第十二話 姉さん
飛石を踏む足の前を、手足の生えた卵のような行列が、わしゃわしゃと何やら話しながら足早に脇の茂みの中へと通り過ぎてゆく。
思わず足を止めてやり過ごしながら、ジッと彼らの行く先を見ていると、茂みの奥に隠れた古い煉瓦の花壇の隙間へと入って行った。
妖精の類いだろうが、それが何なのかは分からない。
この中庭が古くから続くもので、よく手入れの届いた、清廉な場所である証拠だろう。
妖精の一部は、羽や知性を持たずに、突然そこに現れて棲みつく事があるが、何らかの役割を果たしているという。
彼らの内のいくつかが触れたスズランが、まだ微かに揺れている。
─── 魔王城に来てから二日が経った
昨日から各地の名士と面会したり、執事のエイケンや家政婦長のミルザから、ここの歴史を教わったりしている。
同時にクヌルギアに挑むための準備を進めていた。
姉さん達三人の状況は、健康だと言ってもいい程に安定しているが、それは肉体の表面的な部分だけの事。
今はローゼンを中心に、ソフィアとスタルジャ達が、薄れきった魂の回復方法を色々と調べてくれている。
ようやく空いた時間で、城の中を散歩してみようとしていたら、この中庭に来てしまった。
「確か……この辺だったか」
そうして歩いていた先に、石柱に囲まれて、屋根のついた小さな
柱には藤の蔓が掛かり、少し時期の終わりかけながら、紫色の花が屋根の先から下がっている。
その周辺の地面は、花の最盛期を迎えたセイジンキキョウが、東屋を取り囲むように群生していた。
─── ロジオンの話に出て来た姉さんのお気に入りの場所だ
断片的に残っているアルファードの記憶を、こうして実際に追う事で、自分の過去だと結びつける。
そうする事でより、自分が自分になって行くようで、足元から安定して行く気がしていた。
「おや、これはアルファード殿下。お散歩で御座いますか」
魔族の老庭師が、大きな麻袋を肩に背負って通りがかった。
「うん。色々と懐かしくてね。ずいぶんと大きな荷物だけど、重くないか?」
「ひぇっひぇっ、ほとんどが雑草除けに敷くための樹皮で御座いますから、軽いもんですよ」
「そうか、ご苦労様。いい庭だな、妖精達も一生懸命に楽しんでる」
老庭師は顔をくしゃくしゃにして微笑むと、麻袋を下ろして俺に向かって手を合わせた。
「ん? どうした」
「へえ、フォーネウス陛下と、全く同じお言葉を下さったので、思わず拝んでしまいました。
陛下も妖精どもを『一生懸命に楽しんでる』とおっしゃられておりましたが、正にそれが彼らの仕事で御座いましょう」
この城で古くから働く人々には、よく爺さんと重ねられて、嬉しそうに語られる。
こそばゆい気もしないでもないが、そんな気持ちになる事もまた、どこか嬉しくもあった。
無いものとして育って来た、俺のルーツ。
肉親だとか、祖先だとか、そんな俺を形作った繋がりを感じられるのだから。
老庭師も庭のそこかしこを指差しては、爺さんの思い出と共に、この庭の歴史を語ってくれた。
穏やかな時間だったのは、この老庭師が朗らかだからか、庭が気持ちいいからなのか。
ただ、やっぱりまだ『王族としての使用人達への立ち振る舞い』とかしなきゃいけないのかな……とか、戸惑いがあるのが正直な所だ。
記憶映像で見た爺さんを、何度思い出してみても、魔王ってよりは気の良い爺さまって感じで参考にならないしな。
老庭師と別れた後、東屋にしばらく座ってみた。
なる程、姉さんが何かある度にここに来ていたはずだ
風が通る度に藤の葉や花がさわさわと揺れて、ただぼんやりと庭を見ていると、周囲に群生したセイジンキキョウが自分を囲ってくれているような安心感がある。
いつからここにセイジンキキョウが植えられたのか、それとも勝手に群生したのかは分からない。
ただ、クヌルギアス家の象徴になったのは、この風景のせいだったのではないかとすら思えてしまう程、ここからの眺めは穏やかな気持ちにさせる。
─── セイジンキキョウの花言葉は『愛に囲まれる』『家族愛』
家族の考え方が、この魔界では少し人界よりも広義になる。
それは魔力のやり取りが存在していて、他者がそこにいるから生まれる、エネルギーのシェアがあるからだろう。
実際、魔王が分配する魔力は、それら魔界の民の繋がりによって、更に円滑に補い合っているのだから。
「ん? これは……」
東屋から離れて、しばらく歩いていたら、道の端に立つ古い石柱の中で、とあるものを見つけた。
真ん中から崩れ落ちた石柱、その折れた部分には強い衝撃では無く、一部を握り潰されて倒れたであろう形跡がある。
─── カルラが捕らえられたと聞いて、爺さんが怒りに任せて握り潰した柱だ
父さんの記憶映像で見たままの柱の残骸。
よく見れば、何となく指を当てたであろう部分がうかがえた。
そこにそっと手を重ねてみる。
「これが爺さんの手……か」
俺のより少しだけ小さな手の跡に触れ、何だか爺さんと刻を超えて、手を重ねられているような気がした。
「 ───
執事のエイケンがいつの間にか近くに立っていた。
俺がこの城に滞在するにあたって、彼はソフィアとスタルジャ、そしてローゼンを『王太子妃』として扱うようになっている。
「ローゼンが? 何か分かったのか」
「はい、そのようにうかがって御座います。こちらから千星宮への近道をご案内いたします」
『ありがとう』と礼を言えばエイケンは微笑んで踵を返したが、どこかその表情と背中には、薄らと陰が差していた。
何となくは俺も分かっている。
全てはそんなに上手く行くものでは無いのだと……。
※ ※ ※
─── 二日程前、結界が解かれた翌日
目を覚ました姉さんは、ロジオンとゆっくり話した後、俺に会いたいと言ってくれた。
「アル……っ!」
一瞬、動けなかった。
アルファードの記憶と、父さんの記憶映像、そしてそれらが、一瞬にして自分の記憶になる瞬間の混乱。
「……あ、そうだよね。そんなに大っきくなったんだから、お姉ちゃんって分からないよね……」
俺に両手を広げて飛び出した姉さんが、フッと悲しげに微笑んで足を止めた。
「いや……違うんだよ姉さん……俺、今……記憶が……」
言葉が続かない。
喉が詰まって、頭の中に強い熱感が込み上げる。
気がついたら、涙が止めどなく溢れて、ただ姉さんの足元を見つめていた。
─── ぎゅ……っ
姉さんの足が動き出したと思ったら、すでに抱き締められていた。
『大丈夫、大丈夫……』囁くように
これはアルファードの想い。
幼かった頃の俺の孤独が、急激に埋められた瞬間に、
「辛かったね……アル。あんなに小さかった……んだもんね……ひっく、ぐすっ」
「姉さん……! 姉さん!」
自分でもどうしようも無いくらい、泣いてしまった。
アルファードだった頃、俺がどれだけ家族との再会を、その温もりを求めていたのか思い出したんだ。
あの幼い時、家族と離ればなれにされ、全身を襲う呪いの苦痛の中、どれだけ苦しく心細かったのか。
俺の代わりに抱えてくれていた、アルファードの想いが全て蘇る ─── 。
姉さんも、エイケン達も、ロジオンやソフィア達も、気がつけば涙していた。
「……ぐすっ、こ、これで父さん達にもう一回会ったら……俺、涙腺ヤバイな……」
「くすっ、お父様たち無事だったんだって?
ロジオンから色々聞いたの。ふふっ、私がちゃんと再開を喜んでもらえる一番乗りなんて、得しちゃったかな……くすんっ」
よく見れば、姉さんの方が見た目は歳下だ。
確か姉さんは十八の時に結界に掛けられたんだから、今は俺の方が体は歳を取っている。
なんだか複雑だし、急に気恥しくなってしまった。
離れようとしたけど、姉さんにがっちり手を繋がれて、そのまま色々と話す事になった。
─── 俺が産まれた時の事、両親の事、爺さんがどれだけ俺を溺愛していたのか……等々
あっと言う間に時が過ぎ、そのまま部屋に軽食が持ち込まれると、気がつけば深夜に差し掛かろうとしている。
「はぁ、ロジオンともいっぱい話したけど、アルと話してたら時間いくらあっても足らないね♪」
姉さんは俺の里時代の修行の話とか、冒険者としてこなして来た仕事に興味津々だった。
父さんの記憶映像では、勇者達に憧れてた感じもあったし、冒険への欲求があったのだろう。
……だからこそ、ロジオンから聞いてはいるだろうけど、今勇者が陥っている状態を話すのは気が引けた。
「はあ〜、もっと聞きたい話もいっぱいあるけど、今日はここまでにしようかぁ〜。
明日はもっと、アルの奥さんたちともお話ししたいな〜♪」
俺の泣きが治った辺りで、すぐに姉さんは『そこの綺麗な人たちは誰?』とソフィア達に興味を持ち、俺の妻であると伝えた。
姉さんのテンションの高かかった事、高かかった事。
ソフィア達も姉さんが俺と似ているだとか、仕草なんかも似ているだとかで、大はしゃぎだった。
彼女達はしばらくここにいたが、気を利かせてくれたのだろう、途中で退室。
それからずっと俺は姉さんと話をし続けていた。
「じゃあ、そろそろお暇するよ。長話ししておいてなんだけど、しっかり休んでくれよ姉さん」
「うん。ありがとうねアル。
─── あ、忘れてた……っ!」
そう言って姉さんは立ち上がり、目を閉じて胸の前で両手を自分に向け、魔力を高め始めた。
それが何なのか分からずに見ていたら、突如姉さんの胸の辺りに青白い光が浮かび出す。
─── んん⁉︎ この感じ、クヌルギアの鍵の半分を出そうとしてる⁉︎
「姉さんっ⁉︎ 今はまだダメだ、姉さんの魂が支えを失うかも知れない!」
「……大丈夫。このために三百年間、アルに鍵を渡そうって練習してたんだから」
痛み切った魂に、半分のクヌルギアの鍵。
鍵はそれ自体が強い力を秘めていて、魂に膨大なエネルギーを渡す、言わば魂の力の補助をしている。
今の段階では、姉さんの魂はクヌルギアの鍵のお陰で、ギリギリ保てているという可能性があった。
「やめ ─── !」
姉さんの体から飛び出した光球は、俺の中の半分の鍵に吸い寄せられるように、一瞬で入り込んだ。
直後、強烈な
前回半分を父さんから受け取った時と同じ、感覚の拡張とエネルギーの急激な膨張に、意識が刈り取られる。
「……優しいねアルは。大丈夫、後は任せたよ……」
姉さんの言葉がまるで遺言のようにも聞こえて、もしかして自分の魂の状態を知っているのかと胸が締め付けられると同時に、俺は完全に気を失った。
※ ※ ※
─── 再び時を戻し、現在の千星宮の一室
「これで術式は完了なのです……。ただ、さっき説明したように……」
「ああ、分かってるぜ。ありがとうなローゼンさんよ。俺はまだ実感が湧かねえってのもあるかも知んねえけど、受け入れてるからよ。まあ、なんだ。そう辛気臭い顔しないでくれや」
体の数カ所に術式を施し、肉体のみに緩やかな時間停滞を起こさせる。
ランヴァルドは、何度か手を確かめるように握り締めながら、言葉に窮するローゼンに苦笑した。
ローゼンの見立から、俺達でよく話し合った結果、姉さん達には全てを告知する事となった。
三人の魂は想像以上に摩耗していて、これ以上の回復は見込めず……
─── 後、一週間程で、彼らは強制的な死を迎える事となる
薄れた魂と肉体とが同化してしまっていて、魂の力が尽きた時には肉体もまた消失してしまうのだそうだ……。
今、肉体として存在しているように見えるが、その中身は全く別のものに変質してしまっているのだという。
……ローゼンからその説明を受けた時、しばらく頭が真っ白になってしまった。
三百年も意識をそのままに封印され続け、ようやく解放されても、強力な術の力に晒され続けた魂は耐え切れなかった。
本人達に告げるのは最後まで悩んだが、ローゼンの術で限界まで伸ばせる残りの時間を、何も言わない方が酷だという結論に至った。
そして今日、それを説明して施術をする事となったが、彼らの反応は意外なものだった。
─── 『そんな気はしてたぜ』
とはランヴァルドの言葉だ。
テレーズも実にあっさりとこの状況を受け入れている。
そして、姉さんの状態はもう少し複雑だ。
「イロリナには施術をしないのか……?」
ロジオンの不安気な声に、ローゼンは眼鏡の位置を直して、ゆっくりと諭すように説明する。
「イロリナ殿下は、かつてあなたと【共命法】で、魂と呪いを分け合っているです。
今はその呪いの持つ『術者が死ぬまで死ねない』状態の分、殿下はもう少し長くいられるです……」
そして、それが訪れた時、姉さんの存在はロジオンの魂へと、呪いの力で吸い寄せられるだろう。
同化や吸収では無く、スタルジャとアマーリエのように、魂が同居する形となると予想される。
「オレが死ぬまで、イロリナと魂が同居する形になるというのは分かった。
……もし、オレが死んだら、その後はイロリナはどうなる?」
「現世でやるべきことを終えた魂は、輪廻の理によって天へと戻るです。この強制力は強く、御三方全員その通りになるですね。魂が消失する危険性は、多分ないのです」
この話をしている間も、姉さん達は穏やかに話を聞いている。
どこかスッキリしたようにも見えるのは何故だろうか……?
むしろロジオンの表情の方がいたたまれず、そんな彼の腕に姉さんは微笑みを浮かべて寄り添った。
「イロリナは……ランヴァルドとテレーズは、死が怖くないのか? 三百年、時間停止していたとは言え、意識はあったんだろう?
…………理不尽だとは、思わないのか」
ロジオンの悲痛な呻きに、テレーズはニコリとして口を開いた。
「なんて言えばいいのか……。例えるなら瞑想をしている時、頭に浮かぶ雑念を受け流していくでしょ?
それをすごく長い時間、繰り返して来たと言ったら近いのかしら。
─── 自分の中の執着とか未練とか、そういうものが、もう片付いてしまっているのよ」
「…………!」
「生きていくって、色んなうねりに立ち向かって、寄り添っていくものでしょ? その分強くなったり疲れたりもするけどね。私たちはこれまでの人生で起こった事を材料に、三百年もの時間を与えられたわけだけど、最短距離で歩んで来たとも言えるわ。
……余計な問題が被さらずに、落ち着いて自分に向き合って来れたのよ」
ヒルデがその言葉に小さく息を呑んだ。
彼女が言っていた『不治の病に抗った王族』は、長い時間停止の後に処置を受けなかったと言っていた。
─── もう、満たされている
彼らの言葉の真意を、今テレーズが語ったのかも知れない。
姉さんとランヴァルドも深く
「人生に悔いはねえんだ、そのおかげでな。こうしてまた時間が動き出して、やりたい事は多少出来たけどよ、それはデザートみてえなもんだ」
「デザート?」
「普通なら自分がいつ死ぬかなんて分からねえ。死の間際に未練がねえとか、それはてめえの人生を生き切ったってなもんだろ? 生き切って、最後に一週間、自分で整理つけていけるなんざ、食後の楽しいデザートじゃねえか」
三百年、思考だけで生きるのはどんなものか、苦しみの中にあったアルファードの記憶からでは、それを理解する事が出来ないでいた。
体の訴える、様々な欲求から解放された静かな時間。
それはまず人が体験出来る事では無い。
俺も封印されていたわけだけど、取り戻した記憶の中では、ハンネスの呪いによる苦痛しか残されていない。
必死に生きる必要の無い時間は、安堵の中に適切な振り返りを生むのかも知れない。
自分の中に生まれる感情や、変え難い気持ちのほとんどは、問題とは直接関係のないものだ。
自分の中に形作られた、幼少期の誤学習やルール付けがそうさせるものだと言う。
心とは記憶が形作る、感じ方と反応の選択肢の集合でしかないと、そう今までの修練の積み重ねで理解はしているつもりだった。
しかし、頭では理解できても、その気持ちまで、完全に理解する事はできない ───
「そんなわけでよ、俺はここで終われるって事に悲観はねえんだ。心地良く、最後を飾れるってのは、アルやローゼン達がいてくれての事だ。感謝こそあれ、泣いて欲しいとも思わねえよ♪」
「………………分かったよ、兄さん」
残される俺達は、やっぱり納得はできない。
でも、本人達がそう思えているのなら、そこに口を挟むのは困らせるだけだろう。
と、ランヴァルドは鞄の中から何かを取り出した。
「俺はちょちょいで死ぬ。
─── って事で、これはもういいっぺ♪ 読み上げちゃうもんね☆」
「ちょ……っ⁉︎ ランヴァルド、あんたそれは⁉︎」
テレーズが唖然としている中、ランヴァルドは『へっへっへ』と笑いながら、その古ぼけた何冊かの手帳をひらひらとさせる。
「俺はただ、預かってた誰かの落し物を、人生の最後に確認するだけだもんね〜。
……もしかしたら、すっごい事が書かれてたりしてな〜?
─── おや、これはハンネス・オルフェダリアって人が置いてった手記かぁ〜♪」
「「「 ─── ⁉︎」」」
人の日記を嬉々として読み上げ始める鬼畜兄さんランヴァルド。
だが、その内容は俺達にとって重要なポイントがいくつも散りばめられていた。
※ ※ ※
─── 未だに僕は整理がついていない。
……そんな時は文章にしてみたらいいと、カルラが教えてくれたので、半生記みたいに書いてみようと思う
僕が生まれたのはアルザスの片田舎、ユステル領ゼンベルンの街、オルフェダリア子爵の三人息子の末っ子だ。
上の兄弟から大きく歳が離れて生まれた僕は、幼い頃から要領が悪くて、兄さん達からは冷たくされていた。
そんな僕でも母様は何でも許してくれて、すごく可愛がってくれたんだ。
父様は僕を目に入れないようにしてたかな。
幼い時の父様は怖かった。
怒鳴るとかは無くて、僕が何かやらかすと、不快そうに溜息をついて席を立つ。
父様の機嫌が損なわれると、兄様達も何故か不機嫌になるからね……。
父様の機嫌を損ねないように、僕は必死でちゃんとしようとしてたんだ。
母様はそんな僕でも、いつも猫撫声でハグしてくれていたっけ。
─── そんな両親が変わったのは、僕が父様と血が繋がっていないと、そう疑惑が上がった時だった
毎晩のように父様は、僕たち兄弟のいる前で、母様に詰問していた。
思えば父様はずっと前から調べさせていたんだろう、分厚い書類をめくりながら、冷たい口調で母様に質問を繰り返していたんだ。
幼かった僕は、その内容はさっぱりだったけど、これだけは理解できた。
─── 母様は
兄様達が僕をゴミのように扱うのが始まったのは、この時からだね。
母様はその日から部屋に篭りきりになって、ある朝死んでしまった。
どうして死んだのかは教えてもらっていない。
ある日、使用人達がバタバタと母さんの物をまとめて処分して、何も無かったように母様の全てが屋敷から消えちゃったんだ。
─── 『お前はオルフェダリアの子では無い。だが、今更無かった事には出来ん。
ひとりで暮らせる歳になれば出て行ってもらう、精々私達の顔に泥を塗ってくれるな』
父様はそれ以来、口を開く機会があれば、そう言っていたかな。
僕は外に出る事もなく、ほとんどを敷地内で過ごしていたけど、なんだかそうしていないと父様に迷惑を掛けてしまいそうだったから、それはそれで良かった。
兄様達ともほとんど顔を合わせなかったし、キビシイ事を言われたりするよりは、部屋で窓の外を眺めている方が楽しかったんだ。
あまり物はなかったから、遠くに見える色んな人を見ているのは飽きなかったなぁ。
でも、それも長続きしなかったんだ。
年齢が来たからって、僕は学校に通わされる事になってしまったんだよ。
『ある程度は出来なければ、我が家名に傷がつく』ってね。
僕が大人になってお家から出て行く時に、どこかで僕がオルフェダリア家の子だとバレたら、色々面倒だと思ったらしいよ。
……すごく、嫌だったなぁ。
学校へ行ったら、人とたくさん会ったり話すでしょ?
その時には『こう話せ』とか『こう答えろ』って、たくさん約束があるじゃない。
父様からそう教わって、僕にそんな事出来るのかなぁって、すっごく心配だったんだ。
だから僕は、学校では極力誰とも口を聞かないようにしていたよ。
先生に問題を解かされる時だけは、喋らなきゃならないから、勉強は必死にやってたな。
それにね、僕はずっとお部屋にいたから、みんなと比べてヒョロヒョロだったんだよね。
身長も低かったから、みんな歳上に見えて、みんなの中に居ると、大きな壁に囲まれたようでそれも嫌だったんだよ。
─── 『あなた、オルフェダリア子爵の子供でしょ?』
そんな生活を一変させたのは、そんな一言だった。
その子は教室でいつも皆んなに囲まれていて、明るくて元気で賢くて、僕には
「ちがうの?」
「えっと……えっと……。た、たた、多分」
「多分って、あなた胸張りなさいよね!
─── あたし、カルラ・オストランド。あなたの家に支えるオストランド家なの」
「えっと……あの……そ、そう……」
僕が返せた言葉といえばそれくらいだったかな。
オストランド家は、オルフェダリア家に代々支える男爵位の人達で『将来はあたしもあなたに支える事になるのかもね!』と言われた。
その頃には僕は家を出ているだろうから、そうはならないんじゃないかなって思ったんだけど、彼女はそれから毎日話しかけて来るようになったんだ。
自分に向けられる、痛くない言葉って、こんなにも心地いいんだなって、僕は自分が喋るよりも彼女が話すのを聞いてばかりいたよ。
それにね、何て事はない事で褒められるってのも初めてだったんだ。
髪が綺麗だとか、鞄がかっこいいだとか。
それは僕にとってはとても心地が良くて、彼女だけがくれる喜びだった。
カルラはその頃から僕にとって、幸運の女神様だったんだよ。
心がウキウキするだけじゃなくてね、彼女と話すようになってから、とってもいい事がおきたんだ♪
─── 流行病で、上の兄様が死んだんだよ!
二番目の兄様は、もう少しで結婚するって所だったらしいけど、高熱で目も見えなくなってね、それと不能者になっちゃった。
僕は何故だか病に掛からなくて元気だったから、父様は僕に興味を持つようになってくれたんだ!
─── もうお前しか居ない、お前がこの家を継がねばならんのだ
嬉しかったなぁ。
それからはね、父様ともご飯を食べて良くなって、学校でいい成績を取れば褒めてくれるようにもなったんだよ。
一番上の兄様は、もう結婚していたけど、子供が居なくてね。
いつまでも生まれないものだから、遠くの領地に行かされちゃった。
お嫁さんも僕に痛い言葉を向けて来る人だったから、すっかり無くなって嬉しかったよ
カルラとあってから、こんなにいい事たくさんだったんだ!
その彼女とも仲良くなって、僕は段々と他の人とも少しは居られるようになった。
……まあ、ウジウジしている僕を、カルラは叱ってばかりだったけどね。
でも、父様と同じで、彼女のいう通りにしていれば、いい事がたくさん起こるんだって気が付いたんだ。
その内、彼女のオストランド家とも顔を合わせるようになって、僕達は学校以外でも会うようになっていたよ。
「将来はあなたに仕えるんだから、あなたもしっかりしてよね♪」
彼女にそう言われると、しっかりした方がいいんだなって、怖い気持ちじゃなくてそう思えた。
そこだけは父様と違うかな。
これからもずっと彼女と居られると思うと、僕の目の前は急に明るくなったんだ。
でもね、カルラは十二歳になると、女の子だけの学校に行ってしまって、中々会えなくなっちゃったんだ……。
彼女と会える度に僕の心は明るく舞い上がったけれども、彼女とお別れすれば灰色。
そこからはまた、僕の世界は曇ってしまった。
─── 何よりの不幸は、二番目の兄様の不能が治ってしまった事
僕の代わりにお部屋にこもっていた兄様に、旅の回復術師がやって来て、何をやってもダメだった兄様の体を治しちゃったんだよ。
嫌だったなぁ……。
父様がまた、僕の事を要らないって、やり始めてしまったんだから。
兄様はずっと寝ていれば良かったのにね。
学校でいい成績を取っても、父様は何も言ってくれなくなってしまったんだ。
そんな暗い生活に戻ってしまった僕に、更に襲い掛かったのが、ある日突然やって来た王国からの話だった。
─── ハンネスは適合者の可能性あり
何の事だかさっぱり分からなかったけど、王都のグレアレス宮殿に僕を来させるようにって事だった。
父様は使者に、すぐその場で返事をしたんだ。
「お手間は取らせません、このままコレをお引き渡しいたします。荷物や必要な物があれば、仰って下さい、後ほどお送りいたしましょう」
僕は断るのも怖かったし、断る事すら出来なかったんだけど、そのままよく分からないうちに馬車に乗せられていた。
使者は馬車の中で『数日は待つつもりであったが、流石はオルフェダリア子爵、話が早くて助かった』と父様の事を褒めていた。
僕は父様が褒められたのだから、父様の顔に泥を塗らないようにしなきゃいけないよね。
使者に微笑み掛けて、その後はただずっと窓の覆いの隙間から見える景色を眺めていたっけ。
─── こうして僕は王宮に連れていかれ、そして大きな不幸を背負わされる事になったんだ
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