第七話 水の都セパル

 暗い……。

 暗い部屋の中で、私は微睡まどろんでいた。


 ううん、違う。

 これは今、少し意識が戻っただけ……。


 ……また、悪夢が始まるの?


 私の心の中の、ただ残された広い空隙くうげきに、また悪意が詰め込まれるんだ……。


 夢だと分かっているのに、始まれば私の意識はあの頃に戻ってしまう。

 辛いことも、悲しいことも、恨みや憎しみの汚れた心を持たなかった、あの頃に ─── 。


─── カンッ ……カンカン……カンッ


 ほら、聞こえて来た。

 また、あの夢を見せられる……。


 私の心にぽっかりと空いた穴に、嫌な思い出が、ぐるぐると回り出す。


 この空隙にあったものは、なんだったのだろう。

 とても大きくて、温かな何かが、そこを埋めていたはずなのに、思い出すことが出来ないでいる。


─── カンカカ……ッ カンカンッ!


 これは夢、夢の始まり。

 ……お願い、それを忘れないで!


 だって、忘れたらまた、私は心を傷つけられてしまうのだから ───




 ※ 




 くつくつ……。

 うれしい音、甘酸っぱいにおいと、鍋の音。


 目がさめたら、私はパパお気に入りの、ロッキングチェアで寝ちゃってたみたい。


「……ん、あれ? ママ?」


「ふふ、やっと起きたわね。こっちにいらっしゃい、そろそろ出来上がりよ。味見してみる?」


「え! もしかして、ベリージャム⁉︎

するする! 味見するーっ!」


「本当に好きねぇ〜。ふふふ、じゃあね、まずは手を洗ってらっしゃいなスタルジャ」


「はーい」


 ベリージャム! ママのつくるベリージャムは、里一番だってみんな言ってる。

 私もママのベリージャム、だいすき!


─── コンコンコン……コンッ


 パパはまた、農具のお直しをおねがいされたみたい。


 お仕事をしているパパの横顔も、私は大好き。

 普段はあまり喋らないけど、とっても優しいパパ。



─── 忘 れ な い で……!



 誰かの声が聞こえた気がした……。

 誰の声だろう? ママの声にも似ている気がしたけど、確かに女の人の声だったような。


 あの声は……声? あれ、なんのことだっけ。


 うーん、自分が何を考えていたのか、忘れちゃった。

 今日はなんだかヘンだな。

 お部屋がいつもと違う? それとも、何かを忘れてるのかな……。


「 ─── スタルジャ、手は洗ったの?」


「…………えっ? あ、今いく」


 いけない、ボーっとしてたみたい。

 ジャム、ジャム! 大好きなママのジャムが食べられるんだ♪


─── カンカン……カンカンカン……


 パパのお仕事の音を背中に、玄関の水桶に急ぐ。


 ……あれ? 閉められた鎧戸の隙間から、外の光が漏れてる。

 今はまだ、明るい時間なの?


 なんだろう、すごく胸が騒ぐけど、早く手を洗わなきゃ ───



─── 忘 れ な い で……!



 ……また、聞こえた。

 え? 『また』ってなに?


 今聞こえた女の人の声、ママに似てた気がするけど、こんなこと前にもあったっけ……?


 気がついたら、私は鎧戸の前に立っていた。

 その隙間から漏れる光に、私は吸い込まれるように、顔を近づける。


「あれ……あのお兄ちゃん、ニンゲン……⁉︎」


 ドキッとした。

 私、ニンゲン見るの初めて!


「 ─── なにをしているの……スタルジャ」


「あっ、ママ! 外にニンゲンのお兄ちゃんがいるよ!」


 振り返って、見上げたママの顔は、影になってて良く見えなかった。

 なんだかゾクっとしてしまった……。


「…………あなたは、ここに居ればいいのよ」


「…………ママ……?」


「…………そうだ、お前はここに居ればいい」


「ぱ、パパ……?」


 いつの間にか、ママの隣にも、パパの影があった。

 ふたりが私の後ろに立って、部屋の明かりの影で、顔は見えない。


─── ぽたっ ……ぽたっ、ぽた……っ


 ふたりの足下に、何かがこぼれる音。

 それを見て、私は体の芯から凍りついた。


「…………い、いや……」


「…………す、スたるジャ……あなタは……」


「……こ、ここ、こコに、居れ……バ……」


 手足が曲がり、腫れ上がったママの顔。

 お腹から、折れた槍が飛び出したパパの姿。


 ふたりの手が私に伸びた時、恐怖に塗りつぶされた頭の中に、何かが通り抜けた ─── 。



─── 柑橘かんきつの香り



 その爽やかな香りが、私の心の空隙に、確かなものを蘇らせた。

 この世で、私にとって、最も確かな存在を!


─── その瞬間、両親の幻影と共に、部屋の風景が霧散して消えた


 鎧戸の隙間から見えていた、その人影はまだそこに立っている!

 私は反射的に、そこへ飛び出そうと、手を伸ばす ─── !


「……あっ、ああ……」


 手足が急に、鉛のように、重くなる。

 一歩前に進むことはおろか、私の体は後ろに向かって、緩やかに落ちるように退がり出してしまう。


 声が出ない!

 あの人に、私の存在を教えたいのに、声が出ない……ッ!


 イヤだ! もう、離れたくないッ!


 ……その時、彼は私に振り向いて、手を伸ばした ─── 。



「スタルジャ ─── ッ!」



 ああ……彼の声……。

 どうして、どうして私は、こんなにも大きな彼の存在を、忘れてしまっていたのだろう!

 背後から包み込むように、視界を遮っていく闇の隙間から、私は渾身の声を振り絞った。


「 ─── アル! アルぅぅッ‼︎」


 闇が閉じる瞬間、必死に走ってくる彼の姿が見えた。


 ……私の空隙は急速に満たされていた。

 体の奥に、確かな熱の高まりを感じる。


 真っ暗な世界に閉じ込められて、意識が薄れてゆく中でも、私の脳裏にはしっかりと残っていた。


─── 私の大好きな、彼のにおい




 ※ ※ ※




「 ─── スタルジャぁッ‼︎」


 テーブルに膝をぶつけて、目が覚めた。

 目の前には、手入れ途中だった、鎧や武器の革部分の部材たちが並んでいる。

 それらの隣で、手入れ用の脂の入った丸い缶が、カラカラと揺れていた。


 背中に掛けられていた毛布が、するりと床に落ちる。


─── どうやら、道具の手入れの途中に、眠り込んでしまったらしい


 部屋には手入れ脂に混ぜ込んだ、柑橘系の匂いが、ふんわりと漂っている。


「ん、オニイチャ、どした?」


「ああ、ティフォか。……すまん、寝落ちてたんだな」


 宿の部屋の奥からは、ソフィア達の寝息が、すうすうと聞こえている。


 ティフォは、俺の声で目覚めたってわけではなかったようだ。

 寝巻きを着てはいるが、髪も寝巻きも乱れてはいない。


「ん、あたし、この匂い ─── すき」


「匂い? ああ、手入れ脂の匂いか。ジャコウクズリの脂に、花橘はなたちばなと柑橘系の香りを混ぜてあるんだ」


「ふーん。ずっと、香水の匂いだと、おもってた……」


 ああ、ティフォには、手入れが必要な、革系の装備ないもんな。

 手入れは時間もかかるから、あまり人といる時には、やらないようにしてたし。

 そう勘違いされてても、仕方がないか。


「ははは、そんな気どったもん、つける余裕は今のところないよ。

ジャコウクズリの脂って、革にはすこぶる良いけど、ちょっと臭いんだ。

義父さんに最初に教わってから、ずっとこの香りにしてる」


 ティフォは俺の腕に抱きついて、首元に鼻をつけ、すぅはぁし出した。

 湯は浴びたけど、臭ったらどうしよう、ちょっと恥ずかしい。


「んー、生オニイチャの匂いは、すっごくおちつく。かんきつオニイチャの匂いは、あんしんする ─── すんすん」


「そ、そんなもんかねぇ……。

─── あっ、そうそう! さっき俺、多分スタルジャの精神世界に行けてたよ!」


 どうにも精神世界に行った記憶は、薄まりがちで、口にしないと忘れそうになる。

 一度、その記憶に意識が向かうと、ついさっき見た光景が、頭の中に噴き出した。


「ただの夢じゃなければ……

─── 初めて、スタルジャに気づいてもらえたんだ……!」


 ティフォはちょっと驚いた顔をして、強く俺の腕を抱きしめた。


「それはきっと、ほんとう。

タージャもこのにおい、スキだから」


「……そうか。……うん、そうかぁ……」


 ティフォの頭をなでると、ふんわりと薔薇の花の香りが漂った。


 『におい』か。

 俺もこのティフォの匂いが好きだ。

 変態っぽいから、言葉には出来ないけど……。


 『におい』は時折、人の記憶を強くき起こさせる事がある。


─── もし、俺も何かあった時、ティフォの匂いで、目が覚めたりするのだろうか……?


 胸の鼓動は、未だ鳴り止んでいない。

 俺は確かに、スタルジャと逢えたのだと、湧き上がる気持ちに胸を躍らせていた ─── 。




 ※ ※ ※




 セパルの街の中央に建つ、最も高い建物。

 到着した翌日、俺達はこの街の魔公爵との接見が許され、そこを登っていた。


 通称『海皇パレス』とも呼ばれる建物は、ロフォカロム邸のように、個人の邸宅ではなく、庁舎として機能していた。

 七魔侯爵セィパルネは、この建物で執務をこなし、生活もしていると言う。


 最初、建物を前にした時、指定された場所が三十階だと聞いて『うへぇ』と思った。

 だが、各階に魔法陣が設置され、二十五階までは、好きな場所へ移動できる事が分かり、またも驚いた。


「 ─── 二十五階から先は、申し訳ありませんけど、徒歩で階段をお登りいただきますわ。

セィパルネ閣下の、生活圏でもありますから、セキュリティ上仕方がありませんの」


「いや、ここまで一瞬だったし、それくらい問題ない。

……しかし、綺麗だなぁ。どうして建物内に、水が流れているんだ?」


 セパルの街は、街全体に水が流れている。

 それは高い建物から、湧き出していて、全体に行き渡りながら、ヴィニル運河に流れていた。


 この海皇パレスも、建物の外側を螺旋状に走る、細い水路が小さなせせらぎの音を奏でている。

 水路を通る水は、時に壁面を流れ、また水路に合流したりして変化が楽しい。


 白で統一された、有機的で流線的な建物の美しさと、水のせせらぎがマッチしていた。


「この水は、セィパルネ閣下の力で、生み出される清らかな水ですの。

河の上に繁栄した街ですから、伝染病や疫病、建物の汚れ防止の意味があるそうですわ」


「なるほど。道理で流れる水に、微量な魔力が含まれてるわけですね〜♪

これなら、簡単に結界の下地にもなりそうです。無駄がありませんね」


 にこやかにソフィアが言うと、ヒルデリンガも微笑んで返した。


 良かった、仲良くなれたのか。

 ヒルデは所々目の毒だけど実害は無いから、旅の間くらい、仲良くして欲しいと思っていたけど。


 ……あれ? よく見たら、地味に足を踏み合ってるな。

 うん、見なかった事にしよう。


「最上階は、セキュリティのために、外の階段から入る事になってますの。

これだけ高いと、突風が吹くこともありますから、どうかお気をつけてくださいまし」


 ヒルデが何も無い壁に、小さなチャームのような物を当てると、外階段への扉が現れた。


 チャームは今朝早くに、公爵の使者から渡された物らしい。

 うん、これならおいそれと、侵入される事はかいだろうけど……厳重だなぁ。


「「「わぁっ! すごい……!」」」


 外階段に出た時、思わず皆が声を上げていた。

 ギルド本部の建物も高かったけど、ここはその六倍の高さになる。


 遥か遠くにフォカロムの街と海、そして反対側には、魔界の風景が一望出来た。


「あちらの赤茶けた乾燥地帯が、次の目的地の『パルモル平野』。

その先に薄っすらと見える、暗い灰色の山々の間に、最終地点の『アスタリア高原』がございますわ」


「……あそこにアマーリエがいるのか……」


「わたくしも、長いこと会っていませんの。彼女とは一時、よくつるんだ飲み仲間だったのですけれど……」


 ああ、なんかなダークエルフのアマーリエと、サキュバスのヒルデが、クダ巻いてる絵面が容易に想像できるな……。


 少し寂しそうにしている彼女を見るに、仲が良かったのかも知れない。

 後で時間が出来たら、ゆっくり聞いてみたい。


「さて、着きましたわ。用意はよろしくて?」


 階段の終わりには、水龍と人魚族のレリーフが施された、巨大な扉が佇んでいた ─── 。




 ※ ※ ※




 扉をノックしようと、ヒルデが近づいた瞬間、バカンと扉が開いた。


 扉が直撃して赤くなった額を擦りながら、ヒルデが『入っていいってことでしょう』と、涙目で言う。

 暗い室内からは、古い書類の紙と、インクの匂いが溢れ出て来た。

 室内は天井高くまで積み上げられた、書類と本の数々で、奥の様子が見えない。


 辛うじて通路となっている、書類の山の隙間をぬって進むと、少し開けた空間に出た。


「セィパルネ閣下、このたb ─── 」


「久しいなヒルデ、ロジオン。そちらは報告にあった、我に合わせたいという人物か。

─── 早速、要件を聞く。言え。早く。早急に。可及的速やかに」


 テーブルの上で、早口でまくしたてるようにそう言いながら、尋常じゃない速度でペンを走らせている女性。


 清流のような薄水色の長い髪が、床まで伸びて、鹿に似た形の角は、赤に近い紫水晶のような質感。

 切れ長な眼には、黒縁の無骨な眼鏡が掛かっている。

 その周囲にたわむれる、複数の水妖精の姿。



─── 七魔侯爵『海皇』セィパルネ



 ロジオンが頭を掻きながら、一歩前に出る。


「ひさs ─── 」


「二十年ぶりだな。元気そうでなにより。

でも、見ての通り、我はこなすべき執務が山積みなのだ。

要件を、素早くなるはやハリーで」


「アマ ─── 」


「っ! その青年がアマーリエの予言の、アルファード殿下だと……⁉︎

分かった。ほれ、ピーン」


 え? なに? 会話成立してんの?

 とか考える暇も無く、セィパルネの目が紅く光り、ロフォカロムの時と同じく、俺の体が反応して角が露わになる。


「はい、マジだ。さて、我から話すべきは、アマーリエから聞いておる。

『人界と魔界の決別』心して聞け、二度は口を動かさぬ─── 」


 セィパルネの口から、矢継ぎ早に『いつ息継ぎしてんの?』って、不安になる速度で言葉が紡がれた。




 ※ 




─── 今より二千年の昔

第二百八十四代、魔王エリゴールの時代


 以前より交流の進んでいた、人界との繋がりは、この時代に絶たれた。


 当時の人界は、現在のダルンを境に、南北に大きく分かれ、分断されていた。

 それは地理的にも、文明と流通にしても、完全に切り離された世界。


 ダルンにあった大国ダングスル帝国、その時代は、中央の四大国との『五強国時代』と呼ばれた、群雄割拠の時代である。

 人界は争いが絶えず、人間同士、種族間の戦火が、麻の如く世を乱していた。


─── 中央に寄りすぎた権力、奴隷制度


 そこへ魔界からの技術流入が起こると、飛躍的に伸びた魔術と魔導技術は、人界の争いに膠着こうちゃくを生む。

 発すれば大破壊を起こす新技術に、人界は牽制し合い、奇しくも殺戮さつりくの進化が和平を叶えた。


─── 人界は未曾有みぞうの、劇的な文明の進化を迎える


 だが……それまで人界と対等な交流を夢見ていた魔界は、その急速な文明の進歩の害悪を、気づけずにいた。

 それが失敗であった。


 土壌の栄養が富み過ぎれば、植物の根が腐るように。

 急速に熟れた実が、割れ落ちてしまうように。


 古きを蔑み、弱きを嘲り、成長する事のみを讃える熱病に侵されたのだ。


─── そんな中、その害悪の決定打となる、技術革新がもたらされた


 急速に発展を遂げた、ダングスル帝国の魔導技術が『光子炉』を誕生させた。


 魂をエネルギーに換える光子炉は、その技術の中でも、大きく急速に人界を変えようとしていた。

 動力の発展から、光子兵器の開発まで、そのエネルギーの転用は凄まじい速さで広がっていく。


 巨大なダングスル帝国は、五強時代に終止符を打たんと、武力の増強へと拍車をかける。

 

─── その中で悲劇は起きた


 光子炉に使われる媒体は、魂そのもの。

 そこに費やされる犠牲者の数は、時を追うごとに増え、魂を求めたダングスル帝国は、媒体を南側の世界に手を伸ばした。


 人道的見地から、魔王エリゴールは、光子炉の廃絶を求めるも、ダングスル帝国はそれを拒否。

 魔界側は、魔王軍を人界の南部に派遣、ダングスル帝国の侵攻を阻止した。


 遥かに開いた武力差に、ダングスル帝国は、最も愚かな選択を取る。


─── 人族よりも魂の波動に優れた、魔族の光子炉利用である


 非戦闘員の魔族が、人界のあらゆる場所で拘束され、強制的に光子炉へと送られた。


 魔王エリゴールは怒り狂い、ダングスル帝国と、協力関係にあった二カ国への侵攻を発令。

 激情に駆られた魔族の黒い焔は、人界の三ヶ国を完膚なきまでに焼き尽くした。


─── 『灰燼かいじんの三日間戦争』


 わずか三日間でその闘いは、徹底的な三カ国への破壊により、幕を閉じる。

 対等である事を願いながら、与える側にあった魔界は、その大らかな好意を巨大な殺意へと変えたのである。


 魔王エリゴールは、人界からの完全撤退を決断し、完全なる断交を宣言。

 こうして、魔界と人界は、たもとを別つ事となった ───




 ※ 




「 ─── と、まあ、ここまでがアマーリエに『話せ』と言われていた、魔界と人界の歴史。

理解は出来たか? 出来たな。出来ぬはずがない。終了だ。さて要件を申せ、今すぐナウ」


「実は ─── 」


「うむ、我がセパルは手を貸さぬ。領地を通る事は許そう。以上」


 ロジオンのこめかみに、青筋がピキリと走る。


「そうか、ロフォカロムは快く協力を申し出てくれたが、やはり同じ七魔侯爵でも器が違うな。

ヤツも流石は、炎の英雄でありながら、海を守る大任をこなすだけある。

─── よく分かった、セィパルネ。お前の統治する街は、余裕が無くてカツカツらしい。それなら仕方がないな」


「…………ふ、ふん。あのと比べられても、な、なんとも思 ─── 」


「ここにいるアルファード殿下は、ロフォカロムを倒した実力者だ。

ロフォカロムに、お前の協力を得るのは、それ程からな。

邪魔したな、あばよ」


 セィパルネの角に、赤紫の光の粒が沸き立ち、先端に向かって激しく移動する。

 眼には紅い光を灯らせ、怒りに震えていた。


「 ─── 待て!

ロフォカロムをだと……?

まだ魔王にもなって居らぬ、殿下が……?」


 退出しようと背中を見せていたロジオンが、ニヤリと笑い、俺に『 悪 い な 』と口の動きだけでそう言って、セィパルネに向き直る。


「ああ、本気のロフォカロムを、一瞬で倒したぜ? しかもアイツに炎の魔術で土つけたんだ。

─── 水の魔術だって、お前さんなんかより、遥かに上だろうな」


「なッ! ……な、きさっ、ぬ、ぐう〜ッ!」


 ロジオンは肩をすくめて、更に煽る。


「こりゃあ、アルファード殿下が魔王になった暁には、ここの統治も取り上げられるかもな。

……、能力高いんだし ─── 」


 『ブチッ』と何かがキレる音がした気がする。

 その瞬間、セィパルネの周囲にいた水の妖精達が消え、俺とセィパルネの周囲を、膨大な量の水が渦巻いた。


「おい……ロジオン」


「悪いな。ちょっとこいつの頭冷やして来てくれ。話にならん」


「あのな ─── 」


 言いかけた時、体から重力が失われる感覚に襲われ、視界が真っ白になった ─── 。




 ※ ※ ※




「 ─── うおっ、アブねッ‼︎」


 アルフォンスは、空から落下する感覚に、我に返って思わず叫んだ。

 足元には、広大な水面が広がっている。


 飛翔魔術の術式を走らせると、両足の下に魔法陣が現れ、アルフォンスは空中に留まった。


「 ─── アルファード殿下ァ……ッ!」


 宙に渦潮が発生し、セィパルネが長い髪をなびかせ、その中から姿を現した。


「我との決闘をッ!」


 セィパルネの背後には、セパルの街が見えた。

 ここはロフォカロムの時と同じ、セィパルネの隔離世界かとアルフォンスは思ったが、現実のヴィニル河の上だとすぐに気がついた。


 足元の水面は、セィパルネの怒りに同調するように、大きく盛り上がっている。

 ふたりの足元に向かって、押し寄せる水が、高波の如き音を轟かせていた ─── 。


「 ─── どうせ断れねえんだろ? とっととかかって来いよ……」


 アルフォンスの瞳が、やや横日となった日射しを受け、燃えるように輝く。

 その言葉に、セィパルネは一瞬驚いたような顔をしてから、ニィッと口元を歪ませた。


(フォカロムもそうだったけど、七魔侯爵って戦闘狂が多いのか?)


 周囲に渦巻く、水気を帯びた魔力に、歓喜の波動が込み上げて行くのをアルフォンスは感じていた。


─── しかし、なぜこいつはアマーリエから、魔族と人族との過去を、話すように言われていたのか……?


 そんな事を考えている内にも彼女は舞うように腕を振るい、高速な術式の展開を行うと、水面と空気中の水分を操る。


 下の水面からは、糸のように細い水が、次から次へとアルフォンスを狙い射出される。


 『たかが水』しかし、その超々高圧の水は、防御結界を易々と突き破る、凶悪な点の破壊力を持っていた。

 飛び退いた彼を追うように、下の水面が騒ついては、狙いすまして迫り来る。


 触れる先から骨ごと切断されるであろう、極細の水の線が重なり、視界に白い壁を作り上げていく。


「 ─── 【結べよ海牢】」


 振り回していた手を、胸の前で合わせ、セィパルネが言霊を紡ぐ。

 突如、周囲の空気が冷え、巨大な水の壁が、ふたりを中心として、囲うように突き上げる。


 セィパルネは、氷のように冷たい目で、アルフォンスを見下した。


「魔王の血統とは言え、我ら七魔侯爵はその下にはつかぬ絶対の存在。

あの焚火バカとは違い、我は手心を加える気は微塵も無い……。

─── これで終い。超々高圧の水に抱かれ、醜く潰れるがよい」


 そう言い残し、彼女は迫り来る水の囲いを、すぅっと通り抜けて退がった ─── 。


─── ゴゴゴゴゴゴ……ッ‼


 大気を震わせる轟音と共に、巨大な水の囲いが、アルフォンスを目掛けて一気に狭まる。

 川底から巻き上げられた水は、水中に潜んでいた大型の水棲魔獣達も、木っ端のように巻き込む。


 凄絶な水流と水圧に、魔獣達はもがく間もなく引き千切れ、赤黒く染め上げながら迫り来る。


─── パァン……ッ‼︎


 おおよそ、水のぶつかる音とは思えぬ、強烈な衝撃音を立て、囲いは一本の巨大な水の柱へと凝縮された。


 水柱の中は、想像を絶する圧力に、高速の水流が縦横無尽に荒れ狂う。

 完全に逃げ場を奪い、捕らえた者の肉体を、固形物すら残さずに撹拌する水の脅威 ───


「……ふん、他愛もない。あれにロフォカロムが殺られただと?

どうせ、バカをこじらせて、気でも抜いておったのだろう。

─── 海を取り返す、良い時期か……ふふっ」


 セィパルネは、肩を震わせて笑いながら、ロフォカロムの領地の方角を見る。


 と、彼女の遥か背後に見える、セパルの街からは、サイレンの音が鳴り響いた。

 街では大慌てで建物に入り、密閉式の窓を閉める音が、街中で鳴り響く。


 自分達の主人が、その荒ぶる力を行使しようとするのを感じ、巻き添えを食わぬように動いている。


「……ふん。我が力を出すまでもなかったというのに、用心深い民たちよなぁ……」


 己の庭に住まい、彼女の加護を当てにして生きる領民達は、彼女にとって愛おしい存在。

 我が子を眺める、慈母の如き微笑みを浮かべ、彼女は唇に指を当てた。


 「 ─── ‼︎」


 その時、セィパルネは目を見開いて、今尚その内部に激流地獄の渦巻く、巨大な水柱に振り返った。


(……冷気? バカな……⁉︎)


─── パッキィィ……ン


 水柱と共に、川面が一瞬で凍りついた。

 完全に凍りついた水柱の表面には、更に空気中の水分が着氷し、白い氷に覆われていく。


 横日の射す、黄昏前のヴィニル河の風景が、瞬く内に氷河の如き世界へと一変していた。


「─── 【着葬クラッド】……」


 天に届かんばかりの、巨大な氷柱の中から、言霊が紡がれた。

 凍りついた世界は、音を反響させ、やけにくっきりと通らせた。


─── 直後、地響きを轟かせ、氷柱に巨大な亀裂が走ると、瓦解する


 崩落する巨獣の如き氷塊の振る中、目を見開くセィパルネの視線の先に、漆黒の悪魔が眼をおぼろげに光らせている ─── 。


 いばらの冠をいただいた、漆黒の髑髏どくろの全身鎧は、青白い悪霊の冷気をマントの如くたなびかせている。

 鎧に浮かぶ、この世の悪意を顕在化したかのような無数の顔が、茫然とするセィパルネを嘲笑うように、寄生を響かせた。


「 …………お前も、俺の本気が見たいのか?

─── ロフォカロムのように……」


 凛とその声が通ると、彼女は思わず身をびくりと強張らせた。

 髑髏の兜の額から、巨大な紫水晶の角が透け、妖しく輝き出す ───

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