第九話 怪物

─── 魔王さ〜ま〜っ♡


 鼻から抜けたような、甘ったるい声が近づくのを、ロジオンが『アレか』とため息混じりに漏らす。


 案内されていた、海皇パレスのVIPルームの扉がバガンと開いて、声の主が弾丸の如く飛び込んでくる。

 それをソフィアとエリンが、両側から掌底で頰を挟むように打ち込んで、空中で留めた。


 『ぐえっ』と鈍い声を上げるも、両手に色々抱えた闖入者ちんにゅうしゃは、満面の笑みで俺を見上げていた。


「ちょっとセィパルネ閣下、そのキャラはわたくしの立ち位置なのですけれど……?」


「魔王さま、こちらをご覧くださいな♪

─── すごいでしょう? 二万年前に大西海に沈んだ、海神族の遺跡から引き揚げた、ほこですのよ☆

海の王者が持つに相応しい、超越技術の粋が結集された、まさに神器! こちらをご査収くださいませ☆

今なら何と、このウチが、もれなくついて来ちゃいます♪」


 ソフィアもエリンも、ヒルデもガン無視で、きゃっきゃしてるのは、あのセィパルネ閣下その人だ。


 殺すのはまずいからと、秘密裏に【自動蘇生イムシュ・アネィブ】を忍ばせた、隔離空間で彼女を粉々にしたわけだが……。

 水門の支柱にめり込んだ状態で、パチリと目を覚ますなりこの有様だった。


 打ち所が悪かったのか、魔術じゃ心までは治せない。


「いらねえ。大体、俺は普通の武器は持てねえ、呪われてねえと粉々に砕けるだけだ」


「まぁ……なんて慎み深いお方なのでしょう。

そういう魔王さまの真面目さにも、このセィパルネ、心底惹かれております……っ♡」


「慎みじゃねえ! いらねえってんだよ!

それに『魔王さま』じゃねえからな?」


「あっ、申し訳ございません。

アルファード殿下の、あまりにも卓越した魔術の手腕に、ウチったら思わず☆」


 手の平返しがハード過ぎて、不安しかない。


 いや、セィパルネは、よく見れば美人だ。

 透き通った肌に、清流を思わせる切れ長な眼に、すっと通った鼻筋。

 スタイルもスレンダーながら、洗練された女性らしいしなやかさがある。


 ……何よりスリットから時折見せる、あの美脚だ、それも芸術的な。

 男として、そりゃあそんな女性に、きゃいきゃいされて、不快になるはずもない……。


─── はずなんだけどな、やっぱりコイツ、話聞かねえ!


 勝負がついた直後。

 気がついた彼女の、スライディング土下座、からの、それはもう必死なすがりつき。

 あの細い腕のどこに、そんな力が? と、不思議に思う程の強烈なしがみ着きに、閉口させられた。


 まあ、そのなんだ、ときめく要素がねえ!


 ひっぺがすのに難儀した後、彼女から『ちゃんと話しをさせて欲しい』と、頼み込まれてこの部屋に通された。

 本人は身支度を整えるとかなんとかで、ちょっと落ち着いた感じで一旦引上げていったが、戻ってくればこれだ。


 ソフィアとエリンの掌底に、顔面を挟まれていた彼女は、急にスックと立ち上がり、俺の方に歩いて近づく。

 思わず身構えた俺だったが、彼女はひざまずいて、顔を伏せた ─── 。


「改めまして、七魔侯爵がひとり、セィパルネにございます。

貴方様のお力を認め、この私めを、アルファード殿下の配下の末席に、加えて頂きたく……」


「「「 ─── は⁉︎」」」


「いや、手の平返しが過ぎるだろ⁉︎

それに、大体口調からして、変わり過ぎだ!」


「えへぇ〜、これでも色々とあるんすよぉ」


 彼女は以前、現在のフォカロム、つまり海に面した領地を治めていたそうだ。


 だが、四千年前に起きた、各地の有力な種族の闘い『魔神戦争』に巻き込まれ、怒りの余りに津波を引き起こしてしまった。

 感情に呑み込まれ、大破壊を続けた彼女を、ロフォカロムが倒して止める。


 己の民を守るための、破壊行為であった事が考慮され、実刑こそ免れたものの、領地は没収されてしまった。

 海皇でありながら、次に納めるよう送り込まれたのが、このヴィニル運河だったという。


─── と、ここまで、例のもの凄い早口で語ってくれた


「……だから、ロフォカロムにライバル心を燃やしてたのか」


「だって、あのバカ。アホのくせに、持ってる力が卑怯過ぎなんですもん!

こっちが水を呼び出す先から、乾燥させられて、水なのに火に負けるとか……」


 彼女はロフォカロムに負けた汚名を返上すべく、ただひたすらに領民を幸せに導く領主として、走り続けてきたらしい。

 尊大な口調も、その舐められまいとする、姿勢の表れだったんだろうか ─── ?


「俺だって、お前の力を片っ端から、無力化してただろ? それはいいのか」


「はい♡ バカのはズルですけど、殿下のは紛れもなく技量!

─── ウチ、今まで井の中の蛙だったと、将来に希望を持ってしまいました☆」


「……希望ねえ」


「今まで、魔術師と名のつく者に、苦労した覚えが一度もないんですよウチ。

だから、殿下の術式、痺れちゃっ……た♡」


 そう言って、抱き着こうとするセィパルネを、エリンがガッキと抑え、至近距離から真っ直ぐに見つめた。


「何よこの猫娘。邪魔立てするなら、沈めるわよ……?」


、あたしの婚約者で、愛する人で、師匠だ。馴れ馴れしくするな」


「へえ……よく見れば、貴女も中々に面白い魔力の持主ね。獣人族でその魔力、なるほど殿下の近くにいられるわけだ……

─── って、その殿下が真っ赤になってる辺り、まだ進んではなさそうね」


 耳が熱い。

 エリンがチラリとこっちを見て、自分の言葉に気がついたのか、彼女も顔を真っ赤に染めていた。


 なんだあれ、正直、くそ可愛い。


「ふん……分かったわ。今は引いておきましょう。ただ、貴女が不甲斐なければ、いつでも殿下の隣はウチだから……ね」


 いやエリンの他に、婚約者があと五人いるんだけどな。

 そんな事より話さなきゃいけない事、いっぱいあるっつうの!


「あのな、俺の配下にって話の前に、しておかなきゃならない話があるんだ ─── 」


 俺は部屋の中に、黒い球体を生み出して、父さんの記憶の映像の記憶を、その中に映し出した。


 ロフォカロムの激怒があってから、もう直接見せた方が良いんじゃないかと、ロジオンと話し合った結果だ。

 【記憶鏡体コーフ】の魔術は、方星宮で散々俺の幼少期を見せられたから、術式は覚えたし、父さんから使用許可も得ている。


 セィパルネはその記憶に見入り、ただジッと見据えていた ─── 。




 ※ 




「そう……だからロジオンは、ウチに協力を仰ぎたいと、ここに来たわけね?」


「そうだ。ハンネスとリディは強い。

今は事を動かせずとも、その時には魔界全体の力も必要となるだろう」


「なんだ、それならそうと、先に言いなさい」


「「「カチン!」」」


 思わずデコピンの構えに入った俺を、ロジオンが止めに入る。


「 ─── もちろん、その協力は惜しまないわ。

人間風情が……偽りの魔王でいるなど、プライドが許しません」


 怒りの感情が、部屋に水気を帯びた魔力を生み出す。

 だが一瞬チラリと俺を見て、落ち着こうと胸に手を当てていた。


 外では街のサイレンが鳴りかけて、すぐに止んだ。

 河が軽く増水でもしたのだろうか、なるほど海沿いの街には、置いておきたくない公爵だな……。

 

「その時には、このセィパルネ七魔侯爵領は、全面的にアルファード・ディリアス・クヌルギアス王太子殿下を支持いたします」


 落ち着きを取り戻した彼女は、そう言ってうやうやしく頭を下げる。


 これで、ロフォカロム七魔侯爵領に続いて、セィパルネ七魔侯爵領の協力も仰げた。


 彼女は『七魔侯爵は魔王に準ずる存在ではない』とは言いつつ、俺の爺さんに対しての敬意は持っていたらしい。

 それだけ、俺の生まれたクヌルギアス家ってのは、魔界では大きな存在なのだそうだ。

 なんだ、普通に話せば、話せるじゃないか。

 こいつもこいつなりに、必死だったんだもんなぁ、ちゃんと御礼は言っておかなきゃな。


「 ─── ありがとう、セィパルネ。

この領地に何かあった時は、俺も出来る限りの協力を約束する」


 そう言って微笑むと、彼女は頰を紅く染めて、はふぅと溜息をついた。


「その笑顔は反則でしょう。道理で婚約者を六人も囲えるわけです。

血筋、力、魔力に、魔術の智識……しかも、あの反り返った逸物いつぶつ……ポッ」


「「「 ─── ⁉︎」」」


「そこの四人、今の発言は多分、俺の『角』の事だから、勘違いしないように」


「あのテカり具合、ほとばしる熱いパトス……」


「おい止めろ、角だよな? 角の表現だよな⁉︎」


 ソフィア達がアワワと動揺する。

 と、ヒルデまでもが、うっとりとセィパルネの言葉に、後付けを始める。


「ええ、そうですわ……。あの逞しさ、まさに『魔王』丸出し。ええ丸出しでしたとも。

あんなもの味わったら、二度とそこらの短小な俗物などに、燃え上がることはありませんわね 」


「角だぞ? ふた文字で済む表現だろ⁉︎

どうしてそう、すえた方向の物言いするのかな?」


「あら、ヒルデリンガ。さすが貴女もよく分かってるじゃない♪

『どうせクソ生意気なボンボン』とか言ってたアマーリエが、道理で『傷つけたらぶっ飛ばす』とか、訂正するはずです」


「 ─── ! そうだ、アマーリエ!

なぜ、人界と魔界の過去を、俺に聞かせたんだ?

何か他に、言い残していった事はないのか?」


 セィパルネから聞いたのは、人界と魔界の仲違いの歴史だ。

 何故、それを俺に話させたのか、それを知る前に闘いになってしまった。


 だが、セィパルネは『うーん』と、小首を傾げる。


「さあ……。突然やって来て、ここに将来、魔王の子がやって来るから、それを話せと。

『ロフォカロムはおバカだから、多分話せないだろう』とか、ウチはその言いっぷりが気に入って聞いただけなので」


「うーん、ちょっと話が見えないな。

ロフォカロムは、俺に会ったら『闘え』そして『私の足跡を話せ』と言われてたらしいんだが……」


 その結果、俺は本気を出すきっかけを手にしたし、ラーマ婆や父さん達から聞いた予言を、確かなものだと確信するに至った。

 この街に導かれた意図はなんだ?


「アマーリエは、この街で何をしてたんだ?」


「あまり素行の良い話は、耳にしませんでしたけど……。ああ、この街の遺跡を、調べようとしてたみたいですわ。

星喰陵ほしばみりょう』の場所を尋ねておりましたし」


 星喰陵ほしばみりょうの名は、ゴンドラで街を回った時に、船頭が言ってたな。

 『この街は、実は古い遺跡の上に立っている』とか、確かその中で出て来ていた。


「その星喰陵ってのは、どんな所なんだ?」


「いつから存在するのか、なんの文明だったのかすら、分かってません。

ただ『星喰ほしばみ』と呼ばれる存在が、この街の基礎を作った……。

─── と、言うのが一般的の知識で、ウチがここを治める時に、少しだけ話を聞いてますわ」


 全ての魔獣の始まり。

 その声は山を砕き、その足音は世界の端までも揺らし、立ち上がれば星に手が届く、黒き原初の魔獣。


 神に牙を向け、暗黒世界に封じられた、伝説の怪物『星喰ほしばみ』。

 億万の刻の孤独に狂い、心を失った魔獣の神。


「星喰は世界の生物に、魔獣の種を撒き、魔獣化を創り出した存在だとか。

─── まあ、よくある昔話です」


「星喰陵の『陵』って、陵墓の事だろ?

暗黒世界に封じられたのに、この街に墓があるのか?」


「何故でしょうね、調べようがないのですよ。この街の地下深く、ヴィニル河の底の、巨大な穴に埋まっていますから。

ただ、確かにその真上に立つと、魔力に敏感な者は、それを感じられるのだとか。ずっと昔からこの地では、そう言い伝えられていたらしいですわ」


「それをアマーリエが、調べていた……?」


 俺に残した予言らしきものは、他には無かったらしい。

 ロフォカロムの時のように『闘え』とは、予言を残さなかった割に『傷つけるな』と、言っていた辺りは、俺達が闘う未来が見えていたのだろうか?


 何かヒントは無いかと、その後も話をしてみたが、それらしきものは結局分からなかった。

 

 


 ※ ※ ※




「本当に良かったんですか?

海皇パレスに泊まれるなんて、滅多にないことですのよ?」


 そう言って、ヒルデがこれ見よがしに、上目遣いで、細長い揚げパンを頬張る。

 白い粉砂糖が口周りと指についたのを、舌でなまめかしく舐め取る。


 ここまで開けっぴろげに誘惑されると、却って冷静になってくるから不思議だ。

 そういうネタだって、ギャグに思えてさえくるあたり、本当にこいつはサキュバスなのだろうかと疑いたくもなる。


 今はセパルの街の片隅にある、屋台通りの一角で軽食を取っているところだ。


「いや、ちょっと会わせるとヤバイのがいてな、非常に都合が悪い」


「ああ〜、確かにローゼンちゃんと鉢合わせたら、どうなるか分かりませんね」


 ローゼンオオコウモリは、夜になると足繁く俺の元にやって来る。


 多分だが、ローゼンとセィパルネは、致命的に性格が合わなそうだ。

 理論的である事を愛し、不条理なものを容赦なく叩き潰すローゼンと、感情で行動して、話を聞かないセィパルネ。

 ローゼンがキレたら、海皇パレスが更地になりかねん。


「あのヴァンパイアは、毎晩来てんのか。お前ら文のやり取りしてるんだろ?

よく会話が続くもんだ」


 ロジオンが感心しているが、実際問題なかなかキツイ。

 彼には文通と言っているけど、ローゼンとしているのは交換日記だ。


 当初、離れた距離なのに、どうやって日記帳の交換をするのか謎だった。

 答えは人魔海峡の海龍船の寝室で、初日の夜に判明した。


 寝始めてちょいちょい、妙な魔力の高まりを感じて目を覚ますと、顔の上の辺りに青白いモヤが渦巻いていた。

 何だろうと眺めていたら、そこから急に白い手が生えて、顔の横にバシンと何かを投げつける。


 慌てて跳ね起きてそれを確認すると、薔薇の花の絵が表紙に描かれた、真新しい日記帳だった……。

 ローゼンはあらゆる知識を持った、頼りになる存在だが、絵心に関しては不安にさせる何かがある。


 ぞんざいな投げ捨て方に、なんか怒ってるのかと不安になったが、日記の内容は朗らかそのものだ。

 彼女曰く『自身の転位は可能ですが、物質のみを送り、また、回収するのは難しいのです』との事で、勢いが必要なんだとか。

 不機嫌とかじゃないらしい。

 そんな超高度な技術を、日記の交換に使うとか、なかなかにクレイジーで、感じ入るものがある。


 ちなみに内容は、見かけた小鳥が可愛かったとか、散歩路の花が咲いたとか、かなり乙女だ。


「毎晩、満足するまで話ししてから帰るからな、交か……文通用にネタを取っとかないと苦しいんだ。

まあ、今の所楽しんでるよ」


「うーん、これだけの婚約者囲うのも、マメさが必要なんだな。まず参考にはならんが、参考になったぞアルフォンス」


 これは大人の社交辞令ってヤツか?


 ちなみにこの会話は、ロジオンとひそひそ声で喋っていた。

 なぜなら最近、婚約者連合が『我々にも交換日記をする権利を』とか、密かに騒ぎ始めているのを知ったからだ。

 ……これ以上、日記のネタを探してたら、いつ寝ればいいってんだよ。


「ヴァンパイア……ローゼン……?

まさか『おさげ髪の悪魔』のことですの⁉︎」


「あいつ何やったんだよ……」


「かつて、大昔ですけれど。魔界に滞在されておりましたのよ。『命を粗末にする奴は八裂きにしてやる』とか、それはもう高度な技術をいくつも残して。

……恐れられたり敬われたり」


「「「それっぽいなー」」」


 ローゼンは魔界にも来ていたらしい。

 ただ、それはヒルデが数えられない程に、遠い昔の事らしいが。


「はわぁ〜☆ やっぱりあっくんは、スゴイ殿方なのですわねぇ、あのお方もその野太いモノで骨抜きに?」


「 ツ ノ だ よ な ?」


 どうにも魔族のセックスアピールは、角の大きさに重点が置かれるらしい。

 魔力の大きさを測るのに、角の大きさが一番分かりやすいのだとか。


 セィパルネも例に漏れず、あの後『ウチを夜の配下にして』とか『ここにお泊まりになって』とか、しつこかった。

 こっちにはもう、六人の婚約者がいるからと、彼女が知って引くかと思いきや『なら、もうひとりくらい増えても構わんですたい?』と燃え出したので逃げて来た次第だ。


 正直言って、ただでさえ色々とこらえてるってのに、誘惑ばかり増えてたら、それこそ俺の角がボルケーノの危機。



「でも、プロトタイプが婚姻を結ぶなんて、ローゼン様が初めてではなくて!

さすがですわあっくん、このわたくしもオトされるはずですわね♡」


「ちょっと待て、いまプロトタイプって。

ヒルデ、プロトタイプを知っているのか?」


「ああ、今は皆さんあまり知らないのでしたっけ、わたくしは知ってましてよ。長く生きて居りますもの。

─── それに、この街の地下に眠るとされる星喰も、プロトタイプだという説がありましたわね」


 ここにもプロトタイプ?



─── 今は私を入れて三人しか残ってないですよ、あ、四人ですかね。ひとりは自我を失って眠りについてるです



 初めてローゼンがプロトタイプについて教えてくれた時、確かそう言っていた。

 眠りについているというプロトタイプの事だろうか。


 後のふたりは、放浪の旅と、人の中に隠れて生きてる……だったか。

 ヒルデもそのふたりは、知らないそうだ。


 もしかしたら、そのふたりも、魔界の何処かでひっそりと暮らしているのかも知れない。

 今の人界は、人間族以外が暮らすには、厄介な環境だしなぁ。


「せっかくですし、行ってみましょうよ、星喰陵とやらに。何かアマーリエの手掛かりが掴めるかも知れませんよ♪」


 そう言って微笑むソフィアの胸元に、揚げパンの粉砂糖がこぼれて、パラリと乗っていた。

 そっと指摘すると、恥じらいながら払うが、ぷるんぷるんと僧服の胸が揺れている。


 思わず目をそらすと、それで気がついたのか、顔を真っ赤にしてうつむいた。


 ぐぬぅ、実にけしからん。

 ……こういうのが、破壊力って言うんだぞヒルデよ。


─── まあ、何はともあれ、どうせ夜まで暇だし、星喰陵とやらに行く事となった




 ※ ※ ※




─── ぴちょん……ぴちょん……


 街中の水路は、どんどん狭く暗い方へと進み、やがてトンネルの中へと続いていた。


 昨日、街の観光として、ゴンドラに乗って一時間ほど回ったが、明るく美しい名所ばかりだった。

 こうして裏手に進んで行くと、ただ美しいだけの街ではないと、今更ながら実感する。


 今進んでいるのは、街の外れの区画の下。


 船頭が魔石灯に似たカンテラを、ゴンドラの先に吊るすと、水路内の景色が照らし出された。


「街の下に……街があるの……⁉︎」


 ユニの声がトンネル内に木霊した。


 トンネルの天井は、古ぼけた煉瓦でアーチが組まれていて、それだけでも相当な時代を感じさせる。

 だが、澄み切った水底には、それよりも時代を感じさせるような、入り組んだ造りの街並みが続いていた。


「この辺りは、ヴィニル河の中で『水魔の洞ホール』と呼ばれる、巨大なクレバスの上でございます。

底に続いて見えるのは、セィパルネ魔公爵閣下がこの地をお治めになるまで、眠り続けていた川底の遺跡でございます」

 

 船頭が、光の精霊をまとわせたオールの先で水中を照らし、スラスラと説明をする。

 

 丈の長い黒のローブに、目元を覆う仮面、そして道化師が被るような、不思議な形で煌びやかな装飾の施された帽子。

 この街のゴンドラ乗りは、皆んなこの格好をするのが習わしらしいが、それはセパルの白い街並みを、より美しく見せる為だという。

 だが、この暗く不気味な雰囲気のある地下水路だと、その格好が妖しげで、恐ろしくも思える。


「話には聞いていたが、見るのは初めてだ。

いつ出来たのかも分からん遺跡なんだろ?

よくもまあ、そんな長いこと、流れる水の中で形を保っていられるもんだな」


「建材が異質なのだそうでございます。なんでも、今の技術では、どう作られたものやら、煉瓦ひとつ取っても分からないのだとか。

壊れず腐らず、削れることもない石材を、どのようにして扱っていたのか……。

─── 浪漫でございますねぇ」


 ロジオンが船頭に、色々と質問しては、感心してばかりいる。

 その表情は好奇心と興奮で、キラキラと輝く少年そのものだ。


 こういう時に、彼が根っからの冒険者だったのだと、実感させられる。


「……魔力が流れて来てる。アル様、これがセィパルネたちの言ってたやつかしら」


「すごく薄っすらだけどな。確かにこれはマナじゃない、生あるものから出る魔力だ」


 俺も気にしてたから、やっと分かる程度だけど、流石は索敵に優れた赤豹族のエリンだ。

 地下水路の空気とは別に、極微量の魔力が、奥から流れている。


「 ─── へえ! ここで分かるのですか⁉︎

お客さん方、人界からだとお聞きしましたが、魔術師か何かでございましょうか?」


 船頭が俺とエリンの会話に驚いていた。


 なんでも、相当に魔力に敏感な者でないと、分からないくらいに微量なんだそうだ。

 敏感な者でも、湧き出ている地点の真上まで行かなければ、まず気がつかないらしい。


「あー、人界の生物は魔力が低いからな。普段から微弱な魔力に慣れてるだけだろ」


「はぁ、そういうものでございますかねぇ」


 適当に誤魔化せた。

 婚約者連合は、全員この魔力に気がついているようだ。

 特にティフォは、さっきから妙に静かにして、どこか緊張しているようにも見える。


 手でも握ってやろうかと思ったら、ポーチからベヒーモスとオニイチャ人形を取り出して、抱き締めだした。

 う……暗い所で、あの人形は見たくなかった。


 ゴンドラはゆっくりと、こなれた様子で水路を進み、やがて大きなホールへと到着した。

 そうして、ホールの中央でゴンドラを停め、船頭が振り返る。


「さあ、こちらが星喰陵でございます。

この真下が魔力の生み出される、この街の原点でございます ─── 」


 ソフィアが光の玉を創り出し、水中へと沈め、その光景が照らし出されると、俺達は思わず声を失った。


─── 延々と地下へと続く、巨大な縦穴の壁面に、細い螺旋状の階段が続いている


 水の透明度が高く、かなり下まで見えるが、少なくとも光の届く範囲に、縦穴の終わりは見えない。

 一定の間隔で、城郭からせり出す見張りやぐらのような、小さな建物がポツンポツンと見えた。


「この縦穴が、なぜ『陵』なんだ? 陵墓なら、丘のように盛られた場所の事だろ」


 ロジオンの質問に、船頭は大袈裟な手振りで、天井をぐるりと指差した。


「この上は、ドームのように膨らんでおります。遺跡の材質と同じ物で、出来ておりまして、基礎工事も難しかったため、今はその上をまたがるように区画が造られているのでございます。

街づくりの当初は、古代貴族の古墳のようなものだと言われておりました、その名残りでございましょう」


 言い伝えは、突飛な物も多いが、意外と真実にかすめていたりもする。

 ここがまさにそうだと、胸が高鳴った。



─── …………居る…… ───


─── ……ええ、確かにこの奥に居ますね。相当深い所ですよこれ。

少なくとも、私の感知能力の範囲を超えてます…… ───


─── ……ソフィアの感知能力って、どれくらいなんだ?……


─── ……ここからですと、大まかな地形感知程度なら……アルくんと再会を果たした、ペコの村くらいまでですかね……



 ……マジか、この縦穴って、俺の旅して来た距離より深いのか⁉︎


 思わず声を出しそうになって、口元を押さえた。

 星喰が何なのか、世間的には知られていない以上、船頭に聞かれると面倒くさい。


 ソフィアと念話で話していると、赤豹姉妹も加わって、あーでもないこーでもないと、魔力から得られる情報の教え合いになった。


 間違い無く、この底にプロトタイプの星喰はいる ─── 。


 ただ、ローゼンの言っていた通り、自我を失って寝ているのだろう。

 魔力から意思は感じられないし、この魔力は相当に古いものだ。


 少なくとも、魔術に使える程、純粋ではなくなるくらいには古い。

 つまり、少しずつ星喰から漏れ出た魔力が、長い年月をかけて、縦穴から溢れ出ている事になる。


 通常、魔力はその強弱は別として、操作していなければ少しずつ体から漏れるもの。

 体が大きい程、漏れ出る魔力の総量は大きくなる。

 休眠していて尚、こうして外に溢れ出るほどの魔力量となると……。


─── そこまで考えて、この奥に眠る存在の大きさが、どれだけ常識の範疇はんちゅうを超えているのか、分かってしまった


 全身に鳥肌が立つ。

 星まで届く体、その言い伝え、与太話なんかじゃない……。

 この奥に居るのは、紛れも無く怪物だ!


「さぁて、そろそろ宜しいでしょうか?

神秘の遺跡も名残り惜しゅう御座いますが、そろそろ戻りましょう ─── 」


 名残り惜しい? 出来れば早く、ここを離れたいくらいだ。

 地下水路を戻る道すがら、行きに感じていた微量な魔力の流れが、背後から迫られているように感じて、生きた心地がしなかった。


 そうして、地下水路の出口が見え、街の灯りが見えて来た頃、安堵する俺の後ろでティフォが呟いた ─── 。


「 ─── ずっと、起きなければ、良かったのに……」


 振り返って見れば、彼女はベヒーモスとオニイチャ人形に顔を埋めている。


 『良かったのに』?


 なぜ過去形なのか、彼女の表情がうかがい知れず、俺は聞き返す事が出来なかった ───

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