第八話 遠き日の願い(中編)

 ホールと同じく、石を削って造られたような別室に、甘く爽やかなハーブの香りが漂っている。


 弟子ナタリアの魂と再会を果たした、西の魔女アネス。

 彼女が力を使い果たして眠りについた後、俺達はジゼルに案内され、この部屋に移動した。

 ジゼルは、ナタリアの記憶を引き継いだ妖精ミィルと同化して、このシリルに起きた過去の話を聞かせてくれている。


「─── 師匠の結界が出来てからしばらくは、なぁ〜んにも起きなかったんです。

元々あたしたちは、この山を降りないし、孤児ばっかりだったから里心も揺らがなかったんだよねぇ……」


 ミィルの喋り方が混ざったジゼルは、そのどちらでもなく、ナタリア自身が喋っているようにも思えてくる。

 彼女が淹れてくれていたハーブティは、もうすっかりぬるくなっていたが、清涼感の高い風味が心地よく感じた。

 話の緊迫感に、俺も緊張していたようだ。


「……つまり、君達は『西の聖地』の巫女で、母親代わりで師匠でもある、アネスと共にマナの湧き出すここを守り続けているんだよな?」


「そーです。聖地とは、マナの湧く場所『ユゥルジョウフ』そのものを指します。

でも、今残っている聖地はここだけ……。だからあなた方が、都市部のユゥルジョウフを移動させたと聞いて、すごく嬉しかった……そんな方法があったなんて!」


「君らの言うユゥルジョウフは、大抵は精霊信仰の拠点となっていたが、今はエル・ラト教が占拠しているからな。

下手に動けば戦の口火を切る事になる、この方法しか無かった」


 王都陥落後、もうこれ以上の聖地攻略は、帝国にとって意味がなかったはずだ。

 いや、実際にここは無事に残っているが、人里に向けては、ほとんどマナを放出していないようにも感じていた。


「……ああ、済まない。話を止めてしまったな。続けてくれないか? ここで何が起きたのか」


「はい。王都が落ちて、南の聖地が落ちて……終結宣言がされた数年後─── 」




 ※ ※ ※




 ポメルライヒ山のふもとに広がる南側の森に、三人の男の姿があった。


 疲れ切った顔、マントは所々破れ、血と泥に汚れた革鎧が覗いている。

 三人は時折、何事か言葉を交わしてはいるものの、目は血走って落ち窪み、顔は浮いた垢と跳ねた泥に汚れていた。


「─── また……この道か……」


「お、おい……もう無理だ。この三ヶ月、何度同じ場所を迷わされてる……俺はもう嫌だ!」


「……西の魔女だ……俺達ゃあもう、魔女の呪いに掛かってんだ……」


「ば、馬鹿言うな! 魔女ってのは、この国の精霊術師を炙り出す為のレッテルだ。魔女なんてモンは存在しないんだよ!」


「─── でも、俺らはその精霊術師を殺しまくってるじゃねぇか……。いくらレッテルったってよぉ、あんだけ怨まれてりゃあ……呪いくらいは……」


─── ギャァ……ギャアアァァ……ツ!


 報儀鳥ほうぎどりの声が頭上で響いた。

 七面鳥程の大きさで、くすんだベージュの体、黒い風切羽の先に、長く垂れ下がった飾りの羽根。

 その紅い瞳が、ジッと三人を見下ろしている。


 中央諸国の深い森にいる、やや稀少な鳥類ではあるが、この鳥には言い伝えがあった。


─── 報儀鳥が屋根で鳴いた家は、近く葬儀が行われる事になる


 普段ならそんな迷信など、鼻で笑う程度には気丈であった彼ら軍人も、限界寸前の精神状態の今は違った。


「─── う、うわあああぁぁッ!」


「ば、馬鹿野郎! ずりぃぞ、ひとりで逃げるな!」


「大声を出すな! 魔物に気付かれ─── 」


 恐慌状態に陥って、森を駆けるふたりには、取り残された仲間の声はもちろん、肉を食い破り骨の砕ける一瞬の音には気がつかなかった。


 マナの多い場所は、自然と魔獣が生まれ、魔物も集まりやすくなる。


 三ヶ月間、無理矢理に張り続けて来た、精神の紐が切れた。

 これだけの期間、この魔物の徘徊する森を生き延びただけに、相当な訓練を積んでいたであろう彼らではあったが……。

 魔物へのセオリーなど、魔女の呪いへの恐怖に呑まれ、ひ弱な人間族の本能しか残されていなかった。


 血の臭いは飢えた人外を、何よりも寄せ付けるものだと、彼らは思い出す事もなく森に消えた。




 ※




─── ……やっと死んだ


 背後の声にナタリアが振り返ると、最年少の少女が青白い顔で立っている。


 『入ラズノ結界』から反応が現れて三ヶ月、彼ら帝国兵の様子は、ナタリアの部屋の鏡に映し出されていた。


「カテュラ……子供の貴女は見るなって……

─── ふぅ、そうね。やっと死んだの」


「……いい気味。アルザス人はみんな死ねばいいのに」


「気持ちは分かる、分かるわカテュラ。……でも、忘れないで。

私たちはこの聖地を守る巫女、ただ純粋にこの地の命を想うだけよ。憎しみに呑まれたら、精霊の声は聞こえなくなっちゃう」


「─── それはナタリア姉様も同じでしょ?」


 ナタリアは返す言葉がなかった。

 彼女の心には、ここ二〜三年の間に、帝国への怒りと憎しみを刻み込まれている。

 幾らマナが穢されたとは言え、精霊術師の彼女達にとっては、国内で起きている出来事を精霊の眼を通して見る事など造作もない事だった。


 普通、戦で負けた敗戦国の者など、虐殺と強奪、男は殺され、女は姦され、暴虐の限りを尽くされるのがこの時代の常識だ。


─── しかし、帝国兵は敗者であるシリル人を、酷く扱う事はしなかった


 ただし、徹底的に思想と行動を管理され、それまでのシリルの全てを、完全に否定した。

 人々は家畜の如く耳に標章をつけられ、家族単位、地域単位で把握された後、従わぬ者の通報を義務付けた。

 従わぬ者が出た場合、その家族もしくは地域の者にまで、その責任は追求される。

 通報した者はその責任から外され、その都度、褒美も与えられた。


 最初はお互いをかばい合っていたシリル人も、監視役を同国の者から任命されるようになると、通報する事が同胞のためだと刷り込まれている。

 帝国の敷いた規範に応じないものは、今までこのシリルを堕落させていた因子だとして、処理される。


─── 特に精霊信仰の者、精霊術を扱う者への弾圧は、凄惨せいさんを極めた


 彼らはそれを『魔女』や『精霊憑き』と呼び、連日のように公開処刑が行われ、シリルの空には人の焼かれる煙が絶え間なく上がる。

 その狂気としか言いようの無い情景は、犠牲者の強い感情に刺激された精霊を通して、彼女達の脳裏に流し込まれていた。


「何が魔女よ……私たちが魔女なら、アイツらは悪魔じゃない! みんなだって、あんなに簡単にアルザス人の言葉を信じるなんて……」


「カテュラ……私たちは母様と、精霊の声を信じていればいいの。今、外の騒ぎに気を取られてしまったら、それこそ帝国の思惑通りよ?」


「………………そう、そうねナタリア姉様。私は母様を信じる……」


 この聖山へも幾度となく、帝国からの討伐の手が放たれ、聖地を捜索している様子が見られた。

 しかし、アネスの構築した『入ラズノ結界』

はそれらを確実に阻み、彼女達が手を下さずとも、周辺の魔物によって始末されている。


 抗わず、交渉の場に立たず、こちらの居場所すら掴ませない。

 西の聖地は、その姿勢を守り通していた。


「─── もうマナを穢す必要なんかない。この聖地が残っていても、帝国の支配は揺るがないのに……。

まだここを狙うのは、確実にシリルを操るためだとしか……」


 カテュラが出て行った方を見つめながら、ナタリアはひとりつぶやいていた。


 帝国の狙いは将来に渡る完全なる支配、そのためには何としても、この聖地を奪う必要がある。

 この二年程の間に、その帝国の意思は、何度となく示されていたのだった。



─── しかし、人心掌握に優れた帝国の意向は、別の形で確実に示される



 帝国からの手が途絶え、森の静寂が続いたある日、結界内の異変を精霊達が報せに来た。


「─── あれは……精霊術師? まだ生き残りがいたなんて……」


 精霊達の報せに、手練れを連れたナタリアが駆けつけると、そこには大きなかごを背負った女の姿があった。

 所々に泥のこびり付いたような酷く汚れた姿で、ふらふらと今にも倒れそうな様子、そしてその周りには精霊達が飛び交っている。

 間違いなく、あれは精霊術師だと、その場にいた誰もが直感した。


 罠を疑いつつも、ここはマナの溢れる己の領域、彼女達はその来訪者へと近づいた。


「待ちなさい、ここは西の聖地です。如何なる理由で─── 」


 ナタリアの言い掛けた言葉は、その姿を目の当たりにして、喉の奥に押し止められた。

 長く野晒のざらしにされたかのような衣服は、よく見れば白地に青のラインの入った、精霊術師の術衣であると分かった。

 水を表す青のラインは、東の聖地の巫女の証。

 この聖地と二分していた、強力なユゥルジョウフの巫女であった。


 王都陥落と同時に滅ぼされて以降、彼女達の安否は不明なままであり、すでに亡き者にされていたと思われていた存在だ。


「……ひ、酷い怪我じゃない! 今すぐに手当を─── 」


 声を掛けるまで、彼女はナタリア達の姿すら、目に入っては居なかったようだ。

 ようやく立ち止まると、うつむいていた顔を上げ、残された片方の目だけでナタリア達を見渡す。


 遠目に泥汚れに見えた汚れは、出血と膿に汚れた彼女自身の体液。

 力無く垂れ下がった手に、指の数は半分も残っておらず、残された指に爪は見当たらなかった。


 東の聖地が攻め落とされてから、今までの時間、彼女がどれだけの仕打ちを受けて来たのか……。

 それを物語る痕跡の数々に、ナタリア達は呼吸を忘れる程に、ただ立ち尽くす他なかった。


(……て、手当……? 何処から手をつければ……)


 欠損部分が多過ぎる、時間が経ち過ぎている、損傷部分が深過ぎる、食い込んだ異物が多過ぎる。

 何もかも手遅れにしか見えず、むしろナタリアは回復不能な状態よりも、この一点に激しく動揺していた……



─── 何故、この状態で


 

 精霊から癒しの力を借りて、彼女に施してはみたが、反応ひとつ見られなかった。

 もう、精霊の起こす魔術すら受け入れられない程に、肉体も精神も衰弱していた。


「…………あ……ああ……よかった……。やっと……休め……る」


 かすみ色の瞳に、安堵の輝きが一瞬だけ灯ると、彼女は地に倒れ込んだ。

 事切れる瞬間だと、誰もがそれを瞬時に理解して、唇を噛み締めた。


─── その背中にくくり付けられた籠から、倒れた勢いで、白い塊が飛び出している


「─── ッ⁉︎ ……み、みんな見ちゃダメ!」


 ナタリアはそう叫び、籠を覆い隠した。

 

 ……だが、もう遅い。

 それを目にして何人かがへたり込み、力無い悲鳴か嗚咽おえつか、呼吸すらままならないショック状態に陥った。


「…………ァ……ゥアアァァ……アーぁぁ……」


 地に投げ出された衝撃で気がついたのか、は弱々しく呻き声を上げる。

 同胞を見つけた歓喜、それとも生きている自分への呪詛じゅそ、どちらとも取れる無感情な呻きが辺りに響いていた……。




 ※ 




「─── 東の巫女、アイリス……。

間違いありません、間違うはずがありません……あの子の事は」


 処置室から出て来たアネスは、青ざめた顔で呟いた。

 眠りについたのだろうか、先程まで聞こえ続けた抑揚の無い呻き声は、もう部屋から聞こえてこない。


「アイリス様……⁉︎ では母様の……!」


「ええ、私の妹弟子です。

……もう会話をする事も叶わないでしょう、舌を切られたからではありません。もう、彼女の心はこの世界に、留まっていないのですから」


 そのアイリスを背負って来た女性は、すでに息を引き取り、名前すらも分からなかった。

 その遺体を検めて、尚更、どうやって聖山にまで辿り着けたのか、不思議な状態だった事だけは分かった。

 それは背中に背負う、アイリスの人体が著しく欠損していた事を含めても、彼女らの想像が及ぶものではない。



─── かつてのアネスの弟子、東の巫女アイリスは両手両足はおろか、確認する事すらはばかられる部分まで失っていたのだ



 ただ、ふたりとも長い時間を掛けて、殺さぬように延々と、拷問を受け続けていた事は確かだった。


「……帝国には余程、魔術に賢しい者があるようですね。

『入ラズノ結界』の隙間を縫う為に、捕虜の精霊術師を道具にするとは、こちらの結界を読み取られたと考えた方がいいでしょう……」


「─── 結界が……読み取られた……⁉︎」


「そうです。でなければ、わざわざ肉体に強化の魔術を施してまで、動けぬはずの捕虜を手離すはずがありません。

……精霊の祝福を受けた者、その声が聞こえる者以外を禁ずるという条件を知られたようです」


 そう言ってアネスは書簡を取り出した。


「アイリスの衣服に忍ばされていました。帝国は私たちに投降を求めています」


「─── ッ⁉︎」


 内容に目を通したナタリアは、怒りに顔を赤黒く染め、感情を露わにした。


「…………か、母様は、悔しくは無いのですかッ⁉︎ 手足も舌も目も奪われて……アイリス様のあの姿を見て、何も感じないんですかッ‼︎」


「─── お願いナタリア……今、今その話はしないでちょう……だい」


 ナタリアの手を両手で包み込み、押し出すような声でアイリスは呻いた。


「……かあ……さま。ごめんなさい……」


 添えられた母の手、その爪の根元には、赤黒い内出血が起きていた。

 怒りと哀しみ、その慟哭どうこくの代わりに、強く握り締めたのだろう。


 聖剣マナグラスペゥルの代償で、一時は老婆のように弱り切っていたアネスは、最近少しずつ体を戻していた。

 しかし、たったこの数時間で、深い疲労の影が、くっきりと刻み込まれている。


「……私はこの聖地の番人、そして聖剣の使い手です。人としての感情は、その力を濁してしまうのです……。

冷酷に見えるでしょうけど、このユゥルジョウフを守るためには、己を捨てなければ……」


「─── ごめんなさい……母様。本当は分かっているんです、私だって巫女だもの……。

ただ、気持ちを押し殺す母様をみるのが辛くて……」


 巫女は神に仕える者、己の感情すらも捧げる彼女達は、その喜びも憎悪も神聖な場所に供物とする。

 プラスの感情はマナを輝かせ、マイナスの感情はマナを濁らせる、それを何よりも知っているのは彼女達だ。


─── 妖精の血が色濃く、マナの恩恵で寿命を延ばしても、心は人のまま


 だからこそ、巫女として人の心を捧げられるのだが、今はその弱い心がさざ波を立てていた。

 ……そして、その心を嘲笑うかの如く、帝国は次々に手紙を持たせた精霊術師を送り込んで来るようになって行った。


─── 最後の聖地、その巫女達の精神力は、ある日唐突に崩される事となる


 最年少の巫女カテュラが居なくなった。


 ある日、朝の祈りにも、食事にも顔を出さない彼女を不審に思い、訪ねた部屋にはすでにその姿は無かった。

 荷物をまとめた様子はなく、寝具には起きてすぐの状態が残されている。


「…………だめ、あの子の感情が激しくて、精霊と繋がれない……」


 精霊を通して彼女の行方を探っていたが、誰もそれを叶えられなかった。

 ここ連日、彼女が沈みがちだと、何人かが気付いていたが、それを確かめた者はいない。


 それもそのはず、度々送られてくる精霊術師達は、皆一様に目を背けたくなる姿にまで痛めつけられていて、聖地の周りにはその墓地ばかりが増えて行く。

 すでに部屋は回復のしようがない精霊術師達で溢れかえっている。


─── 更に帝国は、精霊術師への拷問を、聖地のすぐ近くで見せつけるよう始めた


 嫌でも届くその思念が、この巨石に暮らす彼女達の元にまで、精霊を通して伝えられている。

 ……カテュラだけではない、誰もが塞ぎ込んでいたのだ。


「─── そ、そう言えば。何日か前にあの子『自分の両親が拷問されたらどう思うか』って、急に聞いてきた事がありましたけど……」


 カテュラと特に仲良くしていた娘が、震える声でナタリアにそう告げる。


「カテュラは……あの子は両親に直接この山に捨てられたのよね……?」


「うん……だから『なんで今更そんなことを』って聞き返したら、笑ってましたけど……今思えば辛そうだった……かな」


 カテュラはこの聖地に迎え入れられてから、それ程長くはない。

 戦争の起こる少し前に引き取られ、親への怒りや悲しみが色濃く残っていた。


 それは裏を返せば、それだけ彼女の想いが大きかったという事でもある。


─── バァンッ!


 突然、大きな音を立てて部屋の扉が開くと、カテュラを探していた一人が飛び込んできた。


「─── た、大変! こんなものが……」


 それは一通の便箋びんせんだった。

 対象者以外の意識を逸らす呪いの掛けられた、明らかに結界外からの異物。

 精霊に問えば、これは数日前に送られて来た、精霊術師が持っていた事が分かった。



『─── カテュラへ

ママたちが間違っていました。あなたを捨てた事を、どうかゆるしてください。


この国はもうダメです。


他の国であなたと一緒に、やり直したい。

この山の南側、入口の町で待っています。


あなたを愛するママとパパより─── 』



 確かにその手紙からは、娘を求める思念が強く染み付いているが、その思念が温かいものなのかまでは判断がつかなかった。


「─── こんなの、罠に決まってる! どうしてカテュラの両親が、隠蔽いんぺいの呪術を使えるのよ……」


「…………でも、今のあの子には、その判断がつくかどうか……」


 その場にいた全員がうつむいてしまった。


「母様には、この事は……?」


「教えていないわ、今は母様すごくお辛そうだから……」


 連日増えて行く、同胞の無残な姿に、アネスは献身的に治療を施していた。

 しかし、精神から痛めつけられた者達は、癒す事が出来ず、帝国に掛けられた強化の魔術が解ける端から、苦痛と呪詛の呻きを上げる。


「─── 繋がった! カテュラの近くの精霊に繋げられました!」


 ずっと交信を試みていた一人が、水鏡にその像と音を呼び出す事に成功したようだ。

 映像は酷く荒れていたが、声はそこからハッキリと響き出している。



─── ぐっ、いた、痛い! 何をするんだ、約束が違うじゃないか!


─── そうよ! あの娘を連れ出せば、私達夫婦だけは見逃してくれるって……!


─── それはお前らの村に、異教徒がいた罪に関してだ。

この異端の小娘を、この世に産み出した罪は、見逃すとは言っていないはずだが……?


─── そ、そんなッ! こいつが産まれたせいで、私たちはずっと除け者にされて来たのよ⁉︎


─── そうだ! それに俺は関係ない、この女が勝手に産んだんだ! 大体、俺は金髪に緑の目、シリル人だ、この女がどっかの男と……



─── 黙れ…… ザンッ! ズグッ!



─── …………どう言う……事? この人たち、私を売ったの……?


─── 口を聞くな下種げす。仲間を捨てて、自らを捨てた親愛おしさにやって来るとは、矜持きょうじのかけらもない……。


─── 違うッ! ……私はコイツらに一言、最後の別れを言いに来ただけ……グブッ


─── 口を聞くなと言っただろ。お前はこれから光の神に背いた、その罪を償うのだ。

……どういう事かは、もうすでに山の上で見て来ただろう? お前もじきにああなる……


─── ……ひぎぃ……っ ……あ、ぁぁ……



 ナタリアは巨石から飛び出し、風の精霊の力を借りて、高速で駆け下りていた。

 降りたところで、結界の外では精霊術を使える程、マナが無い事も理解はしている。


 自分には両親が居ない、それが健在であったカテュラにうらやまましさもあった。

 だが、カテュラはアネスを選び、それを純真な心のまま伝えに行って罠に掛かった。


─── その理不尽が許せなかった


 ここ連日、傷ついた精霊術師達を保護する為に、何度も往復した道は、考えなくとも駆け抜けられる。

 人の動体視力では、追う事すら出来ない速度で進む、その彼女の背後から声がした。


「─── ナタリア、いけない。ひとりじゃ無理よ……」


「あ、貴女たち……! 結界の外じゃ精霊術は使えないのよ? 戻りなさい!」


 気がつけば、ナタリアの背後には、聖地の同世代の巫女達が追いかけて来ていた。

 ナタリアは帰らせようとするも、彼女達は頑として応じず、その目には強い意志がこもっている。


「助けられるかは分からないけど、私たちは巫女でしょ? 人の心を捨てたら、捧げるものが無くなっちゃうもんね。

……みんなね、出来る限りの事をしてあげたいのよ、あの子の為にも!」


「そーだよ、ナタリアはどーだか知らないけど、私たちはまだ巫女になれる程、成長してないんだから。

巫女の仕事は母様にお願いして、人間臭いのは私たちでね」


 ナタリアの目に涙が溢れた。

 ここ最近、自分が巫女たる姿勢を保とうとしながらも、怒りと哀しみに胸を焦げ付かせていた。

 それを最も古株の彼女は、アネスに見せる事も、仲間に見せる事も出来ずにいたのだ。


「……みんなね、助けたいんだよ。カテュラの事も、ナタリア……貴女の事も」


「う……っ、貴女たち……」


「あはは! 初めてナタリア泣かせてやったもんね! ……あんたにはいっつも負けて泣かされっぱなしだったんだ。

これでやっと─── 」



─── 下種共が、仲のいい事だ……!



 もう少しで、麓に辿り着こうかというその瞬間、全員の頭の中に男の声が響いた。

 途端に精霊術の制御が失われ、次々に彼女達は地面に打ち付けられる。


「……ジョルジュ様の策略には、毎度の事ながら驚かされる。

人が手の平で踊らされるこの瞬間は、寒気がする程だ……」


 そこには、帝国兵の象徴ともいうべき、白く曇った銀色の鎧を着た、男が立っていた。

 精霊術を失い、地面に叩きつけられたナタリアは、全身に傷を負いながらも、立ち上がろうとする。

 しかし、人としての力すら奪われたかのように、身を起こすので精一杯だった。


「─── ……ぐっ、うぅ……だ、誰? なぜ、結界内に帝国兵が─── ぐっ‼︎」


 その胸元へ鉄靴の先で蹴り込まれ、ナタリアは地に転がった。


「下種が……耳障りな声で鳴くな、穢らわしい。

─── おい、もうこいつらは、そこらの町娘以下の力も持たん。全員捕らえろ!」


「「「ハッ!」」」


 ここはまだ結界の中にあるはず、何故ここに精霊の声を聞く事はおろか、祝福すら受けていない帝国兵がいるのか……。

 声を出す力さえ奪われたナタリアは、必死に抗おうとするが、掴まれた腕を払う事すら叶わなかった。


「想定通りだ! 第七魔導師団、もう生温い呪力の放出にも飽きただろう……。

送り込んだプレゼント共の、リボンを解いてやれッ!」


「「「ハッ‼︎」」」


 魔術師風の、黒いフードを被った軽装の一団が、頂上に向けて一斉に杖を構えて詠唱に入る。


(……この詠唱は呪術……? 『送り込んだプレゼント』って、まさか……⁉︎)


「…………な、何を……何をする気……ッ!」


「うるせえんだよ、堕落者がッ!」


 ナタリアが体を硬ばらせると、彼女の腕を掴んでいた帝国兵が、いら立たしげに腹部に拳を打ち込んだ。

 まともに食らい、激しく咳込む彼女を、帝国達は嘲笑う。


「お前達が必死こいて運び込んだあの薄汚い魔女共に、なぁ〜んも仕掛けてねぇとでも思ったのかよ。

……ほんと、精霊術師ってのは、揃いも揃って、頭お花畑だぜ。く、ははははは!」


「─── ッ⁉︎」


「呪術だよぉ、あの脱け殻みてえな女共には、マナをけがす呪術が掛かってる。今までは気づかれねぇようにチマチマ出させてたが……」


「勝機は全て揃った! 第七魔導師団ッ、この糞みたいなド田舎を、黒く塗り潰してやれ!

─── 【穢手の譜バウラウ・カン】放てッ‼︎」




 ※ 




 運ばれて来た手負いの精霊術師達は、治療を始めると、急に目が虚ろになる者が多かった。

 最初は『緊張の糸が途切れた』ためだと、アネスは思っていた。

 今も怯え切っていた女性を、安静にさせた瞬間から、生ける屍と言っても障りのない程に動かなくなってしまった。


 ……何かがおかしい。


 アネスだけでなく、一緒に世話をしていた数名の娘達も、その様子に恐怖すら感じ始めているようだった。


「…………ァ……ゥアアァァ……アーぁぁ……」


 突然、眠っていたと思っていたアイリスが、呻き声を上げ出した。


「……あら、どうしたのアイリス。目が覚めたのね?」


「ァァ……アァ……」


「「「か、母様……!」」」


 娘達の声に、アイリスから目を離した時、その異変に気がついた。

 ここで手伝っている娘達は、まだ若い者が多く、怯えてアネスの近くに固まってしまった。



─── 寝ていたはずの者達が、一斉に身を起こし、アネス達の方を向いて口を開けている



 自力では起きられないはずの者や、後数時間も持たないであろう者達までが、同じようにこちらを虚ろな目で見つめていた。


「ァァ……あ、ぁぁ……あ、あアあああああああーッ‼︎」


「「「あアァァああああァアアああああ」」」


 彼女達の口から、異様な叫び声と共に、黒い霧が蛇のようにうねりながら吐き出される。

 穢れそのもの、まるでアンデッドの意思をそのまま具現化したような、怨みと憎しみと生への執着が流れ出た。


「……みんな、私から離れないで!

─── 【天原の聖域ネフォ・ノーフォア】」


 精霊術による、浄化と結界を試みたアネスは、言葉を失った。


 ……すでに周囲のマナは穢され切っていたのだ。

 彼女に従っていた精霊の内、大きなマナを必要とする強いものは、物言わぬ虚ろな存在と化し力を失っている。


─── そのわずかなアネスの魔力の輝きに、穢れに呑まれた精霊術師達が一斉に飛び掛る


 かつての妹弟子アイリスまでもが、両目と舌、手足まで失った体を波打たせて、アネスに食いつかんとのた打っていた───

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