第八章 アルカメリア冒険者ギルド本部

第一話 兆し

─── 何だこれは、何だ、何が起きてる……!


 目に流れ込んだ汗を、固く目を閉じて拭うオウレン枢機卿は、血の気の引き切った蝋人形の如き顔で廊下を進んで行く。

 いつもならば彼の通る先々で、教団内の者達は足を止め、深く礼をとるはずである。


 ……しかし、今はそのオウレンの姿に、冷め切った、あるいは嘲笑を含んだ好奇の目が向けられ、白い僧服の背中ばかりが彼を迎えている。

 彼はそれに苛立ちながらも、足を時折もつれさせながら、早足で施設内をさまよう。


『……デューイッ! アルマスッ!』


 もう何度その名を繰り返しただろうか、乾き切った口に、流れてもいない唾を飲む。

 オウレンの探し求める、ふたりの腹心の姿は、何処にも見当たらなかった。



─── 一時間程前



「─── なッ‼︎ これは一体……どう言う事だ⁉︎」


 礼拝を終え執務室に戻ったばかりのオウレンは、机に置かれた書簡に目を通し、火が付いたように立ち上がった。



─── ローオーズ領ホーリンズにて、極光星騎士団所属の数名並びに、蛮族シャリアーンの身柄をが出兵の上拘束


─── ローオーズは帝国の侵攻を、内政干渉として交戦。

現在、ローオーズ領首都ハリオにて、膠着こうちゃく状態に陥っている


─── この局地的な外交問題の責任追求として、騎士団と蛮族を派遣した、オウレン枢機卿の出頭を求める



 署名はアルザス帝国法相、それに連ねアルザス帝国皇帝ハーリアの名が記されていた。


「ローオーズだと! 何故そんな所で交戦したと言うのだ……⁉︎

何故、帝国軍が出兵する……のだ⁉︎

このままでは……私は─── 」


─── 政治犯ではないか……!


 アルフォンスの抹殺命令は、全てデューイとアルマス司教両名に一任していた。

 まだまだ青いふたりとは言え、これだけの狂気とも取れる失態は考えられない。

 教団派の誰かの差し金……いや、シャリアーンはオウレンとの直接契約で動いている。


─── 考えられるのは、腹心ふたりの裏切り


 広大な敷地を何往復しただろうか、廊下最奥の袋小路に差し掛かった時、背後から手を叩く音が反響した。


「は〜い、時間切れですよ、オウレン枢機卿。

遅いから迎えに来ちゃいました」


 弾けるように振り返ったオウレンの目に、帝国騎士団の甲冑を身につけた、数名の男の姿が飛び込んだ。

 その中心に、アッシュグレーの髪で片目を隠した狐目の男が、まるで遊び相手を見つけた子供のように、無邪気な笑顔を浮かべて立っている。


「─── な、何かの間違いだ……!

これは何かの間違い……直接行動をしていたのはデューイ司祭とアルマス司祭なのだ!

第一、ローオーズに極光星騎士団など簡単に送れるものか! 私に何のメリットがあると言うのか……私は何も……」


「だからぁ〜、これからボクらんとこの、法相にそれを説明すればいいってんですよ。

失礼ながら、その老体に鞭打って、駆けずり回るってのも滑稽ですよ?」


「く……ッ⁉︎ 私は関係無い! デューイとアルマスを─── 」


「このふたりの事ですかぁ〜?」


 騎士達の後ろに、探し求めていたふたりの司教が立っている。

 その目は、汚い物を見下すかのように、冷徹でゾッとするような色がさしていた。


「デ、デューイ⁉︎ 

この状況は何だ⁉︎ 説明を─── 」


「オウレン元枢機卿……貴方はすでに枢機卿でも無ければ、信者でもないのですよ。

すでにラミリア様の教えに逆らう、背教徒として、教皇ヴィゴール聖下の名の下に解任されておるのです」


「なッ! ば、馬鹿な……!」


「君、デューイ司教に何て口の利き方かね?

異端者は本来、縛首なのですよ……。

ハーリア皇帝陛下がお求めなのです、命ばかりは見逃しますが、あまり生意気な口を叩かぬよう」


 アルマス司教の色白でふくよかな頰が、にんまりと持ち上がり、あざけりの含んだ甲高い声でそう吐き捨てられた。


「すでにね、彼らの事情聴取は済んでるんですよ〜。おふたりとも、協力的ですぐに終わりましてね。法相の人間もありがたがってたなぁ」


「─── は、謀ったな! デューイ、アルマス……!」


 掴みかかろうと一歩踏み出した瞬間、狐目の男はオウレンの後ろえりを掴み、振り回すようにして廊下に倒す。


「あら? 暴れちゃいます?

教団内では刃傷沙汰はご法度、面倒くさいのはいやだなぁ〜」


「─── き、貴様ッ‼︎ この手を離せ……」


「……おい、誰にもの言ってんだジジイ。こっちが笑ってる間に、事を済ませてやろうかってんだよ……。

帝国の血を吸ってる教団ダニは、元々癪に触ってんだ。

これ以上手を焼かせるってんなら、憧れのラミリア様の所へ、今すぐ行かせてやってもいいんだぜ?」


「…………くッ」


「分かってくれたらいいんですよ〜。

ああ、申し遅れました、ボクはアルザス帝国所属、ヒューレッドって言います♪

─── 短い間だけど、よろしくね?」


 その名を聞いた途端に、オウレンの顔は青ざめ、抵抗する素振りを捨ててしまった。


 帝国屈指の強者でありながら、法相直轄の戦闘から離れた、白鳳騎士団に身を置く異色の男ヒューレッド。

 開かぬ口を開かせ、死体ですら口を割る、通称『灰狐』─── 。

 

 彼が動いた事件で、罪状が覆った事は無い、アルザス法相のこぼれぬ剣。


「あはっ、流石は元枢機卿さんだ。そうそう、その方が心象よく見えるよね〜。

じゃあ……行きましょうか♪」


 すでにオウレンには立つ力も無く、ずるずると廊下を引き摺られて行く。

 ヒソヒソとさざめく、その嘲笑が彼の耳に届く事は、もう無かった─── 。




 ※ ※ ※




「じゃあね、父さん、母さん。それと義父とうさん達」


『─── うん、頑張ってね……。何かあったら直ぐに連絡するんだよ……!』


「アルファード……私の可愛い息子……。

それに私の可愛い娘達……。どうか無事で」


 父さんの石の腕に抱かれながら、車椅子の母さんが涙を流すのを、何とも言えない気持ちで見ていた。


─── 実家に着いてから一ヶ月が過ぎた


 俺達は母さんの看病を続けながら、義父さん達からハイエルフの魔術と剣技を教わり、父さんの集めた資料で姉さんを救う方法を探って来た。

 俺の魂に継承したクヌルギアの鍵も、その膨大な魔力が定着し切ったようだ。


 だが、何よりこの一ヶ月で高まったのは、俺達の絆だろう。

 

 俺とソフィアの秘密を打ち明けて以来、夢の世界の修練にも、赤豹姉妹が参戦した。

 最初は抜け駆けだとへそを曲げてたふたりも、手加減なしで無尽蔵に戦える環境がヒット、むしろ夜を待ちわびるようにすらなってくれた。


 その開放的な環境が良かったのか、姉妹との距離も実力もグッと近づいて来ている。


「イロリナ姉さんも、必ず連れて戻るからな」


『うん。あの子が帰ってきたら、うんと甘やかしてやらなきゃね……!』


『もう、あの子に甘いのは、元々でしょう?

─── アル、イロリナの事はもちろんだけど、絶対にみんなそろって帰って来るのよ』


「もちろんだよ、母さん」


 五人とも俺の両親とは、すぐに仲良くなってくれた。

 今も母さんの言葉で、スタルジャなんかは声を上げて泣いている。


『アル、我らから渡せるものは、もう何も無い。エルフの魂は、その身が朽ちても世界と共に在り続ける。

─── 本体もお前のそばに、いつも共に在る』


「……ああ、義父さんに笑われないように頑張るさ。なんせ義父さんがまだ十人もいるしな」


 そう言って笑い合い、俺達は方星宮を後にした。

 いつまでも手を振り続けてくれる彼らに、俺は帰る場所がある事を、胸の底で熱く感じていた。




 ※ ※ ※




 森を歩き出してすぐ、俺はその異変に気がついた。


「─── 何だか……森が静かって言うか……気配がおかしくないか?」


「ん? それはオニイチャへの、敵意がないだけ」


「俺への敵意……? なんだそりゃ─── 」


 突如目の前に、真っ黒い狼型の魔物が現れた。

 すぐさま構えるが………… 、


─── 魔物はのんびり、伏せの姿勢を取って、舌をハッハッと出している


 え? これ、グランウルフの仲間だよな?

 超獰猛でB級指定の奴だろ?


『─── アルジー、ドシタノ?』


「おお、ベヒーモス。こいつなんで襲ってこないんだ……⁉︎」


『エエ? 服従ジャネ?』


「ああ、そうなの…………って、しゃ、喋った⁉︎ ベビーモスが喋ったァッ⁉︎」


 ティフォ以外の皆んながポカンとしている。


「え? 皆んなには聞こえないのか? 今ベビーモスが喋ったんだよ!」


『ソリャ、喋ルヨ? ムシロ、アルジーガ、今マデ、分カラナカッタダケ、ダヨ?』


「マジか……」


『モウ、マジデ、隔靴掻痒かっかそうようッテ、感ジダヨネ』


「か、かっか……? 何それ?」


『アー、靴ヲ履イタママ、足ヲ掻ク。モドカシイッテヤツネ』


「難しい言葉知ってんのな! っつうか、靴履かねえだろお前⁉︎」


「上級魔物ノ、たしなミ? コマケエコタァ、イインダヨー」


 何てこった……ただ可愛らしい、俺の癒しだったベビーモスが……知性派か!


「んん? ティフォには聞こえてるんだよな?」


「ん、ベヒとは最初から、ずっと話ししてたよ?」


「ああ、ティフォは『全怪物の王』だもんな。で、俺がいきなりベビーモスの声が聞こえたってのは……?」


「魔王は、魔物の王だとも言われてますからね。クヌルギアの鍵を継承して、その域に達しちゃったのかも知れませんね」


 あれ? もしかして初めてティフォと出逢って、関係が上手くいったのも、なんかコミュニケーションが成立してたのもそれか……⁉︎

 長く一緒に居て、触手ティフォの考えが、ただ読めるようになっただけかと思ってたぞ?


「異世界転位失敗、岩にとじこめられて、はじめてであったのがオニイチャ。

んふふ、これはうんめーの、であい♡」


「わ、私だってアルくんと言葉くらい通じますからね! こ、こう見えて実は魔物なんですからね!」


「張り合わない、嘘つかない」


「悔しいじゃないですかー! ティフォちゃんとベビーモスにしか通じない、アルくんとの言語があるなんて! 私だって、魔物になりますよ!」


「何を言ってんだ何を……」


「がおー、た、たべちゃうぞぉー!」


「ん、ソフィ、やるならやり切れ。ハジはすてるべし」


 そんな事を話していたら、グランウルフはそろーっとどっかへ行ってしまった。

 ……ちょっと、撫でたかったな……。


「ねえ、お姉ちゃん。じゃあ、もしかして、私たちが感じてるのも、そうなのかなぁ?」


「そうね、アル様がそうだとすれば、納得がいくわね」


「ん? 何それ、俺がなんか関係してんの?」


「ちょっと見てて欲しい……」


 そう言ってエリンは近くにあった岩向けてに、魔術印を描いた。


─── 【針雷ニード・スンデル】!


 雷撃系最弱の魔術だ。

 針のように細い雷で、相手をショック状態にして怯ませる程度の、初歩的な魔術だが……。


 一瞬閃光が視界を紫がかった白一色に染め、パァンと破裂するような音が響くと、岩に大きな亀裂が入って後ろに移動した─── 。


「これは……威力だけなら中級、いや上級に近いんじゃないか⁉︎ 魔力効率見直すだけで、相当破壊力が……」


「うん、そうなの。アル様がクヌルギアの鍵をもらってから、私たちの魔力がどんどん上がっていってるの」


「最初は……夢の世界での修練の成果かと思ったんだけど、この伸び方は異常だと自分でも思うわ」


 俺が魔王に近づいたら、エリンとユニが強くなってる?


「それ……私も起きてるんだよね、やっぱりアルが原因だったのかぁ」


 スタルジャもそう言って、安心したような顔をしていた。


「ああ……もしかしたら、魔王の力かも知れませんね。

獣人族は元々、種族の派生が魔神族ですから、魔族に近いんですよ。だから繋がりの深い獣人は、魔王の影響を受けるそうです」


「「わぁい!」」


 そうだったのか……。

 姉妹は『繋がりYeah!』みたいな事を叫んで、ハイタッチを繰り返してる。


「あ、もしかして聖魔大戦以降、獣人族が人間族から遠ざけられた理由って、そういう獣人がいたって事か……⁉︎」


「実際、人に害を及ぼしたケースは無いみたいですけどね。魔族が現れた途端にパワーアップしてたら疑われるでしょう……」


 魔人族は魔族と身体的特徴が似てて、魔力も元々高いから、一番迫害を受けた。

 獣人族はそれほどでは無くても、住む所は押しやられ、交流が戻ったのは戦後大分経ってからだと言う。


 その他の亜人種は、元々人間族と距離を置いていたり、圧倒的に少数だった。

 この構図が今でも残っているのは確かだ。


 スタルジャはエルフだから、物珍しさで振り返られる事があるが、赤豹姉妹に関してはやや怯えが入っているようにも感じる事がある。


「え、じゃあ私のは、何でなんだろう……」


「もしかしたら、ミィルちゃんの存在が関係してるかも知れませんね……。彼女に何か変化は感じませんか?」


「─── あ……ある!

最近ずっと寝てばっかりなの! それなのに魔力が膨らんでいってる気がする……。

え、妖精って魔族と関係があるの?」


「いえ、妖精族は神族に近いですからね、それに近い、エルフのスタちゃんと相性いいのが証拠ですよ。

─── ただ、ほら、ミィルちゃんは、アルくんに魔改造された子ですからね」


「魔改造とか言うなよぉ……。ミィルは大丈夫なのか?」


「問題ないと思いますよ? 今はどちらかって言うと、スタちゃんの中で力と馴染むための、サナギ状態じゃないでしょうか」


 スタルジャが胸を押さえて『うっサナギ……』と呻いていた。


「じゃあ、このまま俺がどんどん魔力を高めていったら……」


「スタちゃん、エリンちゃん、ユニちゃんが、怪物じみた力を持つでしょうね」


「「「繋がりYeah!」」」


「嬉しいのそれ⁉︎」


 嬉しいなら良いんだけどな。

 呆然としていたら、足元にベヒーモスがくっついて、首を擦り付けて来た。


「あれ? お前ももしかして強くなったりしてんのかベヒーモス」


「ウン、スコブル。生マレテコノカタ、コンナニたぎッタ事ハ、ナイネー♪

今日ノ襤褸ぼろ、明日ノにしきッテモンダヨ」


「……何それ?」


「今日ハ、ボロイ格好ダッタノニ、明日ニハ、リッチナ格好ニ、ナッテル事モアル。転ジテ、運命ハ、ドーナルカ、ワカンナイモンダネーッテコト」


「それ、そう言った方が早くねえか……?」

 

─── まてよ? ベビーモスとしゃべれるって事は、もしかして他の魔物ともいけるんじゃねえか?


 そう思ったら、居てもたってもいられずに、森にいる魔物に、ガンガン話しかけてみる事にした。

 どうやら魔獣はダメみたいだが、魔物はそのほとんどが友好的な対応をしてくれる。


「おお〜い、ハーピィ」


『アラ、コンニチハ〜☆』


「おお〜い、ゴブリン」


『ア、ドモ、ドモ……』


「おお〜い、レッサーデーモン」


『本日ハ、オ日柄モヨク』


 やばい! 魔物と話せるの、すっごく嬉しい!

 もう、魔物と闘わなくて良いんだな⁉


 つい最近まで殺すしか無かった相手が、穏やかに会話に応じてくれるのは、友達が一気に増えた感じだ。

 と、近くを白蟻型の魔物、デビルターマイトが歩いているのを発見した。

 普段なら顔をしかめたくなる相手だが、彼とも話せるのなら、今までの態度を改めなきゃね!


「やあ! 白蟻くん!」


『ギシャアアァァッ‼︎』


「ひいっ!」


 声を掛けるなり、大顎をがっちょんしながら、尻尾の先の毒液を噴射された。

 あれ? 言葉通じてないの⁉︎


『ギチュ……ギチュギチュ……ゴハン……』


「ダメだコイツ……俺を飯としか思ってない」


「ん、虫系はむつかしーよ? 群れるやつなら、女王あたりなら話しはつうじる。

こいつら、長いものにまかれたい派」


「女王蟻か、ううん……会いたいような会いたくないような」


『オ呼ビデショウカ……。王ヨ……』


「ひぃっ、女王蟻!」


 急に背後から現れ、思わずビビると、女王が少し凹んでた。

 色々謝ったり、触覚の艶やかさなんかを褒めてたら、機嫌が治ったのか話に応じてくれた。


『ソウデシタカ……魔物ト、話セルヨウニナッタバカリ、ダッタノデスネ』


「ああ、つい嬉しくてな。君の部下には食われかけたが、今後は話す相手も考えるとするよ。

魔獣には通じないみたいだしね」


『ワレワレ、魔物ハ『魔』カラ生マレタ眷属。知能サエ高ケレバ、貴方様ニ、従ウデショウ。

タダシ、魔獣ハ、動物ガ『』ニ、汚染サレタダケデスカラ、会話ハ不可能デス……』


「そうなんだ。ありがとう、勉強になったよ」


『アア、有難キ幸セ……。王ヨ、宜シケレバ、付近ノ魔獣ヲ、私共ガ追払イマショウ』


「え、本当? それはありがたいけど」


 女王蟻は、地中に続く白く長い腹を震わせて、微かに独特な匂いを発した。


─── ザザザザザザ……


 うわぁコレ、アケルの大樹海で襲われた時と同じだ……。

 森の至る所から、白蟻達の足音がさざなみのように騒めき出した。


 すぐに辺りからは、魔獣達の悲鳴や叫び声が響き出し、何だか悪いような気がして来てしまった……。

 と、その時だった─── 、



─── ギャアアア……アリだーーーー‼︎



 人が巻き込まれた⁉︎

 慌てて女王蟻に命令中止を頼み、声のした方へと駆け出す。


「くっわー! 俺ァ、蟻だけは苦手なんだ‼︎

た、助けてくれ相棒!」


「もう……大丈夫ですわよ。これくらいで騒ぐなんて男らしくありませんわ。

─── あら? 白蟻たちが去って行きますわ」


 んんん? この声は……⁉︎

 最後の茂みを抜けて、やや拓けた場所に飛び出すと、向こうもこっちに気がついて唖然としていた。


「─── おおッ! 親父どのじゃねぇか‼︎」


「セ、セオドア─── ⁉︎」


 白蟻達の足音が、引く波のように森の奥へと去って行く。

 セオドアは涙目の目をグイッと腕て擦り、取り澄ました顔をしている。


 その隣でアースラが深々と礼をした。

 胸元にはチリンと音を立てて、ブラドのペンダントが揺れる。

 ああ、良かった……ふたりとも無事だったんだな。


 セオドアは俺の顔を真っ直ぐに見て、にんまりと満面の笑みを浮かべた─── 。



─── 無事『』は受け取ったみてぇだな



 セオドアの声がそう響いた。

 魔獣達の去った森は、ただただ静寂に包まれた。




 ※ ※ ※




─── アルザス帝国首都グレアレス


 アルザス宮殿、その私室のひとつ『飛燕華の間』に、ひとりの男が通された。

 アッシュグレイの髪に片目を隠し、鋭い狐目の下に、愉しげに歪む薄い唇。


─── アルザス帝国白鳳騎士

ヒューレッド・フェイ・サントリナ


 法相の任務を受け、オウレン元枢機卿を引渡した足で、彼はこの部屋へと招かれた。

 

「……大義であったな、ヒューレッド」


 感情の薄い、しかし人の心を駆り立てるような、低い声で労いの言葉が掛けられた。


─── アルザス帝国第八代

ハーリア・クラウス・アスティローズ


 北方民族特有の、彫りの深い目元、その奥に光るたかのように鋭いブラウンがかった紅い瞳。

 齢五十を迎えて尚、獅子の如き獰猛な覇気が、部屋の空気を張り詰めさせている。


 誰もが言葉を失うであろう、その凶暴なカリスマ性の前で、ヒューレッドは笑いを噛み殺すように口元を緩めた。


「有難きお言葉、恐悦至極にございます陛下。

オウレン・ラウス・ビバーナムの拘留、滞りなく」


「フッ……つまらぬ狩りであったか─── ?」


「とんでもございませんよ。

ただ、お言葉ですが、私でなくてもあの老人ひとり、引っ捕らえるのは児戯より簡単だったのではありませんかねぇ?」


 不敬な言葉ながら、そこにはアルザスの絶大なる力の威光を、讃えているようにもとれた。

 皇帝ハーリアは、それにただ目を細めて、目尻に深いシワを浮かべて応えた。


「我が帝国の法相、そのお前がおもむいた……。

ただ、その事実があれば良いのだ」


「─── 深慮なる叡智、陛下には感服の限りです……フフフ」


 ヒューレッドの言葉に、ハーリアは鼻をフッとさせるに留め、脇に控える数人の高官に指を掲げる。


「─── 畏まりましてございます陛下」


 ひとりの高官が静かにそう告げると、音を潜め足速に部屋を出て行った。


「ホーリンズ……極光星騎士団の件でございましょうか?」


「うむ、頃合いだ。弱者の演技も士気が下がろう。一息に制圧する─── 」


「三百年の沈黙を破りますか……。戦の煙が世界を呑み込んでしまいますねぇ」


 ヒューレッドの他人事のような軽い言葉に、ハーリアは不敵に口元を吊り上げる。


「戦火など表面に露呈しただけの事だ。

─── 常に覇権の奪い合いは水面下で起きておる、それが世界と言うものだヒューレッド」


「流れる血も、単なる外交手段のひとつに過ぎないと?」


「フッ、聖魔大戦より三百余年、その外交手段を使うに、より効果的な場面が無かっただけの事。

和平はまつりの副産物に過ぎん、それを解さぬ王など、存在すまい」


「時期が来た、それだけなのですねぇ」


 ヒューレッドは所在無げに、帝国の紋章が施されたタペストリーを眺めた。


 教団の起こした騒動は、中立国をうたううローオーズの平穏を打破る。

 帝国は表向き『国家にあだなすテロリストの処断』とし、それを治外法権で阻んだローオーズをも屈服させた形を作り上げた。


 その実、同衾どうきんと目される教団の失態を隠して恩を売り、かつ、世界にこう知らしめる事となろう─── 、



─── 強国アルザスに反意を許さず



 聖王歴三百六年、農業国の片隅の一都市で起きた騒乱が、大きな時代のうねりの発端となろうとは、まだ誰も気がついていない─── 。

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