第十四章 クヌルギア

第一話 自由

「おほっ☆ これはまたイイお酒だよねぇ〜。

流石は魔界の王族。やっぱおにーさんに養って貰っちゃおうかな〜」


「あんた、まさか酒目当てに俺を呼んだんじゃねーだろーな……?」


 カラカラと笑うフォンワールの髪が、夕陽と風を受けてキラキラと輝く。

 黙っていれば色男なのに、こうして口を開くと残念な所に何故だか好感が持ててしまうのは、俺が小さい男だからか……。


 ランバルドとテレーズの結婚から一週間、公務とクヌルギアの講義に忙しく過ごしていたら、突如彼に念話で呼ばれた。


─── 風の神フォンワール


 テレーズの守護神であり、人界で人気の彼が今、魔界のとある山の奥にある、迫り出した岩棚の上にいた。

 彼は初めて会った時のように、傍に焚火を起こし、寝そべって酒を呑んでいる。

 お土産に渡した酒に目を輝かせ、冗談を言って笑った後、俺にも杯をよこした。


「…………彼ら、いい笑顔だったよねぇ。

『ちょっとそこまで出かけて来る』って、そんな感じでさぁ」


「ああ。ほんとそんな感じだったな……」


 結婚式から三日後の夜、ランバルドとテレーズはこの世から去った ───


 『残された時間はデザートみたいなもの』そうランバルドが言っていた通り、それがいつ来るのか分かっていた彼らは、全ての憂いを昇華出来たようだ。

 送る側の俺達が涙して、むしろ本人達は清々しく晴れやかな表情で、ひとりひとりに別れの挨拶を済ませた。


 長年の垣根を越えて結ばれたふたりは、それまでと変わらずいがみあったりしていたが、その中にも必要な言葉がちゃんと含まれるようになっていた。

 ……まあ、ランバルドの左目にアザが出来ていたのは、少し愛嬌が過ぎたのだろう。


「あの子の……幸せそうな顔。守護神としての私の本懐が、ずいぶんと温め直してもらえたよねぇ」


「守護神としての本懐……?」


「うん。私達はさ、人々に加護を与えて、歩む運命を示しながら、守護神としての想いをこの世に実現しているんだねぇ」


 ソフィアは俺にしか加護を与えていないし、ダグ爺達が守護神だって分かったのは、旅に出てからだ。

 彼らはもう人々に加護は与えていなかったみたいだし……ミトンも俺にしか加護を与えていなかった。


 こうして守護神としてメジャーな存在と話すのは、よくよく考えてみれば初めてだ。


「あんたは有名な守護神だもんな。それこそ多くの人々と運命を分かちあって来たんだろ?

あんたの想いとやらは、実現出来てるのか?」


「いやいや、なかなかに難しいものだよねぇ。

私は『風』を与えてあげたいんだよねぇ。一生の間に人は多くの物を背負うからねぇ、最後にはそれを全部下ろして、風のように自由に楽しいことを振り返る。

そんな運命がより多く重なれば、世界はもっと楽しくなるんじゃないかって思うんだけどね〜」


 彼らしいな。

 確かにそんな終着が人生の終わりにあるなら、もっと気楽に生きられるかも知れない。


 ……ただ、人の死には多くの不安がつきものだ。

 死そのものへの恐怖、残した者達への不安、蓄えが失われる虚しさ、やり残した事への執着。


「難しい……事だな。でもその想いは理解できるし、間違い無いと思う」


「ふふ、そう言ってもらえると、何だか気が楽になるよねぇ。

私達は祈られるばかりだから、本当の幸せを彼らが得られているかは、分からないからねぇ。

ありがたいよ、おにーさん♪」


 目を細めて、酒をくぴりと飲みながら、遠く風に揺れる森を見下ろしている。

 嬉しそうでもあり、どこか寂しそうにも見えた。


「人は自分の運命が分からないからな。進んでいる道が正しいかどうか、そういう不安を祈りに変えてしまうんだろう。

俺も……特定の神に祈りを捧げはしないが、心の中で神頼みする事はある」


「ははは、正直だねぇ〜。

実は私もあったりするんだよねぇ」


「へえ、守護神でもあるのかそういうの」


「まあね。トイレの無い場所で、急にお腹痛くなったりしたら『神よ!』とか祈るよねぇ」


「…………ぶっ! 生々しいなぁオイ」


 思わず笑うと、彼もカラカラと笑って、俺に酒を注いでくれた。


「そんなさ、自由の風を与えたいと願う私が、あの子には重たい物を背負わせてしまったからねぇ……」


「…………」


「私達は契約を結ぶ相手を選べる。

でも、どんな加護になるのかは、契約者の持って生まれた宿命で決まってしまうからねぇ。

……お堅い家柄に生まれたあの子には、だいぶ相応しくない加護を背負わせてしまったものだよねぇ」


 テレーズは『盗賊』の加護を受け、豪商の家から外に出されてしまった。

 守護神が加護を選べないのなら、それは仕方の無い事だ。

 だが、彼からすれば、それは『自由』と言うには余りに重い運命を与えてしまったと受け止めてしまうのだろう。


「……嬉しかったよねぇ。あの子の口から、幸せだったって言ってもらえたのは、本当に救いだったよねぇ……」


 そう言いながらも、やはり表情には影がある。

 まだ、処理し切れていないのが見て取れる。


「…………責任が肩から下りた後に、言いようのない後悔だったり、迷いが生まれるのは誰にでもあるさ。テレーズは清々しい顔をしてたじゃないか。

後はアンタ自身の気持ちが、自由を求めるまでに時間が掛かるだけだろう」


 彼は少し驚いた顔をしてこちらを見たが、すぐに垂れ気味の目元に笑いじわを寄せて、また遠くの風景を眺めた。


「……ありがとねぇ、おにーさん。あの子らを見送る時間を与えてくれて」


「なに、テレーズが望んでいた事だ。アンタは彼女にとって親よりも長く、絆を持っていた存在だからな」


 彼とテレーズが顔を合わせた後、俺は彼を城に招き、彼女達の最期まで滞在してもらった。

 最初は借りて来た猫みたいだったが、テレーズと話す度にリラックスしていったようだ。


「 ─── 世話になったねぇ」


「もう……行くのか?」


「おにーさんへのお礼も言えたしねぇ。

私は私なりに、あの子から教わったものを、どう人々に向けられるか考えていくとするよ〜」


「ああ……それが良い」


 テレーズと彼の関係は、守護神と人との理想的なものだったんじゃないだろうか?

 彼女は人生に感謝と満足を、彼は守護神としての課題を得られたのだから。


 そうした切磋琢磨が光を生み出してゆくと言うのが本当なら、彼らがこの世に生まれた意味も、出逢えた意味もあるはずだ。


 フォンワールは起き上がって座り直すと、俺に軽く頭を下げて『にしし』と笑った。

 すでに少し姿が透けて見えている。

 もう行ってしまうのだろう。


 と、彼は何かを思い出したように、俺に手を差し出した。


「いけないいけない。

あの子との約束を忘れてしまう所だったよ〜」


「……テレーズと、何か約束でもしたのか?」


 そう言いながら、彼の差し出した手が、握手を求めているのだろうとこちらも手を差し出した。

 彼はその手を掴み、遠くを見るような目で俺の額辺りを見つめる ───



─── 【人界の適合者にして魔界の王アルフォンス・ゴールマインよ。その運命に我が風の祝福を】



「へっ? こ、これは……神気⁉︎ 

お、おま、何を ─── 」


 フォンワールの視線と、握られた手から神気が伝わり、俺の中を駆け巡る。

 この感じは確か……!


「……おにーさんに祝福を。きっとその加護は役に立つから、がんばってねぇ〜」


 そう言って彼の気配が消えるのを感じながら、俺は脳内に起こる強烈な拡張感に気が遠くなり、意識を失った ─── 。




 ※ 




 目を覚ました時には、もう空には満天の星が広がっていた。



「……守護神契約を……されたのか……?」



 どれだけ意識を失っていたのか、ソフィアとの契約更新の時より、下手すると長かったかも知れない。

 ただ、意識が冴え渡るとか、力が溢れるなんかの変化は感じられなかった。


 テレーズとの約束だと彼は言っていたが……。


 彼女は今後の世界のために、商会に色々と知恵を残していったようだし、フォンワールに俺の事も助けるように言ってくれたのかも知れない。


「風の神フォンワール……か」


 もう勇者伝への想いは無い。

 だが、テレーズはあの話の中で描かれていた人物像と変わらなかった。

 ……確かに英雄だったと思える存在だ。


 その彼女と同じフォンワールからの加護。

 少年の頃の憧れに、少し触れられたようなくすぐったさと、喜びがあった。


 加護カードを手に取り、その内容を確かめる。



◼︎アルフォンス・ゴールマイン


守護神Ⅰ【光の神ラミリア】

守護神Ⅱ【触手】

守護神Ⅲ【調律神オルネア】

守護神Ⅳ【風の神フォンワール】←New!


加護Ⅰ【大いなる光の使徒】

加護Ⅱ【触手がいっぱい】

加護Ⅲ【オルネアの騎士】

加護Ⅳ【風来坊】←New!


特殊加護

事象操作【斬る】【掌握】【神雷】【絶対防御】【どこ吹く風】←New!

肉体変化【触手】【神疾】【神眼】【超再生】

触手操作【淫獣さん】【一人上手】

蜘蛛使役【蜘蛛の王】

光ノ加護【光在れ】【希望の光】

魔界ノ王【ヘーゲナの炎】【ツゥプセノムの雫】【アーキモルの笛】



 俺は立ち上がり、岩棚から下の風景に向けて叫んだ。



「オラァッ、フォンワールッ!

ちょっと戻って来いやああああああぁぁッ!」




 ※ ※ ※




 机の上に積まれた書物の数々は、クヌルギアの魔物と、あらゆる環境や出来事が記されている。

 歴代魔王と、その『魂の契約』をした従者が残した、クヌルギアス一族の家宝とも言えるものだ。


 俺の魔力分配と、魔界全体への意識接続に慣れたのを見計って、執事長エイケンのクヌルギア講座が始まった。

 彼は魔族ではなく、ヴェルディダード堕ちた者と呼ばれる悪魔なのだそうだ。


 人界で悪魔と呼ばれる存在はあるにはあるが、あれのほとんどは単なる悪霊の降霊術みたいなものだ。

 この魔界には悪魔と呼ばれる存在が、極々少数だけ存在するらしい。

 例えば淫魔ヒルデリンガもそのような存在らしいが、魔物と何が違うのかはよく分からない。


 一説には古代の神々と敵対した存在だとか、天界から落とされた存在だとも言う。

 ただ、悪魔とされる者達には、この世に現れた時の記憶は総じて残されていないらしく、確かめようがない。


 エイケンも同じで、彼自身が何処でどのようにして生まれたかの記憶は無く、この世の記憶は今から四代前の魔王に拾われたのが始まりだそうだ。

 それから彼はずっとクヌルギアス家に仕え、歴代魔王と共にクヌルギアを踏破して来たらしい。


 彼はこれから俺が挑む、クヌルギアのベテランだ。

 この膨大な情報も、彼が初めて四代前の魔王と同行した時から始めたものらしい。

 それまでの魔王候補者は、何代かにひとりは命を落としていたと言うのだから、彼の功績は大きいものだ。

 その分、講義の内容も膨大で、命に関わる事ともなれば、必死に詰め込む必要がある。

 アーシェ婆の魔術試験を思い出すような、ガリガリ勉強がここ数日続いていた。


「アルくん、少し休憩にしたらいかがですか?」


「ミルザさんに教わったお茶、淹れてあげるね〜」


 いつの間にかソフィアとスタルジャが部屋に入って来ていた。

 彼女達は今、魔界の実力者達との調整だとか、人界の南諸国連合との連絡を進める傍ら、家政婦長ミルザから色々と講義を受けているらしい。

 かなり忙しいだろうに、俺が確実に『クヌルギアの証』を手に入れられるよう、色々と請負ってくれている。

 正直、魔力分配と魔界把握の二つを常時行いながら、色んな人と話すのはまだ難しいからありがたい。


「ありがとう。そうだな、ちと休むかぁ。

ふたりもかなり忙しいんじゃないのか?」


「「え? べ、別に〜」」


 なんかふたりの目が泳いでるがなんだろう?


「今日は家政婦長からマナー講座受けるんじゃなかったのか?」


「そ、そそ、そんな事より……ア、アルくんの方は、お勉強はどうですか〜? 進んでいますか☆」


「ああ。憶える事はたくさんだけどな。大雑把には把握出来たから、後は危険度の高い項目を叩き込んでいく感じだよ」


「……すごい量の記録だよね。エイケンさん、がんばったんだね〜」


 俺も素直にそう思う。

 今彼はこの場を外しているが、執事長ともなれば仕事は膨大だろうに、この記録も講義もその合間にこなしているからなぁ。


「私たちが一緒に行けるのは、塔の入口までなんですよね? 本当に勉強、ご一緒しなくていいんでしょうか……」


「そこまでに出て来る魔物は、マドーラと出逢った『古代の巨城エイシェント・パレス』の深層部とそれ程変わらないみたいだ。

だからふたりは問題ないと思う。

……クヌルギアの魔物が溢れた時のは、かなり異質な出来事だったらしいしな。俺のせいで」


 これはクヌルギア講座で一番驚いた事だが、歴代魔王候補者が挑戦した時には、毎回ガラッと生態系が変わっていたらしい。

 とは言え、出現する魔物がまるっと変わるわけじゃなく、強い種族が頻出したり、逆に弱いものばかりになったりするそうだ。



─── クヌルギアの魔物の強さは、その候補者の魔力の大きさに比例する



 俺達が魔王城奪還に動いた時、同時にクヌルギアの魔物が溢れ出たのは、父さんが挑戦するはずだった分の魔物総量に俺の分が上乗せされたから。

 そして、そこに七魔侯爵の魔力を受けていたもんだから、クヌルギアの力が爆上がりして、お祭り状態になったんじゃないかとの事だった。


 幸い、魔物騒動で犠牲者は出ていないが、悪い事しちゃったな感は否めない。


「じゃあ、私たちもかなりパワーアップ出来ちゃうかもね〜」


「腕が鳴りますね〜スタちゃん♪

…………本来なら私も最後までご一緒したいんですけどね」


 クヌルギアの深部、そこまでは一本道の巨大な洞だが、破壊神が待つのは更にその奥、『ナナワルトルの塔』の最下層だ。

 地下に下って行った先に塔とは、何とも奇妙な話だが、父さん達のいた方星宮や、アケルにあった魔公将パルスルの館と同じく、下へと続く螺旋構造なのだそうだ。


 その塔の入口を潜れるのは、候補者と『魂の契約』をしたエイケンだけだ。


「あ、もしかしてこれって……?」


 そう言ってスタルジャが指をさしたのは、講座中の板書に使っている手帳の端っこ、そこに描いた落書きだ。


「……パガエデ」


「あははははっ! 似てる〜☆」


 昔から勉強中に気がそれると、無意識にちょこっと落書きをしてしまうクセがある。

 幼い頃はそれでアーシェ婆に何度か怒鳴り殺されたものだから、なんだろ、今でもやっぱり人に見られると気不味い……。


「アルくんにもこういう所あるんですね〜♪」


「いや……その、気がつくとな……」


「あ、でも流石アルくん! イタズラ描きでも真面目に勉強してるんですね〜。

これなんての練習ですよね?」


「え?」


 そう言ってソフィアが指さしたのは、そんな高尚なものではないし、神言なんかコレっぽっちも分からない。


「ああ、それは勇者の手記にあった、ジョルジュの手のアザだよ。なんか気になっててさ……」



─── 『青みがかった親指程の長さのは、小鳥……つぐみが丁度枝の先に止まって、空を見上げているのを横から見たような形』



 手記ではジョルジュから、ハンネスとカルラの処刑の日を聞かされた時に、さらっと触れられていたもの。

 数少ないジョルジュの情報を示す内容だった。

 鳥型の魔物の話を聞いている時に、ふと思い出して描いた、ただの落書きだ。


「途中まで描きかけてたけど、そのアザくらいじゃあ何も分からないよなって、鳥の姿を何となく塗りつぶしたんだよ」


 つぐみと聞いて、その時はすぐにアマーリエの杖と関係があるのかと思ったが、アマーリエ本人はそれを否定していた。

 あれは単に彼女が思い描いたイメージを、使い魔として扱うためにモチーフにしただけだったそうだ。

 つぐみは『隠者』を暗示する事もあるから、何か予言者にまつわる話があるのかと思ったけども……そうではないらしい。


「あはは、確かにすごい偶然だよね。鳥にも色々いるのにつぐみって、手記に書かれてたし。

えっとね、アマーリエはやっぱり『関係ない』って言ってる。ジョルジュって人と関わる運命も、見えないって言ってるよ?」


「やっぱそうかぁ……」


 だよな。

 あれだけの予言を残して来たアマーリエが、俺達とジョルジュとで何らかの関連を持つとしたら、何も知らないはずもない。

 と、ソフィアはその落書きをジッと見たまま、何かを真剣に考えている。


「どうしたんだソフィ、なにかあるのか?」


「偶然……だとは思うんですけどね。

この形は神言の、とある意味を指す言葉を、神代文字に変えた時にそっくりなんですよ」


 神言は神の使う言葉。

 人間には聴き取れない、次元の掛け離れた莫大な情報量を持つもの。

 神代文字はそれを無理矢理、形に成して置き換えた、人類最初の文字だと言われている。

 うん、成人の儀の時、俺の首回りに浮かんだ守護印を、セラ婆が説明した通りだな。


「黒く塗り潰されていなければ、全くそうは思わなかったと思いますけど……うーん」


「えっと、それってどういう意味の言葉なの?」


 ソフィアは未だ偶然かどうか不安が残るのか、やや緊張した面持ちで言う。



「 ─── 『輪廻』です」



 それがジョルジュの手の甲に?

 もしハンネスの見間違えで、アザではなくて刺青だったとして、何故わざわざそんな文字を刻む必要が……?


「神言では死後、あの世で調整を終えた魂が、もう一度生まれ変わる流れ……。人の輪廻そのものを図式化した言葉です」


 そう言いながら、彼女は俺の描いたつぐみの落書きの上に、やや傾いたつぐみが重なるように上書きをする。


「絵にして初めて気がつく事もあるんですね……。

こうすると『輪廻から外れる』を指す言葉になります。輪廻のシステムから外れた者を意味です。杖のつぐみと神言は、流石に結びつきませんでした」


「こ、これって! そのまんまアマーリエの杖じゃないか⁉︎」


『…………シロの奴がイメージしてたのと……

一致しやがるな……』


 いつの間にかスタルジャがダークエルフ化して、黒アマーリエの口調でそう言った。


「ふとした時に人が思い浮かべる、なんの脈略もないイメージなんかは、意外と馬鹿にできないんですよ。人の記憶は脳が支配していますが、実際の魂に刻まれた記憶は膨大ですから。

……時折、この世に産み落とされる前の、あの世の記憶が、魂からポッと出て来てしまうことがあるんですよ」


『……じゃあ、シロの奴の妄想じゃあなかったって……ことかよ……?』


 ソフィアは『詳細は本人の魂しか分かりませんが』と前置きして、隣に俺が最初に描いたのと同じつぐみを描き直した。


「ハンネスも人の子……。魂そのものの記憶や意志が何らかの関係をしていたとしたら、それが無性に気になって、わざわざ手記に書き留めたという可能性も。……うーん」


 思わず俺もその小鳥の絵を前にして、しばし唸ってしまった。


「ってね。フフフ、考え過ぎってことも、よくあることですよね〜☆」



─── バァンッ!



 突然、ドアが開け放たれて、思わず飛び上がりそうになった。

 そこには家政婦長のミルザが立っている。


「ようやく見つけましたよソフィア様、スタルジャ様。

…………王族淑女のマナー講座、終わってなどおりませんよ?」


 ソフィアが脱兎の如く逃げ出そうとする隣で、スタルジャは「シュッ」と、音がするくらいの速度で、元の姿に戻って立ち尽くしていた。

 黒アマーリエ、逃げたな?


「あう……あうう……アルぅ……」


「殿下に泣きついてもムダです。さあ、お稽古に戻りますよ!

あ、殿下。かばうのもムダですからね、後々には殿下のためにもなる大事なことなのです」


「ま、まあ……お手柔らかに頼むよ。彼女達も得手不得手ってものがだな……」


 俺の言葉が終わらないうちに、スタルジャはミルザに連行されていった。


 因みにソフィアは隣町まで逃げようとしていたのを、家政婦軍団に囲まれたらしい。




 ※ ※ ※




─── アルザス帝国首都グレアレス


 その日、首都を染め上げるような、強烈に紅い夕陽が姿を現した。

 アルザス帝国は北方の海風の当たる地域のため、年間でもほとんど雲が掛かり、こうした夕焼けを臨む事は稀である。

 街では家路を急ぐ者や、炊事の手を休めてそれを見上げる人々が、わずかな時間の現象に見惚れていた。


 アルザス帝国宰相、ローフィアスもそのひとり。


 とは言え、街の人々のように、心動かされて眺めている様子は無く、むしろやや空よりも低い位置を真っ直ぐに見つめていた。


「お疲れ様ですローフィアスさん♪ いやぁ、綺麗なもんですね〜、こんなに真っ赤な夕陽なんて初めて見ましたよ〜♪」


 丁度そこに姿を現したのは、アッシュグレイの髪に片目を隠した、ニヤケ顔の狐目の男。


─── アルザス帝国白鳳騎士、法相の剣、ヒューレッド・フェイ・サントリナ


 夕陽に照らされた整った表情も、その微笑みのせいか、何かを企んでいるようにしか見えない。

 だが、これがこの男の通常である。


「…………夕陽? ああ、確かにな。これは珍しい」


 ヒューレッドの声に、だいぶ間を置いてから振り返ったローフィアスは、まるでその空の赤が目に入っていなかったかのような空返事をつぶやいた。


「ええ⁉︎ こんな見事な夕陽、気がついてなかったんですか?

どーせまた、怖いことでも考えてたんじゃないすか〜w」


「いや……なに、アレを見ていてな」


 そう言ってあごで示した先には、ただ一本の老木があるのみ。


「あー、どこだかの国との友好の記念樹でしたっけ? だいぶデカくなって手入れも大変でしょうに。流石に記念樹だと伐るわけにはいかないっすよね〜」


「いや、それは構わんだろう。もうその国は地上に存在しないのだから」


 それを聞いてヒューレッドは『ああ、そうすか』と生返事をする他なかった。


「 ─── 見ていたのは樹ではない。

あの枝に止まっている鳥だ」


 そう言って指さした先には、もう夕暮れだというのに、ただ一羽ジッと枝に止まる鳥の姿があった。


「……あー、つぐみですか? またこんな街中で見るのは珍しいっすねぇ」


 つぐみはこの地方では山間か、農地に生息し、都市部で見る事は滅多にない種類であった。

 迷い込んでしまったのか、そんな小鳥にまで気がつくとは、流石だとヒューレッドは感心する。

 しかし、ローフィアス本人の『そんな名の鳥なのか』との呟きに軽くブタ鼻を鳴らして笑いを堪えた。


「……ぷくくっ、やっぱローフィアスさんは面白いです♪

じゃあ、一体なにを眺めてたんです? こんなところで」


 笑い混じりに投げかけられた質問を、ローフィアスは迷惑そうにする大型犬のような表情でチラリと見ると、ため息混じりに言った。



「……今頃、新教皇も大変であろうな」



 ヒューレッドは目をパチクリさせて、小首を傾げた後、『ああ、その話し?』と我に返る。


「教団も上手いことやってますよね〜。よく失踪事件を隠し切ってますよ。てか、まだ次の教皇は決まって無いんじゃないですか?」


 エル・ラト教団から教皇ヴィゴールが失踪した事実は、隠されたままである。

 だが、帝国でも一定以上の高官には、すでに伝えられていた。

 しかし、新教皇が誰になるのか、いつ決まるのかはまだ伝えられてはいない。


「それに、通例だと枢機卿がそのままスライドって感じですけど、今のヴァレリー猊下は『教団派』ですよ? その通例が崩れる可能性だって……ふふふ」


 ローフィアスはそれらの言葉には反応せず、ただジッと樹上のつぐみを見つめていた。

 小首を傾げたヒューレッドが、その場を後にしようとした時、ようやくローフィアスは口を開く。



「 ─── いや、彼は上がってくるだろう。だ」



 ローフィアスの目は、完全に落陽する直前の一際紅い光を映し、揺らめいていた。

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