第七話 最下層の悪魔

 迷宮調査二日目、シャドウの攻略、魔物の軍勢への対処、全ては順調に進んでいるかに思えた。

 しかし、第二十七階層で再び俺達は、足止めを食らう事となる。


 階層主を倒して、この階層へと足を踏み入れた瞬間、無数の黒い炎のようなものが点々と立ち上がった。

 最初はそれがシャドウだと踏んで動いたが、光の魔術に耐性があるのか、戸惑いすら見せない。


─── それは紫がかった黒い鎧を着た、人型の魔物だった


 真っ白い通路の中を、黒い火の粉を散らして、揺らめくように武器を構えて迫る。

 群の動きに高い知性は感じない、やや緩慢な動きも相まって、最初にその罠に嵌ったのはエリンだった─── 。


「……らぁッ‼︎」


 光属性の魔力を込めた、エリンの爪が近くの一体に振り抜かれる。

 その瞬間、炎そのもののように、揺らめいて音を立てると、何ら手応えも無く爪が通り過ぎた。


 途端に全ての影が、寸分違わず同じように揺れ、迷宮にざわざわと炎の音が響きわたる。


「─── チッ! こいつらにも物理は効かないわ!」


「エリンちゃん、すぐそこを離れて下さい!」


 ソフィアの声と共に、エリンが飛び退くと、影鎧達が一斉にその場でそれぞれの武器を振るった。


─── 直後、光属性の魔力で作られた斬撃が、さっきまで彼女のいた床を、音も無く切り裂く


 次撃に向けて構えに入った影鎧に、ソフィアが神威を放って牽制に掛かる。

 通路にいた全ての魔物に、奇跡の斬撃が微細な格子状に切り刻む。


 しかし、彼らはエリンの時と同じく、音を立てて揺らめくだけで、散る事はなかった。

 それどころか─── 、


─── カカカカカカカカカカカッ


 影鎧達は、一斉にソフィアと全く同じ神威を放った。


「クッ、─── 【召喚サモン:ラピリスの白壁】!」


 俺達の前に白い騎士達が現れ、大楯を構えて瞬時に結界を張る。

 だが、その強固な守りも、奇跡の前には持たず、直ぐに消えてしまった。


 殺し切れなかった斬撃は、召喚魔術が消えると同時に、俺達へと迫る。

 奇跡相手じゃ結界も危うい、耐え切るのは不可能─── 詰んだか⁉︎


 頭が真っ白になり掛けた時、俺は咄嗟とっさに片手を掲げていた。


─── 【掌握】!


 母さんを救う時に会得した、引寄せる奇跡を、ほぼ無意識の内に放つ─── 。


─── ギュオ……ッ!


 黒い渦が現れ、斬り刻みの神威が、一点に纏まりながら迫り、俺の手の平をグローブごと貫いた。


 直線的に突き進むそれは、俺の肉と骨にベクトルがズレて、背後の冒険者達の頭上をかすめて飛んで行く。

 通路からは、神威が天井を削って行く音が、延々と遠ざかりながら響いていた。


「あ、アルくん! 大丈夫ですかッ⁉︎」


「おお、問題ない。流石はソフィの奇跡だな、グローブがぶち抜かれたよ。

癒光ラヒゥ】……」


 手に空いた大穴が、青白い光に包まれて、瞬時に修復される。

 ソフィアは敵前だというのに、俺の手を掴んで慌てた様子で凝視していた。


「大丈夫だって、それよりも気を抜くと危ねえぞ」


「……くっ、私の神威までコピーするとは、シャドウの上位版ですか……!」


「下手に手を出すと、状況はまずくなるな。一体でも技を受けたら、全員がコピーするらしい」


「─── また構えに入りました……!

恐らくまた先程と同じく、斬り刻みの神威を……⁉︎」


 迎撃して相殺させようと判断したのだろう、ソフィアは神気を高めて構えに入る。

 だが、俺はその肩を掴んで、彼女を後ろに下がらせた。


「なッ、また怪我するつもりですかアルくん!」


「違う。より強い技で迎撃したら、それもコピーされるかも知れないだろ?

さっきは咄嗟にやったから、手の平で受け流すしかなかったが、やりようはあるさ─── 」


 後ろにいた皆が、息を呑んで構える気配がした。

 影鎧達は溜めを終えて、攻撃のモーションへと、ゆっくり移行した。


─── カカカカカカカカカカカッ


─── ……【掌握】!


 再び黒い渦に収束された神威が、光線のように突き進む。


─── ズガガガガ……ッ


 石壁を容易に貫く、細かな斬撃の音が、鼓膜をつんざくように鳴り響く。

 さっきは俺の手元に集めてしまったが、今度は奴らの、引寄せの奇跡を放った。


「……引寄せる奇跡を、そらすのに使うなんて……」


「さっきは必死で、面で迫る攻撃を小さくする事しか考えてなかったからな。

これなら神威も防げるが……うーん、どうすれば奴らに有効打を与えられるのか」


「しっかし、ホンットーに、せせこましいのばっかだなさっきから!

親父どの、もうブッ放しちまえよッ‼︎」


 力任せに戦えないセオドアが、とうとう嫌になったらしい。


「それが出来たら苦労しねえよ。大技コピーされて、あの数で一斉にやり返されたら、目も当てらんねえだろ?」


「剣も効かねえ、魔術も効かねえ、大技使えばやり返される……。

─── よし、もう帰ろうぜ?」


 やっぱり『』が見当たらねえなコイツは。


 そう溜息をついた時、アースラが俺達の前に歩み出た。

 そうしてにこりと笑顔を見せると、小首を傾げる俺達のを他所に、彼女は杖の先でリズミカルに床を叩き始める。


「─── 夜の帳を引く者よ、冷たき土を歩む者よ、今一時の静寂、我の声に耳を傾けよ……。

肉は土なり、骨は塵なり、冥府の底に彷徨える虚ろな声を呼び醒ませ……アードゥルモア、アードゥルモア……生を求めよ

【死霊召喚】─── 」


「……死霊召喚⁉︎」


 最後に杖でひとつ強く床を突くと、青白い光の波紋がスーッと広がって行く。

 直後、白い石床から低級なゾンビが、植物のように生え、視界を埋め尽くす。


「魔力をお食べなさい、亡者たちよ。より黒く、強く、この世に傷痕をお残しなさい」


 アースラの言葉と共に、ゾンビ達が影鎧達に掴み掛かり、黒い炎を貪り食う。

 影鎧達はその攻撃をコピーして、やり返そうとするも、ロクな攻撃力を持たないゾンビを模倣して著しく能力低下を起こしていた。


 あっと言う間に囲まれて、音も無く炎を噛み千切り、啜り、空になった鎧が床に落ちて砕けて消え去る。


「うふふふ……『せせこましい』相手ですからね、それこそ『せせこましい』相手をぶつければ、ジリ貧かと思いましたの。

ああ、やっぱりアンデッドは良いものですね」


「お、おう。流石だな……アースラ」


 ゾンビ達の背中に、我が子を見るような、うっとりとした熱い視線を送る彼女に思わず戸惑う。

 ……なるほど、グールを欲しがってた理由が分かった気がする。


「うふふふ、パパ上さまに褒められるというのも、なかなかにものがありますのね♪」


「ぱ、パパ上さまッ⁉︎ ……いや、そんな事よりも、もうこれ以上召喚しなくても……い、いいんじゃないかな?」


 アースラは染めた頰に、白い手を当てながら、杖の先で床をコンコン小刻みに連打を続けている。

 『あら、つい』とその手を止めたが、通路の遥か先まで、青白い波紋が重なり合って模様を描き出していた。


 床がせり上がったんじゃないかと、そう錯覚する勢いで、ゾンビがぬーっと生えて行く。


「ついでですのよ貴方たち、この先まで綺麗にお掃除していらっしゃいなさい。

うふふふ、ほほほ、おーほほほほほほほ!」


 地の底から響くような、ゾンビ達の呻き声が上がり、奥に向かって一斉に進撃を開始する。

 その背中を後押しするように、アースラの笑い声が木霊していた。


 ……うん、こりゃあ完全に悪者だ。


「な、なあセオドア、戦場でもアースラはこの術を使ってたのか?」


「あン? あー……教団が絡んで、殲滅戦が必要になった時はやってたな。

─── あれやるとよ、戦場が汚れンだよなぁ」


 ゾンビはゾンビを増やすからな、阿鼻叫喚だったろうに。

 そうこうしている間にも、通路の奥からは影鎧の食い散らかされる、静かな抵抗と断末魔が衣擦れのようにざわざわと空気を揺らしているのだった。




 ※ 




「ん、扉がある。ゾンビたち、かいそー主も食べちゃった」


「わ、儂らの苦労は……一体なんだったのか」


 ルーカスががっくりと肩を落とす。


 延々と魔石が散らばる通路の先に、ホールがあった。

 最後の第三十階層、ここまでアースラのゾンビ軍が、シャドウだの影鎧だの、それの更に上位版にあたるレイスだのを完食して来た。


 俺達はそのゾンビの食事に合わせて、雑談を交えつつ、魔石を拾って付いて来ただけだ。


「……ほら、たまたま今回の階層主と、ゾンビの相性が良かったんだよ。

アブラ虫対策に、テントウ虫放つみたいな」


「…………農家か?」


 ルーカスはどっぷりと疲れた目をしていたが、足を踏み入れたドーム状のホールの中央に、ポツンと佇むものを目にして表情を引き締めた。


「扉……か。まさか二日目で到達するとは。

いや、またここに戻って来れたのだな─── 」


「ここからは、俺達だけで行く。皆には予定通り退路の維持を……」


 そこまで言いかけた時、ルーカスが床に手をついた。


「頼むッ! 足手まといなのは、重々承知の上で頼む……。邪魔はせん、儂を連れて行ってはもらえぬだろうか」


「…………駄目だ」


「クッ、儂は─── 」


 ルーカスが縋り付いた時、後に続いて立っていた数名が膝をついた。


「どうか……この通りだ、ルーカスさんを連れて行ってくれ……!」


「頼むよアルフォンスさん!」


「…………」


 ルーカスのパーティメンバーだった。

 気がつけば、後ろに控えている冒険者達も、こちらを真っ直ぐに見つめている。


「生涯剣を振り続け、己が何で地を這ったのかすら分からぬ闘いは、初めてだったのだ……。

せめて……せめてこの目で、その高みはどれ程のものか、確かめたいのだ……」


「ん、いいんじゃないオニイチャ。おじーちゃん、あたしが守るよ?」


「お、おじーちゃ……。

─── 分かったよ、ルーカス。ただ命の保証は出来ない、いいな?」


「感謝する……ッ!」


 そう言って彼は俺の手を強く握った。

 冒険者達からも安堵の溜息が漏れ、何だかんだ言って、ルーカスが慕われているのが分かる。

 昨夜は『世代交代!』とか言ってたのにな。


「─── じゃあ、行くぞ。皆は退路の確保、よろしく頼む」


「「「おうっ‼︎」」」


 皆が口々に激励の言葉を掛けてくれる。

 背中に暖かなものを感じながら、俺はドアノブを掴んだ。


 なんの抵抗も無く開く扉、白い靄のかかったその中へと、俺達は足を踏み入れた─── 。




 ※ ※ ※




 もう三十回も繰り返して来た、扉を抜けるこの感覚。

 転位魔術にも似た、独特な浮遊感と移動している体感覚は、意外と好きだ。


 一歩踏み出したその先が、未知の世界へ繋がる、そんなドキドキがある。


 迷宮好きの冒険者は、俺と同じような感想を持つ者が、結構いるそうだ。

 冒険者は皆、何処かそういう子供のような気持ちを持っている事が多い。


─── トス……ッ


 靴の裏に新たな大地の感触が伝わり、重力が戻って来る。

 視界を覆っていた靄が晴れると、そこには暗い空に覆われた、すり鉢状の白い円形の世界が広がっていた。


─── 古代の巨城エイシェント・パレスの未発見領域、そこはそれ以外何もない世界だった


 報告にあった通りだな、コロシアムとか競技場サイズの空間は、丼の底にいるような感覚を受ける。


「うーん、何だか自分が小さくなったような気がしてくるの。へんな感じ……」


「星空を見上げてる感覚に似てるのかもな、自分の大きさを掴む、対象物が何も無い」


 ユニが不安そうに、俺の腕にくっ付いて来る。

 その背中をトントンと撫でていた時、彼女の耳がピクリと動き、空の一方向に弾けるように顔を向けた。


「ん、赤トカゲくるよ」


 姿はまだ見えないが、この魔力、この気配と圧迫感は間違い無い。


─── 古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴン


「うーん、なんかもう懐かしいよ、里の皆んな元気かなぁ」


「あ! アルくん、これ終わったら、またあの『赤トカゲのやきとり』作ってください!

あれ、すっごく好きなんですよ♪」


「おう、いいよ。アルカメリアに長ネギって売ってんのかな?」


「き、緊張感のカケラもないのだな、お前達は……」


 ルーカスがボヤいた瞬間、大気を揺るがす巨大な咆哮が、すり鉢状の大地に反響した。


「ルーカス、ひとつ頼みがあるんだが……」


「何だ……?」


「今から見る俺達の力、口外しないように頼む」


「……? 構わんが……お、おい、話している場合ではなかろう! 奴らが来るぞ!」


 空にはいつしか、視界を覆うように古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴンの群れが飛来して、俺達を見下ろしていた。


 一体一体がちょっとした宿屋サイズ、型としてはまあまあか、筋肉質な体を覆う朱色の鱗は金属質な光沢がある。

 黒く節くれだった強大な黒い角、龍種に多い金色の瞳は、地上最強種の風格を備えていた。


─── グォオオオオォォォォォ……ッ‼︎


 一番高い位置に飛んでいる一体が、割れんばかりの咆哮を上げると、一斉に急降下を始めた。

 その圧倒的な質量が、高速で迫る衝撃が、大地を震わせている。


「クッ! 前回よりも遥かに数が増しておるぞ! これはマズイ、一度扉に戻─── 」


─── 【掌握】


「「「グギャン……ッ⁉︎」」」


 空中で引寄せられた古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴン達が、飛翔するために纏っていた魔力を、光のヴェールのようにたなびかせて衝突し合う。

 球形にまとめられた赤い塊が、飛来するコースを失い、遠く離れた地面に叩きつけられた。


 そこへ間髪入れずに、ソフィア達の総攻撃が追い打ちを掛ける。


 上空では、俺の【掌握】を逃れた三分の一程の古代紅鱗龍が、戸惑うようにホバリングするのを、ティフォの触手が細かく枝分かれしながら貫いて行く。

 ほとんどがその一撃で絶命するも、難を逃れた個体はまだまだ空に留まっている。


─── 【重力渦動ガル・ダラフ】【重力渦動ガル・ダラフ】【重力渦動ガル・ダラフ


 それらへは、アースラの能力低下魔術が情け容赦なく重ねがけされ、飛翔する力を剥奪されて落下を始めた。

 その先には、大剣を構えたセオドアが、嬉々として襲い掛かる。


 斬り裂くと言うより、叩いて引き千切るような力任せの打ち込みに、古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴンの体がゴム鞠のようにひしゃげて弾けた。


「うほォッ! 硬え鱗だぜッ‼︎ 力も今までの雑魚とは段違いじゃねえか!

─── オラオラッ、人界最強種の力を見せろ、こんなんじゃあ物足りねえぞ!」


「セオ! まだまだそっちに行きますのよ? 遊んでないで、とっとと片付けてしまって下さいな」


「なぁ、アースラちょっとくらい、いいじゃねえか! こいつらの弱体化解いてくれよ」


「……もう、仕方のない人ですのねえ」


「ん、オニイチャ、ベヒが本気出したいって」


「おう、好きにさせろ」


『ヤタ!』


 直後閃光が走り、目の前に更に巨大な漆黒の魔獣が姿を現わすと、全身の筋肉を唸らせて上空へと飛び上がった。

 ベヒーモスの放つ破壊の光が、次々と空に青白い筋を描き出し、バタバタと古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴン達が降り注ぐ。


「─── 地獄か……これは……」


 上空には喉笛を掻き切られたものが、ティフォの触手で食肉用として血抜きの為にぶら下げられ、下では逃げ惑うもの達が今まさに仕留められようとしている。

 空はベヒーモスの破壊の光、地上では妖精女王ミィルの黒いわらいが木霊する。


 ルーカスが呟くのも無理はない。

 うん、こっちが完全に悪者だ。


(……これは、高みも何も、次元が違い過ぎて、どうすればいいのか分からん……)


 彼の心の声が聞こえた気がするが、俺は止めたんだからな?


─── グォオオオオォォォォォ……ッ‼︎


 と、その時、上空に残っていた、一際大きな個体が、全身を怒りに震わせて吠えた。

 胸を大きく膨らませ、周囲に魔法陣をいくつも展開して行くのが見える。


─── 【針雷ニード・スンデル


 今まさにブレスを吐こうとした瞬間を、黒い稲妻が打ち抜いて、力を暴発させた。

 豪炎と黒煙を上げて、こちらに落下してくる。


 流石はこの群のボスだ、自慢のブレスで自爆させられ、怯むどころか目を怒りの色に染め上げて俺を睨んでいた。

 別にこっちに恨みはないが、襲って来るのなら仕方がない。

 ……食肉食庫に並べてやるまでだ。


─── ズドォン……ッ


 ボスが地面に着地すると同時に、全身の筋肉を隆起させ、矢のようにこちらへと飛び出した。

 俺は夜切の名を呼び、片手で何度かグリップを確かめて握り、間合いに入るまで引きつける。


 紅い巨体が迫り来る中、その破壊に特化したような剛腕に、魔力の高まりが光の波紋を描く。

 古代龍種はそれそのものの力も絶大だが、それを更に絶望的なまでに高める、魔力の扱いの巧みさが脅威とされている。


─── 遠くでルーカスが、何かを叫んだのが聞こえたが、今はちょっと忙しい


 どうせ『危ない』とかその辺だろう。

 繰り出された剛腕からのぎ払いを、腕の可動域の及ばぬ、首元の下まで飛び込んでかわす。

 流石は龍種、困惑しながらも、バッチリ俺の姿を目で追っていた。


 急ブレーキを掛けようと、残りの足で踏み止まる、その前脚を付け根から両断する。

 最も体重を掛けていた支えを失い、体が前傾に倒れ込むその首へと、返す体で夜切を振り下ろす───


─── ズド……ッ


 切り離された頭が、突進して来た慣性に乗せられ、ゴロゴロと転がって行く。


 ……これで空にはもう、古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴン達の影は見当たらない。

 今、皆が追いかけ回してる数体を始末すれば、討伐完了だ。


 夜切を通して、古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴンの魔力と生命力が流れ込んで来る。

 この感覚も懐かしいが、やっぱりこの種類はリターンが美味しい。


 腹を切り開けば、心臓の近くから、巨大な魔晶石が顔を出した。


「こいつは中々、長く生きて来たみたいだな。このサイズの魔晶石は、そうそうお目にかかれない」


「こ、これは……国ひとつ買える金になるぞ⁉︎」


「ところでルーカス、ここに現れた白髪の悪魔ってのは─── 」


 そこまで言いかけて、俺は言葉を失った。

 凄絶な魔力の塊が、足下の遥か下から、高速で迫って来るのが感じられた。


「皆んな足下だ、何かが来るぞッ!」


 俺が声を掛けるまでもなく、皆んなは足元に視線を向け、いつでも動ける体制に入っていた。

 これだけ古代紅鱗龍の魔力と騒音が蔓延していてなお、それだけ迫り来るものの脅威が突出している。


 現代の剣聖、最高の冒険者ルーカスを一撃の元に下した何かが、今その姿を現そうとしていた─── 。




 ※ ※ ※




 齢六十二歳、物心ついた時に剣を握り、十一歳で村の師範に打ち勝った時、周囲は儂を『天才』だと騒ぎ立てた。


 すぐに近隣の村々にもその噂は広がり、ユーデリア王国の都から、声が掛かるのにそう時間はかからなった。

 王室直属の騎士団で、正統派の八極流剣技を叩き込まれたが、正直退屈なものだ。


 周囲はこのまま、最年少で近衛兵に召し抱えられるだろうと噂したが、それにも何ら興味などなかったのだ。


─── 儂の人生を変えたのは、ひとりの剣士


 副団長の旧友だというその男は、みすぼらしいマントを羽織った、傷だらけの革鎧を纏う冒険者であった。

 たまには外の剣も体験しろと言われ、何とは無しに修練場で男と剣を交え、その数分後には天井を眺めていた─── 。


 全く無駄の無い剣、全ての動きが連なり、必然性の上で造られた芸術のように、そして凶暴なその剣に儂は心底惚れ込んだのだ。


─── 気がつけば儂は、名も知らぬその男に師事を願い出ていた


 その冒険者の名はカイと言った。

 いや、男だと思って話しかけたら、綺麗にあごを殴られて、人生二度目の失神を経験する事となった。


 カイは女だったのだ。


 紆余曲折あり、儂は彼女の弟子となり、冒険者の道を歩み始め現在に至る。


 剣聖の肩書きを得たのは、三十過ぎの頃。

 自分は生粋の冒険者だと信じながら、わざわざ王都に出向いて、時代の剣士達としのぎを削りあったのは……


─── カイのためだった


 王都に赴く少し前、彼女は病に倒れ、帰らぬ人となってしまった。

 儂らは独身のまま、この家業を続けていたが、失う直前に気がつくとは我ながら間抜けとしか言いようがない……。


 長い旅の果てに、儂らは想い合っていたのだ。


 儂は眠りにつくカイに約束した。

 『先に上で休んでいろ、お前が寂しがらぬよう天まで儂の名が轟くようにする』と─── 。


 己の為に剣を振るう事は、とうの昔にやめていたが、彼女の為に振るう剣は鈍る事は一切なかった。

 それ以来、一度として負けた事などなかったのだ。

 ……あの白髪の悪魔に出会うまでは。


─── 今、その白髪の悪魔が、再び現れた


 精霊神を彷彿とさせる天災の如き魔力、腰まで伸ばすに任せた、長い白髪の奥に光る、真紅の瞳。

 その無感情な、ガラス細工の如き冷淡な顔が、足元に立つ若き冒険者を見下ろしている。


─── いばらの冠をいただいた漆黒の髑髏どくろ


 闇より暗い特殊魔鋼の全身鎧からは、亡者どもの慟哭どうこくが溢れ、白い霊気を放っている。

 禍々しくも、全てをねじ伏せるような、膨大な魔力は、空気をも蹂躙じゅうりんして時折放電すら起こした。


─── 『』アルフォンス・ゴールマイン


 わずか一年足らずでS級冒険者の高みに上り詰めた、南部バグナス最強の男。

 理不尽に散った冒険者達を蘇らせ、失われた四肢を再び儂に与えた、神の如き男。


 この男、神か、悪魔か……。


 ただひとつ言える事がある。

 今その漆黒の背中に、カイと初めて出会った時と似た、熱い胸の高鳴りが、この老いた身を焦がしているのだ。


 儂は彼に縋った─── 『高みを見せて欲しい』と。

 それは天で待つカイに、より高みに到達する己を土産としてやりたい、そんな気持ちからだった。


─── だが、今は違う。

己の魂が、このふたつの巨星の交錯の末を、目撃したいと震えている


 上空に浮かび、ただただルーキーを見下ろす悪魔、それを睨み返していたルーキーがゆっくりと剣を構えた。

 ただそれだけで、体を両断されたと錯覚する殺気が走り、思わず喉元まで胃酸が込み上げる。

 その呼吸すらさせぬ、剣気と殺気の爆発に、悪魔はニヤリと口元を歪めた─── 。


─── 直後、凄絶な閃光と、それに遅れた衝撃波に、儂の体は吹き飛ばされた


 それは悪魔の振り下ろした、黒い刃をルーキーが剣で受け止めた、ただそれだけの事。

 地面が大きくめり込む程の圧力、上からの剣の押し込みに、ルーキーは全身をバネのように食い止める。

 その壮絶な力のぶつかり合いに、瓦礫がゆっくりと舞い上げられ、それらが空中で爆ぜる小さな発破音がチリチリとさえずっていた。


 一瞬、ルーキーの片足が、剣圧に負けて屈したかに見えたその時、爆発的な反発力で悪魔を空へと押し返す。

 次の瞬間には、悪魔の上をとり、ルーキーの斬り落としが放たれていた。


 それを黒剣で受け止められた直後、ルーキーの剣は青い光のシルエットを残して消え、代わりに両手に小剣がそれぞれ握られている。

 二振りの曲がった小剣が、残像すら残さぬ高速で暴れ狂う。


 悪魔はそれらを黒剣、もしくは魔力の盾で受け流し、その度に火花の舞い散る情景を描き出した。


─── 目が追いつかぬ、この嵐の如き攻防は、無闇矢鱈むやみやたらなものでは無い……!


 誘い、駆け引き、追込み、ただの攻防ではなく、理に適った剣技のストーリーが描かれているのだ!


 その早回しの輪舞が永遠に続くかと思われた時、ほんのわずかにルーキーの手が遅れた。

 その髪の毛一本の隙間を、悪夢のような黒剣の突きが、白い空気の帯を曳いて襲い掛かる。


 鍛え抜かれた魔鋼の鎧ですら、ひとたまりもなく貫かれた!


 そんなビジョンが浮かんだ直後、ルーキーの体がグルンと回転し、双剣で打ち払う。

 火花を散らして黒剣を弾いた途端に、両手の小剣は青い光のシルエットを残して消え、代わりに槍の五段突きが放たれた。


─── ルーキーのあの遅れは、誘いだったか!


 さしもの悪魔も、身を返して間合いを取ろうと、空を蹴って後退る。

 だが、そこまでがルーキーの筋書き。


 小剣では遠いが、これこそが槍の絶好の間合い!

 渾身の槍の振り下ろしで打ち据えた─── 。


「……う、おお……ッ⁉︎」


 余りにも見事な駆け引きに、我ながら情け無くも、唸り声しか出せぬ。

 悪魔の体は、足元に積み上がった古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴンの骸の山に、打ち落とされた。


 ルーキーは槍を天秤のように担ぎ、大きな伸びをひとつ、ゆっくりと降下して悪魔の落ちた場所へと歩き出した。


─── ドゴォ……ッ!


 古代エンシェント紅鱗龍レッドドラゴンの骸が数体舞い上がり、悪魔は黒剣をルーキーへと向け、狂喜のわらいを上げる。


 魔力と瘴気を孕んだ嗤笑ししょうが、空間を歪ませ目眩すら誘う。

 そこへ戸惑う事無く歩むルーキーは、再び獲物を剣に持ち替え、やや笑いを含んだ声で言った─── 、



─── あんた、俺のじいちゃん……じゃあねえよなぁ?



 悪魔はピクリと反応を見せると、更に顔を歪めて歓喜した。


 その魔力の本流に舞う、長い白髪と白髭、煌々と光る紅い瞳。

 そして、水牛の如き雄壮な、紫水晶の角が淡く光って、問いに応えているようだった。


 そして、唐突にふたりは再び剣を重ね、強烈な剣戟けんげきでぶつかり合う─── 。

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