第十三話 折れる心

「─── これはちょっと……問題ですね」


 ソフィアのうめきに、部屋にいた婚約者達と、ローゼンは深く溜息をついた。


「やさしいところとかは、いつものままなの。

……それがちょっと怖いの」


「確かにそうね。抱き着いてみたけど、反応がなかったし、寂しそうに笑ってたわ」


「私はお風呂に突撃したですが、何か『おお』って、ふつうに返されたですよ……」


「「「……ちょっと!」」」


 パーカーの襲撃から二日。

 様子のおかしいアルフォンスについて、六人による緊急会議が開かれていた。

 あの襲撃の様子は、ティフォを通して全員にリアルタイムで伝えられていた事を、彼は知らない。


「ん、やっぱ、様子見しないで、たすけたほーがよかったか……」


「それは違うですね。ダーさんの精神的外傷トラウマが、どこに植えつけられたのか、今のタイミングで知れて良かったですよ。

もし勇者との再戦とかだったら、目も当てられねーのです」


「代わりに……別の問題が出た。

でも、それだって、アル様の超えなきゃいけない、大事な事だと思うわ」


 『殺意』に対する精神的外傷トラウマなら、直接的にアプローチする方法を、ローゼンは知っている。

 ……ただ、問題なのはエリンの挙げた、別の問題である。


─── 己自身がでは無いかと言う、自己肯定感の深い喪失


 何故、それ程までに彼の問題を理解しているのかと言えば、ティフォの能力による『記憶の閲覧』である。

 血液や体液から記憶を読み取れる彼女は、パーカーを殺害した直後のアルフォンスと、バキューム気味に唇を重ねた。


 アルフォンスとアルファードの関係が、どういったものか分かれば、答えはハッキリするはずだが……。

 残念ながら、今のアルフォンスの肉体には、アルファードの記憶は残されていなかった。


 天真爛漫を突き抜けたティフォであっても、普段は他人の記憶を閲覧して、何かしようとする事はない。


─── だが、今回に限っては、そのティフォにも、見過せぬ理由があった


「ラプセルで、こわれかけてた時より、ひどい」


 まだ彼女が触手の塊の『』になったばかりの頃、アルフォンスが精神的に潰れかけた事が何度かあった。

 彼は当時から、年齢の割に問題の処理能力が高く、人に相談する事が少なかった。

 特に大きな問題は、それを理解しようとする余り、相談すると言う発想が抜けてしまう事がある。


 手に余る大きな難問の場合、人はそれが問題ではなく、定められた運命のように捉えてしまう。

 いつでもフタができる事を忘れ、その問題ありきで、世界を進もうとしてしまうものだ。


「そういう時は、他の人の言葉って、聞こえてても聞こえないんですよね……。

どうしたらいいのでしょうか─── 」


「うーん、人の心理そのものは、専門外なのです。こんな時、人間のプロトタイプなら、スペシャリストなのですけど」


「今解決できる事じゃないの。なら、できることだけ、やってくしかないの……でも」


「そうね……。今のアル様に、何かしろと言うのも、難しいわね……」


 はぁ、と全員の溜息が重なった─── 。




 ※ ※ ※




 魔術王国は、その名の通り魔術研究が盛んで、国内に三つも魔術大学があることで有名である。

 そして、もうひとつ有名なのは、急な斜面に建てられた、石積の街並みである。


 大規模な港を開くに適した海に対し、起伏の激しい陸地は、決して街づくりに適しているとは言えない。

 海上貿易で発展するにあたり、商業に適した開発を続けるにつれ、階段状の街が形成されていった。

 そして、石灰の一大産地でもあったローデルハットは、構造物が白い石灰で塗り上げられている。

 日射しが強く、建物内の温度上昇を避けるため、古くからそうされて来た。


─── 『朝日に黄色、夕陽に赤、海に青く染まる、白き魔術の街並』とは、有名な詩である


 魔道具、精霊石、魔導書。

 それらの商店に溢れ、また独自に開発した術式を販売する『魔術屋』があるのは、この国くらいなものであろう。


 いつもなら、そんな国に来たのであれば、アルフォンスは街探索を楽しんでいただろう。

 ……だが、スタルジャの治療をはじめ、それどころではない状況が続いていた。




 ※ 




─── ローデルハットギルド支部


 他と同じく、石灰塗りの石積建築の建物内、その奥にある会議室。

 受付嬢に案内されて、俺達はその扉を開けた。


「おおっ、アルフォンス!」


 立ち上がって出迎えたのは、こども本部長ロジオンと、トップ冒険者のルーカス率いる『カイディア』メンバーのマーウィンとアリスだ。


「久し振りだな! 左手はどうだ……?」


「ああ、ちと後遺症は残ってるが、ローゼンとマドーラ達のお陰でなんとかな」


「おお、人形共も無事だったか! 心配してたんだぜ……今はどこに─── 」


『『ろじおーん』』


「「「籠手こてがしゃべった─── ッ⁉︎」」」


 マドーラ達の状況を説明すると、彼らは驚きながらも、相変わらず元気なふたりの声に胸をで下ろしていた。


「─── そうであったか……。でも、魔界に行けば直せるのじゃろ?

ふむ、これはマドーラとフローラの為にも、早く魔界に行ってやらんとなぁ」


「………………」


 ルーカスの言葉に、胸がドキッと打って、唇が冷たくなるのを感じた。

 なんだろう、そう言うのも薄くて実感が湧かない。


「……どうしたアルフォンス? 顔色が悪いが、まだ具合でも悪いんじゃねえのか。

もしかして、寝れないのか……?」


「…………いや、眠れてはいる。ロジオンは眠れていないのか」


「うん? ああ、いや、何でもない。気にしないでくれ」


 気のせいかロジオンの顔色が悪く、ルーカスも困ったような顔で、彼の方をちらりと見た。


「スタルジャはどうなんだ?」


 何故だろうか、彼女の事を説明しようとした時、喉に何か詰まったような息苦しさに襲われた。

 手には汗が滴る程に滲み、重くなった頭からは、どうにも言葉が出てこない。


 ロジオン達は怪訝けげんそうな顔をしたが、代わりにソフィアが説明を始めると、驚きに変わっていた。


「人が……守護神契約できるのか⁉︎」


「ええ、ただこれはアルくんの、魔王としての特性を利用しているので、誰でもというわけではありません」


「奇跡に波長があるとなぁ。うむ、それなら勇者とその守護神リディにも、手が打てるやも知れんな!」



─── ドクン……ッ



「ハハハッ! 流石はアルフォンス、お前の周りにいる人材は、毎回とんでもねえ話を持って来やがる。こりゃあリベンジも夢じゃねえな」


「ま、まあ。今はあくまで調整中ですからね。準備を整えて、確実に進めて行く時期でしょう」


 ソフィアが、何だか慌てて再戦の話を流そうとしていた。

 ……今、俺はそれにホッとしていた事に気がついてしまった。


─── 何故、ホッとしてる……?

再戦はしなくちゃいけない、なのに俺はビビってる……?


 胃がキリキリと、痛み出した。

 視界の端が、何だか暗くなっていて、狭い所にいる感覚がある。

 胃の不快感だけが、モヤモヤと俺の中に残って、余計に現実感が無くなって行く─── 。


「どの道、魔界に行くのに変わりはないだろ?

奴らが魔界に戻ったのか、人界にうろついてるのか、分かりゃしねえんだ。

─── 魔界で鉢合わせるって可能性も考えてだな……」



─── ドクン、ドクン、ドクン……ッ



 心臓が急に激しく打ちだして、息が小刻みに押し出されてしまう。


「だからこそ、まずはリディ対策を進める事に注力するべきです。

スタちゃんの事も、今急に動かすのは心配ですからね」


「そうだな……。まあ、魔界へ渡る手配は、いつだって大丈夫だ。

なあアルフォンス、お前の事だから、もう闘いのイメージも出来てたりするんじゃねえのか?」



─── ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……



「……? おい、どうしたんだアルフォンス。やっぱり具合悪いんじゃねえのか?

─── そんなんじゃ、再戦どころじゃなくなるぜ?」


「…………その、今アルくんは……」


「頼むぜ『勇者』さんよ! お前に世界が掛かってんだ、しっかりしてくんねえと、オレ達は……」


 何だ?

 ロジオンの声が聞こえなくなって、代わりに誰かの声が響いているような……。


 いや……。これ、俺の声だ─── 。


「─── 出来るわけねえだろッ!

俺はまだ勇者なんかじゃない! 魔王でもないんだ!

無理なんだよ、俺みたいな中途半端な奴にさ、勝手な希望を押し付けないでくれよッ!」


「…………あ、アルく─── 」


─── ドガァッ!


 ロジオンの拳がテーブルに叩きつけられた。


「お前それ、本気で言ってんのかアルフォンス……ッ!」


「ロジオン! 今、アルくんは─── 」


「答えろよ適合者! 今の言葉は本心かって、聞いてんだッ!」


「─── ああ、そうだよ……俺じゃあ無理だ」


 その瞬間、俺の体が後ろに吹き飛ばされ、椅子が粉々に散らばる。


─── ロジオンの拳が、俺の頰を殴りつけた


「馬鹿野郎ッ! 世界はどうなるッ!

魔界はッ、お前の家族はどうなるッ!」


「うるせえッ! 俺には家族の記憶なんかねえんだよ!

ずっと俺はど田舎で暮らしてたんだ、今更世界を救えって言われたって、実感湧かねえよ!

─── 適合者にだって、なりたくてなったわけじゃ……」


 ロジオンの拳が、もう一度俺を殴り飛ばした。

 頭に来て立ち上がると、俺の前にティフォと赤豹姉妹が立って、ロジオンをにらんでいる。


「よく分かったよアルフォンス……。

お前に世界が救えなくたって、オレは文句は言わねえよ。尻まくったって構わねえ……。

─── でもな、お前のために命張った奴らはよ、今のお前の顔見て悲しむだろうぜ」


「…………」


「─── オレはひとりででも、イロリナを救う。勇者の野郎は、オレが刺し違えてでも殺してやる。

…………じゃあな、アルフォンス」


 ロジオンは真っ赤に充血した眼を、怒りから哀しみに変え、部屋を出て行った。

 静まり返った部屋、廊下に消えて行く、ロジオンの足音─── 。


(…………分かってるよそんな事。分かってんだよ……)


 自分が口走ってしまった事が、どんな事かも分かってる。

 でも、せきを切ったように溢れ出した言葉は、きっと俺の本心だ。


 ……皆んなを失望させただろう。

 でも、不思議と後悔が湧く程、心は動かずに、実感の薄い浮遊感しか残ってない。


「─── ルーキー、お前も苦しんでおるのだな」


 ルーカスの声に、体がびくりとした。

 もう誰とも言い争いたくはない。


 でも、責めるような声にも聞こえなかった。

 目を向けると、彼は寂しげに微笑んでいる。


「ロジオンの事、悪く思わんでやってくれ。あやつも必死でな……」


「…………分かってる」


「あやつも今、精神的外傷トラウマに弱り切っておってな─── 。

余裕が無いのだ。許してやってはくれんか?」


精神的外傷トラウマ…………ロジオンもか?」


 確かに顔色は良くなかったが、彼も魔剣で切られていたのだ、その可能性があるのすら忘れてしまっていた。

 

「うむ。あやつからは口止めされておったが、あやつもお前さんも、わしには大事な仲間じゃからな……。

あやつは『暗闇』への恐怖を植え付けられておる。目を閉じただけで、正気を失う程の錯覚に襲われておってな。

─── もう何日も寝ておらんのだ」


「「「─── ⁉︎」」」


 そんな状態ででも、彼は先に進もうとしていると言うのか─── !


 ロジオンの言葉が、悲痛なものだったのだと、その事実を知って理解できてしまった。

 彼の最後の望みを、俺が崩してしまったのだと、胸が掻きむしられるような痛みが走る。


 ……そして、俺の失言でもうひとり傷つけてしまった事に、今更きがついてしまった。


─── ソフィアが青ざめて、自分の腕を抱いていた……


「ごめん……ソフィ。俺……」


 彼女はハッとしたように俺を見上げ、寂しげに微笑んだ。


「アルくんは、ずっと真っ直ぐ過ぎたんですよ……。今は……その後ろで苦しんでしまった気持ちを、素直に出した方がいいんです」


 胸が締め付けられた。


 『適合者にだって、なりたくてなったわけじゃない』


 俺に運命を背負わせたと苦しむ彼女にとって、この言葉がどれだけえぐるものだっただろう。

 そっと俺の腕に手を伸ばし、必死に笑顔を作ろうとする彼女は、それでも俺を癒そうとしてくれていた……。


 今の俺じゃあダメだ。

 今の中途半端な気持ちの俺じゃあ、彼女の傷を埋められる言葉を、紡ぐ資格がない─── 。


「ローゼン、ひとつ頼みがある─── 」


「はいです」

 

 にこりと微笑む彼女は、ポツリと『待ってたです』と呟いた。


 踏み出せ。

 俺が何者なのか、後回しにするのはやめだ。


 ローゼンの後ろには、ティフォとエリン、ユニが俺を見つめている。

 彼女達の心配が、やっと見える程度には、意識がはっきりしてきていた。

 長い夢から醒めたような、現実感がそこにはあった─── 。




 ※ ※ ※




 アルザス帝国領、都市国家ルミエラ市国

─── エル・ラト教団ルミエラ宮殿


 その時、私はヴァレリー司教の手伝いで、執務室の書類整理を手伝う傍ら、彼の布教活動についての講義を受けていた。


 剣だけでは、教団を変える力は作れない。

 若くして司教にまで上り詰めたヴァレリー司教は、天才肌ではあるが、その話は分かりやすく理論的だ。

 のんびりで抜けているようでありながら、彼はキレ者で、意外と人使いが荒い。

 その分、彼の職務の一端に触れる機会も多く、人を動かす事がどう言うものなのか、剣しか触れてこなかった私にも理解が進んでいる。

 

「……ね? その地域は、去年と比べて犯罪率が上がっているでしょう?」


「確かに─── ! で、でも、この辺りは野党狩りを終えた地域では……⁉︎

なぜ、安全になったのに、犯罪件数が上がって……!」


「それは、野党が狩り尽くされてしまったからですよ。悪には悪のルール、縄張りがあったと言うことです、ラブリンさん」


 単に情勢や、教団運営を聞くだけでは分かりにくくても、こうして数字にされているとよく分かる。


「街には手を出さない野党が、他の悪人の防柵になっていた……と⁉︎

いや、しかし、それでは野党狩りが悪手たったと言う事に!」


「ふふ、いいえ。それは必要でした。結局安全が脅かされていれば、交易もままなりませんから、発展も難しくなってしまいます。

……でも、おそらくここは、来年にはより犯罪率が下がっているでしょう。

─── すでに手は打たれているのです」


 ヴァレリー司教はにこにこしながら、私が喋るのを待っているようだった。

 こうして彼は、私に考えることを促す。


 考えろ、考えろ、考えろ─── !


 どうすれば正解か、ここにある書類から、人の流れを見付け出せ!

 ……それくらい出来なければ、私は教団でのし上がるなど不可能じゃないか!


 あいつが自分の道を歩けるようにするには、人を動かせる力を持たなきゃ─── !


「教団への農具、大工道具の貸し出し申請が、増えてる……。こっちには小麦と備蓄食料の融通。測量士の派遣要請……

─── かなり大きな開拓……領主と連携した、造成事業、狙いは……雇用拡大!」


「はい。その通りです。そう導き出した根拠をお聞かせいただけますか?」


「貸し出す器具と、食料、資材の動きが大きい。単なる施しではなく、これはリターンを見込んだ投資。

犯罪者の多くは、困窮こんきゅうから始まる者が多い……。

犯罪数は上がっていても、せいぜいがケンカや窃盗の軽微なもの。

受け入れたばかりの、不安定さが原因で、重い犯罪は起こっていない─── !」


 ヴァレリー司教は嬉しそうに目を細め、指で丸を作ると、何度も大きくうなずいた。


「素晴らしい。正解ですよラブリンさん。

この事業は開拓を進め、交易路により近い都市へと、道を繋げるものです。

規模も時間もおおきいですが、その分安定した雇用が望めますし、技術者を集める事もできます」


「おお!」


「加えて、領主には教団から、良い条件で資金も貸付けています。

人の流入が大きくなる分、色々と法や制度が必要になりますから、当座の間は教団の組織力も役に立ちます」


「─── そうして、教団が深く都市に浸透していくのですね?」


 ……剣を振っていた頃は、私にとって剣こそが、答えを教えてくれるものだった。

 机上の政など、有象無象の権力者の言葉ひとつで、どうとでもなる答えのないものだった。


 それが今はどうだ。

 数字はは剣よりも速く、確かな答えを見せてくれる、秩序のある世界ではないか!


「ヴァレリー司教、感謝します……!

『脳筋』などと揶揄されて来た私に、教えるのは大変でしたでしょうに……」


「へ? いやいや、何をおっしゃいますか。私はラブリンさんの覚えが速くて、お教えするのが楽し─── 」


─── その時、廊下から慌ただしく近づく、複数の足音が聞こえて来た


 高位聖職者のサンダルと、聖騎士団の鉄履の足音が混じっている。

 思わず私は、剣を手元に寄せた。


 しかし、ヴァレリー司教はのんびりとした顔のまま、小さく『おやおや、なんでしょうね』と呑気に呟いている。


 ……足音は明らかにこの部屋へ、向かって来ていると言うのに、何をぽやぽやされているのかこの人は。

 だから『たんぽぽ侯』などと、揶揄されるのだ、優秀過ぎるほど優秀だというのに。


─── バァンッ!


「失礼するッ!」


 勢い良く扉が開け放たれ、まず飛び込んで来たのは、監査部の数名。

 その背後には所属がどこだったか、聖騎士団の数名が入って出口を固める。

 そして、その後ろからは……


─── デューイ枢機卿代理とアルマス司教が、貼り付けたような硬い表情に、口元の緩みを隠して現れた


 この物々しい状況は何だ? まるで逮捕するかのような、厳重な構えではないか。


「みなさん、どうされました? 定例会議ならまだでしたよね?」


「何を呑気なことを……。ヴァレリー司教、あなた、トニオ司教が何をしでかしたのか、ご存知ないのですか?」


 デューイ枢機卿代理が、汚い物を見るような目で、ヴァレリー司教を見下ろしている。

 ……どうしてこう、この男は演技がかった表情ばかりするのか、虫酸が走るな……。


「トニオ司教が……ですか? 彼なら先日、タッセルから報告書と文を送って来たばかりですが」


「彼には奴隷商からの献金を受け、獣人奴隷の流通に便宜を図っていたと、嫌疑がかけられているのですよヴァレリー司教」


 いつもなら、オドオドと彼に話しかけるアルマス司教が、嫌に早口でスラスラとしゃべっている。

 ……この感じ、異端者の取り締まりでよく見たな。

 何か腹に隠してる顔だ。


「彼が奴隷商と? いやあ、信じられないなぁ。それで私の所へ、皆さんで来られたと」


「よくもまあ、そう呑気に構えておられますな……。タッセルの担当は、貴方にも任命責任がおありでしょう?

トニオ司教を推薦し、後ろ盾となると言ったのは、貴方ご自身ではありませんか」


「はあ、そうです。獣人奴隷の売買は、タッセルでは合法ですが、教団では禁じていますからね。

本当に彼がそうしていたのなら、これは問題ですね……」


 アルマス司教は『言質とったぞ』と言った具合に、ニヤリと笑ってデューイ枢機卿代理に振り返る。

 私も最近は大分、教団内の権力図が分かって来たからな、大体読めたぞ。


 ……これ、ヴァレリー司教が、たぶん何かヤバイやつだ。


「トニオ司教はすでに拘束され、査問委員会に掛けられておるのですよ。

証拠は出揃っていると言うのに、否認を続けておられるようで、何とも聖職者らしからぬ往生際の悪さ。

─── 彼を推していたのは貴方だ、責任は逃れられませんぞ?」


 アルマス司教がそう言うと、監査部のふたりが机の両脇から、ヴァレリー司教へと近づいた。

 手錠こそ無いが、彼らの目はまるで犯罪者をみるようだ。


「査問委員会にご足労願います」


「─── お断りします」


「「「はぁ?」」」


 ヴァレリー司教はニコニコとしたまま、しかしハッキリと、出頭を拒否した。


「ヴァレリー司教、事の重大さをご理解しておられないのですか⁉︎」


「理解してますよ。でも、査問に掛けられているのは、今はトニオ司教でしょう。

私には、その任命責任が向けられているだけです。

拘束される話ではありませんし、責任を負うのは、彼の罪が本当だったら、ですよね」


「な、何を……! 貴方はご自身の息の掛かった人物が、今まさに査問に掛けられていると言うのに、何をそんな他人事のような─── !」


 ヴァレリー司教は、机の上の書類を両手で示し、にこりと笑った。


「ご覧の通り、今は手が離せませんので。ここで良いなら、お話くらいは聴けますよ?

まずは彼が奴隷商と通じていたという、証拠を見せて頂きたいのですが……」


「ぬ……! 弟子も弟子なら、その師も往生際の悪い……‼︎」


「彼は別に弟子ではありませんし、年上ですよ一回り以上も。

……ああ、ラブリンさん、すみませんが査問委員会から、その証拠とやらの写しを借りて来てはくれませんかね? たぶん、ここにいる誰よりも、貴方の方が速いので。

今一筆したためますので、これを持っていけば話も速いでしょう─── サラサラ」


「へ? あ、は、はい‼︎」


 私は走った。

 何がなんだか分からないが、査問委員会の査問室に走り、証拠の一部貸し出しを求めた。


 もの凄く嫌味を言われたし、廊下を走るなと、子供にするような注意まで受けた。

 ただ、彼の書いたメモを見せたら、あっさりと重要な証拠の書類を、まとめて渡してもらえた。


 私は走って、執務室に戻る。


「お、お待たせいたしました!

紛失、改竄かいざん隠蔽いんぺいは処断されますので、重々注意するようにと……」


「あー、はい。ありがとうございます。

さて……。うん、はいはい。

すみませんラブリンさん、追加で公証管理部からトニオ司教の、ここ二〜三年分に提出された、署名の入った書類をいくつか持って来てください。

こちらのメモを渡せば、向こうで集めてくれますので」


「へ? は、はいっ!」


 私は走った。

 何がなんだか分からないが、公証管理部へと走り、トニオ司教の署名入り書類を求めた。


 やっぱりここでも廊下は走るなと叱られたが、仕方がないだろう!

 そしてやはり、彼のメモを見せたら、スムーズに書類が渡された。


 私は走って、執務室に戻る。


「はい、ありがとうございます。流石は極光星騎士団第四師団団長、ほんと足速いですね〜」


「ハァッ、ハァッ、ハァッ……。あ、後は?」


「今はこれで結構です」


「さっきから何をしておられるかッ! 我々は遊びに来ているのではな─── 」


「今確認してますので、お静かに」


 柔らかな口調だと言うのに、このピシャリとはねつける感じは、一体何なのだろう。

 言葉をさえぎられたアルマス司教は、顔を真っ赤にしてひるんでいた。


 書類はかなりの量だが、ヴァレリー司教はペラペラとめくり、あっと言う間に全てのチェックを終えてしまった。


「はい。分かりました」


「……な、何が?」


「まずこちらをご覧ください」


 そう言って、彼は宛先別のトニオ司教の書類を並べて、署名を示した。


「トニオ司教の署名が、何だというのですか」


「お気づきになりませんか? 教団内部用の署名、外部通達用の署名、領主関係との契約署名……その他諸々」


「何を言って……。─── ッ‼︎」


 近くにいた監査部の男達の表情が変わった。

 その様子に、慌ててデューイ枢機卿代理とアルマス司教の、お汚れコンビも駆け寄って検める。


「トニオ司教には、常々申し上げていたのですよ。我々司教とは、その名前ひとつで信者の皆様に影響を及ぼしますので、勘違いがあってはならないと。

─── 署名は重要ですからね」


「「「…………⁉︎」」」


「だ、だから何を言って……」


「お分かりになりませんか? これは教団内部用の署名、これは取引業者用の署名。

─── 使う先ごとに、署名の文字に変化を加えているのです。あ、もちろん時期も分かるように、法則に乗っ取ってそれぞれ変えてますよ」


「「「─── ッ‼︎」」」


 そして、トニオ司教と奴隷商がかわしていたとされる、重要書類の署名を指し示す。


「……おかしいですね。奴隷商との取引の署名は、全て『教団内部用』の署名ですね。

時期は一年半ほど前の形式で書かれています」


「─── そ、そんなもの、何の証拠になると言うのですか!」


「はぁ。奴隷商との密通は問題なんですよね?

では何故、わざわざ教団内部用の署名を使うのです?

それこそ取引時期の証明だって必要なのに、何故、署名を変えてすらいないのでしょう。

司教まで登りつめた彼が、ポカミス? ありえない。

─── この奴隷商の署名が、何者かの偽装である事に、他ならない」


「……偽装の可能性があると。確かにこれは、詳しく調査する必要がありますな」


 監査部のひとりが、そう言ってデューイ枢機卿代理に振り返ると、貼り付けたような難しい顔で口元だけ微かに歪ませた。


「そ、そうですな……。しかし、出頭させた奴隷商の証言は、確かにトニオ司教であったと」


「では、ここに連れて来て下さい─── サラサラ」


 ヴァレリー司教は再びメモをしたため、こちらによこすと、周りの人間に誰構う事なく仕事を再開する。

 部屋には困惑する皆の空気と、ペンを走らせる小気味よい音だけが響いていた─── 。


 この状況で、何故彼はこれ程落ち着いていられるのか、私は首を傾げつつメモを握りしめて走り出す。


─── 結局、力の無い私は、出来ることをやっていくしか無いのだから

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