第二十二話 その名を呼べ

 ようやく核心に迫れるタイミングが来たのは、魔王城に来てから四日目だったか。


 何故かおれはエルヴィに懐かれて、ようやく振り切って、魔王さんとサシで飲む約束をつけられた。

 初の世継ぎ懐妊から、王太子夫婦が酒に付き合わなくなってたらしい、魔王さんはおれからの誘いに嬉々として乗って来た。


 これなら未来の事が話せると思ったが、魔王さんの話のネタは無尽蔵だ。

 なんだろな、あの爺さん。

 楽しい事に真っ直ぐに生き過ぎじゃねえかと思ったよ。


 ようやっと訪れた、会話の途切れに、話を切り出そうとしたおれを、魔王さんは手の平を伸ばして止めた。


「のう、アマーリエよ。お前さんはその……体には出来ておらんのか?」


「アザ? そんなもんが出来るよーなドジすっかよ。これでも予言者なんだぜ?

そんな事よりも、この国の未来を……」


 言い掛けた時、魔王さんは首を横に振った。


「そうではない……。

─── ハンナは、儂の妻はハイエルフを祖先に持つ市井の魔人族じゃった」


「…………?」


「もう血も薄れ、耳も尖ってはおらなんだが、透き通るような白い肌のべっぴんでな、気が強いのがたまにキズでのう。怒らせるとそれはおっかなくてな、そこがまたカワイイんじゃが」


「いや、だから何の話だって!」


 その時、魔王さんは急におれの腕を掴んで、ジッと目を凝らしたんだ ─── 。


「……黒いアザじゃった。最初は肩に出来てな、それが段々と伸びておったらしいが、あやつはそれを見せまいとしておったから……分からんかった。

─── 良かったのぅ、お前さんはエルフにしては長く生きておると言っておったが、アザはまだ出来ておらん」


「…………ハイエルフの寿命ってやつか?」


「正しくは神聖な種族に与えられた、肉体の限界よ。本来はどんな種族にも、長寿であれば起こるが、千年以上生きる者は少ないでな……」


「おれには……まだアザは出てねえよ。歳は……あんま覚えてねえけど、エルフの寿命の倍以上は生きてっけどな」


 また、話をそらされちまった。

 そう思って向き直った時、魔王さんはおれに頭を下げていた。


「年寄りの思い出話じゃ、もう少しだけ付き合ってくれ。

そのアザに気づいた儂は、ハンナを『アストリア高原』に連れて行こうとした」


「あすと……りあ?」


「この大陸の北西部にある、地精孔のひとつ。時間が進む事を禁じられた、花の形をした不毛の土地じゃ。

そこなら、儂が治療法を、アザの対処法を見つけられるまでの時間稼ぎができると思っての」


 ふと、魔界で起こる未来のイメージと、その高原とやらのイメージが合致した。

 おれはそこで……『骸の魔王』と出逢う。


 運命ってやつは残酷なくせに、時々おかしな演出をしやがるもんだ。

 まさか魔王さんの亡き妻と、おれの未来の重要なポイントが合致するとかな……。


「 ─── じゃが、ハンナが応じる事は無かった」


「……はっ? なんでだよ、死んじまうんだろ⁉︎」


 魔王さんは寂しげに微笑んで、こくこくと小さくうなずく。

 涙こそ出ちゃいねぇが、泣いてんだって思った。



「…………『超えられる運命と、超えられない運命があります。私は、自分の力で超えられる運命以外は、受け入れたくはありません』とな」


「……だったら、そこで時間を止めて生き延びる事だって、超えられる運命だろ⁉︎」


 気がついたら怒鳴ってた。

 なんでおれがそんなに熱くなってんのか、自分でも分からなかった。


「 ─── 目の前に訪れる試練は、その全てを超える事が使命では無い

神は光を求めて、人々の魂が磨かれ、大いなる光になる事を求められた。

……ならば心を捨て、がむしゃらに歯向かわずとも、己の心に何かしら成長を感じられれば、それで良いのではないかね?」


「…………よく、わっかんねぇよ」


「済まん。お前さんがとんでもない予言者じゃというのは、初めて会話をした時から分かっておったよ。

お前さんの魂は特別性、この世に一度きりの無垢な魂みたいじゃからな……」


 胸が締め付けられた。

 今まで誰にも口にすることのなかった、おれの最大の恐怖が、目の前の人物から言い当てられたんだ。


「そこまで……分かってんならよ。おれの話を聞いてくれたって、いいじゃねぇか……」


「済まん。だからこそよ。儂らは魔王として、この世に生を受けた一族。

魔界に精を配り、人界との生命の営みに帰依する者。それだけであり、それ以外の何者でもない。

……じゃから、儂は己に出来る事しかせんし、出来ん」


「あんたの……大事な息子や孫たちの命がかかってたとしても……か?

そんなに魔王であるって事の方が大事だってのかよ⁉︎」


 思わず怒鳴ってた。

 そんなおれに魔王さんは、少し困った顔をして続けた。


「そう。我らは魔王に連なる者。民あって、魔界あっての存在よ。

お前さんは特別な魂の持ち主じゃ、おそらくあんた自身も変えようの無い、大きな運命を見させられておるのじゃろう……?」


「…………!」


「なればこそ、儂はその予言を耳にしてはならん。

魔界の命運はそこに生きる命が、己の力で掴み取ってこそ。『魔』の冠を抱く、純粋無垢な力の民の証しよ」


 参った。

 魔王さんは分かってて、おれの話を避けていたわけだ。


 今まで、おれは……おれたちは、変えようの無い運命を、何度も変えようとしては水の泡になんのを見て来た。

 このクヌルギアス一族の未来だって、救えるのかどうかも分かりゃしねえ。


 大きな運命は、どうしたってそこを通るように出来てる。

 そして、この一族の関わる運命は、とびきりデケェときてやがる。


「のう、アマーリエよ。そなたは己の見る未来に何を望む?」


「おれの……見た未来に……望む……?」


 頭が真っ白になった。

 今まで何度も助けようとして、助けられなかったし、変えられねえモンは変えられねえって分かってたのに。

 ……おれ自身が未来に望むものが、何もねえ。


「……分から……ねぇ……おれは何を……望む」


 魔王さんは目尻にシワを浮かべて、微笑みながら頷いた。


「 ─── それだけ、其方が運命に必要とされて来た証よ

一言で語れる希望の未来なぞ、深く考える必要の無い者がやる事じゃからなぁ。

……さぞかし、見えぬ糸口を求めて来た事であろう」




 ※ 




─── 本当に、行くのですか?


 シロの声は悲しそうでもあり、どこか楽しそうにも聞こえた。


「ああ、おれたちに出来る事を、やるしかねえだろ?」


 結局、魔王さんがおれたちの予言を耳にする事はなかった。

 それでも、たった数日の滞在が、何年も暮らした家族の家みてえに感じられて、正直後ろ髪は引かれてた。


─── ふふふ。すっかりフォーネウス陛下に感化されてしまいましたね


 うるせぇ。

 お前だって嬉しそうじゃねぇか。


─── 最初に行くのは……南西の街『フォカロム』ですわね


 そう言って返事を待つでも無く、白はおれたちの体に飛翔魔術を掛けた。


 もう、やる事は決まってる。

 おれたちがここに来たのは、この数日間のためだったのかもしれない。


「おれたちがなんかじゃねえって、証明しねえとな……」


 運命に抗う事が目的じゃ無い。

 運命の前で、己が何をどう得られるか。


─── カゲロウだって、目的を持って生きてますわよ?


 そりゃそうだ。

 この世になんも目的のねえ生き物なんて、存在しやしねえんだから。


 『覗き見』だけの人生で終わってたまるか。

 おれは、おれたちの生きた証を、おれたちの魂に刻み込むんだ ─── !


「行くぜ、アマーリエ」


─── ええ、行きましょうアマーリエ


 その日、おれたちは初めてお互いを、お互いの名前で呼び合った。




 ※ ※ ※




「 ─── ってなワケでよ、おれたちは『覗き見』のカゲロウから、予言の未来を明るくするってのが生きる目的になったんだよ♪」


 アマーリエは鼻歌交じりにそう言いながら、杖をくるりと動かす。

 その先では、彼女がちらりと目で確認すらしていないと言うのに、押し寄せて来た馬族の一群が黒鉄の荊にすり潰されてゆく。


「……風の境界フィナウ・グイの民から、少しだけだが、話は聞いていた。

この聖地でまさか、三百年も封印されていたとは思いもしなかったが……。

─── その……辛くはなかったのか?」


「全然! だってよ、あの魔王さまの家族だぜ? 今のおれには、おれにしか出来ない形で、その孫の王子さまにお返しが出来んだぜ!

むしろ、楽しみで仕方なかったっての☆」


 えへへと笑いながら、アマーリエは後ろ手に持った杖で、続け様に迫る『思い出』をぎ払っている。


 術式を描いている様子はない。

 時折、静まった時に何やら杖に呟いているが、どうやら敵の現れる位置とタイミングを完璧に予知し、荊の罠を仕掛けているらしい。


 その余りにも正確な予知能力に、内心興奮しつつも、話の中で耳にした『予言に恐れる人々の態度』を思うと、はしゃぐ気にはなれなかった。


「……うふ。アマーリエがあんなに楽しそうにしているのは、初めて目にしましたわ♪

それに、さっきからずっと、少女のように嬉しさを全身で表してる。

よほど、あっくんに会いたかったようですわね、あんな可愛らしい彼女見たことありませんもの♡」


「…………そ、そんな事言われても、よく分からん」


 いつの間にか、俺の肩にあごを乗せんばかりに密着していたヒルデが、耳元で甘く囁いてクスクス笑う。

 その彼女の遥か向こうでは、斬り刻まれた者達が、黒い霧となって消えて行く真っ只中にあった。


 ふたりとも、ここに来るまでの間、一度も苦戦している様子を見せた事がない。


「久し振りに会えた友達なんだろ? 巻き込んで済まないな」


「そうですわね♪ おんもに出られたら、久し振り夜通し騒ごうかしら〜」


「ハッ! 冗談じゃねえ、ひっさびさの酒が、おめえの男話で汚されてたまるかってんだよ!

呑むんならおめえ、お、王子さまとだな……」


「あらぁ? とうとう貴女にも春が来たのかしら? でも残念ですわね、その花園はわたくしのモノでしてよ……?」


「……頼むから、俺を挟んで取っ組み合いはやめてくれ」


 こんな事してる場合じゃないんだが、ふたりは器用にも俺を挟んで、両手をがっぷり、力比べをしながら前進している。

 その間も、俺達の前後先では、黒い荊と紫の爪がスタルジャの『思い出』を蹴散らしていた。


『 ─── ん、これって、ほんとーに“セフィロトの杖”なんだね〜☆』


 ぐぃんぐぃん体を押し付けてるアマーリエと、俺との間からミィルがあっけらかんとした声を上げた。


「あん? おお、蚊トンボ。これに興味あんのか? なかなかお目が高いじゃねーか♪」


『蚊トンボいうな、焼くぞコラ!

─── すっごく懐かしい匂いがするけど、よっくもまあ、こんなアッブネェの持ってられるね!』


「この白い杖、そんなに危ないのか?」


「まあ、そこらのアホが持ち歩いたりしたら、一晩でおっ死んじまうだろーけどな♪

このアマーリエ様にかかりゃあ、底無しに魔力が吸い出せる魔道具に早変わりよ!」


 聖樹セフィロトは、エルフ達の輪廻の考え『緑葉の輪転ダウッド・フォニウ』に出てくる天界の大樹の事だ。


 死を迎えたエルフは、しばらく現世に滞在した後、天界へと向かい、聖樹セフィロトでひとつの魂となる。

 その聖樹は地上のあらゆる自然と繋がり、現世に生きる者達を見守り続けるという。


『アンデッドだらけになったりしないの〜?

魂吸い寄せる力は、まだまだ強いみたいだけどさぁ』


「カッカッカ、そんじょそこらの死霊なんざ、吸収して魔力取り上げてポイよ。魔力はおれの役に立てて、魂は浄化されんだから、おれの慈悲深さに畏れおののけっての♪」


 どうやらアマーリエの杖は、魔術杖や武器と言うより、神聖な祭具のような存在らしい。

 とある疑問を思い出して、彼女に尋ねてみる。


「……その杖なんだが、前にもスタルジャの精神世界に現れた事があるんだが、一体何故なんだ?

俺は父さんの記憶でその杖の存在は知ってたけど、スタルジャは見た事なんか無いはずなんだ。それなのに、この世界に現れたし、ダークエルフがそれを使っていた……」


「…………そうなー、その種明しは本人から聞いた方がいいと思うぜ?」


「本人? スタルジャがこの事を知ってるのか」


「いんや。すぐには分からない。でも、王子さまが本当に必要になった時、緑髪のお嬢ちゃんは知る事になるだろうぜ ─── 」


 銀色のまつ毛の下で、暗い紫色の瞳が悲しげに光をいて伏せられた。

 これは予言なのか……?


 さっきまでの楽しげな表情から、一瞬だけ何かを諦めたような、酷く寂しい顔が見えた気がした。


「そっか……。なら、元気なスタルジャに会えるって事だな。

─── アマーリエのおかげでさ」


 予言者である事の孤独。

 向けられた人の畏れ、欲望、憤り、そしてお門違いな恨みの念。


 それらにさらされて来た彼女には、きっと俺なんかが推し量れるような、単純ではない想いがあるのだろう。

 爺さんが少し心を軽くしてやれたみたいだけど、ある意味、彼女の想いを断った結果でもある。


 なら、俺は受け入れよう。


 俺は魔王じゃない、俺は勇者でもない。

 自分に出来る事をやろうにも、何が出来るかすら分かってない半人前なんだ。


 だから、俺は目の前で悲しげな顔をする者に、少しでも出逢えた事の喜びを伝えたい。


「 ─── た……っ、か……。へ? わ、悪い、今、ななな、なんて言ったんだ? おお、王子さま……よぅ」


「あー、アマーリエのおかげで、明るい未来が待ってるんだろ?

だから『ありがとう』って言ったんだ」


「……ちょすっ、は、はへッ⁉︎ べ、べべべ別に、お、おお、おれは、れれれ、礼なん」


「後な、頼むから『王子さま』はやめてくれ。今はアルフォンスだ。

その内、アルファードになるかも知れないが」


 後ろでヒルデとミィルがクスクス笑っている。


 アマーリエは顔を真っ赤にして、オロオロした後、ふすぅと大きく溜息をひとつついて『あるふぉんす、あるふぉんす』と呟いて、また歩き出した。

 その肩が上がっているのが見えて、余計な事を言ってしまったかと、ちょっと気まずくなる。


 ……と、彼女は立ち止まり、少しかすれた声で言った。


「 ─── マリーだ」


「…………へ?」


「おれの事は『マリー』って呼べってんだ、あ、あるふぉんす……!」


「……分かった。俺のも呼びにくいなら『アル』でいい」


 またピタリと足を止め、数回『ある』を繰り返した後、ふひひと不気味な空気音を口から漏らして歩き出した。


「「デレた☆」」


「うるせえッ、そこの淫魔と蚊トンボ! くだらねえことばっか言ってっと置いてくぞ!」


 さくさくと進むアマーリエを眺めていたら、ヒルデとミィルが両脇にピタリと立った。


「……あっくん、流石はやり手ですわぁ♡

あの日照り女があんな……くふふぅ♪」


「え? なにが⁉︎」


「アルフォンス、帰ったらソフィに刺されっかもねー♪」


「 ─── はぁ? どういう事だよ?

呼びにくそうだから愛称に変えたってだけだろ⁉︎」


「「…………」」


 ふたりがぽかんとしているのを見て、俺までぽかんとしてしまった。


「オラーッ! ほんとーに置いてくぞコラァッ‼︎」


 アマーリエの怒鳴り声に慌てて歩き出したが、何だかまたスタルジャ奪還への意気込みが溶かされてしまった気がする……。


 あー、そう言えば『力み過ぎだ』って、よくティフォに叱られたっけ。

 そう思い出して、頰を両手の平でピシャリと挟むと、気持ちが前向きに動き出すのが分かった。


─── ここに来るまでにも、俺は色んな人に助けられて来たんだよなぁ


 なんだかそう思えて、不思議とスタルジャの精神世界の不安定な空気の中にも、彼女の息遣いが聴こえて来るような気がした。




 ※ ※ ※




 青年と呼ぶには、余りにあどけないエルフが、喉元を杖の石突きで貫かれて膝から崩れ落ちた。

 カランと音を立てて落ちた、彼の手にあった武器は、使い古された獣解体用のちっぽけなナイフ。


 こんなもので戦いを挑むのかと、誰もがそこで立ち尽くす。


 うつむいて、深い溜息をついたアマーリエの頭上に、矢の雨が迫る。

 その足元に転がった若いエルフから、黒い霧が立ち昇り始めた時、上空に紫色の閃光が走った。


 アマーリエに迫った矢は、ことごとくがピタリと宙で留まり、くるりと向きを変えて、放たれた方へと真っ直ぐに飛んで行く。

 来た時よりも遥かに速度を上げて戻った矢は、周囲の死角の至る所から上がる、呻き声の不協和音を奏でていた。


「アマーリエ。貴女のお気持ちはお察ししますけれど、これは幻ですのよ。気を抜かないでいただけないかしら?」


 再び走る紫の閃光に、白く瑞々しい肌を輝かせ、ヒルデリンガは歪んだ口元に、赤い舌先をちろりと見せた。


「……るせぇ。わぁってんだよンな事ぁ。

ちと考え事だよ、この『思い出』の持ち主さんの事をな」


 馬族の集団からエルフの集団へと、そして数こそ減ったものの、戦略的に攻めてくるようになっていく。

 ミィル曰く、深層まであと少しと言う所まで来て、押し寄せる『思い出』の質が大きく変わった。


 今のように弓が使われ、剣、斧、槍、果ては風属性の魔術までも。

 正にエルフの一族との戦いと言った様相だが、こちらが手をこまねいているのはそれだけじゃない。


─── このエルフ達は、明らかにロゥトの里のエルフ達だ


 見れば頭を割られたエルフや、矢で針山のようにされている者もいる。

 馬族襲撃の時の彼らが再現されているのだろう。

 ……時折、俺が実際にロゥトで出会った者達の、当時の姿まで混じっているのだから手に負えない。


 今の所、アマーリエとヒルデが完璧に抑えてくれてはいるが、迫り来る彼らの『思い出』の数は、実際の里の民の数と同じじゃあない。


─── スタルジャが今まで思い返した数だけ、その人数は被って増えている


 長老ノゥトハーク、大工長ダルディル、次期長老と名高いレゼフェル。

 彼らを始め、見憶えのある友人達が、何度となく現れては斬り刻まれて行く姿が続いた。


 その顔や人となりを知っているのは、このメンバーの中では俺だけだが、流石に皆も色々と感ずる所があるのか、明らかに彼女達の精神が削られている。


「…………流石に気分悪りぃぜ。里は違っても、同じエルフだからよぉ」


「なぁ、この『思い出』達はスタルジャの故郷の人々だ。

─── どうしてそれが襲い掛かってくるんだ?」


 破壊や暴力の象徴として、馬族が襲い掛かって来るのは分かる。

 しかし、スタルジャにとって、温かな記憶であるはずのロゥトの人々までもが、何故俺達に襲い掛かる必要があるのか……。


 背中を向けてうつむくアマーリエの代わりに、ヒルデが苦しそうな声で応えた。


「深層に近いとは言え、これも古い過去なのですのよ。同郷の者達がどういう人々だったかは知りませんけれど……。

─── おそらくこの記憶の持主にとっては、恐ろしくて暴力的で……理解の出来ない怪物のような、そんな思い出でしか無いのかも知れませんわね」


 その言葉がズンと腹に響いた気がした。


 ロゥトは、あの事件以前、白髪のエルフ達から隔離されて居たとは言え、平和に暮らして居たそうだ。

 スタルジャにとっては、身近な人々が殺意剥き出しに抗う姿は、味方だとか身内だという以前に恐怖でしか無かったのかも知れない。


「…………そう言われてみれば、どの顔もみんな酷い形相だな。ボヤけていても、それだけはハッキリと分かる」


『……スタはね、時々こんな夢見ては、震えてたんだよ。ずっと、ずっとさ……逃げ惑いながら、んだよ……』


 ミィルは出逢って以来、よくスタルジャの中で過ごしていたから、その悪夢を知っていたらしい。

 共に旅をしていた俺だって、たまにスタルジャがうなされているのは分かってたけど、本人がそれを話そうとした事は無かった。


「……『探してた』って、何を……?」


『 ─── “救い”……だね、それと時々“断罪”。

自分を守ろうとして、死んじゃった人たちに、スタはずっと謝りたがってたんだよ。

……アルフォンスと出逢ってさ、そこはだいぶ軽くなってたみたいだけど。夢の世界ってさ、現実と比べて頭がニブイとこ、あるじゃん?』


「 ─── ッ‼︎」


 スタルジャの心の傷は、どうすれば癒せるのだろう?

 暴力的な馬族だって、殺意に満ちたロゥトの人々だって、今生き残っている彼らに何かをさせた所で過去は消えない。


 どれだけ彼女が振り返ったとしても、一度つけられた傷は消えないのだろうか……。


 そう胸が締め付けられていると、隣にヒルデが立ち、遥か前方に待ち構える『思い出』の軍勢をまとめて始末するアマーリエの背中を見つめてポツリと言った。


「…………生きていれば、いいんですわ」


「…………」


「生きて、それが終わったのだと、幾千、幾万の時を過ごせば。心を突く刃の鋭さだって、いずれ削れゆくものですもの」

 

 永く生きてきたヒルデだから、終わりを求めてアマーリエに輪廻の呪術を求めた彼女だからだろうか、その声は普段通りなのに抗えない重圧があった。


 スタルジャはあどけなく見えても、九十年は生きたエルフ。

 封印されていた俺の方が、長くこの世にいたとしても、意識を持って生きた時間は遥かに先輩だ。


 だからこそ、長く苦しんで来たのだろうと、こちらはおもんばかるし、その辛さを考えてしまう。

 ……だが、彼女が苦しみから解放されたのは、俺と出逢ってからだ。


 乗り越える為に必要な時間は、あの時始まったばかりなのかも知れない。


「 ─── おい、アル……見えたぜ」


 スタルジャに想いを馳せながら、歩いていたら間も無く、アマーリエの声で顔を上げた。


 今まさに積み上げられたエルフ達の死体が、黒い霧を立ち上らせているそこに、石柱が二本立っている。

 何処にでもあるような石材で造られたそれは、今まで歩んだ草原の風景に馴染む、取り立てて目立つものではない。


 だが、一目でそれが深層の入口だと、アマーリエに指摘されなくとも分かっただろう。


─── 柱の片方には、調律の女神のレリーフが施され、もう片方の柱には髑髏どくろの戦士が彫られている


 ロゥトの入口に立っていた柱に、ノゥトハーク爺が刻んだ、俺達との絆の証し。

 その間の風景は、陽炎のように揺れる、薄暗い世界が見える。


 思わず目を奪われていた俺の耳に、背後に押し寄せる膨大な数の足音が飛び込む。


「 ─── な、なんだこの数は……!

アマーリエ、ヒルデ! 早くこの境界の向こうへ!

おい、何で立ち向かおうとしてんだ、流石にこれはふたりじゃ……」


 アマーリエは俺を押し退けるようにして、迫り来る膨大な数のエルフ達に、スッと杖を構える。

 その隣には、体にゆらりと紫の光を立ち昇らせたヒルデが立っていた。


「……おい、ちげえだろ? アル」


「 ─── は⁉︎ 何がだアマーリエ、早くこっちへ……」


「お、おれはお前をって呼んだぞ王子さま‼︎」


「ふふふ♪ 今の貴女、最高に可愛いわよアマーリエ。ここ一番には、やっぱり愛する男から、特別な名前で呼ばれたいですわよね♡」


「……うっせぇ淫魔。邪魔すんな、てめえも向こうへ行け」


「あらぁ、汚れたわたくしが、これ程の想いを秘めた純真な少女の奥底に入れるとでも?

それはサキュバスではなくて、インキュバスの仕事だわぁ〜♪」


 アマーリエとヒルデは、地響きを起こして迫る、有象無象の『思い出』を前に、普段通りの調子で憎まれ口を叩き合っている。


「おい、蚊トンボ! この先はお前の力が必要だ。おれのアルを頼んだぜ」


「ふふ、あっくんのカッコいい所が見られないのは残念ですが、眠れる姫に妬けてしまいそうですわね。

─── わたくしはここでお掃除でもしておきますわ☆」


 思わず一歩前に出ようとした俺の胸を、ミィルが苦しげな笑顔で、どんと叩いた。


『ほらぁっ、アルフォンス! オンナふたりに恥かかせんな!

それとも、そんなに頼りないのかよ、あのふたりがさぁ!

─── あんたがこのクソみたいな夢を終わらせんだろ‼︎ ふたりを信じなよ!』


 目の前に黒いオーラと、紫のオーラが天をつかんばかりに立ち上がる。


 彼女達にこれ以上、余計な憂いは残せない!


「ヒルデ! マリー! 任せた。

絶対、後で美味い酒飲ませてやるから、ここは頼んだ!」


「おうよ☆」


「はいな♡」


 ふたりの背中が、揺れながら薄暗く遠く消えて行く。

 深層への境界を越える時、そんな風景を目にしながら、俺の鼻を懐かしい香りがくすぐっていた。


 澄んだ空の下で出逢う、花混じりの草原のような素朴で暖かな香り ─── 。


─── スタルジャの匂い、その中へと飛び込んで行った

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