第九話 怪物
─── 魔王さ〜ま〜っ♡
鼻から抜けたような、甘ったるい声が近づくのを、ロジオンが『アレか』とため息混じりに漏らす。
案内されていた、海皇パレスのVIPルームの扉がバガンと開いて、声の主が弾丸の如く飛び込んでくる。
それをソフィアとエリンが、両側から掌底で頰を挟むように打ち込んで、空中で留めた。
『ぐえっ』と鈍い声を上げるも、両手に色々抱えた
「ちょっとセィパルネ閣下、そのキャラはわたくしの立ち位置なのですけれど……?」
「魔王さま、こちらをご覧くださいな♪
─── すごいでしょう? 二万年前に大西海に沈んだ、海神族の遺跡から引き揚げた、
海の王者が持つに相応しい、超越技術の粋が結集された、まさに神器! こちらをご査収くださいませ☆
今なら何と、このウチが、もれなくついて来ちゃいます♪」
ソフィアもエリンも、ヒルデもガン無視で、きゃっきゃしてるのは、あのセィパルネ閣下その人だ。
殺すのはまずいからと、秘密裏に【
水門の支柱にめり込んだ状態で、パチリと目を覚ますなりこの有様だった。
打ち所が悪かったのか、魔術じゃ心までは治せない。
「いらねえ。大体、俺は普通の武器は持てねえ、呪われてねえと粉々に砕けるだけだ」
「まぁ……なんて慎み深いお方なのでしょう。
そういう魔王さまの真面目さにも、このセィパルネ、心底惹かれております……っ♡」
「慎みじゃねえ! いらねえってんだよ!
それに『魔王さま』じゃねえからな?」
「あっ、申し訳ございません。
アルファード殿下の、あまりにも卓越した魔術の手腕に、ウチったら思わず☆」
手の平返しがハード過ぎて、不安しかない。
いや、セィパルネは、よく見れば美人だ。
透き通った肌に、清流を思わせる切れ長な眼に、すっと通った鼻筋。
スタイルもスレンダーながら、洗練された女性らしいしなやかさがある。
……何よりスリットから時折見せる、あの美脚だ、それも芸術的な。
男として、そりゃあそんな女性に、きゃいきゃいされて、不快になるはずもない……。
─── はずなんだけどな、やっぱりコイツ、話聞かねえ!
勝負がついた直後。
気がついた彼女の、スライディング土下座、からの、それはもう必死なすがりつき。
あの細い腕のどこに、そんな力が? と、不思議に思う程の強烈なしがみ着きに、閉口させられた。
まあ、そのなんだ、ときめく要素がねえ!
ひっぺがすのに難儀した後、彼女から『ちゃんと話しをさせて欲しい』と、頼み込まれてこの部屋に通された。
本人は身支度を整えるとかなんとかで、ちょっと落ち着いた感じで一旦引上げていったが、戻ってくればこれだ。
ソフィアとエリンの掌底に、顔面を挟まれていた彼女は、急にスックと立ち上がり、俺の方に歩いて近づく。
思わず身構えた俺だったが、彼女は
「改めまして、七魔侯爵がひとり、セィパルネにございます。
貴方様のお力を認め、この私めを、アルファード殿下の配下の末席に、加えて頂きたく……」
「「「 ─── は⁉︎」」」
「いや、手の平返しが過ぎるだろ⁉︎
それに、大体口調からして、変わり過ぎだ!」
「えへぇ〜、これでも色々とあるんすよぉ」
彼女は以前、現在のフォカロム、つまり海に面した領地を治めていたそうだ。
だが、四千年前に起きた、各地の有力な種族の闘い『魔神戦争』に巻き込まれ、怒りの余りに津波を引き起こしてしまった。
感情に呑み込まれ、大破壊を続けた彼女を、ロフォカロムが倒して止める。
己の民を守るための、破壊行為であった事が考慮され、実刑こそ免れたものの、領地は没収されてしまった。
海皇でありながら、次に納めるよう送り込まれたのが、このヴィニル運河だったという。
─── と、ここまで、例のもの凄い早口で語ってくれた
「……だから、ロフォカロムにライバル心を燃やしてたのか」
「だって、あのバカ。アホのくせに、持ってる力が卑怯過ぎなんですもん!
こっちが水を呼び出す先から、乾燥させられて、水なのに火に負けるとか……」
彼女はロフォカロムに負けた汚名を返上すべく、ただひたすらに領民を幸せに導く領主として、走り続けてきたらしい。
尊大な口調も、その舐められまいとする、姿勢の表れだったんだろうか ─── ?
「俺だって、お前の力を片っ端から、無力化してただろ? それはいいのか」
「はい♡ バカのはズルですけど、殿下のは紛れもなく技量!
─── ウチ、今まで井の中の蛙だったと、将来に希望を持ってしまいました☆」
「……希望ねえ」
「今まで、魔術師と名のつく者に、苦労した覚えが一度もないんですよウチ。
だから、殿下の術式、痺れちゃっ……た♡」
そう言って、抱き着こうとするセィパルネを、エリンがガッキと抑え、至近距離から真っ直ぐに見つめた。
「何よこの猫娘。邪魔立てするなら、沈めるわよ……?」
「
「へえ……よく見れば、貴女も中々に面白い魔力の持主ね。獣人族でその魔力、なるほど殿下の近くにいられるわけだ……
─── って、その殿下が真っ赤になってる辺り、まだ進んではなさそうね」
耳が熱い。
エリンがチラリとこっちを見て、自分の言葉に気がついたのか、彼女も顔を真っ赤に染めていた。
なんだあれ、正直、くそ可愛い。
「ふん……分かったわ。今は引いておきましょう。ただ、貴女が不甲斐なければ、いつでも殿下の隣はウチだから……ね」
いやエリンの他に、婚約者があと五人いるんだけどな。
そんな事より話さなきゃいけない事、いっぱいあるっつうの!
「あのな、俺の配下にって話の前に、しておかなきゃならない話があるんだ ─── 」
俺は部屋の中に、黒い球体を生み出して、父さんの記憶の映像の記憶を、その中に映し出した。
ロフォカロムの激怒があってから、もう直接見せた方が良いんじゃないかと、ロジオンと話し合った結果だ。
【
セィパルネはその記憶に見入り、ただジッと見据えていた ─── 。
※
「そう……だからロジオンは、ウチに協力を仰ぎたいと、ここに来たわけね?」
「そうだ。ハンネスとリディは強い。
今は事を動かせずとも、その時には魔界全体の力も必要となるだろう」
「なんだ、それならそうと、先に言いなさい」
「「「カチン!」」」
思わずデコピンの構えに入った俺を、ロジオンが止めに入る。
「 ─── もちろん、その協力は惜しまないわ。
人間風情が……偽りの魔王でいるなど、プライドが許しません」
怒りの感情が、部屋に水気を帯びた魔力を生み出す。
だが一瞬チラリと俺を見て、落ち着こうと胸に手を当てていた。
外では街のサイレンが鳴りかけて、すぐに止んだ。
河が軽く増水でもしたのだろうか、なるほど海沿いの街には、置いておきたくない公爵だな……。
「その時には、このセィパルネ七魔侯爵領は、全面的にアルファード・ディリアス・クヌルギアス王太子殿下を支持いたします」
落ち着きを取り戻した彼女は、そう言って
これで、ロフォカロム七魔侯爵領に続いて、セィパルネ七魔侯爵領の協力も仰げた。
彼女は『七魔侯爵は魔王に準ずる存在ではない』とは言いつつ、俺の爺さんに対しての敬意は持っていたらしい。
それだけ、俺の生まれたクヌルギアス家ってのは、魔界では大きな存在なのだそうだ。
なんだ、普通に話せば、話せるじゃないか。
こいつもこいつなりに、必死だったんだもんなぁ、ちゃんと御礼は言っておかなきゃな。
「 ─── ありがとう、セィパルネ。
この領地に何かあった時は、俺も出来る限りの協力を約束する」
そう言って微笑むと、彼女は頰を紅く染めて、はふぅと溜息をついた。
「その笑顔は反則でしょう。道理で婚約者を六人も囲えるわけです。
血筋、力、魔力に、魔術の智識……しかも、あの反り返った
「「「 ─── ⁉︎」」」
「そこの四人、今の発言は多分、俺の『角』の事だから、勘違いしないように」
「あのテカり具合、ほとばしる熱いパトス……」
「おい止めろ、角だよな? 角の表現だよな⁉︎」
ソフィア達がアワワと動揺する。
と、ヒルデまでもが、うっとりとセィパルネの言葉に、後付けを始める。
「ええ、そうですわ……。あの逞しさ、まさに『魔王』丸出し。ええ丸出しでしたとも。
あんなもの味わったら、二度とそこらの短小な俗物などに、燃え上がることはありませんわね 」
「角だぞ? ふた文字で済む表現だろ⁉︎
どうしてそう、すえた方向の物言いするのかな?」
「あら、ヒルデリンガ。さすが貴女もよく分かってるじゃない♪
『どうせクソ生意気なボンボン』とか言ってたアマーリエが、道理で『傷つけたらぶっ飛ばす』とか、訂正するはずです」
「 ─── ! そうだ、アマーリエ!
なぜ、人界と魔界の過去を、俺に聞かせたんだ?
何か他に、言い残していった事はないのか?」
セィパルネから聞いたのは、人界と魔界の仲違いの歴史だ。
何故、それを俺に話させたのか、それを知る前に闘いになってしまった。
だが、セィパルネは『うーん』と、小首を傾げる。
「さあ……。突然やって来て、ここに将来、魔王の子がやって来るから、それを話せと。
『ロフォカロムはおバカだから、多分話せないだろう』とか、ウチはその言いっぷりが気に入って聞いただけなので」
「うーん、ちょっと話が見えないな。
ロフォカロムは、俺に会ったら『闘え』そして『私の足跡を話せ』と言われてたらしいんだが……」
その結果、俺は本気を出すきっかけを手にしたし、ラーマ婆や父さん達から聞いた予言を、確かなものだと確信するに至った。
この街に導かれた意図はなんだ?
「アマーリエは、この街で何をしてたんだ?」
「あまり素行の良い話は、耳にしませんでしたけど……。ああ、この街の遺跡を、調べようとしてたみたいですわ。
『
『この街は、実は古い遺跡の上に立っている』とか、確かその中で出て来ていた。
「その星喰陵ってのは、どんな所なんだ?」
「いつから存在するのか、なんの文明だったのかすら、分かってません。
ただ『
─── と、言うのが一般的の知識で、ウチがここを治める時に、少しだけ話を聞いてますわ」
全ての魔獣の始まり。
その声は山を砕き、その足音は世界の端までも揺らし、立ち上がれば星に手が届く、黒き原初の魔獣。
神に牙を向け、暗黒世界に封じられた、伝説の怪物『
億万の刻の孤独に狂い、心を失った魔獣の神。
「星喰は世界の生物に、魔獣の種を撒き、魔獣化を創り出した存在だとか。
─── まあ、よくある昔話です」
「星喰陵の『陵』って、陵墓の事だろ?
暗黒世界に封じられたのに、この街に墓があるのか?」
「何故でしょうね、調べようがないのですよ。この街の地下深く、ヴィニル河の底の、巨大な穴に埋まっていますから。
ただ、確かにその真上に立つと、魔力に敏感な者は、それを感じられるのだとか。ずっと昔からこの地では、そう言い伝えられていたらしいですわ」
「それをアマーリエが、調べていた……?」
俺に残した予言らしきものは、他には無かったらしい。
ロフォカロムの時のように『闘え』とは、予言を残さなかった割に『傷つけるな』と、言っていた辺りは、俺達が闘う未来が見えていたのだろうか?
何かヒントは無いかと、その後も話をしてみたが、それらしきものは結局分からなかった。
※ ※ ※
「本当に良かったんですか?
海皇パレスに泊まれるなんて、滅多にないことですのよ?」
そう言って、ヒルデがこれ見よがしに、上目遣いで、細長い揚げパンを頬張る。
白い粉砂糖が口周りと指についたのを、舌で
ここまで開けっぴろげに誘惑されると、却って冷静になってくるから不思議だ。
そういうネタだって、ギャグに思えてさえくるあたり、本当にこいつはサキュバスなのだろうかと疑いたくもなる。
今はセパルの街の片隅にある、屋台通りの一角で軽食を取っているところだ。
「いや、ちょっと会わせるとヤバイのがいてな、非常に都合が悪い」
「ああ〜、確かにローゼンちゃんと鉢合わせたら、どうなるか分かりませんね」
ローゼンオオコウモリは、夜になると足繁く俺の元にやって来る。
多分だが、ローゼンとセィパルネは、致命的に性格が合わなそうだ。
理論的である事を愛し、不条理なものを容赦なく叩き潰すローゼンと、感情で行動して、話を聞かないセィパルネ。
ローゼンがキレたら、海皇パレスが更地になりかねん。
「あのヴァンパイアは、毎晩来てんのか。お前ら文のやり取りしてるんだろ?
よく会話が続くもんだ」
ロジオンが感心しているが、実際問題なかなかキツイ。
彼には文通と言っているけど、ローゼンとしているのは交換日記だ。
当初、離れた距離なのに、どうやって日記帳の交換をするのか謎だった。
答えは人魔海峡の海龍船の寝室で、初日の夜に判明した。
寝始めてちょいちょい、妙な魔力の高まりを感じて目を覚ますと、顔の上の辺りに青白いモヤが渦巻いていた。
何だろうと眺めていたら、そこから急に白い手が生えて、顔の横にバシンと何かを投げつける。
慌てて跳ね起きてそれを確認すると、薔薇の花の絵が表紙に描かれた、真新しい日記帳だった……。
ローゼンはあらゆる知識を持った、頼りになる存在だが、絵心に関しては不安にさせる何かがある。
ぞんざいな投げ捨て方に、なんか怒ってるのかと不安になったが、日記の内容は朗らかそのものだ。
彼女曰く『自身の転位は可能ですが、物質のみを送り、また、回収するのは難しいのです』との事で、勢いが必要なんだとか。
不機嫌とかじゃないらしい。
そんな超高度な技術を、日記の交換に使うとか、なかなかにクレイジーで、感じ入るものがある。
ちなみに内容は、見かけた小鳥が可愛かったとか、散歩路の花が咲いたとか、かなり乙女だ。
「毎晩、満足するまで話ししてから帰るからな、交か……文通用にネタを取っとかないと苦しいんだ。
まあ、今の所楽しんでるよ」
「うーん、これだけの婚約者囲うのも、マメさが必要なんだな。まず参考にはならんが、参考になったぞアルフォンス」
これは大人の社交辞令ってヤツか?
ちなみにこの会話は、ロジオンとひそひそ声で喋っていた。
なぜなら最近、婚約者連合が『我々にも交換日記をする権利を』とか、密かに騒ぎ始めているのを知ったからだ。
……これ以上、日記のネタを探してたら、いつ寝ればいいってんだよ。
「ヴァンパイア……ローゼン……?
まさか『おさげ髪の悪魔』のことですの⁉︎」
「あいつ何やったんだよ……」
「かつて、大昔ですけれど。魔界に滞在されておりましたのよ。『命を粗末にする奴は八裂きにしてやる』とか、それはもう高度な技術をいくつも残して。
……恐れられたり敬われたり」
「「「それっぽいなー」」」
ローゼンは魔界にも来ていたらしい。
ただ、それはヒルデが数えられない程に、遠い昔の事らしいが。
「はわぁ〜☆ やっぱりあっくんは、スゴイ殿方なのですわねぇ、あのお方もその野太いモノで骨抜きに?」
「 ツ ノ だ よ な ?」
どうにも魔族のセックスアピールは、角の大きさに重点が置かれるらしい。
魔力の大きさを測るのに、角の大きさが一番分かりやすいのだとか。
セィパルネも例に漏れず、あの後『ウチを夜の配下にして』とか『ここにお泊まりになって』とか、しつこかった。
こっちにはもう、六人の婚約者がいるからと、彼女が知って引くかと思いきや『なら、もうひとりくらい増えても構わんですたい?』と燃え出したので逃げて来た次第だ。
正直言って、ただでさえ色々と
「でも、プロトタイプが婚姻を結ぶなんて、ローゼン様が初めてではなくて!
さすがですわあっくん、このわたくしもオトされるはずですわね♡」
「ちょっと待て、いまプロトタイプって。
ヒルデ、プロトタイプを知っているのか?」
「ああ、今は皆さんあまり知らないのでしたっけ、わたくしは知ってましてよ。長く生きて居りますもの。
─── それに、この街の地下に眠るとされる星喰も、プロトタイプだという説がありましたわね」
ここにもプロトタイプ?
─── 今は私を入れて三人しか残ってないですよ、あ、四人ですかね。ひとりは自我を失って眠りについてるです
初めてローゼンがプロトタイプについて教えてくれた時、確かそう言っていた。
眠りについているというプロトタイプの事だろうか。
後のふたりは、放浪の旅と、人の中に隠れて生きてる……だったか。
ヒルデもそのふたりは、知らないそうだ。
もしかしたら、そのふたりも、魔界の何処かでひっそりと暮らしているのかも知れない。
今の人界は、人間族以外が暮らすには、厄介な環境だしなぁ。
「せっかくですし、行ってみましょうよ、星喰陵とやらに。何かアマーリエの手掛かりが掴めるかも知れませんよ♪」
そう言って微笑むソフィアの胸元に、揚げパンの粉砂糖がこぼれて、パラリと乗っていた。
そっと指摘すると、恥じらいながら払うが、ぷるんぷるんと僧服の胸が揺れている。
思わず目をそらすと、それで気がついたのか、顔を真っ赤にしてうつむいた。
ぐぬぅ、実にけしからん。
……こういうのが、破壊力って言うんだぞヒルデよ。
─── まあ、何はともあれ、どうせ夜まで暇だし、星喰陵とやらに行く事となった
※ ※ ※
─── ぴちょん……ぴちょん……
街中の水路は、どんどん狭く暗い方へと進み、やがてトンネルの中へと続いていた。
昨日、街の観光として、ゴンドラに乗って一時間ほど回ったが、明るく美しい名所ばかりだった。
こうして裏手に進んで行くと、ただ美しいだけの街ではないと、今更ながら実感する。
今進んでいるのは、街の外れの区画の下。
船頭が魔石灯に似たカンテラを、ゴンドラの先に吊るすと、水路内の景色が照らし出された。
「街の下に……街があるの……⁉︎」
ユニの声がトンネル内に木霊した。
トンネルの天井は、古ぼけた煉瓦でアーチが組まれていて、それだけでも相当な時代を感じさせる。
だが、澄み切った水底には、それよりも時代を感じさせるような、入り組んだ造りの街並みが続いていた。
「この辺りは、ヴィニル河の中で『
底に続いて見えるのは、セィパルネ魔公爵閣下がこの地をお治めになるまで、眠り続けていた川底の遺跡でございます」
船頭が、光の精霊をまとわせたオールの先で水中を照らし、スラスラと説明をする。
丈の長い黒のローブに、目元を覆う仮面、そして道化師が被るような、不思議な形で煌びやかな装飾の施された帽子。
この街のゴンドラ乗りは、皆んなこの格好をするのが習わしらしいが、それはセパルの白い街並みを、より美しく見せる為だという。
だが、この暗く不気味な雰囲気のある地下水路だと、その格好が妖しげで、恐ろしくも思える。
「話には聞いていたが、見るのは初めてだ。
いつ出来たのかも分からん遺跡なんだろ?
よくもまあ、そんな長いこと、流れる水の中で形を保っていられるもんだな」
「建材が異質なのだそうでございます。なんでも、今の技術では、どう作られたものやら、煉瓦ひとつ取っても分からないのだとか。
壊れず腐らず、削れることもない石材を、どのようにして扱っていたのか……。
─── 浪漫でございますねぇ」
ロジオンが船頭に、色々と質問しては、感心してばかりいる。
その表情は好奇心と興奮で、キラキラと輝く少年そのものだ。
こういう時に、彼が根っからの冒険者だったのだと、実感させられる。
「……魔力が流れて来てる。アル様、これがセィパルネたちの言ってたやつかしら」
「すごく薄っすらだけどな。確かにこれはマナじゃない、生あるものから出る魔力だ」
俺も気にしてたから、やっと分かる程度だけど、流石は索敵に優れた赤豹族のエリンだ。
地下水路の空気とは別に、極微量の魔力が、奥から流れている。
「 ─── へえ! ここで分かるのですか⁉︎
お客さん方、人界からだとお聞きしましたが、魔術師か何かでございましょうか?」
船頭が俺とエリンの会話に驚いていた。
なんでも、相当に魔力に敏感な者でないと、分からないくらいに微量なんだそうだ。
敏感な者でも、湧き出ている地点の真上まで行かなければ、まず気がつかないらしい。
「あー、人界の生物は魔力が低いからな。普段から微弱な魔力に慣れてるだけだろ」
「はぁ、そういうものでございますかねぇ」
適当に誤魔化せた。
婚約者連合は、全員この魔力に気がついているようだ。
特にティフォは、さっきから妙に静かにして、どこか緊張しているようにも見える。
手でも握ってやろうかと思ったら、ポーチからベヒーモスとオニイチャ人形を取り出して、抱き締めだした。
う……暗い所で、あの人形は見たくなかった。
ゴンドラはゆっくりと、こなれた様子で水路を進み、やがて大きなホールへと到着した。
そうして、ホールの中央でゴンドラを停め、船頭が振り返る。
「さあ、こちらが星喰陵でございます。
この真下が魔力の生み出される、この街の原点でございます ─── 」
ソフィアが光の玉を創り出し、水中へと沈め、その光景が照らし出されると、俺達は思わず声を失った。
─── 延々と地下へと続く、巨大な縦穴の壁面に、細い螺旋状の階段が続いている
水の透明度が高く、かなり下まで見えるが、少なくとも光の届く範囲に、縦穴の終わりは見えない。
一定の間隔で、城郭からせり出す見張り
「この縦穴が、なぜ『陵』なんだ? 陵墓なら、丘のように盛られた場所の事だろ」
ロジオンの質問に、船頭は大袈裟な手振りで、天井をぐるりと指差した。
「この上は、ドームのように膨らんでおります。遺跡の材質と同じ物で、出来ておりまして、基礎工事も難しかったため、今はその上をまたがるように区画が造られているのでございます。
街づくりの当初は、古代貴族の古墳のようなものだと言われておりました、その名残りでございましょう」
言い伝えは、突飛な物も多いが、意外と真実にかすめていたりもする。
ここがまさにそうだと、胸が高鳴った。
─── …………居る…… ───
─── ……ええ、確かにこの奥に居ますね。相当深い所ですよこれ。
少なくとも、私の感知能力の範囲を超えてます…… ───
─── ……ソフィアの感知能力って、どれくらいなんだ?……
─── ……ここからですと、大まかな地形感知程度なら……アルくんと再会を果たした、ペコの村くらいまでですかね……
……マジか、この縦穴って、俺の旅して来た距離より深いのか⁉︎
思わず声を出しそうになって、口元を押さえた。
星喰が何なのか、世間的には知られていない以上、船頭に聞かれると面倒くさい。
ソフィアと念話で話していると、赤豹姉妹も加わって、あーでもないこーでもないと、魔力から得られる情報の教え合いになった。
間違い無く、この底にプロトタイプの星喰はいる ─── 。
ただ、ローゼンの言っていた通り、自我を失って寝ているのだろう。
魔力から意思は感じられないし、この魔力は相当に古いものだ。
少なくとも、魔術に使える程、純粋ではなくなるくらいには古い。
つまり、少しずつ星喰から漏れ出た魔力が、長い年月をかけて、縦穴から溢れ出ている事になる。
通常、魔力はその強弱は別として、操作していなければ少しずつ体から漏れるもの。
体が大きい程、漏れ出る魔力の総量は大きくなる。
休眠していて尚、こうして外に溢れ出るほどの魔力量となると……。
─── そこまで考えて、この奥に眠る存在の大きさが、どれだけ常識の
全身に鳥肌が立つ。
星まで届く体、その言い伝え、与太話なんかじゃない……。
この奥に居るのは、紛れも無く怪物だ!
「さぁて、そろそろ宜しいでしょうか?
神秘の遺跡も名残り惜しゅう御座いますが、そろそろ戻りましょう ─── 」
名残り惜しい? 出来れば早く、ここを離れたいくらいだ。
地下水路を戻る道すがら、行きに感じていた微量な魔力の流れが、背後から迫られているように感じて、生きた心地がしなかった。
そうして、地下水路の出口が見え、街の灯りが見えて来た頃、安堵する俺の後ろでティフォが呟いた ─── 。
「 ─── ずっと、起きなければ、良かったのに……」
振り返って見れば、彼女はベヒーモスとオニイチャ人形に顔を埋めている。
『良かったのに』?
なぜ過去形なのか、彼女の表情がうかがい知れず、俺は聞き返す事が出来なかった ───
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