第九話 遠き日の願い(後編)

 寝台が乱雑に並ぶ部屋に、風の刃が吹き荒れた。


 アネスの手によって、救われたはずの精霊術師達は、紙切れのように切り刻まれて朱を散らした。

 わずかに残されたマナでは、強力な精霊と繋がる事は出来ないものの、アネスの中の小さな精霊だけでも事足りてしまった。


「……か、母様ぁ……」


 怯え切った娘達は、その場にへたり込み、震えていた。

 バラバラに飛び散った遺体から、臓腑ぞうふの臭気が立ち込め、嘔吐する者もいる。

 アネスは彼女達に声を掛けつつ、足下に転がる遺体のひとつに、気を取られていた。


「アイリス……」


 手足が無く、体勢が低かったせいだろうか、その遺体は他に比べて綺麗なものだった。

 うつぶせに倒れる彼女を起こし、その肩を抱こうとするが、頭部がゴトリと音を立てて床に転がる。


「─── ごめんなさいね……」


 せめてもの情けにとその顔を整え、開いていた口を閉じさせたが、眼球の無いまぶたはどうしようもなかった。


─── バァンッ!


 激しく扉が開き、巨石の外にいた娘達がなだれ込んで来ると、室内の惨状に戸惑いを見せる。


「……か、母様! ご無事でしたか……!」


「ええ、私は大丈夫よ、ありがとう。申し訳ないけど、この子たちをお願い……。

ナタリアはどこに─── 」


「…………そ、それが……ナタリア達は、拐われたカテュラを追い掛けて……」


「─── ッ⁉︎ カテュラが⁉︎」


 その時、部屋に散らばる遺体から、黒い霧が噴き出した。

 アネスはそこにいた娘達を部屋から逃がし、霧の集まる中央をにらみつけた。


 黒い霧が渦巻いて、次元の穴が空いたように、黒い円が浮かんでいる。

 そこから人の気配と、殺気を孕んだ魔力が溢れ出していた。



─── カテュラ……? ああ、何処かで聞いたと思ったが、おびき出された愚かな小娘の事か



 その声と共に、石床を踏む鉄靴の足音が響く。

 黒いフードを目深に被り、小振りな盾と小剣を持った男が立っていた。

 フード付きのマントの下には、帝国の銀鎧がうかがえ、数々の強化魔術が重ねがけされているのが分かる。


「帝国の……魔術兵ですか。ここは聖地、貴方達のような、闇の魔力を持つ者の立ち入りを許しません。

─── 即刻、立ち去りなさい……!」


 アネスが手を掲げると、突如薄緑色の旋風が起こり、魔術兵を中心に捕らえた。

 その暴風の中、風の刃が無数に現れ、高速で切りつける斬撃音が断続的に響く。


 アネスは大きく回り込み、周囲に精霊の光球をいくつも呼び出しては、肉体強化を重ねがけしていった。


─── シュカカカカカ……ッ


 突如、黒い穴から矢が連射された。

 極限まで高められたアネスの動体視力と、反射神経は、その直線的な矢の掃射を見切っている。


 擦り傷ひとつ無く彼女は避け切ったが、その矢は援護の為でしか無かったようだ。

 黒い空間から、次々と魔術兵が現れては、部屋を回り込むように移動して行く。


 即座にアネスは風の刃を放ち、魔術兵団の陣形を崩しつつ、三人程を仕留めた。


「─── 傷ひとつ負っていないとは、流石にショックなものですね……。その盾は魔道具でしょうか?」


 旋風が消え、その姿を見てアネスはため息混じりにつぶやいた。


 穴から最初に出て来た男は、仄かに光を発する小盾を構えて、その場に立っている。

 盾が創り出したのか、薄っすらと結界が男を囲っているのが見えていた。


「ふん、なかなかのものだな。貴様が『西の魔女』か……。

娘共が捕らえられたと言うのに、動揺ひとつ無く我ら帝国魔導師団を迎え撃つとは、噂に違わぬ切れ者のようだな」


「─── 娘共を捕らえた……?」


「……なんだ、知らなかっただけか。親を囮にひとりを捕らえ、愚かにもそれを取り返そうとした者共は、すでにこちらの手に落ちている」



─── 『…………そ、それが……ナタリア達は、拐われたカテュラを追い掛けて……』



 アネスの眼に殺意の光が灯った。

 男達の足下の床が、突如赤熱してマグマのように溶けて泡立つ。


 彼等は後ろに飛んで逃れるが、何名かは足を一瞬で蒸発させて倒れ、わめく間もなく消炭と化した。


「─── チッ! 詠唱も無くこれ程とは、化物め‼︎

散れ! 残りの魔女共は、別の他の分隊が抑えてるはずだ、コイツは確実にここで仕留めるぞ!」


「「「 ハッ‼︎‼︎」」」


(……他の分隊……? さっきの黒い霧は闇属性魔術の【魔導転送アムニード】……アイリス達の体内に仕掛けていたのでしょうけど、それはここで全部のはず……)


─── 死体を使った……⁉︎


 すでに息を引き取った精霊術師達は、外に埋葬してある。

 それらの数は、ここで治療していた者達よりも、倍以上の人数に及んでいた。


 【魔導転送アムニード】とは生物の肉体をにえに、その体積に応じた大きさの、魔力の門を創り出す魔術である。

 ここで治療していた怪我人達は、十数名だったが、埋めて間もない死体を使ったとすれば、外には倍以上の敵兵が入り込んでいる可能性があった。


─── その予感通り、外からも交戦の音が響き出した


 アネスは生まれて初めて抱く、強烈な怒りと殺意に、目がくらみ掛けていた。

 マイナスな感情は、遠い昔に捨てて来たはずであったのに、今の彼女の中には赤黒い情念が渦を巻いているようだった。


「二班、ここのマナを穢し尽くせ【宵闇ノ風フィディード】詠唱! 一班、小剣構えッ‼︎

術を使わせるな、連撃で掻き回せ!」



─── 何故、私がここの巫女に選ばれたのか、教えて差し上げましょう……



 アネスの声は、一斉に飛び掛った魔術兵達の怒号に掻き消され、それを耳にする者は無かった。


 俯いた彼女の体には、黒い蛇のような影が立ち込め、ぬらぬらとまとわりつくようにうごめいている。

 兵士の凶刃がその身に届く直前、振り上げた彼女の顔には、何処までも冷たい笑みが張り付いていた。


─── ドサ……ドドドゥ……ッ


 突如、アネスに襲い掛かった兵士達が床に倒れ、小剣が転がる金属音が木霊した。

 その中を悠然と歩き、指示を飛ばしていた男へとアネスが近づいて行く。


 その姿には二重に重なった、もうひとりの女性の姿が浮かんでいる。

 薄ぼんやりと揺らめく、長い黒髪に白い肌、一糸纏わぬ美しい女。

 それはうつむいたまま、肩を震わせて笑いをこらえているようにも見えた。


「─── な、何なんだ貴様はッ⁉︎ クッ、二班、早く【宵闇ノ風フィディード】を……」


─── ドサ……ッ


 男の後ろで一列に広がっていた兵士達が崩れ落ちる。

 外傷ひとつ無く、ただ唐突に死んでいた。


「─── なッ! 何だコレはッ⁉︎ 一体何が……かひゅっ……」


 言葉の途中で喉元を押さえ、しかし直ぐに力無く腕をだらりと垂らすと、男は前のめりに倒れ込んだ。

 その最後を一瞥いちべつする事もなく、アネスは部屋の外へと歩いて行く。


 部屋には血に汚れ、ズタズタになった寝台と、物言わぬ骸の転がる異様な光景だけが残された───




 ※ ※ ※




─── 四半刻後


 西の聖地は再び静寂に包まれていた。

 辺りには傷ひとつ無く倒れ、事切れた帝国兵の姿と、酷く傷つけられ血に塗れた白いワンピースの少女達の亡骸が点々と横たわっている。


─── もう、遅かった


 巨石ホールから出た時、すでに娘達は帝国兵に亡き者にされていた。

 魔術兵と戦っていた時に聞いた、外からの交戦の音は、一方的な殺戮さつりくの音だったとその時に気がついた。


 アネスは己に巣くう破滅の力を借り、断末魔を上げる暇も与えずに、侵略者達の魂を刈り取った。

 恐れ逃げ惑い、命乞いをする者もあったが、彼女の与える死は平等に振りまかれた。


 ナタリア達の行方を求めて、何度も精霊を飛ばしたが、何の反応も返っては来ない。

 何かしらの結界に阻まれたのか、それとも穢れたマナの漂う中、すでに届かぬ場所まで連れて行かれたのか……。

 『山の外へ行かねば』それが脳裏によぎった時、彼女の周囲を張り詰めた冷気が覆った。



─── 巫女よ……そなたがここを離れる事……許さぬ……



 アネスに重なった黒髪の女が、怖気のする程に冷たく、美しい声をつむいだ。


「…………分かっています、妖精女王ティータニアよ。私はこの聖地の巫女、このユゥルジョウフを守る者」


─── うふふふ……なら……わらわはその前に掃除をするとしよう……ふふっ、あははははは!


 アネスの身から離れた女王は、山を登ってくる帝国兵の軍勢を見下ろして、高らかにわらい声を上げていた。

 その嗤笑ししょうは空間を歪ませる程に、強大な魔力と殺意に満ちている。


「存分にお遊び下さいティータニア……。私は今一度、聖剣の力を使う事といたしましょう」


─── 無垢な願いしか叶えぬ、呪いの呪物か……今一度それに頼れば……其方、人には戻れぬ……人としての魂を使い過ぎておる……


 女王は少しだけ寂しそうな顔で、アネスに振り返った。


「…………構いません。しかし、人で無くなれば、巫女の資格は無くなってしまいますね……。

そして、私は半欠けの妖精となる。

……そうなれば、貴女を身に宿す事も出来なくなるでしょう。

後継者の娘達も失ってしまいましたし、私も巫女では無くなる……。ユゥルジョウフに人の心を捧げられなくなるのが、悔やまれます」


─── ここまで来て……ユゥルジョウフへの……捧げ物の心配とは……其方は本当に巫女だのう……


─── 今一度……其方が結界でこの地を隔絶すれば……負のエネルギーに穢れる事も無かろう


─── 心配するでない……後継は自らここにやって来る……そういうものだ


─── それまで……ひとり孤独に縛られるが……


「構いません……。いつかはこうなるはずだったのです」


─── …………そうか……では……ここでしばしの別れだ……生を終えたら……我が下へと来るがよい……


「……はい、貴女と出逢えて、私は幸せでした。ありがとうティータニア……」


─── ありがとう……か、人に言われたのは初めてじゃな……

……普通の人の娘として……生きる事も出来たが……恨んでおらぬのか……


「ふふ、そんなはずありませんよ。これだけの大事にすべきものがある、それが持てる人生など、どれだけの者が叶えられるでしょう……」


─── ……フフ……そうかもな……

さらばだアネス……息災でな……


 妖精の女王の姿が消えた。

 直後、山のふもとから地響きが上がって来る。


 妖精の女王はマナそのもの、魔力の塊のような存在である。

 この聖山に踏み込んでいる帝国兵の一軍など、ちりを払うより易く殺し尽くしてしまうだろう。

 女王は聖地をけがす者を払うのみ、彼女がその気を出せば、この国内に占拠する帝国を灰にするなど造作も無い。


─── しかし、彼女はそれをしない


 神と同等の彼女は、太古の制約により、人の営みに干渉出来なければ、する気もない。

 ただ、この地の精霊を守るのみである。


 女王は精霊のために聖地を穢す侵略者を殺し、アネスは巫女として聖地の守りに命を支払う。

 彼女達は己の想いに関係なく、ただただ、その役割を全うする。


─── 数回の地響きが聖山を揺らし、再び静寂が訪れた


 もう、女王の掃除は終わってしまったようだ。

 アネスはそれを見下ろす事も無く、真っ直ぐに巨石へと歩き出した。


「─── ティータニア。愚かな私をお許し下さい……」


 その眼は怒りと憎しみに歪み、彼女の髪がざわざわと揺れている。

 脳裏には我が子のように愛した、娘達の顔が浮かんでは消え、その度に呼吸が止まりかけていた。


 羽根のように軽く感じていた聖剣が、ずしりと背中に重くのし掛かる事すら、今の彼女には気づける程の心の余地は残されていない。



─── 古の大地ブロゥムブラマ、畏くもこの地に在わす、神々の御前に申す


我は主神マールダーの御恵たるマナと、精霊と、人とを結わえしユゥルジョウフの巫女アネス


この聖山連なるブロゥムブラマの宿敵より、幽けき光の子らを、護る力を欲さん


願わくはマナの恩恵の一握を、人の身たる我が血肉に宿す越権、しばし赦し給う───



 ホールの中央に立ち、アネスは神々に祈り、この国最大のユゥルジョウフからマナを吸い上げた。

 帝国の仕掛けた穢れの邪気が、百足むかでのように彼女に群がるも、触れる端から音を立てて蒸発して行く。



─── 聖剣マナグラスペゥル、我が声に耳を傾けよ!



 地に突き立てられた聖剣は、おぼろげな光を発し、只ならぬ圧力を発する。



─── ……この地に踏み込んだアルザス人の命を、このユゥルジョウフに捧げよ! 殺せッ、殺し尽くせ‼︎



 血の涙をこぼし、怒りに震えるアネスが、呪詛じゅそ咆哮ほうこうを上げた。

 地の底から響くような聖剣の声が、彼女の脳裏に応える。



─── ……断る……怒りに飲まれし者の声……我を手にする資格は無い……



「─── なぜッ! この国の安寧こそ、このユゥルジョウフの営みに相応しい! 穢らわしい侵略者など、この地に必要ないのです‼︎」


 聖剣は鈍く光るのみ、その姿にアネスは嗚咽おえつを漏らし、すがり付いた。


「どうして……こんな悲劇は必要ないでしょう?

この国の人間には、アルザス人の謀略など、不幸でしかないじゃない……ッ!

いえ、あの娘達には……あの子達には!」



─── ユゥルジョウフには……人の世の定めなど関係が無い……

……栄えるも運命……枯れ果てるも運命……



 アネスは泣き崩れた。

 彼女は理解していたのだ、ユゥルジョウフはマナを放出する噴き出し口でしかなく、人のために存在するものではないと。

 そして、聖剣も人の為に創られた存在ではなく、炎神ガイセリックの手で精錬された、数多の大地の精霊神そのものの集合体。

 この大地を守る存在であって、人の思惑など大地を這う些細な変化に過ぎない。


 それを思い出し、アネスはその憎悪を消した。

 血の涙に汚れた顔に、寂しげな微笑みを浮かべ、再び聖剣に手を伸ばす。


「そうでしたねマナグラスペゥル……。私は巫女、このユゥルジョウフの安寧を守る、妖精と人との間の存在

─── 人に在って、人ならざる者」


 聖剣が眩く輝きを増し、聖山を包み込まんばかりの、圧倒的な力を噴き出した。



─── 私の身に残る、全ての人の部分を捧げます……

この地に安寧をもたらす為、絶対の結界を作り上げるのです



─── ……人の肉体を失う事になる……今後は我の一部になるが……



─── 構いません。私はこの地を守る者



─── ……無垢なる者の願い……聞き届けた……



 アネスの体を通して、膨大なマナが聖剣へと流れ出す。

 その大地の力の暴風の中で、足元から現れた椅子へと腰掛け、彼女はホールの天井近くまで浮かび上がった聖剣の下から祈りを捧げた。


「私に残されるのは、妖精の血肉と魂……。

これで良いのです、あの子達を救う事すら出来ぬ、この人の身に未練など……」


 閉じた目から澄んだ涙が溢れ、頰の血を流して行く。



─── 彼女は切望した

やがてこの地に、再興の時がやって来る事を


─── 彼女は想い描いた

人と精霊とが、再び手を取り合うその日を



 聖山に転がる帝国兵と精霊術師達の遺体ごと消滅させて、この地は光に包まれた。

 その光が消える時、高く舞い上がった聖剣は、真っ直ぐに落下して地に突き刺さる。


 この地の安寧を願った巫女を、大地に結び付けるかの如く、その剣先は彼女を貫いた───




 ※ ※ ※




 石造りの部屋に、ソフィアの苦しげな溜息が響いた。


 ジゼルとミィルの話の途中から、彼女は腕を組んで目を閉じ、ただうつむいて耳を傾けていた。

 ドワーフのテスラとガウスは、怒りに逆立つ髪で兜を浮かせながらも、男泣きに泣いていた。


「─── その日、妖精の女王ティータニアによって、帝国兵の約四百名が殺され、死体すら残らなかったと。

それを受けて帝国は、西の聖地から撤退、触らずの御触れを出したらしいです。

『西の魔女には近づくな、死が訪れる呪いが掛かる』と、シリル人にも恐怖心を与えるように噂を流したみたいですね」


 クアラン子爵は目に涙を浮かべて、震えた声で呟く。


「……この地が守られたからこそ、今の私達があるという事ですか……」


「ミィルが先生の記憶も引き継ぎましたから……これが限りなく真実に近い話だと思います。

……帝国からすれば、この聖地さえ抑えられれば、全てにおいて盤石な支配が敷けたはずでした。でも、後々の蜂起の種として、聖地の威力を知った彼らは経済的支配に路線を変更して行きました。

─── 結果的には、先生がから、今のシリルがあるって事です……」


 少しでも反乱の可能性があれば、深入りしない方向に、修正せざるを得なかったという事だろうか。

 それから三百年が経ち、陰ながらの支配としていたこのシリルに、今本格的な経済支配へと切り替えようとしている。

 世界的に敷いた帝国の政策が、芽生え始めている現代で、搾取する段階に来たと踏んだのだろうか?


 ……それとも、何らかの勝算が出て来たか、もしくは逆に、背に腹をかえられぬ事情が出て来たのか……?


「……なぁ、アルの旦那よぉ」


 テスラがふるふると震え、俯きながら声を絞り出す。


「儂は人間は別に好きでも何でもないが……。理不尽な話は大ッ嫌いなんじゃ……!

─── 儂らにムグラっちゅう奴らを、早く会わせちゃあくれんか」


「…………奇遇だな。俺も少しばかり、この国の人間を最強にしといてやろうかと思っていたところだ。

─── もう、アネスを休ませてやらないとな」


 テスラと握手をしていると、ソフィアがくすくすと笑っている。


「ふふふ、私達で乗り込めば、帝国くらい直ぐに更地さらちにしてしまえるのですが……。そう選択しない所がアルくんらしいですね」


「ああ、あくまでもシリル人の手で、この地を完全に取り戻させるんだ。

人、精霊、マナが結びついての勝利じゃなけりゃあ、この国の犠牲者が救われない」


「ふっふ〜♪ よくわかってるねードクロマン! 流石はスタちゃんの旦那☆」


 ジゼルの体から抜け出たミィルが、上機嫌で俺の背中をバンバン叩いて来る。

 うん、凄くクッキリして来たね、地味に痛いよ。


「……はぁ〜、でもこれであたしの仕事は終わりかぁ、師匠が目覚めたら、みんなともおわかれだよぉ」


「ミィルはこの後どこへ行くの? この国に妖精の住む所でもあったりするのかな?」


 胸に顔を埋めるミィルに、スタルジャが寂しそうに尋ねる。


「え〜と、この国の妖精はね、二つに分かれてるんだー。

ひとつは、シリル人の中に少〜しずつ別れて入ってるんだよ。精霊と人が仲良くなれるようにって、大昔にそうしたの。

人が子供を産む度に、その子に分けられてるから、もうだいぶ薄くなっちゃってるけどね。

もうひとつは、精霊達を守るためにマナと一緒に散らばってる。それがあたしたち。

このお仕事が終わったら、またうすーいマナみたいな霧になって、精霊たちを守る仕事に戻るんだ……」


「……そっかぁ。大切な仕事なんだねぇ、でもミィルと離れるの、寂しいなぁ……。

ねえ、霧になるって、気持ちとか感覚はどうなるの?」


「うぅ、スタちゃん……。思念体に戻ったら、なぁ〜んにも考えられないただの霧。

必要とされる所にひっぱられるだけなの。

……はぁ、もうちょっと人間のごはん、食べてみたかったなぁ」


 ああ、ふたり共泣き出してしまった……。


「なぁ、ミィル。それってのは妖精の掟かなんかなのか?」


「ぐす……んーん。ナタリアとの契約なだけだよ? ナタリアがあたしに姿形と心を作ってくれたから……師匠に全部伝える仕事を終えたら、元に戻っちゃうってだけ……ふぇ〜ん!」


「……なら、書き換えてやろうか? 妖精のままでいられるように」


「「ふぇ?」」


 ミィルとスタルジャが、抜けたような声を出して、俺の事を見つめている。


「……契約書き換え? ムリムリ、そんなチョ〜ばりくそムズい事、夜の神くらいじゃなきゃムリムリ!」


「夜の神? そんなのいるのか。

……そうでもなさそうだぞ? てか、出来るしな?」


 契約の術式は丸見えだし、そんなに複雑でも無いしな。

 ほら、ティフォがベヒーモスを召喚術師から取り上げたのと同じ、書き換えるコツさえ分かってれば術式の書き換えは一瞬だ。

 書き換えつったら、アーシェ婆との模擬戦で散々仕込まれたしな。


 あん時は速く書き換えないと、アーシェ婆の超上級魔術に消炭けしずみにされるし、必死で憶えたから自信もある。


 ミィルがテーブルの上で正座して、何故かスタルジャとジゼルまで、姿勢を正していた。

 ……ああ、なんかそう構えられると緊張するから止めて欲しい。


「まぁ、そんなに畏まるなよ、すぐ済むから大人しくしてろ」


「は、ハイッ!」


 ミィルに掛かっている具現化の魔術に意識を集中させると、彼女の周りに光の文字が浮かび上がる。

 んー、そいそいっ、後はこの契約者署名を……まぁとりあえず俺にしておくか。


「はいよ、これでお前はずっと妖精でいられる。寿命は……もういいやってなるまでだな」


「ん? ねぇオニイチャ。オニイチャの魔術って、たしかポンコツけーやくで、バグってなかったっけ?」


 あ、そう言えば召喚契約の書き換え、成人の儀以降やるの初めてか……?

 契約者を俺名義にしたけど、ま、まあ、元はナタリアが作ったもんだし、変な事には……



─── ズ ズ ズ…… ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ……



 あいやー、なんか仄暗い魔力立ち込めちゃってるよぉ?

 部屋に暴風吹き荒れっちゃってるよぉ?


─── ……く、ふ、あはははははははは!


 邪悪なわらい声が室内をぐるぐる回り出した。

 金色に光っていたミィルのふわふわの髪が、暗い紫色のしっとりとしたストレートに……。

 茶色の宝石のような澄んだ瞳は、暗いすみれ色の光を放つ、妖艶な魔性を孕んだ邪眼へと。


 鋭い八重歯を見せて笑うその背中には、白く可愛らしかった蝶の羽から、黒に赤い眼玉のような模様の入った毒々しくも美しい羽に変化してゆっくりと羽ばたいている。


(……やっべぇ、これやっべぇ害虫にしちまったか……)


「─── ふぅ。なぁんかコレ、すっごい力出てくるね〜!

やるじゃないアルフォンス! あたし今なら星のひとつやふたつ、消せそーだよ☆」


「あ、ああ……多分出来ちゃうから、やめとけな? まあ、なんだ、美味いもんでも食って、平和に生きてこう……な」


「あはは♪ おもしろーい☆ アルフォンス、まぢウケるー♪」


 いや冗談でもねぇんだけど、どこが笑いどころなのかサッパリ分かんねぇんだけど……。

 こいつの魔力、今まで会った魔族の魔公将の誰よりも高いんじゃねぇか⁉︎


 唖然としていたスタルジャか、慌てて笑顔を作り、ミィル(?)に話し掛ける。


「へ、へぇ〜! ミィルって紫色の髪も、に、似合うね♪ なんか顔も……す、すごい美人さんになってるよ?」


「え? なにソレほんと? 鏡見てこよーっと♪」


 何の前触れもなく、瞬時に転位魔術の光を残して、ミィルの姿が消える。

 その様子を見ていたスタルジャの眉間に、汗が流れるのを見てしまった。


 部屋には膨大な魔力の渦が残されていた。


「……ね、ねえアル? あれはミィルなんだよね? 破壊神とかじゃないよね?」


「─── 分からん。全く分からん! 

ヤバくなったら契約者署名をスタルジャに変えるから、術式の書き換えを憶えて置いてくれ……」


 まあ、ソフィアはニコニコしてるし、ティフォはベヒーモスと遊んでるから、悪いもんじゃないだろ……。


 ドワーフのふたりは、奥歯ガチガチ鳴らしてるけど、多分冷えただけだろ。

 ふたり共、見た目老人だしな、うん。

 ジゼルもガチガチしてるけど、女の子だしな、冷えやすいんだよ、きっと。


「な、なぁアルの旦那よ。お前さん、シリル人を何処まで魔改造する気なんじゃ……?」


「魔改ぞ……。大丈夫だ、今のはちょっとクリーンヒットしただけだから。ほら、あるじゃない、何の気無しに作った剣が名剣になっちゃうとかさ……」


「お、おう……。そんな事、あるのぅ……」


 ドワーフ達は何とか納得しようとしているようだ。

 まあ無理もないよな、何となくで破壊神造られたら、安心して暮らせねぇよ。


 その後、鏡を見て自分の新しい姿がお気に召したのか、文字通り飛んで戻って来たミィルに揉みくちゃにされた。

 ……すっごい力だった。


─── テンションはやけに高いが、人間(妖精)性にそれ程変化は無いようだ


 ちょっとしたアクシデント(?)で、皆の重苦しい空気は吹き飛んだが、シリル再起への気持ちは高まったままだ。


 もしかして、シノンカの神殿でラミリアが言っていた『今まで隠れていた、全部壊す存在が出て来る』とは、帝国の事なのだろうか。

 調律の神オルネアであるソフィアに選ばれたのだから、その内に俺はそれらとも戦う事になるのだろう。

 それが帝国なのだとすれば、調律の意味で言えば、周辺国にも抗える力を持っていてもらわなければならない気がする。


─── シリルの再起は、今後の世界の動向にも大きな影響を与えるだろう


 もしかしたら俺は今、すでに大きな運命の渦の中にいるのかも知れないと、ぼんやりと考えていた。

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