第十話 凱旋

 魔界への旅、勇者との対峙。


 その後ろ盾を、ギルドが受け持つとウィリアムが名言した事で、大樹の大広間には熱い空気が流れていた。


 五人娘達も普段は口にしないけど、心配してくれてたんだな、すごく穏やかな顔で微笑んでいる。

 ウィリアムとルーカスは、二〜三談笑を交わして、また握手を交わしていた。


─── そうして、皆が落ち着いた所で、ウィリアムは皆の方へ向き直った


「アルフォンスの事は、とりあえずはここまでとして……。

マドーラ、フローラ、そして龍人族の者達よ、今後はどうして行くかね?」


『『パパとアレコレ‼︎』』


 即答する魔導人形姉妹に、五人娘がほんのりと殺気立つ。


「あ、アレコレ……?

…………まあつまり、ふたりともアルフォンスに付いて行くと言う意味じゃな?

お前さん方はこの迷宮主じゃて、ふたりが去るとなると、この迷宮も消滅する事になるのう……」


「「「─── っ!」」」


 龍人達の表情が沈む。

 ウィリアムとルーカスも、大きくは表に出さないが、やや顔が硬い。


 この迷宮が消えると言う事は、龍人族の住処が無くなるだけでなく、本部ギルドの大きな収入源がひとつ無くなると言う事でもある。


 収入源とは、単純に迷宮内での拾得物もそうだが、ここで活動をするに際して、武器や道具の需要も生まれているはずだ。

 それはアルカメリアの内需を、大きく支えてもいただろう。


 これだけ巨大な迷宮が、近くに安定してあるというのは、冒険者の育成にはもってこいな環境でもある。

 それだけ、この迷宮が持つ影響力は大きなものだった。


 だが、その言葉にフローラはあっけらかんとした表情で答える。


『それなラ、問題ないヨ。この迷宮を残す方法はいくつもあル。

パパが迎えに来た時、龍人族の皆んなガ、ここに住んでいられるよーニ考えてたもン』


「「「─── 長老‼︎」」」


 へえ、フローラも大したもんだな……。

 ちゃんと自分に関わった相手の事も、考えていたとは、ますます魔導人形の範疇を超えた見所がある。

 製作者とか、イシュタルがどんな人物だったのか、興味が湧いてくるな。


「うむ。流石は魔王イシュタルの娘達じゃな。

それと、私からも龍人族に提案があるんじゃが。

─── こことアルカメリアを、行き来してみてはどうかな?」


「人族の街へ……か」


 エッカルトがそう呟いて、にわかに表情を曇らせた。

 彼らの悲願は、ここに来て達成への不安に、飲まれかけている。

 彼らが隔離されて来た時間は、余りにも長過ぎたのだ……。


 だが、ウィリアムはそんな彼らに、優しく諭すように言葉を続けた。


「お前さんがたは、外の世界への憧れもあるのじゃろう?

いきなり外の世界は厳しかろう、じゃからこの迷宮に隣接しとる、アルカメリアでも少しずつ生活してみたらどうかと言うておる。

ギルドに登録すれば、冒険者として育成もするし、お前さんがたの現金収入にもなろう」


「……お……おお……!」


「「「─── !」」」


「ギルドとしても、屈強な龍人族がこれだけそろって友好関係を築けるとあらば、非常に心強いものじゃ。

こちらも色々と教えるし、こちらにもお前さんがたの知恵や戦い方を教えてもらえれば、お互い得があるってもんじゃしな」


 龍人族は全部で二百名弱、それらを全員保護するとなれば、それなりの出費になるだろう。


 だが、この迷宮を介して協力関係を築ければ、龍人族は外への足がかりと暮らしを、ギルドは龍人族の力と知恵を手に入れられる。

 まさにウィンウィンの関係だ。


「……願っても無い……願っても無い光明だ!

─── 我ら龍人族、龍人境の民は、アルカメリアのギルドに、将来に渡る友好を誓おう」


 エッカルトはウィリアムの手を取り、肩を震わせている。

 それを見守る龍人達も、皆、喜びに涙していた。


「そんじゃあ、話は決まったのう。細かい事はまた本部で話すとしよう。

龍人境の皆も、しっかりと話し合うがいい。今後の大事な話じゃからな。……さて、これにてこの会は一件落着と─── 」


『あ、ちょっと待っテ。実はもうひとつ相談があるノ……』


 フローラがやや俯き加減で、言いにくそうに手を挙げた。




 ※ ※ ※




 迷宮の魔物達の激化が止まって、二日が過ぎた。

 ルーカスさんを見送ってから、ここの安全は死守しようと、トップ冒険者数名で交代しながらオレ達はその帰りを待ってる。


 上の層の奴らの話だと、もうすでに以前の迷宮の生態系に戻ってると言う。


 この黒い扉を隔てて、向こう側があの白いすり鉢状の狂気の世界だと、やっぱり何度見ても実感は沸いてこない。


「ルーカス団長、大丈夫かなぁ……」


「へっ、お前そればっかじゃねえか。ルーカスさんを信じろって、ギルド最強の俺達『カイディア』の団長だぞ?

それにあのルーキー達がついてんだ。その内あっけらかんと帰って来るさ」


 そう返すのも何度目か、アリスはほんのりと笑顔を取り戻すが、やっぱり表情は硬い。

 こいつはルーカスさんに拾われて、娘みたいに育てられたから、無理もないだろう。


 副団長のマーウィンも、落ち着きなく武器の手入ればかりしてる。

 まあ、そう言うオレだって、何度かこの扉の向こうへ飛び込みてえって思ったし。


「でもさスコット。ルーキーとルーカスさんって、どっちが強いのかなぁ……?」


「ば、馬鹿野郎、そんなん、もちろん……」


 ルーカスさんだとは、言えねえよなぁ。

 ルーキー、最初は噂されてたみたいに、ソフィア様の力でのし上がって来た、いけ好かない奴だと思ってた。


 空回り課長マッコイさんの、単なる勘違いだと思ってすらいたもんだ。

 迷宮に入ってから、あいつが連れてるセオドアとか言う元傭兵は馬鹿みたいに強いし、女の子達も全員バケモノじみてた。


 人を集めるのに長けてる、人を垂らし込むのが上手いだけかと思ってたら、素手で地龍殴り殺したり、巨人種をぶん投げたり……もうアホかと思ったさ。

 しかもあの魔術のレベルは、人間業とは思えなかった。


「どっちが強くたって関係ねえよ、ルーカスさんは帰って来る。それだけだ─── 」


 苦し紛れにそう返すと、アリスは『団長のこと本当に好きだよねあんた』と笑いやがった。

 お前に言われたくねえよ!

 そんなやり取りに、マーウィンまでフッと吹き出してる。


 小っ恥ずかしくて、オレはまた扉を眺めるしか無かった。


 今更ながら、迷宮は不思議な所だ。

 ずっと繋がっているようで、他の階層からは音ひとつ伝わっては来ない。

 今もルーカスさん達がどうしてるのか、知りようが無いってのは、余計に不安を駆り立てる。


「ハア……やっぱオレも連れてってもらえば良かったな─── 」


「「─── !」」


「な、なんだよふたりして急に立ち上が……」


 アリスとマーウィンが、目を皿のようにして見いる先、その変化にオレの胸がドキリと高鳴った。

 扉が薄っすらと光って、ドアノブがゆっくりと、回っていた─── !



─── ガチャ……キィィ……



「…………よお、待たせたな」


「「「ルーキー!」」」


「お前無事だったのか! あの白髪の悪魔は⁉︎

ルーカスさんは無事なのか⁉︎」


 マーウィンが早口でまくし立てるのを、ルーキーはバツが悪そうに頭を掻いて呟いた。

 その仕草に一瞬、嫌な予感がして、皆んなたじろぐ。


「ああ、皆んな無事だ。

……ただな、ちょっと大所帯なんだ、ここだとから、歩きながらにしてくれ」


「「「…………⁇」」」


 そう言って、ルーキーが扉から進み出た時だった。

 その後ろを幼児サイズの、暗い灰色の球体関節人形がわらわらついて出て来た。


 皆一様に頭部は芋みたいな簡素な楕円に、民芸品の木彫り人形みたいなぞんざいな顔が彫られているだけ……。

 その異様な不気味さに、思わず道を開けると、そのままルーキーは人形達を引き連れて進んで行ってしまった。

 扉からは、全く同じ人形達が延々と列を作って、まだ後に続いている。



『パパー、ここがパパのお家? 広いねー♪』


「違う。俺の家じゃないし、パパじゃない」


『パパぁ、足疲れたー、結納しよ』


「関係無いし、嘘つくな」



 そんなルーキーの、千切っては投げな返答が、通路の向こうに静かに続いていた。


「い、今……『パパ』って呼ばれてたよね……」


「アリス、気にしたら負けだ。相手は一年でS級昇格の天才だぞ、常識が通用する相手じゃない」


 そうして困惑したまま呆然と、人形行列を見送っていたら、まさかの人物が扉から出て来た。


「おお、出迎えご苦労じゃな! 心配掛けて済まんかったのう♪」


「「「会長ッ⁉︎」」」


「ふふふ。話は後じゃ、後が使えとるからの」


 死んだと目されていたウィリアム会長が、上機嫌な様子で、セオドアとか言う大男と雑談しながら歩いて行ってしまった。

 そして、またしばらく人形が続いた後、そこに現れた人物に、オレ達は思わず駆け寄った。


「「「ルーカスさん‼︎」」」


「おう、待たせたなお前達!

─── だが話は後だ、ほれ前に進め、詰まるぞ」


「こ、この人形達は何なんです⁉︎ そ、それよりお身体は⁉︎」


「まあ、歩きながら話す。いいから前に進まんか」


─── ミシリ……ッ


 ルーカスさんと進み始めた直後、背後から木材の軋む音が響いた。

 振り返って、思わず武器を取ろうとするのを、ルーカスさんにポカリとやられた。


「あれは龍人族、お客さんだ。今後は隣人となる、失礼の無いように」


「りゅ、龍人族ですか……⁉︎」


 見ると龍人は、扉が小さ過ぎたのか、半ば強引に潜り抜けようとしている所だった。


「……くあぁっ、こりゃあまた硬いぞ!」


「痛えっ、鱗が禿げた!」


「この迷宮、龍人に優しくないわ……」


「もう少し先に行ったら、私達の転位魔術でサクッと表に出しますよ?」


「ありがとうございますソフィア様。でも、自分の足で外に出たいのよ。ウフッ、念願の本物の空が見られるのだもの」


 ソフィア様が、見上げるような龍人の女性と、楽しげに話していた。

 いやあ、本当に美人だなぁ〜♪


「え? アルの好物? 肉食べてる時は、とにかく幸せそうにしてるよ。特に龍種」


「ひっ、あ、アルフォンス様って、龍食べちゃうんですか! うう、食文化の違い……。

─── でも、諦めないわ!」


「そ、そうよ! ウチ、アルフォンス様との卵抱きたいし!」


「龍人族って卵生なのね……初めて知ったわ」


 今度はエルフの娘と、獣人族の娘が、龍人女性達と話しながら出て来た。

 龍人女の見てくれはまあ……オレには分からないが、あのルーキーの婚約者だって言うふたりも、とんでもない美少女だ。


 ……くそう、ずるいんだ。

 何だってあんな可愛い娘ばっかり。


「ん、オニイチャが好かれるのは、いい。でも、多いしデカイし、あつくるしい」


「ティフォちゃん、辛辣が過ぎると思うの……」


「な、何ですってこの小娘! きいっ、アタイの方がアルフォンス様の隣に相応しいに決まってるわさ!」


「何を申すか……妾の方が相応しいに決まっておる!」


「アンタは黙ってなさいよ!」


 狭い通路に、龍人女達の言い争いがキンキン響く。

 正直、あの巨体の乱闘に、巻き添え食らったらどうしようかと、後ろが気になって仕方がない。


 結局、ティフォちゃんとか言う、赤髪のおっかない女の子が、力技で大人しくさせたようだ。

 ……どうやったのか、怖くて振り返る事も出来なかったけど。

 それをさっきの美人獣人族の妹の少女は、なんて事ないって様子で眺めては、的確に突っ込みを入れていた。

 あの美少女ふたりも、ルーキーの婚約者だとか言うのだから世も末だ。


「ん、よし。なら後で、嫁の座をかけて、ばとるろわいやる、するか?」


「ティフォちゃん、それは流石にアル様の気持ち置いてけぼりなの……」


「「「やらいでかッ‼︎」」」


 後にアルカメリアで伝説となる『髑髏どくろの嫁候補者死亡遊戯』が開催される事になった。

 ルーキーの五人の婚約者と龍人族の女達、そして何故か『カースト秘書エッラ』と『罠の魔術師レベッカ』まで参加しての超絶バトルは、アルカメリアの冒険者達の語り草となる。

 ……まあ、それはまた別の話。


 にもかくにも、ルーキーはルーカスさんとウィリアム会長を連れて帰り、迷宮の暴走も止めて見せた。


 アルフォンス・ゴールマイン……。


 彼がオレ達に見せる奇跡の数々の、これはただの序章に過ぎなかったのだと、この時は誰もまだ予想すらしていなかった─── 。


 


 ※ ※ ※




─── ドガァ……ンッ!


 外からは迷宮凱旋に沸く、祭りのような賑わいが、本部の五階のこの部屋にまで響いている。

 その中、ロジオンの拳が、机に叩きつけられ、外の騒音を切り裂いた。


「─── 勇者ァ……ッ‼︎」


 部屋には沈黙が流れ、怒りに震えるロジオンの拳から、炎が舞い上がって机を焦がす。

 『炎帝』─── かつて中央諸国にその名を轟かせた、魔法剣士の面影が如実に現れていた。


 その異名はすでに二百年以上前に捨てたらしいが、記憶映像の中でも、祖父と姉さんの掛け合いの中で出ていた。

 確か、勇者に魔公将をけしかけたのを、姉さんに手紙でバラしてしまった人物だ。


─── 今、彼に父さんの記憶から知った真実を、全て聞かせた所だ


 彼は魔王フォーネウスに命を救われた過去があり、その後は一時魔王城近くに暮らしていた程、魔界に強い恩義を抱いているそうだ。


 魔王の孫だと知った途端に、俺の本名『アルファード』を口にして、涙ぐんでいた。

 その名を知っているのは、彼が紛れも無くその時代から生きている事の証明だし、味方である証明だといえよう。


 俺が魔王の孫でありながら、オルネアに選ばれた勇者であると言う点については、流石に困惑していた。

 そして、彼の知り得なかった真実を伝えると、彼は猛烈な怒りに身を震わせていた。


「……勇者ハンネスは、確かに間違えた。だが、その背景には、帝国の強引な政策が大きく関わっているんだ。

単に彼だけを悪とするのも、俺には正しいとは思えない」


「─── クッ! ああ、そうだろうな!

だがな、オレにはそう冷静に考えられる程、魔王フォーネウスに受けた恩義は軽くねえんだ。

それにイロリナが、あのイロリナが……!」


 姉さんとそんなに仲が良かったのか……。

 手紙のやり取りしてたくらいだしな。


「どの道、俺は姉さんを救うし、勇者の暴走は是が非でも止める必要がある。

勇者を憎むなって事じゃない、帝国のキナ臭い流れがあった以上、客観的に全体を見る事を忘れるのは危険だろう」


「…………」


 ……古代の巨城エイシェント・パレスの暴走危機も、魔界に流れるはずのマナが、迷宮に溢れたからだとマドーラは言っていた。

 勇者が魔界に分配しているはずなのに、この変化が起きているという事は、すでに何かが始まってる可能性もある。


 あの記憶にあった過去の出来事もそうだし、今までの歴史を見てもそうだ、こんな時だからこそ忘れちゃいけない事がある─── 。


「─── 何かに眼が集中した時、意図せぬ方向にひっくり返される

それは罠に掛かる獲物も、時代のうねりに翻弄される国家も、その規模に変わりは無い。

どんなに力があっても、どんなに優れていても、簡単に覆される瞬間だ」


「─── !」


 それは相手に悪意があろうがなかろうが、いや、場合にはよっては相手がいなくても、自滅する瞬間でもある。

 ロジオンは目を見開いて、俺を見つめていたが、ふっと表情を緩めて苦笑した。


「フォーネウスに……いや、オリアルにそっくりだなアルファード。

彼らもそんな風に、驚く程冷静に大局を見ている事があったよ……。アルファード、いや殿下とお呼びした方がいいのか。

─── ご無事で何よりです、クヌルギアの希望よ」


「……アルフォンスでいい。今はただの冒険者でしかないしな。

正直、王族だの何だのって、実感がこれっぽっちも湧いてないんだ。それに爺さんの友人に敬語を使われるってのも、何だかムズムズする」


 そう返せば、彼はキョトンとして、笑い出した。


「ハハハ! 紛れも無くクヌルギア王家の跡取りだよ!

よし、分かったぜアルフォンス、オレは全面的にお前の力になる。

エルネアはハンネスを選んだが、オルネアはお前を選んだ─── 」


 ロジオンは燃えるような熱い目で、俺とソフィアを交互に見つめ、白い歯をギラリと見せた。


「このブッ壊れちまったバランスに、世界の調律は、お前を選んだって事だなアルフォンス!

ならば答えはひとつだ……。お前がハンネスの首を獲れ!

このロジオン、燃えカスになっても、その背中を押してやる」


 そうして、彼を中心とした、勇者打倒へのギルドの方針が決定される事となった。

 熱いこども本部長ロジオンは、ささっと大枠での方針を挙げると、俺達に外へ出るようにと言ってきた。


「細けえ話は後だ。今はやるべき事があるだろ? 英雄が迷宮から凱旋したんだ、部屋に籠ってたんじゃ、示しがつかねえ」


「うむ、もう下では気の早い者達が祝杯を上げておる。先に行って来い、アルカメリア挙げての祝宴じゃて、大いに羽を伸ばすとよい」


 すでにギルドは祝宴に向けての手配と、潤沢な資金を回していたらしい。

 俺達が外に出ると、待ち切れずに集まっていた冒険者達が押し寄せ、熱狂が更に増して行った─── 。




 ※ 




 もう夜中も過ぎた頃だろうか、屋外で開かれた祝宴も、だいぶ人が居なくなっていた。


 俺のいたテーブルではロジオンが酔い潰れ、会長とルーカスがへべれけで、赤豹姉妹とアケル獣人族の未来について語っている。

 乱れに乱れた宴会だったが、今はもう静かな呑みに変わっていた。


─── そんな中、俺はティフォに呼ばれ、本部の屋上へと足を運んでいた


 彼女は珍しくウキウキした様子で、階段を登る時から表情が豊かだった(多分、他の奴が見てもただのジト目だが)。


 屋上から見る夜空は、より星々が近く感じられて、その壮大さに圧倒される。


 今は数年に一度の、月が近づく周期『ネイの福音』と呼ばれる時期だ。

 光の神ラミリアと対を成す『闇の神ネイ』が、休息と安静を人々に与え、闇に属する存在を祝福すると古くから伝えられている。


 浮かぶ月は、まだ満月には達していないが、ふた周りは大きいであろう月は、明るく屋上を照らし出していた。


「月、すごくデカイなぁ。里にいた時も感心したもんだけど。

─── そう言えば、ティフォと眺めるのは、これが初めてだな」


 見上げていた視線を戻すと、彼女は大きな月を背に、目を伏せてもじもじしている。

 銀色に輝く光が、燃えるような紅い髪の際を照らして、彼女の周りだけ切り離されたように浮かび上がっていた。


「どうしたティフォ……?」


「ん、やっと、あつまったの」


 んん? そう言えば迷宮に入る前、ロジオンに古代紅鱗龍を倒せる事を珍しく売り込んでた時、そんなような事言ってた気がする。


「もしかして『もう少し』って言ってたやつか?」


「うん─── 」


 そう言って彼女はポシェットから、黒く艶やかな球体を取り出して見せた。


「それ……魔石を固めたやつだよな?」


「そ、純粋な魔力のかたまり。たくさん、あつまった」


 そう言えばティフォは、何かしらせっせと魔石だとか、魔晶石を集めてた。

 アケル辺りからかな、随分とマメに取り組んでるとは思っていたけど……。


「オニイチャ、いつもティフォに、魔力くれてる。それに、オニイチャは、誰かとなかよくなると、魔力をくばってる」


「─── へ?」


「さいしょはね、守ろーとしてるのかと、思ってた。けど、ちがう。オニイチャはまおー。

魔界に魔力をくばる人。

だから、ソフィアもタージャも、エリンもユニも。んーん、今までかかわって来た人たちに、いつもわけてた」


「……俺が? 俺が今まで、みんなに魔力を配ってたのか⁉︎」


「そう」


 魔王には魔界に、膨大なマナから変換した、魔力を配る存在だ。

 魔に連なる者とも近く、魔物とも意思疎通が出来るってのは、ついこの間分かった事。


 ティフォには触手時代からずっと、魔力を吸われてたらしいし、その魔王の能力の片鱗で触手ティフォの考えてる事が分かってたのだと気がついたばかりだ。


 もしかしたら、ティフォに魔力を与えていたのも、その能力だったのだろうか……?

 自覚は無かったけど、どうやら俺は今まで、周りにいる存在にも魔力を与えていたらしい。


「里を出てから、オニイチャは色んな人を助けて、色んな人に力をあたえてたの。時々ね、あげすぎてるくらい。

……でも、ここは魔界じゃない、オニイチャは変換した魔力じゃなくて、じまえの魔力くばってる。

だから、あたしは自分でもまかなおーとした」


「…………それで、魔石を集めてたのか」


「うん。オニイチャにも、魔力はひつよー。

これから、おーきな闘いが、たぶん起こるから、少しでも多いほーが、いい。

─── それに、あたしも、もう少しでほんとーの力が出せる」


 大きな闘い、ティフォの予言めいた言葉を、俺は何故か極当たり前の事のように聞いていた。

 俺の女神ふたりの予言は、よく当たる。

 それなのに、自分でも不思議なくらいに静まり返った心で、その言葉を受け入れていた。


 そして、ティフォの本当の力。


 最初に人型になった時もそんな事を言ってたけど、まだ強くなるんか……。

 いや、取り戻すってだけなんだけども。


「ねえ、オニイチャ─── 」


 そんな考えに気持ちを向けていたら、彼女の声が近くで響いて、胸が高鳴った。

 

 ティフォは魔力の球を、自分の口元に近づけながら、こちらに向かって歩いて来る。

 月の光にぼんやりと輝いた顔は、頰がほんのりと上気しいて、はにかんだような妖艶な微笑みが胸に迫る。



─── オニイチャに魔力、たくさんあげるね



 黒く小さな魔石が、開かれた艶やかな唇に触れ、口中へと転がり込む。

 歯に当たる微かな音が、彼女の中を連想させて、恐ろしく甘美な響きに聞こえた。


 そうして、口の中で転がしながら、すうっと浮かび上がり、俺の首に白く細い腕を回す。


 長いまつ毛、潤いを湛えた紅い瞳、顔が近づいて目元ばかりになると、普段の印象よりも遥かに大人びて感じられた─── 。


─── いかん、いつもこうやって、呑まれてちゃダメだ……!


 彼女の唇が近づく寸でのところで、俺は気を取り直して、彼女を抱きしめた。

 肩に乗る彼女の頭が、戸惑うように揺れる。


「ん……オニイチャ、どして─── ?」


「俺さ、自分の運命を知っただろ? 

それまでは、もし理不尽な運命だったら、皆んなを巻き込みたくないって思ってた」


「……うん、しってる。オニイチャ、やさしーから……」


「方星宮で全部を知って、確かに一筋縄じゃない運命だったけどさ……。

それでも尚、俺はティフォと一緒に居たいって思ってる」


「…………うん」


「だからもう俺、関係が深くなるのに、戸惑ったりしないって決めたんだ」


 少しだけ顔を離して、彼女の顔が視界に収まる距離で、真っ直ぐに見つめる。

 潤んだ目を大きく開いて、真っ赤になってるのが、普段のジト目の無表情とは違っていて新鮮に感じた。


「……前の時も思ったんだけどさ、これ、口移しで渡す必要ないよな?」


「─── ‼︎ そ、そ、そそ、そんなコト、ないよ?」


 ああ、目が泳ぐって言うか、激しくダンシングだなこりゃ。

 それがまた可愛くて、思わず吹き出すと、ティフォは『むぅ』と少しむくれた。


 その唇に指を伸ばして当てると、彼女は二〜三目を瞬かせ、おもむろに咥えた。

 指を包む粘膜の温かさに、思わず身震いしそうになる。


 彼女の口中で、指先に戸惑うように舌が触れ、魔石の球を渡して来た。


「─── ちゅぽ……。ん、なんで……?」


「こんなの入ってたら邪魔だろ……」


 言葉の意味に気づかず、小首を傾げた彼女の頰に手を添えて─── 、



─── 俺は唇を重ねた



 『ん』とわずかに戸惑うような声を漏らして、でもそれがすぐに甘い呻きに変わる。


 情熱─── 。


 初めてティフォと口づけを交わした時、あれは空気すら熱せられるような情熱があった。


 そして、今もその熱い感情の波が、彼女の奥深くからせり上がってくるのを、抱き締めるその背中に感じる。

 直後、彼女の唇が激しく俺を求めるのを、真っ向から受け止め、ただただふたりだけになった─── 。


「…………ん、アルがこんなに、情熱的なの……はじめて……」


「うん? ダメだったか?」


「だ、ダメじゃ……ない」


「……今、初めて俺の事、アルって呼んだ」


 そう問うと、ティフォは恥ずかしそうに顔を伏せて、俺の胸元を指でいじる。

 普段はどストレートな彼女だけど、もしかしたら恥ずかしさを紛らわすためだったのかな。


 自分から思い切って行動してみて、そんな風にも思えた。


「だって、今はちょっと……オニイチャって、呼びにくい……」


「はは……確かにそうだよな、ちと問題があるよなぁ。はぁ、うん、照れるのも可愛いなぁティフォは」


「─── ッ!」


「ほら、やっぱり可愛い」


「ん、うー! もうっ!」


 顔を真っ赤にして、ティフォは俺の手から魔石球を奪うと、口に放り込んだ。


─── かぽっ、ごくん……


 一瞬、衝撃波のようなものが、ティフォから突き上げた。


 その直後、炎を模したような、膨大な神気と魔力が具現化して漂い、彼女の身を包んで行く。

 黒の混じった紅い光の中で、彼女の体にみるみる変化が訪れる。


─── シュウゥゥゥ……


 そうして一瞬の内に、目の前には燃えるような赤髪を胸元に流した、絶世の美女へと変貌を遂げていた。

 これで三度目か、ティフォの大人の姿だ。


「な、なな、何で……?」


「ふぅ……アルが悪いんじゃぞ……。

おぼこいクセに、急に妾を挑発しよって……」


 まつ毛の長い切れ長の眼、その奥に妖艶に光る紅い瞳。

 それに射抜かれた途端に、俺の呼吸がぐんぐん熱く熱を帯びて行く。


 まるで【魅了テンダーション】の魔術を、息する度にねじり込まれたように。


「お、俺は……その─── 」


 うん、正直に言おう。

 恥じらうティフォがあんまり可愛くて、ちょっと調子に乗りかけてた。


 忘れちゃいけねえ、俺は恋愛弱者だったんだ……。

 途端に体を緊張が支配して、唾を飲むのでさえも、やり方を忘れたみたいだ。


 それを見抜かれたのか、紅く蠱惑的こわくてきな唇が、悪戯っぽく歪んだ。


「……ふふ、覚悟は出来たと、言っておったではないか婿殿?」


「む、婿殿⁉︎ あ、うん、そうなんだけど、やっぱりいつもと姿が違うと……大人過ぎて刺激が……はうっ」


 思わず目をそらした俺の頰に、白い手が添えられ、強引に目を合わせられた。


「大人……? フフフ、お互いにもう大人であろう」


「そ、そうなんだけど─── 」



─── ちゅっ、はむ……!



 今度は俺が唇を奪われる番だった……。

 勢いに圧倒されて、思わず後退るのを、首に抱きつかれたまま拿捕だほされる。

 その激しさに、体がピクンとなってしまうのを抑えるくらいしか、抵抗出来る余地は無かった。


─── からん……


「……ん? んん?」


 下の歯に当たる硬い感触、舌で口に小さな丸い何かを押し込まれた。

 驚いて離れようとするのも、両腕で首をホールドされ、成す術なくそのまま求められる。


 と、口の中に入って来たものが、ドクンと脈打って、興奮で鈍った俺でもようやくこれが何なのか気がついた。

 これ、魔石球だな……?


─── 直後、俺の体の中に、膨大な魔力と魔物達の記憶が駆け巡る


 俺の中にある魔力の器に、怒涛の勢いで流れ込む魔力も、俺の体は貪欲に吸い上げて行く。

 クヌルギアの鍵を得たせいか、俺の魔力の許容量が大きくなっていたのだろう。


 そうして初めて気がついた。


─── 確かに俺は、色んな所へ魔力を配っていたらしい


 突き上げる魔力の渦の中、心通わせた皆んなと繋がっている感覚が、わずかに掴める。

 ……やがて魔石球の魔力をすっかり吸収し切った時、ティフォの唇から解放された。


「ふぅ、お返しじゃ─── 」


「……たく、強引なんだよ、もう……」


 完全に立場を逆転されて、今はティフォの顔を見る事が出来ない。

 俺の呟きにくすくすと笑って、彼女は俺の耳元に顔を寄せる。


「妾は、負けず嫌いでな」


「……知ってる」


「フフフ……己を知られている事が、斯様かようにも胸ときめくものだとは、知らなんだ。

時に婿殿よ─── 」


「ん?」


 少し恥ずかしそうに、でも悪戯っぽい声で、彼女は囁いた。



─── 小さい妾と、大きい妾、どっちが好みじゃ……?



 やっぱり【魅了テンダーション】使ってんじゃなかろうか。

 いちいち言葉にドキッとさせられる。


「んー、どっちも何も、それがティフォだろ。普段は可愛らしくて……今はすごく……綺麗だ」


「─── くふぅ〜ッ♡」


「…………笑うなよ。余計恥ずかしくなんだろ」


 抱きついたまま、のたうつ彼女の胸が、グイグイ押し当てられる。

 あかん、頭がボーっとして来た……!


「ハア……そう言う所も含めて、婿殿じゃなぁ」


 そう言って彼女は体を離し、俺の手を取って隣に立つと、月を見上げた。

 ぼんやりと月明かりに輝く彼女の横顔に、思わず見惚れてしまう。


 そうして一緒に月を眺めている内に、彼女の体はいつもの大きさへと戻って行った。


 何だか月明かりの下で、夢でも見ているような感覚だ。

 これも『ネイの祝福』が起こした、闇に連なる者への奇跡だったりして……そんな事を思っていた。


 繋いだ彼女の手の温かさに、これだけは現実なのだと、妙に安心させられる。

 大人か少女か、その不確かな存在が、自分にとって掛け替えのない存在なのだと切なくすら思えた。


─── 屋上で眺める月は、普段よりも大きいせいか、いつまでも胸に迫る美しさがあった


 ふたりで、そうしていつまでも、月の確かな光に目を奪われていた。

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