第十三話 勇者の手記

 馬車から眺めた生まれて初めてのアルザスの王都は、人が余りにも多くて、かつて自分の部屋から見ていた風景より人が近過ぎて怖いと感じた。

 こんなに人がいるのなら、守らなきゃいけないルールがどれだけあるのか、そう思うと手指が震えて息が詰まったなぁ。


 そのまま入った宮殿内は静かで、人が少なかったけれども、僕には広過ぎて落ち着かないし、どうしていればいいのか分からないから、手持ち無沙汰でずっと手をいじっているしかなかった……。


「ハンネス・オルフェダリア、お連れしました」


「 ─── うむ、ずいぶんと早かったな」


 通された部屋には、怖い感じの兵士数名と、優しそうなお爺さん、そして凄く怖い感じの大きなおじさんが椅子に深く腰を掛けて座っていた。



─── マルコ・マルディ・アスティローズ



 このアルザス王国の王、僕達の王様だとすぐに気がついたけれど、実感がついてこない。

 それに何だか視界が凄く狭くなってしまって、自分の意識が体から離れて、遠くから俯瞰ふかんして見ているような心持ちだったよ。

 自分が自分じゃない感じ。


 王様に会えたって事よりも、どうすればいいのか、ちゃんとしなきゃって事ばかりが頭を駆け巡っていた気がする。


「ふむ、ハンネス……面を上げよ」


「は……はい……」


「「ヒソヒソ……」」


 僕の第一声に『本当にこやつか、大丈夫なのか本当に』とか、王様が隣にいた大臣に耳打ちをしている。


「オルフェダリア家の者であったな、元気そうで何より。

さて、ここに其方を呼んだのは他でもない。其方には『適合者』となってもらう」


「てき……ごう……?」


「知らぬのも無理はない、どれ説明してやれ」


 面倒臭そうな王様は、どこか父様の表情に似ているなぁなんて思っていると、また何人か入って来て『適合者』の説明を始めた。

 正直、おとぎ話を聞かされているようで、自分に関係あるなんて全く思わずに、少しわくわくすらしていたよ。



─── 遥か昔から、世界のバランスが崩れた時、調律神オルネアの化身が天界から降りて来て『適合者』を選定し加護を与えて来た


─── 『適合者』は神の力を得て、人々に勇気を与え、その勇気の力で更に力を得る


─── 今、魔界から送られて来た魔物や悪霊が人界に現れ、被害が広がっている


─── 魔界への盾アルザス王国は、オルネアに選ばれた


─── 預言者が現れ、魔族と戦い人類を守るのは『ハンネス・オルフェダリア』だと告げた


 最後に僕の名前が出て、ビクッとなった。


「其方にはこの人界を救って貰わねばならん。人々は疲弊し、世界は曇り、勇気ある者の出現を待っておるのだ」


「…………!」


 魔物と闘う? この僕が?

 ケンカひとつした事ないのに?

 『そんな無理です』と言おうとしても、父様の顔に泥を塗るのかと思うと、喉が詰まって呼吸すら苦しくなった。


「まずは何としても契約をしてもらわねばならん。おい、連れて行け ─── 」


 意味が分からない。

 全く意味が分からない内に、僕は大きな部屋に連れて行かれてしまった。


 『食事は時間が来たら運ばせる。風呂、トイレは室内にある。必要な物があれば、メモに書いてドア脇の小窓から出せ』


 早口にそう言われて、みんなが部屋から出て行くと、外から鍵を掛けられた。


 部屋には寝台とテーブル、ソファと椅子が何脚か。

 お風呂とトイレの扉が二つあるだけ。

 座敷牢って言うのかな、何かで読んだ事がある。



─── そしてそこに、彼女がいた



 人形のように整った、怖いくらい綺麗な顔。

 でも、その目は何も見ていないような、本当に人形なんじゃないかって疑いたくなるような女の子だった。

 エメラルドの瞳はただボーッと正面を向いていて、鉄格子のついた小さな窓からの光を受けて、ガラス球のように輝いていたよ。


 本当に人形じゃないのかと、思わずジッと見ていたら、チラッとこっちを見てまた視線を正面に戻す。

 腰を抜かし掛けた僕は、相手が人なんだと分かって、ジッと見るとか怒らせちゃったかと不安になった。


「ごごご、ごめんなさいっ!」


「…………」


 無反応。

 全くこっちに興味が無いのか、もしかしたら目だけ動く人形なんじゃないのかとも思った。


「ぼ、ぼぼ、僕はハンネス……」


「…………」


 やっぱり返事はされなかった。

 僕は面倒……どうしていいのか分からなくて、ただ黙ってもうひとつのソファに腰掛けた。


「…………」


「…………」


 僕の座った側からは、窓の外が見える。

 ゼンベルンの街とは比べものにならない大きな街だけども、遠くを行き来する人々の大きさや、動きは別に変わらない。

 僕は彼女と話す事を諦めて、あの部屋にいた頃のように、ただただ窓の外を眺めていた。



「…………あなたは……」



「…………」


「…………」


「…………え?」


 窓の外に夢中になっていたら、突然彼女が喋った気がした。

 振り返ると、確かに彼女は顔をこっちに向けて、僕の額の向こう側を見透かすように見つめている。


「……あなたは……適合者では……ない」


「…………そ、そうなんだぁ……」


「…………」


「…………」


 会話が続かない。

 普段人と話す時、僕はどうやって喋ってたっけ?

 ……いや、父様もカルラも、いつも向こうから話しかけてくれていたから、自分から話しかけるなんてやった事がない気がする。


 僕は『適合者』じゃない。

 そう言われて胸がスッと軽くなった。


 だって、彼女が決めたのなら仕方がないよね。

 僕が何かをしでかして、適合者になれなかったんじゃないんだもの。

 帰ったら父様になんて言おうか、僕はそれからずっとそればかりを考えていた。



─── 五日後



 何度目かの食事、昼食後だったかな?

 また僕はソファの定位置に戻って、窓の外を眺め始めた。

 彼女も食事を終えると、ソファの定位置に座る。

 トイレ、お風呂、寝る時以外、僕らはいつも決まった場所に座り続けていた。


 女の子と同じ部屋で寝るのは、最初はドキドキしたけれど、何にも無かった。

 そもそも彼女には何にも感じないし、カルラ以外の女の子に興味を持った事すらない。

 女の子と接するには、ルールがいっぱいあり過ぎて、マルバツ曖昧なものが多過ぎるから苦手だ。



「…………あ……っ!」



 突如彼女がソファから立ち上がり、震え出した。

 それだけでも僕は驚いていたのだけれど、もっと驚いたのは、彼女が涙をこぼしていた事だった。


「え……? え? どどど、どうしたの⁉︎」


「…………が……死にました……今」


「し、死に……⁉︎」


 彼女はストンとソファに崩れ落ちて、小さく『失敗しました』と繰り返して震えていた。

 僕はどうして良いのか分からなくて、オロオロするしか無かったけれど、父様から教わったルールを思い出したんだ。


「……だ、大丈夫だよ。き、きき、きっとうまくいくよ……たぶん」


 『困っている女には優しくしろ』それは確か貴族の人限定だったような気がしたけど、女の子に泣かれた事のない僕には、そんな限定部分がぶっ飛ぶ衝撃だったんだよ。


「ぼ、僕なんか失敗だらけだしさ……へへ」


「幼い頃からね……お外で遊ばなかったからヒョロヒョロだしね」


「勉強が出来たって、お前は目が死んでるって、父様にもよく言われるんだ♪」


 何が慰める言葉なのかなんて分からない。

 必死で色々と思いついた事をベラベラと喋っていた。


 どれだけそんな身の無い事を、彼女に投げかけ続けていただろう。

 とにかく密室で女の子に泣かれるって事が、怖くて怖くて仕方がなかったんだ。

 僕は滴る程の手汗の指をもてあそび、そこだけを見つめて、気がつけば声が枯れてしまっていた。


「…………ハンネス……」


「でね、でね、僕は…………え?」


 見れば部屋は真っ暗で、ドア脇の小窓のカウンターには、冷め切った夕食がそのまま乗せられていた。

 窓から薄っすらと入る光の中、彼女はその逆光で顔は見えないけどこちらを見ているのが分かった程度。

 それが良かったのかも知れない。

 目が合っていたら、僕はやっぱり恐ろしくなってしまっていただろうから。


「…………慰めて……くれていたのです……ね?」


「え⁉︎ あ、う、うん。うまく出来たのかは、よく分からない……けど」


「……さっき、あなたは……失敗して生まれた子だと……自分を」


 そんな事も言ったのかな、正直覚えていないけど、多分言ったんだろうね。


「僕は……母様が浮気して……出来た子だから。だれにも望まれてなんか……いなかったんだよ」


「…………辛くは……無かった……ですか?」


「……辛かった。のかなぁ、それが当たり前だったから、辛いとか考えた事ないや……」


「お母様を……恨んでいますか?」


「ううん。何とも思ってないんだ、何とも」


 彼女が暗がりの中でうつむく気配がして、そのまましばらく黙り込んでしまった。

 なんかツマラナイ話をしちゃったかなって、今更ながら後悔していたら、彼女は思わぬ事を言ったんだ。


「……あなたは……強いのです……ねハンネス」


「…………へ⁉︎ ぼ、僕が⁉︎」


「そう……あなたは大変な生まれだった……。

それなのに……他者を憎んではいない……」


「…………」


 恨むなんて考えた事も無かった。

 父様も兄様も母様も、僕に関わる人々はみんな僕より価値があって偉い人達だ。

 恨むなんて、そんな大それた事は念頭になかったんだと、その時に初めて気がついたんだよ。


「……本来の適合者は……この国の第二王子、ギャスパル殿下でした……」


「…………え? もう決まってたの?」


「はい。私達オルネアの化身は、適合者を事前に決めてはいない……。

その運命の繋がり……によって、惹かれるもの……なのです」


 何でそんな話を急に始めたんだろ。

 それなら僕はお役御免なんだと、早速お家に帰りたいと思っていた。


「しかし……ギャスパル殿下に近づいた時、私は捕らえられてしまった……」


「そ、そりゃそうだよ……第二王子に近づくなんて……」


「人間族の常識を……甘く見て……しまった」


 人間族と言う言葉を使うのを見て、初めて僕は彼女が『オルネアの化身』なのだと、まともに考えようと思った。

 そして、全然興味も無ければ、困る相手でしか無かった彼女が『失敗』の言葉で、なんだか急に近く感じた気がしていたんだ。


「……ギャスパル殿下は、この国の……民主化推進派……。アルザス王マルコは……そのギャスパル殿下を疎み……私が力を与えるのを恐れた」


「…………えっと、ごめ、なんの話し……?」


「……そのギャスパル殿下が先程、暗殺されてしまったようです。……繋がりかけていた、加護が急に掻き消えてしまいました……」


「…………!」


 人が死んだ? 殺された?

 僕は死にたく無い、こんな所早く出たい!

 だって死んだら、僕が死んだら、母様みたいに僕のいた全てがあの家から消されてしまう!


 頭の中はその恐怖で一杯で、体から自分が抜け出てしまったような、身動きひとつ取れない状態に陥ったっけ……。


「……これは……アルザスの手の者に掛かったか、それとも別の勢力か……。

何にせよ、人界とは何故にこうも……」


「…………」


「これはいけませんね……。こうなった以上、私はおそらく捕らえられ、死なないように拘束され続けるでしょう。

……そして、あなたは……処分されるかも知れません」


「…………えっ?」


 彼女が何か言っている。

 でも僕はまるで棺桶の中に閉じ込められたかのように、その音がくぐもっていて耳が拾おうとはしなかった。


 どうしてこんな所に来ちゃったんだろ。

 どうして僕が選ばれちゃったんだろ。

 どうして僕はこんな運命ばかりなんだろ。


 頭の中は『どうしてどうして』ばかりが渦巻いて、消えてしまいたい気持ちが止め処なく溢れ返ってゆく。


「ハンネス、しっかりして下さいハンネス!」


「……え? 

あ、ああ……っ、うわああああぁッ‼︎」


 どれだけの間、僕は混乱していたのか分からない。

 でも、彼女の声に気がつけば、締め切られていたはずの扉が開いていて、廊下からの逆光に数人のシルエットがひしめいていた。


 ……兵隊だ。


 『殺される』そう思ったけれど、兵士が僕を通り過ぎ、彼女に槍を向けていた。

 僕は動く事も出来ず、声すら出せずにいた。


「 ─── ついて来い」


「…………お断りです。殺しなさい」


「……おい、くれぐれも殺すなよ? 次は何処に転生するか分からん。動けん程度に痛めつけろ」


「「「ハッ!」」」


 彼女の呻き声が聞こえる。

 殴る音、蹴る音、床に倒れ、掴んで引きずり起こされる音 ─── 。


 神の化身なのに、彼女はただの女の子のように、苦痛に喘ぎ、息が震えていた。


「契約前は普通の小娘と変わらんと聞いたが、中々にしぶといもんだな。

─── お前の本命の適合者はもういない。もう諦めろ、お前は朽ち果てるまで、無力なまま飼い殺されるのだ……ククク」


 この声……。

 逆らえないと分かっていて、痛めつけた後に心を潰しに掛かる言葉。

 兄様達に散々やられた事だ。

 怖い……怖い……そう僕は縮み上がっていた。


「…………殺し……なさ……い!」


「チッ、まぁだそんな元気があったか。

おい槍を寄越せ ─── 」


「こ、殺してしまっては……」


「どうせ手足の腱を切るんだ、手足のひとつやふたつかまわんだろ。寄越せ」


 真っ暗な部屋に差し込む廊下からの光、それが穂先に反射して、キラリと部屋に鋭い光の残像を残した。


「 ─── この失敗作めが……」


 槍を持つ兵士の歯が、わずかに廊下からの明かりで見えた。

 ニヤリと笑っていた……兄様達と同じように。

 でも、決定的に違うのは、兄様達は僕を殺さなかったけれど、彼らは僕を殺すだろうって事。



─── ズシュ……ッ!



「あ……ああああぁぁぁぁッ!」


「…………ハン……ネ……ス? なぜ……」


 気がついたら僕は、彼女の前に飛び出して、お腹を刺されていたらしい。

 お腹の中に冷たい槍先が揺れる感覚がした。

 僕は痛みよりも遥かに、死への恐怖が膨れ上がって、勝手に声が出続けている事に気がついた。


「怖い怖い怖い怖い怖い怖い……死ぬのはイヤだ、イヤだあああぁぁッ‼︎ ひっひひひ……」


「 ─── な、なんだこのガキ! 急に動きやがって!」


「おい! そのガキもまだ殺すなって指示だぞ!」


 槍が抜かれる。

 冷たい穂先が肌を滑る感覚は、背筋に氷でも垂らしたような怖気がした。

 パタパタと太ももに温かい何かが流れ落ちる。

 それが自分の血だと分かって、更に膨れ上がった恐怖に悲鳴を上げると、顔を蹴られて彼女の近くに転がった。


「なぜ……な……ぜ? 私をかばっ……た……の」


「死ぬのは……ダメだ。死んじゃダメだ……何にも無くなる、全部なんにも無くなって、居なかった事になっちゃう……ひ、ひひひ」


「…………!」


 自分でもよくは憶えていないけれど、確かそんなような事を口走っていたかな?

 彼女の反応なんて憶えていないよ、そっちを気にする余裕なんて無かったしね。

 なんだか分からないけど、彼女の方が光ったなって思ったら、急に頭の中をグリグリさせるような嫌な感覚が起きたんだ。


 意識が飛びかけて朦朧もうろうとする中、体の中からものすごいエネルギーが湧き出して、槍で刺された傷も違和感が無くなってしまった。


『 ─── 不味いッ! こいつ契約しやがったぞ⁉︎』


『やばい、やばいですよ! 早くこの女殺さないと、神の力が ─── ッ』



─── シャグッ! シャグシャグッ‼︎



 砂袋でも突くような音がして、兵士達が暗がりの床に散らばった。

 彼女は薄っすらと光を纏って、入口近くに立ち尽くしている兵士達に手をかざしていた。


「ハンネス……ごめんなさい。こうするしかあなたを救えなかった……」


「…………」


 契約されてしまったんだとその時自覚した。

 あの時、物事の考え方も大きく変化したのかも知れないけれど、今となってはよく分からない。

 それ以前の僕は酷く混沌としていたから。


 彼女の謝罪はどうしてなのかは、その時は分からずに、ただ朦朧とした意識の中でそれを聞いていたよ。



─── パチパチパチパチ……



 その時、入口の方からひとり拍手をする音が聞こえて来た。


「素晴らしいぞハンネス。契約を結んだようだな。ジョルジュの予言は的中したか……。

くっくっくっ、流石ボトルゴード家は優れた加護持ちを多く抱える名門よ。

─── あの予言者も大したものよ」


「……アルザス王……!」


 彼女が凄い殺気で振り返る。

 でも王様は気にも留めずに僕に語りかけていた。


「これで其方はアルザスの『勇者』。英雄の誕生、我がアルザスの躍進の始まり……」


「アルザス王……調律者は一国につくものではありません。

むしろ調律されるべきは ─── 」


 兵士達を切り刻んだのと同じように、彼女は王様に手の平を向ける。

 でも、王様は微動だにしなかった。

 ボヤけた視界の中、廊下の光を背中から受けて、その影が僕に真っ直ぐ伸びていた。


─── 英雄だって? この僕が……?


「……余を殺すか? ふん、それも良かろう。

しかし、そうなればオルフェダリア子爵は、謀反者として、一族郎党火炙りとなろうなぁ。既にそう取り計らっておる」


「…………卑怯な……」


「次男のギャスパルは残念だったが、跡取りのベネディットは実に優秀でな。余が倒れようがアルザスの栄光は変わらんよ。

しかし、謀反とも為れば……

─── 子爵家に出入りしていた者……いや、ゼンベルンの街そのもの、果てはユステル領ごと掃除が必要となるやも知れん」


「「 ─── ⁉︎」」


 街ごと消される……?

 この世に僕のいた証拠が全て消される?


 その時、カルラの顔が浮かんだ。

 カルラのオストランド家は、代々僕の家に仕えて来た家系。

 間違い無く殺される ─── !


「さあ……ハンネスよ。共に世界を救おうではないか。世界は求めておる。魔を討ち払い、苦痛を忘れさせる熱狂の英雄譚を!」


「アルザス王! ならばこの私がひとりででも、このアルザスを滅ぼ ─── 」


「……やります! 

やりますから……殺さない……で……」


 死ぬ気で声を振り絞った。

 あんなに言葉を発しようとしたのは、後にも先にもこの時くらいじゃないかな。

 『殺さないで』は王様か、彼女か。

 どちらに向けての事だったんだろうね。



─── そうして僕は『勇者』になっちゃったんだよ




 ※ ※ ※




「 ─── とまあ、こんな感じだな。

あいつ……いや、ハンネスとか言う人、字がちっちゃくてビッシリだからよお、だいぶアドリブ入れちまったけどなw」


「驚いた……。ランヴァルドあなた、朗読の才能あったのね……」


「う、うるせえテレーズ! おめえに聞かせてるつもりはねえかんな⁉︎」


 真っ赤になったランヴァルドとテレーズがギャアギャア言い合っているけど、俺の頭の中はそれどころじゃ無かった。



「ハンネスは……適合者じゃなかった……?」



 思わず呟くと、ソフィアが難しそうな顔をして答えてくれた。


「手記の中にもありましたが、私たち調律神の化身は適合者を決めて降りて来てはいません。

運命に惹きつけられ、段々と縁の繋がりが強まり、加護を与える形となります。

─── リディの本命は、ハンネスではなく、暗殺された第二王子だったということですね」


「途中で選定が変えられるものなのか?」


「分かりません。ただ、選定候補者が居なくなってしまえば、次点で相応しい者と繋がりが始まるのかも知れません。

おそらく、リディの調律はアルザス王国の支配力の低下だったのでしょう。一番近くにいて、アルザスに忠誠を誓っていないのは、ハンネスだけだった……」


 クヌルギアの鍵に選ばれるのと似ているな。

 しかし、ハンネスにその調律に関わる必然性など、彼のそれまでの人生には、皆無だったように思える。

 彼が今動いているのは、個人的な動機からだが、今もそれはカルラを理由に暴走しているだけにも思えた。


 ギャスパル王子は王制から民主制に変えようとしていたのだから、確かにリディの調律と思惑は一致している。

 彼が適合者となっていたら、今のアルザスは無かったかも知れないな。


「……ジョルジュって何者だったんだろ?

アマーリエみたいな預言者が、人界にもうひとりいたってことだよね?」


 スタルジャの疑問に『それそれ』と思わず相槌を打っていた。

 テレーズは小首を傾げて、うーんと唸る。


「ジョルジュ……。何度か王との会話の中でその名前は聞いたわね。どんな人物かは知らないけど、預言者が居たなんてそれまで聞いた事はなかったし、その後も特に話題に上がっていなかったわ」


「ボトルゴード家がどうのって言ってたが、そんな加護を持つような家系があるのか?」


「聞いた事ねえな。ボトルゴード家ってのは、アルザス王家に代々仕える一族で、大臣クラスの人材を輩出してる名門中の名門貴族だ。ただ、予言の加護なんて聞いた事がねえ」


 ランヴァルドもテレーズも知らなかった。

 成人の儀が近づいていた頃、興味本位から色んな守護神や加護について調べていた事があったが、確かに予言の加護なんて聞いた事がない。


「予言の加護はあり得ないと思いますよ。そんな能力はアマーリエの特異性でしょうね。守護神にそのような加護を与える者があれば、それこそ存在自体が越権行為、神の鎖で消滅してしまうでしょう。

その人物は加護ではなく、おそらく持って生まれた何らかの能力だったんじゃないでしょうか?」


 確かにそんなにポコポコ預言者がこの世に出て来たら、人界は混乱に陥るだろうし、天界も放っては置かないだろう。

 ただ、リディの降臨と、ハンネスの契約を言い当てていたのは間違いない。

 そうでなければ、第二王子に近づこうとしただけの女性と、調律神オルネアの化身とが結びつくなんて発想は無かったはずだ。


「三百年前までは『勇者』って言葉は、無かったってことなんだよね?」


「ああ、物語でそんな感じに呼ばれているのもあるにはあるが、そりゃあ単なる肩書きで、固有名詞みたいなもんじゃねえ」


「私は適合者って存在自体知らなかったわよ」


 そう言えば、アケルのガグナグ河を創ったって巨人神話も、適合者だったとは誰も知らなかったみたいだ。

 勇者伝でも適合者って言葉は特に大きく扱われていなかった気がする。


「ジョルジュか……。憶測でものを言うしかないから、それは置いておくとして。

とにかくアルザスはリディの出現と調律内容を知っていて、不穏分子である第二王子が、適合者としての力を得る事を避けてたって事だな……」


「確かギャスパル王子暗殺事件は、当時かなりの騒ぎにはなったわよ。北方蛮族の報復だったって、すぐに戦争にはなったけれど……。まあとばっちりね。

─── 最初は扱いの楽なハンネスを適合者にさせて、リディと共に飼殺しの予定だった。でも暗殺が起きて、計画が変わってしまったって所かしら」


「暗殺は王がやったんじゃないのか?」


「あの頃はかなり王室内がバタバタしていたのよ。王子の後継問題、高官の権力争い。かなり血は流れていたわね。

ただ流石に第二王子暗殺となると……

─── 王子暗殺事件はこの件とは無関係に起きた、内部問題だったって方が強い線だと思うわ」


 うん、なんだかその方がしっくり来るな。

 俺自身適合者だから分かるけど、背負った運命が大きいと、より物事はシナリオをなぞるかのように都合良く出来事を見せつけてくる気がする。


「リディの力だけでも、王族を殺すくらいは出来ただろう。

……そこですぐに、ハンネスを抱き込む形にシフトを変えたのは、流石は一国の王って所か」


 う〜んと全員が唸った。

 と、ランヴァルドが首を捻る。


「あのな? つかぬ事を尋ねるんだが……。

そこのソフィアさんだったか、やけに調律神と適合者の事に詳しくないか?」


「あら、まだいっていませんでしたっけ? 私、リディの後任、オルネアの化身なんですよ〜♪」


 しばらくの間が空いて、ランヴァルドとテレーズの叫び声がハモった。


─── あ、姉さんはロジオンから聞いてたみたいだけど、二人にはまだ何も話してなかったわ……

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