第六話 遡上
魔大陸は北緯が高く、人界より寒くなるはずだが、そうじゃない。
現に今、人界では一番寒い、冬真っ只中だと言うのに、これはまるで春の陽気だ。
魔界には暦の上の四季はないらしい。
もちろん太陽の位置の関係で、一年を通して多少の温度差は起こるが、雪が降るほど冷えず、うだるような暑さもない。
いや、正しくは地域によって違うらしいが、少なくともこのロフォカロム魔侯爵領に、厳しい夏も冬も訪れる事はないと言う。
諸説あるらしいが、分かりやすいのは地熱説で、地下に高いエネルギー層があって、地の底から温められているとか。
そして、一番魔界で一般的な説は、マナの循環による温暖な層が、大気に形成されているからだ、というものだ。
この層が温室の役割を果たしている。
地熱の高い地域は暑く、マナの大気層の薄い地域は寒くなる。
魔大陸内に、地域によって四季が決まっているようなものなのだそうだ。
「 ─── 水の都セパルまでは、ここと気候はあんまり変りませんわ。
その先のパルモル平野は、ちょっと暑いの。
私は寒いよりは暑い方が好き……。
冷たいモノよりは、トロけるように熱いモノの方が、興味がありますのよ……♡」
「そうか、教えてくれてありがとう。
魔界の気候って面白いんだな。だから市場にあった食材も、多種多様だったのか」
「食材……そうね。おくちに入れるモノですもの、たくさんある中から、一番イイの、選びたいですわね……♡」
ふわっとした、くしゅくしゅの白に近い白金の髪を、細くしなやかな指先で、スッとかき上げながら淫魔が言う。
「ん? まあ、食材はちゃんとしたもん揃えといた方が、メニューの幅も広がるな」
テキトーに返したら、瞬間移動したヒルデリンガが、俺の腕に絡みついた。
二の腕にたわわな重量物が、確かな反発力を持って、腕の形にたゆんでいる。
「んもぅ〜☆ そーゆうんじゃなくてぇ……。
そうね、知識とけーけんも、ちゃあんとしたのがあった方がイイかも♡
─── ねえ、おねーさんが、教えてアゲr」
「ええ、ぜひ教えていただきたいですね。
貴女がアルくんに、イタそうとしていることを。一体ナニを教えようってんですかね、クソ淫魔じゃなくて、ヒルデリンガさん……?」
「ふふっ、ソフィアさん?
アナタじゃ一万年がんばっても、扱えない蜜技ですわ。
いいですこと? 使わぬ器官は、無いも同じ。そんなことでは、あっくんのあっくんが、さぞかし……。
はぁ、これ程近くにいる女子がそこに思い到らぬなどなげかわしい。……あっくんがおいたわしい」
あっくんて誰だよ。
赤豹姉妹は『み、蜜技……』と、顔を赤らめて唾を呑んだ。
「ん、使わぬきかん……オニイチャ、きかんって、どー書くの?」
「って、ティフォちゃん! 何をメモってるんですか!
ダメですよ、こんなエロ女に毒されてしまっては、ただのエロ触手になっちゃいますよ⁉︎」
「…………何やってんだお前ら」
ロジオンのため息混じりの声が、虚しく風で流れていく。
水龍船の上では、ソフィアの黄金色の神気と、ヒルデリンガの紫のオーラがしのぎを削っていた。
─── 今は次の都市、セィパルネ七魔侯爵領『水の都セパル』を目指し、河を北上中だ
ロフォカロム達と別れ、フォカロムの街の中を流れている、ヴィニル運河の支流を進む。
この先で魔界でも一〜二位を争う大河、ヴィニル運河と合流し、二日程で水の都セパルに到着する予定だ。
遡上中のこの船は、クマミミ商会の持っていた水龍の曳く船と似たもので、ヒルデリンガが手配してくれた。
ヒルデリンガは魔大陸の旅の間、俺達のガイドとして、ロフォカロムに同行を勧められた。
最初に会った時は、落ち着き過ぎてて、気怠そうにすら見えた彼女だったが……。
何故こうなったのかは、フォカロムの街を出る二日ほど前まで遡る ─── 。
※
魔公爵邸に数日滞在し、次の都市への出発の準備が整ったこの日、ロフォカロムに俺達は集められた。
「ロジオンが居りゃあ、大丈夫だとは思うんだけどさ。この二十年で様変わりした所もあるし、おれの息のかかった、いいガイド紹介すンよ♪」
「そいつは、信用出来るのか?」
「もち。生きてる時間は、おれとタメ張る、魔界のベテランだし?
実力もハンパないぜ♪
それに、おれには絶対、逆らえないかんね、アイツ。
─── おおい、入って来いよ〜!」
扉が開いて入って来たのは、フォカロム港に着いた時、街を案内してくれたヒルデリンガだった。
淫魔族は吸精で若返るせいか、長寿命な者が多いとは聞くけど、魔公爵のフォカロムと並ぶ年齢だったとは……。
確かに彼女は妙に落ち着いてたし、魔力も隠してはいるけど、えらい凶悪なもんを持ってたもんなぁ。
「 ─── どうも……初めましてって……
あら、アナタたちのことだったのね?」
「お、なんだよヒルデ、もう知り合いだったのか。そんなら話がはえーわ。
ちょっとガイドしてやってくんない?
アスタリア高原の『灰村』まで」
「ずいぶん遠くまで行くのねぇ。大丈夫なのかしら、この子たち」
彼女が現れた時点で、ソフィアは早くも沸騰しかけていたが、今の言葉で赤豹姉妹まで、目がオラつき始めてしまった……。
「あン? オメー、先輩に舐めた口聞いてっと、不敬罪で単純労働の刑にすっぞ?」
「ああ……それは止してちょうだい。穴掘ってまた埋めるとか、あれは病むのよ色々と……」
「つーか、先輩はおれより強えーぞ?」
彼女は、驚いた顔で俺に振り返る。
そうしてしばらく見つめられていた。
「そんな……嘘でしょう?
そんな人間が居て、たまりますか」
「マジもマジ、大マジだ。このおれが、先輩の炎魔術に倒されたんだぜ?」
「 ─── えっ? それって……」
ヒルデリンガが弾けたように、俺に振り返った瞬間、ロフォカロムが俺に魔力を飛ばした。
初めて会った時と同じく、俺の魔力が膨れ上がり、
「おいッ! ロフォカロムッ! アルフォンスの正体は伏せろと ─── 」
「大丈夫、大丈夫〜♪ ─── ほらっ」
そう言って指をパチンと弾くと、ヒルデリンガの首に、紅い炎の輪が現れた。
「奴隷紋……⁉︎」
「そ、やんごとなき事情でさ、こいつとは奴隷契約結んでっから、おれの意思に反することしたら即死☆
てゆーか、それ以前にこいつは……」
その瞬間、ヒルデリンガの眼が紫色に光ると、着ていたゆったり目の清楚な服が、淫魔のイメージそのままのハードな姿へと早変わりした。
「 ─── ヤダ……すっごく、すっごく、おっきい……です(角が)」
「うっ。こいつ……何いってんだ……?」
「まおーさまーっ♡」
─── ビッシィ……
婚約者連合が動くより速く、俺に飛び掛かろうとしたヒルデリンガの首に、ピンと張った光の鎖が現れる。
『うげぇ』とカエルの潰れるような呻きを上げて、彼女の体がバックドロップ気味に、後方へと叩きつけられた。
「すてい、ステイだぞー? ヒルデリンガ、おめー先輩に手ェ出したら、そこのおねーさんたちに殺されっぞ」
「まおーさまーっ♡ まおーさまーっ♡」
「聞いてねえ……」
「ほら、見ての通り、生粋の魔王さまフェチだかんな♪」
「いや、困る!」
─── 数分後
「アルファード殿下、先ほどは大変お見苦しい醜態を……どうかお許しくださいませ」
「落ち着いてなによりだ。で、君がガイド役になるのか……?」
「もちろん! 喜んで! よしなによしなに!」
飛びつこうとして、また光の鎖で『ぐえ』ってる。
……本当に大丈夫なのかこいつ。
「心配ないって先輩。こいつ、おれ以上の『先代魔王派』だから☆
それに先輩の誕生披露式典の時、こいつも先輩に会ってるんだぜ」
「俺の生まれた時……?」
「はい! わたくし、あの時にあなた様をお抱きしましたの!
あの時から、素質は感じられておりましたが……。
─── これほどの、立派な御姿に……あふぅ」
どうやら彼女は元々、魔界では有名な人物だったらしい。
俺が生まれて数日後、魔王城で開かれたお披露目式典にも呼ばれ、俺を抱っこしてくれたのだそうだ。
「なんだって、そんな有名人の君が、ロフォカロムの奴隷に?」
「……お恥ずかしい話なのですが、借金ですの」
「こいつさぁ、ちょっとヤバい人の吸精しちゃってさぁ。その奥方がマジ切れってね☆
莫大な慰謝料を吹っかけられてやんのw」
「「「うわぁ……」」」
彼女はテヘヘと笑い、懐かしそうな顔をして、語り出した。
「あれは恋でしたわ……。それがまさか、世の姿を忍んだ、高貴なお方だったとは。
よく調べもせずに、まあ、淫魔としてわたくしの手落ちですわね。
でも、その時の慰謝料は完済しましたのよ?」
「それで、なんで奴隷に」
「それは……」
「こいつ、完済するまで、吸精自粛してたらしいんだけどさぁ。
よりにもよって、今度はその息子さんを、毒牙にかけてやんの♪」
「「「うわぁ……」」」
んで、魔界裁判で『単純労働の刑、五カ年』と、完済した慰謝料の倍額が科せられた。
「……だって、あの方に似ていたから、
ご子息だと気がついたのは、私兵がなだれ込んで来た時でしたのよ……。
枕元にあのお方の奥方様と、ご子息の御婚約者様が、鬼の形相で立ってたのは、今でも夢に見ますわねぇ……」
「「「うわぁ……」」」
「その借金を、おれが肩代わり。代わりに奴隷契約して、おれの仕事を色々やってもらってたんだー☆」
「流石に、二度目ともなると、就職先もございませんでしたもので。テヘヘ☆」
意外なことに、彼女に課せられる仕事には、事細かく料金が設定されていて、結構ちゃんとしているようだった。
奴隷契約は、一応逃げないようにと、本人から進んで結んだらしい。
「こー見えて、こいつ『原初の魔性』って、淫魔の始祖みたいな魔物だかんね。
闘わせたらバカ強えし、魔界の有力者たちに顔がきくから、役に立つと思うよー☆」
「アルファード殿下、
「……え? ガイドの間だけだよな?」
あまりの事に呆然として、我に返ったのは、奴隷契約の連名権利者にされた後だった。
ソフィア達が抗議したが、時すでに遅し。
彼女がガイド役になる契約が、しっかりと刻まれてしまっていた、その後だった。
※
磨かれた黒曜石のような、細く湾曲した角。
くしゅくしゅと柔らかくカールした、白に近い白金の長い髪に片目を隠した、薄紫の瞳。
露出度の高い衣装は、白い柔肌をより
まさに男を狂わせ、最期の一滴まで搾り尽くす、サキュバスのイメージそのまま。
そのヒルデリンガが、正座してニコニコしながら、ソフィアの説教を聞き流している。
「一週間以内なら、返品可能とかないんですかねぇ……」
「まあまあ、ソフィちゃん。わたくし、結構役立ちますのよ? 慌てない慌てない〜♪」
俺はユニとふたりで、河岸の風景を眺めながら、時折手を振ってくる人々にお返しするしかなかった。
「わぁー、今度は下半身が鹿さんの人なの。ツノも大っきいの」
「獣人とは違うんだろうな。ほんと、魔界は人種に溢れてるよな」
「うん、獣人族じゃないみたい。あ、手を振り返してくれたの♪ おーい」
「 ─── あれは、ファウヌ族ですわ。元はかなり神聖な種族でしたけど、四千年前の魔神戦争で、呪いを受けてしまいましたの。
魔力をほとんど失って、一時は激減しておりましたわ」
「うおっ⁉︎ ヒルデリンガいつの間に!」
真後ろで聞こえた声に振り返ったら、唇を奪われそうな至近距離に、彼女の顔があった。
「ヒルデリンガなんて、長ったらしい他人行儀な呼び方は結構ですわ。ヒルデって呼んでくださいまし……♡」
彼女の指先が、俺の胸元をツツっとなぞって、
憂いを帯びた瞳が妖しく光り、俺の目を真っ直ぐに見つめた。
「お、おう。今度からそう呼ぶわ」
「……ああっ! ファウヌの人が大変ニャっ!」
─── ドボン……ッ
振り返った直後、河岸でにこやかに手を振っていた、半獣人の男が水柱を上げて落水していた。
「あら……。また失敗かしら? もう少し、出力を上げないとダメなのかしらね……」
「なんの話だ? もしかして、ヒルデが今なにか……」
「ホホホ。なんでもございませんのよ。きっとわたくしに見惚れて、足を滑らせたのでしょう♪
─── そんなことより、もう一度『ヒルデ』とお呼びになってくださいまし……♡」
また彼女の瞳が光った。
「わっ、お魚さんたちが、すっごい跳ねてるよ! 網、網が欲しいのニャ!」
─── バシャバシャバシャ……!
なんかデカい魚が一斉にジャンプして、船の腹にびたんびたんと、打ち付けていた。
「主人から、アルくんには手を出すなと、言われてたんじゃないんですか?
なに【
「なんのことですの? それにわたくしからおイタはダメでも、あっくんからだったら、わたくし拒否出来ませんのよ?」
「さっきからアルくんに、連続空振りじゃないですか……」
「それなのですわ。
なんだって、あのお方には、わたくしの魔力が届かないのか……。
─── 嗚呼っ、燃えてしまいますわぁ☆」
「やっぱ【
オラッ、神妙になさいエロモップ! 修正して差し上げます‼︎」
ソフィアに引きずられて、ヒルデがまた向こうに連れて行かれた。
魚とファウヌ族の男は、船を泳いで追っていたが、やがて置いて行かれた。
「うん? アル様どうかしたの?」
うわぁ……。
ユニ、こうして改めて見ると、やっぱクソ可愛いなちくしょう。
あれ? ユニってこんなに唇ツヤツヤだったっけ?
あれれ……? ユニって、こんなにメリハリきいた、女の体だったっけ……!
「アル様ぁ?」
「んなっ! ふぐっ、な、なんでもない!」
ヤバい……。
ずっと耐えてたけど、ヒルデの【魅了】と【催淫】は、下半身に直撃だ……ッ!
だいたい、なんなのあの胸、ゲル状なの?
なんで仕草が一々えろいのあの人!
あ、サキュバスだからか。
いや、解決になってねーぞ⁉︎ だいぶ混乱してるな俺……。
「ん、オニイチャ。ティフォが鎮めてアゲよっか?」
「 ─── ぬぐっ、ティフォ、今俺の前に立つな……! おねがい、立たないで……?」
あれ? でもなんか、ティフォを見て、大人ティフォ思い出したら、落ち着いて来たぞ?
あー、アレの方が格段にヤバいもんな……。
ティフォに【魅了】使われたら、俺、即オチじゃねえか。
「ん、そーいうのは、しないよ? オニイチャがオッケーになるまでは、がまんする」
「し、思考を読むなッ! ん? 『なるまでは』って事は……。
……つ、つまり、そうなった時は……?」
「もう、オニイチャなら、どうにだってヘベレケ」
そう言って、悪戯っぽく舌を出して笑うティフォも、少し頰が紅い。
……あ、これはこれでヤバい……!
「ロジオン、俺ちょっと船体で寝て来るわ」
「船酔いか? ほれ、乾燥ハーブだ、これでも噛んで休んどけ。まだ先は長いからな」
“世の中に、男しか居なければ、男は神の如き生活をしただろう”
そんな詩を読んだ事があったけど、今の煩悩バンバンな俺は、痛い程よくわかる。
『可愛い』は、恐ろしい ───
※ ※ ※
フォカロムから進んだ船は、ヴィニル運河へと無事合流。
あまりにも河幅が広くて、最初は海かと思ったくらいだった。
流れは非常に穏やかで、ただ静かに景色だけが流れて行く、雄大なヴィニルの姿。
その遠く河岸に見える景色は、人界と大きく違うわけではないのに、異国情緒を感じるものがある。
─── ただ、広い河を挟んで、両側に延々と続く、牧歌的な風景はすぐに飽きてしまった
大河ヴィニルは、時折大きな氾濫を起こすため、この辺りの河べりに民家は皆無だ。
やや濁った薄緑色の河と、両岸の緑、上に広がる青い空だけが、延々と続くのだから仕方がない。
そんな中、エリンから合成魔術の術式のコツを聞かれ、教える事にした。
「……ああ、そっか! なるほど、なるほどだわアル様!
だから合成魔術の
「そうそう。発動の順番に唱えて行くんじゃなくて、必要な術式を並べてから、それぞれに順番を刻んでおくんだよ。
そうじゃないと、下地に必要な魔術が不安定になりやすいからな」
エリンは、ソフィアとティフォ、そして夜に現れるローゼンオオコウモリから、術式の基本を教わっている。
魔術印の新技法【
彼女は、銀細工を得意とする、元々器用な赤豹族だけあって、緻密な術式の設計が合っていたようだ。
ただ、魔術の合成となると、独特な組み立て方があって、そこにつまずいていた。
俺も合成魔術の術式は、アーシェ婆道場と、セラ婆道場のふたつで挫折しかけたからな。
この辺りの知識は、かなり自信がある。
ソフィア達の『術式講座』を受けていた彼女は、乾いた砂のように、あっという間に知識を飲み込んでいた ─── 。
「ああ、あーあー、ホントだ!
見て見てアル様ッ! あははっ、ほらすごい☆」
エリンが大はしゃぎで、河の水面に稲妻の嵐を起こしたり、発生させた霧を爆発に変換させている。
普段寡黙なエリンが、ピョコピョコ跳ねながら、合成魔術を連発してる。
うーん、こういう表情も新鮮だなぁと、思わず感じ入ってしまうが、水面には気絶した大量の魚が浮いていた。
「やった! やったぁ〜っ! これでまた強くなれるにゃん☆」
「わっ、お姉ちゃんすごいニャ‼︎ 後でユニにも教えるニャ⁉︎」
「すごいですエリンちゃん! まだ魔術講座はじめて十日くらいですよ⁉︎
もうそこらの国の魔術師団くらい、一瞬で血だるまじゃないですかコレ!」
「ホントっ⁉︎ そ、そうかにゃあ〜☆
えへへ、ソフィと皆んなのおかげにゃ♪」
最近、エリンもユニも、語尾の猫っぽさをあまり抑えなくなっている。
『否定派』を恐れぬ、自信がついて来たとみて良いのだろうか。
今更ながら『猫耳、しっぽ、語尾のにゃあ』の三大要素が、俺の中で静かにヒットしていた。
……くそう、ヒルデの淫魔魅了セットに、俺の心が揺れやすくなっているのか⁉︎
はしゃぎ回る彼女の尻尾に、目を奪われそうになるのを
ロジオンが近づいて来て、エリンに教えた内容を、レポートにしろと言う。
てっきり、彼も合成魔術に、興味を惹かれたのかと思いきや『ノウハウ本でギルドの収益にする』と金の匂いを漂わせていた。
そんなこんなで、ヴィニル運河の旅は、のんびりと続いていく ─── 。
※
「よーう! あんたらセパルを遡上して来たんかー?
お疲れさん、魔物多くて大変だったろーっ?」
河の上に広がる都市に着いた。
その入口となる巨大な水門は、上がっている
これ程に大きな水門は今までに見た事がない。
思わず見上げていたら、水門の上の監視塔から、軽鎧姿の魔人族の男が大声で話しかけて来た。
「いーや、特に戦闘にもならなかったぞ!
この辺は、最近荒れてるのかーっ?」
「下流はここ数日、落ち着いてんなぁーっ!
街抜けてくつもりなら、上流は気をつけろよーっ!
街には滞在かーっ? 通過かーっ?」
「滞在だーっ!」
「んならなぁーっ、今、柵開けっから、ちっと進んだ先の、船着場まで進めー!
─── 『水の都セパル』によーこそーっ♪」
重苦しい音がして、下がっていた鉄の巨大な柵が、引き揚げられていく。
「……物々しい設備だな」
「セパルの暮らしは、水害と水棲魔獣との、闘いなのですわ。
潮の満ち引きで水位が上がったり、
水棲魔獣が発生した時は、柵で侵入を防ぐ、そんな感じですわね」
「海嘯?」
「海の水位が上がった時、河が逆流する現象ですわ。
……まあ、一般的にはその認識でイイのですけどね。このセィパルネ魔侯爵領では、ちょっとまた意味合いが、変わってたりもしますわね」
水門の柵が開き切ると、係員が小さなボートで誘導をしてくれる。
水門の先には、位置をずらして、もう一つ水門が設けられていた。
セパルの防壁は、三重になっているらしい。
そのどれもが、街に使われている灰色の素材『ヒード凝固土』のようだが、所々に強度を上げる巨大な支柱のような構造が設けられている。
ヒルデ曰く、ヒード凝固土の材質も、見た目は同じだが補助剤で補強された、特別製なのだそうだ。
「「「 ─── ‼︎」」」
最後の水門を抜けた時、俺達は思わず息を飲んだ。
白で統一された、高い建造物が建ち並ぶ、水面から生えたような都市。
建物には角がなく、河の流れに対して沿うように歪んだ、薄い楕円の構造になっている。
その流線的な建物で構築された白い街には、最も高い場所から、下に向かって水が流れ落ちていた。
「不思議な光景でしょう?
初めて見る方は、皆さん驚きますわ。
この街は時折、とても大きな海嘯が起きますのよ。その時、水圧を逃すように、ああして平べったい構造にしているそうですの」
「……あんな高いとこまで、波が来るってことなの?」
「ええ。まあ、滅多に起きないんですけど、起きてしまうと、少なくともあの高さまでは、到達しますわね」
「でも、あれだけ高いと、フォカロムとかも危なくないの?」
「……ここだけですわ。ここで起こる海嘯は、特殊ですの」
そんな事を聞いてるうちに、船着場に到着して、水の都セパルに上陸した。
近づいて来た業者に金を支払うと、水龍は船から外され、預かり場へと連れて行かれた。
滞在する期間、水龍の世話をしてくれるらしい。
次の街は陸路になるから、水龍はどうするのかと聞いたら、自分でフォカロムまで帰ってくれると言う。
他の龍種も、これくらい協力関係を作れたらいいのになと、感心してしまった。
「せっかくですもの、この街をゆっくり楽しまれてはいかがです?
わたくし、先にセィパルネ閣下に、接見の申し入れしておきますわよ」
流石はロフォカロム推薦のガイドだ。
街での注意点と、合流場所の説明をささっと済ませ、ヒルデは街中へと消えて行った。
「オレも顔を出しておきたい所がある。後で合流場所には行くが、遅くなるようだったら、先に宿に行っててくれ。
なんかあったら、念話で頼む」
そう言って、ロジオンも何処かへ行ってしまった。
何処かで休憩するかと、婚約者連合に尋ねたが、それよりも街を見て回りたいと声を揃えて言う。
俺達五人は、ヒルデが勧めてくれた移動手段で、観光する事にした。
「おや、初めて見る種族だねぇ!
移動ならウチのゴンドラにしときなよ、腕の良い船頭そろえてるぜ!
……え? ヒルデリンガ嬢の連れだって⁉︎
がはははっ、ならウチで決まりだ、任せておけって」
セパル内は道が細く入り組んでいて、初心者は直ぐに迷子になると言う。
また、高低差が激しく、階段や坂が多いため、人々はゴンドラと呼ばれる船を利用するそうだ。
街中に張り巡らされた水路には、そこかしこにゴンドラの営業所が、軒を連ねていた。
「観光かい? まとめて乗ってくれるんだったら、お安くしとくよ!
本当ならひとり五千ギリムだけど、五人で二万ギリムだ。どうだい?」
『ギリム』は魔界の通貨だ。
五千ギリムだと、人界でいう銀貨一枚って所だろう。(※銀貨一枚=約五千円、1ギリム=1円)
「ああ、ぜひ頼むよ。ん……と、これが二枚だな」
「あいよっ! そんじゃあ、そっちのゴンドラに乗ってくれ。今船頭を呼んでくる」
魔界に来て驚いた事のひとつは、普及している通貨に、紙幣と呼ばれる紙の通貨があった事だ。
それも、千ギリム、五千ギリム、一万ギリム、十万ギリムと、大きな額でまとまっている。
聞いた時は驚いたが、紙幣を見て、すぐに納得もした。
紙の質もそうだが、印刷技術と偽造防止の術式に、とんでもなく高度な技術が使われている。
これなら
人界でも、一時実験的に取り入れた国があったが、紙幣の偽造が相次いで断念したらしい。
まあ、良心の問題と言うよりは、偽造防止の為の技術が追いついていない事が原因だろう。
「へえ〜、ゴンドラって、水龍がモチーフなんですかね♪」
ソフィアが楽しげに言って、目の前に繋がれた、細長く反り返った、笹舟のようなボートに乗り込んだ。
基本は二〜三人乗りのゴンドラばかりだが、指定されたものは、五人で乗ってもゆったりな大きさのものだった。
「おまっとさん。美しいセパルの街並みに見惚れて、落っこちなさんなよ〜!
そんじゃ、いってらっしゃ〜い」
ゴンドラの前と後ろに、長いオールを持った、船頭がふたり乗り込んだ。
黒いローブのような、丈の長い衣装を着て、頭には道化師のような、
顔には目元を覆う仮面を着けている。
「 ─── ようこそ、水の都セパルへ。
いくら美しい人を見つけても、身を乗り出さないようお気をつけ下さい。
濡らすのは枕だけで、ご満足いただきますよう……。
では、ご案内いたしましょう」
滑らかな口上に、キザったらしくも、ユーモアのある所作。
そして、ゴンドラは口上以上に、スルスルと滑らかに進み出した ───
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