第十三話 勇者と魔王と聖魔大戦と

 球体に映し出された、過去の記憶の映像は、余りにも意外な事が多過ぎた。

 そのせいか俺は、こんな単純なにも気がついていなかった。


─── 何故、三百年前の回想に、が出ているんだ……⁉︎


 もう何度目かの頭真っ白だ、このまま観ていれば、それについても分かるのだろうか?

 そう問いかけようとして、また俺は意外な場面に気をとられ、それどころじゃあなくなってしまった。


─── 勇者が魔王に土下座⁉︎


 映像の中では、一行のメンバー達は『ヤレヤレ』感が凄いし、王室一家と義父さんは笑いを堪えてすらいた。


『ぼぼぼ、ぼくは、ちゃんと、は、話そうとしたのに、王様は全く聞こうともしてくれなくて……! あああ、どどど、どうしよう!』


『─── まあ、そうなるだろうとは、分かっておったがの〜♪

取り敢えず落ち着かんか勇者ハンネスよ。ワシまで落ち着かなくなるわ』


『あわわ……ででで、でも……!』


『ほれ、バナナでも食べて落ち着くがいい。今年のはびっくりするくらい甘いからの』


 ハンネスの見た目は、十四〜五歳くらいにしか見えない。

 成人の儀を終えているのだから十六以上のはずだが、そう見えてしまうのは、弱々しい彼の立ち振る舞いのせいだろうか……。


 魔王にもらったバナナを、両手で持ってちまちま食べる様は、保護欲求を刺激すると言うか、放って置けないというか。

 ……本当にこれが勇者なのか?


『ハァ〜、コイツがこれで馬鹿強えってのが、どーにも俺には納得が行かねえンだよなぁ……』


『で、ででで、でも、ぼくたち、魔王さんにコテンパンにされたじゃない……か』


『ありゃあ次元が違うンだよッ‼︎ 

無尽蔵の魔力に無詠唱、奇跡まで使いこなすバケモンだって聞いてたら、絶対俺ァお家で寝てたね!』


『そりゃあ仕方なかろう、同じ適合者でも、こっちは四百年近く魔王やっとるしの?

クヌルギアで延々と、破壊神相手に修行もしとる。人界と魔界じゃ求められるモンが違うわい』


 そこまで言って、魔王は『そうじゃ!』と手を打って、片腕をゆっくりと上げる。

 穏やかな壁色だった部屋が、突如としてドス黒く染め上げられ、おどろおどろしい装飾が施された!


『─── 【召喚サモン・時束ノ証人】……』


『『『─── ⁉︎』』』


 地獄のような風景に変わり果てた部屋に、ローブを目深に被った、一つ目の魔物が現れる。


『こいつは、見たものをそのまま記録する、何とも便利な使い魔でな。

証拠があればアルザス王も、納得するじゃろ』


『記録ってなンだよ、何の証拠だってンだ?』


『ああ、なるほどであるな! 

お前たちはホレ、魔王陛下の人となりだの、役割だのでアルザス王の良心に訴えかけるやり方をしたのであろう?』


『そうだけど……それが何だって言うンだよ、親父』


『─── それでは認められず、再度宣戦布告でもして来いと。いや、討伐して来いとでも、どうせ言われたのであろうが』


『『『…………うっ』』』


 勇者一行が苦い顔をして俯く。

 一度コテンパンにされた相手に、再びけしかけるとか、アルザス王も鬼畜だな。

 勇者一行は、最初からその気は無かったようだが。


『なればよ。今からワシがとして、お前達と闘う所をアルザス王に見せれば、流石に攻める気も無くすじゃろう?

─── どうせ、アルザスは自作自演の魔族騒ぎを、各地で起こしておるんじゃし』


『─── ッ! 知っていらしたんですね……陛下。人界の者として、申し訳なくお恥ずかしい限りですが、その通りです。

……今、アルザスは求心力を失って、後先考えずに動いています』


『テレーズ殿、ワシらを甘く見られては困る。

我らは『魔』の統率者、人界に漂う『魔』もまた、ワシらの眼であり耳よ。

どうせ人界とは相容れぬもの。人族にどう思われようがどうだって良いが……まあ、愉快ではないの。

ならばその下地を利用して『魔族マジで怖え』と、洒落にならんインパクトを与えれば、反対派の動きも強まると思うがの?』


『─── ⁉︎ し、しかし陛下、それでは魔族へのイメージが……!』


 テレーズの慌てた声に、魔王はカラカラと笑い、代わって父親の声が響く。


『イメージ? 国交も持たぬ相手にどう思われようが、我が国としてはなんら問題は無い。

そもそも、この侵略戦争は、最初から戦争の体は無してなかろう。

そちらの軍船をいくらだそうが、人魔海峡で全て沈めているし、こちらからは一切攻めていない』


『はい……。その通り……です』


『─── こちらは、この宣戦布告の動機がもんやりし過ぎて、困惑しているのだ。

お前達も困惑していたではないか、意義のない剣は持ちたくないと』


『『『…………』』』


『うむ、ワシもこう執着されるのは、いささか気持ちが悪いでな。

独断で推し進めとるアルザス王が納得出来ぬとも、民意やアルザスの周辺国が『冗談じゃねえ』となれば、無視も出来まい?』


 魔王はそこで指を鳴らすと、一つ目の召喚獣の方を向き、嗤笑ししょうを轟かせた。



『ククク……フハハハハッ‼︎ 人族の代表者達よ、よくぞ再びここまで辿り着いたものよ!

無能な王に仕える哀れな貴様らには、闇に染め上げられたこの我が胸ですら、その憐憫れんびんに痛みを禁じ得ぬ。

アルザスよ、絶対強者たるこちらからの停戦を蹴るとは、何と愚かな事か……。

民草の犠牲を省みぬとは、アルザスに連なる王どもの資質が、余程疑われる!

─── これが最後だ

貴様らがどうしても我らに挑む意思を曲げぬと言うのなら、我ら魔族総力を挙げて応えてやろう

それでも抗うと言うのであれば、我が口はこう告げねばなるまい─── 』


 そして魔王はしばしの沈黙を置き、紅い瞳に妖光を走らせ、高らかに謡うように朗々とえた。



『か弱き人族よ、奴隷か、死か、選ぶがいい。不服とあらば、抗え。

─── 死にゆく末期の悲鳴まで、我が魔族のにえとなろう』



─── 魔王フォーネウスの『死の福音』とまで言われた、勇者物語の有名なあの言葉だった


 だが、実際はかなり意味合いも印象も違うものだ。


 物語の中では魔族から攻め込んで、人類に恭順を迫る物言いだった。

 アルザスの一方的な攻撃に対して、魔王はそれを止めさせるために、あの宣言をしていたのか……。


 魔王はスッと腕を伸ばし、硬直している勇者一行に向け、歓喜にも似た凶暴な笑みに口元を歪めた。


『まずは貴様らの送って寄こした、この矮小なる者共から、血祭りにあげてくれよう。

如何に貴様らの力が、我ら魔族の前に脆弱なものであるか、とくと思い知るが良い……。

─── さあ、回復をしてやろう、儚き運命の戦士達よ』


 勇者一行を包む、最上級の回復魔術と、魔力回復の秘術。

 そして、完全に及び腰になっている彼らに、魔王はそっと【狂戦士化グワルゴフ】の魔術を掛けていた。

 ……あれって戦意が向上し過ぎて、恐怖も世間体もぶっ飛んで、強制的に闘いに駆り立てられる魔術なんだよな。

 強くもなるけど、自分の実力を考えなくなる、使い勝手の悪いやつだ。


 親からはぐれた子鹿のような顔をしてた勇者達は、ギンギンに瞳孔が開いた感じで、戦闘態勢に入った。


『いざ、踊ろうではないか─── !

この魔界に、貴様らの魂の散る、その美しき火花を献上するのだ……。

─── さあ、来いッ‼︎』


 勇者達の雄叫びと共に、熾烈しれつな闘いの火蓋が切って落とされた─── 。


 ……とは全く言えない内容だった。


 もう、瞬く間にけちょんけちょんだ。

 何かもうね、どんなに精神論振りかざそうが、カナブンが熊に勝てると思う?

 それだけ次元の違う相手に勝てるって言うなら、どうすればいいのか理論的に教えて欲しいよ。


 球体の中の映像は、ここで一旦フェードアウトしていった。




 ※ 




 雨蛙の置物を囲って、俺達はただ困惑していた。


 余りにも伝承と違う過去、余りにも伝承と異なる人物像。

 そしてさらに俺はと言えば、自分のルーツを見せられて、まるで他人事のように心が薄ぼやけていた。


『─── 当時、アルザスがどうであったか、その空気くらいは掴めたであろう……

あの闘いに意義を持っていたのは、何も知らずに敵対関係を聞かされ続けた、人界の闘いもせぬ民草のみ。

魔界の誰もが、アルザスの侵攻を鼻で笑い、相手にもしようとはしていなかったのだ。

─── この時までは、な……』


 それは嫌という程に伝わっていた。

 魔王の……俺の祖父の言動も、どちらかと言えば、楽しんでるだけのようにも見えたしな。


「あ、あの、オリアル……さん。どうして魔王は勇者達に協力してたの?

だって、魔族は何も悪くないし、あしらう事だって簡単だったんでしょ?

わざわざイメージを落としてまで、何で……?」


『スタルジャ……だったか? ふむ、良い質問だ。

それにはまず“魔”と言うものの概念から、説明する必要がある。

─── “魔”とは何か、考えた事はあるかね?』


 『魔』は、魔術の魔、魔力の魔。

 一般的なイメージだと、生物や一部の物に備わる、変換性の高い純粋なエネルギーだ。

 ただ、魔物、魔獣、悪魔……魔って言葉には、マイナスなイメージも少なからずある。

 

『大地から溢れるマナが、魔力溜まりを作り、魔物や魔獣、迷宮を造るのは知っておろう。

自然界はマナをエネルギーとして使用し、循環させておる。

その膨大なエネルギーは、使用されてたとして消えるわけではなく、別の形のエネルギーに成り代わって世界に戻るのだ。

時折、何らかの条件で戻り切れぬエネルギーが、魔力溜まりとして渦巻いているがね。

─── では、使用済みのエネルギーは何処へ行き、どうなると思う?』


 マナの使われた先か、考えた事も無かったな……。

 人の持つ魔力も、魂に取り込んだマナから変換されているとは、習った事はあるけど。


『人界で使われ変換されたエネルギーは、魔族の大地、魔界のエネルギーとして溢れる。

─── それは再び魔界で使われる事によって、人界に使われるエネルギーとして変換され、大地に戻るのだ』


「「「─── ⁉︎」」」


「……そ、それじゃあ、人界に流れるエネルギーは、貴方達魔族の地で出来てる……の⁉︎」


『左様。そして、魔界に流れるエネルギーもまた、人界の地で変換されているのだ。

─── つまり、人界と魔界は表裏一体、相容れぬが切り離せぬ、ひとつの円環』


─── 人界と魔界は、お互いにエネルギーを渡し合ってる……⁉︎


 衝撃的な言葉の中、妙に納得がいってしまった。

 ……魔王の実力が人智を遥かに超えているのはは、あの映像からでも分かる。

 勇者物語では『一晩に四つの国が滅びた』なんて言ってたけど、そんな生易しいもんじゃ無い。

 一晩もあったら、人界の半分は地上から消えてなくなっていたんじゃないだろうか。


─── それなのに、魔王はアルザスの侵攻を叩き潰しはしても、人界に報復する事をしなかった


「人界を滅ぼせば、魔界へのエネルギーも止まる。馬鹿な方向に偏る人界に、魔王は憂慮してたのか⁉︎」


『うむ、おおむねそんなところだ。

─── しかし、父上……先代魔王フォーネウス陛下の場合は、単に人族が好きであっただけ、と言うのが理由かも知れぬがな』


「え? 相容れぬ関係なのに……?」


『フッ、我々魔族は、魔王を通して分配されるエネルギーで生きる強力な種族故、お前達ほど進歩する事に情熱は無いのだよ。

……だからこそ先代魔王は、人族のひたむきな生き方を、好んでおられた』


 最初から魔族側には、人界へ戦を吹っかける必要も、その気すらも無かったんだ……!


「─── じゃあ、何故、アルザスは魔界へ侵攻なんて無駄な事を……?」


『うむ、それは先程より数ヶ月後の状況を見れば分かりやすかろう……。

我々は仮死状態の勇者達を、魔王の記録をつけて送り返した。

─── これはそこからの記憶……』


 再び球体が明るくなり、映像が始まった。




 ※ 




 球体には、庭を歩く魔王と、義父とうさんの姿が映っていた。

 新緑の庭園には、種々の小鳥のさえずりが響く、穏やかな雰囲気がある。


『イングヴェイよ、人界の視察、ご苦労であったな。属する国を持たぬ剣聖の貴様に、こうも頼り切るとは魔王失格じゃな……』


『何を言われるか。単に人界の市井に、耳を傾けただけの事なのである。

それに吾輩、忙しき世は好まないのである。

戦となれば至る所から使いが来て、女性と愛を語らう暇も無くなってしまうであるからな』


『本当にブレぬな、イングヴェイは。

─── それで? 人界はどう動いている』


 義父さんは腕組みをして立ち止まり、難しい顔をしながら俯いた。


『やはり停戦とは行かぬようであるな。それどころか、より焚き付ける方向に動き、最早止まれぬ所まで来ているようなのである』


『ハァ……どうしてそこまでして、勝てぬ戦を求めるのか。アルザスの狙いは何だと言うのだ』


『─── それなのであるが、テレーズ殿から情報が入ったであるよ。……信じたくは無いが、おそらくこれであろうな』


 世界の殆どの王家は、とある公国に少なからず借金をしているそうだ。

 特に産業に恵まれない地域である程、金融にすがる必要が高く、その額を大きくするにはそれなりの事情が求められる。


 アルザスは北方の国、領土は広いがいかんせん農業は弱く、鉱山も国土の割に心許が無かった。

 アルザスを支えていたのは、塩とわずかな銀の産出、そして魔界を監視するための周辺諸国からの援助金だった。


─── しかし、魔族との交戦があったのは、遥か昔の事で、諸国からの援助金を嫌う民の声は膨らんでいた


 国家相手の金貸で、最も限度額が高いのは、リスクはあれど『戦争資金』に他ならない。

 軍備を整え、外交手段として交戦、賠償金と上納金で回収して国力を一段上げる投資だ。


 アルザスはかつての繋がりを利用し、各地で自作自演の魔族騒動を起こし、諸国からの謝礼と援助金を吸い上げていた。

 その範囲は広く、アルザス周辺諸国はもちろん、南はアケルの先まで及ぶ。

 国威を見せつけ、アルザスは潤い、片棒を担いだ国々は、自国民への徴税の大義に出来る。


『この規模は、ただの資金繰りでは無いな……。より大きな権力を、人界で持つための国政、それも国の盛衰をかけた大事業か』


『ふむ、つまりワシらに勝つどころか、実際に交戦する必要も無い。対立している構図さえ、語れれば良い……と。

─── 成長を求められ続ける種族と言うのも、なかなかに息が詰まりそうじゃなぁ』


『ええ、経済の概念が我々とは大きく異なっておるようですな。

これは勇者達も、簡単には解放されなさそうだ』


 魔王親子が腕組みをして唸る横で、義父は更に暗い顔で続ける。


『……その勇者達であるが、何ともきな臭い話を耳にしたのである。

─── カルラ嬢の父君が“異端者”として嫌疑をかけられ、カルラ嬢自身も今は虜の身だと』


『『─── ⁉︎』』


『カルラ嬢の父君に魔族の血が入っていると、とある新興教団から指摘が入り、アルザスに身柄を確保されたであるよ。

……それ以後、勇者達の“魔族討伐譚”が、頻繁に世間を賑わせてる辺り─── 』


『人質か……⁉︎ 勇者は我々との交戦に最初から乗り気では無かったからな……。

しかし、カルラ殿にそんなものは感じなかったぞ!』


─── パキャッ! ガラガラガラ……


 魔王が近くに立っていた石柱を、握り潰していた。


『─── カルラ嬢に我々魔族の血……だと?

もしそうだとして、そんなもの、我々に分からぬ筈がない。

疑いだけで虜とするなら、どうとだって出来てしまうではないか!』


『父上……』


『あの娘がどれだけハンネスの支えになっていたか、どれだけ我々に人間族の良さを教えてくれる存在であったか……!

─── 良かろう、アルザス王よ。その自作自演の魔族退治とやら、ワシが色付けをしてやろうぞ……』


 魔王の怒りに侵食され、新緑の庭木が枯れ細って行く。

 ティフォがそっと『オニイチャに似てる』と囁いたのは解せないが、言わんとする所はまあ分かる。


『オルタナスッ! どこに在るッ!』


『─── ……陛下御身の側に……』


『済まぬが、ちょっと勇者一行を拝借して参れ』


『半死ですか、瀕死ですか? それとも生死問わずとあらば直ぐにでも……』


『お痛はダメ。ぽいっと持ってくるだけでよい』


『御意に─── 』


 オルタナス……! あいつ間者みたいな事してたのか⁉︎

 魔王の指令を受け、彼は地面に溶け込むように消えて行ってしまった。


『ほほう。魔公将を動かしたであるか、いつまでも放置してあった故、使わぬかと思っていたのである』


『─── いつの間に、魔公将と戦っておられたのです……。

“契約のためとは言え、一旦殺すとかキャラじゃないし”とか、あんなに駄々をこねていたではないですか』


『うむ、流石にこう足元が騒がしいと、手駒も増やして置きたくてのう。

彼らには申し訳ないが、ワシの力を示して、契約させてもらったわ。

彼らにはをしていてもらいたいが、何、場合によっては戦働きもしてもらうやも知れぬ』


『彼らもよく父上に懐いておりましたからね。むしろ喜んでいるのではありませんか?』


『…………まあ、そんな感じではあるの』


 球体が再びボヤけ、違う場面へと移り変わろうとしていた。




 ※ 




『お祖父ちゃん! 人界に兵を送ってるって本当なの⁉︎

─── それも、わざわざ勇者と闘わせてるって聞いたよ‼︎』


『……おお、イロリナ。これには深い訳があるんじゃ。勇者とその仲間を守るための……』


『魔公将をぶつけてるんでしょ⁉︎ そんなの勇者様に、勝てるわけないじゃないッ!』


『むう……そこまで知っておるとは、一体誰から……』


『あのちびっ子冒険者から手紙が来たの。お祖父ちゃんが“また面白そうな事してる”って嬉しそうにしてたけど』


『……“炎帝”か。しまったのう、人界へは口止めをする必要も無いと思っておったが……。

─── で、あやつは元気そうかの?』


『お祖父ちゃん! 今はそんな話はどうだっていいの! 何で勇者に魔公将なんて……あの人たち、めちゃくちゃ強いんでしょ⁉︎』


 姉さんがえらい剣幕で、魔王に噛み付いている。

 『炎帝』? 人界の冒険者らしいが、魔王は人界にも知り合いがいたのか。


 話を逸らそうと見え見えな話題転換を図るも、余計に姉さんを興奮させてしまったようだ。

 その姉さんを、母さんが止めに入った。


『下がりなさい、イロリナ。

今、勇者達は魔族と戦っている事実が必要なのです。そうしなければ……』


『お母さんまで何よ! ハンネスくんが怪我でもしたら、カルラ様が可愛そうじゃない!』


『─── そのカルラ・オストランドが……。

カルラ嬢が人質に取られているのだ。勇者が積極的に魔族と闘う美談を上げねば、その命がないと脅されている。

……陛下はカルラ嬢を、どうしても死なせたくはないと、そうお考えなのだ』


『…………そ、そんな……どうして……? カルラ様は、人界のために闘ってる英雄……なんで……しょ?』


『イロリナ、貴女はまだ勇者達しか、人間と言うものを知らぬのです。

人界は多勢の前では、ひとつの命が軽い世界。だからこそ陛下は、勇者の闘いに協力しているのですよ……』


『剣聖も陰ながらサポートをしている、こちらから出来る限りの手は打っているのだ、お前はただ上手く行くことを祈っていれば良い』


 涙を浮かべた姉さんの頭を、父の手が撫でている。

 ごつい大きなその手に、俺は何とも言えない切なさを感じていた。


─── その時、全員の視線が、部屋の入口へと注がれる


 入口には、大人用の盾を頭に乗せて持ち、ふらつきながら歩いてくる俺の姿があった。


『…………おじぃ、めっ!』


『あら……アルファード、お祖父ちゃんが心配なのね? ふふふ、お話を聞いていたのかしら、本当に賢くて優しい子ね、あなたは。

でも大丈夫よ、お祖父ちゃんは闘わないから、心配いらないのよ。

─── そんなもの、一体何処から持って来たの? ずいぶん重かったでしょうに……』


『……ん、おじー、んっ!』


『んー? 何じゃアルファード、ワシにコレをくれるのか。おお、嬉しいのう!

これだけデカければ、色々安心……んん?

こりゃ、呪い避けの術式が込められておるな……こんなもの一体何処から……』



─── ビシュウゥ……ゥゥ……ン……



 突如、床に魔法陣が浮かび、白いシルエットが浮かび上がる。

 典型的な転位魔術の反応だった。


『─── おお、勇者か!

イングヴェイからの連絡が滞っておったから、心配しておったぞ!

ワシの魔公将はどうじゃ、いい仕事しおるじゃろ?

オルタナスの奴なんか“わざと負けるなどプライドが許しませぬ”とか言うておったが、人知れず台詞練習なんぞしておったわ!』


『……勇者……殿? 何があった……?』


 転位を終え、そこにうずくまったままの勇者は、ボロボロの囚人服姿で、酷くやつれていた。

 ドップリと赤い目、そして頰には涙の跡に埃がつき、幾筋もの黒い染みが残っている。


『─── 魔公将は……全部勝て……たんだ。アルザスのみんなは、ぼくたちを……英雄だって……』


『…………』


『でも、王様は……“魔王の首を持って来い”って、テレーズたちも、反対して……くれたんだ。

教団にも……協力者が出来……て、みんなで反対して……くれた』


 魔王は勇者の様子に、何か感じ取ったのだろう、手に持っていた盾を母さんに渡して、勇者に一歩近づいた。


『─── カルラは……処刑された……』


『『『─── ッ⁉︎』』』


『ぼくもね、処刑される事になったんだ。

もう……用済みだからって、ぼくとふたり、城の地下に連れられて……』


『……ば、馬鹿なッ‼︎ 何故、人界の調律者たるお前さんを殺す必要が……』


『─── カルラがね、笑ったんだ……。

魔力を空っぽにされて……そんな力なんか、もう……ないのに。

ぼくに“泣くんじゃない”って、笑って、首がさ……。

あんなに元気だったカルラが……動かない……』


 姉さんがへたりと、床に座り込んでしまった。

 母さんは時間が止まってしまったかのように、ただただ勇者を呆然と眺めていた。


『─── ぼくは元々……適合者じゃなかったんだ……。

本当の適合者は、第二王子……。でも、優し過ぎるから……使えないからってね、ぼくにリディを無理矢理……押し付けたんだ。

ぼくが……こんな運命を背負わなきゃ……カルラは……カルラは……死ななかった……!』


『……勇者よ、其方は間違いなく、勇者で……』


『うるさいッ‼︎ もうぼくは、勇者なんかじゃない!

カルラのいない世界なんて……カルラを殺した世界なんて……。

─── ……いいや、人に運命を、身勝手な運命を背負わせる神ごと、ぼくは世界を壊すッ‼︎』


『─── 辛かったのう……苦しかったのう……。お前さんの復讐なら、ワシが引き受けよう。

アルザス王、マルコ二世の首、ワシが獲って来る。お前さんはここで少し、休んでおれ……』


─── シュラァァ……ン……


 勇者は空中の何もない所から、唐突に剣を引き抜いた。

 まるで勇者の代わりに泣いているかのように、白銀の刃の共鳴が部屋に響いている。


『それじゃあ、ダメなんだ……王様だけじゃ、ダメなんだ……。ぼくのカルラを奪った……本当の敵は……倒せない……!

ぼくは天界の門を開く……ッ‼︎』


『何を馬鹿な事を! 人の身で何が出来る!

天界の門など、開くはずもなかろう、一先ず休めハンネス。

……そんなお前さんを、カルラが喜ぶと思うのか……?』


『喜ぶわけがないじゃないか……もう、彼女は喜ぶ事も、怒る事も、笑う事も出来ないんだ』


『─── 人は、命は、巡るものよ。失われた魂は、消え去りはせん。

この世で得たものを奥底にしまって、再び生まれてくるものなんじゃ。

……カルラの魂とて、やがて再び戻って来る。その時にお前さんが、胸を張って迎えられずにどうすると言うのだ……。

それこそ、カルラは不幸ではないか』


 魔王の言葉に、勇者は唇を噛んで嗚咽をこらえながら俯いた。

 その震える肩に手を伸ばし、魔王は穏やかに微笑んで勇者の顔を見つめる。


『─── 今は休め……答えを急く必要など……』


─── ザン……ッ


『……ぬ、ぐお……ッ⁉︎』


『…………だめなんだ。あの、カルラじゃなきゃ、ぼくは……ッ‼︎』


 差し伸べた腕ごと、魔王の体に黒い斬撃が走った。

 傷口からは、漆黒の影が激しくうごめいて、周辺の肉体を侵食していく。


『父上……ッ‼︎ 勇者殿、一体何を……ッ⁉︎』


 視界が慌ただしく揺れ、勇者に迫るが、その姿が霞んで消える。

 直後、視界は頭上から剣を振り下ろす勇者の姿を捕らえた。


『─── クッ! 【物理防御結界ダイ・タリアン】!』


 父の手に魔術の反応光が走り、勇者との間に結界が生成される。

 しかし─── 。


─── バシュ……ッ


 視界が揺れ、血飛沫に勇者の姿が霞む。

 やや遅れて、結界の砕け散る音が響いた。


 視界がボヤけ、まぶたが重くゆっくりと瞬きを繰り返し、魔王へ飛び込む勇者の姿を捕らえる。


─── バシュ、ザン……ッ


 一振り目は深く、二振り目は、飛び退すさる魔王の動きで浅く、長い白髭ごと体を斬りつけた。

 更に踏み込む勇者に、父が魔術で攻撃しようとするも、魔力が乱れたのか発動しない。


 低い姿勢から、突進の勢いを乗せた勇者の渾身の突きが、魔王の胸へと迫った時、横から何かが飛び出した。


─── 盾を構えた母さんだった……


 ……でも、勇者の握る剣は、魔鋼製の盾をいとも簡単に、母さんごと貫いた─── 。


『……え、エルヴィ……ラッ! ……エルヴィラァァッ‼︎』


 視界が白む中、父の叫び声と共に、勇者へとよろめきながら駆ける瞬間が映った。

 脇腹を刺され、黒い霧を傷口から立ち上らせ、母さんが倒れる。


 それを目にした魔王は、目に力を取り戻して、勇者の剣を肩に食い込ませて封じ、首を掴んで持ち上げた。


『……ゴフッ、は、ハンネス……貴様……!

何の……つもり……だ……!』


 魔王の問いに、勇者は喉をひゅうひゅうと鳴らしながら、呻くように言う。


『─── ぼくが……魔王に……なるん……だ』


 魔王の目が見開かれた。

 足をバタつかせて苦しむ勇者の顔を除き込み、血を吹きながら、荒々しい呼吸で呟く。


『……魔王……? き、貴様になれるはずが……あるものか……。なって……どうすると……言うのだ……!』


『世界の……半分を……うぎっ、こ、殺す……!

て、天界……の……門……』


『…………どこでそれを……知ったかは知らぬが……。不可能だ……!

天界の鍵……は、太古に……失われ……たのだ』


『………………ふ、ふふ……くくく……』


─── ……ズグ……ッ


 勇者が笑った瞬間、小さな呻きと共に、魔王の体が崩れた。

 魔王の手から解放され、同時に倒れた勇者は、よろめきながらも立ち上がる。


 その手には、もう一振りのやけに鋭い古風な小剣が握られていた。

 それは青白く剣身を輝かせ、魔王の血を滴らせている。


『…………せ、聖剣……ケイエゥル……クス……』 


『─── これでしょ? 鍵なら、もう……持ってる』


 聖剣ケイエゥルクス─── 。



─── 『使い方によっちゃあ、天界ごとこの世を消し去れるですよ

と言うよりも、使おうとすれば終りの始まりのスタートなのです』



 抑揚のない、ローゼンの言葉が頭によぎった。

 ……かつてブラド神族が創り出した、制御不能の破壊兵器。


 それが今、勇者の手に握られていた─── 。

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