第十話 奥に根付くもの
人界であれば今頃は、雪のちらつく、鉛色の空だっただろうか。
雲ひとつない澄み切った青空の下、上空を尾の長い鳥の、大きなシルエットが通り過ぎて行く。
短く高い『ピイッ』と鳴く声を、定期的に上げて飛ぶその鳥は『極楽鳥』というらしい。
確か人界の南部では、その骨が不老不死の霊薬の材料となるとか、言われていた気がする。
元々眉唾な話だったが、このセィパルネ魔公爵領には、キジと同じくらい生息していると聞いて、笑ってしまった。
いかんいかん、それどころじゃない。
この目の前の皿と、格闘しなければ……!
「で〜んか☆ お味はいかがですか♡」
「ああ、めっちゃくちゃ美味いな!
ところで、これは何の肉だ? あまり見た事ないが、白身魚と鶏肉の中間みたいな……」
「ヴィニルオオサンショウウオです♪ ウチらのご馳走なんですよ☆」
どんな生物かと聞けば、水棲魔物の一種で、馬くらいの大きさのサンショウウオらしい。
「ん? それって、街の水路で荷物運びしてなかったか」
「はい♪ すっごく賢くて長生きなんです。市民権を持ってる個体もいますよ」
それを食って良いのかと、ちょっと引いていたら、その魔物自身が納税代わりに持ってくる肉らしい。
なんでも、ヴィニルオオサンショウウオは、不死身に近い再生能力の持主で、半分に切断したくらいでは、すぐに元通りになるのだとか。
敵に斬られた場合は、両断されたどちらかが本体となって再生、切り捨てられた肉体は消滅する。
だが、彼らが持ってくる肉は、なぜか消滅しないという。
その理由は謎で、結果的に市場に流通する事も無く、超希少食材だそうだ。
何だろう、生きている隣人を食べてるってのは、抵抗感があるのだが……。
知性をもつ巨大なサンショウウオが、どんな表情で納税しに持ってくるのか、気になってしまう。
だが、それを踏まえても、どうでも良くなるくらいに、美味い。
「おかわりもたくさんありますから、皆さま、どんどんお召し上がりくださいね〜☆」
今、俺達はセィパルネに招かれて、海皇パレスの上層階にあるテラスで、食事をしながら今後の話をしていた。
セパルの街に到着してから四日、ロジオンの情報収集と、この地域の各有力者への打診も済み、そろそろ出発準備を考え始めたところだ。
「次はオアシスの街パルモルでしたね。少しですが、情報も集めましたわ。
お食べになりながら、聞いてくださいね」
流石は魔公爵、セパルの街でも色々と情報は集めたが、一般には知り得ないレベルの内容が続いた。
「ペルモリア魔公爵領の大移動……?」
「はい。現在ペルモリア魔公爵の領地で、原因不明の飢饉が起きているようです。
水脈が弱って、次々に湧水が枯れ、逆に突如水が浸み出して陥没する土地も続出しているとか。
……『衆王ペルモリア』は、近く大移動を考えているそうですわ。
とは言え、これが初めてではありません。パルモルは、オアシスに合わせて、数百年単位で移動してますから」
「うーん、次のアマーリエの足跡は、パルモル。場所は変わってたりしないの……?」
「ご心配はいりません。前回の移動は四百年以上前ですから、まだアマーリエのいた時期と重なっておりますわ。ユニ
なら問題ないか。
もし、ズレていたとしたら、何かしらの予言が残されていただろうし。
それも気になるが、セィパルネの『せんぱい』発言の方が、今は気になる。
どうしたって、俺の配下になる約束を取り付けたいらしく、婚約者連合に取り入ろうとしていた。
いかんせん、彼女達がピュアなばっかりに、どんどん仲良くなっているのが怖い。
またソフィア辺りが『婚約者増やしましょう』とか言いださないか、とてもとても不安だ。
「ただ……今は、パルモル平野は乾季と雨季の入り乱れる、不安定な時期ですよ?
移動手段は、どうされるおつもりですか」
「ああ、その件で相談があるのだが、鳳雷鳥を借りられないかと思ってな」
「むむむ、ロジオン。あなた、すっかりパルモル平野の事、お忘れね?
この時期は、魔力を帯びた雷雲が、神出鬼没で荒れ狂うのよ。流石の鳳雷鳥でも、一瞬でローストされてしまうわ」
「……あっ! そうだったか……!
─── となると、陸路もマズイな」
現在、人界では冬だが、魔界に四季はなく、地域によって気候が異なる。
乾燥地帯のパルモル平野は、マナが上空に渦巻きやすく、不安定な魔力に変質する現象が起こるらしい。
魔力が夜空で発光する『荒野のオーロラ』なんて、ロマンチックな自然現象も起こるが、それ以外の現象が危険極まりないそうだ。
上空で渦巻いた魔力は、時に思いも寄らぬ反応を起こすという。
想像を絶する規模の豪雷。
牛馬程度なら、雲の上まで吹き飛ばす竜巻。
逆に翼龍すら粉々にする吹き下ろしの突風。
流星群の如き
瞬間的に降る滝のような豪雨。
特に局所的な豪雨は、鉄砲水を起こしたり、乾燥し切った土や砂を、移動する底なし沼にしたりする。
それらの天候の変化は、前触れも無く、一瞬で起こるそうだ。
……つまり、陸路も空路も、全くもって運任せの、死と隣り合わせの旅となる。
「パルモルの街に入れば、ペルモリアの結界が守ってくれます。途中途中、旅人の為に安全地帯もあるには有りますが……。最近は、魔物の凶暴化が激しくて、安全地帯の管理も後手後手らしいですわね」
出来れば自分の足で、この地を踏んでおきたい所だが、これはちょっと厳しいな。
─── 己の歩いた道には、目には見えずとも己の気が残り、やがて自分の道となる
里を出る前、ダグ爺から言われた言葉が、今は自分の言葉になりつつある。
最初の人里ペコの村到着から、丸二年以上経つが、いつでも思い返せる場所ばかりだ。
そして、その記憶は座標として、転位魔術の移動先にも設定できる。
転位魔術は、転位先を正確にイメージして、そこに転位すべき人物がいる状態を重ね合わせる。
そこに術式を被せて、イメージングした上で発動させれば完了する、かなりの想像力と正確さを要求される高難度の魔術だ。
大人数で転位するのはかなり難しいが、メンバーの魂を、記号化して捉える事で簡略化は出来る。
ローゼンが『物質の転位は難しい』と言っていたのはこのためで、魂が無い物だけの転位は不可能とされている。
うーん、双子のどっちかだけとか、まだやった事はないが大変そうだ。
スタルジャの事を考えると、なるべく先を急ぎたいが、アマーリエの足跡を辿るとなると、転位や飛翔魔術で飛び越えて進むのはばかられる。
転位の座標が取れないのもそうだが、途中にもアマーリエの予言に繋がる何かがあるかも知れないし……。
『アルジー、ボク二乗ッテク?』
テーブル下で、ヴィニルオオサンショウウオの肉を、ウニャウニャ食べてたベヒーモスが、金色の眼を細めて言った。
「相当危険らしいけど、大丈夫か?」
『ウン。落雷トカ突風ナンテ、結界張ル必要モナイヨ。自然クライ操レルシ』
そうだった。
もうティフォのペットか、俺の癒し要員くらいに思ってたけど、こいつはベヒーモス。
神話の怪物の名を冠する、S級指定でも最強クラスの魔物。
別名『災厄の要塞』とまで言われるやつだ。
魔術、超能力、自然操作はお茶の子さいさいの、神獣と言っても過言ではない存在。
彼に乗って行けば、まずどんな気象条件でも、問題はないだろう。
座標取得のために、時折地上に降りたり、低空飛行もしてくれると言う。
「 ─── え? その子、ベヒーモスでしたの⁉︎」
「ああ、ティフォとのタイマンで敗れてから、仲間になったんだ。今は俺達に合わせて、小型化してくれてる。可愛いだろ」
「にゃーん♪」
子猫みたいな声で鳴き、俺の
時々、角が刺さって痛い。
「今は小型化してるけどな、その気になれば、お屋敷二軒分くらいにはなる。
こいつなら、気象関係は、問題ないってよ」
「にゃん♪」
「はぁ……。まさかベヒーモスを手懐けてたとは、流石ですわね。
それを全く気づかせないとは、この子、もしや相当な力の持主なのでは?」
「俺やティフォから、たんまり魔力もらってるからな、本気出したらかなりなもんだと思うけどな。ほとんど闘わねえんだけど」
「……にゃーん」
「今のは、何て?」
「あー『飼主達が強過ぎて、前に出るのが恥ずかしい』んだと」
「あなたも、大変ですわね……」
ヒルデとベヒーモスが、妙に仲良くなった。
移動手段はこれで問題ない。
水の都セパルは、気候も風景も良くて名残惜しいが、ゆっくりもしてはいられない。
スタルジャが、精神世界の中で、ようやく俺の存在に気がついた。
アマーリエの予言の通り、このまま旅を続けて行けば、もしかしたら ───
そして、魔界の現状把握と、あわよくば姉さんの奪還。
『クヌルギアの鍵』の残りを得る。
─── 一つ、その魂に『クヌルギアの鍵』を宿す事
─── 二つ、クヌルギアの主、それを倒し『クヌルギアの祝福』を得る事
─── 三つ、調律の神エルネアより、調律者の加護を受ける事
クヌルギアの鍵が揃わなければ、クヌルギアの主に挑む事は出来ない。
それに、エルネアはすでに、勇者ハンネスを魔王として選定してしまった。
この旅で魔王になる事は不可能だろう。
ただ、クヌルギアの鍵の半分を得ただけで、俺の魔力量は跳ね上がった。
出来るなら、少しでも多く力を手にしたい。
次こそは、勇者ハンネスに一太刀浴びせてやりたいからな。
※ ※ ※
セパルの街を訪れて一週間が過ぎた。
久し振りに再会した水龍は、すこぶる元気が良く、船を
いよいよ、次のアマーリエの足跡、パルモル平野を目指して出発する。
しばらくはヴィニル河を北上し、そこからベヒーモスに乗って、北西の乾燥地帯を進む事になっている。
俺達は今、船着場で、水龍を船に繋ぐ作業を見ながら、セィパルネと別れの挨拶を交わしていた。
「殿……アル様、大変お名残りおしゅう御座いますが、どうか御武運を……!」
「セィパルネ、色々と世話になったな、ありがとう。今は配下にってのは、俺自身が曖昧な存在だから応えてやれないが、このセィパルネ魔公爵領の事はしっかりと頭に入れておく」
「何よりの……お言葉です」
涙ぐまれてしまった。
一応彼女も、騒ぎにならないよう、軽く変装しているのだが、バレバレだ。
周囲はセパルの人々に、すでに囲まれている。
魔公爵を涙ぐませるとか、相当な事だとザワザワしていた。
俺達も目立たないよう、ソフィアが意識を逸らす力を使っていたが、初日の闘いは街でも話題になっていたしな……。
「今は……ウチ、配下になれなくてもいいんです。大切なものを、アル様から頂いてますから」
大切なもの? なんかあげたっけか?
そう困惑していると、セィパルネはニコリと微笑んで、胸元を押さえた。
「ウチ、正直なところ、永く燻ってたんです。
持って生まれた能力以上のことは、もう出来ないのだと。
ロフォカロムに土をつけられて以来、ウチは魔公爵として、諦めを持っていたのかも知れません」
「…………セィパルネ」
「でも、アル様はウチに見せてくれました。
術式が持つ大いなる可能性を ─── 」
ああ、そんな事、前にも言ってたな。
生まれつき強過ぎた彼女は、これまでわざわざ術式を学ばなくても、敵う魔術師は存在しなかった。
だからこそ、俺との闘いで感じた、魔術戦の可能性に感動したと言っていた。
「ウチにとって、それは『希望』。
アル様がウチに、希望を与えてくださったのですから。
─── 次にお逢いする時までには、アル様から『配下にしたい』とお望みになられるよう、精進していきますわ」
希望 ─── ?
彼女の口から告げられたその言葉に、俺の体の奥深くで、何かが強く込み上げた。
それは金色のイメージの波動を起こし、俺とソフィアとの繋がりに、大きなエネルギーの高まりを起こす。
思わずソフィアに振り返ると、彼女も高揚した様子で、俺の事を熱っぽい視線で見つめて頷いた。
─── 勇者は人々に希望を与えるもの
この高鳴りは、もしかしたら勇者としての部分が、確かに息衝いている事を、教えているのかも知れない。
体には魔力とは違う、強いエネルギーが駆け巡っていた。
「 ─── ありがとう、セィパルネ。
その言葉、俺は忘れない。どうやら、俺もやる気を貰ったみたいだ」
「ッ!」
セィパルネが俺に抱き着いた。
胸に埋められた彼女の顔から、高鳴る鼓動を感じられる。
「 ─── 言ったじゃないですか……。
その笑顔は卑怯だって」
「……あ、いや、すまん。よく分からんが、嬉しくてな」
「セィパルネはお待ちしております。
貴方様の時代が、この魔界に訪れる日を……!」
そう言って、彼女は目尻の涙を拭い、一歩後ろに下がると
周囲から人々のどよめきが上がる。
「か、顔を上げてくれセィパルネ!
分かったから、俺も頑張るからさ……!」
「ふふ。約束ですよ……♡」
う、こいつこんなに綺麗だったっけ⁉︎
タジタジになりながらも、水龍船を振り返る。
どうやら水龍の接続はとっくに終わっていたらしい。
水夫が三人、呆然とこっちを眺めて、突っ立っていた。
「ああ、約束しよう。
─── じゃあ、行ってくる」
「はい! ご武運をお祈りしております!」
水龍船に乗り込むと、張り切った水龍は、スムーズに船を動かし、あっという間に水路へと進んだ。
遠く、セィパルネと街の人々が手を振っているのが見えた。
白く統一された水上の都市は、水面の光を受けて、どこも輝いている。
また、忘れられない場所が出来た。
そうしみじみしていたら、ソフィアが俺に近づいて、そっと囁く───
「また、少し加護が強まりましたね♪」
「ああ、やっぱそうなのか……」
「勇者とは、人々に希望を与える者。本来、適合者は、そういうものではないんですけどね。
希望とは人に与えた、新たな運命の入口です。
それは調律者のお仕事ですから。あながち間違いではありません」
「 ─── 希望は、運命の新たな入口……」
「勇者とは人界の調律者。でも、そのアルくんがこの魔界でもそれを育めるとは、あまり考えていませんでした♪」
ああ、もしかしたら ─── 、
アマーリエがセィパルネに『人界と魔界の確執』の話をさせたのは、ここに掛かるのか?
俺が背負った運命、勇者であり、魔王。
勇者ハンネスが魔王として、エルネアに選ばれた以上、今この世界のバランスは大きく変わっているのだろう。
人界の勇者として、魔界にも調律と希望を。
そして魔王として、人界にも何らかの調律を、俺はもたらすべきなのかもしれない。
「ソフィ……」
「はい♪」
「……頑張ろうな」
「 ─── はい!」
水龍船は、軽快にヴィニルの川面を進んでいる。
だんだんと小さくなっていくセパルの街は、白く勇壮に、ヴィニルの上にそびえていた。
※ ※ ※
セパルの街を出る前に、ひとつ気になる話を耳にしていた。
どうやらセパルは最近、周辺の魔物に凶暴化が見られ、その対応に頭を悩ませていたらしい。
だが、街を挟んでヴィニルの下流が、まず沈静化していき、ここ数日で上流側の魔物達も落ち着いたと言う。
その話を聞いたのは、宿屋の下に併設されたバルだったが、ソフィアがポツリと言った。
「アルくんの、魔力分配じゃないですかねぇ」
「え、俺の?」
「ん、多分、魔物のきょーぼー化って、人界の魔物と同じ。魔力が足りないから、アヘった。でも、オニイチャが来たから、満足」
そういう事か……。
確かに魔界に来てから、体調が良いけど、もしかして魔力の供給と分配で、魔力の入れ替わりでも起きてるんたろうか。
「そう言えば、あたしも、魔力が強まってる気がするわ」
「あ、お姉ちゃんも? ユニもそう思ってたけど、術式の勉強の成果かと思ってたの」
「……魔力の分配か。この辺りの地域は、魔王城からは遠い。ハンネスが人界に出ている以上、魔力分配が弱まってるはずだ。アルフォンス、お前がここに来たのは、魔界にとっては渡に船ってやつだな」
そう言うもんかね。
これが魔王になったら、魔界全土に分配するんだろ?
どんだけ魔力量がデカくなると言うのか。
─── とかね、そんな会話をしていたのが懐かしいよ……もう
「…………今度はガーゴイルの群れか。ベヒの結界なら大丈夫だろうけど、流石に多過ぎだろ、魔物の数」
「元々、パルモル平野ってのは、地下から湧くマナの量が多い。
だから魔物が生まれやすい環境なんだ」
ベヒーモスがため息混じりに、黒い稲妻を周囲に降らすと、ガーゴイル達が消炭のように散っていく。
「ベヒ、辛くないか? 何だったら、俺も加勢するけど」
『ヘーキ。チョット、面倒クサイダケ〜』
ベヒーモスの背中は、思いの外、乗り心地が良かった。
ヴィニル河から、パルモルへの道を阻む、岩山の前に上陸。
そこで本来のサイズに戻ったベヒーモスは、明らかに前よりもデカくなっていた。
※
「……おまっ、1.5倍くらいデカくなってねえか⁉︎」
『ン? ソーナノ? ワカンナイ』
そう言って伸びをする体は、大きくなっただけじゃなく、より肉食獣って感じにマッスルアップ。
毛並みも良く、艶のある部分が、紫色に輝いて見えた。
「ん、オニイチャに角生えたあたりから、ベヒ、色々パワーアップしてたよ?」
「そうだったのか……?」
「大樹海に攻め入った時以来だけど、ほんと、凶悪な感じになったわね」
「…………なんでこんなのが、人界に居たんだ⁉︎
おい、アルフォンス、どこでとっ捕まえたんだ! 説明しろ!」
ロジオン曰く、ベヒーモスは滅多に現れる事はないが、人界でも大昔には百年単位の間隔で、人間と縄張り争いする事があったらしい。
ギルドの歴史の中で、撃退した事はあっても、倒せた事はないそうだ。
ロジオンにベヒーモスとの出逢いの話をすると、ティフォの方を、やや怯え気味な表情でちらりと見る。
それに気がついたティフォは、両手を構えて『シャー』って唸った。
すごく可愛かった。
※
「とは言っても、乗せてもらうだけじゃ、心苦しいですわね。
ちょっと、お手伝いしちゃおうかしら……」
ガーゴイルの群が、更に向こうから迫ってくるのを見て、ヒルデリンガが立ち上がった。
「うっふ〜ん♡」
艶かしいポーズをとり、何やら古いセクシーワードを投げかけた彼女から、紫がかったピンクの魔力が空を覆っていくのが見えた。
途端にガーゴイル達は、その場に留まると、ベヒーモスの後ろからついて来る。
「あなたたち〜、しっかりおやんなさいね☆」
見れば他からも集まって来る、空の魔物達に向かって、ガーゴイルの群れが飛び込み、熾烈な闘いを繰り広げていた。
「もう少し増やしておこうかしらね……」
そう言って、ヒルデリンガは俺の方をチラ見しながら、またピンクの魔力を放つ。
その内、少しだけ俺の体にぐるぐると、まとわり付いて消えたのがある。
「……ヒルデ。お前今、ナニした?」
「 ─── 実力差があり過ぎなのかしら……。
流石に自信なくしてしまいますわね」
サキュバスの魅了か。
いや、何でそれを俺に使うのか!
いや全く効いてないってわけじゃない、胸がドキドキはしてるんだ。
でも、気づかれたら大変な事になりそうだから、何でもない風を装って、視線を外す。
と、その先にソフィアが居て、目が合ってしまった。
……にこっ♪
「 ─── あうぅっ!」
思わず変な声出ちゃった。
なんだアレ、可愛い過ぎだろ⁉︎
頰を染めて、少し恥ずかしそうに微笑むソフィアに、体が脈打つ程にドキッとさせられた。
あんなにまつ毛長かったっけ?
何であんなに、唇が艶やかなんだ⁉︎
僧服で覆われてるのに、あんなにボディライン見えてたっけ⁉︎
……てか、これ確かセパル到着前にもやられてたよな? 確かエリンにすっごくドキドキした。
ヒルデリンガの【
「ん、そこのいんらん。きさまのガバガバなえろすなど、オニイチャには効かん」
「何故ですの……? 先代魔王さまにも効きかけて、一時出禁にされたわたくしですのよ?」
爺さん……。
「オニイチャの精神は、あらゆる状態異常に、耐性もってる。たとえば、ほれ」
そう言って、ティフォが両手を膝に添えてかがみ込み、胸の谷間を強調しようと……出来てない。
「 ─── な?」
「何が『な?』なのか、さっぱりですけれども……。貴女の自信の強さには、わたくし感服いたしましたわよ?」
「ん、分かればよい」
いや、本人が一番分かってねえだろ。
……でも、大人ティフォでやられてたら、危なかったかも知れない。
「こ、こう? ティフォ様」
「ん、視線はしっかり、オニイチャの目を射貫け、そしてスマイルだエリン」
「…………何やってんだお前ら」
ロジオンに助けられた。
正直、エリンの真っ赤っかな顔で、不慣れなセクシーポーズは、一周回ってクルものがある。
ベヒーモスに乗っての移動は、順調そのものだった。
俺の心に平野の座標が残りやすいよう、速度を緩めたり、地面すれすれを飛んだりと、転移魔術対策の方も完璧な仕事ぶりだった。
※ ※ ※
真上を見上げれば、落ちて来そうな程の、満天の星空が広がっていた。
あれだけ荒れていた天候も、今はベヒーモスのお陰か、嘘のように静まっている。
野営地に選んだ巨石の片隅の空間は、結界とソフィアの意識を逸らす力のお陰で、魔物も近寄らずに静かなものだ。
食事を終えようかと言うタイミングで、ローゼンオオコウモリが現れた。
残り物の串焼きを『んぐんぐ』と食べ始めると、スタルジャの中にいたミィルも飛び出して、コウモリと黒アゲハ妖精の害獣コンビの食事となった。
「ゲフゥ……。はぁ〜、食べた食べた☆
相変わらずアルフォンスのごはん、おいしーね♪ はやくスタにも食べさせてあげたいねー」
「そうだな。本当に」
スタルジャの精神世界へは、あれ以来訪れていない。
元々、狙って行けるわけでもないが、進展があった後だけに、やや焦りもある。
ミィルはぽんぽんになった腹を押さえて、胡座をかいていた俺の膝に座り、寄りかかった。
「ここはいいねー。すっごくマナが溢れてる」
ミィルとくっついたせいか、精霊達の仄かな光が見えるようになり、夜の静かな砂漠に広がる、精霊達の賑やかな世界が垣間見える。
時折、精霊達の光の粒子に混じって、強い光を放つものが見られた。
「あれ、妖精だよ。なんかあたしに挨拶してるみたいなんだけど、怖がって近づかないんだよねー、さっきから」
「……肉臭いからじゃないのか?」
「あ、それかー☆」
そんな話をしていたら、食事を終えたローゼンオオコウモリが、俺にしがみついた。
ベヒーモスが居て、女神が二人いて、魔力のデカい赤豹姉妹に、炎帝ロジオン。
更にサキュバスと、勇者で魔王の俺、そしてヴァンパイアのプロトタイプのローゼンがいる。
それと一緒にいる妖精の女王なんだから、ビビられても当然といえば当然か。
「あら、ダーさん、また適合者の力が上がったです?」
「ん、流石だな、分かるのか。実はセィパルネにこんな事を言われてな……」
お別れの時に起きた、勇者としての高鳴りを話す。
「……なるほどですねぇ。もしかしたら、予言者アマーリエの狙いは、ダーさんに自覚を促すためだと」
「まあ、本人に聞かなきゃ分からないけどな。ロフォカロムからは、魔王としての自覚を。セィパルネからは、勇者としての自覚を促された気がするよ。
こんなに分かりやすく、力が沸き起こったのは、ソフィと契約更新した時以来だな」
「希望……ですか。なまじ、希望は直ぐに湧くものより、それが希望通りに進んでいると知った時の方が強まるです。ダーさんの今までの功績も、後で湧いてくるのかも知れないですね」
希望か。
『オルネアの聖騎士』って、加護には小さい頃から憧れがあったし、勇者伝説には色んな希望を抱いたものだった。
……それがまさか自分の運命になったと知っても、スタートが『幼女の騎士』だったせいで、自覚しろと言われてもキツかったな。
今頃、勇者ハンネスは、三百年ぶりの人界を満喫しているのだろうか。
もしかしたら、勇者伝で培われた人々の希望で、さらにパワーアップしているかも知れない……。
「勇者ねぇ……。実際、俺は適合者として、どんな理想像を求めたらいいんだろうな。
今まで必死だったから、よく分からん」
「それで良いんですよアルくん」
思わずポツリと呟いた時、いつの間にか隣に立っていたソフィアが、そう言って腰を下ろした。
「人々の言う『勇者』は、誰かの言い出した理想像の形じゃないですか」
そうだ。
実際、父さんの記憶で見たハンネスは、オドオドしてて、幼馴染の少女カルラの尻に敷かれていた。
勇者と言う呼称も、当時のアルザスの考えた、政治戦略みたいなものだったし。
「あなたに求められているのは、あなたの運命を全うした先にある、平穏な世界そのもの。
そして、魔王として求められるのは、魔界にもたらす平穏な日常そのもの。
─── アルくんらしく考えて、進んだ結果ですよ。他人からの評価なんて、揺るぎやすいものは気にせず、あなたの幸せを求めればいいんです」
「そう……そうか。そうだな」
魔王が絶対的な存在かと思えば、魔公爵の方が古くからいて、魔王って、魔界の人々のバランサーみたいなものらしいもんな。
あれ? この考えに至れたのも、ロフォカロムやセィパルネと関わったからなのか?
と、ロジオンが俺の方に向き直り、フッと笑った。
「オレはお前と出逢ってから日が浅いが、魔界に来てからのお前は、少し変わったようにも見える」
「 ─── え?」
「元々、自信がある奴には見えてたが、それは実力に裏打ちされた、立ち振る舞い。
今はなんだか、前より穏やかで、落ち着いてるようにも見える。
少し、魔王さん……フォーネウス王に似て来たんじゃないか?」
爺さんか。
記憶映像で見た魔王フォーネウスは、自信に満ち溢れ、王でありながら自由に暮らしているようにも見えた。
理想像って、あれが近いのかも知れないな。
思い通りに、自信を持って生きてたら、俺もあんな感じになるのだろうか。
ハンネス達と談笑していた、祖父の顔を思い出す。
爺さんは、最期までハンネスの事を、救おうとしていたようだった。
彼の技には、呪術に近い負のエネルギーが、強くはびこっていたが……。
─── 彼を救う、そんな未来もあるのだうか?
胸の奥に灯った、セィパルネの希望の温もりは、未だはっきりとそこに息づいているのを感じられていた。
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