第1章 春祭のFarewell
第1話 賭博師のProvoke
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時を刻む水の流れと君の静かな吐息以外に聞こえる音は何もない
先ほど君が涙を洗い流した水は
今もゆらゆらと
だがいずれ夜明けを知らせる聖堂の鐘の音が遠くここまで響き渡り
東の空が明るみ始めるだろう
私と君とを包んでいた月の光も
その時が来れば空の白の中へと溶けて消えてしまう
だから、今、行かせてくれ
朝日が寝たふりをしてくれている君の顔を照らし出す前に
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宙高く放たれた百ゼパム硬貨は、空中で回転することなくオーク材の床板が敷き詰められた床に見事にほぼ平行に落ちた。すると勢いで奥に一度だけ反転し、そこにあった千ゼパム硬貨に覆い被さるように重なってピタリと止まった。アレリオンの
「くそっ! またか!」
多少の賭け事も嗜みの一つだと、それまでは平静を装っていた身なりの良い相手の男も、なけなしの金を巻き上げられるとついに苛立ちを露わにした。夏の豊穣を予祝する春の祭りが今日から二日間に渡って催される。その春の祭りを存分に楽しむために用意していた金だったのだ。
「どうする? まだやるかい?」
アレリオンはつばを掴んで帽子を深く被り直すと、顔を傾けて次の勝負を促した。まだ終わってたまるか。そうだな、今度はこいつの自慢の剣でも賭けて貰うのも悪くないかも知れない。
「冗談じゃない。百ゼパムでどんな位置にもベタ寄せ出来るような奴と勝負なんて出来るかっ! ゼパム投げなどにこれ以上付き合っていられるほど私は暇ではないのだ!」
男は声を荒立てた。無理もない。朝一番から同じ相手に負け続けているのだ。実力差がある場合、多少は相手に勝たせてやることも肝要だとアレリオンは心得ていた。相手を図に乗せてしまえば結果的に稼ぎも大きくなる。逆に一方的に勝ってしまえば、いくら王都リスペリダルと言えどいずれ相手がいなくなってしまうだろう。
だが今回はこの男を相手に容赦なく勝ち続けた。理由はこの男が騎士だからだ。そう、確か先日騎士になったばかりの男のはずだ。こんな奴が騎士だと? たかがゼパム投げでさえオレに一矢も報いることが出来ないこいつがか? まったく、騎士って奴らは普段高そうな鼻をしている分際で、剣でも握ってなきゃ何も出来ない連中ばかりじゃないか。アレリオンは自分に散々負けた挙げ句、くだらない負け惜しみを吐くこの騎士のことを、取るに足らない男だと完全に見下すようになっていた。そうだ、このまま終わらせてたまるものか。もっと屈辱を与えてやらねば。
「ああ、もう二万五千ゼパムも負けたものな。でもオレは別にカードだってダイスだって、なんなら石並べだっていいんだぜ? まあ、時間のかかる石並べより、オレはこっちのほうが好きだけどね」
そう言ってアレリオンは袋の中に手を入れると、奪い取ったゼパム硬貨を無造作に掴み取ってもう一度チャリチャリと音を鳴らせた。お前にならどんな勝負にだって負けない。つまりはそういうことだ。そしてつばの影から悔しがる相手を見てニヤリとせせら笑うと、さらに挑発的な一言を付け加える。
「……それとも騎士様は剣でも使わなきゃオレには勝てないか?」
アレリオンの一言に、それまで騒然としていた辺りが一瞬静まりかえった。今までアレリオンのコイン捌きに感心しながら散々勝負を煽ってきた連中も、さすがにそれはやりすぎだとばかりに今度は固唾を呑んで成り行きを見守りだしたのだ。男への同情もあるかも知れない。それにいくら賭博で熱くなっているとはいえ、さすがに騎士を相手に決闘はまずい。アレリオンのゼパム投げを見に酒場に集まった観衆も今はそう感じているようだ。
「貴様、私を侮辱するか!」
男の声は完全に怒りで震えていた。既に我を忘れて剣の柄に手をかけている。
「お前の望み通り剣で勝負してやろうじゃないか!」
周りが再び騒然としだした。騎士が抜くぞ! どよめきの声が上がる。だがアレリオンはそれならそれで構わない、といった表情で余裕ぶった。騎士の身分でオレに手を出せばこいつは御法度。世が世ならレボドパ監獄行きは免れないだろう。しかも頭に血の上った今のこいつなら“剣”で勝負したって十分勝てる。いい気味だ。素人に剣で負けた騎士なのだと、二度とリスペルダルの都を歩けないようにしてやる。この国にお前のような無能な騎士は必要無い!
アレリオンは男がいつ剣を抜いても対応できるように姿勢を正して身構えた。もしあいつが剣を抜いたら、先ずはテーブルを蹴り起こしてキャンドルスタンドを手に取る。こんな狭い場所じゃあいつの長剣は思い通りに振り回せるはずがない。かといって突いてくればオレの思う壺だ。先の尖ったキャンドルスタンドで十分戦える。勝てる。アレリオンはそう確信していた。
しかしアレリオンのその余裕の態度が気に入らず、ますますその気になった騎士が剣を鞘から抜こうとしたそのとき、二人の間に割って入ってくる威勢の良い若い娘の声があった。凛とした表情とは不似合いな桜色の髪を持つ十六、七の娘だ。
「何やってるんだ、アンタたち!」
この声はエヲルじゃないか。くそっ。うるさい奴が来やがった。
「おい、アレリオン! 姿が見えないと思ったら、朝から酒場で賭博か? デルコスはもう騎士になったんだ。市民相手に剣を抜いたらただでは済まされない。挑発するのも程ほどにしなよ! デルコス、アンタもアンタだ。騎士の誓約を忘れたとは言わせないよ。アレリオンの挑発に引っかかりやがって。いつもの手だろうに」
エヲルに勢い良く一気にまくし立てられると、デルコスと呼ばれた新米騎士は少し頭が冷えたのか、ハッとした表情で抜きかけた剣の柄から手を離して彼女の方へ振り返った。
「あ、あ……。すまない、エヲル君。君の言うとおりだ。少し頭に血が上りすぎたようだ」
デルコスはばつが悪そうに返事をした。ああ、恥ずかしさと情けなさで直ぐにでもこの場を離れたい。エオル君が来なければこのガキを斬ってしまうところだったかも知れない。
「アレリオン君、と言ったな。勝負事に負けたことは確かだ。エヲル君に免じてここは私が引き下がろう。だが、私と剣の勝負をしたくなったら君も男らしく騎士になりたまえ。なれるものならな。名誉の殿堂で正々堂々といつでも相手になってやる」
最後だけは何とか面目を保とうと、デルコスは所々声を震わせながらも努めて紳士的に振舞おうと試みた。そしてもう一度だけアレリオンを睨みつけると、エヲルに向かって小さく頭を下げてすたすたと去っていった。
負け犬のお前に君付けされる筋合いはない。アレリオンは去っていくデルコスの背中を鼻で笑うと、自分も床に散らばったコインを拾い上げてその場を立ち去ろうとした。
それにしてもエヲルの奴、しばらくの間様子を見て楽しんでいやがったな。そうでなければこんなタイミングで割り込んでこれるものか。こいつは喧嘩を止めに来たんじゃない。オレを探しに来たんだ。少しばかり剣の腕が立つからといって、まるでオレのお目付け役だ。いつも付け回しやがって。とにかく今は一刻も早くエヲルの側から離れたい。オレはこいつが苦手だ。
「待ちなよ、アレリオン」
だがエオルは直ぐにアレリオンを呼び止めた。もはや手遅れだったようだ。くそっ、幼馴染の女と一緒に祭りだなんて勘弁してくれ。エヲルのことだからダンスを踊ってくれなんてこと言わないだろうが。いや、まて。無いとは言い切れないぞ。思い出すんだ、アレリオン。三年前の祭りの夜のことを! 最悪の思い出だ! ああ、神よ、別にあんたを信じているわけじゃないが、もうあれ以上エヲルのヒールに足を踏まれるのはごめんです! 穴が開いちまう!
「待てってば。ちょっと付き合えよ。リスペリダルの春祭りに合わせて吟遊詩人が来たんだ。聞いて驚くな、エルフの吟遊詩人だぞ。懐かしいだろう。昔はよくこの街を訪れたけど。あの頃は父上とおば様、4人でよく話を聞きに言ったよな? なあってば! 聞こえているんだろう!? 返事ぐらいしろよ!」
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