第七話 女神と適合者

 紅い瞳の少年は、頰を真っ赤にしながら、私と繋いだ手を見ている。

 その姿が可愛らしいのと、やっと人の姿になれたのが嬉しくて、感情が仕事し過ぎな私は思わず彼に抱きついていた。


「あ、ああ、ありがとう! ありがとありがと! 嬉しいっ嬉しいっ!」


「ええ⁉︎ あ、う、うん。ど、どういたしま……ええ?」


 さっきまでの物静かで妙な迫力はどこへ行ったのか、顔を真っ赤にして狼狽うろたえているのが、どうしようもなく嬉しい。

 それがなぜかと言えば、彼が今、私をひとりの人として認識して、接触することに心動かされているのが分かったからだと思う。


 抱き着いたまま、彼の表情をつぶさに観察してみる。

 私の右目を見たり、左目を見たり、唇の辺りを見たりして、わたわたしてるのが控え目に言ってクッソ可愛い……。


「あ、あの……ち、ちかいよぅ……」


「あっ、ご、ごめんなさいっ!」


 『照れ』か、これが『照れ』というヤツなのか⁉︎

 レアですぞーっ、これは良いものです!


 感情が仕事し過ぎてて、もう何がなんだか分からなくなって来ましたよコレ。

 と、なんだか頰がポカポカ、耳まで熱くなっていて、不思議な変化だなぁと思った。

 それは自分も『照れ』ているのだと知って、胸が苦しいような切ないような感覚に襲われて、でもそれが堪らなく心地よかった。


「 ─── ぼ、ボク、アルフォンス。

きみのなまえは……?」


「アルフォン……ス……かぁ。

え⁉︎ 私? 今、私の名前聞いた⁉︎」


「……あ、き、きいちゃダメだった⁉︎」


「ううん! うは〜♪ 私、ソフィアっていうの!」


 名乗り合う、たったこれだけのことが、孤独からスタートした私には嬉しくて仕方がなかった。


「えっと……ソフィアはどこからきたの?」


「はうっ! 名前呼んでくれた☆

え、えっとねーっ、ずっと向こうから!」


「むこう……。ボクもこのへん、きたばかりだからきいてもわからないや。

おとうさんとか、おかあさんは?」


「いない☆ アルフォンスは?」


「ボクは……とうさんがひとり。ほんとのおとうさんじゃないけど……」


 話せる! 本体以外の存在と話せる!  すごい、命ってすごいねーっ!


 テンションが振り切れている私は、彼からの質問に跳ね気味で答えては『近いよ』と困らせた。

 それがまた嬉しくて仕方がない!


 そうしてしばらく話をしていたら、また彼の空気が変わり始めた ─── 。


「……つまり、いくところが……ないんだね?」


「え? あ、うん。そういえば、どーしよう……」


 いきなりホームレスどころか、魔物として追われる生活だったから、これから先をどうするかなんて考えてる暇はなかったなぁ……。

 だんだんと状況を自覚して来て、軽く絶望していたら、彼は私の手を取った。


「なら……うちにきたらいい」


「え! い、いいの⁉︎」


「……たぶん」


 そう言って彼は私の手を引いて歩き始めた。

 道すがら彼に何度か話しかけたが、さっきまでとは違って無口で、やっぱり声に感情が含まれていないように感じた。


「で、でも……迷惑じゃない……かなぁ?」


 だいぶ冷静さを取り戻した私は、思わずそうつぶやいた。

 彼はピタっと足を止めて振り返ると、ペコリと頭を下げた。


「……さっきのおとしあな……ボクがつくったんだ。きみにケガをさせちゃった……から」


「え? あんなに大きな穴、アルフォンスひとりで掘ったの⁉︎」


「……うん。ごめん……しょくりょうちょーたつのため……だった」


「あ……。こっちこそごめんね、壊しちゃったね」


 『かまわない』と首を振り、再び歩き出した彼の後ろ姿は、やっぱりなんだか影があった。

 冷静になってみれば、彼から感じる魔力はどこか禍々しくて、明らかに隠蔽いんぺいされているのが分かる。



─── この子は……相当な力を持ってる



 ふと不安になりつつも、彼からは全く悪意がないどころか、何かの確信に沿って行動しているような確固とした雰囲気があった。

 私にどうこうしようとする気は全くないらしい。


 ひとまずは、彼を信頼してみようと、手を引かれたまま歩いた。


「ここ。……ボクと、とうさんの、おうち」


 石を積み上げた小屋は、少しひしゃげていて、屋根近くにはシダが生えたりしていた。

 窓枠やドアは新しく作ったのか、真新しい木材で出来ている。


 質素なようで、よく見たらドアとか鎧戸には、エルフたちの好む呪いの彫物がされていて、ちょっとお洒落にも見えた。


「 ─── ただいま、とうさん」


「お……おじゃま……します」


 小屋の中は小さなかまどと、水場。

 一段高くなった中二階にベッドがふたつと、小さなテーブルセットがあるだけ。

 そのベッドのひとつには、大きな曲刀が立て掛けられていて、白髭の老人が横になっていた。


 長い白髪をオールバックにした、骨太で大きな体の老人は、少し白濁りした緑の瞳を薄っすらと見せてこちらに微笑んだ。


「おお、アルや……おかえりなのである。

─── およ? そのお嬢さんは……?」


「このこは……ソフィア。わなにおちてた。いくところがないんだって」


「は、初めまして……ソフィアです。

急に来て……ご、ごめんなさい……」


 大きな体、そして長い耳。

 隠蔽はされてるけど、大きな魔力を感じる。

 エルフ……いや、多分ハイエルフなんだこの人。


「ふむ。吾輩はイングヴェイ・ゴールマイン。このアルフォンスの養父なのである。

アルはどうにも言葉足らずなのである。

─── ソフィアちゃんであったか……?

行く所が無いとは、一体どうしたであるか……」


「あ、あの……私には家族がいないんです。森を迷っていたら、魔物に襲われて……。

落とし穴に落ちてたところを、アルフォンスくんに助けてもらいました」


「……ふむ。アルが連れてくるくらいなのであるから、問題は無いのである。

─── ソフィアちゃんや、好きなだけここに居なさい」


 そう言ってニコリと笑うイングヴェイさんはとても優しそうで、ここに居ても良いと言われた途端に、私の中に張っていた不安が一気にほぐれた。

 ポロポロと落ちる涙に、アルフォンスはハンカチを貸してくれた。


「ふむ、アルや。女の子を落として傷物にした責任は取らねばなるまい。大切にしてやるのである」


「わかった」


「寝具は……すまんのう、今吾輩は体の具合が優れず、すぐには用意してやれないのである」


「え! あ、いや、私は屋根さえあれば……」


「ボクとねれば……いい」


「「 ─── !」」


 アルフォンスの言葉にドキッとした。

 何故かイングヴェイさんまで目を見開いてる。


「アルや……まだ早過ぎであるぞ?」


「……なにが?」


「え?」


「え?」


 よく分からない沈黙がふたりに流れた。

 もしかして、アルフォンスの闇の深そうなのは、この人に育てられたからじゃ……?


「いや、よく考えたら、考え過ぎだったのである。老人の心配性ゆえ、許せ。

……吾輩はもう少し寝ているである、ソフィアちゃんに色々と教えてあげると良い」


「わかった」


「ソフィアちゃんや、見ての通りここに大人は吾輩のような老人しかおらぬ故、色々と細かく面倒は見てやれぬであろうが……安心するのである」


「ありがとう……ございます……ぐすっ」


 イングヴェイさんは微笑んで、私の頭を撫でてくれた。

 大きな手はゴツゴツしてて、でもすごく温かく感じられた。



─── その日から、私達は三人で暮らすこととなった



 アルくんは初めて会った時のように、時々雰囲気がガラッと変わることがある。

 急に年相応のキラキラした感じになって、そういう時はたくさんお話ししてくれたり、遊んでくれたりする。

 普段の大人しいアルくんは物静かで、ちょっと何を考えているのか分からない所があるけど、小さいのに狩りとか草花に詳しくて大人びていた。


 ……大人アルくんには隠されてはいるけど、膨大な魔力と魔術の知識があるみたい。

 でも、キラキラアルくんにはそれが全くと言っていい程に存在せず、魔物どころか暗闇にも怯えるただの子供みたいだった。

 まるで別人、そんなふたつの人格が彼の中に存在している。


 そんなある日のこと、イングヴェイさんはアルくんがいない時に、私に手招きした。



「ソフィちゃんや……ちょっといいであるか」


「はい、どうしました?」


「アルフォンスの事なのであるが……」


 ある日、イングヴェイさんからアルくんについて相談を持ちかけられた。

 どうやら彼もアルくんの変化が気になっていたらしい。


「実は……ソフィちゃんが来る少し前から、ああしてアルは急に人が変わる時が始まったのである。それが最近、少しずつではあるが、年相応のアルの時間が増えて来ているのである」


 そう、明るいアルくんの時間は、少しずつだけど伸びているし、頻度も上がって来ていた。

 時折、その切り替わる前後の記憶がなかったりして、少し心配だった。


「ソフィちゃんはその……どこぞの守護神であるか?」


「 ─── ! 分かっていたんですか……」


「……気づいていないと思っていたとは、むしろこっちがビックリで……なんでもないのである」


「…………」


「……この周辺には吾輩の結界が貼られているのである。普通なら隠蔽されて、ここには辿り着けぬし、無理に入ろうとすれば弾き飛ばされるであるよ。

……企業秘密ではあるが、そうして強力ではあるが、神聖の高い存在にはザルなのである。

─── 特に守護神クラスの神格を持つレベルの存在には」


「……隠していて……ごめんなさい。

わ、私は ─── 」


 イングヴェイさんは正体を告げようとした私に、手の平を向けて制すると、ニコリと笑った。


「あー、疑ってるとか、そういう事ではないのであるよ。

いつものアルであれば、不思議な力で正解の行動しから取らないのであるが……。どうにももうひとりのアルは年相応にやんちゃなのであるからなぁ……

悪しきものなら、ここにはおられぬ。…………むしろ

─── もし、アルを守ってやれそうであれば、どうかお願いしたいのである」


「は、はい! それならお安い御用です!」


 怖かった。

 流石はハイエルフ、私の正体に多分本当は気がついてるはず。

 でも、分かっていないフリをしてくれている。

 それでも、私に彼をお願いするという事は、本当にアルくんが大事なのだと思った。


「あの子が背負わされた運命は、ちと重過ぎるであるよ。変わってやれるものならそうしたいであるが、そうもいかず……。

せめて子供らしくのびのびと育って欲しかったのであるが、吾輩は家庭向けな性格では無い故、どうにも明るくしてやれずに悩んでいたのである」


「……アルくん、時々すごく悲しそうにしてます……よね。一体、何があったんですか?」


「ふむ、それは後々本人から聞くのが良いのである」


「…………そうです……ね」


 聞かせてもらえるのだろうか。

 どこまで私に心を開いてくれているのか、ちょっと分からない。

 うつむいていたら、イングヴェイさんは頭をそっと撫でてくれた。


「ソフィちゃんが来てから、あれでも大分明るくなったであるよ」


「……え? キラキラアルくんの時しか、笑ってるの見たことない……ですよ?」


「何言ってるであるか。長く見て来た吾輩からすれば、大爆笑レベルの時が何度かあったであるよ? 表向き無表情であるが」


 マジか……。

 全ッ然、分からなかったけど……。


「だから、最近見る年相応の姿に吾輩、実は安心してるのである。

これもソフィちゃんが来てくれたおかげなのであるよ」


「そんな……私なんて」


「今、我々は訳あって、旅の途中なのである。吾輩が耄碌もうろくしておるが故に、ここに仮の暮らしをしているのであるが……。もう少しすれば、再び旅に戻るであろう」


「…………」


「その時は……どうであるか。ソフィちゃんが良ければ一緒に居てやって欲しいのである」


「 ─── ! も、もちろん! わ、私からお願いしたいくらいです……」


 もう孤独はイヤ……。

 ううん、私を人にしてくれたアルくんから離れることを思うと、胸がちくんと痛んだ。


 ……あ、もしかして私……。

 もうとっくに彼のことを認めていたんじゃないだろうか?


 彼こそが私の ───


 この会話がきっかけで、私は彼により気持ちを向けるようになった。

 その頃からアルくんは、よりキラキラアルくんの時間が増えて、大人アルくんの時の事をすっかり忘れてしまうようになって行った。

 私の意思は……とっくに彼を、を選んでいた。



─── でも、それが悲劇を呼んでしまった



 私が彼を選んだことによって、契約の力は確実に彼の運命を強めていた。

 キラキラアルくんの時間が、いつものアルくんと逆転して来た辺りから、彼はほとんどの記憶を失ってしまった……。


 そして、ある日私は覚悟を決めた。


 このままでは、彼を苦しめてしまう。

 なら、いっそここを離れるか、彼を適合者として決定してしまうか。

 ……でも、大きな運命をすでに背負ってるという彼に、そんな人界の調律を背負わせるなんて。


 だから私は身を引くことに決めた。

 そうして、ある日の夜、私はふたりが寝静まったのを見計らって、小屋を離れた。


「 ─── ごめんなさい。そして……ありがとうアルくん、イングヴェイさん……。

こんな形で別れるのは辛いけど、アルくんが苦しむ方が辛いから……」


 小屋に頭を下げて、私は歩き出す。

 涙が止まらなかった。


 私は失敗した。

 私は私の担当すべき適合者と繋がりが持てなかったのだから。


 つまりは、私の生は無駄に終わる。

 使命は果たせなかった ─── 。

 でも、彼に調律者の運命を背負わせないようにするには、私が離れれば済むことだと、そう自分に何度も言い聞かせて歩く。


 そうして、イングヴェイさんの結界まで来た時だった。



─── どこからか視線を感じる



 辺りを見回しても、そこにあるのは上から照らす細い月の光と、暗い樹々の影ばかり。

 嫌な空気が充満している森に、私は思わず足を止めた。

 時折吹く風が、枝葉を揺らすザワザワした音を起こして、その嫌な感じを助長する。


 その時、私の耳は確かにそれを聞いた。



『 ─── ……』



 近くにいる気配じゃない。

 これは何処からか遠隔で見ている呪術の類い。

 その声が聞こえた途端に、辺りには汚れたマナと血生臭い臭気が立ち込めた。


─── ガンッ ガガンッ ガンッ‼︎


 突如、結界の外に灰色の軍勢が現れて、武器や拳で結界を叩き始めた。

 彼らの姿は総じて色が無く、服装も性別も人種もバラバラ。

 ただ、異様な魔力と殺気が立ち込め、魔物や魔獣の類いなどではない、より危険な存在だと言うことだけは分かった。


 彼らは結界に攻撃する度に、強烈な斬撃で反撃され、背後に吹き飛んでいる。

 でも、すぐに回復して立ち上がり、波状攻撃を繰り返していた ─── 。


「……な、何て再生能力なの……!

この結界もとんでもないけど、このままじゃいくらも持たな ─── 」



─── パリィィ……ンッ!



 森に青白い光の破片が舞い散って、イングヴェイの結界が破られた。

 構える私を無視して、彼らは小屋の方へと歩き出す。


「……狙いはアルくんたちですか⁉︎

─── 私が止めますッ‼︎」


 この世に転生してから、まだわずかな神気しか溜まっていない。

 それでも私は神気を練り、奇跡を願う。


─── カカッ カッ


 『切り裂く』神威が数体を両断して吹き飛ばす。


 私の祈りは、目に入る範囲全ての敵を刻むはずだったのに……。

 今の私にはこの程度しか力が無いのかと、絶望する。

 それを嘲笑うかのように、彼らはこちらを一斉に向いて、倒れた数体も再生して起き上がった。

 けがれた血のような臭いが、私を取り巻いて吐気を催す。


「 ─── 無力を嘆いてばかりもいられませんね……!」


 突き出した手に、刃を求める。

 でも現れたのは杖 ─── !


「ちっくしょーッ! どこまでポンコツなんですか私はッ‼︎」


 それでもまだ、何も無いよりはマシ。

 肉体強化を最大限に引き出して、押し寄せる異形の者たちを殴りつけた。

 そうして間合いが開けば神威で切り裂く。


 でも、徐々に押され始め、森を埋め尽くす灰色の影に絶望感が湧いて来た。


─── でも、トロルとして逃げ回ってた頃の絶望に比べれば、なんと心地良いことか


 『たすけたいひとがいたら、きっとすくいたくなる』……彼の言う通りだった。

 未だに人界を救うことには、情熱がこれっぽっちも湧いてませんが、あのふたりを守って散るのなら!

 湧き上がる感情は、私の中に残るわずかな神気を膨らませ始めていた。



─── ザン……ッ‼︎



 その刹那、私をすり抜けて、横一文字の巨大な斬撃が、灰色の者達を森の樹々ごと両断した。


「ソフィちゃん、退がるのである!

吾輩、少しばかり剣には自信があるのである……」


「イングヴェイ……さん⁉︎

…………え? アルくんまで⁉︎」


 大きな曲刀を肩に担ぎ、大きな体をもっと大きく見せてイングヴェイさんが立っていた。

 その後ろには紅い瞳を光らせたアルくんの姿。


─── ザザンッ! ザザザンッ‼︎


 再び再生して起き上がった灰色の者たちの頭部が斬撃に斬り飛ばされ、地面に崩れ落ちた。


「狙うは頭なのである! 額の奥を破壊すれば此奴ら『色無き者達』は死滅するであるよ」


 イングヴェイさんが叫んだ直後、石の刃が無数に飛び立って、複数の異形の眉間に突き刺さる。

 それも飛び切り精度が高く、高度な術式。


─── アルくんの無詠唱魔術だった


 『かいふくまじゅつは、はじめて……だから。ボク、うまくない』そう言っていた彼の言葉は本当だった……。

 見様見真似で使ってくれた回復魔術より、遥かに強力な魔力を込めた、大魔導師クラスの攻撃魔術。


「 ─── くっ、数が多いであるな!

深追いは命取りなのである、引きながら削り、頃合いをみて撤退するのである」


 ザックリと斬り落とされた森の奥は、ずっと向こうまで灰色の軍勢が埋め尽くしていた。

 確かにこれは無理……。


 私の神気が高まったとは言え、威力も低いし、数も撃てそうにない。

 イングヴェイさんは病床に居ただけあって、殲滅力は凄いけど、長くは続きそうにない。

 アルくんの魔術もスゴイけど、相手が悪過ぎて、殲滅力は私と同じくらい……。


 三人で交互に攻撃して、彼らを削りに掛かるも、その数は増える一方だった。


「ソフィちゃん、潮時なのである。

撤退を ─── ゴホッゴホゴホ……ッ」


「とうさん……!」


 イングヴェイさんが激しく咳き込み、押さえた手の間から血を滴らせる。

 アルくんが横目でチラリと彼を確かめた時、一体の異形が死角からイングヴェイさんに斬り掛かった!


「あぶない ─── !」


 小さな結界を盾代わりに作って、イングヴェイさんの前に飛び出すと、その灰色の刃を受け止める。

 激しい衝撃音が上がって、なんとか攻撃は防げた。

 剣を両手で振り上げたまま後ろにフラつくそれに、神威を浴びせて頭を両断した。


─── クラ……ッ


 直後、激しい目眩めまいが襲い掛かり、私の視界は暗転しかけた。

 神気の枯渇、魔力切れ、情けなくも私はすでに限界を迎えようとしていたのだ。


 その時、アルくんの叫ぶ声が聞こえた。


「あぶないソフィ!」


 いつの間にか私に迫っていた、もう一体の振り下ろしたメイスに、アルくんが飛び込んで盾になった ─── !


「うう……っ、ソフィ……だい……じょうぶ……?」


「うそ……っ! イヤ! アルくん⁉︎」


 この感じ、大人アルくんじゃない。

 ただの子供のキラキラアルくんが、何も分からないまま、身を呈して私を守ってくれた……!?


「クッ、年は取りたく無いものであるな!」


─── ザンッ‼︎


 立ち直ったイングヴェイさんは、巨大な斬撃で薙ぎ払い、敵の足を止めた後、アルくんを背負い、私を脇に抱えると言霊を綴った。


「 ─── 【召喚サモン八脚の神馬イシュレイ】」


 言い終わると共に、私たちの足元が光り、地面から大きな白馬が現れる。

 そのまま白馬は私たちを乗せて、樹々の間を縫うようにして、風よりも速く駆け抜けた。


 灰色の影たちは足だけは遅く、全く追い付かせずに振り切ったみたい。

 八脚の白馬は一晩中走り、朝焼けの中、私たちは森から遠く離れたどこかの街道まで辿り着いた。



「 ─── アルは眠ったであるか。

ソフィちゃん、世話を掛けてしまったのである」


 白馬の上で回復の奇跡を終えると、アルくんはすうすうと寝息を立てていた。


「こちらこそ……ありがとうございました。あの時、イングヴェイさんが来てくれなかったら、危なかった……」


 正直に言って、あと数分遅ければ、私は死んでいたかも知れない。


「ソフィちゃんは強いであるなぁ、結界の危機が察知出来ても、体が言う事を聞かずに遅れてしまったであるが……。よくぞ彼らを抑えてくれたである」


 イングヴェイさんは、私が出ていこうとしていたとは、気がついていなかった。

 それが胸をチクリとさせる。


「……あの灰色の存在はなんなんですか?」


「アルが目覚めたのは二年ほど前、それまで彼は封印されていたのである。

彼奴らはその頃から現れ始めた、邪悪とも神聖ともつかぬ、心無き者ども。過去に中央の小国に現れた事もあったようである。ギルドの調書には『色無き者達』と ─── 」


「邪悪でも……神聖でもない……?」


 神威を放った時、イヤに効果が鈍っていた感覚があった。

 それは自分の力が弱いからだと思っていたけど、そう言われてみれば納得できる。


「アレは、アルフォンスを狙っているのである。

あの忘れ去られた小屋に辿り着くまで、何度も襲われたであるが、彼奴らは夜にしか現れぬ。

おそらく呪術の類いであろうが、制御に相当な負担があるのであろう。呪術は夜の気に力を発揮しやすいものなのである」


 二年間、毎晩のように戦い、イングヴェイさんはとうとう体を壊してしまった……。

 あの土地のマナを活かして、強力な結界を張り、療養中だったという。


「あの結界は神聖は素通りするが、邪悪は弾く仕組みであった。

……アルフォンスの身体から溢れ出す、禍々しい魔力を消すために。彼奴らはそれを目印に送られていたようであるからな」


「アルくんの……魔力」


 しばらく一緒にいて分かったのは、彼には様々な隠蔽の術式がかけられていた。

 イングヴェイさんのものだろうけど、彼の膨大な魔力は隠され、意識を集中しなければ分からないほどだった。

 彼から滲み出る、禍々しい魔力の気配が何なのか、まだ何も聞いてはいないけど……。

 それも今日一緒に闘って、大体の目星はついている。


「アルフォンスの意識が変わる時、神聖な魔力を発するようになっておった。隠蔽はしていたであるが……その変化で特定されてしまったようである」


「…………! それは……私が……!」


「アルの事を大事に思って、心を近づけてくれたのであろう? 自然に湧いた心は、運命の導き。後々それが正解だったと判る類いのものなのである。

……ソフィちゃんや、これは遅かれ早かれの問題だったのである。アルの存在はいつまでも隠し通せるものではないのであるからな。

─── この旅も、それらを隠せそうな場所、とある里を目指しての旅なのであるよ」


「…………」


 私のせい、それでもイングヴェイさんはそれを『運命』だと言ってくれた。

 神々も手を出せない運命のシステムは、時に人を翻弄しながら、人に大きな発展をもたらす。

 結局、天界に出来ることは、地上を運命のうねりから整える程度なのだと、今更ながら実感する。


「アルは……己の運命に最適な解を知る能力があるのであるよ……。

今、アルはその答えに従っているのであろう。自分をふたつに分け、禍々しさを封じ込めようとしておる。

─── 負の感情も記憶も。が前に進めるように」


 彼に感じていたのは、膨大な量の悲しみと怨み。

 キラキラアルくんの時は、それを全く感じさせなかった。

 彼が成そうとしているのは何なのか、彼が何者かが分かれば、それも支えてあげられるかも知れない。


 ……でも、やっぱりそれは本人の口から聞かなきゃいけないのだろうと、そう思う。


「あの『色無き者達』が何らかの呪術なのだとしたら……その術者とは……?

彼を狙っているのは何者ですか」


「分からぬ。これだけの強力な呪力を扱える者など、このマールダーに数えられる程にしか居らぬであろうな。いや、随一やも知れぬ……。

そのような相手であれば、すぐに特定できそうなものであるが、どう探知しようとしても見つからぬのである」


 イングヴェイさんの呪術や魔術は、神々の奇跡に近いほどに完成されている。

 その彼が術式から逆探知をかけても分からないとするとなれば、その強力な力を隠せるほどの驚異的な存在 ─── 。


 なぜ、私は感情を与えられたのか、最初は疑問ばかりだったけど、今なら少しわかる。

 強い感情は確かに神気を強めた。


 それほどまでに変化が必要で、今までの化身では太刀打ち出来ない何かが、私の使命の相手なのかと背筋に冷たいものが走った。


 私の果たすべき使命は、その答えを与えられてはいない。

 『天界は地上に触れず』の掟は恐ろしくもあるけれど、人々もまたそうして、先の見えない使命に沿って生きているのだと思った。



─── この日以来、毎夜『色無き者達』の襲撃は続いた



 そして、物静かで強いアルくんが現れた後は、キラキラアルくんの記憶が無くなってしまうようになっていた。

 その記憶は私と出逢う前の、最初の記憶しか持ち合わせてはいない。

 毎回、私を見て戸惑った後に、自己紹介からやり直しになる……。


 イングヴェイさんはそれを、大人アルくんの術が完成する前の、不安定な状態だろうと言った。

 『自然に任せよ』と、彼の記憶が消える度に、長年の戦友を送るような、そんな寂しそうな顔で……。


─── そしてあの日、私たちの元に今までで最大規模の『色無き者達』の軍勢が送り込まれた


 多少強まった私の神気で、イングヴェイさんの体調は大分取り戻していたけれど、一定以上には回復はしなかった。

 彼の体に刻まれた、黒い根のようなアザは、彼ら神聖の者たちの寿命なのだという。

 それでも、イングヴェイさんの剣は輝きを取り戻し、成長を続ける大人アルくんと、力を取り戻しつつある私とで何とか長い夜を切り抜けられた。


「とうさんは……?」


「イングヴェイさんなら、今結界を張りに周囲を当たってますよ。

お疲れ様でしたアルくん、また強くなりましたね♪」


 彼には努めて明るく話すように、最近はそうしている。

 少しでも彼に心地良い時間を得て欲しいから。


 彼は眠そうな顔で『そう』と呟いた後、すぅと息を深く吸って話し始めた。

 その喋り方は、今までの無感情のままである事には変わらないけれど、たどたどしさは微塵もなかった。


「ボクは……。魔王の継承候補者なんだ」


「……はい」


「魔界の存亡……人界の存亡のためでもあるけど、ボクは今までで最高の魔王にならなくちゃいけない ─── 」


「……はい」


「でも……それにはボクは長く負の感情に触れ過ぎてしまった。

『魔王の意思』……ボクに与えられた天啓は、ボクにやり直しを求めてる」


 『魔王の意思』

 イングヴェイさんの言っていた、彼の能力だろう。

 それは魔王としての運命に繋がる、完全なる答えが閃くものなのだという。

 一見脈略のないその答えは、振り返ればそうでしかなかったと判る、予知にも似た能力なのだそうだ。



「ソフィア……ううん、君は……

─── 調律神オルネアの化身……だね?」



 ザアッと風が吹いた。

 相変わらず感情の読めない彼のその言葉に、私は半ば呆然としつつもうなずいた。



「はい」



 彼に結び付き始めていた守護契約は、私の返答に越権行為の罰はもたらさなかった。

 もう、彼との運命は始まっていたのだと実感してしまう。


「ボクは君が現れ、そして選ぶのだと教えられた。だからボクはボクを封じ、負の感情にけがされていない部分をにしようと思った」


「…………」


「それは正解だったと、今の段階でも分かる。君と過ごす時間に、アルフォンスの心は輝き、ボクの中の負の感情を清めつつあるのだから」


 それはこの魔王の子であるアルくん消失を意味しているというのに、私には彼の役に立てたという喜びが不謹慎にも首をもたげてしまった。


「ボクはその時が来るまで、彼の中で負の感情を処理し続けると決めた。その時には彼に全てを託して、彼と同化するつもりでいる」


「……それは消えてしまう……ということですか……?」


「そうじゃない。ボクは彼の過去の一部になるだけ……消える事は無い」


 自我として失われることは、消失ではないのだろうか?

 それよりも彼は魔王としての使命を果たすことに、全てを懸けている。

 ……そんな意思を感じていた。


「ソフィア。もし人界の調律を願うのなら、ボクは彼を推奨する。

彼はボクの理想、彼はきっと人々を愛し、全てを救おうとするだろう。

─── 負の感情に邪魔されて、前に進めないボクとは違う……から」


「…………」


 彼は言葉を失ってしまった私に、ニコリと微笑んだ。

 寂しそうで辛そうで、影のあるその笑顔は、いたたまれないほどに美しかった ─── 。


「君の選択は正しいものとなる。それはボクにとっても大きな支えになるんだ。

どうかもうひとりのボクを頼む ─── 」


 そう言って彼は手を差し出した。

 初めてあったあの時のように……。


 このままでは彼は消える。

 ううん、彼はここで自分を変えることを望んでいる。


 彼は私との運命を望んだ。

 それは歓喜の炎を灯すけれど、同時に彼のことを思えば悲しみももたらす。

 その手を取るのを逡巡した時、突如として彼の纏う空気が変化した ─── 。


 キョトンとした目で私を見つめ、頰を急に赤らめると、差し出していた自分の手の平を確かめるように見てから口を開いた……


「わっ、か、かわい……ゲフンっ!

あ、あの……はじめまして。ボク、アルフォンスっていうの」


 記憶のリセットされたキラキラアルくんは、そう言って恥ずかしそうに、戻しかけた手を差し出す。


「……はじめまして、アルくん。

私の名前はソフィア ─── 」



─── 私はもう迷わなかった。

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