第二十一話 彼女の思い出
沈む……沈む……。
体がすぅっと、沈み続けてる。
(体……? あれ……どんな形だったっけ……)
手足がその辺にあるって、そう思っても確かめる術がない……。
どう、動かしてたんだっけ……私。
真っ暗で何も見えない。
ずっとそんな事を考えていた気がする。
ううん、
私……わたし……。
『私』ってなんだろう。
今、考えているから、私?
今、そう感じようとするから、わたし?
ただそう考えようとするだけで、なんだか『私』の形が、思い出せそうな気がするけど、肝心な何かが抜けていて、するっとボヤけてしまう。
─── ふと、光を感じた
それが『まぶたが開いたんだ』って、ようやく分かった時、目の前に白い人影が見えた。
なだらかな丘に囲まれた、草原の細い一本道を、白いリネンのワンピースの小さな背中が揺れている。
─── ああ、あれは私だ
ママが作ってくれた、お気に入りの服。
たくさん走ると、風の精霊たちが集まって、体がすぅっと涼しくなって……大好きだった。
(そうだ、あれは私。幼い頃の私)
そう思った瞬間、幼い私は立ち止まって、こちらを振り返った。
─── あなた、だぁれ?
─── え……? 私は……わたし、あなたよ
─── ふぅん
─── そう、あなたは、幼い頃の私……
そう言うと、小さな私はくすくすと、鼻にしわを寄せて笑った。
コロコロと鈴が鳴るような、無邪気な声。
(こんなに……高い声だったんだなぁ私。幼い頃の声、もう忘れてしまっていた、自分の声)
─── ちがうよ
─── ……えっ⁉︎
─── わたしは、わたしだもん。わたしはロゥトのスタルジャ
─── だ、だから、それが……
─── あなたは、だぁれ?
無邪気な甲高い声が、私の胸をどきりと高鳴らせた。
(私……わたし……。これは、私じゃないの?)
体の芯が冷たくなって、こわばった喉が、声を出す邪魔をする。
─── わたしは、スタルジャ。あなたは、どこの、だぁれ?
─── わ、わたっ、私……は
視界がボヤける。
心臓が、こんなに痛いのに、脈を感じない。
その事実が余計に私を不安にさせる。
─── 今ここで考えている私は、本当に私なのだろうか……?
視界が揺らぐ、世界が灰色に、どんどん暗くなって闇に包まれてゆく。
─── ハッ……!
気づけばまた微睡みから醒めたばかりの、全てがおぼろげな、暗い世界にたゆとうていた。
(また……夢?)
そうして、また意識が沈もうとした瞬間、私の目の前に白い顔が、突然現れた。
『わたしはスタルジャ、あなたはだぁれ!
わたしはスタルジャ、あなたはだぁれ!
わたしはスタルジャ、あなたはだぁれ!』
「 ─── ッ⁉︎」
恐怖、不安、おぞましさ……。
そのどれともつかない、お腹の奥をえぐられるような、重苦しい苦痛が走る。
「あ……ああ……あぁぅ……っ!」
『もう、パパとママのいる、あのお家はないの!
パパとママがいる、あのお家には帰れない!』
声すら出せない私に、小さな白い顔は『キャハハハ』と、無邪気な笑い声を響かせて……
─── 私のお腹の中へと飛び込んで消えた
体内に自分じゃない何かが入り込む恐怖、嫌悪感で吐きそうになる。
まだ、お腹の奥で、小さな私が笑っているような感覚がして、ただただ叫ぶしかなかった。
残された私には、ただただ、自分の存在の不確かさに、言いようのない不安が渦巻いている。
そうしてしばらくすると、私の中に強い孤独感が湧いてきた。
……もう、帰る家がないのだと、月夜に震えたあの頃の孤独感。
─── そう、私は孤独だった
パパが、ママが、みんなが死んで、私の里は、私の知っている里ではなくなったのだから。
だから私は、ロゥトに帰ることを、早くに諦めていたし、考えないように鍵をかけた。
帰れる日はもう、二度と来ないのだと、そう思っていたから……。
だから再びロゥトに戻れたあの日、自分の力でマラルメ達にランドエルフの存在を知らしめたあの日、そして、目の前で馬族達が彼に討ち倒されるのを見たあの日。
ロゥトの里は、もう一度、私にとっての里になった。
ふと見れば、私の腕に小さな染みが出来ていた。
褐色の小さな黒いアザ。
それはもう片方の腕にも、足にも点々と大小色んな大きさで、刻み込まれていた。
(……そう、これは私の心のアザ、黒い姿の私は、こうして過去に染め上げられた姿……なのね)
意識が揺れる。
微睡みと一緒に、また次の染みがやって来る。
「 ─── 私は……だぁれ……?」
自分の口から出た問いかけは、水面の小さな泡ぶくのように、
※ ※ ※
─── ギリッギリリリ……ギッ‼︎
黒い荊が数十の馬族を、突き刺し、もしくは体を突き破って現れ、馬ごと絡め取っては上空で締め上げる。
足元には強烈な締め上げに砕け散った、馬族の装備品と、千切れた血肉が雨のように降り注ぐ。
「かーっ! くっそ、キリがねえな」
銀髪頭をボリボリと掻いて、アマーリエが吐き捨てる。
そう言いながらも、薄暗い草原に霧のように後から後から湧いてくる馬族の戦士達を、片っ端から黒い荊の呪術で処理する辺りは流石だ。
後方では、稲光のような紫色の閃光が空を染め、その度に追手が引き裂かれて、草原に叩きつけられる重苦しい音が続いている。
「ほんと、キリがありませんわね。一体どれだけの闇を
ヒルデが魔物だと、今までどうしても信じられなかったが、戦っている姿をこうして初めて見て納得した。
さっきから、湧いて出てくる馬族の幻影を、バターのように切り裂いているのは、圧縮された魔力に刃の性質を持たせた魔術だ。
しかし、術式を描く様子はなく、まるで意思そのもので魔力が術化している。
魔物は魔術の行使に、詠唱や術式を必要とはしない。
魔力で生きる彼らは、当たり前のように魔力と接していきていて、生まれ持ったスキルとして魔術を行使する。
新たに術を編み出したりはしないが、息を吐くように扱う魔術には、隙が無いと言うのも彼らの特徴だ。
─── 正直、彼女らが敵でなくて、本当に良かったと思う
あの荊や紫の光の刃は、
『アスタリア高地の魔女』『紫鋭のヒルデリンガ』の名は、伊達じゃない。
このふたりが人界で暴れたら、そこらの国軍など、相手にもならないんじゃないか?
俺とミィルは、前後をふたりに守られて、やる事がない。
「なあ、やっぱり俺も……」
「うるせぇ! 大人しくしてろ! 王子さまは少しでも魔力温存しとけって言っただろ!」
この通りだ。
俺とミィルは、アマーリエの術によって、現実世界の肉体と繋がりが強く保たれている。
お陰で俺は何をする事もなく、この夕暮れ前の薄暗い草原を進んで来れた。
『ここはまだ浅い所だから、一番思い出しやすい、馬族の影がさ、わいてるんだ……。
もう少しすすめば、少しは出てくる“想い出”も減るとは思うけど ─── 』
そう言って、ミィルは少し不安そうな表情を浮かべた。
ここに現れる、無数の馬族の幻影、これはスタルジャが今までに思い返して来た『想い出』なのだという。
馬族達の顔は、おぼろげだったり、姿形が曖昧だったりするが、馬の蹄の音と振動だけは嫌に強く響いていた。
エルフは長寿だ。
生まれてからある程度までは、人間と同じような速度で成長し、十五〜六歳から緩やかに成長する。
スタルジャは九十歳を超えているが、見た目は十七〜八。
精神年齢は実年齢と同じかと思いきや、長寿のエルフの場合、百歳で大人として成熟を迎えるという。
今のスタルジャは、見た目よりほんの少しだけ精神年齢が上といったところだろうか。
彼女が馬族に襲われて、家族や大切な人々を奪われたのは、エルフにとって多感な時期に当たる。
「 ─── 外見が一致してない。
恐怖に潰されながら、何度も何度も馬族襲撃の夜を思い出しては、足りない記憶を補足して作って来たんだな……。
理不尽な出来事を、自分の中で消化して、向き合うために何度も……」
俺の手で、直接消し去ってやりたい衝動に駆られる。
思わず拳を握り締めた時、一層大きな破裂音がして、視界にいた馬族の『想い出』が上空で爆ぜた。
白い杖をクルリと回し、腰帯から提げた環に、慣れた手つきで納めると、魔力の光を薄っすらと帯びた銀髪を揺らしてアマーリエが振り返る。
「……な、心配すんなよ王子さまよ。あいつら少し透けてたろ?
最近はあまり思い出してなかった、古い記憶ってーとこだ。
そんなあやふやなんはよ、おれからすりゃあ、泥人形みてぇなモンだぜ?」
「それでも、これだけの数、流石に手間だろ。……すまないアマーリエ」
「おふぅ……直接名前呼ばれっと、ビリってくンなぁおい♪
─── あー、お、王子さまはよ、深層で多分嫌ってほど魔力使うことになっから、おれと淫魔に任せとけって! な!」
そう言って、くすぐったそうにニヘラと笑う彼女には、ミステリアスな予言者のイメージは感じられない。
「……なぁ、アマーリエ」
「う〜ん?」
再び歩き始めた彼女の背中は、どこか楽しげに弾んでいるようにすら見えた。
「 ─── どうして俺達を、スタルジャを助けてくれるんだ……?」
彼女は振り返り、驚いた顔をする。
「は? そりゃあ、王子さまに必要な女のひとりだし、王子さまが望んでることだからに決まってんだろ?」
「……確かにそうだが、それもずっと前から見えていた事なのか」
「ああ。物心ついた時にゃ、ここに来るこたぁ知ってたぜ♪」
当然のように返す彼女に、ふとした疑問を投げかけてみる。
「何故……だ? これだけの歳月をかけて、これだけの危険な場所に、いや、勇者に襲撃までされたんだろ? そこまでして、どうして……?」
「かぁ〜っ、じい様に似て、鋭いねぇ王子さまは。
クソ勇者が来てたことまで分かってんのかよ、まあ、それくらいはクヌルギアス一家だもんな♪」
「結界の外に……魔剣の痕跡があった」
「あー、あの小汚ねえ剣、汚れが残っからなぁ……」
「いや、そんな事より、なんでスタルジャを助けてくれるんだ?
予知ができるなら、何も勇者に関わらなくても、人界にいれば良かったはずだし……
─── 俺を助ける理由があっても、お前にはスタルジャを救う理由はないはずだ」
彼女は目を丸くして、しばらく俺をジィっと見上げた後、笑い出した。
「そりゃ考えてなかったぜ! 必要だから、そうした。そうしなきゃ、掴めない運命だからそうしただけさ王子さま♪」
「……俺の魔王候補者としての自覚と、関わりがあるのか?」
「お! そう聞くってこたぁ、ちゃんとおれを追っかけて来たんだな? かぁーっ、覗き魔冥利につきるねぇ♪
─── そう、おれの目標は、あんたの覚悟を決める要因を確定させ、未来に必要になる人物を、あんたの隣に残すことだ」
「未来に必要……それが、スタルジャなのか?」
『そだよ〜♪』と、やはり楽しげに答える。
「三百年……最低でもここで三百年、封印されてたんだろ? 辛くは……なかったか、自分の人生を謳歌したいとは ─── 」
「ない。それはないね。
おれは、どうしたって、あんたにここで会っておきたかったのさ。
─── しっかし、くくくくっ」
「何だよ……急に笑い出して」
「かっかっか♪ じい様といい、オリアルといい、エルヴィといい、イロリナっちといい。
ホント、いーやつだらけだよな、クヌルギアスって奴らはよ」
「…………」
記憶に無い家族の肖像、それを知る彼女に、家名でまとめられるのは、少し耳がこそばゆかった。
「 ─── だからおれは、このクソ田舎に縛られてても、なぁんとも思わなかったんだぜ?」
薄暗い草原の道を進みながら、アマーリエは昔話をポツリポツリと話し始めた ───
※
─── おい、マジで里を捨てる気かよ……
おれの問い掛けに、シロはフフっと笑って『クロ、怖いの?』と胸に手を当てた。
シロは自分が表に出てる時は、おれに話し掛ける時に、こうするクセがある。
「わたくしたちは、そのために生み落とされた、カゲロウのようなものなのよ。
なら、地上の運命を見定める役割を全うしなければ、それこそカゲロウ……いいえ、虫にもなれない哀れな存在ではありませんか……?」
─── ちっ……どうせおれは、お前の染みだからな……好きにしろ
そう言い返せば、シロは笑って、子供にでも話し掛けるように言う。
「あら。散々『おれこそがオリジナルだ』って言っていたクセに、珍しくしおらしいわね」
─── …………うるせえ
シロは微笑んでいた頰を引き締めて、海の向こうを見上げる。
荒れ狂う北の海の空は、黒い雲に覆われて、月の輪郭すら見つけられねえ。
人魔海峡。
この先に、おれたちの知らねえ世界が広がっている。
予知で何度も見てはいても、おぼろげな断片を覗き見ただけだ。
マジで行くとなれば、いつとって喰われてもおかしくねえ弱肉強食の世界、未練なんざありゃしねえが、人界を離れるのも惜しく思えてくる。
「 人界で出来ることは終えました。
─── 残すは魔界……わたくしたちの希望の出現を見定めるのみ」
白い杖に魔力が流されると、術式を描くまでも無く、必要な術式を展開する。
「 ─── 【
シロの言霊が紡がれて、光を纏った体は、ローブと髪を漂わせて浮き上がる。
目指すは魔大陸、そして『骸の魔王』が生まれる、魔王城へ ─── 。
この世の終わりみてえに荒れ狂う海も、上空から見下ろせば、所々に白いモヤの掛かる、藍色のシーツが広がってるようなもんだ。
数々の船を藻屑にして来た海も、空を飛べばなんて事はねえ。
飛翔魔術すら使いこなせねえ人間を阻むには丁度いいが、おれたちには夜の散歩みてえなもんだと、そうタカをくくっていたんだ。
─── その考えが甘かったと、すぐに思い知らされるとはつゆ知らず
海峡を三分の一も進んだ時だったか、シロのヤツが急に杖を構えて、魔力を高めた。
「 ─── こ、これ程までとは⁉︎
聖樹よ、天門より出でよ! 我が領域を守れ!」
─── アァ? なんだってそんな大層な保護結界なんざ……ッ‼︎
悪態をつきかけて、思わず息を飲んだ。
いっつも余裕たっぷりなシロが震えてる。
それもそのはず、目の前の景色が黒く塗りつぶされていやがる。
とんでも無く濃厚で、バカでけえ魔力の壁が、いつの間にかおれたちを囲ってやがった。
「この海……いいえ、魔界の結界⁉︎
─── それにこれは……根、魔大陸をすっぽり覆って余りある、監視魔術の網……!」
シロの貼った聖樹の根が、聖樹の枝から創られた『隠者の杖』が、力を失って侵食される。
天界の奇跡そのものの杖が、力に押されて黙り込むのを、今まで一度だって見た事はなかった。
『 ─── そこか……』
上も下も分からねえ暗闇の中に、地響きみてえな声が沸き起こると、紅く光る細い糸がおれたちに絡みついた。
紅い瞳の眼球が、びっしりと浮き上がった、悪趣味な糸が、空を覆って脈動してる。
その真っ赤な空の壁に、すっと黒い筋が走ると、暗闇から青白い顔が浮かび上がった。
『……何をしに来た……小娘……』
ここは地獄か……?
目の前に浮かんだ、白髭のジジイの声に、心臓を握り潰されたみてえに、胸が締め付けられる。
妖しく光る紫水晶の角に、目が奪われて声ひとつ出せずにいた。
『…………む? 小娘には
─── 今一度、問おう。何をしに来た小娘、これより先は魔界、
『我が庭』……?
こいつ、まさか……⁉︎
「お初お目に掛かります。
───
─── …………ッ⁉︎
シロの心はまだ震えてる。
それなのに、貴族のお嬢さんよろしく、ローブの裾を摘んで、深々と頭なんざ下げやがった!
いや、そんな事じゃねえ、こ、これが『魔王』!
魔王城は魔大陸のど真ん中だってのに、こんな所まで手を伸ばしてやがるのか⁉︎
「わたくしは人界のエルフ、アマーリエと申します。
此度は陛下に我が力をお役立て頂きたく、陛下の御前に馳せ参じる心積もりでございました」
『……むう。エルフ……か。いや、小娘、貴様はひとりではないな……?
この黒き波動は……ダークエルフ、我が目を偽ろうとは小賢しい……』
き、気づきやがった⁉︎
シロの中に隠れてるおれを、一目で見抜きやがった‼︎
その瞳が紅く光ったと思ったら、おれはシロと入れ替わって、魔王とバッチリ目が合ってた。
魔術? 呪術……?
なんだか訳の分からねえ力で、おれとシロは強制的に入れ替わりをさせられていやがった!
『 ─── ほう。ダークエルフになり切って居らぬか。
……いや、貴様ら
「けっ、それがどうし……」
『おお⁉︎ ふたり支え合っておるのか⁉︎
いや、しかしこの魂の形は……』
「─── お、おいっ! おれの話を……」
『あ……なんじゃお前ら、さてはイイ奴じゃな?
それを先に言わんかい、ほれ、解いてやろう』
ジジイの顔から、禍々しさが消えて、血色のいい福々とした爺様の顔になった。
困惑して声が出せないおれの周りから、紅い糸はシュルシュルと何処かへ消えて、解放されてた。
『 ─── おう、
「……だ、誰と話して…………ッ⁉︎」
暗闇の晴れた足下の海には、無数の水の蛇と、赤黒い触手がびっしりと
その中心に浮かび上がる、白い女の顔。
─── 山みてえにデケェ顔が、おれたちを真下から見つめていやがった
こいつが『クラーケン』か……⁉︎
歴代魔王に支えて来た、大海原の怪物。
永遠の命と、無尽蔵の再生能力、そして、天候すら操る伝説の魔法生物。
『……っとに、心配性なんじゃからのアイツは。ほれ、クラーケンよ。お嬢ちゃんがビビっとるじゃろ、散れ散れ散れ〜』
「び、ビビッてねぇしっ⁉︎ お、おれはあんなタコ、怖くなんか ─── 」
魔王に目を戻した時には、もう目の前に立って、おれの手を取っていた。
─── こ、殺される……ッ⁉︎
今まで色んなヤベェやつらと会って来たが、動きどころか、気配すら感じられずに遅れを取ったのは初めての事だった。
頭の中でシロの『ひっ』って、女みてぇな悲鳴が聞こえた。
……いや、女なんだけどよ、一応な。
でも、魔王は何もせずに、ただおれの手を握って、上下に振っているだけだった。
『ん、ほれ。儂の勘違いじゃった、済まんかったのう。仲直りじゃ仲直り♪
思念体じゃと、中々魔力の調整が面倒……難しくてな。
─── あ、丁度この間、ロフォカロムの坊主から、とびっきりの酒が届いたんじゃった!
ほれ、お前らこっちゃ来い! 歓迎じゃ歓迎じゃ☆』
「だ、だからジジイ、おれの話を聞 ─── 」
白い光に包まれて、それが消えた時にはもう、おれは魔王城のホールで、魔族に迎えられていた。
最初はさ、話を聞かねえ偉ぶったクソジジイだと思ってたさ ───
※
「うう……頭が痛い。ちょっとクロ、貴女どれだけわたくしの体でお酒を……」
─── うるせぇ……しばらく話しかけんな……
スゲエ呑んだ。
魔王さん、めちゃくちゃイイ人だった。
話してみれば王様っぽくねぇし、自慢話だのお説教もなくて、飲み出してみたらアホみてえな話がわんさか出て来やがった。
こっちの話を聞いても、ゲラゲラ笑い転げて、こんな気の良いおっちゃん人界にはなかなか居ねえと思う。
しかも、おれが酒好きだって知ると、次から次へといい酒を振舞って『まずはいい酒を飲め
、味が分かんなくなったら安酒でいいじゃろ?』とか、冗談かましてやがった。
結局、最後までスッゲェ酒しか出て来なかったけどな。
多分、値段聞いたら、どの酒も一瞬で酔いが覚める代物だったろうに。
魔王さんなりに、気を使ってくれてたんだろ。
……それが悪かった。
まだ、酒が抜けてねえって言うか、多分、今のおれは死んでも腐らねえんじゃねぇかな?
酒の中に浸ってるみてぇな感覚だ。
「 ─── 【
何度目かの解毒の魔術をかける。
少し頭がスッキリして来た気がしたが、こんなに酒に呑まれたのは、初めてじゃねえかな?
「ふふふ。でも、あんなに楽しくお酒をお腹いっぱい飲んだの、初めてでしたわね♪」
シロもそう思ってたみたいだ。
少し血の気を取り戻したシロは、寝台の中で微笑みながら寝返りを打った。
─── 魔王さんは、酒の席でおれたちの事を、聞こうとはしなかった
『今日は難しい話はパス』とか言って、バカ話だの、魔族ジョークだの連発してたんだ。
正直、あんなに笑ったのは初めてだと思う。
シロは何にも言わねえけど、今まで何処言ってもおれたちに求められたのは『予言』だった。
それも、話せば気味悪がられ、嫌な事を口にすれば恨まれる。
おれ達が不幸を持って来てる訳じゃねえってのにだ。
……人はわがままに出来てる。
思い通りにならない事は、誰かのせいにしたくなるもんだ。
それが、ダークエルフとエルフの二重人格者ってなれば話は早い。
「……うふ。ふふふ」
シロが昨日の夜を思い出したのか、また笑った。
気持ち悪いが、こいつがこんなに楽しそうなのは、初めて見たんじゃねえかな。
少なくとも昨日、おれたちは『ふたりのお姉ちゃん』として、魔王さんと飲んだんだ。
こうしてダラダラと寝そべっていても、誰も部屋に訪ねて来ようとはしない。
与えられた部屋は、人界ではお目にかかれねえような、上等過ぎる部屋。
─── 大事な客扱いなんだな
人界じゃあ何度か王宮に呼ばれた事もあったが、要件済ませたらホイホイ追い出されるばっかだったしな。
初めての場所で、そぐわねえ部屋だってのに、小せえ頃の自分の寝台を思い出すほど、気持ちは落ち着いてた。
魔王ともう一度顔を合わせたのは、翌日の事だ。
湯浴みだの、綺麗な服だのが与えられて、すっかり緩んだ所で、クヌルギアス一家とご対面となった ───
※
「んあ? このエルヴィちゃんのお腹にいる子が、史上最高の魔王になるじゃと⁉︎」
「 ─── んあー、違う違う。今腹にいる子も大きな役目持ってるけどよぉ、そん次だ」
孫が凄い事になると聞いて、魔王さんは『でかしたァッ』とか騒いで、話を聞いちゃいねえ。
「あ、あの……アマーリエさん? つまりふたり目の我が子が、偉大な王になるって事で……。
この子はどうなりますの?も、もしや命が……アワワ」
「お、落ち着けエルヴィ! どんな事があっても私が守る、ほら、呼吸を整えて!
ひっひっふぅー! ひっひっふぅーっ!」
「お前が落ち着かんかオリアル。そりゃお産の時の呼吸じゃろが、今産んでどうする?」
調子崩れっぱなしだわ。
最初は、目が合っただけで取り殺されんじゃねえかとすら思った魔王さん。
その息子のオリアル王太子も、その嫁のエルヴィラ王太子妃も、そこらの街のただの家族みてえに呑気で純粋……悪く言やぁ、少しアホっぽい。
「心配いらねえよ、その子も無事に産まれて、あんたらに幸せを与える、お姫様になっから安心しな♪」
「ああーっ! 待て待て待てぇッ! 性別は言うな! 皆まで言うな!
儂は聞かんぞ! 産まれて来た初孫を、この手に抱くまでは、男の子か女の子か知りとうないんじゃ! ロマンじゃからな⁉︎」
「陛下……そう仰いますけど、城にはもう男の子用と女の子用の玩具や道具で溢れておりますのよ? 少しはロマンもお控えに……ほら、アナタからもご進言下さいな」
「ああ、ロマンだ。漢はロマンに生きてこそ」
「はぁ、どうして男ってこうなのかしら……」
話が進まねえ。
こいつら一家に訪れる未来は……絶望だ。
それを教えてやりてえのに、どうにも会話が途切れねえで、きゃいきゃいやりやがって。
「と、とにかくだ。おれはこの世界に訪れる未来の危機が、少しでも救われるように、この目で魔界を見届けに来たんだ。
─── これからおれが魔界を旅する事の許可をくれ」
「「「どうぞどうぞ♪」」」
くそっ、そろってこっち見るなっての!
こりゃあ、息子夫婦がいる所じゃ無理か。
─── おれは伝えなきゃなんねえ
この城で起きる惨劇を。
ここにいる魔王一家全員が巻き込まれる、最悪の未来を。
世界が破滅の危機に追いやられるその序章を。
おれがこの世に生まれたのは、それしか理由がねえんだから ───
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