第十八話 アスタリア高原

「本当にいいのか……?」


「ああ。最初からそう言ってるだろ。

魔界に来てから、かなり顔馴染み達とも連絡が取れた。それに今は急ぎじゃない」


 この先、ロジオンの最初に挙げたルートでは、パルモル平野の先、アスタリア高地に沿って東に行くはずだった。

 魔王……いや、勇者ハンネスの治める、魔王城に向かって進み、情報を集めるために。


 だが、アマーリエの予言を耳にした時、ロジオンは、彼女の足跡を追う事を勧めた。


「姉さんの事だって、気になってるんだろ」


「……それはお前も同じことだ。

─── スタルジャを救え、憂いは剣を鈍くするからな」


 そう言って笑う彼の頰を、パルモル平野の乾いた風が撫でる。

 少し大人びた眼は、真っ直ぐにアスタリア高地の天辺を見つめていた。


「ありがとう、ロジオン。恩に着る!」


「ハッ! 次期魔王さんに恩を売ったんなら、全部終わった時には、美味い酒のひとつも飲めるんだろ?」


 そう言ってこちらを見る彼と見合い、思わず吹き出す。

 少し離れた後ろで、ソフィア達も微笑んでいた。


「 ─── よし、行こう。

ベヒーモス、目的地はあの高地の上、アスタリア高原だ」


「ウン。分カッター」


 パルモルの街から再び、巨大化(戻った)したベヒーモスの背に乗って、乾燥地帯を北上して越えて来た。



─── アスタリア高原、アマーリエの示した最後の足跡



 目前に迫る、遥かせり上がった灰色の大地の上に、その場所がある。


 『もう少しだ』その俺の想いが伝わったのか、ベヒーモスもやる気らしい。

 四肢の先に光る、青白い魔法陣の光を空になびかせて、一気に頂上へ向けて加速する。


「……うう、ちょっと速すぎなの。

尻尾の付け根が『ヒュン』ってなるの……」


「それ、あんただけよユニ」


「…………いや、オレも分かるが……」


「ロジオンも? あなた、尻尾なんて生えてないじゃない?」


「……な、何でもない。忘れてくれ」


 どこかモジモジしたロジオンから目をそらし、俺はベヒーモスの進む先を見る。

 目まぐるしく過ぎ去る足下の風景に、嫌が応にも心が弾む。


─── アスタリア

古代エルフ語で『真紅の花』を意味する


 ヒルデリンガの話によれば、古くは『大地に紅く咲き誇る、高貴なる大地』と呼ばれていたそうだ。

 灰色の岩肌の続く景色に、それと結びつくような特徴は見られない。


 だが、見上げていた岩肌を越えた時、思わず俺は息を飲んでいた ─── 。


「…………は、灰色の……花……⁉︎」


「うふふ、まおーさま♡ 驚かれた顔もチャーミングですわ……。

そう、アスタリア高原はその名の通り、薄い岩山の重なった、花の形そのものなのですのよ」


「まだ魔王じゃねぇっての。

…………でも『紅』ではない……な」


「ええ、それならすぐに ─── 」


 ヒルデリンガが口の両端を持ち上げて、妖しげに微笑みかけた時、ベヒーモスが背中の俺達に振り返った。


「ネエネエ、モシカシテ、アノ真ン中?」


「ええ、そうですわベヒちゃん。

あの真ん中にそびえる、ひときわ高い場所こそが『アスタリア高原』ですのよ。

…………アマーリエ、どうしているのかしら?」


 懐かしそうに、でも何処か寂しそうに、ヒルデリンガは高原を見つめる。



─── 高原にて、我がを拾いなさい。愛は叶えられ、世界に新たな柱が生まれる



 魔公爵ペルモリアから聞いた、アマーリエの予言が本当なら、彼女はすでに……。


 ヒルデリンガはアマーリエの事を『かつての飲み友達』と言っていたが、もう長く会っていないらしい。

 魔界の住人達は、寿命が長くて、時間感覚が人間とは大きく掛け離れている。


 ……長く会って居ないからと言って、それが親交の浅さとは限らない。

 今、俺の口からは、託された予言を伝えるのは、どうにもはばかられた。


 思わず背けた視線の先には、花弁のような山の内側に、段々畑のように広がる村らしきものが点々と目に入る。

 こんな高地でも、人里があるのかと、複雑な気持ちの中で感心していた。


「アルジー、カッ飛バシテ、イーイ?」


「…………あ、ああ。行け、ベヒーモス!

思う存分、ぶっ飛ばしていいぞ!」


「……え、ちょ、アル様? ユニ困る……」


「アハハッ、ヤッターイ! 行ックヨー♪」


 言い難い事を腹に抱え、ベヒーモスの底抜けに嬉しそうな声を聞いて、少し冒険心を取り戻した俺は、正直ハイになりかけていたと思う。


 『行っけええぇぇいッ!』とか、調子に乗って大声を出した瞬間だった。


─── ドッゴオォォォ……ンッ!


 目の前の空が真っ白に光って、強烈な衝撃と共に、ベヒーモスの首が真横に向いて、せり上がった頰肉で顔がグニっと歪んだ。


 『へっ? 結界?』そう思った時だったかな……。

 ちょっと笑ったような顔をして、白眼を剥いたベヒーモスが、自由落下を始めたのは。


「「「ぎぃやあああああああああっ⁉︎」」」


 俺達の悲鳴が、アスタリア高知に木霊するのを聞きながら、なす術なく墜落して行った。




 ※ ※ ※




「 ─── で、あんたらは、ここに落っこちて来たってぇのか……?」


「ええ、そうですわ……。死ぬかと思いましたわよホント……」


 消え入りそうな顔で、そう答えるヒルデリンガに、村長は青白い顔を震わせてうつむいた。

 眉間にシワを寄せたその表情に、内心俺は冷や汗を流していた。


 何故ならアスタリア高原は、ここの聖地。


 俺達はそこに体当たりをブチかまして、足下の村に墜落したのだから。

 こうして取り調べを受けるのも仕方がないが、聖地と呼ばれる場所は、得てしてよそ者が土足で踏み入るのを忌み嫌うものだったりする……。


─── 場合によっては、かなり血生臭いペナルティを言い渡される事だってある


 村長は肩を震わせ、青白い顔を勢いよく上げると、大きく口を開いた ─── !


「…………ぷっ! わはははははっ!」


「笑い事じゃありませんわッ!」


「ぷくくっ……す、すまんな……くくっ。

あんまりに久しぶりの客人が……あんまりにもハードな飛び込み方して来たんでな……ぷふぅ」


「あ、あの……? 私たちここに来るのが初めてで……。あそこは皆様にとっての『聖地』なのですよね? もし、私たちのした事が、あなた方の怒りに触れるのなら……」


 ソフィアが申し訳なさそうに申し出ると、村長はキョトンとした顔で答えた。


「いや……? 怒るようなことは、なンもねえよ?

聖地は聖地だけンどもな、もう長ッえこと、誰も入れてねえんだから、最近は聖地だったのかすらボヤけて来てんだホントのとこは」


「……あ、そうですか……」


 くそう、心配して損したじゃねえか。


 聞き耳を立てていたベヒーモスも、気を緩めたのか、皿に出された牛の乳を美味そうに飲み始めた。

 聖地の結界に激突したベヒーモスは、目を覚ました直後、巨大化したままの体で『ゴメンネゴメンネ』と、ベロベロ俺を舐め回した。


 態度は犬のソレだったが、舌は猫のソレで、ザリッザリッと、俺の防御結界が音を立てて震えていたのは凄く怖かった。

 そんな所を、この村の衆に見つかり、村長宅へ連れ込まれたという流れだ。


「まあ、聖地だったとしても、あんたら結界にぶち当たって落とされちまったんだろ?」


「「「…………はい」」」


「ンじゃあ、悪ィことは、なぁんもねえやな。

ま、大した怪我もなくて良かったじゃねえか! ぶはははははっ!!」


 そう言って村長はゲラゲラと笑う。

 ちなみに顔が青白いのは、彼が妖魔族だからだ。

 決して緊張してるとか、怒りに震えてるわけでもない。


 青白い肌に金色の瞳、細く鋭い乳白色の角を持った、長身細身の姿。

 魔力が高く、幻術を操り、人に悪夢を見せるなんて逸話のある種族だ。


 ただ、彼の耳は伝え聞く妖魔族のものと違い、長く尖っている。


「んん? なンだい、おれっちの耳が珍しいのかよ?」


「あ、いや、すまない。俺の知り合いと耳の形が似てたもんでな」


「お? あんた、もしかしてエルフの知り合いでもいんのか。そだよ。おれっちは妖魔族とエルフのハーフだ。

……まあ、ちとワケありでよ。ここの村の者はたいていそんなモンさ」


 アスタリア高地は、太古の昔は、マナの溢れる肥沃な土地だったそうだ。

 しかし、マナの流れに大きな変革が起こり、人の住めない土地になったのだという。


 『ワケあり』か。

 目の前の村長は、人の良さそうな笑顔を浮かべている。

 過去に何か、ここに追いやられるような事でもあったのだろうか?


 この家に通される間に見た村人達は、他の魔界の街と同じく、人種はバラバラだった。

 ……だが、そう言われてみれば、誰もがどこか似通った雰囲気を持っていた気がする……。


「……まあ、サキュバスの始祖である姉さんは分かるンだけどよ。あんたらふつーの人間と……獣人族だよなぁ? あ、そっちのお嬢ちゃんはナニモンだか分かんねえけど……。

─── よく、この土地で平気で立ってられるモンだ。クラクラしねえのか?」


「…………え?」


 振り返ると、ソフィアは『ああ』と言った顔をしていた。


「この異常な量の……

─── ただれたマナのことですか」


「そうだ。ここのマナはちと特別でな。

一度噴き出してから、もう一度大地に帰るんだよ。ちょうどアスタリア高原の真ん中から湧いて突き上げた後、すぐ近くにグッと曲がって落ちるのさ」


「 ─── 不浄のマナ……人界のマナの残りカスが、顔を出すポイントでしたわね」


「「「…………!」」」


 マナは世界を巡る。


 人界で使われたマナは、もう一度大地に戻りり、魔界で浄化される。

 人界で変質したマナは、魔界に適したマナとなり、再び魔界で変質したマナは、人界に適したマナへと戻るのだと。

 父さんの言っていた、人界と魔界で織りなすマナの相互関係だ。


「私たちは魔術で身を守っているので、影響を受けてはいません。

……ここは、人界で役目を終えたマナが噴き出す場所なのですね?」


「ああ。そういうこった。

でもな、それじゃあまだ、魔界のモンには強過ぎてダメだ。

ここで一度、頭ァ出して、ちと発散してから大地に潜って、魔界中の地精孔からいい塩梅で噴き出すんだわ。

……なんでも、ここの地盤にゃあ、魔鋼だなンだってぇ、複雑な地層があって、整えられるんだってよ」


 父さん達のいる方星宮から見た、毛細血管のようなマナの流れが思い出された。


 そう言われて、無意識の内に張っていた防御結界を緩めると、魔術を使った後の、魔力の残滓ざんしょうに似た淀みが、全身にグンと重くのしかかる。


「だから、尻尾の付け根が『ヒュン』ってなったの……。なんだか空気がすごく重くて」


「ユニちゃんは、魔力とかマナにすごく敏感ですものね。【生命維持】の術式にシャットアウトされてても、これを感じていたんですね~♪」


「うん。あ、そう言えばロジオンも『ヒュン』ってするって言ってたの!

ロジオンもビンカンなの?」


「 ─── い、いや、オレのはちが……っ!

そ、そのなんだ、オレは呪いのせいで、魔力の影響を受けにくいからな。

むしろ、感じようとしなければ鈍いくらいだ」


 だから普段から鋭いオーラが出てたのか。


 魔力検知が鈍いって事は、索敵にハンディキャップを負ってるのと同じ。

 ロジオンは常に神経を張り巡らせていたらしい。

 ……強靭な精神力と、集中力が無ければ難しい事だろう。


不躾ぶしつけな質問かも知れませんが……。

では、なぜあなた方は、この土地に?

ここのマナはあなた方にとっても、毒なのでは……?」


「そこよ。さっき村の衆の面見て、何か気がつかなかったかい?」


「 ─── 全員、ハーフエルフ。

いえ、と異種族との間に生まれた方々ですね?」


「「「…………⁉︎」」」


 それか!

 人種がバラバラなのに、共通していた雰囲気もそうだけど、全員耳がエルフ耳だった!


「おお、あんたよく分かったなぁ!

そうさ、エルフもエルフ、おれっちらはハイエルフとの混血さ」


「それならば、高い魔力と超感覚の恩恵で、街に出ればそれなりの……」


「はっはっはっ。若いうちはな。そりゃあ、みんなブイブイ言わしてたモンさ。

─── だがよ、強え魔力に長寿ってのがいけねぇ。残り半分の体が、耐えきれねえンだ」


 そう言って彼は、シャツの袖をまくって、腕を見せた。

 その腕には、黒ずんだアザが血管のように、いくつも浮いて見えている。


「……そ、そのアザは!」


「特に名前は決まっちゃいねぇんだけどよ。

おれっちたちの間じゃあ『天門の根ガテォ・ロゥト』って呼んでる」


 エルフ達の信じる輪廻の形『緑葉の輪転ダウッド・フォニウ』の最終地点は、幽世にそびえる光り輝く一本の大樹『セフィロト』の中で、ひとつになる事だという。


─── 天門の根ガテォ・ロゥト


 その聖なる大樹の根は、あの世の門にまで張り出しているとも聞くが、それを例えたのだろうか。


「おれっちのは両肩から始まってよ。今は一番太いやつが手首に届くくれえだ。

─── なんだいお兄さん、こいつを知ってるのかい?」


「俺の義父とうさ……いや、大切な人が……な」

 

「…………そうかい。そンお人の最期は……どうだったいね。幸せに逝けたンかい……?」


「ああ。仲間に見守られて、最期は笑いながら眠ったよ……」


「うん。最高じゃねえか。お兄さんみたいな若いのに看取ってもらえてよ」


 長寿のハイエルフが罹る、不死の病。


 いや、事故や病気以外で、ハイエルフが迎える最後はこの終わり方だ。

 セラ婆もアーシェ婆も、これは病気ではないと言った。


─── 膨大な夜と朝とを越えて来た者にとっての、誉れなのだと言った


 ある日突然、体の一部に黒い点が現れ、ゆっくりと増殖しながら、指先へと向かって伸び始める。

 それが指先に届いた時、まるでそこから魂が抜けるかのように、死を迎える。


 長くて十年、短くて一年。


 それは自分に訪れる死に、猶予と見通しを与える、神の与えた『整理』の時間なのだという。


「ここのマナは普通のやつにはただの毒だがな? おれっちらには、ほんの少しだけ苦痛を麻痺させて、根っ子の進行を遅らせる力があんだわ。その他にもちょっとな。まぁ、色々だ」


「……それで、ここに」


 みな言葉を失う。

 しかし、村長はフシシと歯の隙間から息を漏らして笑い、手をひらひらとさせる。

 

「まあ、そういうこった。

なんにしたってよ。聖地の結界は、誰も通れねえ。ちっとこの村で休んだら、観光でもしてけえんな」


「……あ、あの、アスタリア高原が『聖地』だとは知っておりましたけれど……。

結界が張られているだなんて、初めて耳にしましたわ? 一体、いつからですの?」


「あン? ああ、姉さんは今、フォカロムに居るんだったっけか。

じゃあ仕方がねえ、こんなド田舎の話、まず伝わんねえだろなぁ。

─── あー……オリアル陛下が魔王になられてから、そんなに経たねえ頃だったっけな?」


 現魔王は父さんのフリをした勇者ハンネス。

 前魔王フォーネウス崩御からすぐとなれば、三百年近く前に、アスタリア高原に結界が張られた事となる。


「……そ、それはもしかして。結界を張ったのは勇……いや、オリアル陛下の命令でもあったのか?」


「魔王様の? ぶっははははっ!

そんな大それたもんじゃねえし、魔王様はこんな役にも立たねえ場所に、ご興味があるもんかい。

悪戯だよ、まあ元々危険地帯だったから、むしろ結界張ってもらえてこっちは助かったが」

 

「い、悪戯……?」


「ああ。流れモンの、なんつったかな?

ダークエルフの女だったぜ? それもとびきり腕の立つ、ゴロツキみてえなヤツだった。

ああ、そう、だ」


 アマーリエ以外の何者でもないなそれは。

  どうやら彼女は、当時パルモル平野にあった、小さな街で問題を起こし、ここに流れ着いたらしい。


「あの子、他からは『アスタリア高地の魔女』なんて呼ばれておりましたわね。

彼女は今どこに?」


「知らねえなあ。結界騒動ン時から、ぱったりと姿を見てねえンだ。

あン時ァ、みんなおったまげたモンさ。夜中にとんでもねえ音がしてよ。

地面にでっけえ亀裂が走っててな、一晩で谷ができちまったって、震え上がったぜ」


「……亀裂?」


「ああ。すげえ衝撃だったからなぁ。結界張る時の圧力だったんだろうが、綺麗に真っ直ぐ、バターにナイフ入れた見てえな亀裂が岩盤にバックリとな」


 結界の圧力で真っ直ぐ?

 ちょっと考えられないな。


 だが、アマーリエは類い稀な能力を誇る、それもダークエルフだ。

 何か特殊な結界の張り方をしたのかも知れない。

 なんせ三百年近く経っていてもなお、ノリノリのベヒーモスが高速でぶち当たっても、平気な結界だしなぁ。


 ちらりとベヒーモスを見ると、しっぽをぴーんと立てて、足に頭を擦り付けて来た。

 くそ、やっぱ可愛いなこいつ。


 俺が普通に生まれていたら、もう家庭を持って、猫なんか飼ってて、こんな気持ちでのんびりしてる人生なんてのもあったのかな。


─── 村長からはそれ以上、アマーリエについての重要そうな話は出てこなかった




 ※ ※ ※




「ほれ、これでもお飲みなさいな。ここの茶は、他所の人には合わんらしくて申し訳ないが、これくらいしかないんでねぇ」


 そう言って、虎獣人の老婆は、薄い金属製のくたびれたカップを差し出してくれた。


 ソフィア達は、少し離れた草原に座り、何やら楽しそうに話しているのが見える。

 ロジオンは村長の所に残り、昔の話に花を咲かせていた。


 俺とヒルデリンガは、村長の家の裏手に住む、この老婆に招かれて世間話をしている。

 さっきまで、村人達が物珍しそうに覗きに来ていたが、老婆はこの村では権威があるらしく、やがて散っていった。


 この村の者達全員がハーフハイエルフ。


 やはりそう聞いてからは、村人達の長い耳や、雰囲気に似ている所が目立つ。

 まあ、着ている物が、この地方の民族衣装で、どれも同じだからって事もあるのかもしれないが。


「ん、よく見たら、皆んなが着ている衣装の柄は、桔梗ききょうの花か?」


「ああ、よく気がつくねえ。そうだよ、アタシらは魔王様のおわす、クヌルギアス家の象徴、セイジンキキョウに身を捧げるのさ」


 セイジンキキョウ。

 セオドアとアースラ夫妻が、ブラドに贈ったペンダントのモチーフだ。

 あの時は単に花言葉に『家族』の意味合いを持たせて、二人が選んだだけだと思っていた。


 だが、父さんから、それが魔王一族の紋章に描かれる象徴の花だと聞いて、妙に納得してしまった。


「あら? でも、セイジンキキョウの花は白でしたわよね。皆さん、赤い花の柄じゃありませんこと?」


「うん。聖地に伝わる話をなぞらえているのさ。『紅き手形に永遠の絆が宿る』ってねぇ。エルフの輪廻は特別だって言うだろ?

死んじまった後、せめて寂しく離れた所に行かないようにって、願いを込めてるのさね」


 アスタリアの地名も『真紅・花』だしな。

 なぞらえたおまじないみたいなものか。


 込められた願いは何処か寂しいけど、なんかそういう仲間意識ってもの、いいもんだなぁと思ってしまう。


「本当にみんな、ハイエルフの血が入ってるんだな。懐かしい魔力だよ」


「おや、アンタはハイエルフの知り合いがいるのかね? 人界に出たハイエルフったら、そんなにいないのに、珍しいもんだねぇ」


「ああ。凄く世話になったんだ。だから、この村の人達も、なんだか他人の気がしないよ」


「ふぁっふぁっ、そいつぁ嬉しいじゃないさ。アタシらは、怖がられることもよくあったから、初めて会ったアンタみたいな若い人に、そう言われるとねぇ」


 ハーフエルフは総じて魔力が高い。


 ハイエルフは義父さん以外に会った事は無いが、エルフよりも霊的に神聖で、姿は似ていても中身はより神に近いと聞いていた。

 確かにここの村人達は、目の前の老婆でさえも、人界ではまるでお目にかかれないレベルの魔力を秘めている。


「ああ……そう言われてみれば、アンタからは何処か懐かしい匂いがするよ。これは……テン、いやジャコウクズリの脂に、花橘はなたちばなだね?」


 流石はネコ科の獣人族だ。

 俺の使う手入れ用の脂の匂いを当ててみせた。


「凄いな……! ジャコウクズリって事まで分かるのか⁉︎」


「ふぇっふぇっ、そりゃあ分かるさ。ジャコウクズリの脂は一等上質だ。でも、ちと獣臭い。それを消すには花橘の香油が一番。

─── ハイエルフの知恵だねそれは」


 ……ま、まさか。

 まさか、ここの人達の体に流れるハイエルフの血って……。


「あ、あのさ。もしかして、ここの人達の親のハイエルフって、みんな同じじゃないよな?」


「いいや? みんなバラバラさ。なんだってそう思うんだい」


「いや……えっと、その……。じ、人界じゃあ、まずハイエルフはお目にかかれないからさ」


「ああ、魔界でも最近はとんと見かけんようになったねえ。あの人らは、妖精みたいなもんだからね。

居るべき所に現れて、やるべき事をやったら、すうっと何処かへ行っちまう。

ほれ、剣聖様の名前くらいは、人界にも伝わってるんだろう?」


「……! あ、ああ」


 思わずドキッとした。

 平静を装いながら、カップの中の茶をくぴりと飲む。


「あのお方も、急に現れては戦を鎮め、また何処かへ消えちまう。そんな人だったよぉ。

もう長い事、お名前も聞かないが」


「そ、その剣聖の子ってのは、この村にもいたり……す、するの?」


「ふぇっふぇっふぇっ。いやぁせんよぉ。

あのお方の血が入ってる者があったら、きっとそりゃあ立派な剣士様になっとるだろうしな?」


 よ、良かった……。

 こんな所で、義理の兄弟とかに出くわしたら、動揺どころの騒ぎじゃないからな……。


「ところでそこの姉さんや。アンタはもしかして、ヒルデリンガ様じゃないのかい?」


「……あら。わたくしをご存知ですの?」


「ふぇっふぇっ。そりゃあ知ってるさよ。

四千年前の魔神戦争で、西側の英雄といえば『原初の魔性』『紫鋭のヒルデ』さね。

アタシの故郷も、おかげさまで焼けずに済んだのさ。

─── ありがとうねえ」


「ふふ。懐かしい呼名ですわね……って、あら、あなたはその頃から?」


「ふぇっふぇっ。役立たずは長生きするもんさね。でも、流石にその頃からってわけにはいかないねえ。

アタシが生まれたのは、アンタが救ってくれてから二千三百年ってとこさね」


 ん? つまり、この老婆の年齢は千七百を超えるって事か⁉︎

 獣人族の寿命は長くても二百年、ハイエルフは三千年とは聞いていたけど、ハーフでもそんなに寿命が伸びるのか……。


「もう、ずいぶんと長生きをしちまった。知ってる者たちは皆、死んじまってねぇ。だからこうして昔から変わらんアンタを見ると、すごく安心するんだよ……」


「あ、それは少し、分かりますわね♪」


 長寿トークかと、いよいよ魔界だなと感心してしまう。

 それくらい、人界では聞く事のない桁外れな時間の会話だ。


「でもあなた、獣人族とのハーフですわよね? 失礼ですけど、ずいぶんと長生きですわ」


「ああ、そりゃあアタシが、ただの虎獣人じゃなくて『妖虎族』の生まれだからさ。

魔力量が他の獣人より、ちょっとばかし大きいもんだから、ハイエルフの血にも耐えられたんだろうよ」


 『妖虎族』は初めて聞いた。

 どうやら魔界には、人界に比べて原種に近い種族が存在しているらしい。


 人間族は神族に近く、獣人族は魔神族に近い。

 その中でも更に魔神族に近い、魔物に似た性質の獣人族が居るそうだ。

 同じ音の『妖狐』ってのは人界にも居るけど、ありゃあラプセルの里近くに出る、かなり強力な魔物だったが、流石にそれとは違うようだ。

 だが、近いと言えば近い存在だと言う。


 『妖狐』なんて、あんなもん里の外の人界だと召喚でもしなきゃ、出逢えないだろう。

 喚んだ所で、災害級の魔物だから、召喚するバカも居ないだろうけど……。

 S級冒険者のパーティか、ロゥトのエルフくらいじゃなきゃ、太刀打ち出来ないだろうなぁ。


 とりあえず、目の前の老婆は、それに比肩するくらいの魔力を持つ、強力な種族らしい。

 なるほど、村人達が一目置くわけだ。


「しかし、姉さん。アンタからも懐かしい匂いがするよ」


「あら? わたくしも? むふ♡

あっくんと交わってるからかしらぁ〜チラッ」


 何一つ交わってねえよ。

 止めろよ、向こうの草原にスゲエ地獄耳の、おっかねえ女神がいるんだからよ。

 ……ほれ見ろ、暗雲立ち込めて、草原に風が吹き荒れてるじゃねえか……。


「ふぇっふぇっ。違うよぉ。

アンタから匂うのは、アマーリエの匂いさね」


「あら? わたくし、お風呂好きでしてよ? もう長いこと、会ってもいないし、飲み友達でしかないのですけど。それでも?」


 ヒルデリンガが答えると、老婆は口から息を漏らすように笑って、ヒルデリンガを見つめた。


「体の匂いなんかじゃないよ。

─── アンタ、に、かかってるねぇ?」


 風が吹き荒れる中、揺れるヒルデリンガの瞳を見つめ、確かに老婆はそう言った。


「…………」


 ヒルデは瞳に紫色の光を宿し、ゆっくりと俺を見つめ、微笑みを浮かべた ───

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