第十一話 オアシスの街パルモル

 パルモル平野は、遠くから見た時は、赤茶けた乾燥地帯一色。

 極端に植物も少なく、死の大地のように思えたが、その中を進んで見れば、そうではなかった。


 豪雨が降り、大地を揺るがす鉄砲水の後には、砂の中でしぼんでいた、鋭い葉先の植物がぐんぐん伸びたりもする。

 その合間に、今までどこに隠れていたのか昆虫類が歩き、それを捕食するトカゲの一種が現れたり。


 極端な乾燥と、まれに降る雨に対応した、独自の生態系が確立しているようだ。


「さっきから見えてるけど、あの黄土色の柱みたいなのって、何なんだろう?」


 ベビーモスの背中から、下を覗く風景には、転々と地面から生えた、二階建の建物程の大きな背丈の柱が見える。

 俺の呟きに、ロジオンが『そうだった』みたいな感じで、説明してくれた。


「ありゃあ、蟻塚ありづかだ。今は飛んでるからいいが、あれには近づくなよ?」


「あれが……全部、蟻の作った物なのか⁉︎」


「正しくは白蟻だがな。この平野の白蟻は、親指サイズくらいはある。

普段は塚の中でキノコ類を育てて、ひっそり暮らしてるが、一度生き物が通れば、どんな相手でも襲い掛かる。

捕まればあっという間に骨だけになるぞ」


「うえぇ……」


 そんな話をしていたら、ベヒーモスに向かって、グリフォンが一頭襲いかかって来た。

 ベヒーモスは振り向きもせず、青白い光線を発して、その頭を吹き飛ばす。


 ドシャッと、力無く落ちる音が聞こえた途端、下からザワザワとせせらぎに似た音が響く。

 グリフォンはあっという間に、白蟻たちのクリーム色の波に呑まれ、姿が見えなくなった。


「……ああなる。炎で焼き払えば、何とかなるが、数が尋常じゃない上に、あいつらには恐怖心がない。

出来ることなら、関わらない方がいい」


「うへぇ……」


「うぅ、なんか酸っぱい臭いがするの……」


「流石は赤豹族、鼻が利くな。それは蟻酸ぎさんの臭いだ。その臭いで数kmet先まで、仲間を寄せ集める」(※1kmet=1km)


 白蟻怖い。

 魔物の類じゃないから、話も通じないしな。

 パルスルのいた、アケルの大樹海でも、大量に襲い掛かって来たっけ……。


 豪雨も雷も突風も、今の所ベヒーモスのお陰で、まともに目にもしてないけど、ようやくパルモル平野の恐ろしさが垣間見えた気がする。


「見た目は気持ち悪いのですけれど、この季節の夜には、あの塚が一つ一つ光って、中々ロマンティックな風景になりますのよ?」


「え、光るのアレ?」


「塚の中で育てているキノコの中に、ホタルノボウシって、発光する物がありますの。

その菌糸がビッシリで、黄緑色の星雲みたいに光りますのよ」


 パルモルの名物風景なのだそうだ。

 危険なもの程、美しいとは言うが、なるほど見てみたい気もする。


 そんな調子で、パルモルの旅は順調に進んでいた。

 



 ※ ※ ※




 赤茶けた風景に、突如小さなオアシスが点々と現れるようになった。


 湧水の出る小さな泉を中心に、つるんとした質感の白っぽく細い樹が何本も生え、その周囲には、砂漠のものとは異なる植物たちが群生している。

 それらの植物のコロニーは、先に向かうにつれて、段々と密集していくようだ。


「この辺りからなら、歩いてでも行けますわよ。この地域でしか見られない、貴重な動植物もありますから、降りてみませんこと?」


 そう聞いたら、降りないわけにはいかない。


 早速ベヒーモスに着地してもらって、地面を歩いていく事にした。

 小型化したベヒーモスは、辺りに自生しているスズランに似た白い花が気に入ったのか、見つけては体を擦り付けている。


「あら、おませさんですわね。そのお花は『イライーラン』って言いますの。

精製すると、官能的な気分にさせる、素敵な香油が採れますのよ」


「にゃ〜ん☆」


 なんだか意味ありげな表情で、ベヒが俺に振り向いた。

 いや、お前、だからオスだろ?

 なんで俺に色目使ってんだ……。


「アル様、香油の作り方、教えて欲しい」


「あ、ズルいお姉ちゃん。私も!」


 ただでさえ、最近婚約者連合のメンバーにドキドキしやすくなってんだから、これ以上刺激しないで欲しい。

 我慢するの大変なんだよ……。


「ん、ここ、お家の跡がある」


「あ、ほんとですね。だいぶ古い基礎みたいです、焼き締めた泥煉瓦ですかね〜」


「オアシスは、毎年少しずつ移動していますの。この辺は大昔に街の一部だったのかも知れませんわね」


 建物をそのままにしておくと、魔物が根城にしてしまうからと、引越しの時に壊してしまうらしい。

 使っている素材と、街からの距離で言うと、数百年前の貧しい家の跡なのだそうだ。


 街の中心に近い程、権力者が大きな建物を建て、移動する可能性の高い外側は、貧しい者が解体しやすい家を構えると言う。

 まあ、何処の土地でも、普遍性の高い場所は、力ある者が住むと言うのは変わらないんだな。


 植物に覆われた茂みの下に、家族で暮らした場所があるかと思うと、なんだか感慨深いものがある。


「あ、なんか蜂みたいな鳥がいるの!」


 ユニが指差した先には、水色の小さな鳥が、高速で羽ばたいてホバリングしていた。

 クチバシが細長く、カクカクと小刻みに移動しながら飛ぶ様子は、まさに蜂のようだ。


「固有種のパルモルセグロハチドリですわね。

花の蜜や、熟れた果実の汁を吸ってるそうですわ。あの子たちが肩に止まると、幸せになるって噂がありますの」


「スタルジャが聞いたら、すごく喜びそうな話だなぁ」


「見た目も可愛いですもんね。スタちゃん、可愛いの大好きですからね。早く……起こしてあげたいです」


 ソフィアが悲しげにうつむいて、ポツリとつぶやく。

 あれからまだ、スタルジャの精神世界には行けていない。


 ただ、アマーリエの予言通り、新たな土地に着く度に、彼女の目覚めに近づくのを感じて来た。

 何故アマーリエの足跡を追う事が、スタルジャの眠りを醒ますのかは、未だに分からない。

 だがおそらく今夜辺り、彼女に会えるかもしれない。


 ……彼女との守護神契約がそうさせるのか、そんな予感めいたものを感じていた。


 俺に気がついてくれたあの夜以来、革の手入れ用の脂を、ちょくちょく使うようにしている。

 あの柑橘系の香りが、彼女の意識を少しでも呼び起こせるようにと、そう思ったからだ。


「あら、古い水道橋が見えて来ましたわね。

もうすぐ到着しますわよ。

ペルモリア魔公爵領、オアシスの街パルモルに」


 ヒルデリンガの歌うような声が、期待を膨らませる。


 スタルジャの事、予言の事、そして俺を取り巻く魔界関係の様々な事。

 色々と絡んでいるけど、単純に新しい土地に行くのは、ワクワクするもんだ ───




 ※ ※ ※




 大地から生えたような、黄土色の壁。


 それは有機的にくねくねと曲がりながら、何本も奥に続いていた。

 高さは五階建といった所だろうか、波打つようなフォルムの所々に、明るいグレーの煉瓦で組んだ窓やベランダが突き出している。


 この全てが居住スペースなのだと言う。

 建物の周辺は、林に囲まれ、また建物の屋上や、壁の一部にも樹々がせり出していた。


「あ、あのさ……。勘違いなら良いんだけど、この黄土色のボコボコした壁ってさぁ?

……嫌な予感がするんだけど」


「蟻塚だ。パルモルの街を作っているのは、アントリオン族。蟻そっくりな種族だ」


「そんな種族もあるのか……!」


 グリフォンに群がっていた、あの白蟻の大群の絵面が目に浮かぶ。

 そんな俺の微妙な表情に気づいたのか、ロジオンはハハハと笑う。


「食われることはないから安心しろ。基本、奴らは仕事のこと以外、頭にない真面目そのものだ。

ただ、アントリオンは女王至上主義でな、女王蟻の不敬に当たることしたら、無感情に殺されるから気をつけろ」


 話が通じるなら良いんだが、あんまり良い想像が浮かばない。


 とは言え、街は活気に満ち溢れ、道沿いには露店がひしめき合っていた。

 この街もフォカロムや、セパルの街と同じく、様々な人種で溢れ返っている。


「おお! あんたら、旅人かい?」


 通りかかった、黒いフードを目深に被った男が話し掛けて来た。

 別に怪しい奴ってワケではなく、袖から見える手は両生類っぽい。

 乾燥を防ぐための格好らしい。


「そうだ。今到着したばかりだよ」


「へえ! この時期の砂漠を越えてくるたぁ、大したモンだねぇ!

それに最近、ヤッベェのが飛び回ってるって、ここじゃ騒ぎになってたんだぜ」


「ヤッベェやつ?」


 いつの間にやら、周りには人垣が出来ている。

 最初に話し掛けて来た、イモリっぽい男が『砂漠から来たんだってよ!』と周りに伝え、ザワザワしていた。


「ヤッベェってのはさ、山みてえにデッケェ、真っ黒なバケモンがよ、ガーゴイルだの何だのの群れを引き連れてたらしいんだよ!

雷も雨風も関係なく、飛んでてよ、時々、すんげえ破壊光線飛ばしてたってんだからおっかねえよな」


「んだんだ。見たって奴が、ハト飛ばして、ペルモリア様に報告したんだわ。

外に出るなーって、御触れが出て困ってたんだ」


「あんたら、見なかったか?」


 黒くてデカイ奴?

 それもガーゴイルの群れを引き連れた、光線を放つバケモンつったら ─── 。


「……いや、見てないな」


「そっかー。他に飛んでっちまったのかねえ?

じゃあ、もう大丈夫かも知んねえな。

まあ、何にせよお疲れさんだったな、パルモルの街へようこそ!」


 集まっていた人々は、また街の賑わいの中へと散っていった。


「……騒ぎになっちゃってたんですねぇ。ベヒちゃん大っきいですもんね」


「ぶにゃん……」


「いや、気にする事は無いぞベヒ。大きい事はいい事だ」


 まずは休憩兼ねて食事だな。

 ヒルデリンガが美味い店を知っているらしく、俺達はそこに向かう事にした。

 そこでおすすめのメニューをいくつか頼むと、彼女は少し休憩した後、すぐに宿の手配と魔公爵ペルモリアへの繋ぎを作るために何処かへ行ってしまった。


「あ、これおいひぃですね☆」


 ソフィアが皿に盛られた、サンドクッキーみたいな物を食べ、ふくふくと微笑んでいる。

 クッキーの間に、白くて甘いクリームと、干した葡萄ぶどうや杏子なんかが挟まれていた。


「この辺は乾燥地帯ってだけあって、保存食として干物作りが盛んなんだ。

ほら、高い所に横長の窓がついてるだろ、ああいう所は乾燥室になってる。特に果実を乾燥させて作る、ドライフルーツと言えば、パルモル産が有名だ」


「葡萄って、乾燥した土地の方が育つって言うもんなぁ」


「このドライフルーツ、お酒に漬けてあるのね。すごく香りがいいわ」


「パルモルの酒は、この辺で取れる蜜竹って、甘いキビの仲間から造るんだが、それをオークの樽で熟成させてるんだ。時間を掛けて、オークの香りが染み出して、香り高くなる」


 昔からこの地で愛された酒で、地名を取って『パル酒』と言うらしい。

 かなり度数が高く、大きな氷の入ったカップに、少量だけ注がれていた。


 段々と氷が溶けて薄まるのが、味と香りの変化があって楽しい。

 ソフィアとユニは、それに牛乳とシナモンを入れたものを楽しんでいる。


「んん? あンれ? そ、そこのオメェ、もも、もしかすっと……ロ、ロジオンか⁉︎」


「おおっ! お前さんはドニーゴか!

─── って、どうしたその下半身は⁉︎」


 もったりとした話し方で、ロジオンに声を掛けて来たのは、木の生えたカバ……。

 いや、下半身がケンタウロスのようにカバの体で、上半身は人の形をした樹のような人物だった。


「へへっ、い、イイだろ? 二十年前だったか、いや、あーん、お、憶えてねえンけども。

じ、自由に歩けねえのが、い、イヤになってな。ここ、こいつに寄生したンだ」


「へえ! 機敏に動き回るドライアド族ってのも、珍しいモンだが、カバに寄生するってのは初めて見たな」


「さ、最先端だろ? へへへ……」


 ドライアド族。

 これも人界では、ほとんど目撃例のない種族だ。


 本来ドライアドとは、オークとか菩提樹ぼだいじゅなんかの大樹に住む、妖精族の事。

 ドライアド族は、限りなく植物に近い体を持つ、ギリギリ人族に数えられる希少種族だ。


 セラ婆の座学では、人里離れた深い森の奥で、精霊神の意志が宿る老木の世話をする、そんな存在だと習っていた。

 非常にのんびりとしていて、人間とは生きる速度が壊滅的に合わないとも聞いていたが……。


「い、いつ、こっち来た? こ、今度はいつまで……いる?」


「こっちに来てから、二週間だ。いつまでいるかは、未定だな今のところは。元気だったか?」


「お、おうっ。す、すこぶる。ロジオンも、元気そーだ。な、何より何より。

─── んで、一緒に居る、そ、その人らは?」


「ああ、こいつらは ─── 」


 ロジオンは俺の素性を隠し、内密で魔界調査に来た冒険者だと紹介してくれた。

 彼、ドニーゴは、かつてロジオンが『怨讐の怪鳥ディアル・ドードー』の呪いを解くべく、魔界を旅していた時に出会ったらしい。


「ここから遥か北東の山間部で、ちょっと助けられてな。

ドライアドでもかなりの変わり者で、動くの速いわ、ベラベラしゃべるわで、最初は驚いたもんだ」


「んふ、オデ、こ、故郷のみんなと、時間が、合わない。た、旅するドライアド、ドニーゴ。よろしく」


 どうやらドライアド族は、セラ婆から聞いていたのが普通らしい。

 彼らのルーツは謎が多く、精霊神や妖精の影響で、時折彼のような変種が現れるそうだ。

 カバのケンタウロスってだけでも、充分に新しい気はするが。


「どうしてここに? お前、食事は必要ないだろ?」


「ん。なんか、すっごい旅人が来たって、う、噂聞いた。なんか、ロジオンっぽいと思った。そしたら、ホントにロジオンだった。う、嬉しい」


「……お前さん、そんなにオレのことを」


 ちょっとロジオンがジーンとしている。

 それを見て、ドニーゴは木漏れ日のような、優しい微笑みを浮かべた。


「あ、そうじゃない。頼みごと、そ、そうだんが、ある ─── 」


 ロジオンが『ああ、そう』と、真顔になる瞬間がいたたまれなかった。




 ※ ※ ※




─── 拒絶


 嫌な夢も、辛い思い出も、拒絶してしまえばいい。

 そう気がついてからは、ただただ、暗闇の中で浮かんでいるだけになった。


 それでも時折、嫌な夢が始まりそうにはなる。


 その瞬間に、私は心に刻み込んだ、あの胸のすくような香りを思い出していた。

 そうすれば、嫌な夢は揺り返す波のように、ざわめきを残して遠ざかる。


─── アル……


 何処までが自分なのかすら、あやふやな世界で、私はつぶやく。

 もう何度、彼の名を呼んだのだろう。


 自我を保っていられる、その時間が伸びたのは嬉しいけど、同時に自分の置かれている状況が分かって苦しくなる。


『 ─── いつまで、私の中に入り込んでいるつもり?』


 すぐ目の前で声が響いた。

 それで私は、目を閉じていたことに気がつく。


 ううん、今、意識したから、見えるようになったのだと思う。

 ずっと、何かが私を見つめていたのは、だいぶ前から分かっていたのだから。


 ……ゆっくりと顔を上げ、その声の主を見る。


「……あなたは、一体……誰なの……?」


 それは私と目が合うと、ニイッと口元を歪めて笑った。


『私はスタルジャ。ロゥトの誇り高き戦士エノクと、心優しき風使いシストラの娘。

─── あなたこそ、誰なのよ……?』


 白銀の長い髪に、長い銀色のまつ毛に囲まれた、紅い光を灯した紫色の瞳。

 月明かりのような、おぼろげな光に照らされた、褐色のつややかな肌。


 その手には、二羽の小鳥の意匠の施された白い杖が、神々しく光を放っている。

 見覚えの無い杖だけれど、それを持つこの人のことなら分かる。


 そこに居たのは、私だった ───




 ※ 




─── …………ス。……ルフォンス……!


 暗闇の中で何かが聞こえ、アルフォンスははたと意識を取り戻した。

 まだあやふやな覚醒の中、その声の主を思い出す。


─── オラッ! 起きろやアルフォンスッ!


 いきなり目の前から、怒鳴り声が浴びせられ、両目のまぶたをパチンと叩かれた。


「……ぐあっ! いってえミィル! 何すんだよッ!」


『早く目をさませーっ!』


「目ん玉叩かれたら、余計目が開かなくなるわ! なんだ、何処だここは⁉︎」


 暗闇の世界には、灰色のモヤのようなものが渦巻き、自分の体すら曖昧な世界だった。

 目の前には、焦った表情のミィルが、光を発してブンブンと俺の周りにたかっている。


『 ─── まだボケてんの⁉︎ ここはスタの精神世界、あんたの婚約者スタルジャの中!

やばいことになってんだよーっ!』


「…………! ス、スタルジャがどうしたッ⁉︎」


 スタルジャの精神世界だと認識した瞬間、バチッとフラッシュが辺りを包み、一瞬にして風景を一変させた。

 月の浮かぶテラス、窓の向こうの室内からは、楽しげな談笑と、ダンス曲が静かに流れている。


「ここは……妖精王の宮殿? 迎賓館のテラスか……?」


 スタルジャと初めてダンスの練習をした、シリル王のパーティーの夜、月夜のテラスの光景そのものだった。

 窓の向こうに、楽しげな世界が見えるが、窓はどれも鍵が掛かっていて開かない。

 その穏やかな光の中にいる、楽しげな人々の光景と、テラスのしんと冷え切った夜の世界とが、真っ二つに別れている。


 ……疎外感。


 そこに楽しげな光があるが故の、こちら側の静寂と、冷え切った孤独感。


『アルフォンスの声が届いてから、スタは嫌な記憶にフタをしてたんだ……。

でも、痺れを切らした“過去”が、直接出てきちゃったんだよーっ!』


「スタルジャの『過去』……?」


 前までは、スタルジャの実家か、ロゥトの風景ばかりだった。

 ここはスタルジャにとって、次に進んだ思い入れのある、大事な記憶の場所なのかも知れない。


 ……俺と踊った辺りだけ、淡い光の粒子が舞って、テラスの一部がぼんやりと明るくなっている。

 彼女は、あの夜を大切に思っていてくれたのだと、胸が詰まって切なくなった。


「スタルジャは……彼女は今どこに⁉︎」


 ミィルが弱々しく首を振った時だった。

 テラスの外のどこからか、二羽の白い鳥が音もなく飛び、テラスの先へと飛んで行った。


─── そこに、空間が歪んだ区画がある……!


 思わずミィルと顔を見合わせる。

 『あそこか!』と駆け出そうとするのを、ミィルが目の前に回り込んで阻んだ。


「……なんだ⁉︎ 早く行ってやらないと!」


 ミィルが下唇を噛んで、痛切な表情を浮かべると、息を詰まらせて言う。


『 ─── いい? アルフォンス。

人の自我ってさ、すごく曖昧なんだよ。その人らしさとか、残された記憶とか……』


「…………それが、なんだ」


『その全てが、自分を作ってる大事な部品でさ。どんなに嫌なことでも、それが実は今の自分を作ってたりするんだよ。

─── だから、下手に何かを拒絶して、極端に遠ざけると、大きく歪んじゃうことがあるんだ……』


「歪む……。性格が変わるって事か?」


『それも……ある。でも、最悪、自我が薄れて、二度と表に出られなくなることだってあるんだよ……。

スタの“過去”が直接出て来たってのはさ、そういう、ヤバい状態なんだってこと』


「 ─── そんな……!」


 いや、そうかも知れない。

 俺が精神世界でアルファードと向き合えたのは、ローゼンの存在があった。

 

 そして、俺に覚悟が無かったせいで、音声も遮断されていた。

 あの時もし、アルファードの真意が聞くことができて、その真意が ─── 、


─── 俺を『偽物』だと、怨嗟えんさを向けられていたのだとしたら、どうだったのか


 精神世界にあるどれもが自分を形作るものだったとしたら、俺は周りの何かや、自分自身を拒絶せずにいられただろうか?


「分かったよミィル。教えてくれてありがとうな。

どんなに難しくても、スタルジャが少しでも肯定的になれるように、支えてやらなきゃな」

 

 肯定的である事は、難しくもある。


 逃げる事も、拒絶する事も、自己肯定に繋がらなければ、それは歪みを残す事になる。

 それらの判断を、自分で肯定出来なければ、負い目を増やすだけなのだから。


 そして、負い目を持った事は、いつか再び襲い掛かる。

 つまり先延ばしでしか無くなってしまう。


 ましてや今、スタルジャは自分の『過去』に、直接迫られているのだ ─── !


『うん……。頼むよアルフォンス。スタを、あの娘を助けてあげて……!』


 やつれた顔のミィルが、目に涙を浮かべてそう言った。

 あの奔放な妖精が、ここまでスタルジャの事を想っている。

 せめて、ここまで肯定的に、彼女と向き合おうとしている存在がいる事くらい、教えてやらなきゃな……!




 ※ 




「……わ、私は、私。スタルジャは私よ!

それに、私はランドエルフ、緑髪の新しいエルフ。

─── あなたはダークエルフじゃない!」


 スタルジャの言葉にダークエルフはくすりと笑い、彼女に歩み寄る。


『私は紛れもなくスタルジャ。ダークエルフなのは、あなたのせい ─── 』


「わ、私の……?」


『そう。あなたはいつだって、壊れてしまってよかった。逃げ出して、私と交代してしまえばよかったのに』


 その言葉に、どきりと心臓が冷え、スタルジャは言葉を失った。

 必死に取りつくろうも、ダークエルフはそれを見抜いて、優しく微笑んだ。


『あなたは心の傷を、全て自分の弱さのせいにした。それを乗り越える術を捨て、ただ人質として生きるために。

─── 自分のために、死んだ人々の想いを、自分の弱さのせいにすることで逃げた』


「……ち、違うっ!」


『この世で、絶対に嘘をつけない相手は、自分。

隠さなくていいの。私は、あなたの全てを知ってるのよ?』


 ダークエルフの手が、スタルジャの頰に触れる。

 スタルジャはびくりとしながらも、その手の温かさに、拒絶する事が出来なかった。


「……な、なに……? 何が言いたいの……!」


『私はあなたを

あなたの選択は、正しかった。だからこそ、今があったし、あなたもロゥトも生き延びた』


 スタルジャは、自分の視界が急激に揺らぐのを感じていた。

 自分の過去を、その足跡を肯定されたのだ。


 それが例え、自分であったとして、いや、自分自身が肯定したという事実は、よりストレートに心に突き刺さる。


『あなたの選択は正しかった。でも、それ以上に現実は不条理で、結果、私は生まれた。

私はあなたの闇。あなたの苦しみを抱き止め続けて来た、あなたの半分』


「わた……私の……半分」


 その言葉に、急速に孤独が埋められていく。

 フラついた彼女を、ダークエルフは抱き締め、身を寄せて支えた。


『そう。私はあなたの半分。ずっとここからあなたを見続けていたの。

─── そして、あなたに新しい選択を……』


 そこまで言いかけた時、スタルジの耳がピクリと動き、弾けたように背後の闇へと振り返った。


─── 微かな柑橘かんきつの香り


 その香りにスタルジャの表情は、待ち焦がれた歓喜と熱情に、染め上げられる。


 漂う柑橘の香りは、暗闇に仄かな明かりを灯らせ、地面に草花を芽吹かせていた。

 その輝かしい生命の風景は、闇の向こうからゆっくりと、塗り替えて来る。


 支えられた手を振りほどき、スタルジャはその光へと駆け出す。


「 ─── アルッ!」


 何度も呟き続けたその名を、渾身の力で叫ぶ。

 その呼びかけに光の世界が応えた ─── 。

 

「 ─── スタルジャッ‼︎」


 黄金色のオーラが、スタルジャを覆う。

 それは今応えた声の主から伸び、彼女へと確かに繋がっていた。


 彼女はその腕に飛び込む。


 シャツ越しに頰で感じる、厚い胸板の温かさ、背中に回されきつく抱き締める腕の強さ。

 幾つもの夜、ダンスの手解きを受け、そして彼女に安らぎを与えた温もり。


─── 彼女は今、確かにアルフォンスに抱かれていた


 突き上げる歓喜は、彼女の喉から声を奪う。

 一度何かを口走れば、それが嗚咽おえつに変わってしまうだろう。


 だから、彼女はただただ、胸に埋める顔に、想いを寄せてすがりつく。


「……スタ……ルジャ。やっと、やっと会えた!」


「…………っ!」


 泣き出せば、感覚が薄れてしまう。

 彼女は鼻をつつく痛覚と、わななく喉の震えを必死に噛み殺した。


(……この声、この匂い、この温かさ……。間違いなく彼だ! 彼だ! 彼だ!)


「良かった……無事で良かった!

─── さあ、帰ろう」


「…………ふがっ!」


 泣き出すのをこらえるのと、喜びに『うん』と応える勢いで、大きく鼻が鳴る。

 それをアルフォンスは、静かに涙を流しながら、微笑んで抱き締めた。



『 ─── あなたのせいよ……』



 二人の背後から声が響く。


 今抱き締めている愛しい存在と同じ声。

 そして、メルキアで初めて目にした時と、全く同じダークエルフの姿がそこに立っていた。


 だが、その目は憎悪に紅く燃えていた。


「黒……スタだよ……な?」


『黙りなさい。あなたは邪魔なの。

─── あなたがいるから、私たちは……』


 その手に握られていた、白い杖が輝く。

 杖に白い小鳥の飾りが、二羽舞うような意匠でつけられている事に気がつき、テラスで飛んでいた二羽の鳥を思い出した。


 その杖が強い光を放ちながら、槍へと姿を変える ─── 。


『……渡さない。悪意のひしめく現実に、この子はもう渡さない……ッ!』


 暗闇の世界に、白い一条の線が閃いた。

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