第十二話 職人街

 永遠に広がる暗闇へと食い込むように、黄金色の光が小さく灯る。

 草が風に揺れ、花々の咲き誇るその世界に、漂うのは柑橘かんきつの香り。


 その闇と光の世界の狭間を、白い一撃が闇から伸びて、突き通した。


 銀色の長い髪を、怒りの波動にざわめかせ、紫の瞳を怒りに紅く染め上げたダークエルフ。

 かつてロゥトの里で、槍の名手とうたわれた戦士エノク。

 川面を飛ぶ、カゲロウですら射抜いたという彼の技を彷彿ほうふつとさせる、芸術的な一突き。


─── 美しい白い杖が、変化して出来た槍


 アルフォンスに抱かれ、紙一重でかわすその一瞬の情景に、スタルジャは父の面影を重ねて目を見開いた ─── 。


「 ─── なにをするッ!」


 すり抜けた突きから一転、跳ね上げるように、首へと迫る槍の穂先をかわして、アルフォンスは叫ぶ。

 断たれた髪が、パラリと宙を舞った。


 スタルジャを背後に回して盾となり、槍相手に無手で構えを取る。

 その猛虎の如き、殺意と迫力を持った佇まいの中、実際アルフォンスは舌を巻いていた。


─── 闘気も魔術も使えない


 精神世界で、闘うのは初めての事。

 今、この段階で、闘う手段のほとんどが役に立たぬ事を知ったのだ。


(……向こうは槍を持ってる。それだけでもアドバンテージはデカイってのに……)


 アルフォンスに仕込まれたあらゆる武術の中には、武器を持つ相手との、徒手空拳の格闘技も含まれている。

 とは言え、武器を持つ相手とのリーチの差、リーチの生み出す力の差、何かしら埋めなければならない部分は大きい。


 その上、この精神世界の主導権は、このダークエルフにあるのだろう。

 明らかに相手には肉体強化が掛けられている。


『 ─── アルフォンス、ごめん!

まさかこっちに攻撃してくるとは思わなかったよーっ!』


「ミィル! お前は何か出来ないか?」


『無理! この世界が複雑過ぎて、アルフォンスをここに繫ぎ止めるので精一杯!』


 アルフォンスが必死に槍をさばく中、ミィルと会話しているのを、スタルジャは半ば混乱して見ていた。


「……え? ミィル、ミィルがそこに居るの?」


「ああ、今ブンブン飛び回ってるよ!

─── 見えないのか……?」


 背後から返事はない。

 どうやらスタルジャ自身も、この世界では力を発揮できていないようだ。

 それは主導権がダークエルフにあるからか、それともアルフォンスとつなぐ『香り』のような、キーワードがミィルに紐付けされていないからか……。


 必死に背後を守りながら闘う背中を見上げ、スタルジャは力無い自分に、再び負の感情をもたげていた。


「 ─── このっ!」


「止めろスタルジャッ!」


 背後から飛び出し、スタルジャが参戦しようとするのを、アルフォンスは制した。

 その僅かなスキを突いて、アルフォンスの左肩を槍の穂先がかすめる。


「ぐ ─── っ⁉︎」


「……あ、アルっ⁉︎」


 白いシャツが弾け、肉が引き千切られても、血は一滴もこぼれなかった。

 代わりにアルフォンスの体から離れた、小さな肉片とシャツの切れ端が、霧のように消滅する。


─── 拒絶


 この世界での攻撃そのものが、存在の拒絶を意味しているのだと、アルフォンスは自らの体で感じ取っていた。


「……だ、だめ! もうこれ以上、私のために誰かが死ぬのは」


「大丈夫だ!」


「何を言って ─── 」


 アルフォンスは、追い討ちに出たダークエルフへと、飛び起きて迫る。

 神速の突きを、残像を残してかわし、ダークエルフの体に組み付いた。


 武器も魔力も無い。

 だが、アルフォンスには今まで培って来た、闘いの経験とセンスが、確かに刻み込まれている。

 その一瞬の反撃に、スタルジャは喉を鳴らした。

 捕らえられたダークエルフも、呆気に取られ、振り解く素振りすら忘れている。


「ここには俺が居る! 今は見えなくたって、ミィルがずっとお前の事、助けてくれてたんだ!

絶対にスタルジャを助けるんだって、みんなでずっと協力し合って来たんだ。

こんな所で俺は死なないッ!」


 その言葉に、スタルジャは顔を覆って、せきを切ったように嗚咽おえつを漏らした。

 ようやく我に返ったダークエルフが、必死に抜け出そうと暴れるのを、渾身の力で抑え込む。


 完全に自由を奪うために、ダークエルフの体を地面に倒そうとするも、見えない何かに強化された彼女の脚は、ビクともしない。


 抵抗する力も、更に強化され、次第にアルフォンスの体がわずかに引き離され始めた。

 本来の彼の力と、力学に裏付けられた効果的な制圧も、今や圧倒的な力に覆されようとしている。


 その動揺を抑えるように、アルフォンスは背後のスタルジャへと、落ち着いた声で話しかけた。


「……心配するな、絶対にここから連れて帰る。

スタルジャは手を出すな、この世界じゃ下手な攻撃が存在の拒絶につなが ─── 」


 その声は耳元で聞こえた。

 背筋が凍りつくような、研ぎ澄まされた殺気と共に ─── 。



「私がイヤなのよ。

─── もう、誰かに守られて、何も出来ないことが……」



 アルフォンスが振り返るより速く、白い手の掌底が、ダークエルフのあご先を打ち抜いた。

 急に力の均衡が破れ、その場に転ぶアルフォンスの横を、スタルジャが駆け抜ける。


「……よくも、よくもアルにッ!」


 跳ね起きて、槍を取り持とうとするダークエルフに、スタルジャの鋭い前蹴りが襲い掛かる。

 瞬時にそれを槍の柄で受け止めるも、槍は真っ二つに折れ、ダークエルフの体を吹き飛ばした。


 アルフォンスと同じく、力を出せぬ彼女にも、ソフィアやティフォに鍛え上げられた闘いの術は息づいている。

 そもそも、アルフォンスにのみ向けられていたダークエルフの意識は、スタルジャからの攻撃を全く想定していなかったようだ。


─── 彼女も

だが、今その行動が意味するものは……


 起き上がりかけて、その光景を目の当たりにしたアルフォンスは、目を見開いていた。

 ダークエルフの体が、地面に叩きつけられるのを見下ろし、スタルジャは追撃の間合いへと瞬時に詰める。

 だが、倒れたはずのダークエルフの姿はそこにはなく、スタルジャはたたらを踏んだ。



『 ─── したな……?』



 スタルジャの耳元で、笑いをこらえたような含みのある声が呟かれた。


「…………スタ……ルジャ?」


 アルフォンスの上ずった声にも、スタルジャは目を見開いたまま、ピクリとも動かなかった。


『ダルディルが剣で斬られた時、どうだった?

ノゥトハークが矢に射たれた時は?

アジャタが斧で殺された時は?

パパが槍で刺された時は、どうだった?

……ママが蹴り殺された時、どうだった?』


 咲き誇っていた草花が、瞬時に色褪せて枯れ、風に散って行く。

 スタルジャとダークエルフの足元に、真っ黒い道がスッと通ると、二人の体が落下する。


「やめ……やめろおおおぉぉぉぉぉッ‼︎」


 突如口を開いた漆黒の谷へと、アルフォンスが飛び込もうとするが、ミィルに引き離された。

 谷は更に広がり、あっという間に二人の姿は、奥底へと落ちて行ってしまった ─── 。


『……う、ひぐっ……。だめだよ……アルフォンス……。一度、帰ろ……?』


「スタルジャが……スタ……スタルジャが……」


 その深淵の底からは、スタルジャが蹴り折った槍が浮かび、白い霧になる。

 それが再び最初の杖の形に戻ると、光を発して、アルフォンスとミィルを精神世界から引き離した。




 ※ 




「うわああぁぁぁぁぁあああッ‼︎」


 大声で叫び、跳ね起きる。


 有機的な形の小さな部屋に、自分の声がわずかにこだまして消えた。

 材質の分からない、フカフカのマットの上に立ち上がり、指先で魔法陣を描き出す。

 そこから浮かび上がった少女は、スーッとマットの上に横たわり、わずかに寝息を立てていた。


「スタルジャ……おい、スタルジャ……?」


「…………」


 パルモルの宿の一室。

 窓から射し込む、青白い月明かりの下で、スタルジャは変わらず眠ったままだ。


 その体から、ミィルが飛び出して、俺の胸元にしがみつく。

 その小さな体はカタカタと震え、ひどく冷え切っていた。

 かすかに彼女の泣き声が、かすれた声でさざめいている。


「アルくん ─── っ!」


 ソフィアが部屋に飛び込み、俺達の様子を見て、立ち尽くした。

 その後ろから、ティフォと赤豹姉妹も現れて、俺を見つめている。


「 ─── 失敗……した……」


 喉が震えて、それ以上の声は出て来なかった。




 ※ ※ ※




─── 六日後


 ロジオンの案内で、パルモルの街の西部にある『職人街トゥレ・クラフトル』に訪れた。


 パルモル自体、活気に満ち溢れた街ではあるが、ここはまた独特の喧騒に沸いている。

 パルモル平野は、鉱脈に恵まれ、その資源の活用で生計を立てているという。

 その鉱脈の発見と開拓は、このペルモリア領の家臣とも言えるアントリオン族が担っていた。


 街の一部を職人に開放し、税とインフラ面で優遇する事で、技術の発達を促す。

 それはペルモリア魔公爵領に、大きな利益を生み出し、代わりにアントリオン族は職人達を守っている。

 まさにウィンウィンの関係だ。


 その職人街の一画に、金属に似た材質の、無骨で異質な建物がドンと広がっていた。


「おおっ、ロジオンか! 入れ入れーッ!」


 筋骨隆々の壮年男性が、俺達をその建物の中へと招いた。


「…………(話には聞いてましたけど、ちょっとイメージと違い過ぎませんか?)」


「…………(あー、魔界ってマナが豊富だからな、すくすく育ったんだろ、たぶん……)」


 ソフィアが戸惑うのも無理はない。


 目の前にズラリと座しているのは、ドワーフ族の一団だ。

 パルモルの職人街随一の工房、ドワーフ達の職人ギルド『ドワルフ・ツワルフ』の本部がここになる。


 だが、身長が俺と同じか、それ以上はありそうな者も多い。

 シリルに居たドワーフ族は、ティフォと同じくらいの身長で、ずんぐりとしていた。

 ここに集まる彼らは、高身長ではあるのだが、頭身比率がシリルのドワーフとあまり変わらない。

 ……そのまま巨大化した感じだ。


「おおっ! そこのデカいのが、ロジオンの言うとった御人じゃな?

─── おうおう、いい面構えじゃて、流石はガイセリック様の弟子よ!」


 ドワーフの例に漏れず、大太鼓を叩いたような大声で現れたのは、ギルド長のグラベン。

 身長は俺と同じくらい、白髪混じりの赤毛は、沸き立つ溶岩のように見える。


「……アルフォンスだ。よろしく頼む」


「無論、こちらこそじゃ!

─── 所で、何だってお前さん、妖精なんぞ抱いておるんじゃ……?」


 ミィルは今、俺の胸元に抱かれて眠っている。


 スタルジャの精神世界で、ダークエルフ主導の世界に長く止まったせいか、魔力が枯渇しかけていた。

 今はその処置として、身を触れ合わせて、俺の魔力を直接渡している。


 妖精は普通の人には見えないが、流石は精霊に近い種族のドワーフ、ミィルの姿が見えているらしい。


「……まあ、色々あってな。こいつは今、休暇中なんだ。そっとしておいてやってくれ」


 正直言うと、俺もそっとして置いて欲しい所だ。

 ……スタルジャを救えず、更に危険な状況に落としてしまったショックは、未だに抜けてはいない。


 魔公爵ペルモリアは忙しいらしく、接見するのは数日先になる。

 出来ればそれまで、あまり人と関わりたくはないってくらい、気持ちが前向きになれずにいた。


 ここにだって、本当は来るつもりも無かったが、ドライアド族のドニーゴの相談が、ロジオンには対応出来ずヘルプが来たのだ。

 それがこのドワーフ族だったわけで、シリルでドワーフにお世話になっただけに、放っておく事も出来ず請け負うことにし。


 ユニが描いてくれた、鎮静効果とリラックス効果のある魔術印に触れる。

 あの日、俺の犯した失敗は、致命的なようでいて、通過儀礼みたいなものではないかとソフィアは言った。

 だが、やはり胸にぽっかりと穴が開いたままだ ───




 ※ 



─── スタルジャの精神世界から戻った直後


 魔法陣の中から、ローゼンが出て来た。


 彼女はローゼンオオコウモリとして、今日も遊びに来ていたが、スタルジャ奪還失敗の報せに、転位魔術ですぐに来てくれた。


 今はなるべく安定させるために、スタルジャを隔離世界に寝かせ、婚約者連合が総力を挙げて処置をしていた。

 俺は消耗し切ったミィルを抱いて、直接魔力を分け与えている。


 ミィルの髪は紫がかった黒から、元の明るい金色に戻っていた。

 精神世界の中で、俺とスタルジャを守るために、かなり無理を押してくれていたらしい。

 ……下手したら、存在自体が危なかった。


 時折、苦しげにうなされるのを、指先で背中や頭を撫で、安心させていた。


 そんな時、ミィルは不安げに薄く目を開け、俺の指に頬ずりしたりして、また眠りに就く。

 彼女を癒すために、こうしているものの、実際は俺も癒されている感がある。


「大変でしたねダーさん。でも、大丈夫。スタちゃんの自我は消えてないのです」


「……そうか、ありがとうなローゼン。こんな夜遅くに……」


「 ─── 自分で決めたこととは言え、みんなの近くに居られないことを、苦しく思うですよ。

そこに居て、何が出来たかは分からないですが、自分だけ安全地帯にいるようで……」


 うつむく彼女の手を取り『そんな事はない、助かっている』と言うと、俺の手に額をくっつけて溜息をついた。


「アル様、終わったわ。これでもう大丈夫だと思うけど……」


「私たちの処置は成功なの。詳しいことはソフィから」


 魔法陣から赤豹姉妹とソフィアが出て来た。

 ティフォはまだ、中で何か処置をしているらしい。


「状況はほぼ掴めました。アルくん、今はショックかも知れませんが、悪いことばかりじゃないです。聞いてくれますか?」


「ああ……。頼む」


 スタルジャの自我は、更に深くまで落ち、もうミィルの手の及ばない所まで行ってしまったそうだ。

 だが、俺と結んだ守護契約は、彼女の魂そのものと繋がっていて、そこからなら何かしらの働き掛けが可能だろうという事だった。


「現に今、ミィルちゃんを通して、アルくんの魔力がスタちゃんの奥深くまで届いて行ってます。

少し時間はかかりますが、スタちゃんの自我が回復する可能性が高いんですよ。

意外と人の心って、タフですからね」


「……うん。スタルジャは、ずっと自分を責めて、過去の悲劇を背負って来たんだ。

きっと俺なんかよりずっと強い……」


 正直、今は俺に何が出来るのか、さっぱり浮かばない……。

 谷底へと落ちていく彼女の姿が、何度も頭の中で繰り返されていて、考えが浮かばない。


 そんな俺の様子に気がついたのか、ソフィアは悲しげに微笑み、優しく言い聞かせるように話す。


「これは……あくまで私の考えですが。

アルくんが救えなかったというわけではないと思うんです」


「…………?」


「人は、自分だけには絶対に嘘をつけません。

だからこそ、自分自身に触れられたくない過去を、指摘されるのを恐れます。

思い返したくないし、気がつきたくないんですよ」


 そうかも知れない。

 気にしてる事を、他人に指摘されて不快になるのは、自分自身がそれを直視して、その事実を受け止めたくないからかも知れない。


「だから、時に人は自分の過去や弱さを認める時、大きなショックや心の揺れを起こして、強いエネルギーを起こします。

『あー、分かったよ! オレはそーだよ!』みたいな、破れかぶれに近い感じ、あったりしますけど」


「…………耳が痛い」


「ふふ、アルくんにもありましたか。

─── でも、形はどうあれ、ありのままの自分を受け止めるには、そんなプロセスがあるじゃないですか。スタちゃんの行動も、ソレだったんじゃ……ないですかね?」


 ……確かに。

 スタルジャはあの時、怒りを露わにして、殺気まで放っていた。

 あそこまで怒るのは、マラルメに挑んだ時と、メルキアでダークエルフ化した時だけだ。


 その二つとも、自分のために怒っていたのではなかった。


 あの時、俺に怪我を負わせた事を口にしていたけど、自身のために怒っていたようにも思える。

 怒りって、時々、本質じゃなくて目の前の事を理由に、発露したりもするし。


「今回のことも、ヤケとか、ただのブチギレではないと思うんです。

─── それだけ、スタちゃんの心にある傷は、生半可じゃないですからね」


「そうだ……。うん、そうだな……」


「今はみんなの処置が効いて、すごく深く眠っています。

嫌な夢も見ていないんじゃないでしょうか?

こういう眠りの時、人は深層心理の奥深くにいる、もう一人の自分と情報交換してたりしますから、今は見守ってあげましょう」


 隔離世界の中でエリンとユニは、心を鎮めて精神を高める魔術印を、スタルジャに施した。

 今までは、それがスタルジャの負の感情に、影響を及ぼすからと控えていた処置だ。


 だが、今は感情の嵐が落ち着き、俺との加護を女神ふたりやローゼンが捕捉して、直接魔術印を掛けられるようになったらしい。


 ソフィアとティフォは、スタルジャの自我へ、こちらの働きかけや、俺の魔力が届きやすいようにしていた。

 スタルジャの意識の階層に、それぞれ中継を結ぶアンカーのように【神の呪い】を仕掛けて来たそうだ。


 ローゼンは女神ふたりをバックアップしながら、スタルジャの体の変化や、自我の状態を観測して、より効果的な方法を考えていた。


「うん。聞いた時は驚いたけど、今こうしてみんなで手が打てるようになったのは、アル様とミィルのお陰なの。スタだって、きっと前に進むために、がんばった結果だと思うの。

……だからアル様、元気だして?」


「ありがとうユニ。みんなもありがとう。

おかげで、今は自分の無力さとかに、苛立ったりはしてないよ。単純にショックが強かっただけだ。ありがとうな」


 こんなに良い仲間ばかりで、スタルジャはもちろん、俺も幸せだと思う。


 それでも、スタルジャを目の前にしながら、救えなかったショックは大きい。

 ただ、俺が今呆然としているのには、もうひとつ理由がある ─── 。


「ダーさんが見たという、白い杖のことですが、おそらくダーさんの予想が正しいのです」


「 ─── アマーリエの杖……か」


「予言者アマーリエとは、直接会ったことはねーですが、噂は一時期よく耳にしてたですよ。

ダークエルフの内に潜む、白い髪のエルフ。美しく聡明で、二羽のツグミの杖を持つとか」


 『ダークエルフの内に潜む』

 父さんの記憶映像では、その通りダークエルフのアマーリエが、幼い俺の前でほんの少しの間だけ白い髪のエルフに変貌していた。


 ……そして、二羽のツグミ。

 確かにあの杖には、二羽の小鳥のモチーフが象徴的に施されていた。

 ツグミは『隠者いんじゃ』の象徴でもある。

 やはり、ダークエルフの持っていた、あの杖はアマーリエの物と同じだったのだろうか?


 父さんの記憶映像で見た、アマーリエもあの杖を持っていた。

 やはり、ここでもアマーリエに繋がるか。


 ……しかし、だとすると ───


「なぜ、スタルジャの心の闇に、アマーリエの杖が存在していたんだ……?

スタルジャはアマーリエの杖なんて、全く関わりがないんだぞ……」


「「「…………」」」


 分かるわけもない。

 ただ、何の偶然か、スタルジャの精神世界に、アマーリエの杖があった事は間違いない。


 何故?

 ここまで導かれたのは、罠だった……?


 いや、あれだけの予言者が、わざわざこんな不確定な方法を、取る必要も意味も無いだろう。

 ダメだ、気持ちが落ちてて、疑心暗鬼になってるな俺……。


「今はスタちゃんも落ち着いています。アルくんは、ミィルちゃんの回復につとめてあげてください」


「うん、分かった。こいつ、すごく頑張ってくれてたもんな。ちょっとくらい、甘やかしてやろうか」


「……ズルい(ふふ、そうですね)」


「ん、ソフィ、思考と言葉が、ぎゃく」


 ティフォが魔法陣から出て来た。

 細かい作業でもしてたのか、目頭を押さえて『ふー』とかやってる。


「ティフォもありがとうな。何してたんだ?」


「ん、運命のしくみを、ちこっとイジってた」


「へ?」


「ん。ほれ、望んだこととか、頭によぎったことが、よく現実になるな?

因果律ではせつめーつかない、偶然性と必然性は、とーいつ意思によるうんたらかんたら」


「???」


 ソフィアの解説によると、こうだ。


 人の願いや考えは、そのまま業として、世界に働きかけるもの。

 良い事をしたり、考えれば良い事が起き、悪い事を考えたり起こせば、悪い事が起きるってやつだ。


 具体的に強く願う程に、業は大きくなるが、普通に意識がある時は、願う力は常識なんかで抑えられてしまう。

 しかし、無我の境地だったり、存在がより精神体に近くなるほど、業は大きく作用する。


 例えば守護神なんかの高次霊的存在が、人の信仰心によって、より強く世界に存在できるというが分かりやすいかも知れない。

 強い思念が、現実に影響を及ぼす。


 ティフォはそれを利用して、業の発生を強めて、スタルジャの自我に、俺達の想いが働きかけやすくなるように仕込んで来たんだそうだ。

 ……流石は異界の神、相変わらず、卑怯なくらい万能だ。

 

「タージャが元気。それをなるたけ、くっきりイメージする。えがお、わらいごえ、体温、におい、いちゃつき、どきどき」


「『あーしたい』とか『こーなって欲しい』とか『こーしてちょめちょめ』とか、で考えちゃダメですよ?

『こーあるべき』なんて、コントロール欲求は、もっての外です。

─── スタちゃんの気持ちに立って、スタちゃんの幸福を望むんです」


「スタルジャが幸せな姿を、俺の欲求にならないようにイメージ……か。分かった、頑張ってみるよ」


 そのための業の利用か。

 なんだか、普通に相手を大切にするプロセスと変わらない気がするなぁ。

 それならすぐにでも、頑張れる。


「それと……

曲がりなりにも、自己否定しちゃったスタちゃんを、私たちが肯定しませんか?

その想いが業になれば、きっとスタちゃんの帰る場所、実現出来ると思うんです」


 その意見に、その場にいた全員が頷いた。

 なんか今日のソフィアは、凄く女神っぽい事を言ってる気がする。



─── その人が、その人らしく、歩めるように支える



 セラ婆の治癒魔術講座では『愛』をそう定義づけていたけど、この事を言っていたのかと、繋がった気がして感心してしまった。


 実際、俺に力があった所で、スタルジャの精神世界はスタルジャ自身の世界。

 誰かが救うなんて、おこがましいか……。

 彼女自身が答えを出せるよう、支えて行く事しか出来ないのは、結局変わらないんだ。


 どうするのかが分かって、多少はスッキリしたけど……。

 やっぱり、ショックはショックだ。


 精神世界で抱きしめた、彼女の温もりや感覚は、今も俺にはっきりと残っている ─── 。




 ※ 




「こ、これは……芸術的な、いや、芸術なんてもんじゃないぞぃ……ッ!

痛みと、苦しみを与えることに、特化した神の領域! なな、なんじゃこのダガーはッ⁉︎」 


「おお……っ、き、聞こえる! 破壊の賛美が、衝動の解放が……っ!

この重心、柄の絶妙なしなり具合、世界を叩き割る為の斧じゃあ!」


 ギルド長グラベンを筆頭に、ドワーフ達が俺の装備をそれぞれ手に取っては、魅入られたように賛辞の言葉を口々にしている。


 精霊に近い彼らは、不思議と道具に込められた呪いの類が効かない。

 呪いに魅了されてるワケじゃあなく、純粋に桁外れた性能の武器に、彼らは心酔しているようだ。


 シリルの時と同じく、ガセ爺の弟子だと証明するために装備を見せたら、相談そっちのけで品評会が始まってしまった。


「……こりゃあ、しばらく話合いになりそうもないな。

─── 調子はどうだ、アルフォンス」


 色めき立つドワーフ達を尻目に、ロジオンが心配そうな顔でそう尋ねた。

 ここ数日、方々を飛び回っていた彼と、落ち着いて話すのは久しぶりな気がする。


「……ん? ああ、まあな。情けないが、正直まだショックは抜けてないよ」


「そうか。そうだよな……。

あの時は、済まなかったな。お前を殴っちまった」


「…………? なんの事だ?」


 ロジオンが突然謝って来たのは、魔術王国ローデルハットで再会した時、捨鉢になってた俺を殴った時の事だった。


「ああ、あれか。いやいや、あれは俺もどうかしてたし、ロジオンが謝る必要は無いだろ。

俺なんか、今まで忘れてたくらいだ。

……何で今、急にそんな事を?」


「スタルジャの話を聞いた後な、お前の落ち込み具合を見て、自分ならどうかと考えた。

……お、オレと姫さんはどうってワケじゃないが……。

イロリナがそうなったらと思うと、オレだって打ちのめされただろう。

そう思ったら、どうしてもお前に謝りたくなってな」


 この上司は、どこの聖人なのかと。


 ギルドの本部長にして、人生の超先輩にあたる彼が、俺と同じ立場に立とうとしてくれた事だけでも有難いと思った。

 正直、ちょっと涙出そうになってしまった。


「んん……。おは、アルちん。ここどこ?」


「お、ミィル。目が覚めたか。ここはパルモルのドワーフ組合の工房だ。遮音の魔術をかけておいたけど、うるさかったか?」


 ミィルは俺の胸を台にして、うーんと伸びをした後、背中をピタリとつけてもたれかかった。


 金髪に戻っていた髪色は、艶やかな黒に染まり、白く輝いていた羽も、漆黒の黒アゲハのそれになっている。

 だいぶ魔力も回復したようだし、元気にもなっているが、今もまだ肌を密着させての魔力注入は続いていた。


 ただ最近、ミィルの身の預け方が、妙に密着度が高いというか……。

 時折、すごく女性らしい表情をしてたりして、戸惑う事がある。


「……ふーん。まぁいいや〜♪

─── 所でさ、なんで夜切たち、実体化してんの?」


 ああ、ミィルにも見えてたのか。

 精霊に近いドワーフ達ですら、気がついていない様子だったから、幻覚かと思ってた。


─── かなりおぼろげだけど、はしゃぐドワーフ達の横で、きゃあきゃあ照れてる武器達の姿が見えている


 不機嫌そうにしていた夜切が、俺の視線に気づき、袖で口元を隠してはにかんでいた。

 ん? あれ? なんであいつらの姿が見えてんだ俺……?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る