第四話 瓜狩り

 世界の富を繋ぐ、マールダーの動脈、最大の貿易路『栄光の道』。


 その北端、アルザス中央の街ホドールは、人口一万人の古い街であった。

 栄光の道構想が始まった当初は、首都と肩を並べる繁栄を見せていたが、後に商会ギルドが別の都市に移転してからは、多くの商会が去ってしまった。

 とは言え、それでも未だ多くの人々が暮らす、アルザスの重要都市のひとつである事には変わりがない。


─── だが、今やそのホドールは魔都と化していた


 街全体を半球体の光が覆い、黄金色の光の粒子を上空に舞い上げている。

 一見美しいその風景ではあるが、その強力な結界の中では、人々の考え得る最悪の状況の、更に数段上を行く光景が繰り広げられていた。


 人の顔をその何処かに持つ、有象無象の形状をした、漆黒の獣達。


─── 黒舌くろじた


 そのいずれもが、巨人の如き見上げるような巨躯を持ち、闇の霧を薄っすらと纏っている。


 世界中を震撼させた『魔物化現象』は、大抵がその地域にひとりかふたり、一夜にして変貌を遂げる原因不明の現象。

 その魔物化した者一体につき、聖剣を持った極光星騎士団の精鋭が、最低でも五〜六人が必要となる特A級指定クラスの怪物であった。


─── このホドールの結界に閉じ込められた、黒魔の数はおよそ千〜二千


 時折、結界の内部から、破城槌を奮ったような、強烈な衝撃が起きている。

 それは、光属性の結界に触れ、接触した部分を焼かれながらも、黒魔達が力任せに結界を叩く音であった。




 ※ 




「ヴィゴール聖下は、一体何をお考えになられておるのか!

これ程の危機は、かの聖魔大戦以降、このアルザスの歴史に思い当たる物のない、未曾有みぞうの状況ですぞ‼︎」


「いくら身内贔屓の裁量とは言え、元は孤児でしょうに……。いや、確かに彼の功績は眼を見張るものがありますが、所詮は『たんぽぽ侯』。

これまでの功績とて、ヴィゴール聖下の後ろ盾あっての事とは、邪推でありましょうか」


「騎士団の運用は、海千山千の覇気ある者でなければ、そうそう務まりません。よりによってあの『たんぽぽ侯』では……」


「ハーリア陛下も何を思って任命許可を出されたのか……。帝国派の人物に、優秀な人材はいくらでもおったでしょうに。戦知らずの彼の任命を許可するとは……」


 ルミエラ宮の廊下で、高位聖職者達の噂話がさざめいている。

 時折、その廊下を帝国軍人が往き来し、その度に彼らは深々と礼を取っていた。


─── 司教ヴァレリー・ジェンシャンの、枢機卿就任。そして、ホドール奪還の総指揮官任命は、ルミエラ宮殿内を揺るがしていた


 厳戒態勢時下の、教皇ヴィゴール直々の任命とあっても、教団派ヴァレリーの抜擢ばってきに帝国派の信徒達の不満は大きなものであった。

 しかし、帝国との融合を進める彼ら帝国派は、大きな声でそれを咎める事ができなかったのだ。


 オウレン枢機卿による、ローオーズ領ホーリンズへの極光星騎士団の私的な派兵。

 オウレン氏はその罪に問われ、捕らえられた後、失脚。


 アルマス司教の人身売買組織との癒着、更に贈収賄容疑での失脚。

 その責任追及から、今も任意聴取を受け、枢機卿代理の任を解かれたデューイ司教。


 相次ぐ帝国派高位聖職者の失態で、教団の上層部は揺れに揺れている。

 更に今回のホドールの事件で、デューイ司教も巻き込まれ、安否確認は取れていない。


─── 教団内の、それも帝国派から『黒舌』が出た


 まだ大っぴらに口にする者はなくとも、その事実に帝国派聖職者の権威下落は、すでに誰もがそう思い描いている。

 結果的に現在高位に座しているのは、大陸南部〜辺境地域担当のトニオ司教と、大陸中央部地域担当のヴァレリー司教なのだから。

 実質、今まで勢力の弱かった教団派の台頭と言えよう。


 とは言え、帝国派の高位聖職者の多くは、帝国と縁を持つ高貴な身分のもので占められていた。

 いざ勢力図がひっくり返っても、生まれに由緒のない者が多い教団派に、両手を挙げて喜ぶはずもない。


─── そして、ヴァレリーの抜擢は、帝国軍の上層部の一部にも、煙たく思われているようだ


 今、ラミリア宮殿二階、ヴァレリー新枢機卿の私室の前に、帝国軍人と帝国派聖職者のふたり組が、大股でやって来た。


「……何だこの廊下に溢れる者達は?」


 軍人がいら立たし気に、廊下に並べられた椅子で待つ人々を、にらみつけて呟いた。

 その様子に気まずそうに苦笑いを見せた同行の聖職者は、部屋の前に立つ元極光星騎士団第四師団団長のこと、ラブリン・カディナ・オゥキッドに話しかける。


「お、オゥキッド殿。この人々は何事ですか?

ヴァレリー司……枢機卿にお目通り願いたいのですが……」


「うむ。彼らはヴァレリー猊下げいかがお招きした、各界の知識者方だ。

今、ヴァレリー猊下はホドール奪還作戦の詰めに入られておられるからな

─── 猊下への挨拶か? ならば最後尾に並べ」


 最近前線を離れ、急に女らしくなったと噂の女騎士の、愛想成分ゼロな物言いに聖職者は唖然と立ち尽くす。

 その彼を押し退け、軍人が女騎士に噛みつかんばかりの剣幕で詰め寄った。


「枢機卿自らが『ホドール奪還作戦の詰め』だと⁉︎ それだそれ! 何故、専門家である我々帝国軍人と極光星騎士団そのものに任せぬのだ‼︎

─── 教団は許可だけ出せば良いッ!」


「……それは猊下が拝命する時に出した『作戦、人事は全て任せる事』の条件を、ヴィゴール教皇聖下とハーリア皇帝陛下がお許し下さった事への反意か?」


「へ、陛下と聖下への反意ではないッ‼︎

ヴァレリー猊下へ、直々の提言に参上したのだッ‼︎」


 いきり立つ軍人に、女騎士は面倒臭そうに溜息をつき、あごで列の最後尾を指した。


「ならば、順番を待つが良い。最後尾はあそこだ」


「な、なにぃッ‼︎ な、何時間待たせる気か!

しかも何だ、各界の知識者と先程キサマは言ったが、どう見ても市井しせいの者達ではないかッ⁉︎

─── 今、猊下は一体どなたと面会中だと言うのだッ⁉︎」


 女騎士は指折り上を眺めて何かを数えた後、眠そうな表情で答える。


「今はホドール近くの村、ピノンの漁師ボブ氏だな。さっき老舗ロープ工房の職人ジャン氏との話が終わり、交代したばかりだ。ひとり当たり、大体……四十分から一時間といったところか。

そなたらの前は……ああ、地質研究家だな。夜にはお会い出来るだろう。

─── 待つがいい」


「ろ、ロープ職人……漁師……?」


 余りに当然の如く返された軍人は、力無く呟きながらトボトボと最後尾の椅子に腰掛けた。

 聖職者は慌ててその隣に座り、悲しみとも諦めともつかない表情で、ボーっと足先の床を見つめている。


 女騎士はある意味で優秀な番兵として、その空気読めなさを発揮していたのだった。




 ※ 




「ハァッ⁉︎ 起用したのは手の空いている本国の駐在聖騎士ぽっち……だとッ⁉︎」


「ああ。それと結界術者五人。まあ、それは当然の保険となろう、作戦失敗時には確実に結界で魔物どもを封じ込める必要があるからな。

─── 問題はそれとは別に招集した、周辺の三百人だ! 何の冗談だ⁉︎ 農道でも作るつもりか『たんぽぽ侯』はッ⁉︎」


 軍人達の怒声が行き交う中、教団側の高位聖職者達は会議室で冷や汗をかき、縮こまっていた。

 昨晩遅く、ヴァレリーから作戦決定の報が発せられ、その内容に誰もが寝ぼけた頭を引っ叩かれた気がしたという。


 作戦決行は本日夜、この会議室には帝国軍部と教団関係者が集まり、どう『尻拭いをすべきか』を話し合っていた。


「……貴様ならどう攻める? 猊下の失敗後、即座に我ら帝国が作戦を遂行するにしても、軍備確保に時間が無さ過ぎる。

─── 軍師としてのプランを聞こう」


「ハッ! 畏れながら。まずは魔物化した敵、呼称『黒舌』の情報から。

体長、体高、形状は千差万別、決まった姿はなく、魔術の使用は見られません。

……体表は黒く、鋼と同等の硬度を持ち、また魔術への耐性も見られます。

また、再生能力が高く、切断しても数秒で再生。

敵弱点は頭部への、魔力を帯びた武器による完全破壊のみ ─── 。

通常兵器での打破は、今の所、例はありません」


 有効なのは頭部破壊のみ。

 数人で足を止め、頭部への聖剣もしくは魔剣での攻撃でしか、倒す事が出来ない。

 今まで散々魔物と戦闘をして来た軍人でも、そのような存在を見た事がなかった。


「黒舌の数はおよそ千〜二千と、正確な数は分かって居りませぬ。

少なくとも黒舌一体につき、極光星騎士団の正規騎士五〜六名からの班体制で、撃破は可能との事。

……ホドールの地形を鑑みて、市街地メイン通りから叩くとなれば、一班五名の極光星騎士団で構成した一万の一個師団が中心に。

そのバックアップ及び、光属性魔術をメインとした我国の魔導旅団五千。更に弓、槍兵を基本に六連隊合わせて一万一千。

総勢が妥当と思われます」


「あー、それを『たんぽぽ侯』は、どんな規模で立ち向かうと仰られたかな?」


「ハッ! 結界術者五名、極光星騎士団名、およびの三百名と ─── 」


 軍人達の野太い笑い声が、会議場を揺るがす。

 教団関係者は更に小さくなり、視線を落として項垂うなだれた。


「そのバックアップ、我国で用意するには、どれ程の時間を要するか?」


「ハッ! すでに我が帝国軍は編成済み、ホドール近くのティオニア駐屯所を拠点とし、一刻程度で出撃が可能となっております」


「よろしい。魔術付与された武器ないし、魔剣聖剣の類の許可は、後で私の名でまとめて通したまえ。

─── 教団側の諸君は如何かな? よもや極光聖騎士団の一師団程度、バックアップとして用意するのも『たんぽぽ侯』の許しが必要かね?」


 ここにいる教団側に、司教職の者は来ていない。

 最も上の者で司祭職を束ねる大司祭四名であった。


「わ、我がルミエラ市国首都には、常に極光星騎士団最強の剣、第一師団が控えておりますれば。

新枢機卿失敗の時には、十数分程度で駆けつける事は可能でしょう……。

随時戦況は極光星騎士団本部に通達されております。よって、最高戦力でお応えいたしましょう─── 」


 実際、彼が責任を持って提言しているわけではない。

 教団では元々、そのような体制を作り上げていたのである。


 帝国軍部の面々は『第一師団』と聞いて、ほう、と声を上げた。


「エル・ラト教最強の剣、第一師団所属。

─── 総騎士団長『雷審』グランス・ナーシサス……か」


「現在マールダーで『次期剣聖に最も近い男』でしたかな?

これは楽しみですな……フフフ」


 直後、帝国軍部の人間は一斉に立ち上がり、会議場を後にした。

 残された教団関係者は、息を吹き返したように動き出し、会議場の一箇所に集まると、声を潜めて井戸端会議を始める。


「クソッ! 軍閥どもめ、我が教団をコケにしおって!」


「……はしたない言葉は、魂が汚れますよ?

全ては『たんぽぽ侯』の世間知らずと、愚かな権力欲が招いた事。

今日の夜には教団派の先も途絶えている事でしょう」


「ヴァレリー猊下は一体何をお考えなのか……。てっきり、力を見せつけるために、極光星騎士団全軍で派手にやるものだと」


「元々、あの方は下々の者や、信者の人気取りに熱中しておられましたからな。

どこかで『暴力反対』とでも、足を引っ張られたのでは?」

 

 目下、彼らの言は、ヴァレリーへの責任押し付けに終始していた。

 やがて、責任逃れから悪口へと流れ、一通り苦言が出揃うと、ひとりが冗談交じりに言った。


「 ─── しかし、これでもし成功なんかした日には、ヴァレリー猊下は英雄。それこそ盤石な地位を築くでしょうなぁ〜」


「「「わははははッ‼︎」」」


「二万は必要だという専門家の読みにして、たった二百の聖騎士団でですか⁉︎

あり得ません、あり得ませんよ! あははは」


「それが出来たら、英雄どころか軍神。それこそ聖人として次期教皇の座も欲しいまま。

私だって崇めてしまうでしょうなあ」


「 ─── まあ、失敗すれば邪魔者は消える。万が一、億が一成功したとて、我々が害を受ける事はありません。

どのみち、ヴァレリー猊下にはせいぜい頑張ってもらいたいものですね、フフフ……」


 失敗すれば教団の名声にも響くであろう。

 しかし、そもそもが荒事を担当するのは帝国軍部である。

 信仰心の邪魔立てにはならぬであろう。


 この作戦の失敗はヴァレリーの失脚、ひいては教皇の失脚にも繋がる大舞台である。

 今日明日には、教団内に大きな力の変動が起こると、彼らは胸をときめかせていた。


─── 少しでも、己の地位が上がる事


 それが重要事項でしかなかったのだ。




 ※ ※ ※




 月が真上に上がり、ホドールの東に面した、不毛の窪地に陣を張る、極光星騎士団の甲冑が銀色に輝いた。

 ヴァレリーはその窪地脇の高台に建てられた、テントの中で最後の調整をしている。


 ホドール奪還作戦の開始まで、後数分に差し迫っていた ─── 。


「本当に、たったあれだけで挑むと言うのか?

陛下は何故了承したのだ……。こんなもの、自殺、いや無理心中も同然ではないか。

あそこにいる騎士団員は、駐在の余りものとは言え、騎士団員には変わりない。

……全く、二百の聖騎士を育てるのにどれだけコストが掛かると思っておるのか」


「相手は魔物。知性は低く、行動を制するのは難しいでしょう。

本来なら、結界を消した直後から、一気に市街で叩くのが理想的なのですが……。

あれでは、方々に散られて、周辺の被害が膨らんでしまうかも知れません……」


 ホドールから少し離れた場所に、帝国軍と教団の合同軍が控えている。

 帝国軍の司令官と軍師は、戦況を逃すまいと、逐一状況を話し合っていた。


 当初の目的通り、彼らはヴァレリーの作戦後、的確な戦力で一気に魔物化を叩く目論見であった。


 魔物化した者たちは思考力が皆無に等しく、近くにいる人間をなぶり殺して食す、凶暴な魔物と変わりがない。

 結界を解いた途端に、街の外へ溢れ出し、周囲に与える被害は想像を絶するものとなろう。

 なるべく移動させずに、一気に叩くのが短期決戦の要だと、軍部の者の多くが考えていた。


「結界術者五人は、結界の周りを囲うように配備ですか……。

何度も結界に閉じ込めながら、少数ずつ叩くつもりでしょうか?」


「あの結界には膨大な魔力が必要だ。術者は数日使いものにならん。せいぜいが、ひとり一度きりだぞ?

それも半日しか続かんあやふやなものを、どうやって活用するというのだ。五回しかチャンスが無いではないか」


「ですよねぇ。ちょっと考えられません。それにあの布陣も狙いが分からないなぁ……。

高台から落石? それとも魔術付与した矢でも使うのでしょうか?

いや、それでは貫通力が足りない……か」


 極光星騎士団は、街の東に隣接する窪地を見下ろす場所に集められている。

 また、足場の悪い窪地の中にも、薄い板を敷いた上に、十数名の若い騎士が待機していた。


 もし、魔物化達が騎士に集まり、窪地の中に押し寄せたとしても、そこにいる若い聖騎士達では、あっという間にひねり潰されるであろう。

 窪地の上に控える騎士団の本隊でも、圧倒的に数が足りていない。


「しかも何故、月夜に決行するのだ?

相手は魔物、夜目も利くと報告があったはずだが……。夜襲にしたって、月が出ていては意味が無いではないか……」


「何もかも素人。いや、素人だってこんな戦い方は無謀だと分かるでしょう。

─── 流石にこれは……考えられませんね」


「うむ。結界が外された直後から、こちらの術者を用意させておけ。

少しでも周囲の被害は抑えなければならん。

最悪、あそこの騎士達の巻き込み被害は考えず、我々が全力で叩くしかあるまい」


「ヴァレリー枢機卿猊下の元同僚も、ホドールに居たと聞きます。

嫌な仕事ですね……元仲間を殺さなければならない猊下も含め、それを我々が処理しなければならないとは」


「ふん。戦場などそんなものだ」


 彼らにとって、ヴァレリー率いる二百名の極光星騎士団は、その命すらすでに諦められていた。

 最後までヴァレリーに作戦変更を申し立てた軍部は、全く聞き入れようとしない彼に腹を立て、捨て置く事にしたのだ。


 そして、いざ作戦の場に来てみれば、招集をかけたはずの農夫三百人の姿も見当たらなかった。

 農夫達はホドールから北部に当たる、川沿いの地域の者達で、彼らが列を成して北へ帰る様子が目撃されていたのだ。


─── 農夫ひとつ、満足に集められずに逃げられたのか?


 それがトドメとなり、周囲はすでにヴァレリーの作戦は無いものとし、自分達にとっての開戦の合図くらいにしか考えてはいなかったのだ。


 では、さぞかしヴァレリーに着いた二百名の騎士の士気は低かろうと思いきや、誰も彼も戦前に集中する、武人の顔をしているのである。


 軍部の人間達は『これだけの心意気を持った人材を失うとは』と、若干哀しみにも似た思いに駆られたが、本人達には関係が無い。

 目の前の闘いに、彼らは集中し、己の勝利を祈っているようだった。


 それは今、テントの中にいるヴァレリーと、その護衛の任に就いている女騎士も同じ事である。


「ラブリンさんは、ここにいらっしゃらなくても大丈夫ですよ?

万が一、失敗した場合、ここだって危ない。

貴女は来なくてもよいと、何度も言ったじゃあないですかぁ」


「ヴァレリー猊下。私も騎士団員であり、教団の正しさを信ずる者です。

私は今、猊下の護衛。貴方の剣なのです。

─── 戦いあらば、そこは全て戦場。ならばここも私の生きるみちです」


「……ふふふ、そうですか。

やはり貴女は強い方です。こうしてお近づきになれた事をラミリア様に感謝いたします」


 ヴァレリーはふくふくと微笑みながら、テントの外に出る。

 女騎士も後に続くと、既にテントの前には騎士団が隊列を組んで立っていた。


「はい。急なにご足労いただきありがとうございます。

─── このアルザスを守るため、是非、あなた方の聖なる力をお貸しいただきたい。用意はいいですね?」


「「「ハッ‼︎」」」


「じゃ、作戦開始〜♪」


 ヴァレリーがそう告げると、空に光魔術の光球が打ち上げられた。

 その合図に息を飲み、気を引き締める騎士達。

 そして、絶好のタイミングでヴァレリーごと魔物を葬ろうと、戦況を見つめる軍部と教団。


─── 今、闘いの火蓋が切られた




 ※ ※ ※




「あ! 合図が上がりました!

─── 結界が解かれますッ‼︎」


「よし! 見極めろッ! 帝国と教団の合同軍が、如何に華々しく、薄汚い魔物どもから街を奪い返す絶好の好機はどこかを!」


 夜空の下、街を覆う巨大な半球体の結界が、チカチカと瞬いて、音も無く消え去った。

 それを待ちわびていたかのように、街からは獣達の咆哮が一斉に上がる。


「騎士達はどうだ?」


「それが……全く動きがありません。本隊は窪地脇の高台に、十数名は窪地の中で立っているままです!

─── 魔物が移動を始めました、やはり、四方八方に広がって行きます!」


「分かった、もう良い。一度こちらで結界を貼り直す。全軍、突撃の用 ─── 」


「 ─── えっ‼︎ な、なんだアレ⁉︎」


 軍師の裏返った声に、軍部の者達は思わずホドールへ振り向いた。



─── そこには、半休体の光の結界が、ホドールの外周に沿ってに配置され、それぞれが膨らんでゆく光景が展開されていた



 時間稼ぎのはずの結界を、五ついっぺんに使う。

 そのあり得ない光景に、誰もが言葉を失っていた。


「 ─── け、結界五つで囲う?

結界で押し潰すつもりか⁉︎ そんな威力はあの結界にはなかろうに‼︎」


「ち、違います! 囲っては居ますが完全に囲ってはいません!

─── 窪地方向に隙間が出来ています……」


「「「 ─── ッ⁉︎」」」


 街全体を覆える程の、強力かつ巨大な結界は、魔物化した者達を閉じ込める為には使われなかった。

 周りから急速に膨らんでくる結界に押されて、黒い魔物達は触れた肌を焦がしながら、騎士団達の待つ窪地へと押し出されて行く ─── 。


「……なッ! 結界の同時展開は、魔物達を確実に窪地に行かせる為かッ⁉︎

い、いや、だがそうしてどうなると言うのだ! 圧倒的に騎士の数は足りて居らんのだぞッ!?

窪地内の騎士は真っ先に餌に……‼︎」


 街から窪地へは、やや傾斜が付いていた。

 そのせいか、普段は水けが悪く、大雨の後などは池のようになる、いわば死んだ土地である。


 都市計画としても、水を逃すには良いが、街づくりには向かない。

 あれば便利、無くてもさほど問題は無い、手付かずのまま無視されて来た土地なのだ。


─── 元はホドール近くを流れる川が、大きく迂回して出来た、三日月湖の成れの果てである


 地盤は緩く、土地は低く、決して戦場には向かない。

 今回の戦いでも、鎧を着用した兵士が走り回るには、余りに足場が悪いと誰も見向きもしなかった場所であった。


 足場に薄い板を引いたからと言って、窪地の中に居る騎士達でも、強く踏み込めばぬかるんだ地面へと踏み抜いてしまうだろう。

 甲冑をつけた人間は重く、鉄履の足では乗っているだけでギリギリな状態である。


「ま、街の魔物は全て窪地へ向かうようです! 窪地の騎士達に殺到して行きます!」


「 ─── 早くも犠牲者が出るか……!

しかし、まさかこんな方法で一箇所に集めるとは考えもせんかったぞ!

よし、ならば我々は窪地を囲い、一気に魔術部隊で奴らの機動力を削り……」


 次の局面に頭をフル回転させている軍部の目の前で、再び事は動いた。


 窪地の中にいた騎士達は、剣を抜く事すらせずに、風魔術で己の体を飛び上がらせて、本隊の居る高台へと避難したのだ。



─── そして再び、合図らしき光球が打ち上げられる



「え? へ⁉︎ て、撤退? いや、動きません、ただ騎士達は窪地を見ているだけです……」


「 ─── いや待て……何だこの振動は……?」


 足元を揺らす振動が近づいてくる。

 合同軍が当初の目的を忘れ、その様子に目を奪われていたその耳に、やがてその音が届き始めた。



─── ザザザザザザ……ドパァンッ!



 窪地の脇から、淀んだ泥水が押し寄せる。

 それはみるみる窪地に溜まり、蠢く魔物達はその自重に、泥沼と化した地面へと足を呑み込まれて行く。


「み、水攻めッ⁉︎ いや、そんな事で奴らは倒せるわけが……」


 大抵の陸上生物は、水に沈められれば死ぬ。

 酸素を空気中から取るしかないからである。


 しかし、魔物の中には酸素を必要としない物も存在する。

 魔物化したら者達が、それに当てはまる事は、毒霧の魔術などで分かっていた事である。

 現に目の前で蠢く魔物達の内、背の低いものは水中に沈んだが、しばらくすると浮き上がり、むしろ水位の上昇で近づいた本隊に血眼で殺到しようともがいていた。


「く、窪地の水位がそろそろ限界です……!

あれでは上陸されてしまう! 一体どうする気で……」


 更に水位が上昇し、全ての魔物化の首が水面から浮いて、聖騎士達を見つめ出した頃。

 再び光球が上がると、流れ込んでいた水が止まった。


 その時ようやく、高台の上の聖騎士団に動きが現れた ─── 。


「「「スルヴェンの氷穴、夜なき大地の精霊よ! 我は請う、其方らの歌に眠りし、氷穴の貴公子アーメルヌの白き吐息を!

アーメルヌ・クー・エルディオウス!

アーメルヌ・クー・エルディオウス!」」」


 聖騎士達の集団詠唱と共に、周囲に白い冷気が立ち込めて、窪地の上空に渦を巻く。

 彼らの体が青白い冷気の相を纏い、その吐く息まで白い狼煙と化す ─── 。


「「「 ─── 来たれ凍魔! 【氷結の吐息】

!」」」


 強風と共に白い何かが吹き抜けた。

 辺りは冷気と霧とで、白一色に世界を一変させる。


 やがて超低温の風が上空に吹き上げ、大気とぶつかり、紫色の閃光を発しながら消えて行く。


「「「────── ッ!?」」」


 帝国軍と教団関係者が、その光景に言葉を失い、ただ口を開けているのみ。



─── 窪地に溜まった水、その水面に浮かんで並んでいた魔物達の頭が、一瞬の内に白く凍結し、巨大な氷湖に並ぶ雪玉の如く点々と佇んでいた



 凍りついた唇のせいで、それぞれがくぐもったうめきを上げ、微かに動いてはいるが、身動きひとつ取れない状況にあるのは一目瞭然。

 静まり返った戦場に、窪地の上の聖騎士達はにわかに動き出す。


「…………敵の沈黙を確認ッ!

─── さあ、お前らッ! 冬に残された、無様なを残さず刈り取れッ‼︎」


 将官の上げる号令の怒号が、静まり返った月の下に響き渡る。


「「「うおおおおおおおおおおおおおッ‼︎」」」


 黒舌の唯一の弱点は、頭部の破壊だと判明はしていた。

 鍛え抜かれた極光星騎士団員にとっても、強力な黒舌の頭部を破壊するのは、生死を賭けた決死の闘いとなる。


 しかし、ただ足元の首に剣を突き立てるだけであれば、それは普段の訓練などより、遥かに楽な作業であった ─── 。


「 ─── うん。計算通りでしたねぇ」


「…………流石です猊下。この戦略は軍閥では考えつかないでしょう……」


 いつもと変わらず呑気なヴァレリーと、流石にやや緊張の面持ちを見せる女騎士。

 鼻歌混じりのヴァレリーに、女騎士は戦慄を覚えつつも『これが英雄の余裕か』と胸を震わせていた。


「いやー、これは堤防係の農夫さん達にも、特別ボーナスを配らないと♪

バッチリのタイミングで、川の水を開け閉めしてくれましたからね〜」


「フフッ、ずいぶん嬉しそうですね猊下。

やはり初陣での圧倒的勝利は格別ですか?」

 

 女騎士の質問にヴァレリーはニコニコ顔で振り返る。


「そんなのどーだっていいんですよ♪

水の容積計算がバッチリ合ってたのが、すっごく気持ちよくって〜♪」


 そっちか。

 やっぱり天才の考える事はよく分からないと、女騎士は頭を掻きながらも、初めて支えたいと思った上司の戦果を見下ろし、微笑んだ。


 足元では、聖騎士達による、作業とも言うべき殲滅作戦が続く。

 この分なら、夜が白むまでは掛からないだろう。



─── ホドール奪還作戦


 総指揮官、枢機卿(有事暫定)ヴァレリー・ジェンシャン。


 総動員数、五百七名(内三百は作業農夫)。

 死傷者数、無し。


 この月夜の戦いは、後に『氷湖の黒瓜狩り』と呼ばれ、ヴァレリーの名と共に、語り継がれて行く事となる。

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