第十一話 ロジオン

 薄暗い地下空間で、風の魔術を纏った矢が、一斉に放たれる。

 薄緑色の光をいて、彗星の如く降り注ぐ矢は、唐突に吹き荒れた紅蓮の炎に掻き消された。


 その直後、猛烈な熱量を帯びた光線が放たれ、弓を構えていた冒険者達が、紙切れのように吹き飛ばされる。


─── グルルルゥ……


 紅い鱗に覆われた頰が上がり、金色の目が眩そうに細められ、ブレスの余韻に光の波紋をなびかせて喉を鳴らす。


 古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴンの圧倒的な覇気に、その音だけで冒険者達は、身を硬く強張らせた。


─── ジャリリ……ッ!


 突如、赤龍の背に激しい火花と、鉄片を擦り合わせるような音が木霊した。

 A級冒険者スコット、そのルーカスに鍛え上げられた彼の刃を持ってしても、赤龍の鱗を切り裂く事敵わず。

 その一撃に、こそばゆいと言わんばかりの涼しげな目で、赤龍は背後に首を回す。


 絶望としか形容できぬ、獰猛な視線と交錯した時、落下をしていたスコットの口元が不敵に歪んだ。


「─── 今だマーウィンッ! ぶっ放せッ!」

 

「っああああぁぁぁ─── ッ‼︎」


 赤龍が顔を戻そうとした刹那、その伸び切った脇腹の薄い部分へと、強烈な槍の一撃が放たれる。


─── ジャグ……ッ‼︎


 紅い鱗の欠片が宙を舞い、槍の先が赤龍の厚い皮へと食い込む─── 。


「くッ、浅いか─── ぐうぁッ‼︎」


 赤龍の剛腕が、悪夢のような速度で振り抜かれ、砕けた槍と共にマーウィンの体が放り投げられた。


「マーウィンッ‼︎ くそっ、アリスまだかッ⁉︎」


「…………の鎖で、彼の敵を虜にせよ!

─── 【縛鎖円陣カドウィン・クラム】!」


 その時、詠唱を終えたアリスの、上級拘束魔術が発動し、巨大な魔法陣が赤龍の立つ地面を覆う。

 直後、地面から膨大な数の光の鎖が、擦れ合う鉄の音を曳いて伸び上がり、赤龍の体を雁字搦めにして行く。


「やった! みんな、一気に仕留め─── 」


─── ヒュボ……ッ‼︎


 スコットが言い掛けた瞬間、紅い残像が視界を一閃、好機に踏み込んでいた冒険者達をまとめて吹き飛ばした。

 赤龍の長大な尾による一撃、それは強化魔術の施された上級冒険者達でも、耐える事は不可能だった─── 。


 石床の上に力無く這いつくばる、哀れな冒険者達を見下ろして、赤龍は高らかに咆哮ほうこうを上げる。


『ほラ、みんな甘いよ甘いヨー。連携も、ちぐはグ、強化魔術も中途半端だネ!

そんなんじゃア、子カバさんだっテ、倒せないヨー♪』


 赤龍は腕組みをしながら、甲高い声で反り返って、フンスと鼻息を荒げた。


「いや、多分そこらの古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴンより、遥かに強過ぎではないか? フローラよ」


『ンー? そうだっタ? こんなもんじゃなイ?』


 ルーカスのツッコミに、赤龍は一瞬で白髪の少女の姿に戻り、間延びした声で答える。

 今まで闘っていた赤龍は、魔導人形フローラの特殊能力─── 【擬態】だ。


 白髪の悪魔に擬態していたマドーラと同じく、魔導人形にはその能力が備わっているらしい。


 地に這いつくばる冒険者達の元へは、灰色の魔導人形達がわらわらと駆けつけて、回復魔術をかけだした。

 龍人境から連れて来た人形達も皆、この擬態能力を使う事が出来るから恐ろしい。


 ここはギルド中央本部、地下三階の修練場だ。

 普段は駆け出しの冒険者の講習や、特別講師による実践セミナーなんかで使われているらしい。


─── 今は冒険者達への古代の巨城エイシェント・パレス新階層攻略の、特別訓練が行われていた


 あの古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴンの巣となっていた、第三十一階層から先は、これまで発見されていた階層の難易度とはかけ離れている。


 まずは赤龍を倒せるようにと、フローラが擬態して、模擬戦を行なっていたが……。

 いかんせん彼女の能力が高過ぎて、ご覧の有様だ。


 地下とは思えない、だだっ広い空間のあちこちで、冒険者達は上位の魔物に擬態した人形達と闘いを繰り広げていた。


「しっかし、魔導人形の【擬態】はとんでも無いな。龍種のブレスだの、火炎の防壁まで再現出来るとは……」


『ふふふ、それにマドーラちゃんは、すごくカワイイですしね』


「いや、今のはフローラだろ、マドーラは今関係なくねぇ?」


 ソフィアがニコニコしながら、俺の腕に絡みついてくる。

 見学の冒険者達からは『おお……』とどよめきが上がり、何とも居づらい。

 今日のソフィアは、やけに積極的だ。


「なぁ、頼むからちょっと離れてくれよ……」


『だ〜め♡ こうしてるの〜』


「あのなぁ……」


『ふふふ、あー、温か〜い♡』


 いや、正直嬉しいけど、なんかソフィアらしく無い感じがして戸惑う。

 そんな風に困惑していたら、背後から殺気が漂って来た。


「あの、マドーラちゃん? ……一体、何してるんですか、私に擬態して─── 」


「へ? ソフィがふたり……⁉︎」


『─── チッ! もう、ご本人のとうじょーか! でも、ちょうどいいや、どっちがパパの本妻になれるか、しょうぶだっ!』


「ハッ、望むところです! 魔鋼の延棒にしてリユースして差し上げようじゃないですかッ‼︎」


『じょーとーだっラァッ‼︎』


 修練場の隅で、ソフィアと偽ソフィアの戦いが、突如として始まった。

 道理でソフィアの様子がおかしいとは思ったが、マドーラだったか……。


 今度は冒険者達の困惑に満ちた『おお……』のどよめきが上がる。


「あのソフィアがのう……。以前とは表情が全く違うが、これもお前さんのお陰かの」


 ウィリアム会長がポツリと呟く向こうでは、ひっくり返した石下のワラジ虫でも見るような目で、マドーラを斬り刻みに掛かるソフィアがいる。


「…………まあ、最初からああだったような気もするけどな。俺も初対面で殺されかけたし。

それでも変わったと言うなら、そうなんだろう」


「いやいや、以前ここに来た時は『自分以外の生き物は皆これワラジ虫』みたいな顔で見ておった。自他共に命を軽んじておるようで、心配しておったのじゃがな。

それが、コロコロと表情豊かになったもんじゃて」


 ワラジ虫って所は変わらないのか……。

 ソフィアも俺を探してる時は、かなり殺伐としてたって言うしなぁ。

 表情が豊かになってるってのは、喜ばしい事だよな?


 ウィリアム会長は、修練場を見回してはニコニコと孫を見るような目で、冒険者達の闘いを見守っている。


「……うーむ、全部で魔導人形四百二十二体じゃったか? これは彼女らに投資した額に対して、かなりのリターンが見込めそうじゃな♪」


「リターンねぇ。確かにあいつらの存在は、冒険者育成にはもってこいだとは思うが……」


「いやいや、彼女ら四百余りの戦力に、龍人族二百弱の戦力増強じゃて。帝国も悪さはしづらくなろう─── ?」


 なるほど、単純戦力としてか。

 あいつらの容姿のせいで、あまり荒事に駆り出すイメージが無かった。


「最初にあの群れを見た時は、鳥肌ものだったなぁ」


「ふぉっふぉっ、私は興奮したぞ? 今の人界技術では造れぬ、夢の魔導人形じゃからな!」


 四百体以上もの魔導人形達との初対面は、龍人境で俺の生い立ちとか、龍人族の今後について話した直後だった─── 。




 ※ 




『あ、ちょっと待っテ。実はもうひとつ相談があるノ……』


「なんじゃねフローラ殿?」


『実は他にモ、放って置けない子達ガ、何人かいるノ』


 恐縮した様子のフローラに奥ゆかしさを感じつつ、彼女に連れられて、近くの巨木へと向かった。

 そこは、倉庫として使われていたらしく、樹の幹に造られた巨大な扉の奥に、更に大きな扉が重苦しくそびえていた。


『ここの中にいるヨ♪』


「こんな暗い所にか? しかも外から鍵が掛かっておるではないか……?」


『うん、ちょっとネー。開けテ開けテー☆』


─── ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ……


 城門の如き重苦しい音を立てて、引戸が開けられると、その中には黒い何かがひしめいていた。

 それらは一斉に振り向いて、こちらへと殺到して来る。


『『『ぱぱー♪』』』


「ふんっ!」


─── ズゴオオォォ……ンッ!


 思わず引戸を締めてしまった。

 あれを解き放ったらヤバイ、おそらく俺がヤバイ。


 一瞬の間を置いて、一斉に内側からガリガリと、引戸を引っ掻く音が響き出す。


『あ、パパひどイ! パパの子ヨ、フローラとパパの宝物ヨ⁉︎』


 五人娘達に動揺が走るが、アホの勢いなんかに、俺は怯まないッ‼

「黙れッ! あの凶悪な数は何だ⁉︎ 国家転覆でも企ててたのか⁉︎ この魔導人形テロリストめ!」


『ちがうノ、ちがうノー! あれはネ……』


 マドーラが暴走して取り残されたフローラは、龍人族に温かく迎え入れられながらも、孤独の余りに姉のマドーラを求めた。

 その結果、半ば無意識の内に、せっせと『マドーラ人形』を造っていたらしい。


 その数、実に四百二十二子マドーラだと言う。


『あの子たちモ、大事な家族なノー!』


「その大事な家族、倉庫に閉じ込めてんじゃねーか! 手に余ってたんだろッ⁉︎」


『パパの子ヨ? フローラとパパの子ヨ?』


「つい今しがた、せっせと造ってたって、自分で言ってたよな⁉︎

─── って……ほらそこ、信用しない!」


 五人娘達があわわわしてるのを、取り敢えず鎮めておく。

 ああ、忙しい! 純粋過ぎるのも考え物だこれは!


「つまり、この中には今、フローラ殿と同等な能力を持った者達が、四百以上もいるのじゃな?」


『うン! みんな、強いヨ! すっごいくすぶってるヨ!』


「たち悪いなそれ……」


 引戸を引っ掻く音が段々激しくなって来て、龍人達が怯え始めた頃、ウィリアムはポンと手を叩いた。


「うむ、良かろう! 彼らもギルドで預かろうではないか」


『ほんトッ⁉︎』


「えぇ……。ここから解き放つのかよ……」


 全部マドーラの分身みたいなものかと思うと、非常に気が重い。

 慌てて止めようとしたら、ウィリアムは自分の胸を叩いて、キリっとした表情を見せた。


「アルフォンスよ、お前さんの不安も分かる。よし、ここからは、私が彼らの『パパ』となろう。安心せい!」


「…………(大丈夫かなコレ)」


 ウィリアムは高らかに笑いながら、引戸を開け放し、大手を広げて叫んだ。


「さあおいで、私が『』じゃぞ!」


 ぞんざいな造りの、無表情な顔が一斉にこちらに振り返る。

 そして口元をギギギと言わせて微笑んだ。

 ユニとスタルジャの『ひっ』と言う小さな悲鳴が、この絵面の感想を物語ってる。


『『『ぱぱぁー!』』』


 ウィリアムの脇を華麗にスルーして、津波のように押し寄せた人形どもに、俺は足下を見事にすくわれる。

 気がつけば、あっという間に抱え上げられていた。

 すっごい速いし、すっごい力強い、そんでもって全員の動きは完璧に息が合ってる!


「ウィリアムッ、完ッ全にスルーされてんじゃねえかッ!」


『『『ぱぱぁー!』』』


「ふぉっふぉっ。正直嫉妬するしかないのう……悲しい事じゃて」


「くそっ、ウィリアム! 責任とれ─── 」


 そのまま俺は『ワッショイワッショイ』運ばれて、森の奥に監禁・結納され掛かった所を、ようやくスタルジャに助け出された。


 悪魔人形どもは、スタルジャの雷撃で大人しくはなったものの、いつまた襲われるかと、俺の心が休まる事は無かった─── 。




 ※ 




 区別する為に『子』を付けてはいるが、別に素体の大きさは、マドーラ本人と変わらない。


 材料の問題から、流石に本人程の戦闘力は有していないとは言うが、上位冒険者チームを一体で絶望させている。


「ようやく、私にも懐き始めてくれてのう。飴ちゃんあげると嬉しそうでなぁ。

ふぉっふぉっ、可愛いもんじゃないかね〜」


「……そ、それは、何よりだ(いや、あんた『飴くれるお爺さん』認定なんだぞとは言えない)」


 実際、このまま戦闘訓練を続ければ、迷宮攻略する冒険者達も、近い内には現れるだろう。

 魔導人形達も、倉庫で燻っていた分、今の仕事のある生活を楽しんでいる様子だった。


 龍人族は冒険者達に、魔術の知識と戦い方を教え、冒険者達は敬意と共に彼らに居場所を与えていた。

 ウィリアムの目論見通りに、事は進んでるんだなぁ。

 流石はギルドの会長だと感心してしまう。


 こうして、ギルドの新たな成長と共に、魔界への足掛かりを調整する日々が続いていた─── 。




 ※ ※ ※




「なるほどなぁ。流石は剣聖イングヴェイだな。呪いの解き方に、そんな方法もあんのか。

─── オレに掛けられた呪いには、その方法は無理だろうが……見識は広がるもんだ」


 ロジオンが感慨深げに呟きグラスを煽る。


 彼から話があると誘われ、今は本部からほど近くにある、老舗の料亭で呑んでいた。

 見た目は子供だが、中身は四百歳に届こうかと言う、大人の中の大人だ。


 最初は店に一緒に入るのも、どこか冷や冷やだったが、こうして彼の仕草や表情を見ると納得出来る。


「義父さ……イングヴェイとは、知り合いだったのか?」


「いや、オレは一介の冒険者だったし、剣聖は王宮相手の超VIPだったからな。一度、同じ戦場に立ったぐらいだ。

オレが魔界に行ってた頃は、何度か魔王城に来てたらしいが、直接会った事はねえ」


「何で魔界に居たんだ? その頃も別に魔界と戦争はして無くても、国交は無かったんだろ」


「当時も国交は無かったし、アルザスの政策だろうが、悪い噂ばっか流れてたけどな。

オレはその時、お偉いさんの奥方の依頼でな、薬の材料集めに向かってたんだ。で、ヘマやらかしてしばらく動けなくなった」


「動けなく……? 魔族に捕らえられでもしたのか」


「…………そっか、お前は魔界に居た頃の記憶もねえんだもんな。別にそんな場所じゃねえし、魔族はそんな存在じゃねえ。

むしろオレは魔族に……。

クヌルギアの王族に助けられたんだ」


 ロジオンの目が懐かしそうに細められる。

 そして、彼の口から魔界での過去が語り出された。


「─── あれは魔界に渡って二週間くらいだったか、やっと狙いの魔物を見つけてな……」




 ※ 




 ずんぐりとした角に、白馬の頭と胴体、水掻きを持つ鱗に覆われた六本の脚。

 魔界の湿地に住むエピオルケー、ギルドの前情報ではA級指定の魔物。


 依頼にあった素材の最後のひとつが、そいつの肝だった。


 足跡を追跡してようやく追い詰めたが、雷と猛毒の霧を吐く、とんでもねえ難敵だった。

 あんなもん、湿地なんてアウェーで戦ったら、体感特AもしくはSに数えても良いくらいだ。


 毒の対策は事前に調べて完璧だったが、いかんせん普通の馬の倍はある巨体に、トカゲみてえにすばしっこい。

 湿地に放たれる雷も、かなり厄介だったさ。


 攻めては逃げ、攻めては逃げ、罠も駆使して追いかけて五日目。

 ようやく仕留めたが、俺も深手を負って息も絶え絶えだったんだ─── 。


「─── くそっ、魔力が足りねぇ……血が止まらねえぞ……」


 腹にいいのを食らって、結構な出血量だった。

 連日の魔術の乱発で魔力切れ、回復薬も粗方使い切っちまって、残りカスしかありゃしねえ。


 湿地で濡れたのと出血のせいで、ずんずん体温が下がっちまうわ、血の匂いで魔物が集まってくるわで中々のピンチだ。


 魔界で人知れず散る……なぁんて、冒険者らしくていいやとも思ったが、人間いざ死ぬってなると足掻くもんだ。

 あんまし覚えちゃいねえが、気がついたら魔物の群れを切り抜けて、薬草の群生してる土地まで逃げ延びてブッ倒れた。

 止血と回復、魔力が少しでも溜まりゃあ回復魔術、んで泥のように眠り続けた。


─── 動けるようになったのは、倒れてから三日目の朝だったか


 魔力切れの連続だったせいか、猛烈に腹が減って、腹が減ってクラクラする。

 ……こういう時に限って、魔物は出ても魔獣が出ねえ、死んだら消えちまう魔物じゃあ、喰っても意味がねえ。

 封印保存してた、エピオルケーの肝が手元にあるが、食用には全く向かねえ毒袋だ。

 そもそも封印を解いたら消えちまう。


 湧水とわずかな木の実で繋いで、人里を目指して数日、オレは目を疑った。


「ば……バナナ……⁉︎」


 岩場の続く険しい山の中腹で、たわわに実ったバナナの木を見つけた。

 バナナって言やぁ、人界じゃあ今でも稀少品だが、当時は更に珍しいもんだったんだ。


 魔界は熱帯ってわけじゃねえが、地熱が高い場所が多いお陰で、時折こうして珍しい生態系を目にする。

 ……行きのルートには無かったものだ。

 この局面でこの発見は、オレにとって最高の幸運だった。


 夢中でもぎ取って一口放り込めば、全身の細胞が『もっと寄越せ』と騒ぎ立て、息をする間も忘れて食い散らかしていた。


─── ピョ〜ヒョロロロ……


 情け無い風鳴りのような音が、背後で小さくなっている……。


 ここは魔界、魔物の闊歩する魔境だと、オレは完全に忘れていたのを思い知らされた。

 そっと剣に手を掛け、呼吸を整えながらゆっくりと数え、振り向きざまに一閃 ─── !


「ピャーッ! ピャーッ!」


 それより一瞬速く、けたたましい叫び声と共に、視界が黒く覆われた。

 直後、革の胸当に強烈な衝撃と、鋭く重い何かが食い込む感覚が突き抜け、背後に飛ばされた。


─── ガギッ! ギャリリ……ッ


 何かを吐きかけられた瞬間に、身を縮ませていたのが幸いだった。

 鋭い爪の生えた赤褐色の脚が、剣身の根本に当たり、滑ってハードヒットを免れていた。


 だが、相手も直ぐに追撃に踏み出し、自ら吐いた黒い霧を割って、その顔を突き出した。


 先が黒く幅広な赤褐色のくちばし、大きく丸い黄色の鋭い眼、ずんぐりとした筋肉質な黒い羽毛に覆われた体─── 。


─── 怨讐の怪鳥ディアル・ドードー


 かつて人界の孤島に暮らしていた、警戒心と羽のない、飛べない哀れな鳥。

 船の発達と共に乱獲され、生息地を追われるた先で魔力溜まりに魅了され、魔獣と化した怪物だ。

 一気にその数と、生息域を増やして、復讐するかのように人々の脅威となったヤツだ。


「─── く……そッ‼︎」


 体を斜めにズラして、くちばしの一撃を寸での所でかわすも、猛烈な蹴りを執拗に放って来る。

 目で追えない速さでは無いが、直撃すれば一撃で動きを奪われるであろう、強烈な威力が込められていた。


 剣で払い、蹴りの軌道をズラす事には成功していても、鋼鉄のような脚を両断する事が出来い。

 そして、ずんぐりとしながらも、奴の脚は長い。

 そのリーチの差が、動きの重さを補って余りある、不利な状態を作り上げていた。


─── だが落ち着けば、所詮は鳥……こちらのフェイントに、面白いように引っ掛かる


「らぁッ‼︎」


 大振りの横ぎに、頭を引いて避けた瞬間、踏み締めて伸びた膝を狙って鞘で打ち払う。


「ギャッ! ギャーッ、ギャーッ‼︎」


 バランスを崩して、横向きに倒れ、パニックになるその首へ剣を振り下ろす─── 。



─── その瞬間、奴の眼が怪しく緑色に光った



 それを目にした直後、殴られたような衝撃が走り、視界が大きく揺れる。

 激しく空気の抜けるような音が辺りに響いていた。


「……ぐッ⁉︎ 『怨讐鳥の呪い』か……⁉︎」


 怨讐の怪鳥ディアル・ドードー、魔術を駆使する魔物は数あれど、呪術を使うものは少ない。

 心臓が鼓動する度に視界が揺れ、頭の中に呪文を唱えているような、低い声がざわざわと響き出した。


─── だが、まだ慌てる時間じゃ無い、コイツを仕留めれば呪いは解呪出来る!


 鉛のように重くなる体に、動け動けと全力で命令を押し込み、体制を立て直す前に首を跳ね飛ばして─── !


─── ズル……ッ!


「へ……っ⁉︎」


 突然、自分の足が成すすべなく滑って、上に持ち上がる。


「ば……バナナ……ッ⁉︎」


 自分で食い散らかしたバナナの皮、まさかそんなものに足元をすくわれるとは、思いもしなかった……!

 直後、オレはひとりでバックドロップする形で、後頭部から岩肌に打ち付けられ、意識を手放した。


 意識が飛ぶ直前、オレのブッ倒れる大きな音に驚いて、怨讐の怪鳥ディアル・ドードーが逃げて行くのが確認出来た─── 。




 ※ 




「……目覚めた時、オレは全く動けなくなってるのに気がついた。

自分がどうなってるのかも分からねえ、ただ、腹も減らなきゃ眠くもならねえ、体の感覚すら無かった」


 ソロ冒険者の悲劇だ。

 万が一の事が起きた時、誰も助けてくれないどころか、気付かれずにひとり散って行く。


 ロジオンはその時の事を思い出したのか、ため息混じりに髪をかき上げて、遠い目をした。


「自分が小さな人形にされてるってのに気がついたのは、それから六十年後だ。

それまではただ、空が明るくなったり暗くなったり、晴れたり曇ったり雨が降ったり。

それを見上げ続けるだけの毎日だ。

─── それに怪鳥の呪いのせいかな。オレの中には消えることの無い、怒りの渦みてえなのが、ずっと立ち込めてたんだ」


「…………」


 とんでもない苦行としか言いようが無いな。


 それに不幸な話でもあるのは確かなんだが、バナナの皮でコケる瞬間のイメージのせいか、何ともコメントがしにくい。

 ロジオンはフッと鼻で笑いながら『ゴミのポイ捨てはいけねえ、わかるな?』と、妙にキマった顔で見上げて来るのには困った。

 少し鼻水を噴いた程度で、事無きを得る。


「運が良かったと言えば、上を向いて倒れてたって所だな。景色の変化が見られるってだけで、心までブッ壊れるのを免れたし……」


─── 姫さんに見つけてもらえたからな




 ※ 




 もう自分がここにどれだけ居たのかも忘れ、時々自分の名前すら怪しくなって来てたある日、突然視界を影が覆った。

 雲ひとつない真っ青な空に、時鳥の声が響いている、のん気な日の事だ。


 紅い瞳の眼を大きく開いて、オレを真っ直ぐに見下ろす黒髪の顔。

 年は十歳ってところか、ずいぶんと可愛らしい顔をしたお嬢ちゃんだった。


「わっ、何このお人形、すっごく可愛い!」


「どうしたんじゃイロリナよ。何を見つけた」


 倒れて以来、人を見かけたのは初めての事だったし、オレはそれが現実なのか妄想なのか混乱していた。

 小動物だの、虫だのが視界に入って来たのは何度かあったが、こうして覗き込まれた事すら無かったんだ。


 オレはその小さな女の子に拾い上げられ、突き出された先には、魔族の老人の顔があった。


 長く白い髪と髭、紅い瞳に、紫水晶のような質の強大な角を生やしている。

 魔族の事はよく知らないが、着ている服は相当に質の高い物だと分かった。


「んん? これはただの人形ではないな、何らかの呪物……いや、呪いにかけられた何か……」


「のん気な感じのカエルさんだねー♪ 寝っ転がって脚組んでる〜あははっ!」


「……全く話を聞いておらんのう」


「ね、おじーちゃん! これわたしの宝物にするー♪」


「……うーむ。まあ、危険な物でも無さそうじゃ、イロリナの好きにするがええ」


 そうしてオレは、言葉ひとつ交わす事もないまま、イロリナと呼ばれた少女の家に連れ去られて行った。


─── 人生ってのは、数奇な運命が転がってるもんだ


 まさかその少女が、魔界の王の孫娘イロリナ内親王殿下で、あの優しげな老人が魔王フォーネウスその人だとは……。


 魔界に渡って来て、いくつかの魔族の村に寄った事はあったし、魔族が噂に聞いていたような獰猛な種族ではないとは分かってはいた。


─── だが、魔王だ


 強力な魔族を統率し、全ての魔物を従える、魔に連なる者共の頂点。

 オレはいつ恐ろしい光景を目にしてもいいように、心の準備だけは欠かさずに置こうと、腹をくくっていた。

 ……でも、そんな事は無意味だとすぐに気がつく。


 初めての孫であるイロリナに甘々な魔王、魔王後継者でありながら下々の者達にまで丁寧に接するオリアル王太子、時に厳しく暴力的でありながら愛に溢れるエルヴィラ王太子妃。

 ……そして、そんな王族を崇拝しつつも、親しげに接する魔王城の者達。


 何もかもが噂と違い、かえって人界の王の方が冷血に思える程の、優しい日々。




 ※ 




「そんな生活が、二年も続いた頃だった、気がついたんだよ。オレの中にある呪い、そいつが生み出す『怒り』みてえなのが薄れて来たのは」


 まるで実家の幸せな日々を思い返すような、和らいだ表情を浮かべ、ロジオンはグラスを傾けた。


「穏やかな生活で、呪いが中和されたのか」


「多分な。笑い声ひとつ上げられなかったが、笑いの絶えない日々だったぜ。

─── まさか魔界であんなに温かな家族愛を目にするとは思わなかった。まして親に捨てられたオレからすりゃあな」


 父さんの記憶の中でも、そんな温かな雰囲気はあった。

 その温かさを感じられたロジオンを、ちょっとうらやましいと思ってしまう。


「……すまねえ。お前にはあの家族の記憶がねえんだもんな。

でも、お前の祖父も両親も姉ちゃんも、みんな良い人だった。それはオレが保証する。誇りに思え」


「いや、構わない。両親とは逢えたし、姉さんにだって、間も無く逢える。俺の家族はこれからだからな」


「フッ、そん時はオレも呼んでくれよ? まだ恩返しのひとつも出来てねえんだ。

特に姫さんには、オレの一生を捧げてもいいってくらいの恩がある」


─── オレの呪いの一部を、肩代わりしてくれたのは、姫さんだったんだよ

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