第八話 初めての中級魔術

 『古代の巨城エイシェント・パレス』地下第三十一階層、暗闇に浮かぶ白いすり鉢状の大地に積み上げられた、古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴンの骸の山。


 紅い鱗の体から流れた、血液が白い大地を染め、今尚その輪郭を拡げている。


─── その骸の山を、ゆっくりと歩いて下りる、白髪の悪魔の姿


 腰元まで伸ばした白い髪、胸元まで下がる白い髭、黒い衣類に金の鱗があしらわれた胸当と脛当すねあて、その上に羽織った黒い外套。

 煌々こうこうと光る妖しげな紅い瞳は、妖艶ようえんな笑みをたたえ、額の両脇からは大きく後ろに向かって曲がった紫水晶の角が伸びていた。


 紅い絨毯の敷かれた、階段さながらに、悪魔はゆっくりと優雅にそれを踏みしめて下りて来る。



─── あんた、俺のじいちゃん……じゃあねえよなぁ?



 思わずそう口走っていた。


 何故ならこの姿、そして目元の雰囲気は、父さんの記憶に見た祖父フォーネウスと酷似していたのだから。


 ただ、目の前の人物の角の形状は、大きく後ろに巻かれているのに対し、祖父の角は螺旋を描いて上に伸びる形状だったはずだ。

 同じ白髪だが、分け目も祖父は真ん中、目の前の男は六四に分けている。


 髭の形も、記憶の祖父より大分こぎれい……いや、気取った雰囲気があった。

 祖父と良く似ているが別人だろう、しかし、これだけは確かだ─── 。


「─── 魔王……か?」


 悪魔は答える代わりに、古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴンの血を霧状にして両手に集めると、黒い刃の直剣を二振り創り出した。

 さっきの一撃が効いている様子は、全くない。


 角が怪しくきらめいた瞬間、悪魔の体に膨大な魔力が突き抜けるのが感じられた。


─── さっきから、武器達が、鎧が、警告をガンガン伝えて来る


 アハトと同等、いやそれを遥かに凌駕する力をこいつは持っている。

 全身に粟立つ肌がそれを伝えていた。


─── ニィィ……


 口元を大きく歪めて、悪魔がわらった刹那せつな、黒い火球が空間を埋めるように現れ、一挙に押し寄せた!


─── 【斬る】‼︎


 回避も対抗魔術も間に合わない、黒炎をその術式ごと斬り伏せ、全力の突きに闘気と雷撃の魔術を乗せて撃つ。

 術式を失った魔術が黒い霧となって、宙に霧散する中、赤紫に瞬く斬撃が悪魔を捕らえる。


─── シャリ……ィィン……


 双剣の剣先で優しくでるように、斬撃を払い上げ、そのまま回転しながら斬り上げが来る。

 これは誘い─── こいつの狙いは……!


 下から迫る二条の斬撃と、それに隠れて俺の頭上から黒い稲妻が、真っ直ぐに降り掛かる。


─── 【針雷ニード・スンデル】!


 夜切で斬撃を流しながら、より魔力を乗せた雷撃で、悪魔の雷撃魔術を飲み込んで誘雷。

 俺の急所コースを外し、大きく振り上げられた黒刀へと、雷撃を落とす。


『─── ウグ……ォォッ⁉︎』


 悪魔の呻き声に有効打を確信した瞬間、斜め上に振り抜かれていた黒剣の柄の先が、魔力を乗せた一撃となって俺の胸元へと打ち込まれた。

 脳が揺れる衝撃と共に、後ろへ大きく吹き飛ばされ、地面を滑る鎧の接地面から火花が散る。

 この鎧じゃ無ければ、胸から上が吹き飛んでいただろう、思わずゾッとした。


 しかし、相手は本気で殺しに来ている。


 未だ背中で滑る俺の上空へと舞い上がり、両手の黒剣を、剣舞するように連続で振り抜いた。

 その度に青白い冷気を帯びた斬撃が、矢のように降り注ぐ。


 氷系の魔術か? 対抗魔術で防御……いや、うなじの辺りにチリチリと嫌な予感が走っていた。

 これは修行時代に、何度も味わったから知っている。


─── 死ぬ予感ってやつだ……!


 即座に夜切から魔斧ケーリュニヴルに持ち替えて、渾身の力で地面に一撃を加えた。

 魔斧が俺のリミッターを外し、全身の骨格をきしませながら、その衝撃で俺の体は吹き飛ばされた。


 さっきまで俺のいた場所に、悪魔の斬撃が着弾すると、周辺の水分を瞬時に凍らせて氷山が立って行く。


─── あっぶねぇ! 冷凍魔術かよ!


 少しでも触れていたら、そこから一気に氷漬けにされてる所だった……。


 魔斧がガンガン破壊衝動を訴えてくるのを、夜想弓セルフィエスに持ち替え、悪魔との距離を測る。

 今の手持ちの武器では、この魔弓しか届かない、魔術を練ろうものなら直ぐに反撃に出られるだろう。


 悪魔の魔術から生じた冷気が、霧を呼び起こして辺りを包み込む。

 視界が悪くなるのは心細いが、相手の馬鹿でかい魔力は筒抜けだ。

 慰め程度に隠蔽いんぺいの魔術を発動させ、霧の中に身を潜めた。


 と、その時、悪魔の様子がおかしい事に気がついた。


─── 追撃をせずに、宙に浮いたまま片方の手で握り拳を作り、胸の前に掲げていた


 なんで追撃して来ないんだ?

 ギリギリで避けられたとは言え、今のはどう考えてもチャンスだったろうに。


 それに、あのポーズはなんだ……?

 まさかガッツポーズ? なワケないよな?


─── ……主様? 今の内にってしまいましょう、照準はお任せ下さいましね……


 頭の中で響く、魔弓のおっとりとした声に、ようやく我に返った。

 俺もぼーっとしてる場合じゃねえ!


「……穿うがて【夜想弓セルフィエス】……我が手に勝利を……」


 言霊を込めて囁く。

 生命力がごっそり抜かれる感覚の後、世界から色が失われ、弓に唸るような力の高まりが始まる。


 弦に指を触れた時、その力を具現化したような、魔力の矢が姿を現した。


 真っ白な霧の世界の中、弓に誘われるまま、両拳をすくい上げるように矢をつがえ、弓を押し開いて引き絞る。

 セルフィエスの視界が重なり、それが一致した瞬間、矢がひとりでに放たれた─── 。


─── シュオ……ッ!


 あらぬ方向に向けて放たれた矢は、多段階で爆発的に速度を上げながら、複数に分かれてそれぞれ大きな弧を描きながら突き進む。


 我に返ったように、悪魔が矢を払わんと衝撃波を撃ち出すも、枝分かれしながら加速する矢に翻弄されている。

 その内の一本が、角の片方を射抜き、先を砕いた。


「ヌゥオォォォォォアアァァッ‼︎」


 額を押さえ、悪魔が怒りの叫びを上げる。

 その瞬間に合わせ、追撃の魔術に魔力を注ぎ込んだ。

 この一発で決めよう、長引くとより危険だ。

 何故だか知らないが、あのバケモンは何処か抜けている。

 本気を出す前にカタをつける!


─── 【火炎竜フラム・トゥルナド】‼︎


 火属性の魔術、巨大な炎の柱が、対象に向かって引き絞られながら温度を増して行く魔術だ。


 そして、正直に言おう。

 俺は旅に出るまでの一年で、悪夢のようになってしまった攻撃魔術を手加減する術を身につけた。

 ……だが、それは魔術までの話だ。


 と、言うか危なっかしくて、成人の儀以来、中級以上の攻撃魔術なんて使った事がねえ!


─── ヒィ……ン


 金属が擦れるような、甲高い音が大地に響き、悪魔を光の柱が覆った。

 空気がザワザワと騒ぎ、空からは小さな光の粉が降って来る。

 そのひとつを手に取って見ると、小さな精霊の死滅したものだった。


 んん? これ、どんだけ影響出るんだ……?


─── その直後、未知のレベルの衝撃波と、爆音が意識を刈り取りに来た


 青白い光の柱が閃光を瞬かせ、莫大な熱量を発しながら、上空へと真っ直ぐに立ち昇って行く。

 さっき俺を殺し掛けた氷山が、その光を浴びた途端に砕け、ジュウと蒸発する音を立てていた。


 念話でセオドアがなんか怒鳴り散らしているが、聞こえないし、聞いてる余裕がない。


「はあ〜♪ やっぱりアルくんは最高です。この人類を焼き尽くさんばかりの、手加減の無い超絶破壊魔術。ゾクゾクしちゃいますね♡」


「うお! ソフィア、いつの間に……って、皆んなも無事だったか!」


「はい、流石にアレはまずいので、皆さんを連れて転位してきましたよ〜」


「アル様、ヒゲが焦げて平衡感覚がおかしい、か、回復魔術を……掛けて」


「あ、私もなの……」


「アワワ、あい済みませんでした。今治してやるからな……⁉︎」


「こんな狭え所で、超上級……いや、神聖級魔術ぶっ放すとかよォッ!

親父どの、流石に頭おかしいぜ⁉︎」


「ち、違うんだ! これは……中級……なんだよ。初級の【火炎弾フラム・ブレッド】じゃあ、範囲が狭いと思ってな。……つい使っちまったんだ、悪気は無かった!」


「「「中級ッ⁉︎」」」


「……あれ、火だった……の……?」


 灼熱の光柱が消えて行く最中、最後に数回爆発した辺りで、ようやく皆に俺の魔術の説明が終わった。


「あははー♪ アルフォンスまじ凶悪だね☆」


「ちょっ、ミィル。空気読みなよ! 今のアルに凶悪とか言っちゃ可哀想だって」


「…………(そういうフォローが一番残酷なのだよスタルジャ……)」


「アル様がいたら、密林開拓、カンタンそうなの」


「いやユニ、見てみなさい。アル様の魔術で、あの辺一帯が溶けたガラスみたいになってるわ。……草木も生えないんじゃ無いかしら」


「アーシェ婆にも『傍迷惑はためいわく』とは言われたよ、は……はは……」


「うふふ、でも戦場で使ったら、死体処理も楽ではありませんの? ほら、死体って腐ると疫病とか異臭とか、土壌汚染しますでしょ?

それにその後に『ガラスのアンデッド』とかゾクゾクしますわ」


「アースラ、俺ァ、時々おめぇが心底おっかねえ時があるんだが……」


「ん、オニイチャ。あれ、死んでないみたいだよ?」


 ティフォの声でようやく我に返った。


 自分の魔術の壊れっぷりに、悪魔の事を完全に忘れてた!

 慌てて爆心地の方を見ると、すでにそこにはルーカスが立って、何かを見下ろしている。


「……ルーカス、まだ息がある、近づくな」

 

「…………ルーキー、これを見ろ……」


「─── ッ⁉︎ な、なんだコレ……?」


 そこに転がっていたのは、少年? いや、少女だろうか、暗い灰色の金属で出来た、精巧な人形だった─── 。


 手足がすらりと長く、体の性別は判らないが、人と見間違う程に精巧な人形だった。

 関節部分には、一層暗い色の球体がはまっていて、可動域を大きくしているらしい。


 近くに悪魔の着けていた鎧の一部が、溶け残っている辺り、正体はこれだったのだろう。

 人形から漂う魔力の質も、先程まで戦っていた相手と同質だった。


 衣類は焼き消えてしまったのだろうが、人形には傷ひとつついてはいない。

 そして、それだけ精巧に美しく造られた体には、取って付けたような、丸い無表情の顔がつけられている。


 何か……アケルの民芸品で、こんな顔の木彫りの人形があったな。

 誰が買うのか疑問に思う、可愛さのかけらもない、ちょっと不気味な魔除けみたいなやつ。


「これが……白髪の悪魔だったのか?」


 そう呟くと、ルーカスは両手を広げて『分からん』と返した。


「階層主では、なかったようだ。古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴンの群れが全滅した時、新たな扉が出現していた」


「扉が……? まだ次の階層があるってのか。

─── しかし、こいつは何なんだ、まるで芸術品のように精巧だ」


「似たような物は見た事がある。確かあれは魔術王国ローデルハットの博物館であったか。

古代に魔界と繋がりのあった、とある貴族の蔵で発見されたと聞いたが……」


 ピクリとも動かない人形に、俺は思わず好奇心で触れていた。


─── ピク……


「─── ッ⁉︎」


 腕の一部に触れた瞬間、顔だけをわずかにこちらに向けた。

 思わず後退りする俺を、無表情な顔が目で追って来る。


 敵意や殺意は感じられない。

 それがむくりと上体を起こすと、弾けるように飛び跳ね、俺に抱きついて来た。


「ぎゃっ! う、動いたッ⁉︎」


「「「ひっ⁉︎」」」


 後ろで見てたスタルジャ達の、小さな悲鳴が上がる。

 あ、ひどい、皆んな逃げ腰だ。


 人形はがっちりと俺の体に抱きついて、ちょっとやそっとでは離れる気配が無い。

 ……自爆か⁉︎ それとも何か、とんでもない魔術でも使う気か⁉︎


「あ、アル様、危な─── 」


 エリンが肉体強化して駆け寄ろうとするのを、人形は一瞥いちべつする事も無く、手をかざしただけでその動きを制した。


 のか⁉︎ 超複雑な時空魔術を、この一瞬で⁉︎


「お、お前は一体、何者─── 」


 そう言いかけた時、無表情でカタカタと震えて見上げた後、再び俺の胸に顔を埋めた。

 えらい勢いでクリクリ頭を擦り付けている。


『急に、あんな本気出す何て、ひどいー。

でも、やっと帰って来てくれたね、ー♡』


「「「ぱ、パパッ⁉︎」」」


 ソフィアが張り付いた笑顔のまま、ゆっくりと仕込み杖を抜くのが見える。

 ティフォの触手は揺らめき、ユニの毛は逆立ち、スタルジャはダークエルフ化していた。


 このとんでもなく、どうしようもない誤解を解くのは、正に命懸けだった─── 。




 ※ ※ ※




「良かった……てっきり私、アルくんが非常にハードな浮気をしていたのかと」


「逆に聞くけど、どうやって民芸品と子を成すのか、教えてくれる?」


 胸をなで下ろすソフィアに苦言を呈しながらも、未だに人形にがっちりと腰に抱きつかれた

ままだ。


『ぱぱぁ、民芸品とか辛辣だよぉ。ボク、ずっと待ってたんだよぉ? やさしくしてぇ〜』


「ぐ、き、気色の悪い……! と、とりあえず一度離れろ、くりくりするなぁッ‼︎」


『あ、そだね。ボク素体のままだった─── 』


 そう言って人形は俺の首に抱き着いて、額を重ねて来る。

 金属の額がごちりと当たって、冷た痛い。


─── ブワ……ッ


 人形の体が離れると、光に包まれ、その白いシルエットが形を変える。

 それは一瞬の内に、黒いドレスを着た少女の姿へと、変貌していた。


 長く艶やかな黒髪に、大きな黒い瞳。

 白く透き通ったきめ細やかな肌、ほんのりと桃色のぽってりとした唇に、やや甘えたような優しげな眉。

 まさに人形のような、美少女の姿だった。


『ウフフ、パパの理想の姿にしてみたよ?』


「……いやいや、俺、そんなロリ好きじゃねえぞ⁉︎」


『昔みたいに、いっぱい愛して……ね♡』


「「「ざわ……ざわざわ……」」」


「ざわざわするなお前らッ! ち、違う!

何かの間違いだ! 絶対こいつの言葉が足りないだけだって!」


─── 十数分後


 美少女人形が女の子座りして、ニコニコしながら飴を口中で転がしているのを、俺達は取り囲んでいた。


「えっと、マドーラ? つまり君はこの地に昔置き去りにされた、魔導人形って事でいいんだな?」


『うん、パパが魔界から連れて来てくれたんだよ! でも、パパはボクたちを置いて、どっか行っちゃったの』


「その『パパ』ってのは誰の事なんだ?

俺もパパって呼ばれてるけど、何だか頭がぐちゃぐちゃになりそうだ……」


「んー? パパはパパだよぅ。やだなぁ、魔王サマの事でしょ♪」


 ルーカスが剣を床に落とした。

 俺だって頭真っ白だ。


「魔王……がこの地に来た事があったのか?」


『え? 別にふつーじゃん。温泉旅行にボクたちを連れて、遊びに来たんだよ』


 何か言葉足らずなのか、常識が違い過ぎるのか、ひとつひとつ質問を続けていくと、ようやく話の全容が見えて来た。


「あー、つまりこういう事だな?」



─── かつては魔族も普通に人界に訪れていた


─── マドーラは妹と共に、前魔王から二十五代前の、第二百六十四代クヌルギア王のイシュタルとお忍びの温泉旅行にこの地にやって来た


─── しかし、イシュタルはとある理由から、ふたりを置いて行ってしまい、ずっとここで待っていた


─── その時間、なんと一万年


─── この地が魔界と質の似た魔力があったため、彼女たちはエネルギー供給がてら、自己補修を続けて生き延びて来た


─── 気がついたら、自分達の周りが迷宮化するも、主人を待たねばならず……



「じゃ、じゃあこの『古代の巨城エイシェント・パレス』は、お前達魔導人形の創りだした迷宮だと言うのか……⁉︎

一万年とは……道理で巨大な迷宮だったわけだ」


『エイシェン……? 分かんないけど、この迷宮はボクたちの想いを汲んで、出来たみたいだよ?』


「迷宮にそんな途方も無い間、ふたりきりとか……マドーラも寂しかったんだね……」


『んーん、途中から他の人達も暮らし始めたから、寂しくはなかったよ♪

─── でも、ボクだいぶ前からおかしくなってたみたいで、下は今どーなってるのか分かんない』


 魔王に置いてけぼりにされ、エネルギー供給も魔王から自然界の魔力に変更せざるを得ないという環境変化、さらに強烈な寂しさから狂っていたらしい。

 基本的にこの最奥の扉の前で、帰らぬ主人を待ち続け、敵が襲ってくれば容赦なく始末していたそうだ。


「他の人達……? 迷宮に人が暮らしてるって言うのか」


『いー人たちだったよ、確か』


「あのよ……俺が言うのもなンだがよ、オメエ、説明足らな過ぎじゃねえのか色々」


 セオドアのボヤきたい気持ちも分かる。

 いや、魔導人形がここまで喋るだけでも、俺には充分驚異的なんだがな。


「その、イシュタルって魔王は、どうして貴女たちをここに置いていったのかしら?」


『うん。パパはね、ずーっと独身だったの!

私たちが居れば良いって、すっごく大事にしてくれてたの!

……でもそれがね、温泉にいた飲み屋のキレーなおねえさんに、初めて恋しちゃったんだって。

結婚して家庭が落ち着いたら、一緒に住めるように説得するからって、待っててねって約束してくれたんだよ☆』


「……そ、そう」


 絶妙に微妙な話過ぎて、返す言葉がなぁんも見当たらねえ!

 質問してたエリンも、もの凄い気まずそうな顔してるじゃねーか……。


「…………で、なんで俺が『パパ』なんだよ。お前のパパは、イシュタルじゃないのか?」


『ん? だってパパ、魔王でしょ? クヌルギアの鍵持ってるし、一週間くらい前から、すっごい魔力配って歩いてたでしょ?』


「─── ま、魔王だと……⁉︎」


「済まないルーカス、その話は後でちゃんとするから、今は─── 」


 ルーカスが俺に身構える。

 まずったなぁ、これはどう切り抜けたものか。

 だが、一先ずはまだ、マドーラに聞くべき事がある。


「この迷宮が暴走しかけてる理由は何だ?」


『暴走? ああ、多分ねぇ、魔界から来るマナが急に上がったからだと思うよ?』


「魔界から……?」


『うん、ここは魔界とマナの通り道が繋がってるの。パパ、魔界にマナ配るのサボっちゃったでしょー♪

ここん所、ずんずんマナが流れて来てるんだよ』


 今、魔界でその役を担ってるのは勇者ハンネスのはずだ。

 その勇者に何かが起こってる?


「ま、まあ、なるほどな……それで、この迷宮が急に活性化したって事か。魔界での今の魔王の存在については、それも後で話そう。

その前に……。

─── ルーカスを襲ったのは何故だ?」


『そこのおじーちゃんと闘ったのは、うろ覚だけど、ボクを殺そうとしたでしょ。

ボクも壊れてたけどその辺は憶えてるよ?』


「……す、済まぬ。てっきり敵だと思っておったのだ。しかし、まさか相手が古き魔王を模したものだとは思いもせなんだ」


『へっへー♪ 強かったでしょ。ボク、コピー能力はダントツだからねー☆』


 迷宮の深層に向かうに連れて、コピー能力を持ったシャドウ達が増えたのも、これが理由か。

 マドーラの意思を汲んだ迷宮が、あれらを呼び寄せていたのだろう。


「あれが魔王か……。勇者伝説は調べるほどにアラが出る。てっきり儂は創作だと思っておった」


「まあ、創作がほとんどですね。魔王が強力だったのは確かですけど。ほとんどが帝国と教団のプロパガンダですよ」


「─── ! やはり、そうか、そうであったか」


「魔王は悪に仕立てあげられたんです。見てください、うちのアルくんを。

世界征服が趣味に見えますか?」


「……やはり、魔王なのだな? ふふっ、確かに悪には見えぬ。力は凶悪であったがな。

闘う者の高み、しかと見せてもらった─── 」


 高みを見せる……か、こっちも必死だったから、そんな事すっかり忘れてた。

 ルーカス曰く、五人娘とかセオドア夫妻が、古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴンをよってたかって蹂躙じゅうりんし始めた段階で、彼はもう白目剥きかけたらしいが。


『おじーちゃん、強くなりたいの? なら、この下の階層でしゅぎょーすれば?』


「─── ! そ、そうだ! この下の階層があるのだな?

どれぐらい先がある? あと、どれ程の怪物がいると言うのだ⁉︎」


『四十階くらいかな? ここから下のは、まあまあ強いけど、倒すといっぱい力くれるよ!』


「力をくれる─── ?

……あ、すっかり忘れてた! 会長は……ここに来てたはずのお爺さんがもう一人いたろ?

その人はどうなったんだ⁉︎」


『あー、いたね。おじいちゃんなら、多分、一番下に連れてかれたよ。あの後すぐに妹達が来てたから』


「「「─── ‼︎」」」


 良かった、ウィリアム会長は、まだ生きてるのか!

 マドーラは当然のように、俺からごっそりと魔力を吸い上げると、新たな扉を目の前に創り出した。


『案内してあげる! みんなの所にいこー♪』


 流石は迷宮主、彼女の思い通りの場所に繋がれるらしい。

 その開かれた扉の奥へと、俺達は足を踏み入れた───




 ※ ※ ※




 扉を開けると、そこは何故か青空の下に、森が広がっていた。


「え? ええ? ここ地下なんだよね?

精霊もいっぱいいる……!」


「スタルジャよ、迷宮とは時にそう言うものだ。迷宮主の思い描いた世界が、そこに再現されるもの。

─── しかし、この森はどうにも見たことの無い雰囲気がありおるな……」


 ルーカスがツヤツヤな顔で、森の風景に目を奪われている。

 確かにこの森の雰囲気は、あまり見た事がない。


 ちょっとした要塞か、塔のような太さの幹を持った巨木が転々と生え、その隙間には細い木が何本も織り上げた籠のような形になった物が立ち並んでいた。


 流石は生粋の冒険野郎ルーカス。


 とうに六十を過ぎているのに、少年のような顔で森を見回してソワソワしている。

 ……まあ、未知の世界と言うのもあるだろうが、単純に今彼は、体内に膨大な魔力を溜め込んで元気バリバリだった。

 その理由は、壊れかけ人形のマドーラが、俺の魔力を吸って用意した扉が、ここに直通では無かった事に由来する。


─── あんにゃろう、間違えて一番魔物の多い階層に繋げやがった


 放り込まれた第五十八階層は、第三十一階層と同じく、すり鉢状の白い大地。

 小型犬程のサイズの、小さなカバみたいなのがワラワラいて、何をするでも無くボーッとしているだけだった。


 『なんか可愛いぞコレ』とか言いながら、その内の一匹に近づいた瞬間、子カバは頭の上に光の球を創り出して光線を放って来た。


 ……想像出来るだろうか、古代龍種のブレスにも、アーシェ婆の破壊魔術にも耐えられる特殊魔鋼の鎧が、触れた瞬間に沸騰する光景を。

 それをノンビリした可愛いのが、口の端にあぶく垂らしながら連射して追い掛けてくるんだ。


 何とか避け切って、その一匹を倒した瞬間、その血の匂いに興奮した子カバ達の一斉攻撃に見舞われた。


 一匹目のは、まだ全然闘う気なんか無かったんだろうな……。

 戦闘モードになった子カバ達は、鋼のように硬く、飛翔魔術まで駆使して来た。


─── その階層は、地獄の始まりに過ぎなかった


 慌ててすがったマドーラは、俺達の想像を遥かに超えて、お茶目だったんだ。

 開く扉がことごとく、未知の危険生物の蔓延はびこる階層で、未知の生態と攻撃の死線をかいくぐって来た


 そんな事を十数回繰り返して、分かった事がいくつかある。



─── このすり鉢状の世界から先の魔物は、魔石を落とさない


─── 代わりに直接、命を奪った相手に、生命力や魔力を譲渡してくる


─── この世界にいる魔物や魔獣は、地上では遥か昔に絶滅したはずの種類ばかり


─── それは、魔界の聖地クヌルギアの生態系そのままらしい


─── マドーラの『OK☆』は信用するな



 こんな感じだ。


 結果、俺達の体には、かなりな量の力が充填され、体の疲労感はさほど感じていない。

 これは魔王に魔力を配られて暮らす、魔界の摂理では無いかとも思える。


 もしかしたらその力の譲渡の法則が、人界では魔石として残す形へと、変化したのかも知れない。


「─── ハア……。肉体的な疲れはないけど、気持ちがグッタリしちゃったわ……」


「そうだねお姉ちゃん。カバ光線、夢に出てきそうなの……。あの『ピーッ』って音、トラウマ」


「私はあのでっかいトンボがだめ……。もともと得意じゃなかったけど、トンボほんと苦手になったかも」


「ん、タージャ、何回か、掴みあげられてた」


「あれはマジで、ヒヤリハットだったな。何であんなデカイ体で飛べるんだろうな、アイツら」


 空が青いと言うだけで、得られる開放感は全く違う。

 さらに森の清々しい空気に、俺達の心も開放的になり掛けていた時だった─── 。


─── ザザザザザザ……ッ‼︎


 森のあちこちから、こちらへ向かってくる足音、そして重厚な殺気が集まって来るのが感じられる。

 全員が武器を取り、構えた所にそれらは現れ、にらみ合いとなった。


「─── マドーラッ‼︎ とうとうここへ乗り込んで来たか! 貴様を滅ぼし、我々は念願の地上世界へ帰還するッ‼︎」


 そう叫んだのは、俺の倍近くはあろうかと言う巨体に、龍の顔を持つ種族の男。


 俺達はに囲まれていた─── 。

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