第2話 盲目のMinstrel

 外はまさに雲一つ無い晴天だった。朝から薄暗い酒場で賭博をしていたアレリオンの目には柔らかな春の日の光さえ真夏の太陽のように眩しく感じられた。まだ春も早く空気は冷たかったが、リスぺリダルの都は人々の熱気に満ちていた。上着は必要ない。むしろ風が素肌に触れると涼しくて心地良い。

 城門の前でビスケットをばらして鳩に与えている少女。雑踏のにぎやかさを避けて、城壁に寄りかかり煙草を吹かす壮年の男、―――きっと彼の視線の先には祭りを楽しむ子供の姿でもあるのだろう。旅芸人がお世辞にも上手とは言えない歌を歌いながらお手玉を回している。どこから取り出したのか、お手玉の数はいつの間にか一つ、また一つと増え、やがて十にも達すると隣に控えてラッパを吹いていた小さな男の子も参加し始めた。街の至る所には祭りに合わせて各地から訪れた行商人たちが店を開いている。店には大陸中のありとあらゆる物が並んでいたが、彼らが持ち込んだハーフリングの作った奇想天外な道具はどうやって使えばいいのか見当もつかない。そういえば祭りの夜に打ち上げられる予定の花火も、ハーフリングの手によって作られたものだ。小さい頃、アレリオンが何度説明してもエヲルはあれがエルフの魔法によって作られたものだと信じて疑わなかった。

 アレリオンは祭りと祭りの雰囲気は嫌いではなかった。しかしエヲルと一緒だといつも調子が狂う。ちらっと隣のエヲルに目をやってみた。その手にはハニーケーキの載った皿を持っていた。どうやらアレリオンが露店や旅芸人に目を奪われている隙に、自分一人の分だけ買ったようだ。アレリオンの物欲しそうな視線に気付いたエヲルは、お前にはやらない、と意地悪そうな笑みを浮かべる。美味そうなハニーケーキの蜂蜜の匂いを嗅いだ途端、急に空腹感を覚えた。そういえば朝から何も食べていなかった。


「ほら、あそこだ」


 エヲルの指さした先、中央広場の騎馬像の周りには確かに大きな人だかりができていた。子供から大人までリスペリダル中の人々が集まったその中心には継ぎ接ぎだらけのボロボロの外套がいとうを羽織った耳の長いエルフの姿があった。名前は分からない。だが見覚えのある顔だ。アレリオンが子供の頃からほとんど変わっていない。軽く波打った銀髪と光を失った淡い緑色の瞳。最近は姿を見かけなかったが、以前は数年に一度、リスペリダルを訪れては興行をしていた盲目の吟遊詩人だ。

 エルフが長寿だと言うことを理解はしていても、アレリオンにはこの吟遊詩人が一体いつの時代から生きているのかまったく想像もつかなかった。いつもまるで自分自身がファルドレッド卿や探検王と共に伝説的な冒険に参加していたかのような口振りなのだ。まさか本当にそんなことはないだろうが。

 その吟遊詩人は、かつてアレリオンやエヲルもそうしていたように、小さな子供たちからファルドレッド卿の話をせがまれ、長い耳を垂らして困り果てていた。ファルドレッド卿の一連の物語のうんざりするほどの長さを知っている者なら、その気持ちを分からないこともない。何週間もかけて物語を最後まで話し終えると語り手の喉はすっかり枯れ果ててしまい、しばらくは声も出せなくなる。その上その頃には誰も物語の始めのほうなど覚えていないのだ。


「やれやれ、ファルドレッド卿の物語はこの前してやったばかりではなかったかね?」


 吟遊詩人はそう惚けて見せた。きっと「今回はそういうことにしておいてくれ」という合図なのだろう。ところが世の中にはその場の空気の読めない愚かな大人もいるものだ。


「マナドゥア先生、とんでもない。あれはまだあっしがガキの頃の話ですぜ!」


 吟遊詩人は「余計なことを!」といった鋭い目つきで、先ほどから子供たちに紛れて度々横から口を挟むその男を睨み付けた。すると男は蛇に睨まれた蛙のようにしゅんと固まって、もうそれ以上何も喋らなくなってしまった。凄い眼力だ。


「さて、人間の国に来るとどうも時間の感覚が狂ってしまうな。もうそんなに経ってしまったかね? だが生憎と今回の興行にはあまり時間を裂くことが出来なくてね。ファルドレッド卿の物語を語り始めてしまったら少なくとも二週間は滞在しなくてはならない。それも毎日話をしてやったとして、だ。だから、そうだな。ようし、今日は特別にまだ誰にも話したことのない物語を聞かせてあげようじゃないか。偉大なる冒険家にして宝珠探索者の物語だ」


 そう言って一度仕切り直したエルフは、騎馬像の台の上に腰掛けて楽器を構えた。そして「そんな話は知らない」と口を揃える子供たちの方を向いて表情を和らげると、「いいか、特別だぞ」ともう一度念を押して、ポロポロとリュートをかき鳴らし始めた。なるほど、細くて長いエルフの指で弦を奏でるとあんな繊細な音が出るのか。アレリオンは素直に感心した。今まで聞いたどんな楽器より美しい音色だ。リュートの音色に合わせて物語の語りが加わる頃には、人々はエルフの奏でる旋律に耳を傾け、雑踏のざわめきはもはや完全に消えて無くなっていた。


「これは、そう遠くない昔の話。そして今もなお続いている物語だ……」


 やがて吟遊詩人の声色が音楽的な響きへと変わっていく。どうやら失われた宝珠を探索する人間の騎士の物語のようだった。


男は誉高き聖騎士の一人

男は妻を置いて旅に出た

失われた宝珠探索のため


男は旅をした レン=デル・マインの平原を

男は旅をした バルシエルの密林を

男は旅をした 廃都ファーレルを


失われた宝珠探索のため


男は旅をした バァルベロンの果てを

男は旅をした モルイセイケンの丘陵を

男は旅をした バルビトゥの灼熱の大地を


失われた宝珠探索のため


男は旅をした ランデュセンの沼地を

男は旅をした ドレットの雪原を

男は旅をした ヴァリンデンの島々を


失われた宝珠探索のため


男は旅をした 危険極まりないドゥームの地を

男は旅をした 遥か世界の果てメイディオルの地を


失われた宝珠探索のため


男は今も旅をしている 遥か世界の果てメイディオルの地を

闇立ち込めるメイディオルの地を

闇立ち込めるメイディオルの地を


 騎士は宝珠を探し求めて世界中を旅した。そしてこの世界の果てにあると言われているメイディオルまで辿り着いたものの、その後の消息は誰も知らないのだという。この話はさすがのアレリオンも知らなかった。エヲルも子供の頃のようにすっかり吟遊詩人の物語に聴き入っているようだ。そんな幼馴染の様子を見てアレリオンはふと思った。なんだ、エヲルの隣で物語を聴くっていうのもそう悪くはないな。


「何? どうしたのアレリオン? あたしの顔に何かついてる?」


「ハニーケーキが口についてるぞ」


「ちょっと! もうちょっと早く言ってくれない!?」


 エヲルは慌てて口元を拭く。普段は男勝りな性格だが、女らしい一面も持っている。まぁ、そんな一面でもなきゃ、ただのゴリラでしかないか。


「なぁ、エヲル。メイディオルって本当にあると思うか?」


「さぁね。おとぎ話の中でしか聞いたことないよ」


 確かに、子供の頃のおとぎ話の中でしか出てこない。悪い子は魔王がメイディオルに連れて行ってしまうぞ、とよく叱られたものだ。だがなぜだろうか。もしメイディオルが本当に存在するなら見てみたい気もする。バカな、吟遊詩人の話を間に受けてどうする。


「なぁ、エヲル。一度リベリトールの酒場に戻ろうぜ。飲みなおそう。新米騎士から頂いた金が沢山あるんだ」


「デルコスには返さないのか?」


「返す必要があるのか?」


「いや、ないな。よし、リボリトールで腹ごしらえでもしよう」


 ハニーケーキ一皿じゃ足りないのか。アレリオンはそう思った。

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