が気に入らない様子だ。吟遊詩人などやっていれば酔っ払いに絡まれることなど珍しいことでもないが、エルフはこの若者が悪意を持って自分の背後を取ろうとしたことが許せなかった。光を失うと自分の背後には特に敏感になる。ただこの家がどうやらこの若者の家だということだけは嘘ではないようだ。エルフはそう判断すると、ぐっと怒りを堪えて短刀を元の鞘へと収めた。


「運が良かったな、小僧。どうやらお前さんが私が捜していた人物のようだ。そして私はお前さんの客だ。そうでなければ明日の朝早く、私が公演をするはずの中央広場でお前さんの無惨な死骸が発見されていたかも知れん。騎馬像の槍に惨たらしく身体を貫かれてな」

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