第十三話 折れる心
「─── これはちょっと……問題ですね」
ソフィアの
「やさしいところとかは、いつものままなの。
……それがちょっと怖いの」
「確かにそうね。抱き着いてみたけど、反応がなかったし、寂しそうに笑ってたわ」
「私はお風呂に突撃したですが、何か『おお』って、ふつうに返されたですよ……」
「「「……ちょっと!」」」
パーカーの襲撃から二日。
様子のおかしいアルフォンスについて、六人による緊急会議が開かれていた。
あの襲撃の様子は、ティフォを通して全員にリアルタイムで伝えられていた事を、彼は知らない。
「ん、やっぱ、様子見しないで、たすけたほーがよかったか……」
「それは違うですね。ダーさんの
もし勇者との再戦とかだったら、目も当てられねーのです」
「代わりに……別の問題が出た。
でも、それだって、アル様の超えなきゃいけない、大事な事だと思うわ」
『殺意』に対する
……ただ、問題なのはエリンの挙げた、別の問題である。
─── 己自身が
何故、それ程までに彼の問題を理解しているのかと言えば、ティフォの能力による『記憶の閲覧』である。
血液や体液から記憶を読み取れる彼女は、パーカーを殺害した直後のアルフォンスと、バキューム気味に唇を重ねた。
アルフォンスとアルファードの関係が、どういったものか分かれば、答えはハッキリするはずだが……。
残念ながら、今のアルフォンスの肉体には、アルファードの記憶は残されていなかった。
天真爛漫を突き抜けたティフォであっても、普段は他人の記憶を閲覧して、何かしようとする事はない。
─── だが、今回に限っては、そのティフォにも、見過せぬ理由があった
「ラプセルで、こわれかけてた時より、ひどい」
まだ彼女が触手の塊の『
彼は当時から、年齢の割に問題の処理能力が高く、人に相談する事が少なかった。
特に大きな問題は、それを理解しようとする余り、相談すると言う発想が抜けてしまう事がある。
手に余る大きな難問の場合、人はそれが問題ではなく、定められた運命のように捉えてしまう。
いつでもフタができる事を忘れ、その問題ありきで、世界を進もうとしてしまうものだ。
「そういう時は、他の人の言葉って、聞こえてても聞こえないんですよね……。
どうしたらいいのでしょうか─── 」
「うーん、人の心理そのものは、専門外なのです。こんな時、人間のプロトタイプなら、スペシャリストなのですけど」
「今解決できる事じゃないの。なら、できることだけ、やってくしかないの……でも」
「そうね……。今のアル様に、何かしろと言うのも、難しいわね……」
はぁ、と全員の溜息が重なった─── 。
※ ※ ※
魔術王国は、その名の通り魔術研究が盛んで、国内に三つも魔術大学があることで有名である。
そして、もうひとつ有名なのは、急な斜面に建てられた、石積の街並みである。
大規模な港を開くに適した海に対し、起伏の激しい陸地は、決して街づくりに適しているとは言えない。
海上貿易で発展するにあたり、商業に適した開発を続けるにつれ、階段状の街が形成されていった。
そして、石灰の一大産地でもあったローデルハットは、構造物が白い石灰で塗り上げられている。
日射しが強く、建物内の温度上昇を避けるため、古くからそうされて来た。
─── 『朝日に黄色、夕陽に赤、海に青く染まる、白き魔術の街並』とは、有名な詩である
魔道具、精霊石、魔導書。
それらの商店に溢れ、また独自に開発した術式を販売する『魔術屋』があるのは、この国くらいなものであろう。
いつもなら、そんな国に来たのであれば、アルフォンスは街探索を楽しんでいただろう。
……だが、スタルジャの治療をはじめ、それどころではない状況が続いていた。
※
─── ローデルハットギルド支部
他と同じく、石灰塗りの石積建築の建物内、その奥にある会議室。
受付嬢に案内されて、俺達はその扉を開けた。
「おおっ、アルフォンス!」
立ち上がって出迎えたのは、こども本部長ロジオンと、トップ冒険者のルーカス率いる『カイディア』メンバーのマーウィンとアリスだ。
「久し振りだな! 左手はどうだ……?」
「ああ、ちと後遺症は残ってるが、ローゼンとマドーラ達のお陰でなんとかな」
「おお、人形共も無事だったか! 心配してたんだぜ……今はどこに─── 」
『『ろじおーん』』
「「「
マドーラ達の状況を説明すると、彼らは驚きながらも、相変わらず元気なふたりの声に胸を
「─── そうであったか……。でも、魔界に行けば直せるのじゃろ?
ふむ、これはマドーラとフローラの為にも、早く魔界に行ってやらんとなぁ」
「………………」
ルーカスの言葉に、胸がドキッと打って、唇が冷たくなるのを感じた。
なんだろう、そう言うのも薄くて実感が湧かない。
「……どうしたアルフォンス? 顔色が悪いが、まだ具合でも悪いんじゃねえのか。
もしかして、
「…………いや、眠れてはいる。ロジオンは眠れていないのか」
「うん? ああ、いや、何でもない。気にしないでくれ」
気のせいかロジオンの顔色が悪く、ルーカスも困ったような顔で、彼の方をちらりと見た。
「スタルジャはどうなんだ?」
何故だろうか、彼女の事を説明しようとした時、喉に何か詰まったような息苦しさに襲われた。
手には汗が滴る程に滲み、重くなった頭からは、どうにも言葉が出てこない。
ロジオン達は
「人が……守護神契約できるのか⁉︎」
「ええ、ただこれはアルくんの、魔王としての特性を利用しているので、誰でもというわけではありません」
「奇跡に波長があるとなぁ。うむ、それなら勇者とその守護神リディにも、手が打てるやも知れんな!」
─── ドクン……ッ
「ハハハッ! 流石はアルフォンス、お前の周りにいる人材は、毎回とんでもねえ話を持って来やがる。こりゃあリベンジも夢じゃねえな」
「ま、まあ。今はあくまで調整中ですからね。準備を整えて、確実に進めて行く時期でしょう」
ソフィアが、何だか慌てて再戦の話を流そうとしていた。
……今、俺はそれにホッとしていた事に気がついてしまった。
─── 何故、ホッとしてる……?
再戦はしなくちゃいけない、なのに俺はビビってる……?
胃がキリキリと、痛み出した。
視界の端が、何だか暗くなっていて、狭い所にいる感覚がある。
胃の不快感だけが、モヤモヤと俺の中に残って、余計に現実感が無くなって行く─── 。
「どの道、魔界に行くのに変わりはないだろ?
奴らが魔界に戻ったのか、人界にうろついてるのか、分かりゃしねえんだ。
─── 魔界で鉢合わせるって可能性も考えてだな……」
─── ドクン、ドクン、ドクン……ッ
心臓が急に激しく打ちだして、息が小刻みに押し出されてしまう。
「だからこそ、まずはリディ対策を進める事に注力するべきです。
スタちゃんの事も、今急に動かすのは心配ですからね」
「そうだな……。まあ、魔界へ渡る手配は、いつだって大丈夫だ。
なあアルフォンス、お前の事だから、もう闘いのイメージも出来てたりするんじゃねえのか?」
─── ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……
「……? おい、どうしたんだアルフォンス。やっぱり具合悪いんじゃねえのか?
─── そんなんじゃ、再戦どころじゃなくなるぜ?」
「…………その、今アルくんは……」
「頼むぜ『勇者』さんよ! お前に世界が掛かってんだ、しっかりしてくんねえと、オレ達は……」
何だ?
ロジオンの声が聞こえなくなって、代わりに誰かの声が響いているような……。
いや……。これ、俺の声だ─── 。
「─── 出来るわけねえだろッ!
俺はまだ勇者なんかじゃない! 魔王でもないんだ!
無理なんだよ、俺みたいな中途半端な奴にさ、勝手な希望を押し付けないでくれよッ!」
「…………あ、アルく─── 」
─── ドガァッ!
ロジオンの拳がテーブルに叩きつけられた。
「お前それ、本気で言ってんのかアルフォンス……ッ!」
「ロジオン! 今、アルくんは─── 」
「答えろよ適合者! 今の言葉は本心かって、聞いてんだッ!」
「─── ああ、そうだよ……俺じゃあ無理だ」
その瞬間、俺の体が後ろに吹き飛ばされ、椅子が粉々に散らばる。
─── ロジオンの拳が、俺の頰を殴りつけた
「馬鹿野郎ッ! 世界はどうなるッ!
魔界はッ、お前の家族はどうなるッ!」
「うるせえッ! 俺には家族の記憶なんかねえんだよ!
ずっと俺はど田舎で暮らしてたんだ、今更世界を救えって言われたって、実感湧かねえよ!
─── 適合者にだって、なりたくてなったわけじゃ……」
ロジオンの拳が、もう一度俺を殴り飛ばした。
頭に来て立ち上がると、俺の前にティフォと赤豹姉妹が立って、ロジオンを
「よく分かったよアルフォンス……。
お前に世界が救えなくたって、オレは文句は言わねえよ。尻まくったって構わねえ……。
─── でもな、お前のために命張った奴らはよ、今のお前の顔見て悲しむだろうぜ」
「…………」
「─── オレはひとりででも、イロリナを救う。勇者の野郎は、オレが刺し違えてでも殺してやる。
…………じゃあな、アルフォンス」
ロジオンは真っ赤に充血した眼を、怒りから哀しみに変え、部屋を出て行った。
静まり返った部屋、廊下に消えて行く、ロジオンの足音─── 。
(…………分かってるよそんな事。分かってんだよ……)
自分が口走ってしまった事が、どんな事かも分かってる。
でも、
……皆んなを失望させただろう。
でも、不思議と後悔が湧く程、心は動かずに、実感の薄い浮遊感しか残ってない。
「─── ルーキー、お前も苦しんでおるのだな」
ルーカスの声に、体がびくりとした。
もう誰とも言い争いたくはない。
でも、責めるような声にも聞こえなかった。
目を向けると、彼は寂しげに微笑んでいる。
「ロジオンの事、悪く思わんでやってくれ。あやつも必死でな……」
「…………分かってる」
「あやつも今、
余裕が無いのだ。許してやってはくれんか?」
「
確かに顔色は良くなかったが、彼も魔剣で切られていたのだ、その可能性があるのすら忘れてしまっていた。
「うむ。あやつからは口止めされておったが、あやつもお前さんも、わしには大事な仲間じゃからな……。
あやつは『暗闇』への恐怖を植え付けられておる。目を閉じただけで、正気を失う程の錯覚に襲われておってな。
─── もう何日も寝ておらんのだ」
「「「─── ⁉︎」」」
そんな状態ででも、彼は先に進もうとしていると言うのか─── !
ロジオンの言葉が、悲痛なものだったのだと、その事実を知って理解できてしまった。
彼の最後の望みを、俺が崩してしまったのだと、胸が掻き
……そして、俺の失言でもうひとり傷つけてしまった事に、今更きがついてしまった。
─── ソフィアが青ざめて、自分の腕を抱いていた……
「ごめん……ソフィ。俺……」
彼女はハッとしたように俺を見上げ、寂しげに微笑んだ。
「アルくんは、ずっと真っ直ぐ過ぎたんですよ……。今は……その後ろで苦しんでしまった気持ちを、素直に出した方がいいんです」
胸が締め付けられた。
『適合者にだって、なりたくてなったわけじゃない』
俺に運命を背負わせたと苦しむ彼女にとって、この言葉がどれだけ
そっと俺の腕に手を伸ばし、必死に笑顔を作ろうとする彼女は、それでも俺を癒そうとしてくれていた……。
今の俺じゃあダメだ。
今の中途半端な気持ちの俺じゃあ、彼女の傷を埋められる言葉を、紡ぐ資格がない─── 。
「ローゼン、ひとつ頼みがある─── 」
「はいです」
にこりと微笑む彼女は、ポツリと『待ってたです』と呟いた。
踏み出せ。
俺が何者なのか、後回しにするのはやめだ。
ローゼンの後ろには、ティフォとエリン、ユニが俺を見つめている。
彼女達の心配が、やっと見える程度には、意識がはっきりしてきていた。
長い夢から醒めたような、現実感がそこにはあった─── 。
※ ※ ※
アルザス帝国領、都市国家ルミエラ市国
─── エル・ラト教団ルミエラ宮殿
その時、私はヴァレリー司教の手伝いで、執務室の書類整理を手伝う傍ら、彼の布教活動についての講義を受けていた。
剣だけでは、教団を変える力は作れない。
若くして司教にまで上り詰めたヴァレリー司教は、天才肌ではあるが、その話は分かりやすく理論的だ。
のんびりで抜けているようでありながら、彼はキレ者で、意外と人使いが荒い。
その分、彼の職務の一端に触れる機会も多く、人を動かす事がどう言うものなのか、剣しか触れてこなかった私にも理解が進んでいる。
「……ね? その地域は、去年と比べて犯罪率が上がっているでしょう?」
「確かに─── ! で、でも、この辺りは野党狩りを終えた地域では……⁉︎
なぜ、安全になったのに、犯罪件数が上がって……!」
「それは、野党が狩り尽くされてしまったからですよ。悪には悪のルール、縄張りがあったと言うことです、ラブリンさん」
単に情勢や、教団運営を聞くだけでは分かりにくくても、こうして数字にされているとよく分かる。
「街には手を出さない野党が、他の悪人の防柵になっていた……と⁉︎
いや、しかし、それでは野党狩りが悪手たったと言う事に!」
「ふふ、いいえ。それは必要でした。結局安全が脅かされていれば、交易もままなりませんから、発展も難しくなってしまいます。
……でも、おそらくここは、来年にはより犯罪率が下がっているでしょう。
─── すでに手は打たれているのです」
ヴァレリー司教はにこにこしながら、私が喋るのを待っているようだった。
こうして彼は、私に考えることを促す。
考えろ、考えろ、考えろ─── !
どうすれば正解か、ここにある書類から、人の流れを見付け出せ!
……それくらい出来なければ、私は教団でのし上がるなど不可能じゃないか!
あいつが自分の道を歩けるようにするには、人を動かせる力を持たなきゃ─── !
「教団への農具、大工道具の貸し出し申請が、増えてる……。こっちには小麦と備蓄食料の融通。測量士の派遣要請……
─── かなり大きな開拓……領主と連携した、造成事業、狙いは……雇用拡大!」
「はい。その通りです。そう導き出した根拠をお聞かせいただけますか?」
「貸し出す器具と、食料、資材の動きが大きい。単なる施しではなく、これはリターンを見込んだ投資。
犯罪者の多くは、
犯罪数は上がっていても、せいぜいがケンカや窃盗の軽微なもの。
受け入れたばかりの、不安定さが原因で、重い犯罪は起こっていない─── !」
ヴァレリー司教は嬉しそうに目を細め、指で丸を作ると、何度も大きく
「素晴らしい。正解ですよラブリンさん。
この事業は開拓を進め、交易路により近い都市へと、道を繋げるものです。
規模も時間もおおきいですが、その分安定した雇用が望めますし、技術者を集める事もできます」
「おお!」
「加えて、領主には教団から、良い条件で資金も貸付けています。
人の流入が大きくなる分、色々と法や制度が必要になりますから、当座の間は教団の組織力も役に立ちます」
「─── そうして、教団が深く都市に浸透していくのですね?」
……剣を振っていた頃は、私にとって剣こそが、答えを教えてくれるものだった。
机上の政など、有象無象の権力者の言葉ひとつで、どうとでもなる答えのないものだった。
それが今はどうだ。
数字はは剣よりも速く、確かな答えを見せてくれる、秩序のある世界ではないか!
「ヴァレリー司教、感謝します……!
『脳筋』などと揶揄されて来た私に、教えるのは大変でしたでしょうに……」
「へ? いやいや、何をおっしゃいますか。私はラブリンさんの覚えが速くて、お教えするのが楽し─── 」
─── その時、廊下から慌ただしく近づく、複数の足音が聞こえて来た
高位聖職者のサンダルと、聖騎士団の鉄履の足音が混じっている。
思わず私は、剣を手元に寄せた。
しかし、ヴァレリー司教はのんびりとした顔のまま、小さく『おやおや、なんでしょうね』と呑気に呟いている。
……足音は明らかにこの部屋へ、向かって来ていると言うのに、何をぽやぽやされているのかこの人は。
だから『たんぽぽ侯』などと、揶揄されるのだ、優秀過ぎるほど優秀だというのに。
─── バァンッ!
「失礼するッ!」
勢い良く扉が開け放たれ、まず飛び込んで来たのは、監査部の数名。
その背後には所属がどこだったか、聖騎士団の数名が入って出口を固める。
そして、その後ろからは……
─── デューイ枢機卿代理とアルマス司教が、貼り付けたような硬い表情に、口元の緩みを隠して現れた
この物々しい状況は何だ? まるで逮捕するかのような、厳重な構えではないか。
「みなさん、どうされました? 定例会議ならまだでしたよね?」
「何を呑気なことを……。ヴァレリー司教、あなた、トニオ司教が何をしでかしたのか、ご存知ないのですか?」
デューイ枢機卿代理が、汚い物を見るような目で、ヴァレリー司教を見下ろしている。
……どうしてこう、この男は演技がかった表情ばかりするのか、虫酸が走るな……。
「トニオ司教が……ですか? 彼なら先日、タッセルから報告書と文を送って来たばかりですが」
「彼には奴隷商からの献金を受け、獣人奴隷の流通に便宜を図っていたと、嫌疑がかけられているのですよヴァレリー司教」
いつもなら、オドオドと彼に話しかけるアルマス司教が、嫌に早口でスラスラとしゃべっている。
……この感じ、異端者の取り締まりでよく見たな。
何か腹に隠してる顔だ。
「彼が奴隷商と? いやあ、信じられないなぁ。それで私の所へ、皆さんで来られたと」
「よくもまあ、そう呑気に構えておられますな……。タッセルの担当は、貴方にも任命責任がおありでしょう?
トニオ司教を推薦し、後ろ盾となると言ったのは、貴方ご自身ではありませんか」
「はあ、そうです。獣人奴隷の売買は、タッセルでは合法ですが、教団では禁じていますからね。
本当に彼がそうしていたのなら、これは問題ですね……」
アルマス司教は『言質とったぞ』と言った具合に、ニヤリと笑ってデューイ枢機卿代理に振り返る。
私も最近は大分、教団内の権力図が分かって来たからな、大体読めたぞ。
……これ、ヴァレリー司教が、たぶん何かヤバイやつだ。
「トニオ司教はすでに拘束され、査問委員会に掛けられておるのですよ。
証拠は出揃っていると言うのに、否認を続けておられるようで、何とも聖職者らしからぬ往生際の悪さ。
─── 彼を推していたのは貴方だ、責任は逃れられませんぞ?」
アルマス司教がそう言うと、監査部のふたりが机の両脇から、ヴァレリー司教へと近づいた。
手錠こそ無いが、彼らの目はまるで犯罪者をみるようだ。
「査問委員会にご足労願います」
「─── お断りします」
「「「はぁ?」」」
ヴァレリー司教はニコニコとしたまま、しかしハッキリと、出頭を拒否した。
「ヴァレリー司教、事の重大さをご理解しておられないのですか⁉︎」
「理解してますよ。でも、査問に掛けられているのは、今はトニオ司教でしょう。
私には、その任命責任が向けられているだけです。
拘束される話ではありませんし、責任を負うのは、彼の罪が本当だったら、ですよね」
「な、何を……! 貴方はご自身の息の掛かった人物が、今まさに査問に掛けられていると言うのに、何をそんな他人事のような─── !」
ヴァレリー司教は、机の上の書類を両手で示し、にこりと笑った。
「ご覧の通り、今は手が離せませんので。ここで良いなら、お話くらいは聴けますよ?
まずは彼が奴隷商と通じていたという、証拠を見せて頂きたいのですが……」
「ぬ……! 弟子も弟子なら、その師も往生際の悪い……‼︎」
「彼は別に弟子ではありませんし、年上ですよ一回り以上も。
……ああ、ラブリンさん、すみませんが査問委員会から、その証拠とやらの写しを借りて来てはくれませんかね? たぶん、ここにいる誰よりも、貴方の方が速いので。
今一筆したためますので、これを持っていけば話も速いでしょう─── サラサラ」
「へ? あ、は、はい‼︎」
私は走った。
何がなんだか分からないが、査問委員会の査問室に走り、証拠の一部貸し出しを求めた。
もの凄く嫌味を言われたし、廊下を走るなと、子供にするような注意まで受けた。
ただ、彼の書いたメモを見せたら、あっさりと重要な証拠の書類を、まとめて渡してもらえた。
私は走って、執務室に戻る。
「お、お待たせいたしました!
紛失、
「あー、はい。ありがとうございます。
さて……。うん、はいはい。
すみませんラブリンさん、追加で公証管理部からトニオ司教の、ここ二〜三年分に提出された、署名の入った書類をいくつか持って来てください。
こちらのメモを渡せば、向こうで集めてくれますので」
「へ? は、はいっ!」
私は走った。
何がなんだか分からないが、公証管理部へと走り、トニオ司教の署名入り書類を求めた。
やっぱりここでも廊下は走るなと叱られたが、仕方がないだろう!
そしてやはり、彼のメモを見せたら、スムーズに書類が渡された。
私は走って、執務室に戻る。
「はい、ありがとうございます。流石は極光星騎士団第四師団団長、ほんと足速いですね〜」
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……。あ、後は?」
「今はこれで結構です」
「さっきから何をしておられるかッ! 我々は遊びに来ているのではな─── 」
「今確認してますので、お静かに」
柔らかな口調だと言うのに、このピシャリとはねつける感じは、一体何なのだろう。
言葉を
書類はかなりの量だが、ヴァレリー司教はペラペラとめくり、あっと言う間に全てのチェックを終えてしまった。
「はい。分かりました」
「……な、何が?」
「まずこちらをご覧ください」
そう言って、彼は宛先別のトニオ司教の書類を並べて、署名を示した。
「トニオ司教の署名が、何だというのですか」
「お気づきになりませんか? 教団内部用の署名、外部通達用の署名、領主関係との契約署名……その他諸々」
「何を言って……。─── ッ‼︎」
近くにいた監査部の男達の表情が変わった。
その様子に、慌ててデューイ枢機卿代理とアルマス司教の、お汚れコンビも駆け寄って検める。
「トニオ司教には、常々申し上げていたのですよ。我々司教とは、その名前ひとつで信者の皆様に影響を及ぼしますので、勘違いがあってはならないと。
─── 署名は重要ですからね」
「「「…………⁉︎」」」
「だ、だから何を言って……」
「お分かりになりませんか? これは教団内部用の署名、これは取引業者用の署名。
─── 使う先ごとに、署名の文字に変化を加えているのです。あ、もちろん時期も分かるように、法則に乗っ取ってそれぞれ変えてますよ」
「「「─── ッ‼︎」」」
そして、トニオ司教と奴隷商がかわしていたとされる、重要書類の署名を指し示す。
「……おかしいですね。奴隷商との取引の署名は、全て『教団内部用』の署名ですね。
時期は一年半ほど前の形式で書かれています」
「─── そ、そんなもの、何の証拠になると言うのですか!」
「はぁ。奴隷商との密通は問題なんですよね?
では何故、わざわざ教団内部用の署名を使うのです?
それこそ取引時期の証明だって必要なのに、何故、署名を変えてすらいないのでしょう。
司教まで登りつめた彼が、ポカミス? ありえない。
─── この奴隷商の署名が、何者かの偽装である事に、他ならない」
「……偽装の可能性があると。確かにこれは、詳しく調査する必要がありますな」
監査部のひとりが、そう言ってデューイ枢機卿代理に振り返ると、貼り付けたような難しい顔で口元だけ微かに歪ませた。
「そ、そうですな……。しかし、出頭させた奴隷商の証言は、確かにトニオ司教であったと」
「では、ここに連れて来て下さい─── サラサラ」
ヴァレリー司教は再びメモをしたため、こちらによこすと、周りの人間に誰構う事なく仕事を再開する。
部屋には困惑する皆の空気と、ペンを走らせる小気味よい音だけが響いていた─── 。
この状況で、何故彼はこれ程落ち着いていられるのか、私は首を傾げつつメモを握りしめて走り出す。
─── 結局、力の無い私は、出来ることをやっていくしか無いのだから
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