第十話 奥に根付くもの

 人界であれば今頃は、雪のちらつく、鉛色の空だっただろうか。


 雲ひとつない澄み切った青空の下、上空を尾の長い鳥の、大きなシルエットが通り過ぎて行く。

 短く高い『ピイッ』と鳴く声を、定期的に上げて飛ぶその鳥は『極楽鳥』というらしい。


 確か人界の南部では、その骨が不老不死の霊薬の材料となるとか、言われていた気がする。

 元々眉唾な話だったが、このセィパルネ魔公爵領には、キジと同じくらい生息していると聞いて、笑ってしまった。


 いかんいかん、それどころじゃない。

 この目の前の皿と、格闘しなければ……!


「で〜んか☆ お味はいかがですか♡」


「ああ、めっちゃくちゃ美味いな!

ところで、これは何の肉だ? あまり見た事ないが、白身魚と鶏肉の中間みたいな……」


「ヴィニルオオサンショウウオです♪ ウチらのご馳走なんですよ☆」


 どんな生物かと聞けば、水棲魔物の一種で、馬くらいの大きさのサンショウウオらしい。


「ん? それって、街の水路で荷物運びしてなかったか」


「はい♪ すっごく賢くて長生きなんです。市民権を持ってる個体もいますよ」


 それを食って良いのかと、ちょっと引いていたら、その魔物自身が納税代わりに持ってくる肉らしい。

 なんでも、ヴィニルオオサンショウウオは、不死身に近い再生能力の持主で、半分に切断したくらいでは、すぐに元通りになるのだとか。


 敵に斬られた場合は、両断されたどちらかが本体となって再生、切り捨てられた肉体は消滅する。

 だが、彼らが持ってくる肉は、なぜか消滅しないという。


 その理由は謎で、結果的に市場に流通する事も無く、超希少食材だそうだ。


 何だろう、生きている隣人を食べてるってのは、抵抗感があるのだが……。

 知性をもつ巨大なサンショウウオが、どんな表情で納税しに持ってくるのか、気になってしまう。


 だが、それを踏まえても、どうでも良くなるくらいに、美味い。


「おかわりもたくさんありますから、皆さま、どんどんお召し上がりくださいね〜☆」


 今、俺達はセィパルネに招かれて、海皇パレスの上層階にあるテラスで、食事をしながら今後の話をしていた。

 セパルの街に到着してから四日、ロジオンの情報収集と、この地域の各有力者への打診も済み、そろそろ出発準備を考え始めたところだ。


「次はオアシスの街パルモルでしたね。少しですが、情報も集めましたわ。

お食べになりながら、聞いてくださいね」


 流石は魔公爵、セパルの街でも色々と情報は集めたが、一般には知り得ないレベルの内容が続いた。


「ペルモリア魔公爵領の大移動……?」


「はい。現在ペルモリア魔公爵の領地で、原因不明の飢饉が起きているようです。

水脈が弱って、次々に湧水が枯れ、逆に突如水が浸み出して陥没する土地も続出しているとか。

……『衆王ペルモリア』は、近く大移動を考えているそうですわ。

とは言え、これが初めてではありません。パルモルは、オアシスに合わせて、数百年単位で移動してますから」


「うーん、次のアマーリエの足跡は、パルモル。場所は変わってたりしないの……?」


「ご心配はいりません。前回の移動は四百年以上前ですから、まだアマーリエのいた時期と重なっておりますわ。ユニ


 なら問題ないか。

 もし、ズレていたとしたら、何かしらの予言が残されていただろうし。


 それも気になるが、セィパルネの『せんぱい』発言の方が、今は気になる。

 どうしたって、俺の配下になる約束を取り付けたいらしく、婚約者連合に取り入ろうとしていた。


 いかんせん、彼女達がピュアなばっかりに、どんどん仲良くなっているのが怖い。

 またソフィア辺りが『婚約者増やしましょう』とか言いださないか、とてもとても不安だ。


「ただ……今は、パルモル平野は乾季と雨季の入り乱れる、不安定な時期ですよ?

移動手段は、どうされるおつもりですか」


「ああ、その件で相談があるのだが、鳳雷鳥を借りられないかと思ってな」


「むむむ、ロジオン。あなた、すっかりパルモル平野の事、お忘れね?

この時期は、魔力を帯びた雷雲が、神出鬼没で荒れ狂うのよ。流石の鳳雷鳥でも、一瞬でローストされてしまうわ」


「……あっ! そうだったか……!

─── となると、陸路もマズイな」


 現在、人界では冬だが、魔界に四季はなく、地域によって気候が異なる。

 乾燥地帯のパルモル平野は、マナが上空に渦巻きやすく、不安定な魔力に変質する現象が起こるらしい。


 魔力が夜空で発光する『荒野のオーロラ』なんて、ロマンチックな自然現象も起こるが、それ以外の現象が危険極まりないそうだ。


 上空で渦巻いた魔力は、時に思いも寄らぬ反応を起こすという。


 想像を絶する規模の豪雷。

 牛馬程度なら、雲の上まで吹き飛ばす竜巻。

 逆に翼龍すら粉々にする吹き下ろしの突風。

 流星群の如きひょう

 瞬間的に降る滝のような豪雨。


 特に局所的な豪雨は、鉄砲水を起こしたり、乾燥し切った土や砂を、移動する底なし沼にしたりする。

 それらの天候の変化は、前触れも無く、一瞬で起こるそうだ。

 ……つまり、陸路も空路も、全くもって運任せの、死と隣り合わせの旅となる。


「パルモルの街に入れば、ペルモリアの結界が守ってくれます。途中途中、旅人の為に安全地帯もあるには有りますが……。最近は、魔物の凶暴化が激しくて、安全地帯の管理も後手後手らしいですわね」


 出来れば自分の足で、この地を踏んでおきたい所だが、これはちょっと厳しいな。


─── 己の歩いた道には、目には見えずとも己の気が残り、やがて自分の道となる


 里を出る前、ダグ爺から言われた言葉が、今は自分の言葉になりつつある。

 最初の人里ペコの村到着から、丸二年以上経つが、いつでも思い返せる場所ばかりだ。


 そして、その記憶は座標として、転位魔術の移動先にも設定できる。


 転位魔術は、転位先を正確にイメージして、そこに転位すべき人物がいる状態を重ね合わせる。

 そこに術式を被せて、イメージングした上で発動させれば完了する、かなりの想像力と正確さを要求される高難度の魔術だ。


 大人数で転位するのはかなり難しいが、メンバーの魂を、記号化して捉える事で簡略化は出来る。

 ローゼンが『物質の転位は難しい』と言っていたのはこのためで、魂が無い物だけの転位は不可能とされている。


 うーん、双子のどっちかだけとか、まだやった事はないが大変そうだ。


 スタルジャの事を考えると、なるべく先を急ぎたいが、アマーリエの足跡を辿るとなると、転位や飛翔魔術で飛び越えて進むのはばかられる。

 転位の座標が取れないのもそうだが、途中にもアマーリエの予言に繋がる何かがあるかも知れないし……。


『アルジー、ボク二乗ッテク?』


 テーブル下で、ヴィニルオオサンショウウオの肉を、ウニャウニャ食べてたベヒーモスが、金色の眼を細めて言った。


「相当危険らしいけど、大丈夫か?」


『ウン。落雷トカ突風ナンテ、結界張ル必要モナイヨ。自然クライ操レルシ』


 そうだった。

 もうティフォのペットか、俺の癒し要員くらいに思ってたけど、こいつはベヒーモス。

 神話の怪物の名を冠する、S級指定でも最強クラスの魔物。


 別名『災厄の要塞』とまで言われるやつだ。


 魔術、超能力、自然操作はお茶の子さいさいの、神獣と言っても過言ではない存在。

 彼に乗って行けば、まずどんな気象条件でも、問題はないだろう。

 座標取得のために、時折地上に降りたり、低空飛行もしてくれると言う。


「 ─── え? その子、ベヒーモスでしたの⁉︎」


「ああ、ティフォとのタイマンで敗れてから、仲間になったんだ。今は俺達に合わせて、小型化してくれてる。可愛いだろ」


「にゃーん♪」


 子猫みたいな声で鳴き、俺のすねにすりすりと頭や首を擦り付ける。

 時々、角が刺さって痛い。


「今は小型化してるけどな、その気になれば、お屋敷二軒分くらいにはなる。

こいつなら、気象関係は、問題ないってよ」


「にゃん♪」


「はぁ……。まさかベヒーモスを手懐けてたとは、流石ですわね。

それを全く気づかせないとは、この子、もしや相当な力の持主なのでは?」


「俺やティフォから、たんまり魔力もらってるからな、本気出したらかなりなもんだと思うけどな。ほとんど闘わねえんだけど」


「……にゃーん」


「今のは、何て?」


「あー『飼主達が強過ぎて、前に出るのが恥ずかしい』んだと」


「あなたも、大変ですわね……」


 ヒルデとベヒーモスが、妙に仲良くなった。


 移動手段はこれで問題ない。

 水の都セパルは、気候も風景も良くて名残惜しいが、ゆっくりもしてはいられない。


 スタルジャが、精神世界の中で、ようやく俺の存在に気がついた。

 アマーリエの予言の通り、このまま旅を続けて行けば、もしかしたら ───


 そして、魔界の現状把握と、あわよくば姉さんの奪還。

 『クヌルギアの鍵』の残りを得る。



─── 一つ、その魂に『クヌルギアの鍵』を宿す事


─── 二つ、クヌルギアの主、それを倒し『クヌルギアの祝福』を得る事


─── 三つ、調律の神エルネアより、調律者の加護を受ける事



 クヌルギアの鍵が揃わなければ、クヌルギアの主に挑む事は出来ない。

 それに、エルネアはすでに、勇者ハンネスを魔王として選定してしまった。


 この旅で魔王になる事は不可能だろう。

 ただ、クヌルギアの鍵の半分を得ただけで、俺の魔力量は跳ね上がった。

 出来るなら、少しでも多く力を手にしたい。


 次こそは、勇者ハンネスに一太刀浴びせてやりたいからな。




 ※ ※ ※




 セパルの街を訪れて一週間が過ぎた。

 久し振りに再会した水龍は、すこぶる元気が良く、船をけるのが嬉しいのか、ずいぶんとはしゃいでいるようだ。

 いよいよ、次のアマーリエの足跡、パルモル平野を目指して出発する。


 しばらくはヴィニル河を北上し、そこからベヒーモスに乗って、北西の乾燥地帯を進む事になっている。

 俺達は今、船着場で、水龍を船に繋ぐ作業を見ながら、セィパルネと別れの挨拶を交わしていた。


「殿……アル様、大変お名残りおしゅう御座いますが、どうか御武運を……!」


「セィパルネ、色々と世話になったな、ありがとう。今は配下にってのは、俺自身が曖昧な存在だから応えてやれないが、このセィパルネ魔公爵領の事はしっかりと頭に入れておく」


「何よりの……お言葉です」


 涙ぐまれてしまった。

 一応彼女も、騒ぎにならないよう、軽く変装しているのだが、バレバレだ。

 周囲はセパルの人々に、すでに囲まれている。

 魔公爵を涙ぐませるとか、相当な事だとザワザワしていた。


 俺達も目立たないよう、ソフィアが意識を逸らす力を使っていたが、初日の闘いは街でも話題になっていたしな……。


「今は……ウチ、配下になれなくてもいいんです。大切なものを、アル様から頂いてますから」


 大切なもの? なんかあげたっけか?

 そう困惑していると、セィパルネはニコリと微笑んで、胸元を押さえた。


「ウチ、正直なところ、永く燻ってたんです。

持って生まれた能力以上のことは、もう出来ないのだと。

ロフォカロムに土をつけられて以来、ウチは魔公爵として、諦めを持っていたのかも知れません」


「…………セィパルネ」


「でも、アル様はウチに見せてくれました。

術式が持つ大いなる可能性を ─── 」


 ああ、そんな事、前にも言ってたな。

 生まれつき強過ぎた彼女は、これまでわざわざ術式を学ばなくても、敵う魔術師は存在しなかった。

 だからこそ、俺との闘いで感じた、魔術戦の可能性に感動したと言っていた。


「ウチにとって、それは『希望』。

アル様がウチに、希望を与えてくださったのですから。

─── 次にお逢いする時までには、アル様から『配下にしたい』とお望みになられるよう、精進していきますわ」


 希望 ─── ?


 彼女の口から告げられたその言葉に、俺の体の奥深くで、何かが強く込み上げた。

 それは金色のイメージの波動を起こし、俺とソフィアとの繋がりに、大きなエネルギーの高まりを起こす。

 思わずソフィアに振り返ると、彼女も高揚した様子で、俺の事を熱っぽい視線で見つめて頷いた。


─── 勇者は人々に希望を与えるもの


 この高鳴りは、もしかしたら勇者としての部分が、確かに息衝いている事を、教えているのかも知れない。

 体には魔力とは違う、強いエネルギーが駆け巡っていた。


「 ─── ありがとう、セィパルネ。

その言葉、俺は忘れない。どうやら、俺もやる気を貰ったみたいだ」


「ッ!」


 セィパルネが俺に抱き着いた。

 胸に埋められた彼女の顔から、高鳴る鼓動を感じられる。


「 ─── 言ったじゃないですか……。

その笑顔は卑怯だって」


「……あ、いや、すまん。よく分からんが、嬉しくてな」


「セィパルネはお待ちしております。

貴方様の時代が、この魔界に訪れる日を……!」


 そう言って、彼女は目尻の涙を拭い、一歩後ろに下がるとひざまずいた。

 周囲から人々のどよめきが上がる。


「か、顔を上げてくれセィパルネ!

分かったから、俺も頑張るからさ……!」


「ふふ。約束ですよ……♡」


 う、こいつこんなに綺麗だったっけ⁉︎


 タジタジになりながらも、水龍船を振り返る。

 どうやら水龍の接続はとっくに終わっていたらしい。

 水夫が三人、呆然とこっちを眺めて、突っ立っていた。


「ああ、約束しよう。

─── じゃあ、行ってくる」


「はい! ご武運をお祈りしております!」


 水龍船に乗り込むと、張り切った水龍は、スムーズに船を動かし、あっという間に水路へと進んだ。


 遠く、セィパルネと街の人々が手を振っているのが見えた。


 白く統一された水上の都市は、水面の光を受けて、どこも輝いている。

 また、忘れられない場所が出来た。


 そうしみじみしていたら、ソフィアが俺に近づいて、そっと囁く───


「また、少し加護が強まりましたね♪」


「ああ、やっぱそうなのか……」


「勇者とは、人々に希望を与える者。本来、適合者は、そういうものではないんですけどね。

希望とは人に与えた、新たな運命の入口です。

それは調律者のお仕事ですから。あながち間違いではありません」


「 ─── 希望は、運命の新たな入口……」


「勇者とは人界の調律者。でも、そのアルくんがこの魔界でもそれを育めるとは、あまり考えていませんでした♪」


 ああ、もしかしたら ─── 、

 アマーリエがセィパルネに『人界と魔界の確執』の話をさせたのは、ここに掛かるのか?


 俺が背負った運命、勇者であり、魔王。


 勇者ハンネスが魔王として、エルネアに選ばれた以上、今この世界のバランスは大きく変わっているのだろう。

 人界の勇者として、魔界にも調律と希望を。

 そして魔王として、人界にも何らかの調律を、俺はもたらすべきなのかもしれない。


「ソフィ……」


「はい♪」


「……頑張ろうな」


「 ─── はい!」


 水龍船は、軽快にヴィニルの川面を進んでいる。

 だんだんと小さくなっていくセパルの街は、白く勇壮に、ヴィニルの上にそびえていた。




 ※ ※ ※




 セパルの街を出る前に、ひとつ気になる話を耳にしていた。

 どうやらセパルは最近、周辺の魔物に凶暴化が見られ、その対応に頭を悩ませていたらしい。


 だが、街を挟んでヴィニルの下流が、まず沈静化していき、ここ数日で上流側の魔物達も落ち着いたと言う。

 その話を聞いたのは、宿屋の下に併設されたバルだったが、ソフィアがポツリと言った。


「アルくんの、魔力分配じゃないですかねぇ」


「え、俺の?」


「ん、多分、魔物のきょーぼー化って、人界の魔物と同じ。魔力が足りないから、アヘった。でも、オニイチャが来たから、満足」


 そういう事か……。

 確かに魔界に来てから、体調が良いけど、もしかして魔力の供給と分配で、魔力の入れ替わりでも起きてるんたろうか。


「そう言えば、あたしも、魔力が強まってる気がするわ」


「あ、お姉ちゃんも? ユニもそう思ってたけど、術式の勉強の成果かと思ってたの」


「……魔力の分配か。この辺りの地域は、魔王城からは遠い。ハンネスが人界に出ている以上、魔力分配が弱まってるはずだ。アルフォンス、お前がここに来たのは、魔界にとっては渡に船ってやつだな」


 そう言うもんかね。

 これが魔王になったら、魔界全土に分配するんだろ?

 どんだけ魔力量がデカくなると言うのか。


─── とかね、そんな会話をしていたのが懐かしいよ……もう


「…………今度はガーゴイルの群れか。ベヒの結界なら大丈夫だろうけど、流石に多過ぎだろ、魔物の数」


「元々、パルモル平野ってのは、地下から湧くマナの量が多い。

だから魔物が生まれやすい環境なんだ」


 ベヒーモスがため息混じりに、黒い稲妻を周囲に降らすと、ガーゴイル達が消炭のように散っていく。


「ベヒ、辛くないか? 何だったら、俺も加勢するけど」


『ヘーキ。チョット、面倒クサイダケ〜』


 ベヒーモスの背中は、思いの外、乗り心地が良かった。


 ヴィニル河から、パルモルへの道を阻む、岩山の前に上陸。

 そこで本来のサイズに戻ったベヒーモスは、明らかに前よりもデカくなっていた。




 ※ 




「……おまっ、1.5倍くらいデカくなってねえか⁉︎」


『ン? ソーナノ? ワカンナイ』


 そう言って伸びをする体は、大きくなっただけじゃなく、より肉食獣って感じにマッスルアップ。

 毛並みも良く、艶のある部分が、紫色に輝いて見えた。


「ん、オニイチャに角生えたあたりから、ベヒ、色々パワーアップしてたよ?」


「そうだったのか……?」


「大樹海に攻め入った時以来だけど、ほんと、凶悪な感じになったわね」


「…………なんでこんなのが、人界に居たんだ⁉︎

おい、アルフォンス、どこでとっ捕まえたんだ! 説明しろ!」


 ロジオン曰く、ベヒーモスは滅多に現れる事はないが、人界でも大昔には百年単位の間隔で、人間と縄張り争いする事があったらしい。

 ギルドの歴史の中で、撃退した事はあっても、倒せた事はないそうだ。


 ロジオンにベヒーモスとの出逢いの話をすると、ティフォの方を、やや怯え気味な表情でちらりと見る。

 それに気がついたティフォは、両手を構えて『シャー』って唸った。

 すごく可愛かった。




 ※ 




「とは言っても、乗せてもらうだけじゃ、心苦しいですわね。

ちょっと、お手伝いしちゃおうかしら……」


 ガーゴイルの群が、更に向こうから迫ってくるのを見て、ヒルデリンガが立ち上がった。


「うっふ〜ん♡」


 艶かしいポーズをとり、何やら古いセクシーワードを投げかけた彼女から、紫がかったピンクの魔力が空を覆っていくのが見えた。

 途端にガーゴイル達は、その場に留まると、ベヒーモスの後ろからついて来る。


「あなたたち〜、しっかりおやんなさいね☆」


 見れば他からも集まって来る、空の魔物達に向かって、ガーゴイルの群れが飛び込み、熾烈な闘いを繰り広げていた。


「もう少し増やしておこうかしらね……」


 そう言って、ヒルデリンガは俺の方をチラ見しながら、またピンクの魔力を放つ。

 その内、少しだけ俺の体にぐるぐると、まとわり付いて消えたのがある。


「……ヒルデ。お前今、ナニした?」


「 ─── 実力差があり過ぎなのかしら……。

流石に自信なくしてしまいますわね」


 サキュバスの魅了か。

 いや、何でそれを俺に使うのか!


 いや全く効いてないってわけじゃない、胸がドキドキはしてるんだ。

 でも、気づかれたら大変な事になりそうだから、何でもない風を装って、視線を外す。


 と、その先にソフィアが居て、目が合ってしまった。


 ……にこっ♪


「 ─── あうぅっ!」


 思わず変な声出ちゃった。

 なんだアレ、可愛い過ぎだろ⁉︎


 頰を染めて、少し恥ずかしそうに微笑むソフィアに、体が脈打つ程にドキッとさせられた。


 あんなにまつ毛長かったっけ?

 何であんなに、唇が艶やかなんだ⁉︎

 僧服で覆われてるのに、あんなにボディライン見えてたっけ⁉︎


 ……てか、これ確かセパル到着前にもやられてたよな? 確かエリンにすっごくドキドキした。

 ヒルデリンガの【魅了テンダーション】って、自分じゃなくて、他の人に惚れさせてねえか?


「ん、そこのいんらん。きさまのガバガバなえろすなど、オニイチャには効かん」


「何故ですの……? 先代魔王さまにも効きかけて、一時出禁にされたわたくしですのよ?」


 爺さん……。


「オニイチャの精神は、あらゆる状態異常に、耐性もってる。たとえば、ほれ」


 そう言って、ティフォが両手を膝に添えてかがみ込み、胸の谷間を強調しようと……出来てない。


「 ─── な?」


「何が『な?』なのか、さっぱりですけれども……。貴女の自信の強さには、わたくし感服いたしましたわよ?」


「ん、分かればよい」


 いや、本人が一番分かってねえだろ。

 ……でも、大人ティフォでやられてたら、危なかったかも知れない。


「こ、こう? ティフォ様」


「ん、視線はしっかり、オニイチャの目を射貫け、そしてスマイルだエリン」


「…………何やってんだお前ら」


 ロジオンに助けられた。

 正直、エリンの真っ赤っかな顔で、不慣れなセクシーポーズは、一周回ってクルものがある。


 ベヒーモスに乗っての移動は、順調そのものだった。

 俺の心に平野の座標が残りやすいよう、速度を緩めたり、地面すれすれを飛んだりと、転移魔術対策の方も完璧な仕事ぶりだった。




 ※ ※ ※




 遠雷えんらいの音が、遥か北東の空を揺らしている。

 真上を見上げれば、落ちて来そうな程の、満天の星空が広がっていた。


 あれだけ荒れていた天候も、今はベヒーモスのお陰か、嘘のように静まっている。

 野営地に選んだ巨石の片隅の空間は、結界とソフィアの意識を逸らす力のお陰で、魔物も近寄らずに静かなものだ。


 食事を終えようかと言うタイミングで、ローゼンオオコウモリが現れた。

 残り物の串焼きを『んぐんぐ』と食べ始めると、スタルジャの中にいたミィルも飛び出して、コウモリと黒アゲハ妖精の害獣コンビの食事となった。


「ゲフゥ……。はぁ〜、食べた食べた☆

相変わらずアルフォンスのごはん、おいしーね♪ はやくスタにも食べさせてあげたいねー」


「そうだな。本当に」


 スタルジャの精神世界へは、あれ以来訪れていない。

 元々、狙って行けるわけでもないが、進展があった後だけに、やや焦りもある。


 ミィルはぽんぽんになった腹を押さえて、胡座をかいていた俺の膝に座り、寄りかかった。


「ここはいいねー。すっごくマナが溢れてる」


 ミィルとくっついたせいか、精霊達の仄かな光が見えるようになり、夜の静かな砂漠に広がる、精霊達の賑やかな世界が垣間見える。

 時折、精霊達の光の粒子に混じって、強い光を放つものが見られた。


「あれ、妖精だよ。なんかあたしに挨拶してるみたいなんだけど、怖がって近づかないんだよねー、さっきから」


「……肉臭いからじゃないのか?」


「あ、それかー☆」


 そんな話をしていたら、食事を終えたローゼンオオコウモリが、俺にしがみついた。


 ベヒーモスが居て、女神が二人いて、魔力のデカい赤豹姉妹に、炎帝ロジオン。

 更にサキュバスと、勇者で魔王の俺、そしてヴァンパイアのプロトタイプのローゼンがいる。


 それと一緒にいる妖精の女王なんだから、ビビられても当然といえば当然か。


「あら、ダーさん、また適合者の力が上がったです?」


「ん、流石だな、分かるのか。実はセィパルネにこんな事を言われてな……」


 お別れの時に起きた、勇者としての高鳴りを話す。


「……なるほどですねぇ。もしかしたら、予言者アマーリエの狙いは、ダーさんに自覚を促すためだと」


「まあ、本人に聞かなきゃ分からないけどな。ロフォカロムからは、魔王としての自覚を。セィパルネからは、勇者としての自覚を促された気がするよ。

こんなに分かりやすく、力が沸き起こったのは、ソフィと契約更新した時以来だな」


「希望……ですか。なまじ、希望は直ぐに湧くものより、それが希望通りに進んでいると知った時の方が強まるです。ダーさんの今までの功績も、後で湧いてくるのかも知れないですね」


 希望か。

 『オルネアの聖騎士』って、加護には小さい頃から憧れがあったし、勇者伝説には色んな希望を抱いたものだった。

 ……それがまさか自分の運命になったと知っても、スタートが『幼女の騎士』だったせいで、自覚しろと言われてもキツかったな。


 今頃、勇者ハンネスは、三百年ぶりの人界を満喫しているのだろうか。

 もしかしたら、勇者伝で培われた人々の希望で、さらにパワーアップしているかも知れない……。


「勇者ねぇ……。実際、俺は適合者として、どんな理想像を求めたらいいんだろうな。

今まで必死だったから、よく分からん」


「それで良いんですよアルくん」


 思わずポツリと呟いた時、いつの間にか隣に立っていたソフィアが、そう言って腰を下ろした。


「人々の言う『勇者』は、誰かの言い出した理想像の形じゃないですか」


 そうだ。

 実際、父さんの記憶で見たハンネスは、オドオドしてて、幼馴染の少女カルラの尻に敷かれていた。

 勇者と言う呼称も、当時のアルザスの考えた、政治戦略みたいなものだったし。


「あなたに求められているのは、あなたの運命を全うした先にある、平穏な世界そのもの。

そして、魔王として求められるのは、魔界にもたらす平穏な日常そのもの。

─── アルくんらしく考えて、進んだ結果ですよ。他人からの評価なんて、揺るぎやすいものは気にせず、あなたの幸せを求めればいいんです」


「そう……そうか。そうだな」


 魔王が絶対的な存在かと思えば、魔公爵の方が古くからいて、魔王って、魔界の人々のバランサーみたいなものらしいもんな。

 あれ? この考えに至れたのも、ロフォカロムやセィパルネと関わったからなのか?


 と、ロジオンが俺の方に向き直り、フッと笑った。


「オレはお前と出逢ってから日が浅いが、魔界に来てからのお前は、少し変わったようにも見える」


「 ─── え?」


「元々、自信がある奴には見えてたが、それは実力に裏打ちされた、立ち振る舞い。

今はなんだか、前より穏やかで、落ち着いてるようにも見える。

少し、魔王さん……フォーネウス王に似て来たんじゃないか?」


 爺さんか。

 記憶映像で見た魔王フォーネウスは、自信に満ち溢れ、王でありながら自由に暮らしているようにも見えた。


 理想像って、あれが近いのかも知れないな。

 思い通りに、自信を持って生きてたら、俺もあんな感じになるのだろうか。


 ハンネス達と談笑していた、祖父の顔を思い出す。


 爺さんは、最期までハンネスの事を、救おうとしていたようだった。

 彼の技には、呪術に近い負のエネルギーが、強くはびこっていたが……。


─── 彼を救う、そんな未来もあるのだうか?


 胸の奥に灯った、セィパルネの希望の温もりは、未だはっきりとそこに息づいているのを感じられていた。

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