第十六話 カルラ・オストランド

「あんたのせいよ! 何もかも!

あんたが死ねば良かったのに ─── ッ!」


 アルザス王国南部、グイファンゴス処刑場。

 森に囲まれた処刑場に、少女の悲鳴に似た恫喝どうかつが、鋭く小さく上がった。

 ハンネスはそれを穏やかな笑顔でただ見つめているだけ。

 彼がその少女に依存している事は、ここにいる全ての人間にとって、公然たるものである。


 カルラ・オストランド。


 オルフェダリア家に代々使えて来た、ユステル地方の貴族の長女。

 幼い頃から優秀で、特に魔術学校では、上から数えた方が早い位には優秀だった。

 しかし、国内にその程度の人材ならいくらでもある。

 彼女は単に、ハンネスを適合者として祭り上げるための、手綱のような存在でしかない。


 用意された英雄。

 作られた伝説。


 そうお膳立てするには、彼女はこれ以上ない程に、ハンネスの依存が向けられていたのだ。


─── そのカルラが処刑されるというのに、何故、ハンネスは微笑んでいられるのか?


 白装束に隠された多くの者の表情は、想定外の情景に拍子抜けしていた。

 それ程に彼の依存は重く、アルザスの高官達の中では有名だったのにも関わらず。


「…………もうよい。雨が降りそうだ。その娘から首を刎ねよ……」


 アルザス王マルコⅡ世は、期待していた喜劇が楽しめないと不服に思ったのか、やや不機嫌な響きを含ませた。

 その言葉に、ハンネスをにらみつけていたカルラの顔が蒼白になり、項垂れながらも激しく目を泳がせて硬直する。

 両脇を抱えられ、半ば引きずられるようにして、カルラは断頭台に連れて行かれた。


「…………い、いや……」


 懇願とも嗚咽おえつともつかない、小さな拒否が意味をなさないまま、篝火の覚束ない光の中で何度となく響く。


 王の言葉の通り、カルラが断頭台に近づいた頃には、霧雨がさあっと頬をなでるように降り始めた。

 遠くでは激しく降っているのだろうか、遠雷が空を数回、青白く瞬かせる。

 風がひとつふたつ、周囲の森の樹々を揺らして、塀に囲まれた処刑場に物悲しいさざめきを立てた。


 この上空も荒れ始めたのだろう、今度はまたより鮮明に稲光が、青白く石畳を染め上げる。



「 ─── カルラ、僕たちずっと一緒だよね」



 それまでただ、口元を微笑むように歪めて、カルラを見つめるだけであったハンネスが口を開いた。

 その声に振り返ったのはカルラはもちろん、そこにいた誰もがそうである。

 カルラは目を見開いて立ち止まると、数秒ほど彼を見つめた後、眉間にシワを寄せて口を歪めた。



「 ─── 冗談じゃないわよ、この



 その一言が彼女のき止めていた感情を押し流したのか、再び両脇を引かれ断頭台に向かうのを、必死に首を捻り罵声を次々に発する。

 ハンネスの微笑みから、明らかに自然さが失われた。

 出来損ないの陶器の人形のように、貼り付けたような笑み、歪に盛り上がった頬。


「あんたと旅なんかしなければ、今頃出来てたのよッ‼︎」


 その言葉が極め付けだったのだろう。

 ハンネスから表情が消え、膝が震え始めた。


─── と、王の手が挙げられた


 それまで退屈そうに頬杖をついていた手で口元を隠し、挙げた手をひらひらと揺らす。

 カルラの両脇を抱えていた男達は、歩みを止め、背筋を真っ直ぐに伸ばした。


「ぷっ……くくく。面白い、小娘。心無い人形に色がさしたわ。

どうだ、その人形を無様に涙させられたら、処刑は免れてやってもよいぞ?」


 堪え切れないといった様子で、王が含み笑いに鼻を鳴らしてそう告げれば、カルラはきょとんと王を見つめた後……


─── 口の端を吊り上げてわらった


 カルラは全てをぶちまける。

 会ったのは幼少期の親族の顔合わせだけ。

 家の事を思い、勇者一行にいやいや付き合っただけなのだと、罵詈雑言の端々でハンネスとの出会いを呪うようにそうまくし立てる。

 ほとんど喋ろうとせず、ただただべったりとするハンネスが気持ち悪かった。


 興奮に文脈が崩れ、同じような内容の物が繰り返されているものの、そんな主旨の本音が浴びせかけられる。

 その表情は恍惚に染まっているようにすら見えた。

 最初からカルラはハンネスとの関係を、自らの人生の便宜のためだけに、耐え抜く不快なものだとしか思っていなかったのだ。


 ハンネスの頬をひとすじの涙が伝った。


 顔面蒼白で肩を震わせながら、風の揺らす樹々と、篝火かがりびの薪の音に飲まれつつも、静かな声で確かに彼は言う。


「君が初めてできた友達だったんだ、ゼンベルンの学校で……」


 手枷のはめられた手で、心細そうに囚人服の胸元を弄び、そう呟いた弱々しい言葉にカルラの眉が不快そうに歪む ───



「わたし、そんな所に通ってない! 頭おかしいんじゃないの!? 妄想もいい加減にしてよ!

わたしとあんたとは、ただ単に家柄で近かっただけ、この旅さえ我慢すれば結婚も決まっていたのよ!」



 その瞬間、落雷が直撃したかの如く、処刑場を青白い閃光が呑み込んだ。

 吹き荒れる風は、空からのものではなく、処刑場内……ハンネスから渦巻くように発せられている。


 彼の体から、青白い光が柱となって突き上げ、空を焦がしていた。

 足下に伸びた影は、四方八方に走り、百足むかでのように躍り狂っている。



─── 直後、カルラの首が落ちた



 誰もが呆然とする中、ハンネスはいつの間にか断頭台の近くに立っていた。

 カルラの首を拾い上げ、ニコニコと楽しそうに独り言を呟いている。


「あの頃は楽しかったね。さあ、これから世界の色を見に行こう!

……君も神に騙されていたなんてショックだよ。

でも、もう大丈夫。 ─── ずっとぼくと一緒だ」


 今、ハンネスにはオルネアとの契約が使えぬよう、厳重な封印が幾重にも施されている。

 武器の所持はおろか、足にはようやく歩ける程度の短い鎖、首輪に繋がれた手枷で身動きなど取れるはずがない。

 それなのに、唐突に、まるで物がただそこから落ちただけのように、カルラの首が落ちた。

 皆がその異様な光景に立ち竦む中、王だけはただ真っ直ぐに見つめ、不敵な笑みをこぼす。


「その小娘に惚れていたのは知っておる。まさか己の手で殺すとはな……。

オストランドの小娘の婚姻が決まっていた事ぐらい知っておっただろうに。ユステルなどと、あのような田舎貴族から、都会の中流貴族に入れるとそれは喜んでおったそうだぞ?」


「…………やめろ」


「先程も言っておったであろう?

小娘は最初から貴様の事など頭には無く、むしろ煩わしく思われていたではないか。

哀れな事だ、貴様と関わったばっかりに、幸せな将来を失った。さぞかし、上級貴族へと嫁ぐ約束に、胸を焦がしておったであろうなぁ」


「ぅぅ……うああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁッ‼︎」



─── ブシュリッ



 ハンネスは両手に抱えていたソレを握り潰し、王を睨みつけた。


「……よくもカルラを……」


 突如ハンネスのオーラが爆発的に膨らむと、王は手を挙げて兵を動かす。


 槍を持った複数の衛兵と、斧を持った処刑人がハンネスに襲いかかる。

 しかし、それらがハンネスに届く直前に、逆に彼らの肉体が細切れとなって、音もなく吹き飛んだ。

 上空まで噴き上げられた血飛沫と肉片が、霧雨のように石畳を打つ音の中、ハンネスは立ち上がり王を指差す。


 やや遅れて、石畳の上に鎖と手枷の板が散らばる音が響いた。

 それらも地面にぶつかってすぐに細切れとなり、小銭をばら撒いたかのような、ささやかな金属音が立つ。


「ぼくは神を殺す。こんなクソみたいな世界を作って、カルラをぼくから奪った、この世界を殺す」


 再度手をあげる王。

 襲いかかる兵士の数々。


 しかし、同じくハンネスに近づいただけで、彼らは肉片と化した。

 武器は無い。

 拘束は意味をなさず、しかし丸腰で魔術を使っている形跡も無いのに、人体が泥人形であるかのように崩れ落ちてゆく。


─── オルネアの聖騎士パラディン


 後に控えた衛兵達は、今その適合者の加護を、まざまざと思い出させられていた。

 ゆらゆらと歩き出すハンネス、衛兵はそれ以上は動けず、また王も次の手を挙げずにただそれを見つめ返している。


「ジョルジュの言葉は本当だった。ぼくの力はこれからだったんだ……」


 雨足が強まる。

 とうとう上空で雷光と、強烈な音が辺りを揺るがし始めた。

 しかし、それ以上にハンネスから発せられる青白い光が強く、取り囲む者達は、ただただそれに目を奪われ焼き付けられている。


 リディと契約した彼は確かに怪物だった。

 だが、この青白い光は初めて見せる現象。

 その不可思議さに、彼が『人の手に余る者』だと実感させていた。


 魔力と神気の暴風に、誰もが膝を震わせている中、王は懐から何かを取り出した。


「ジョルジュか……ふふ」


 そう呟いた直後、王の手で鈍くきらめくそれは、渇いた音を立てて握り潰された。



─── 赤黒い宝玉



 処刑場を照らし出していた青白い光が、フッと消える。

 途端にハンネスは両膝をつき、怯え切ったように目を泳がせていた。

 雷雲がとうとう大粒の豪雨を降らせ、見る間にずぶ濡れになる彼の姿は、実際よりも小さく感じられる。


「何をしておる、捕らえよ。こやつは今、契約が使えぬ。ただの役立たずの狂人よ。

─── しかし、余に敵意を向けた事は許さん。処刑は取りやめだ。宮殿地下で拷問死、それがよかろう」


 そうして王はその場を去り、処刑場にはびしょ濡れで立ち尽くす白装束の人々と、再び拘束されるハンネス。

 そして、首から上を失った少女の亡骸が残された。


 ハンネスはその後、グレアレス宮殿に送られ、地下の拷問場へと収容される ─── 。




 ※ ※ ※



「 ─── で、数日後、拷問が始まる前日に、突然、自分の聖剣を持ったハンネスが地下から城内に現れて大暴れ。衛兵とその他、城勤の犠牲者五十六名を出して逃走……てな」


「「「………………」」」


 ランバルドが読み終えた書類から目を離しても、俺達は誰もすぐには喋れなかった。


─── カルラを殺したのは、ハンネスだった……?


 父さんの記憶映像で見た彼らの姿と、手記の中で綴られていたカルラへの想い。

 それらで出来上がっていた、ハンネスとカルラのイメージが、一気に崩れ去ってしまった。

 誰もがショックを受けているが、特に深く衝撃を受けていたのはテレーズだったようだ。


「…………そ、そんな。いくらなんでも……。

極秘資料なんでしょ? 王室に都合の良いように改変されているんじゃ……?」


「いやそれこそ、この事実は公にされてねえ。ハンネスも処刑されるはずだった事も、城でハンネスが暴れた事も、全部揉み消しが入ってんだ。

これを命懸けで渡してくれた奴がそう言ってたんだ、間違いはねえ…………」


「………………」


「すまねえテレーズ。さっきお前に隠し事はねえと言ったが、これがそれに当たるならそうなる。

だが、あの結界の中で、人間であるお前が不安定な魂で存在するのに、負の揺らぎは出来る限り起こさせたくは無かった……」


 時間を停めて、でも精神は自由なまま、三百年もハンネスから隔絶して来た結界。

 確かに人間族のテレーズには、ただでさえ負担が大きかっただろう。


 ランバルドはハーフエルフだ。

 姉さんと同じく、寿命は人間よりは長い。

 心の正負が更に術の負担を大きくすると、彼は敏感に察知していたという。


 ……旅をした仲間が、仲間を殺した。


 さっきも言っていた通り、仲間を大切にする冒険者であるテレーズにとって、確かめようのないその事実は強い負担となったかも知れない。


「…………大丈夫……よ。

それはショックだけど……あ、いいえ、ランバルドが黙っていた事がじゃないわよ。

……あなたは、私の事を思って黙っていてくれたんでしょう?

三百年間も、たったひとりで ─── 」


「テレーズ…………」


 彼女が言葉の続きに詰まり、涙するその肩をランバルドは両手で掴んだ。

 彼は『すまない』と囁いた後、涙する彼女に『ありがとうな』と呟いた。


 その言葉にテレーズは嗚咽を漏らし、ランバルドを抱き締める。

 しばらくそうしてテレーズが離れると、少し落ち着きを取り戻したのか、恥ずかしそうに頭を掻いて振り返った。


「 ─── フフ、ごめんね。

話を続けましょ? 私達には時間が少ないのだから」


 そう言って微笑むと、あごに手を当ててしばらく考えるような仕草をして、口を開いた。


「今、初めてハンネスの……本心と言っていいのかしら……手記の内容を知ったわけだけど。いくつか気がついた事があるわ」


 まず彼女が気になったと言うのは、俺達も一杯食わされた感のある、カルラとの関係だ。


「ハンネスはほとんど自分の事は喋らなかったし、カルラもハンネスとの思い出みたいな事を口にした記憶はないわね。言われてみれば、ハンネスが彼女に執着しているのは確かだけれど、ふたりだけが理解できる会話をしているのも見た事はないの」


「…………えっと、つ、つまり、手記にあったハンネスの思い出は妄想で、カルラは幼い頃の顔合わせでしか会った事は無かったって事……?」


 スタルジャが食いついた。

 確かにそこも衝撃的で、一気にふたりの関係性が分からなくなった点でもある。


「そう……だったんでしょうね。今となれば、そういう関係だったとすると、合点がいく事が多いのよ。

カルラはハンネスのお守りのような感じだったけど、それは幼馴染みの間柄って言うより、単に将来のために彼に便宜を図っていたと言う方がしっくり来るわね」


「んあ……そういやぁそうだった……かねぇ」


 ランバルドが難しい顔をして腕組みしながら唸る。

 多分、分かってないのだろう。

 テレーズはそれを当然見越していると言わんばかりに解説を続けた。

 俺も苦手な『女ごころ』としての、カルラの行動心理だ。


 誰にもその人柄で、気に入られる事の多かったカルラだが、実際それは旅の端々で出会うわずかな時間の関係。

 パーティメンバーとしてのカルラが、テレーズやランバルドから強い信頼があったのかと言えば、それほどでもないらしい。


「あの子は確かに魔王さまにも気に入られるくらい、どこでも上手く渡り合っていたわ。

でもそれが、生まれ持ってのコミュニケーション能力とは思えないのよ……」


 対人関係に人間性を装う事は出来ても、それを長続きさせたり、毎度上手くいかせる事は難しい。

 だからこそ、メンバーだけの時と、その他大勢がいる時のカルラの振舞いには、ばらつきがあったという。


「そ、それでも旅先で出会うエライ人達に、毎回気に入られるなんて……すごいよね……」


 スタルジャがどこか気まずそうに言う。

 彼女は人見知りと言うか『人間族見知り』があるのだから、そういうのは苦手だろうなぁ。


「そこよ。普通ならそんな集中力は続かないわ。商売でも同じ、最初に良い人ぶっても、気を抜いた時に剥がれるものよ?

ただ、強い目的があるならそうでもない……」


─── 上級貴族との婚姻


「「「………………」」」


「残念に思うかしら?

でも、彼女は貴族の娘なのよ。それこそ幼い頃から結婚への思想はしっかりと叩き込まれていたはずよ」


 浅い関係。

 それなのに記憶映像の中では、物怖じせずに父さん達に話しかけていたし、ハンネスに幼馴染みらしい対応をしていた。

 それは彼らの上下関係よりも、仲の良さや過ごした時間によるものだと思っていたが……。



─── 『もー! その通りなんですよエルヴィラ様ぁ、何でこんなウジウジが選ばれたんだか……。

コラ、ちゃんと自分から話しなさいって!』



 あの背中を引っ叩くような口調は、単にあの場でハンネスとの関係性を良好に見せるための、その場しのぎの演技だった?

 いや、それが自分の将来に関わる一大事なのだとすれば、それくらいはやるのかも知れない。


「あの子とは野営の時とか、ちょっとした時にプライベートな話もしてはいたけど、ハンネスについて楽しそうに話してるのは見た事がないのよ」


「…………要所要所で装うだけの関係性……か」


 ハンネスへのカルラの感情は抜きにしても、確かに幼馴染みの関係だったなら、砕けた会話の時に何かしら話題に出すものだろう。

 同じ旅の仲間で、共通の知り合いなのだから、ハンネスの話題は使い勝手が良かったはずだ。


─── 妄想


 彼がどの段階から、カルラとの関係にそう身勝手なストーリーを描いていたのかは分からない。

 だが、彼がそのストーリーに惹かれ、依存していたとでもしないと、確かにふたりの関係性の説明はつかない。

 ……あの最期の局面で、カルラが虚言を吐いても、なんら意味は無かったのだし。


「じゃあ、何故……

何故、ハンネスがカルラを殺したんだ……⁉︎」


 ダメだ、もう手記の内容までが不安要素だらけな今、ハンネスが何を思ったのか想像する力が湧いて来ない……。


 と、ソフィアが指先を立てて口を開く。


「ハンネスは『絶対ルール』であった父親を殺しました。……おそらくそれは事実でしょう。

彼の狂気は闘いの中で感じましたから」


「……ああ、俺もそう思うぜ。

あいつ、たま〜にキレる事あったけど、なぁんも憶えてねえ感じってのあったからな……」


 ランバルドが肩をすくめて唸る。


「そうね、そんな事も何度かあったわ。

……全部カルラに都合の悪い事が起きた時だったけれど」


「んあ! そうかも知んねえ……!」


 世界を共に旅した仲間でも、理解し合えていたのは、点と点くらいなんだな……。

 ランバルドが今更、ハンネスの行動を思い出して理解してるくらいだ。


「父親を殺す事で父親の正しさを永遠にした。

この理屈を当てはめたとすれば、ハンネスの描いていた『ずっと一緒にいる』と言うのを否定したのはカルラ自身ですし」


 調書の通りであれば、王にそそのかされてカルラが罵詈雑言を浴びせた時、ハンネスに変化が現れたのは、結婚に関する彼女の言葉がきっかけだった。


「で、でも! それで殺しちゃったら、ずっと一緒どころか、終わっちゃうよ⁉︎」


 興奮気味なスタルジャの気持ちが、痛い程よく分かる。

 俺もそうとしか考えられない。


「彼の言う『ずっと一緒』というものが、一般的な愛の上での言葉なら……なんですけどね。

─── 自分を否定しない存在。だとしたら、彼の理屈に合った行動なんですよ……コレが」


「「「………………」」」

 

 再び室内が静まり返った。


 元々彼の行動原理は『母親のように存在ごと消されない』だったのだから、基本的に『失格の烙印を押されない』という行動に終始していたはずだ。

 だとすれば、ルールを創り、与える存在の口が失われてしまえば、永遠に烙印を押される事はなくなる。


「あくまで……理屈に合わせての推論でしかありませんけどね。

彼は刎ねたカルラの首に未来を思わせる言葉を向けた後、王にカルラの結婚への想いを提示された時にそれを潰しました。そして『よくもカルラを殺したな』と」


 そう、殺したのはハンネスだ。

 だからその台詞がどうしても違和感だらけだった。


「実際の所、カルラを殺したくは無かったのでしょう。だからこそ、未だにその恨みで動いているわけですが……。描いた未来を断たれた。それも依存相手のカルラの本心で。

殺す事で永遠に『ずっと一緒』にするはずが、王から彼女の拒絶を聞かされて、代わりに失格の烙印押されちゃったって所ですかね」


 分かった。

 いや、分からないけど、道理は繋がっている。


「まあ、手記に妄想が混じっている時点で、本人に聞いても信じようがないですし……ね。

全く理解の出来ない相手と向かうよりは、ある程度は予想の線を引いて、落ち着くしかありませんよね」


「ああ、そうだな。……もう意義に揺れるのは許されない、その点でスッキリしたよソフィ。ありがとう」


 二度、戦いに敗れた。

 一度目は全く想定していない状況で、訳も分からないままだった。


 二度目は俺の中に甘さがあったんだ……。

 少しでも理解しようなんて、闘いの中に求めるべきなんかじゃなかった。

 ハンネスの心情や経緯はどうあれ、アイツは敵であり、滅ぼすべき相手なのだから。


 ……俺はまだ、闘いに意義を求めようなんて、どこかで思っていたのか。

 それともラミリアの予言にあった『隠れていた者』に繋がらず、迷っていたのか。

 ソフィアを精神世界に閉じ込めるという、確固たる目標を持っていた彼らの方に、その利があった。


 どの道、もう負けは許されない。

 ティフォやエリン、ガストン達に申し訳が立たないし……

 人類が終焉を迎える事になる───


「しかし、調書はそこまでなのか? 城の警備は厳重だったろうに、一体どうやってハンネスは脱出したんだ?」


 ロジオンの質問に、ランバルドはやや難しそうな顔をする。


「ほとんどの目撃者は、そこで死んじまったからな……。証言を最期に死んだ者もいる。ハンネスは唐突に城内に現れて、発見された時にはすぐに交戦になったらしい。

いつ、アイツの手に二振りの聖剣が渡ったのか、それもさだかじゃねえんだ」


「…………いや、確か記憶映像では、カルラの処刑前後のタイミングで、爺さ……先代魔王が『勇者を連れて来い』ってオルタナスに命じていた。その後に突然ハンネスは、転位魔術らしき手段で城に姿を現してたんだ」


 記憶映像では処刑とオルタナス派遣の前後関係はハッキリとは分からないが、おそらくそうだろう。

 それも俺がクヌルギアで破壊神を倒し、再び魔公将達を解放すれば、オルタナス本人に確かめられる。


「……大体、把握出来たよランバルド。まだ理解し切れない所もあるが、迷いは吹っ切れそうだ。ありがとう」


 戦いへの迷い。

 ハンネスの半生がどうであれ、どんな気持ちで動いているのであれ、彼の望む未来は破滅でしかない。

 通じ合えぬなら、力で意志を通すまで。


 俺にはもう『クヌルギアの鍵』がそろっている。

 ハンネスが潜り続けた以上の深層へと、俺は進む事ができるんだ。


 少しでも勝利を確実にするために、俺は俺の出来る事をやるのみ ───




 ※ ※ ※




─── それから三日後


 ソフィアとスタルジャは姉さんと三人で、戻って来た城の使用人や関係者らと、これまでの経緯だとかハンネスの様子を細かく話し合ってまとめてくれている。

 ロジオンは引き続き、ヒルデリンガと魔界を周り、各地の有力者との繋がりを再構築している。


 テレーズは自分の立ち上げた商会が、何か力になるかも知れないからと、ダメ元で人界へと戻って行った。

 転位魔術を使える子マドーラを護衛として付けたが、それがある意味で心強く、ある意味で心配ではある。

 ランバルドはテレーズの護衛を買って出たが、彼女から『あんたはあんたのやる事やんなさい』と弾かれて以来、城内をフラフラしている。


 ……で、俺はと言うと。


「少し、お休みになられたらいかがでしょうか殿下」


 執事のエイケンがそう言って、冷えた水の入ったグラスをサイドテーブルに置く。

 こういうなんて事のない所作にまで、洗練された動きがあって、未だに感心してしまう。


「ああ、だいぶ国土の感覚は網羅出来て来たと思う。……正直、キツいなこれ。歴代の魔王はみんなこんな事やってたのか」


「ほっほっほっ、まだ殿下は始めたばかりでございますから。先々代は魔力の器の関係で、現役時代は天候が荒れると、体調も崩されておられたそうでございます。

殿下はたった二日で、このように会話も出来るまでになられておりますから、そのうち先代と同じように息をするように、公務をこなされるようになるでしょう」


 今、俺は魔王の使命とも言える、二つの事を同時に挑戦している。


─── 『魔力分配』と『魔界の感覚的把握』


 クヌルギアス家は代々、魔力の器が大きく、魔力の分配も無意識のうちにこなすものだそうだ。

 だが、流石に国土全体に分配するとなると、無意識で自動的にってのは無理らしい。

 魔王城の玉座はマナの噴出口の上に安置されていて、ただそこに座るだけで、強烈なマナを浴びる事になる。

 ……まずこれが、結構辛い。


 マナを取り入れて魔力に変換するのは、誰でもやっている事だが、魔界の生命全てに行き渡る量の変換となると勝手が違う。

 破裂とまでは行かないが、膨らみ続ける魔力の圧迫感で酔ったような感覚に襲われる。

 それが一定量を超えないよう、時折魔力の放出を上げて、多めに分配へと回す。


 言葉にすればなんて事ないようだが、頭がクラクラしている上に、分配する先を繋がなければならない。

 つまり、常に魔界全体の息づく感覚を、自分と繋げて意識しなければならないんだ。


─── これが非常に難しい


 意識がズレたりすると、すぐに魔力が過多になって、破裂しそうな圧迫感に襲われる。

 爺さん、こんなのを処理しながら、この玉座で馬鹿笑いしてたのかと思うと、今更ながらとんでもない人だったのかとさえ思う。

 ……確か父さんと方星宮で最初に会った時、俺が濃い魔力に呻くのを、残念そうにしていたけども。

 こういう事だったのかとようやく分かった。


 魔界全体に意識を繋げるのは、魔石の記憶が流れるのと似ていて、繋げる事自体はすぐに馴染めた。

 エイケンがめちゃくちゃ褒めてくれたけど、彼は何しても褒めてくれるので、自分がどれだけ出来ているのかちょっとよく分からない。

 それでも何とか、こうしてエイケンと会話しながら水を飲んでいても、分配と意識両方を維持するくらいには慣れて来た。


「その内、クヌルギアの魔物達を潰しながら、魔界の天候を気にしたり出来るまでになります。

ほっほっほっ、殿下とのクヌルギア初陣、このエイケン、心よりの楽しみでございます♪」


 彼は爺さんの時も、破壊神の待つ最深部まで同行したそうだ。

 そして爺さんが、四百年近く何度もクヌルギアに通うのに、毎回付き合っていたらしい。


 彼はクヌルギアのベテランだった。

 最深部へは『クヌルギアの鍵』を得た魔王と、その魂の契約をした者しか入れないと言う。


 父さんとも同行したかったと涙する彼を、なだめようと背中に手を当てた瞬間に、一方的な従属者契約を結ばれてしまった。

 いや、そりゃベテランさんが同行ってのは心強いんだけど『へっへ〜ん! 契約しちゃったもんね♪』と小踊りする姿には、なんだか無性に腹が立ったのは内緒だ……。


「 ─── ああ、俺も楽しみだよ。破壊神に会うのが……」


 気がついたら握り締めた拳が、ギリギリと悲鳴を上げていた。


 『破壊神』


 ハンネスが言っていたのが本当なら、それがダイクの、そしてガストンの魂を奪った『深淵の神アスタラ』だ。

  その思いもあるが、何故か俺はアレの事となると、感情がふつふつと沸いてしまう。


 ちと殺気を出し過ぎたかと我に返ったら、流石はエイケン。

 微笑みながらグラスに水を足してくれていた。

 すごい汗だし、水ばっしゃばしゃ溢れてるけど。

 やっぱ、悪い事しちゃったなぁ。


─── バァ……ンッ!


 と、急に扉が勢い良く開いて、誰かが真っ直ぐに歩いて来る。


 長い白髪に長身。

 使いこなされた装備の数々。

 キリッと力強い目元に、長い耳。


 ランバルドだ。

 彼は真っ直ぐに俺を見つめ、ツカツカとやや高圧的な感じでやって来ると、剣を鞘ごと持って突き出した。


「アルファード・ディリアス・クヌルギアス殿下!

─── 俺と勝負してくれ」


 真っ直ぐな眼差しには、殺意とも闘志とも違う力強さがあった。


「…………ああ」


 俺は玉座から立ち上がって返事をする。

 ランバルドに気を取られたエイケンが、俺の膝に水差しの水をじょぼじょぼ掛けてたから。

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