第十九話 焦がれる魔物

「 ─── だぁからぁ……って、あなた、わたくしの話ぃ、聞いてますのぉ?」


 柔らかにカールした前髪の間から、とろんとした眼で、向かいに座る褐色肌のエルフを見上げる。


「あ? オメーの話ったら、三十割オトコの話ばっかじゃねぇか。どれ聞いても同じだろがよぉ」


 そう毒づきながらも、グラスをあおる彼女の頰が、笑顔で歪んでいる。

 ヒルデリンガはぷぅっと頰を膨らませ、自分もグラスに口をつけるが、小さくなった氷ばかりである事に気がつき、甘ったるい声で給仕を呼んだ。


「三十割って……。

あっ、そこのおにーさん♡ えっとぉ、これと同じボトル、もう一本持ってきてくださるかしらぁ〜☆」


「……おい。さすがに飲み過ぎだろヒルデ!

今日は運ばねえかんな? 背中にゲロはもうたくさんだっての!」


「飲まなきゃやってらんないわよ〜!

淫魔のハートを癒せるのはぁ、酒精と吸精だけなのよ……。ね、分かるでしょ店員さん♡」


 呼び止められた給仕の男は、ヒルデに真っ直ぐに見つめ上げられ、立ち尽くす。

 色白で細身ながら精悍せいかんな顔つきの彼を、ヒルデは席に案内された当初から気にかけていた。


─── 淫魔サキュバス


 サキュバスとは、女性の姿を持ち、他種族の男性を誘惑してその精を吸い上げる魔物である。

 別次元の冥府の世界の底に住む、悪魔達の一種と言われているが、なぜこの魔界に出現するようになったのかは誰も知らない。


 そのサキュバスの原初とされるヒルデリンガは、今その力を抑えているとは言え、酒に火照った肌は上気し、豊満な肉体はその露出度の高い服のあちこちから、溢れ出さんばかりである。


 ヒルデリンガは呼び止めた給仕を、潤んだ瞳で見上げ、ぷるんとした唇を軽く尖らせた。


 魔力は使っていない。

 だが、その妖艶ようえんな表情と仕草は、男心をとことんまでくすぐる色香に溢れていた。


「あー、うちは儲けさえありゃ、なんでもいいんすけどね」


 そう言って、給仕はチラリとカウンターの奥に立つ、ヒゲ面の巨漢、この店のマスターを見る。

 と、マスターは皿を拭きながら、給仕の男の視線に気がつくと、ゆっくりと余韻のあるウィンクを返した。


 給仕は口元を押さえてクスッと笑い、しなを作りながらヒルデに振り返る。


「ご注文は以上でよろしいですかぁー☆」


「……その通りですわよ。とっととお行きなさいな……チッ」


 流石のサキュバスでも、対象が女性に興味が無ければ、どうしようもないらしい。

 ヒルデは去って行く給仕の、妙に細い尻を見て溜息をついた後、同じテーブルで笑い転げている連れに青筋を立てた。


「何がそんなにおかしいんですの!

あ、もしかしてあなた、最初からここのマスターと店員のこと知ってて……!」


「ヒャッヒャッヒャッ♪ マジでスルーされてやんの! ブハハハハハッ‼︎

ぬをッ⁉︎ あぶねッ‼︎」


 なんの前触れもなく、皿の上に転がっていた串焼きの串が、後ろの壁に突き刺さりビーンと振動していた。


「 ─── 今のをかわすとは、また予知能力を使いましたわね


「けっけっけっ♪ 背負いたくもねえモン背負わされてんだ、役得役得〜」


 そう言って、白銀の髪をかき上げ、彼女はカラカラと笑いながら、再びグラスをあおる。

 光を滲ませて、何処か浮世離れした雰囲気を放つ銀髪を、後ろにひとつに纏まとめた褐色肌のエルフ。


─── 『アスタリア高地の魔女』予言者アマーリエ


 アルフォンスがこの世に生を受ける、数年程前のパルモルの場末の酒場で、ヒルデとアマーリエは名物のサボテン酒を求めて現れた。


「……ハァ。そんな優れた力があるのなら、わたくしの運命の人、教えてくれたっていいじゃない?」


「けっ! 何度も言わせんな。おれは小っせえ運命は口に出来ねえんだよ。

教えろってんなら、見てやってもいいけどよ、ころっと運命変わっちまうぜ?」


「かーっ、どうしてこう神々のお造りになられるルールってのは、しがらみだらけなのかしら!

……あなたはどうなのよアマーリエ。あなたは自分の運命の人、見えるんでしょう?」


 むくれたヒルデの言葉に、アマーリエは頭をぽりぽり掻き『またそれか……』と面倒くさそうに呟く。


「それももう何度も言ったろ? おれはテメエの人生を歩けねーの。運命のはぐれ者、生まれ持っての

おれの魂は、この時代にこの力で生まれるってだけで終わってんだよ、輪廻すらねえ幽霊みてぇなもんなの!」


「……ハァ。わたくしは淫魔の宿命で愛を叶えられず。あなたは覗き魔の運命で空っぽ。

そんなふたりが場末の酒場で、しっぽり慰め合い……ふびん」


「一緒にすんな。おれは慰めなんか要らねえってんだよ♪」


 アマーリエは物心ついた時から、全てが見通せてしまった。

 最初はただ、白昼夢のように、意味不明な情景が頭の中に割って入っていると思っていた。

 両親も里のエルフ達も、当初は彼女が落ち着きのない、夢想好きな変わり者としか見ていなかった。


─── しかし、様々な事故や出来事をピタリと言い当てる少女に、やがて周囲の者達は恐れを抱くようになる


 いつ何が起こる。

 その行動が何を引き起こす。

 どこで、どのように死ぬ。


 幼い感情のままに言い当てられる場面が続くと、それは最早予言では無く、彼女が呼び寄せる未来なのではないかと震えた。


 やがて、小さな不幸を予言された者が、彼女の指摘よりも重篤な結果につながるようになると、いよいよ彼女の存在は、里のエルフ達から避けられるようになる。

 ……そこに両親が含まれていた事が、さらに彼女の心に深い傷を残す事となってしまった。


─── 大事な存在に触れれば、その存在の終わりが見えてしまう


 彼女にとって人生そのものが、荊の冠の如く、苦しみを生み続けるようものになるには、それ程時間は掛からなかった。


「……でもあなた、最近はだいぶ表情が軽くなったと思いますわよ?」


「ん? ああ、やっておかなきゃなんねえ種まきは終えたしな。おれの仕事もそろそろ終わりってな」


「あら? なんだかだいぶ前にも、そんなこと言ってたわね。その様子だと、上手くいっているみたいですわね」


 『まあ、なー』とグラスに酒を注ぐアマーリエの表情に、ヒルデは胸のひりつくような感覚を覚えた。


「……あなたはいいですわよね。腐ってても人ですもの。わたくしは魔物、あなたのように運命にくさびを打ち込めるような魂は持ち合わせておりませんもの……」


 ヒルデの本心。


 本来、人と魔物はその輪廻の仕組みも、魂の形状も大きく異なる。

 人の魂はそれぞれ幾度となく輪廻転生を繰り返し、その輝きを増すべく運命に挑むが、魔物の魂は虫や植物に近い。

 個々の魂の個性は無く、生まれては消え、生まれては消えてを繰り返す、さざ波のような存在なのだ。


 アマーリエとヒルデは、己の持ち合わせる運命が、等しく空虚なものだと感じていてもアマーリエは人。

 その心に発生した情動は、業に働きかけ、運命に影響を与えられるのである。

 だが、魔物であるヒルデの感情や想いは、ただ浮かんでは消えていくのみ───


「……ハッ! 魔物には魔物の役割があんだろーがよ。おれだって、小せえ歯車のひとつ。それもどこにも噛んでねえ役立たずの歯車なんだ。

それによ、華やかな主役になれねえ奴の方が、輪廻するやつでもほとんどじゃねえのかよ」


「 ─── 大きなひとつの光になるために、人は輪廻を繰り返す……でしたっけ?

究極的には、あなたがた人も、魂の個性は関係ないのかも知れませんわね……」


 深いため息をつくヒルデに、アマーリエはどこか悲しげな微笑みを浮かべ、グラスをあおる。


「……それでも、わたくしは大恋愛に身を焦がして、最高の宝物を胸に抱いて、死にたいですわね」


「 ─── ブッ! ゲホッ!

……まだ諦めねえのかよ? オメーは魔物だ、それも限りなく思念体に近い、超自然的なサキュバスだろーが!

男の欲望がこの世にある限り、オメーは死ねねえし、オメーの抱く欲求はことごとく男を搾るだけなんだってーの!」


 珍しく慌てるアマーリエの姿に、ヒルデはくすくすと笑う。

 だが、そんなヒルデの顔を見て、アマーリエはバツが悪そうに目を背ける。


 ヒルデの目尻には、涙が薄っすらと滲んでいた。


「分かってますわよ……。生まれて物心ついた時から、そんなことは。

でもね……わたくしの魔力と思念から眷属が生まれて、もうこの世に淫魔はごまんといますの。もう、ここらで終わりにさせてくれてもいいじゃない? 

でも、死んだら、わたくしはただの塵……。次はありませんのよ」


「…………」


「 ─── ずっと、憧れていましたのよ。

生に終わりある人の男女が、与えられた短い時間に想いを燃やし、来世にまで甘やかな夢を抱いて溶け合う情熱に……」


「……おまえ、まさか死にたくておれに近づいたんじゃねえよな……?」


 ふと、酒場に沈黙が訪れたかのような、冷たい何かが通り過ぎた ─── 。


「ふふふ。そうですわね、今、魔界でわたくしを殺せるとすれば、あなたか魔王さまくらいなものでしょう……。

でも、ざ〜んねん♪ わたくし、あなたほど自堕落に生きるエルフを知りませんし、自分と同じようにクソ長生きな生物を見ると安心するんですのよ☆」


「…………はぁ。クソ長生きな生物って、おれは亀かなんかかよぉ」


 アマーリエの溜息と共に、酒場に暖かな空気が舞い戻る。

 まるで人々は時間が動き出したかのように、ガヤガヤと会話を再開させた。


 テーブルにボトルが運ばれて来ると、ふたりはくすくすと笑いながら、互いのグラスに酒を注ぎ、何を話すでもなく酒を口にする。


「 ─── なぁ、サキュバス」


 しばらくそうして、静かに飲んでいた時、アマーリエはふと、ヒルデに問いかけた。


「……人の輪廻に、乗ってみたいか?」


 そう囁くように呟く彼女の目元は、白銀の髪に隠れてうかがい知れない。

 そんな彼女に、ヒルデはやや顔を傾けて、恥じらうように微笑む。


「 ─── ええ、もちろん」


「その願いと引き換えに、お前の永遠の命が、はかない人の寿命になるって、クソみてぇなペナルティがつくとしたら……?」


 はらりと別れた前髪の奥で、アマーリエの瞳が妖しく紫色の光をたたえている。

 ヒルデはにこりと微笑んで、テーブルに身を乗り出すと、アマーリエに顔を寄せた。


「死が身近というのは、さぞかし恐ろしく心細いものでしょう……。

でも、だからこそわたくしは、生きる喜びを味わい、魂にあなたへの感謝を永遠に刻むでしょうね」

 

「…………条件はひとつだ。それを叶えられたら、おまえはサキュバスとしての命を捨てる代わりに、人の輪廻に乗る。だが言っておく、これは呪いだぞ。命を削る大きな代償がつく……」


「ふふ、願ったり叶ったりですわね♪」


 ヒルデの無邪気な笑顔に、アマーリエは溜息をひとつ、そして覚悟を決めた。

 大きな代償が伴うと、脅しをかけた割に、その儀式は呆気なく完了する ─── 。


「…………これで術式は完成した。

だが、条件を満たさなきゃ、いつまで経っても発動はしねえからな?」


「ふぅ……。ふふ、分かってますわよ。

わたくしの願いを叶える条件は ─── 」




 ※ ※ ※




「む……ッ⁉︎ ん……っ、ちゅ……」


「ちゅぱ……っ、ん、んん……」


─── 唐突に、前触れなく、俺は体の自由を奪われ、ヒルデに唇を奪われていた


 テーブルに向かい合っていた、妖虎族の老婆の『ほぅ』という溜息に、なんだかとんでも無く心苦しさが込み上げる。

 だが、そんなものを払拭する、ヒルデの舌遣いと絶妙な吸引に、頭の芯が痺れる……。


 鼻腔を通る彼女の息が甘い、口腔を蹂躙じゅうりんする唾液が甘い ───


「 ─── ぷぅ……。やっぱり、あっくんがわたくしの……ふふふ♡」


 いつの間にか離れたヒルデが、そう言って濡れた唇に、ちろりと舌を這わせた瞬間。

 目の覚めるような鋭い神気と共に、草原から高速で何かが迫り、鈍い音と共にヒルデが吹き飛んだ


 呆然とする俺の目の前から、ふひひと息を漏らす彼女が、笑顔のまま通りの向こうまで飛んで行く姿を見送るしか出来なかった。




 ※ 




「 ─── 下郎……吐いてから細切れか、細切れの死体を操られて吐くか、決めなさい……」


 ソフィアの言葉に、周囲の牧草がパキパキと音を立てて凍りつき、白い雪煙となって消えて行く。


 『まあまあ、このままじゃ村人達まで凍死するから』と止めたいのは山々だが、俺の体は一向に動く様子がない。

 ヒルデの何らかの術にかかったようだが、それが何なのか皆目検討もつかなかった。


「……運命の……人」


「あ?」


 うつむいたまま、ふるふると震えるヒルデが、ぽつりと呟く。

 その声の余韻を切り裂くように、ドスの効いたソフィアの声が被せられた。


「これでわたくしは、わたくしは……。

─── 人の魂になれるのですね……ぐすっ」


「…………ごめんなさいクソ淫魔。きさまの抜かしている意味が、さっぱり分かりませんが……

─── あ、てめぇこの野郎!」


 ヒルデが俺に抱きつき、その頭をソフィアがアイアンクローで捕まえ、ギリギリと締め上げる。

 ……今『てめぇこの野郎』って言ったよね!?


「……ぐっ、あっくんと接吻を……して、わたくしは……確信しまし……たの。

このお方……こそが、わたくし……の、運命の……人。

アマーリエからの……条件……イデデデデ」


 ヒルデが泡を吹き始めた辺りで、ようやくソフィアも我に返り、ヒルデの話を聞く事となった。

 ちなみにソフィアがこうしてなかったら、彼女はエリンに八つ裂きにされていたかもしれない。

 赤豹姉妹から、呼吸すらキツくなる程の、強烈な殺気が漂っていた ─── 。


「……昔、アマーリエに呪術を掛けてもらいましたのよ。わたくしの魔物としての輪廻を終わらせて、人としての輪廻に乗り換えるための秘術を。魂への呪術干渉ですわ」


「そ、そんな強力な呪いを、なんでわざわざ」


 ヒルデは目に涙を浮かべ、頰を赤らめながら、三百年前のアマーリエとの掛け合いを話し始めた。


 輪廻転生が無く、死ねば消える魔物の運命からの脱却を、儚くも尊い人生への憧れを願った彼女は、アマーリエの呪術を受けたそうだ。


 魔物としての永遠の命を代償に、人としての輪廻に移行するための呪術。


 初めて耳にする呪術だが、自然と共に生き、かつては人外との共存を求めたエルフ族の秘術なのだそうだ。

 そして、その秘術の発動には、ひとつの条件が科せられていた ─── 。


「発動条件はひとつ。

……運命の人を見つけ、湧き上がる想いを込めて、清らかなる接吻をする……。

─── あなた様が、わたくしの『運命の人』だと、一目見た時から分かっておりましたわ」


「うそつけ! 最初は面倒くさそうに対応してただろーが‼︎」


 ヒルデは、自分の肩を抱いて『きゃー言っちゃった♡』みたいにはしゃいでいて、こっちの突っ込みは聞いていない。

 いきり立っていたソフィア達も、彼女のあまりのお花畑オーラに、ただ立ち尽くしていた。


 いや、彼女の人への憧れの強さに、感銘を受けたのかも知れないけど……。


「……それで、永遠の命を捨てるって、ヒルデはどうなっちゃうの? 今すぐ死ぬの?」

 

「ふふふ、ユニ先輩の言い方、辛辣ですわね☆

─── いいえ、寿命が運命の人と強制的に合わせられる。つまり、あっくんが死ぬ時がわたくしの寿命なのですのよ……♡」


「はっ⁉︎ ヒルデ、お前なに勝手な事を! 命を大事に……!」


 言いかけた俺の頰に、いつの間にか隣に移動したヒルデの手が触れた。

 目元を紅潮させ、涙に濡れた瞳で、ヒルデはうっとりと微笑む。


「何度【魅了】を使っても響かなかったあっくんが、接吻の時の【拘束】は弾けなかった。

……それが、秘術の認めた運命の相手である証拠」


「は……⁉︎ あ、いや(【魅了】には根性で抗ったけど、合せ技で【拘束】が効いちゃった……とは言い難い!)」


「わたくしの借金の元になった彼の方が、運命の人だと……思い込もうとしてたのです。

でも、唇を重ねて分かりましたわ……。

─── それにほら、アマーリエの呪術の光が、わたくしとあっくんを結んでいますもの♡」


 そう言われて、掲げられた彼女の手を見れば、極薄の煙のような細い線が、俺と彼女を繋いでいる。


「い、いきなり『運命の人』とか言われても、こ、困る! 俺は人界にも戻らなきゃならないし……!」


「 ─── 構いませんわ。

わたくし、この広い世界で、運命の人と出会えて、少しの間でもご一緒出来た事だけでも、大きな宝物ですもの。

あっくんは、わたくしの願いを実現させてくださった殿方。わたくしを『愛して』なんてわがまままでは言いませんわ♪」


「…………」


「人のように、生まれ変わりを繰り返しながら、磨かれる魂になりたい。

来世までも焦がれる『恋と愛』に生きたい。

─── 今、その夢が叶ったのですもの」


 そこまで言われて否定は出来ない。

 ここまで真剣に語られた彼女の夢を、俺には否定出来ない。


「……俺が死ぬ時、お前も死ぬのか……」


「はい♪」


「俺がもし魔界に残らなくても、構わないのか。俺が魔王にすらなれず、この魔界を守れない可能性だって……あるんだぞ?」


「その時は、あなた様のために、この魔界をお守りすると誓いますわ」


 ヒルデは最後まで、俺の目から視線を外さなかった。

 どうしてやればいい? 何がしてやれるだろうか……?


 分からないまま『分かった』とだけ、喉の奥から絞り出すと、彼女は花が咲き誇るような可憐な笑顔で『はい』と答えた。




 ※ 




「おう、ここにいたか。村長から色々聞いて来た。高原への道は整ってる、ここからならそれ程かからんだろう。今、様子だけでも見に行くか?

─── って何だお前ら、何かあったのか?」


 ロジオンがアルフォンス達の元へ戻ると、神妙な表情のアルフォンス達と、少女のように可憐に微笑むヒルデリンガ。

 そして、頰を染めてうっとりとしている獣人族の老婆の姿があった。


 『いや、何でもない……』と、憔悴気味のアルフォンスの返事に、ロジオンは『こいつぁまた、女絡みか』と、年の功で読み取り、勤めてさらりと『ん、そうか』と返すに留まる。


「ん、ろじおん。道はどっち?」


「うん? それならあそこの二本の高い樹の間を真っ直ぐ……」


「あ、ずるいのティフォ様! ユニも!」

 

「こ、こらユニ、お姉ちゃんを……お、置いて行く気?」


 ティフォを先頭に、浮いた演技をしながら、結局全員が逃げるように草原の向こうへと走って行ってしまった。


 ロジオンは『なんか気不味い雰囲気だったのかな』と、溜息をひとつ後を追い掛ける事にした。

 彼らがお茶をご馳走になっていたであろう、庭の主の老婆に一礼すると、老婆は笑いながら追いかけるよう促す。


「 ─── おい待てお前ら、道知らねえだろ⁉︎」


 久方振りの賑やかな客人達が、慌ただしく去って行く後ろ姿を見送り、老婆は微笑みの質をフッと変えて立ち上がる。


 そうして、椅子の背に手を乗せながら、彼らの去った二本の樹に向かい、恭しく頭を下げると小声で祈るように囁く。


「…………フォーネウス陛下、あなた様の匂い、忘れる訳がございませぬ。

優しく、精悍で、ちょっと頼りないが、温かい。

まさにあなた様の御世継ぎは、当時のあなた様と、同じ香りがいたしまするなぁ……」


 ソフィアの呼んだ暗雲がはけ、日差しが草原の向こうに射し込む頃、老婆は寂しげに笑みをを浮かべ、家へと戻ったのだった。




 ※ ※ ※




「 ─── こ、これは……!」


 ロジオンが合流して間も無く、茂みに囲まれた曲がりくねった道へと変化した。


 列の一番後ろには、もう普段通りの雰囲気に戻ったヒルデが歩いている。

 急にあんな告白をされて、気にするなと言う方がおかしいし、すぐに忘れられる程の鬼畜でもない。

 ……恋愛弱者には変わりないからな。


 でも、今はそれ以上に、俺の心を焚きつけるものがある。



─── 私の足跡を求めるのです。さすれば彼女は、宵の眠りから覚めるでしょう……



 この先で、アマーリエの足跡は終わりとなる……。

 いよいよ、スタルジャを眠りから覚ましてやれるかも知れない!


 そうして、気がつけば足早になる気持ちを抑えながら、茂みを過ぎ、ガタガタに歪んだ石畳の道に出て、思わず立ち止まった。


─── 谷と見紛みまごう、深く大きなクレバスが、真っ直ぐに大地に続いていた


 これが村長の言っていた『結界が生じた時に刻まれた』という亀裂だろう。

 だが、俺が息を飲んだのは、その規模だとか、アマーリエの力の凄さじゃあない。


「これ…………跡だ」


「「「 ─── ⁉︎」」」


「ええ、そうでしょう。三百年を経て尚、微かに残るこのけがれた思念……」


 ソフィアとティフォも気がついたらしい。

 ソフィアの言葉に、ロジオンも気がついたのか、クレバスに近づいてしゃがみ、地面に手を当てる。


「 ─── ハンネスの魔剣……か」


 ここに結界が現れたのは、現魔王オリアル就任の後。

 魔王に成り代わった勇者ハンネスなら、予言者アマーリエの存在を耳にするのに、それ程時間はかからなかっただろう。

 アマーリエは魔王城に出入りして、アルファードの予言を残していたのだから。

 姉さん達の封印の鍵である俺を探すのに、アマーリエに辿り着く事は容易に考えられる。


「勇者に……狙われましたか……」


「あれだけ未来を予知出来た予言者だ。ハンネスの野郎がここに来ることは、分かっていただろうに……。

─── だからか! ハンネスから三百年逃げ切るのを諦めて、この穢れたマナの大地に、自分ごと結界で封印……した」


「……当時から聖域だったみたいね。だいぶボヤけてるけど、結界の向こうに遺跡みたいな街が見えるわ」


 エリンの指差す先には、シリルの妖精宮に似た雰囲気の建物群が、霞んで見えている。

 人の暮らす街ではなく、何らかの神事にでも使われていたような、生活感の無い風景だ。


「よ、夜中にこんな所へ、ひとり……で?

もしかして……村のみんなに、被害が出ないように、勇者をおびき出したの?」


 ユニの考察に、誰もが言葉を失った。


 この付近は村長の言う通り、地中から噴き出すマナの量が尋常じゃない。

 そして、その穢れた質のせいか、自然の営みが阻害されていたのだろう、植物は見当たらず、風も全く通らない。


 ……当時の様子から、あまり大きくは変わっていないのが見て取れる。

 だからこそ、アマーリエの身に何が起きたのか、より鮮明に想像が出来てしまう。


「……斬撃は、結界の所でパッタリと止まってる。アマーリエの結界に弾かれたか、それとも聖地に何か特別な力でもあったのか……」


「村長が言うには、結界が張られる前から、ここは入らずの場所だったらしい。

あの強力な魔力を持った、ハイエルフハーフの村人たちが……だ。

─── 結界にせよ、聖地の力にせよ、ハンネスの一撃を食い止めた力は、是非にでも調べたい」


 ロジオンの言葉に皆がうなずく。


 上から降り注ぐ、膨大な穢れたマナ、そしてこの離れた場所からも分かる、強烈な結界の圧力。

 その奥に霞んで見える、聖地の風景からも、尋常ならざる気配が漂っている。


「ん、この結界はいじょー。たぶん、あたしでもムリ。どーやって入る?」


 珍しく声に緊張を含んだティフォの声に、弱々しくベヒーモスが『にゃあ』と、鳴き声を被せた。


 最高速度のベヒーモスの飛行を、難なく止めた結界だ、ティフォが無理だと言うのも本当だろう。

 その上、結界には術式の類が見当たらない。


 アマーリエは呪術を利用して、この結界を張ったのだろうか。

 つまり、解呪しない限りは、この結界を消す事は出来ない。


「 ─── ヒルデリンガさん。あなた、何かアマーリエから聞いていませんか?」


「あら、ソフィアさん。初めてわたくしの名前を呼んで下さいましたわね☆

……でもごめんなさい。アマーリエからは何も。こんなことになってるのも、今日初めて知りましたのよ」


「…………でも、三百年も呪術が生きているって事は、アマーリエは中で生きてる可能性が高い。

何か気がつかせる方法でもあれば ─── 」


 そう呟いた時だった。

 生命の気配が一切しないこの視界の上を、二つの白い影が、音も無く結界に向かって飛んで行く。


「 ─── 二羽の……白い……ツグミ……!」


 スタルジャの世界にも現れた、二羽の白い小鳥。


─── アマーリエの杖を飾る鳥が現れた

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