第十五話 色

 ついた溜息が薄暗い灰色の室内に木霊する。


 ここに連れて来られてから、何日が過ぎたんだろう。

 窓も無いから朝も夜も分からず、延々と灯されている魔石灯の明かりでは、時間の経過すら分からない。

 食事が運ばれてくる度に『もうそんな時間か』と驚いたり『まだ食事は来ないのかな』と、自分の体の声だけではどうにも掴めないんだ。


─── ただ、僕にはこの手記がある


 剣も防具も取り上げられてしまったけど、この手帳だけは、何故かそのままにしてもらえた。


 僕は思いついた事を書いて、飽きたらトイレ代わりの四角い小さな床の穴を、ぼうっと見つめている。

 だってここには窓が無いし、反対側には見張りの兵が数名と、鉄格子があるだけだから。


─── 僕は突然、捕らえられた


 どうやらカルラも捕まっちゃったらしいのは、兵士たちの会話で聞こえた。

 カルラも捕まったんだから、もう大丈夫だよね。


 ……でも酷いなぁ。

 魔王さまの筋書き通り、魔公将の人達と闘って、ちゃんと勇者として頑張ったのに。

 僕だけ王様に城に呼び出されて、気がついたらここにいたんだ。

 理由はよく分からないけど、言われるままにしていたら、この牢屋に入れられてしまったよ。


 リディと繋がる事は出来ていない。

 加護もすごく弱くなってるんだろうね、体が重いしなんだか頭まで鈍い気がする。


 思えば僕が呼び出される少し前から、彼女の姿は見当たらなかった。

 もしかして……見限られたのかな?


 僕は魔王さまを倒せなかったんだし、いや、リディが本当に僕にさせたいのは、王様殺しなんだよね。

 それも分かっているけど、父様のルールがそれを許さないんだよ。

 だとすれば、僕は最初から彼女の役には立ってなんか居ないんだなぁ。


「…………さま。勇者さま……」


 考え事をしていたら、いつの間にか廊下にいた兵士たちの姿は無くなっていて、代わりにひとりの老人が立っていた。


 つるつる頭で背の低い白髭の老人。

 鼠色のローブを着た体は、背が低いって言うより、体が小さいって感じ。



─── ジョルジュ・ボトルゴード



 王家代々の側近を輩出して来た、名門ボトルゴード家の元当主。

 今は家督を譲って隠居して、お城で暮らしているアルザスきっての要人だって。

 僕やリディ、そして本当の適合者になるはずだった、第二王子ギャスパルさまを予言したらしいんだ。


 どうしてかジョルジュは数日前からここにやって来て、世間話をして行くようになったんだ。

 彼が来る時は決まって、兵士たちが居なくなっているのだから、そうやって人払い出来るだけの存在なのだろう。


 彼はいつもニコニコしていて、よく笑う。


 優しそうなお爺ちゃんって感じで、僕には正直そんなに凄い人だとは思えない。

 ただクセなのか、笑う時に口元を覆う長い白髭のあご先を、掴む手はすごく繊細そうだ。

 そして、その手の甲にあるアザに、僕はいつも目を奪われる。


 なんて事の無い青みがかった親指程の長さのアザは、小鳥……つぐみが丁度枝の先に止まって、空を見上げているのを横から見たような形。

 窓の外を眺めて暮らしていたあの頃、時折庭に飛んできたつぐみがそんな姿勢を取っていたけど、それとそっくりだ。

 ……そのせいかな、どこか神秘的で浮世離れしているような感じを受けたりもしてしまう。


 僕はこの不思議な老人と話すのが、少しお気に入りの時間になって来ている。



─── でもこの日、僕は彼の一言で激しく打ちのめされる事となった



 ジョルジュはしばらく僕とどうでもいい会話をして笑った後、僕とカルラは……


 処刑が×××××× ───




 ※ 




「……ここからは何ページか、文字が荒れまくってて読めねえ」


「「「………………」」」


 手記を読んでいたランバルドは、そう言って何かを考え込むように目を閉じて口をつぐんた。

 彼がここまで読んでくれたハンネスの手記は、俺も少し見せてもらったが、酷く小さな文字がびっしりと並び、それが独特な歪みを繰り返していて非常に読み取りにくいものだ。

 ランバルドは文字に残された言霊を解析しながら読んだらしい。


 そして文字だけでなく、主語が無かったり要領を得ない散漫とした文章だったり、何かにこじつけて単語を並べているだけだったりする。


「……荒れてるこの数ページは無理だが、また少し先に読み取れる箇所がある。手記はそこまでで、続きは無い」


 ランバルドの表情は心なしか青ざめているようにも見えた。

 文字そのものではなく、文字から言霊を読み取っていたのなら、その荒れて読めない文字に乗せられたハンネスの想いも感じているはずだ。


 ……余程口にし辛い感情が乗せられていたのだろう。


「ハンネスの感情が乱れたのは、この日初めて自分とカルラが処刑されると知った、その動揺以外のなんでもねぇ。だが、その動揺の仕方がなんとも複雑でな……」


「自分が死ぬ事……。カルラが死ぬ事……ですか?」


 ソフィアの静かなつぶやきに、テレーズとスタルジャが深く溜息をついた。

 ハンネスは母親の死から、極端に死を恐れていたのが手記からは感じ取れている。

 ただ、俺と闘った時のハンネスは、死も痛みも恐れない、何か無感情で捨て鉢とも取れる虚無感があった気がする。


「お父さんのルールがどうのって言ってたよね? 勇者のお父さんにとって、王様ってすごく大事なえらい人で、それが自分やカルラを殺すってなったら……」


 スタルジャの言葉で、何かを理解しかけた気がした。


「ハンネスにとってルールは、死ぬ死なないってより、希薄な愛情の家から追い出されないため。自分の存在が消されないようにするための、絶対のルールだったのかも知れないな……。

だからこそ、ハンネスにとってもうひとつのである『カルラとの未来』を否定した父親を……。実の父親を殺してでも、元の父親のルールに戻して普遍のものにした」


「そのルールの頂点に立つはずのマルコⅡ世が、死から逃れるはずのルール遵守を揺るがした……てことか」


 ロジオンが眉間にシワを寄せてうつむく。

 その隣では顔色の悪い姉さんが寄り添っていた。


「……なんだか……憎むに憎み切れな……

─── いえ、なんでもありません……」


 ソフィアがそう言いかけて止める。

 何を言おうとしていたのかも、言いかけて止めた気持ちも痛い程よく分かる。

 ハンネスの生い立ちと、その後の運命を知れば、彼がただ『悪』なのでは無いと分かってしまう。

 もちろん彼のやろうとしている事に同意は出来ないし、俺の、俺達の奪われたものは……余りにも大きい。


 ……感情として赦す事は出来ない。

 でも、人としては理解出来てしまう所がある。


「この先は短いが……決定的な奴の未来を定めた出来事になる。知る気はあるか ─── ?」


 珍しく重い口調でランバルドはそう言うと、俺の目をジッと見据える。

 彼がこれまで手記を読み上げる時に、最も配慮していた事が今理解出来た。


「ああ。それを知ったとしても……

─── 斬る刃を緩める事はしない」


 隣でスタルジャが小さく喉を鳴らした。

 ランバルドは深くマブタを閉じて、細く息を吸い込む。


「分かった。なら読むぜ ─── 」




 ※ 




 僕は何故、この二日もの間、彼の言葉に耳を貸さなかったのだろう?

 そして、今までの人生で何故、こんな単純な仕組みに踊らされていたのだと気がつかなかったのか!


 父様より確かなものは?

 王様だ!


 王様より確かなものは?

 ……居ないと思ってたよ。


 でもいたんだね。

 不確かで見えなくて、それなのに世界中のみんなが、信じようとすがる存在。



─── 神だ



 みんなが祈りを捧げていても、いや、僕も教会で祈りを捧げてはいたけども、実感なんか湧かなかった。

 だから無いものとして、僕の発想になんか無かったんだ……。


─── ジョルジュは教えてくれた



『主審マールダーはこの世界を創造された。

完全なる存在が何故、我々のような不確かで曖昧で、出来損ないの存在をお造りになられたのか?』


『神々は光そのものである。そして神は更なる光の成長を求め、あえて不完全な世界を創り、その地を不完全な我々、か弱き魂に与えたのだ』


『何故? 完全なる存在に、更なる光の成長を求めるのは効率が悪い。

光と闇は表裏一体であり、闇との擦り合わせで光は成長する。

光とは目に見える光ではなく、光と言うエネルギーそのもの』


『光は希望、未来を担う力。闇は振り返り、過去を慈しむ愛。

光そのものである完全なる存在は、最早闇と懇意になり得ず、成長もまた無い』


『だから不完全な魂どもが、その運命に喘ぎ、闇にしがみつかれ、もがく一生に魂は磨かれてささやかな光の成長を促す』


『地上では、生まれてから死ぬまで、ひとつとして苦労せぬ者はない。

生まれる事そのものが苦痛であり、未来を望むほどに業(カルマ)はより重苦しい運命を引き寄せる』


『我々はそれらを知らずに生み落とされ、そして光の成長のために苦しみ喘ぎ、搾取される存在に他ならない』


『一度でも神は祈りに応えたか?

神が万能であるならば、何故人は愚かなのか?

……救えばこの地上を創った意味がないからだ』


『王も貧民も人も犬も、生まれた事に意味は無く、生き抜く事のみに意味をもたらされている。

─── どれだけあえいで生き来た?

─── どれだけ理不尽を呑み込んで来た?』


『……それらは全て供物でしかない。

他でもない、この永劫に繰り返される、光と闇の理、その中に求められる神の成長のための糧』



─── ふざけるな!



 その為に僕は母様などと言うあばずれの気まぐれで生み落とされたのか?


 その為に僕は母親の生きた形跡が、家人によって消される様を見せられたのか?


 その為に僕は窓の外を眺めて、自分と街の人々との違いに胸を焦され続けたのか?


 その為に僕は父親のルールに縛られ、心から休まる事無く……



─── カルラも僕も奪われるのか!



 父様……いや、あいつのはルールでもなんでも無かったんだ!

 あれはどこまで熱心だったかは知らないけど、敬虔なエル・ラト教徒として模範的にあろうとしていた。

 なら、こんな真実をあれが知ってるはずないよね!


 ルール? 自分がただの供物だとも知らず、より肥えた供物になる為の苦痛だと知らず、痛がり屋の怯えた犬みたいに吠えていただけだ!

 僕は生まれてこの方、ずっと騙され続けていたんだよ、信じられるかい?


 そんな僕の興奮を、ジョルジュは全て聞いてくれたよ。

 そしてこの腹の底に絡みつく、異様なたぎりの事を『怒り』だと教えてくれた。


 ……驚きだね、僕は今まで怒った事が無かったらしいよ!

 あれを永遠の正解にする為に引きちぎった時だって、そこにあったのは怒りじゃなく、焦りだったんだろうね!


 視界がね、なったんだよ。

 いつも見えていた世界と形は同じなのにね、とても明るくて、目の奥が痺れるような刺激が感じられた。

 最初はそれがなんだか分からずに、僕はおかしくなったんだと不安に駆られたよ。

 彼は僕を鉄格子越しに抱きしめて、こう教えてくれたんだ……!



─── 色が見えるように、なられましたな



 色、驚いたよ。

 僕は色が見えてなかったんだってさ!


 自分の手がこんな色だったのか、髪の毛ってこんな色だったのか、牢屋の鉄格子は『黒』だけじゃなく、色んな色が混ざって見えた。

 今までそう信じてた色が、ただのくすみでしか無かったんだよ!


 そうしたらさ、やっぱり見たくなるじゃない?

 外ってどんな色が溢れているんだろう。


 カルラは花を見て綺麗だと言った。

 カルラは食べ物を見て美味しそうだと言った。

 カルラは僕の髪色を綺麗だと褒めてくれた。


 彼女が見て来た世界はどれだけ美しかったんだろう?

 今なら彼女と共に歩けると、心の底から自信を持って言える!


─── そして、この世界の中で、もう一度彼女を見たい!


 そんな興奮に突き動かされて、いてもたってもいられない僕に、ジョルジュは素晴らしいアイデアと力を授けてくれたんだ!

 あの青い光があんまりにきれいで、今も目の奥に焼き付いているんだ!!


 ああ、処刑の日が待ち遠しいよ!

 カルラを早くこの目で見てみたいんだ!

 体の震えが止まらないよ!




 ※ 




「ジョルジュから授けられたって……『アイデア』の方は分かるが、『力』ってなんだ? 最後の『青い光』って言うのは?」


「さあ? 知らねえ。そうとしか書いてねえんだ。他も色々と説明不足でよ。

……ハンネスの手記はここまでだ。この翌日処刑が執り行われ、カルラは死に、更に数日後にはハンネスが大暴れで脱走。あいつの使い慣れた聖剣と、城に保管されていた重要な物を奪って、直後に魔王城に現れ……」


 そして爺さんを暗殺、父さんと母さんに凶刃を奮ったものの義父さんに倒され、投獄された後、何故かエルネアから魔王の加護を受けて再び姿を現した。


「城にあった重要な物ってのはもしかして……」


「 ─── 聖剣ケイエゥルクス……ね」


 テレーズは被せるようにそう言って、どこかイライラしたような表情で視線をそらした。


「私とランバルドは、国からはほとんど何も知らされていないのよ。その手記の事だって、今初めてその内容を知ったわ……。

何が勇者一行、英雄のパーティよ、何も仲間内で知らされていないなんてね……」


「テレーズ、お前は生粋の冒険者だからなぁ。そりゃあ背中どころか命預けるはずの仲間が、何のために闘ってんのか知らねえってのは、腹立つだろうけどよ……」


「仲間? あなただってどこまで私に隠し事してるのかしらね!」


「……なんだと?」


 よくいがみ合ったり、憎まれ口を叩き合うふたりだが、流石に少し様子が違う。


「お、おい ─── 」


「ランバルドさん、テレーズさん。今はちょっと……」


「「 ─── !」」


 止めかけた時、姉さんがうつむいたまま、消え入りそうな声でふたりに語りかけた。

 姉さんは勇者ハンネスとその一行の冒険に憧れ、しかし祖父を奪われ、両親を手に掛けられた複雑な状態だ。

 そこにこのハンネスの手記は、更に『憎み切れない』と言う揺さぶりを掛けている。

 流石にふたりもそんな姉さんの気持ちを察してか、バツが悪そうに距離を取った。


「テレーズさん、苦しい……ですよね。信じたい人が信じられなくなるのって、自分が知らないことで、守れないものがあるのって……」


「……イロリナ……様……」


「私もね、ずっとこの三百年の間、お爺さまとお父さまお母さまのこと、アルのこと……。

それと……のことを考えていたの」


「「「…………」」」


 姉さんが初めて勇者の事を『ハンネス』と呼び捨てにした。

 それも力を込めて、闘うべき相手だと示唆するように。


「ハンネスは哀れです。その生まれや育ちに様々な苦しいことがあったのでしょう。

カルラ……さんが、奪われると聞いて、神々の話を聞いてそれはショックだったと思う……。

─── けど、それで極端な答えを出す者が、世界の先を決めるなど、私は許さない!」


「イロリナ……」


 姉さんが今口にしたのは、それがどこまで本心かは分からないが、これは王族としての確かな意思の表明だった。

 己の感情よりも、人々の利する答えを選び、勇者を敵として捉えていると、姉さんは意志を見せたんだ。

 仮とは言え、今はハンネスが魔王。

 その彼の選択が、統べる存在として相応しくないと言い切ったのだから。

 もう本心を揺るがす事は赦されない。


 姉さんは今、王女として覚悟を決めたのだろう。


「テレーズさん。お気持ちは分かりますが、今は何が出来るかに目を向けて、ひとつひとつをね……。

ごめんなさい、私、偉そうに……」


「いえ……イロリナ殿下、殿下は紛れも無くフォーネウス陛下の……。クヌルギアス王家に連なるお方です」


「ふふふ、私はアルと違って何もなし得ていない、お荷物王女ですよ♪

それにね、テレーズさんはランバルドさんなら、受け止めて下さると信じて噛みつきましたもんね?」


「 ─── えっ、あ、いや! 私は……‼︎」


「あん……? どーいうこった?」


 ポカンとしているランバルドに、耳まで真っ赤にしながら慌てるテレーズ。

 ああ、なるほどね。


「ランバルドさん。テレーズさんは……」


「わ、わーです! イロリナ殿下、お茶、お茶でも飲みましょう! わーなのです! お喉がお乾きですよね? ね?」


「くすっ。テレーズさんは少し黙って見ててください。

─── 私たちにはもう、あまり時間がないのですよ?」


「…………!」


 その一言で慌てていたテレーズが、面食らったような顔をして黙り込んでしまった。

 頰を染めたまま、心なしか背伸びをするように気をつけの姿勢で硬直している。


「あん? だからなんだって……」


「テレーズさんはランバルドさんの事をとても信頼してるんです」


「でもこいつさっき ─── 」


「絶対そうじゃないと思っているから、わざと強くおっしゃられたの。そしてランバルドさんは怒りで応えたでしょう?」


「……? それがどーいう???」


「貴方が怒りを見せたと言うことは、貴方もテレーズさんを心の底から信じていて、そんな風に言われたくなかったから ─── 」


「 ─── ボッ!」


 音がしたのか口で言ったのか、ランバルドの顔面が真っ赤に染まり、エルフ耳がパタパタと動いている。

 あ、やっぱランバルドもそうなるのか、照れてる時のスタルジャと同じだ。


「試したつもりはないのでしょうけど、強い口調で彼女が言ってしまったのは、もっと本当の貴方を知りたいと焦る……」


「わ、わーなの! わーなの殿下わあああ!」


 なるほど。

 姉さんはふたりに残された時間を、いつも通りのコミュニケーションじゃあ関係を埋められないと思ったんだな。

 俺が言うのもなんだけど、ランバルド鈍そうだしなぁ……。


「 ─── ボボボボ……」


 今も紫がかるくらい真っ赤になって、なんか変な音出てるし、どうなってんだこれ?


「だから今はケンカはやめて、ね?

出来る限りのことを私はアルたちのためにしてあげたい……でも、私にその力がありません。

─── お願いします、おふたりの力を彼らに」


「「 ─── ッ!」」


 残された時間。

 姉さんが願ってくれている事が分かって、胸が締め付けられる。


 と、ランバルドは思い切ったように振り返り、テレーズに近づいて手を差し伸べた。

 顔は俯いたまま、でも握手を求めるように、彼女に差し出されていた。

 テレーズも困惑しながらも、数回目を泳がせると、おずおずと手を出してランバルドの手に重ねた。


「ハンネスの事は俺もよく……知らねえし、あまり知ろうとは思わなかった。

だが、俺はお前に特に隠し事はしてるつもりはねえし、お前を知りたいと思ってる。

─── これで信じてくれるか?」


「は……は、はう! はい!

ご、ごめん……ランバル……ド。

し、しし、信じてる……から」


「「 ─── ボッ」」


 見るに耐えないなぁおい。

 ふたりとも湯気が上がってるように見えるぞ?


 しかもランバルドの周りには精霊達が集まってキラキラしてる上に、なんか天井から光が射してるし……。

 俺の蘇生で聖戦士化する時もそうだけど、あれどーなってんだろう?

 アーシェ婆曰く、強い意志が魔力と精霊とに反応して、気分の具現化が起きてるんじゃないかって……あ、ランバルドが離れた。


「と、とにかーく! ハンネスの野郎が魔界に渡ってからの事は、もうお前ら知ってるんだな?」


「お、おう……!」


「じゃあ、もう俺から話せるのは……

─── カルラが処刑された日と、ハンネスが脱走するまでの事だけだ」


 そう言ってランバルドは、手記に挟んでいた一枚の紙を広げた。


「ら、ランバルドその印て……まさか!」


「ああ? 国の極秘調書だな、ハンネス脱走事件の」


「……なんでアンタがそんなの持ってんのよ!」


「まぁ、なんだ。剣の教え子がな、なかなか良い奴らばっかで出世してくれてっからなぁ〜♪」


 ランバルドが鼻歌混じりで得意げに言うのを、テレーズは溜息をついて流していた。

 

「いいじゃねぇか、もう時効だろ? 三百年前の罪を持ち出されても、俺は知らねえしな!」


「世界の兵法の基礎を立ち上げたんだよなランバルドは。そりゃ教え子に高官いてもおかしくはないか」


「お? 兵法の基礎? それは俺の知らねえ話ではあるけどな、中々に気分は悪くねえな、てめえの名が世界に残るってのもよ♪

─── 冗談はさておき、これはその場にいたモンからまとめあげられた調書だ。結局表沙汰にはされなかったみてぇだが、かなり詳細に書かれてる。覚悟しろよ?」


 そう言ってランバルドが、カルラ処刑の日からハンネスの脱走までに関わる、極秘調書を読み上げ始めた。




 ※ ※ ※




─── アルザス王国南部

グイファンゴス処刑場


 その日は春先の穏やかな晴天であったものの、日没後からは冷たい霧雨が降り、季節が逆戻りしたかのような肌寒い闇が訪れた。

 グイファンゴス処刑場の存在は、一般的に知られるものではない。

 政治犯や高位貴族、高官などの社会的に影響力の強い罪人が、ひっそりと処理される刑場である。


 森の奥深くに現れる、見上げるような石造の塀に囲われ、外からは中をうかがい知る事は出来ない。

 そもそもが軍の敷地として立入が禁じられているために、ここに人が訪れる事も無ければ、万が一目にした所で、塀の向こうに何があるのかさえ読み取る事は出来ないだろう。


 もう夜闇に辺りは呑まれている時間だというのに、そんな秘匿された施設には物々しい警備体制が敷かれていた。

 中で数カ所焚かれた篝火かがりびの光も、高い塀のせいで覆い隠されている。

 その円形の塀の中には、いくつかの背の低い建物と、中央に一段高い舞台が用意されていた。



─── 断頭台



 舞台のように高くされているのは、それを見る者の目の高さに、罪人の首の高さが丁度合うように設計されている。


 今、無感情な施設とは真逆の豪奢な椅子に座し、罪人も居らずガランとした断頭台を、ただジッと見つめる者の姿があった。

 それを囲うように立つ数名の人影は、そのどれもが白い布の覆いで顔を隠し、揃いの白いローブに身を包んでいる。

 顔を隠しているのは罪人が死ぬ間際、その呪いが掛からぬように、人物を特定されないようにする為の白い覆いである。


 しかし、それにはひとりだけ例外があった。


 中心に座した人物のみ、国の象徴とも言えるクリムゾンレッドを基調とした衣装を身に着けて、その素顔を晒している。



─── アルザス国王マルコⅡ世である



 アルザス王は人ではなく、王である。

 罪人の呪いなど、その高貴な血の前に泥のしぶき一点も穢れを及ぼす事は出来ぬと、アルザスに反意を持った者に知らしめるためである。

 

「陛下……すでに両名の準備は整っております。警備体制、器具、処理班、全ての準備も万全に御座います」


「 ─── うむ、ならば始めよ」


「ふたり同時に致しますか? それとも……」


「フッ、連れて来るのは同時に、処刑はひとりずつ確実にだ。

─── 小娘から。小娘が先ならば、あの用済みの心無き木偶でく人形の目にも、怯えの涙くらい引き出せよう」


「ハッ、仰せのままに ─── 」


 王が命ずれば、直ぐに白ずくめの者達が動き、二棟の建物からそれぞれ、鎖に繋がれた罪人が断頭台前へと連れ出された。


 ガチャガチャと鎖の音を鳴らし、ひとりはやや猫背ながらも、普段と変わらぬ表情。

 ひとりは怯えきり、幾度も震える脚をもつれさせて地面に転倒しながら、引きずられるようにして姿を現した。


 世界の救世主として、人々に希望と熱狂を与えた勇者ハンネス・オルフェダリアと、その一員であったカルラ・オストランド。

 ふたりの処刑が今執行されようとしている。


 塀に囲われた広い空間に、鎖の音と共に、奥歯を鳴らす小さな音がカチカチと木霊していた。

 うずくまるように地に倒れ、恐怖に目を見開き、目元と頬を涙と埃で汚したその人物を、王は一瞥いちべつすると眉をひそめた。



「 ─── 罪人、カルラ・オストランド!」



 王の横に立つ白ずくめの者が、地の底から響くような声でそう呼びかけると、カルラはグシャグシャに汚れた顔を隠すように下を向き、小さく悲鳴にも似た音を喉から鳴らした。


「お前は勇者ハンネスと旅を同行すると見せかけ、その実、魔族と繋がりを持ち、我が国の情報を魔族に与え、魔公将の侵入を手引きした。

─── 相違無いな!」


「…………ッ! ち、ちち、ちが……っ、わた、わたし……は!」


 幾度となく繰り返された質問、その度に否定して来た内容、しかし、断頭台と冷め切った王の目を前にカルラは言葉を発する事も難儀する。


「先のオルフェダリア邸宅の焼失ならびに、周辺住民を巻き込んだ、魔族の強襲を手引きした!」


「ちが……ッ! あ、あぅ……ぅ」


「 ─── エル・ラト教協力のもとに行われた調べによれば、オストランド家には、魔族の血が流れていると判明しておるのだ!」


「え……? え? ……⁉︎」


「すでにお前の父、フランツ・オストランドはそれを認め、処刑は執行された」


「 ─── ッ⁉︎」


「お前の罪は確定している。我が国と人類に対する間諜、破壊工作。魔族である罪。

人類の敵である魔族に、そもそも刑など必要は無く、本来ならばその場で始末してもなんら咎めのない事。

─── だが我が王は寛大である。わずかでも我が国で人として暮らした過去があるならば、人の手で処刑してやろうと言うのだ。感謝するがいい」


「…………! ……⁉︎」


 白ずくめの者達が、カルラにその視線を向けている。

 彼女は父親の死を突然聞かされ、自分が何を言われているのかすら理解出来ないまま、ただただ混乱していた。

 篝火の爆ぜる音が二度三度、ふとカルラはもうひとりの罪人へと目を動かした。


─── 篝火の灯りに光るブロンドの髪を風に揺らし、彼はこちらを見て微笑んでいる


 その場違いな表情に、凍結しかけ、縮こまっていたカルラの心が爆発した。


「 ─── ハンネス、あんたとさえ関わらなければ……っ! 私は、お父様は、こんな目に遭うことなんて無かったのに……ッ‼︎」


 彼女と視線を合わせたハンネスは、声を出さずに大きく口を動かして、カルラに言葉を伝えていた。


(だいすきだよ、ずっといっしょだからね)


 カルラは一度顔を背け、グッと息を呑むように身を縮こまらせた後、ハンネスに振り返り大声で返した。



「あんたのせいよ! 何もかも! ……あんたが死ねば良かったのに!」



 ハンネスは満面の笑みでそれに応えるだけだった。

 炎に照らされた姿は神々しく闇に浮かび、金色に輝くそれは奇しくも、世界から望まれた勇者像そのもののようであった。

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