第十七話 憂いの終わりに
─── 『親父がお前に残したものが何か、それを見たい』
ランバルドは剣を交える前にそう言った。
俺とは血の繋がりは無いが、同じイングヴェイ・ゴールマインを父に持つ、大事な兄である事には変わりがない。
俺はラプセルの里に着く少し前から、義父さんから剣の握り方を、剣との対話を教わった。
七歳で今生の別れとなったけど、その心は今も俺の中に確かに息づいているのだと、里での修行の頃からそう何度も気がつかされたものだ。
ランバルドは戦場で義父さんと出逢ってから、ずいぶんと長い時間を共にして、手ほどきもされていたと言う。
─── 彼の剣には、確かに義父さんの面影があった
ただ、俺の記憶に微かに残る義父さんの戦い方とも、記憶映像で見た戦い方とも、その分身であるアハト達とも剣の質は違う。
義父さんの剣が、あらゆる地形をなでる『風』とするならば、ランバルドの剣は『人』だ。
向かい合った瞬間から、そこが夜戦場の乱戦であるかのような、ギラついた殺意と暴力が四方八方から襲い掛かる。
─── 現代兵法の基礎『八極流』の開祖
勇者と共に旅をし、その名を今でも語り継がれるランバルド・ゴールマイン。
屈強で愚直な戦士として描かれていたはずの彼は、ハーフエルフの能力を随所に発揮する魔法剣士であり、兵法家だった……。
その剣には無駄が無く、しかし、獅子のような荒々しさと、練り込まれた殺しの技術の最適解がそこに入れ混じる ───
「ぐべぇ……っ!」
はずだったんだけど、なんだろう……?
ランバルドは両脚を真上に伸ばした状態で、背中から地面に叩きつけられると、カエルが潰れたみたいな呻きを吐いて悶絶している。
ここは魔王城の一角にある、闘技閣と呼ばれる訓練施設。
突如、俺に戦いを挑んで来たランバルドに、執事のエイケンはあからさまにワクワクした感じで、ここに案内した。
玉座の間に現れた時から、殺意とも闘気とも、覇気ともつかない妙な圧力が感じられていたんだけども。
フタを開けてみれば、なぁんか心ここにあらず〜な感じ。
最初の数合は付き合ったけど、必死な割りにテキトーな剣に思えて、とりあえず彼ごとぶん投げた。
『本気出せよ』ってこっちが言えば、ただ瞳孔が開いた状態で『おお』と返して、隙だらけの構えをしたから、とりあえずもう一丁ぶん投げた次第だ。
「…………は、ははは。相変わらず天井が高えや、ここはよ。親父にもこうしてぶん投げられたし、魔王さんにもやられたっけなぁ」
「……本気出せって。義父さんの残したものを確かめるんじゃなかったのかよ?」
「ん? ……ああ、そういう事にしてたんだっけな」
「???」
俺が困惑していると、ランバルドは『ふふふ』と嬉しそうに笑って、仰向けに大の字になったまま片腕を天井に挙げて見つめている。
その様子に、なんだか彼の考えがあるような気がして、声を掛けずにそれを見下ろしていた。
しばらくそうしていたが、彼はゆっくりと立ち上がり、またあの妙な圧力のある表情で俺を見つめる。
「……な、なんだよ?」
そう困惑していたら、彼は俺に深々と頭を下げた。
「ありがとな……アル。お陰でスッキリしたぜ。お前くらい強え奴じゃねえと、このスッキリ感は来ねえからよ……。
─── 俺はけじめつけに行ってくる」
「けじめって…………。ん? ああ、
そう声をかけた時には、もう彼は出口に向かって歩き出していて、片腕を上げるとそのまま出て行ってしまった。
その後ろ姿をポカンと見つめていたエイケンが、目をパチクリしながら尋ねる。
「ん〜、ランバルド様は……一体なにを? 申し訳ございません、この老骨には
「ああ、三百年分の
「むむっ…………なるほど! にゅふふ、これは家政婦長のミルザに、皆さまのお召し物を用意させねば♪」
流石はエイケン。
彼もランバルドの決意が何か分かったようだ。
スキップ気味な助走をつけて、小走りでミルザの元へ向かおうとするのを止めておく。
「いや……まあ、それはほら、どうなるか分からないからさ一応。多分イケるだろうけど、そこら辺ホントよく分かんないから……。もし万が一ダメだった時は、傷口にカラシ塗る事になりかねないじゃん?」
「フム。確かに。こればかりはどれだけ生きても、分からぬものでございますな……」
エイケンと二人、腕組みをして唸るしかなかった。
※ ※ ※
窓から外の景色を見下ろせば、あの頃とは大きく変わった街並みにも、いくつかの面影を見つける事は出来る。
私は溜息をついて、そんな風景をただ眺めていた。
もう街の片隅では、魔石灯がつき始めている所もある。
人々は商会の建物から出ると、それぞれの方向に早足で去っていく。
もう帰宅の時間なのだろう、着ているものに変化はあっても、あの仕事から解放されたような軽い足取り。
帰宅にワクワクするような姿は、今も変わらないのね……。
─── 私の立ち上げた商会は、世界有数の老舗商会へと、不動の地位を築き上げていた
もう、商売の規模も、そのシステムも変わり過ぎていて、最初は酷く取り残された気分だった。
でも私はここに、商売の話に来たわけじゃない。
少しでもクヌルギアス王家に、魔界の人々に、そして人界の皆に、希望が残せる手伝いが出来ればとここに来た。
─── でも、そんな必要は無かったみたいだわ
アルファード殿下……いえ、ここ人界ではアルフォンスだったかしら?
このミルザシティに帰ると言えば、彼は可愛らしい少女のお供と共に、紹介状を渡してくれた。
私は三百年前に死んだ事になっているのだし、今更、私が帰って来た所で、私が作った商会とは言っても信じてもらえないだろうと。
……そりゃそうよね。
ドワーフや魔人族の一部なら、まだ知り合いも生きてるかも知れないけれど、流石に商会を継いだ今の人達は……。
どんどん不安になっていく私に、リディの後任者であるソフィアは『アル君の紹介状があるし、大丈夫ですよ〜♪』とニコニコ顔で言った。
いやいや、それは婚約者に熱を上げる、あなたの身内びいきじゃないの?
女神と、運命の契約者の関係でもあるんだし、とやっぱり不安は募ったものよ。
変人扱いされたらどうしようかと三百年ぶりの冷や汗をかきながら、ガラリと変わってしまったかつてのホームタウンを歩いた。
……子マドーラと言うあの子が居なければ、迷子になってたかも知れないわね。
余りの景色の変化にキョロキョロする私の手を引いて、少女は最短距離でここへ連れて来てくれたのだから感謝するしかない。
そして、まるで別の建物になっていた私の商会の門前で、近づいて来た受付係に紹介状を渡した。
私を取引に来たお客様だとでも思っていたんでしょうね、ニコニコと紳士な感じの受付の男の顔から、紹介状の文面を目にした途端、みるみる笑顔が消えて行くのに緊張したわ……。
ほら、信じてもらえるわけがないじゃない。
とか思って、逃げ出したい気持ちと泣きたい気持ちで、胸が苦しくなった時だった……
「しょ、しょしょしょ、少々お待ち下さいませ! 上の者を、すすす、すぐさまナルハヤなうで連れて参りまふッ‼︎ ぐあうっ!」
舌を噛みちぎったんじゃないかと、心配になる程の噛みようで、彼は脚をもつれさせながら、建物内へと駆け込んで行った。
その建物の入口の上には『加護を信じた正しき
─── そして、この待遇よ
私の存在を信じる信じない以前に、私は『アルフォンス商会会長の使者』として、商会幹部総出で出迎えられてしまった。
後悔したわよ。
なんでもっと彼が人界でどんな人物だったのかと、根掘り葉掘り聞かなかったのかって……。
幹部連中のおだてあげに、うんうん話を合わせていくつもりが、私の方が度肝抜かれて慌てたわよ!
隣でいちいち、お供の少女が『ぱぱすごーい☆』とか棒読みではしゃいでなければ、頭が真っ白になる所だったわ。
─── 話はとんとん進んでいった
いえ、もうその下地は、殿下が作り上げていたのね。
『対帝国、そしてその先の世界の経済のために出来る事』
私のやろうとしていた先を、すでに彼は打診していた後だった。
経済は目まぐるしく変わる。
でも、世界の地形が生み出す力の関係だとか、生産に向き不向きで生まれる流れは、そう大きくは変わらない。
まさか最先端の経済への提案から、三百年の間に起きた歴史を学ぶ事になるなんてね……。
あれから三日が過ぎて、私の話すべき事や、今できる事は全て終えた。
まだ出来る事もあるけれど、これからどうするべきか、気持ちはどうにも落ち着かない。
帰ろうかしら?
いえ、もう帰る場所はないのだけど、人界で過ごした時間の十倍以上も過ごした、あの魔界の方が今は我家のような気がしてしまう。
「……アイツも……いるし……ね」
あのバカ、手記を殿下に託した途端に、ポヤーンと気の抜けた顔になっちゃってさ。
気持ちは分かるけど、でもやっぱりアイツは必死に頑張ってる顔の方が ───
─── コンコン……
ドアをノックする音に飛び上がった。
もう食事の時間? それとも新しい議題でも出たのかしら。
そう思ってドアを開けたら、目の前が
「え? な、何コレ⁉︎ へ? あ、バラの花……束……?」
顔に押し付けられた、真っ赤な花束をどかすと、そこには真っ白いスーツを着た、長身の男が深々と頭を下げている。
「………………な、なに……やってんのよ!」
困惑してそう言葉をぶつけた瞬間、ガバッと上げた顔を近づけた。
「テレーズ! ま、まま、毎日ッ! 俺のパンツを洗ってくれッ‼︎」
意味が分からなくて、取りあえずその鼻を殴った。
長い耳の先まで真っ赤にしている彼の、目を白黒させてる姿を見たら、私は笑いが止まらなくなってしまった。
笑い過ぎて、笑い過ぎて、涙が止まらなくなって……。
「な、なンだよ……。そ、そんなに笑う事……ね、ねえじゃねえかよ……」
逆に泣き出しそうな彼の声を聞いたら、もう私は我慢出来なかった。
─── ぎゅ……っ!
しゃがんだままの彼に飛びついて、押し倒すように抱きしめながら、私は言った ───
「あんたのパンツぐらい、いくらでも洗ってやるわよッ! こんな時くらい、もっとロマンチックな言葉選びなさいよバカァ!
……もう、三百年も一緒だったのに、全然足りなくなっちゃったじゃない! ふえ〜〜ん‼︎」
「わ、悪かったな! す、す、すす、好き過ぎて、な、なんて言ったらいいのか……よう。
ほれ、な、泣くなって……」
バカだから私が泣いてる意味も分からなくて『アメやるから』とかぬかしたけど、そんな不器用な優しさに惹かれてたんだとフツフツ込み上げた。
※ ※ ※
結婚式とはどういうものなのか、そう皆に尋ねてみても、千差万別で頭がごっちゃになった。
アケルで無理矢理、結婚式を挙げさせられた時は……と思い返した瞬間、エリンの事が浮かんで唇を噛み締める。
……未だに処理なんか出来てやしない。
いや、この胸の苦しみが、いつか消えるのかなんて想像すら出来ない。
どうせあの結婚式では、俺は凶悪な唐辛子で気絶させられていたのだからと、半ば自暴自棄で思い出すのをやめた。
─── この場で、暗い顔なんかするもんじゃないしな
そうして気を改めて前を向けば、風の精霊神の巨石の前で、ラーマ婆から祝福を受けた主役ふたりが振り返る所だった。
風の精霊からの祝福を祈り、また風の精霊を祝福する、エルフ族ならではの唄が大小様々な弦楽器と共に奏でられる。
その唄が通じたのだろう、巨石のある森の開けたこの広場に、仄かな光が雪のように舞い降り始めた。
─── ランバルドとテレーズの結婚
最初は式を断っていた彼らも、スタルジャを通してアマーリエのアドバイスを聞いて、今日この式に至った。
アドバイスがなんだったのかは、詳細が伏せられたので聞いていないが、今の祈りの唄を聞いて分かった気がする。
風の精霊にお願いして、風の守護神に感謝を届けよと祈る内容の言霊が、複数回込められていたからだ。
テレーズの守護神は『風の神フォンワール』であり、その加護『
その加護の運命は、彼女を孤独に追いやり、波乱の人生を歩む事となったわけだが……。
今の彼女の表情を見れば、それが恨言では無く、感謝を届けようとしていたのも納得できる。
『加護を信じた正しき
勇者伝には多くの偽りが混じっていたが、この彼女を指す言葉だけは、本当だったのだと思えた。
ここは
エルフである彼らは『風の神フォンワール』を含む、創世記派の宗教とは関係のない、精霊信仰なのはもちろん。
結婚式と言っても、これは彼らエルフの婚礼の儀式ではなく、感謝を捧げるお祭りのようなものだそうだ。
フォンワールを祀る、人間族の教会ではハーフエルフのランバルドは目立ち過ぎるし、テレーズもそれを望まなかった。
自分の守護神を愛しこそすれ、エル・ラト教団に祭り上げられた教会では、抵抗があるのだと言う。
「やっぱり、
スタルジャが俺の腕に触れ、弾むようにしている。
「ああ、兄さんもカチコチで心配だったけど、流石はハーフエルフだな。精霊の祝福でだいぶリラックスして来たみたいだ」
「ふふふ、最初は出来の悪いゴーレムみたいな動きでしたもんね~♪
─── そろそろですよね、喜んでもらえますかね☆」
そう言ってソフィアがキョロキョロしたタイミングで、エルフ達から口々に祝福の言葉をかけられていたふたりが、こちらへとやって来た。
「殿下! 今日はホント、ありがとうございました‼︎」
「ははは、おめでとう、おふたりさん。敬語と『殿下』はやめてくれよ、今日は友人として祝福してるんだからさ」
「でも、ここで式をさせてもらえたのも、殿下がこの地のエルフと繋がりがあったからでしょう?
こんなに……幸せな気持ちになれるだなんて……。そう思うと……敬語ぐらい……ね」
後半から言葉を詰まらせて、彼女は目に涙を滲ませた。
その肩に手を添えたソフィアに、彼女は泣き顔を隠すように、抱き付いて顔を埋める。
「……俺もだぜ、アル。こ、こんな気持ちは……生まれて初めてだ……。
親父以外に、俺に……家族が…………!」
「ほれ兄さん、エルフ族の男は人前で涙を見せないんだろ?」
「う、うるせえ! な、泣いてねえよ! それに……俺はハーフだから、半分くらいなら泣いたって……よ」
そう言ってランバルドは笑いながら泣いた。
と、その時、穏やかなのによく通る声が、人垣を分けながら近づいて来た。
「 ─── 感動の涙なら、いくら流しても構いませんよ? エルフも人も、感謝に震える気持ちはステキなものですからね」
その声にランバルドの耳がピクリと動き、テレーズもハッとして振り返る。
「「…………エルヴィラ……王太子妃……殿下⁉︎」」
ふたりの声が見事に重なった。
それをまるで我が子を見るかのように、ニコニコと微笑みながら、自らの足で歩く母さん。
母さんがハンネスの剣に倒れてから、ふたりはその寝顔すらも見る事なく、封印されていたのだから驚くのも無理はない。
「 ─── やあ、今日はおめでとう。ランバルド、テレーズ。久しぶりだね」
そして、その胸に抱えられている、小さなカエル像の父さんの声に、ふたりは苦笑を漏らす。
この父さんの姿は、封印される直前に見ていたから、流石に取り乱しはしないようだ。
「ご無事で……何よりです‼︎ おふたりとも……!」
そう言葉を発して再び涙が溢れ出したテレーズは、カエルを抱える母さんに手を重ね、泣き声を殺して顔を埋める。
再会の喜びと、ふたりが現在である事への感謝と、そして勇者の凶行への謝罪を、彼女は
「謝る事はありませんよ……。これは世界の運命に誰もが巻き込まれているだけ。運命に必要とされた者が、より早く大きな痛手を受けたのです。遅かれ早かれ、全ての人々に波及する事。
─── 貴女とランバルドは、それを私たちの娘と共に、見事超えて下さったのですから」
「そうだよ。むしろ、あの子が孤独な時間を背負わずに、魔界を、そして人界の危機をここまで持ちこたえてくれたのだから。私達は感謝と尊敬をしているくらいだよ」
父さんと母さんの言葉に、テレーズが、ランバルドが泣き崩れた。
そんなランバルドの肩にも手を乗せ、母はチラリと姉さんの方を見て深く
─── ランバルド達に内緒で、両親には二日前に来てもらっていた
ランバルド達を驚かせたかったのもあるけど、父さん達には……ティフォとエリンの事も告げなきゃならなかったから。
ランバルド夫妻の気持ちを考えて、その事実を伏せるために。
特にテレーズは『仲間』というものに、強い想いがあるみたいだったから、勇者ハンネスの犠牲がこれ以上あるとは知らせたくなかった。
─── 彼女の中に燻る、最後の憂いを払ってやりたい
最後の憂いとは、俺の両親への不安と罪悪感だ。
こうしたのは正解だったかも知れない。
彼女はやはり暗い表情のまま、弱々しく
「ずっと……ずっと、お二人へ謝罪をしなければと……。あの結界の中で何度……」
と、そんな彼女の頰に手を添えて、母さんは顔を上げさせると、ニコリと微笑んだ。
その微笑みにはただの優しさでは無く、凛とした気品と強さが込められていた。
「テレーズ……私達は魔界の王族。その席に関わる運命の大きさは、分かっているつもりですよ? だから、もう貴女は何も背負う必要はありません。もう、誰もが先に進み始めているのです。
─── 貴女は、貴女の幸せに向かって、お歩きなさい」
テレーズはそんな母さんの表情に、ようやく何か決着がつけられたのだろう。
グッと飲み込むような仕草をして、母さんの目をしばらく眺めると、フッと肩の力を落とした。
「………………はい!」
確かな返事。
それと共に浮かべた笑みは、目の端に涙を溢しながらも、清々しく、そして少女のような可憐さがあった ─── 。
これで、テレーズの気は晴れただろう。
ランバルドに肩を抱かれ、近寄って来た姉さんと三人で、父さん達と再開を喜び合っていた。
「 ─── よかったねぇ」
スタルジャが涙を拭いながら言う。
「父さん達の背負ってるものも、もう少し落としてやりたいよ。
ティフォ達の事も、あの場ではああは言ってたけど……ショックは大きいはずだし」
「うん……そうだね……」
ティフォとエリンがハンネスの手に落ちた事。
それを告げた時、涙を流せない父さんはともかく、母さんはグッと暗い表情になって黙り込んだ後、俺とソフィ、スタルジャの事を順番に抱きしめた。
そして、ティフォとエリンを、我が娘のように思っているという事を強く明言した上で、こう言った。
『それでも貴方達が立ち上がり、前に進んでいるのなら、それはあの二人が繋いでくれた運命』
確実に勝利を。
二人の残してくれた今を、全ての人の未来のために繋げろと ─── 。
思い出していたら、自然と拳を握り締めていた。
スタルジャもそうだったのだろう、ふうと息を吐いて、ただ静かに俺の背中をトントンと優しく叩いている。
「なんにせよ、前には進まなきゃな……
─── うん? アレは…………」
その時、聖地を囲む樹々の間に、人影を見つけた。
ソフィアとスタルジャも、俺の視線で気がついたのか、目で追うのを手で制する。
その人物は俺達の視線に気がつくと、森の中へと戻って行こうとしていた。
「アルくん…………あれは人では……」
「分かってる。
そう頼んで、俺はその人物を追った。
森にズンズンと入っていく背中を見つけ、聖地にいる皆には聞こえないように、言霊を乗せてその人物に声をかける。
「待ってくれ! あんた、
ピクリとして、その派手な羽織りの背中が止まり、ゆっくりと振り返った。
長いブロンドの髪は緩やかにウェーブしていて、綺麗に整えられたあご髭。
やや垂れ気味の細い目を、不安そうに伏せながら、キュッと上がった口角の口を数回まごつかせる。
「ひ、久しぶりだねぇ、おにーさん。元気だったかい……?」
「ああ、あの時は楽しかったよ。
………………あんた、
そう言うと、彼はバツが悪そうに顔を背けて、足元を見つめていた。
─── 魔術王国ローデルハットの海岸で、狐目の男パッカーと呑んでいた
ティフォに勧められて、砂浜を歩いていた時に、貝を焼きながら俺に声をかけ、しばし一緒に呑んだあの男だった。
『自由な感じだね〜』と、雰囲気によく合ったチャラチャラした口癖が、なんとも印象的だった。
守護神が見えるようになった今なら分かる。
彼は紛れもなく、
それもこの感じは ───
「おにーさんも、まさか適合者だったとはね〜。
初めて会った時も、なんか運命の大きな人だとは思ってたけど……」
「あの時は、お互いに名乗りもしないで、ただ呑んだだけだったしな」
「ははは、あの夜も楽しかったよ〜。あの時の色男な彼は元気かなぁ、またご縁があったら呑んでみたいもんだよね〜」
「そうだな……」
まさかあれが追手で、その後殺し合いになりましたとは言えないし、殺してるしな。
この話ぶりだと、本当にあの狐目の男とは、繋がりはなかったようだ。
「ところでアンタ、こんな所で何してるんだ?」
「いや、まあ……その、ね。じ、自由な旅をさ、満喫してたら、ここにね。たまたまだよ〜ほんとほんと」
そう言って、どこか逃げ出しそうな雰囲気を見せたものだから、直球で行く事にした。
「自分の
「…………ッ! わ、分かっていたのかい?」
彼から逃げ出す気配が消え、今度は驚きと戸惑いに埋め尽くされていた。
「いや、今さっき分かっただけだ。守護神を見えるようになったのも、最近の事でね」
「ははは、まあ、バレちゃ仕方ないよね〜。おにーさん、流石は適合者、只者じゃない感じだね〜♪」
「会わなくていいのか? 唄に釣られて来たんだろ、エルフ達の」
─── 風の神フォンワール
風を操る守護神であり、自由と冒険の象徴ともいえる存在だ。
商売にも力を持つ彼は、マールダーでは昔から人気を博している。
……そして、テレーズの守護神。
「……ははは、ちょっと会いづらいよねぇ。
私のせいで、彼女にはあまりにも過酷な運命を……背負わせてしまったんだしねぇ……」
ソフィアと同じか。
いや、守護神としての資質なのかも知れないな、契約者を愛する気持ちを持っていると言うのは。
「さっきの唄、聞こえてたんだろ?
彼女もそんな事はさらさら思ってないと思うが」
─── パキ……ッ
背後で枝を踏み折る音がして、フォンワールはその方向に振り返ると、目を見開いていた。
「…………私は、貴方に
我が守護神、フォンワール…………」
そこにはテレーズが立っていた。
「…………そ、そんな……はずは、ないよね……。
だって、私の与えた運命のせいで君は……!」
そう言って
「確かに過酷だったとは……思います。でも、それで腐った事などないわ。だって、貴方はいつだって私が超えられる運命しか、与えはしなかった」
「………………」
「辛い苦しみの後には、穏やかで幸せな時間と、振り返って温かな気持ちになれる時が来る。
まるで強い風が吹いた後のように」
「…………うう……っ」
「フフ、そんな事に気がつけたのも、つい今しがたですけどね。
私は私の人生に憂いはありません。
─── 貴方と結ばれた契約で、私は幸せでした」
両膝をつき、泣き崩れる彼の肩に手を置き、テレーズは小さく『ありがとう』と繰り返す。
人界は天界の写し身、またはその逆の相関関係だと聞く。
……この風景を見る限り、俺にはやはり天界は人界とはかけ離れた世界などではなく、その想いが繋がり合う地続きなものに思えていた。
だからこそ、その原初の想いを残す精霊信仰には、畏敬の念と共に、どこか温かな気持ちが込められているのだとも。
同じ家族をお互いに見守るような ─── 。
「……辛くは無かったかい? この……三百年。私は君がどこに居るのか、それがずっと気になっていたんだよ……」
義父さんの封印は、風の神たる彼からも、その探知を防いでいたようだ。
しかし流石は守護神、彼女が生きている事を感じ取っていたのだろう。
俯いたまま呻くように問う彼に、テレーズはフフフと笑った。
「今の最高に幸せな気分は、あの長い時間があったから……。たくさん振り返って来れたんです。そうでなければ、未熟な私には、貴方の与えてくれた運命の偉大さに、気がつけなかったでしょうね」
「…………君って人は……」
「だから結果オーライ。私は次に生まれ変わっても、貴方との契約を望みます。
……そりゃあ、もう少し楽なのがいいけど」
「ありがとう……ありがとう……。うん、私もだよ。君との出逢いには本当に感謝しているんだ。
……次はもう少し楽な関係でいたい……よねぇ」
「「ぷっ!」」
そう言って二人は笑い合う。
出逢いの運命とは、いつも驚かされるものだ。
嬉しい事もあれば、辛い事もあるけれど、こうして真っ直ぐに支え合っていたのなら、この二人のように温かなものが築ける。
『憂いは無い』いつだって大事な時なのだから、彼女のようにそう言える真摯なものでありたいと、そう思えた ───
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