第五話 ラウロールの誓い

 ホドール奪還作戦から一夜明け、ヴァレリーは寝惚け眼で共同の洗面所へと姿を現した。


 ピンクの寝巻きに、きのこの柄の三角帽子。


 彼と同じくルミエラ宮殿に暮らす、独身男性の高位聖職者達からは、寝室に入り込んだ夜のカナブンを見るような眼で見られる、奇抜な格好である。


─── 奇人『たんぽぽ侯』


 しかし、彼がその格好をしているのにはワケがある。


 ピンクの寝巻きは、ヴァレリーを女性と勘違いした老婆が仕立てた、フリルとリボンがふんだんにあしらわれた贈り物。

 きのこの三角帽子は、彼の趣味であるきのこ観察に感銘を受けた、農夫の末娘の力作であった。

 どれも彼を慕う信者の、心のこもった贈り物であり、彼の宝物である。


─── ただ、突っ込むに突っ込めず、聞く事もはばかられた同僚達は、その真実を知らずに彼のセンスを疑うのみであった


 『のふぁようごじゃいま〜す』と、溶け切った挨拶と共に現れた彼を見て、ギョッとした他の利用者達は、彼の立つ入口から離れ、洗面所の奥に固まって集まった。


「 ─── ?」


 流石に寝惚けていても、彼らの動きにギョッとしたヴァレリーは、キョトンとした眼で彼らを見渡していた。


─── パチパチパチパチパチパチ……ッ‼︎


 突如、全員が揃って拍手喝采。

 中には顔を洗っている最中だったにも関わらず、寝巻きの胸元をビタビタにしながら。

 また、歯ブラシをくわえて、口元をビタビタにしながら。

 満面の笑みで、身なりもそっちのけで、皆一同が拍手をしていた ─── 。


「ヴァレリー枢機卿! 昨晩はお見事でした!」


「まさか帝国軍の提示する戦力の百分の一で、あの黒舌の群れを……最ッ高ですッ!」


「帝国に我々教団の素晴らしさをお示し下さり、心から感謝申し上げますッ‼︎」


 ヴァレリーはふんふんと聞いて、ようやく皆の言っている事を理解したのか、いつも通りの朗らかに過ぎる笑顔を見せた。


「 ─── ありがとございます、皆様。

しかし、ホドールの人々は助けられませんでした。彼らがラミリア様の元に辿り着けますよう、お祈りしましょう。

……これからも頑張りますので、どうぞよろしくお願いしますね〜」


「「「おお……っ‼︎」」」


 頭を下げるヴァレリーに、全員が慌てて深々と礼を取る。

 一夜明け、手の平返しと言うには余りにもな、周囲の変化の幕開けであった。


─── その更に翌日の午後、ヴァレリーの正式な枢機卿就任は、協議会の全会一致で決定がなされた


 ホドール奪還作戦は、瞬く間にアルザス中に広がり、その鮮やか過ぎる手腕に人々の話題は沸騰した。


 ヴァレリーは私室と併用の執務室から一歩も出ず、市井の漁師や農夫、地質学者や猟師から情報を集めた。

 魔物化の情報と、ホドールの奪還作戦を耳にした時から、彼はすぐに地図とにらめっこを始め、それら『専門家』の招集をかけたのだ。

 そして窪地の地質や、ホドール北部の川の状態、水量を計算して、この作戦を思い至った。


 漁師からは川の水位を、農夫からは堤防の工作と水路の知恵を、地質学者からは窪地の地盤の知識を、猟師からは魔物や大型動物の行動予測を聞き出した。

 農夫三百人は、川付近に住む地域の者達で、主に堤防の工作と、水の経路の調整をさせた。

 元々、川の氾濫や治水が都市計画に盛り込まれていたため、特に大きな調整は必要が無かったという。


─── ただ指示された通りに堤防を壊し、指示された通りに土嚢で埋めただけである


 軍人達に『素人』と言わしめた夜戦の決行を設定したのは、満月とは少しずれていたが、川の水位が読みやすく、窪地に引く水の容積計算がしやすかった事。

 凍結魔術の氷は早々には溶けないものの、日中の気温上昇で、氷の強度が下がるのを危惧しての事だった。


 歴史に残る大勝利でありながら、その実、ヴァレリーの実務は、人々の話を聞いた以外は、水の容積計算のためにである。


─── そうして、彼の評判が街の何処からでも聞こえるようになった頃


 教団は大々的なヴァレリーの枢機卿就任式と、戦勝式典を執り行う事となった




 ※ ※ ※




─── ルミエラ市国、ルミエラ宮殿近く。

聖ラウロール広場


 教皇ヴィゴールから、百合の刺繍ししゅうの入った赤い角帽を授けられ、ヴァレリーは『枢機卿拝任』の祈りを捧げる。

 白いローブの上に、赤い法衣を羽織ったヴァレリーは、その白金の髪と法衣の裾をひるがえして、観衆に深々と頭を下げた。


 地を揺るがさんばかりの喝采、しばらくそうさせて人々を見回した教皇は、片腕を掲げてピタリと静まらせた。

 人々の視線はヴァレリーに殺到する。


「お集まりいただいた皆様。私の敬愛するラミリア様を愛し、家族を愛する我が友人達よ。

本日、私ヴァレリー・ジェンシャンは、かしこくも皆様からの信任を頂戴し、枢機卿の位階を拝命いたしました。

─── この白百合を戴く赤き角帽、法衣に誓って、この身が土に還るその日まで、登る朝日の炎の糧となるまで、信仰に生き、信仰を支える事をここに誓います」


 そのヴァレリーの少し離れた場所に、彼の警護と補佐役として、女騎士は極光聖騎士団の白銀の甲冑に、純白の羽織姿で立っていた。


 ヴァレリーも女騎士も、そのを知らぬ者からすれば、美形である。

 観衆から見れば、広く信仰を広げ、アルザスを魔物化から救った、若く美しい枢機卿の誕生。

 そして、そのヴァレリーを支える、世間の評判の的、極光聖騎士団の若き師団長、可憐で美しい女騎士ラブリン。

 人々は、そのふたりの佇む光景に、教会に掲げられた宗教絵画の如きまぶしさを感じてすらいた。


─── 人々は英雄譚えいゆうたんの始まりを予感した


 いつまでも続く歓声に、ややはにかんだ笑顔を見せたヴァレリーが脇に外れると、教皇ヴィゴールは壇上に立ち、広場の人々をゆっくりと見渡す。


「皆さん。本日、我らがエル・ラト教に、新しき信仰の光、ヴァレリー枢機卿が誕生いたしました。

この若者との、出逢いの運命に感謝するばかりです。

今日は良き日、心晴れ晴れとした日です。

─── しかしながら、昨今、世界を震撼させた『魔物化』に、私は心を痛めております」


 教皇の言葉に、誰もが沈痛な表情になり、中には祈りを捧げる者の姿もある。


「 ─── 『魔物化』が何であるか、アルザス帝国の研究者達と、我がエル・ラト教はその原因を追い求め、ひとつの答えに辿り着いたのです」


 広場は遠くの小鳥のさえずりさえ聞こえる程に静まり、教皇の言葉の続きを渇望していた。


「かの悪しき『魔物化現象』が起きたのは、そのどれもがエル・ラト教の教えに背き、異教の考えに沿って歩もうとしている背教の者達。

……哀しくも、ラミリア様に心からの祈りを捧げられぬ者達が、狙われていたのです」



─── 異教徒、背教者



 それらは宗教裁判で口にされる事はあっても、こうした公の式典で、教皇の口から語られた事は無い。

 その言葉が用いられた事実もさる事ながら、人々は教皇の発した『狙われている』の言葉に激しく動揺を見せた。

 教皇はその様子を、哀しげな顔でしばらく見回し、小さくうなずくと言葉を続ける ───


「人々の『魔物化現象』は、ただ魔物となる、突発的な現象ではありません。

─── あれは『魔族』! 三百年の沈黙を破り、勇者に跳ね除けられた魔界の者達が、その弱き心の人々を媒体とし、憑依したもの!

彼らは未だ、この人界にその目を向けていた!」


 激しいどよめき、大気を揺らす人々の息を飲む音の重なり。

 人々の動揺は、広場全体を揺さぶっているかのようだった。


「しかし、心配には及びません。

我々には誇り高きアルザス帝国の盾と、このエル・ラト教の剣、極光聖騎士団がいるのです!

─── そして、何より我々、か弱く、正しき者を守るのは、ラミリア様に捧げる信仰とその御加護なのです!

今日、新たに枢機卿として、更なる信仰の道を歩み出したヴァレリー枢機卿は、ラミリア様への信仰と人々への愛で奇跡を起こしました。

絶望的と思われたホドールを、魔族の手から救ったのです ─── !」


 人々の恐怖、不安、憤りが、瞬間的に熱狂へと昇華する。

 集団ヒステリーとは、その多くが与えられたストレスから逃げる為に、偏った方向へ人々の心理が偏る事で生まれるもの。

 今、教皇の演説に、人々の心は信仰への恭順へと一気に流れ出した。


「そして、この度のホドールの奇跡。

それに感銘を受け、信仰の正しさに襟を正したのは私だけではありません。

……さあ、この方の声に耳を傾けましょう。

我らが信徒の最も信頼すべき友人。

─── ハーリア・クラウス・アスティローズ

アルザス帝国その方です」


 そのゲストの登場を、誰もが信じる事は出来ずにいた。

 帝国と教団は表裏一体、それが暗黙の事実であっても、決して今まで公の場で親密な様子を見せた事は無かったのだから。


 皇帝ハーリアは極光聖騎士団に囲まれ、そしてその剣を騎士のひとりに持たせた姿で壇上に現れた。

 ファンファーレは無い。

 大袈裟な演出も、物々しい表現も無く、世界最強の超大国、その皇帝が自らの脚で教皇の元まで歩くと、固い握手を交わした。


 その光景だけで、興奮に卒倒する者が現れる程、広場は強烈な熱狂と、それに矛盾した静寂に包まれている。

 それだけ、この皇帝ハーリアの纏う覇気は、人々を釘付けにする圧倒的なものであった。


「 ─── 気を楽にするが良い。

余はここに、同じ信仰を持つとして招かれた。

冠も王笏も持たぬ、今はラミリア様を心より信奉する信徒のひとりである。

……我が友人、教皇ヴィゴール聖下の言葉にもあったように、今、我々には信ずる心が起こす奇跡を求める時にあるのだ」


 アルザスの民にとって、また、実質アルザスの民と同義であるルミエラ市国の人々にとって、皇帝とは神に等しい存在である。

 そのハーリアが『気を楽に』と言った所で、人々は出来るはずもない。

 天にも昇るような興奮と、地に縫い付けられるような緊張の中、ハーリアの発する言葉が、点々と拾われて刻み込まれた。


─── 信仰、友人、ラミリア、奇跡


 光の神ラミリアの前では、この皇帝ハーリアも友人なのだと言う感動に、誰もが心を震わせている。


「 ─── 余は先の『ホドール奪還作戦』において、信仰に生きる事を、帝国もまた信仰に寄り添って進むべきなのだと改めて目覚めた!」


 長年にわたり、表向きは別の国として距離を置いて来た方策に、人々は薄っすらと疑念をかんじていた。

 何故、同じ目標を持ちながら、寄り添わないのかと。


 その疑念が、感動と共に今、払拭された。

 蛇ににらまれた蛙のように、体の動かし方すらをも忘れていた人々は、ここで全力の歓声を絞り出す。


─── 歓声、ただ歓声だけがこの国を覆い尽くそうとしているようだった


「先のタッセルで起きた、我が国の領事館襲撃事件。

その犯人は密林国アケルの獣人であり、我々帝国とエル・ラト教の教えに反意を掲げたのである。

アケルは今までも、帝国との歩みを蹴り、エル・ラト教の布教を阻んできた、背教の国である!」


 再び、人々の心が、ひとつの方向に向けて、激しく流れ始めた。

 タッセルでの領事館襲撃事件は、すでにこの国でも人々を騒がせ、憤りを集めている。


 アケルは今、非常に勢いのある途上国。

 しかし、獣人の多く住む未開の国としてのイメージが根強く残ってもいた。


 強い信仰心への突き上げ、強烈な民族主義への興奮が……

─── その未開の国への憤りを最高潮に盛り上げる!


「ここに約束しよう。

帝国は背教国を許さぬ! 

我らが信徒の同胞を、未熟な考えで殺めた者共を、帝国はその存在を許さぬ!

密林国アケルへの報復をここに宣言する‼︎」


 熱狂と、歓喜の絶叫 ─── 。


 示された道が、それ以外の答えを許さぬ強烈な正義感が、彼らの心を加速する。

 人々がその一点に殺到して行く異様な熱気に、広場は席巻されていた。


 この中でこの光景に違和感を持ち、その動揺の色を隠せなかったのは、ただひとり。

 女騎士くらいなものであろうか?


─── この日の帝国の宣言は、会場となった広場の名から『ラウロールの違い』と銘打たれ、瞬く間に世界へと広がる


 『ラウロール』とは、かつて勇者と共に世界を救った聖女シルヴィア・ラウロールに因んでつけられた広場の名である。

 その勇者伝所縁の響きに、帝国の正義を連想せざるを得ない、それ程に勇者伝は世界に浸透している。


 そうして人々は、静かな時代が終わった事を肌で感じる事となった。


 人々の心は、動乱の予感に曇り出す。

 それはいつの世も、民衆に様々な猜疑心を生み、様々な噂を作り出すものである ─── 。




 ※ ※ ※




「いよう! 久しぶりだなアルフォンス!」


 転位魔術の光が消えるより先に、聞き覚えのある野太い声が迎えてくれた。

 久し振りの人界は、どこか空気の密度が薄いと言うか、感覚が違う気がする。


「よう、久し振りガストン! ミシェルさんも!」


「お久しぶりですねアルフォンスさん。この度はアケルの危機に御足労頂いて、なんとお礼を申し上げればよいのか……」


「ミシェルさん。気にする事はない。俺だって冒険者の一員なんだし……って。

─── あれ? アネッサとレオノラも駆り出されてたのか」


「あはーっ、お久しぶりですアルさん!

ソフィア様にティフォさんもーっ!」


「ああ……主人様。お久しゅうございます♡」


 底抜けに明るい受付嬢アネッサと、元宮廷魔術師にして、俺が蘇りの聖戦士にしちゃったレオノラがガストンの両脇に立っている。

 中央部州ギルドマスターのミシェルは、相変わらず恰幅の良い、頼り甲斐のありそうな雰囲気。

 その場に居た獣人族数名も、かつて共に北部州解放の為に、アンデッドと闘った顔だった。


「ねえねえアルさん。赤豹族の令嬢おふたりは、話には聞いていたんですけど、お会いするのは初めてで、その他にも初めての方が……」


 挨拶を済ませると、アネッサがモジモジとしながら、婚約者連合を見ていた。


「ああ、南部州赤豹族のエリンとユニだ。それとダルンのロゥト出身のランドエルフ、スタルジャ。

─── 三人ともその……俺の婚約者だ」


「「「 ─── へえッ⁉︎」」」


 その場にいた全員が声を上げた。

 うん、そうなるよね、俺だってビックリだよ。


「 ─── ふわぁ〜っ、人生楽しみ切ってますわね主人様、流石です☆」


「なんて甲斐性でしょう……。流石は最速でS級にのし上がったアルフォンスさんですね。ホホホ」


 エレノラは未だに『人生楽しくいっちゃお』な躁状態のままだったか……いや、俺のせいなんだけど。

 ミシェルさんは、何だかちょっと下世話な顔で笑ってる。

 マダム好みなネタだったか……⁉︎


「おい、ちょっと待てアルフォンス!

エリン嬢とユニ嬢は知ってるが、次はエルフ?

また……増えたのか……⁉︎」


「……後、メルキアにもうひとり居るんだが、諸事情で同行はしてない」


 後で騒がれるのも嫌だから、ひと思いに出会い頭で、婚約者連合の成り立ちを話す事にした。

 とは言っても、何処で知り合ったかとか、その程度だが。

 流石にローゼンの事は、色々と話すのに難しい事があり過ぎるから避けておいた。


 そのままの流れで、これまでの旅をかいつまんで話せば、皆んな目の色を変えて聞いていた。

 冒険者関係だったり、シリル情勢が関係する地域だったり、ツボにマッチしたようだ。

 ……落ち着く時間が出来たら、後で詳しく聞かせてあげたい。


「 ─── 七人の婚約者持ちたぁ、何とも次元が違い過ぎてコメントのしようがねえ。

しっかし、中央に行くとは聞いてたし、ロジオン本部長の魔界調査に同行するってのも聞きはしてたがよ。

マジで世界の端から端まで移動したんだな……」


「まあ、流れでな。土産もたくさんあるから、後で渡すよ」


 ガストンはこう見えて、マールダー南方を押さえる、ギルド内でも屈指の有力者だ。

 勇者ハンネスの出現と、その後に起きた騒動、そして俺の正体と魔界行きの真相は知っているはず。

 こうして、よくは知らない風を装っているのは、周囲にいる者に秘匿するためなのだろう。

 なるほど強かで有能な人物なのだと、今更ながら感心してしまう。


「まあ、積もる話は後でしよう。

─── ロジオン本部長はどうした?」


「ああ。ロジオンなら ─── 」


 アケルに帝国とタッセルが、報復戦争を仕掛けた。

 その一報を聞いて、俺達は今後をどうするか、ロジオンと話した。


 アケル問題は、アケル国軍と獣人族の連合とで戦い、帝国の真意が見える所まで待つ他無いと言うのがロジオンの考えだ。

 アケルに支部を置くギルドも、そこに巻き込まれる形になるが、アケルは国土が広い。


 そして、そのほとんどが密林に囲まれていて、時間が掛かるのは明白。


 ……最悪、広域殲滅の戦術的な武力を持つ、俺達七人(ローゼンは省く)を送り込んでおけば、いつでも戦況はひっくり返せるだろうとの結論が出た。


 アケル情勢も重要な事だが、人類の存亡が掛かった、勇者との闘いの方が重大だと、皆の意見は一致している。

 ロジオンは過去に築き上げていた伝手があるし、幸い魔界に詳しいヒルデリンガがついているから、魔界の情報収集と実力者達への交渉は彼らに任せる事となった。


「そうか。ま、それが本部長の意向だってんなら、従うしかねえな。

─── ホントなら応援が欲しい所なんだが、今はギルドも下手な動きは取れねえしよ」


「…………そんなに状況は悪いのか?」


 ガストンはあご髭をいじって、やや申し訳無さそうな顔で、頷いて見せた。


「ん、まあ来て早々に本題に入るのも気は引けるが、聞くか?

─── この五ヶ月くらいの、人界の情勢をよ」




 ※ ※ ※




─── 一週間程前、アケル北部州の首都ペリステム


 魔公将パルスルの生み出したアンデッドの群勢に、ペリステムは一度陥落した。

 あれから二年、ペリステムは未だ復興の中にあった。


 予算や作業の遅れではない。

 大統領パジャルの意向と、生き残った人々の願いにより、より未来を見据えた都市とするため、都市計画を大きく変更して再構築をしていたためである。


 悲劇と恐怖の染み込んでしまった街を、希望の象徴へと変えるために。


 そして、シリル連邦共和国とダラングスグル共和国が進める、『栄光の道』の整備運用事業での発展を見越して、その入口に当たる北部州の交易の利便性を高めるために。


 それらの都市開発事業は、ペリステムに雇用を生み、多くの獣人族と人間族の労働者で賑わっていた。


「お、もう少しで昼じゃねぇか!

キリのいいとこで上がれるようにしとけよ?

人間ってのは、放っておくと働き過ぎンだからよう」


「もうそんな時間かよ! って、オメェ時計も持ってねえのに、良く時間分かるよなぁ?」


「ああ? んなモン、そこらで昼飯の仕込の匂いがすっから、すぐ分かンだろ」


「おほっ! 流石は獣人だな、鼻がいいや」


「へへっ、人間は鼻が利かねえのに、良く森で迷わねえよなぁ。

何かオレらと違う能力でもあンのか?」


「地図と磁石ありゃあ、なんとか行けるだろ。道具に頼れよ、道具に!

─── え、匂いで道確かめてんのかよ……?」


 アルフォンスがアケルを救う時、人間も獣人も分け隔てなく協力し合い、種族差を超えて闘いに挑んだ。

─── 朱色の絣糸で織られた、たすき掛けの帯『パジャルアレスの戦帯』


 ペリステム奪還の際、彼ら連合軍の誇りともなったその帯は、種族友好のシンボルとして、今やアケルの至る所でその意匠が取り入れられている。

 ……人間と獣人、そして、魔物までもがひとつとなった、英雄譚にあやかるために。


 今ここで肩を並べて道路整備の作業に従事している者達も、作業服の上に朱色の腰巻をつけていた。

 そこには彼らの元締団体の意匠と、黒い髑髏どくろの意匠が織り込まれている。

 獣人族に伝わる国創りの巨人伝説ナイジャルと、新たな会長伝説は、創造・再生のシンボルとなっていたのだった。


 今ここで会話している人間の男と、青馬族の男が、古くからの仲間のように接しているのが、その種族間の変化を表していると言っていいだろう。


「そういやぁ、タッセルの経済制裁だったか。ありゃどうなるンだ?」


「あー、新聞じゃあ、アケルにゃあほとんど影響ねえってよ。むしろ、あちらさんが自分で首絞める事になるんだとさ。

─── それより、問題は帝国だ」


「それだけどよ? 帝国派と反帝国派って、今世界中でくっ付くの、くっ付かねえのやってンだろ?

ここに来るのは何年先の事だか、分かったモンじゃねえやな。外堀埋めねえと行軍だってままならねえンじゃねえか」


「まあ……なぁ。アルザスからは距離があり過ぎ、途中には反帝国派の頭シリルがあるからな。早々動けねえのは確かだが ─── 」


「ンだよ、何かあンのかよ?」


「極光聖騎士団よ。奴らは空飛べっからな。最近は帝国とエル・ラトもお互いねんごろだってぇのは隠してねえからなぁ」


 ヴァレリー枢機卿任命式での、教皇ヴィゴールとアルザス帝国皇帝ハーリアの演説は、世界を揺るがした。

 その後、帝国は正式にアケルへの報復を宣言し、帝国の意思は世界に示されたのである。

 重ねてエル・ラト教も魔物化が『魔族の憑依』だと発表し、その原因が『光の神ラミリアへの背教』だとも世界に報じたのだ。


 経済的、軍事的に帝国へ依存する国もあれば、その存在を疎む国もある。

 それは教団も同じく、世界で薬にもなれば毒にもなる存在であった。

 帝国と教団は表裏一体、それが白日のものとなった今や、人々の目には巨大な権力として映るようになっている。



─── 結果、世界は今、帝国派と反帝国派に、二分されようとしていた



「けっ、聖騎士団だか何だか知らねえが、そンなモンはオレら獣人族がかっさばいてやるよ」


「かぁ〜、おっかねえなぁ。会長さんも、ヤベエ種族にヤベエ力を与えちまったもんだよ」


 かつて獣人達が人間に追いやられたのは、種族としての社会形成にも要因はあるが、獣人族が魔術を扱えなかった事が大きい。

 いかに獣人族が腕力に優っていても、魔術の有無はそのアドバンテージを軽く覆すものだった。


 しかし、今や魔術印の知識は、獣人族の隅々にまで行き渡り、かつての戦力差は完全に逆転しようとしていたのである。

 詠唱を必要としない魔術印は、扱える魔術のクラスこそ低いものの、人を葬るには十分過ぎる力を秘めていたのだ。

 力と速度、そこに無詠唱の魔術。

 最早アケルの戦力は、人間族から手を出し難いものとなっていた。


 魔術印の戦術体系を整え、獣人族に広めたのは、タイロン、エリン、ユニであるが、その知恵を授けたとされる『会長アルフォンス』は、今や獣人の世界では神と同等の存在である。


「シリルじゃあ、全く新しい戦術を開発させたって言うしな。一体何者なんだアルフォンスってのは……。

うん? どうした? 手ぇ止まってんぞ」


 さっきまで作業しながら話をしていた獣人が、何やら眉間と鼻にシワを寄せて、目を閉じていた。


「 ─── こりゃあ、誰かが解体でもしてやがンな? 血の臭いがしやがる」


「何だよ、また飯の話かよ〜! どんだけ腹減ってんだよw」


 男が笑うのに対し、獣人族の男は小首を傾げて、更に嗅覚に集中しているようだった。


「ほれ、働けって。とっととキリの良いとこまで終わらせて、飯にしようや」


「 ─── そうじゃあ、ねえ。

こりゃあ古い血の臭いだ。こンな汚ねえ血の臭いがするまで、獲物放ったらかす馬鹿はいねえよ。あったけえ内に血抜きするモンだ。

…………何だ? 何が起きてンだこりゃあ……」


 今度は男も小首を傾げ、鼻をふんふんと鳴らす。


「…………そう言われてみりゃあ、薄っすらするな。錆びの臭いか……? いや、なんかもっとこう ─── 」


「「「 ─── ぐあッ⁉︎」」」


 突然、周囲にいた獣人達全員が、耳を押さえて呻いた。

 人間族は何が起こったのかと、ただ立ち尽くす。


「おい! どうしたんだ、耳がどうかしたのか⁉︎」


「 ─── き、聞こえねえのかよッ⁉︎

ものすげえ数の小さな声だ……! こりゃあ、詠唱か……⁉︎ どんどん数が増えてやがるッ‼︎」


「詠唱? そんなもん何にも聞こえ ───

……ううッ⁉︎」


 獣人達と同じく、人間族の作業員達も耳を押さえたり、首を振ったりする姿が溢れる。


「なんだ⁉︎ すげえ耳鳴りだ!

それに血の……臭いが ─── うぷっ」


 強烈な耳鳴り、そして鼻腔の奥にのし掛かるような濃厚な血の臭いに、えずき、嘔吐する者まで現れた時だった……



─── ブゥ……ン…………!



 空気が激しく振動し、街の至る所から黒い霧が立ち昇ると、突如街に巨大な何かが現れた。


「…………何……だ? あれは……『門』か……?」


 地面に這いつくばる男は、視界の端に現れた、禍々しくも荘厳な装飾のなされた、黒い半透明の建造物に、言いようのない恐怖を駆り立てられた。

 いや、この地にいる誰もがそれに目を奪われ、言葉を失っている。


─── そして、その門は中央に白い光の筋を拡げ、扉を開け放つ


 銀一色に揃えられた甲冑、風にはためく真紅に染め上げられた旗には、百合と獅子の紋章。

 開かれた門の奥に延々と続く、その整った隊列。


 誰かがそれらの光景にこう叫んだ ─── 。



「 …………て、てて、帝国だッ‼︎ アルザスが攻めて来たぞッ‼︎」



 その声に反応したかのように、帝国の紋章旗『威風華颯赤獅子紋』が真っ直ぐに天へと掲げられた。


「 ─── 全軍前進ッ‼︎」


「「「 ─── オウッ‼︎」」」


 その日、アケル北部州の四都市に、二千〜五千のアルザス帝国軍が突如として現れ、二つの都市が陥落。

 密林国アケルは、その北部の国境を掌握された。




 ※ ※ ※




「 ─── て、所だ。

アケル政府軍は初動に遅れたが、獣人族はすぐに動いてな。北部州の完全制圧は免れた。

南部州からのタッセル軍侵攻は、南部獣人族が当たってる」


「「「…………」」」


 ガストンの説明に、俺達は言葉を失っていた。

 たったこの数ヶ月の内に、それ程の変動が人界に起きていたとは考えもしてなかったから。

 そんな俺達を見て、ガストンは困ったように笑った。


「ま、何とかなんだろ! 人間も獣人も、今はちゃあんと押し返して、戦況は拮抗してるんだからよ。明日明後日にどうこうって事にはならねえよ♪

─── そんな事より飯だ飯! シリル行ってきたんだろ? そこらの話しを聞かせてくれ」


 そう言ってガストンは俺達を別室へと案内させた。


 さっきまで聞いていた話を整理しながら、とぼとぼと廊下を歩いていると、ガストンが近づき俺を呼び止めた。


「 ─── アルフォンス、お前を呼んだのは戦争のためじゃあねえんだ……」


「…………まだ何かあるのか?」


 皆が離れたのを確認して、彼は表情を固めて、声を潜めてそれを告げた。



「 ─── 帝国側に、勇者がいるらしい」



 何かが軋む音がして、俺は無意識の内に、拳を握っている事に気がついた ───

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る