第十二話 ルーツ

 ケファンの森の地下深く、数々の『扉』を超えて来た先には、格式高い王宮の大広間が控えていた。

 巨大な扉が開け放たれ、そこには柱が立ち並ぶ、赤い絨毯の敷かれた玉座の間があった。


 大広間に入ってすぐの場所には、アハトと同じく、年齢のバラバラな義父が横一列に並び、視界を遮って立つ。

 人数はアハトを入れて九人、全員がいつでも抜ける殺気を漂わせながら、俺をジッと見つめている。


 だが、そんな光景など、なんら問題にすら思えない、より絶大な事実に俺は愕然としていた。


「─── うぐッ…………⁉︎」


 額の両側に耐え難い激痛が走り、思わず呻き声を漏らしてよろめいた。

 エリンとユニが駆け寄って、支えてくれたが、彼女達も酷く青ざめて微かに震えている。


『この程度の魔力で……フラつくとは……。

─── よもや、期待外れではあるまいな』


 部屋の中には、内臓を押し潰すような、猛毒を思わせる重く張り詰めた魔力が充満していた。


 そして、アハト達の姿で未だ姿は見えずとも、その奥に座する男の声は、腹の底から本能を引きずり出すような重圧感があった。


『お言葉ですがオリアル様……。この者達は確かに結界を越え、心の試練を越え、不肖このアハトの剣を凌駕りょうがして御座います……』


『─── うむ、分かっておる。少しばかり気をせいたか……。皆も良い、そこを開けよ。

話すに値するだけの力を持って、この地に帰って来たと認めよう』


 九人の義父達が左右に分かれ、玉座までの視界が開けた。

 ……が、その玉座に人影は見当たらない。

 しかし、声と威圧だけは、確かに重苦しく伝わって来ていた。


 額の痛みと、腹を突き上げるような、魔力の重圧に遠のく意識の中、その声は俺に語りかける。


『久しいな、アルファード……我が息子よ。

ここまで来れるだけの力を得た事、まずは労おう……。

─── よくやった』


「あ、アルファード……? そ、それが……俺の……名前……?」


『自分の名も知らされて居らぬか、よほどイングヴェイは慎重に事を運んだようだ。

……よかろう、まずはお前の名だな。

─── アルファード・ディリアス・クヌルギアス……それがお前の真名だ』


 アルフォンスって名前は、義父とうさんがつけたと言っていたが『アルフォンス』と『アルファード』……。

 敢えて近い響きを押さえていたのか……?


『私の名は、オリアル・マルデル・クヌルギアス。

クヌルギアスとは、聖地クヌルギアを代々守りし……王族』


「─── 王族……⁉︎」


『我が一族は、その名の中に、代々祖父と同じ奏名かなでなを持つ。お前の『ディリアス』は、かつて悪神を滅ぼした祖先の奏名を受け継いだ、お前の祖父と同じもの。

─── フォーネウス・ディリアス・クヌルギアス……それがお前の祖父の名……』


 ……フォーネウス? フォーネウスッ⁉

 くそッ、頭の中が真っ白だ! 散々聞いた名前なのに、誰なのか思い出せなくなっちまった……‼︎


『第二百八十九代、クヌルギアの王。……人界で暮らしたお前には、この方が馴染みがよいか……。

─── フォーネウス・ディリアス・クヌルギアスは先代のだ』


 フォーネウス……。

 聖魔大戦を起こした、世界の災厄、最強の魔族……その王の名……。


「…………俺の祖父が⁉︎

そ、それが先代……じゃあ、今の魔王は……⁉︎」


『……ハンネス・オルフェダリア。今はまだ、資格が揃えられずに、仮の王のままだがな……』


 その名前を聞いて、俺は更に訳が分からなくなってしまった。

 だって、その名前は世界の誰もが憧れる、その名前は……!



─── そう、



 先代は俺の祖父……現魔王はかつての


 父オリアルの重々しい声で告げられた真実は、余りにも衝撃的で、現実感すら湧いてこない。


 ただ、ソフィアが苦しげに目を瞑り、うつむく瞬間の表情を見て、それが真実なのだと俺はその時に悟った─── 。




 ※ 




『─── さて、お前の生い立ち、その運命を背負う、その覚悟はあるか……アルファード』


 ようやく落ち着いて来たが、未だ額の激痛は、脈打つように頭を締め付けている。

 それでも、俺は聞かなくちゃならないと、得体の知れない本能のようなものに突き動かされていた。


「もちろん……だ。俺が何者なのか、俺が何を背負うのか、そのためにこの二年旅をして来た。

─── それに……今日この時まで、義父とうさんが背負って来たものを、俺は知る義務があるッ!」


 俺が知っている以上の、義父さんと言う人物がどうであっても、それはどうでもいい。

 俺を里まで連れて行ってくれて、俺に父親として接してくれて、その義父さんが俺に望んでいたものは何だったのだろう。


 義父さんだけじゃない、修行は辛かったけど、今の俺を形作ったのは里の皆んなだ。


 だからと言って、誰かの為だけじゃない、俺自身の存在理由をはっきりさせなきゃ……!

 ただ生まれて、強くなりましただけが、俺の生きた道だなんて考えたくもない。


『…………うむ……イングヴェイも果報な奴よ。

─── ただ、その前にそこの僧服の娘、お前は一体何者か?』


 ソフィアがピクリとして、玉座の方へ向き直る。


『上手く隠したつもりであろうが、この神気とアルファードとの魂の堅牢な繋がり……。

そして此奴こやつ自身の魔力の、不自然な弱体化。

─── 守護神の類いか……』


「……お初御目にかかります。オリアル王太子殿下。

─── 私はソフィア、調律の神オルネアの現し身。そして、アルフォンス・ゴールマインの守護神」


「「─── ⁉︎」」


 エリンとユニの、息を呑む音が、背後から響く。

 このタイミングで教える事になったか……。


 ふたりのさざめきと共に、玉座から押し寄せていた、絶大な魔力にも緊張のようなものが走った。

 ……よく見ると、玉座に何か小さな塊がある事に、今更気がついた。

 


『…………調律の神オルネア……‼︎ 世界は調律に我が息子を選んだと……⁉︎

─── 何の冗談だ! 魔界の管轄はエルネアでは無かったか……‼︎』


「─── 偶然の悪戯……神はその因果律には関与しない、関与出来ない。

……そもそも私たち調律の神は、適合者が誰かを決めて降りては来ません。自らの出逢いの運命によって、選定するのです」


『……何と……! 魔王の資格、その最も重要なひとつが、貴様ら神の気まぐれだとでも言うのか……!』


「魔王になる絶対条件は三つ。……そのどれもが不確定で、そもそも揺るぎかねないもの。

神の悪戯では無く、運命と確率による、本来は予測不能の条件ではありませんか。

地上に起こる全ての偶然を、神の気まぐれと呼ぶならそうでしょう。

……しかし、神はそこまで干渉など、していません」



─── 一つ、その魂に『クヌルギアの鍵』を宿す事


─── 二つ、クヌルギアの主、それを倒し『クヌルギアの祝福』を得る事


─── 三つ、調律の神エルネアより、調律者の加護を受ける事



「クヌルギアの鍵は、持主である魔王が崩御する時、その近くにいる魔力の器の大きな者が選ばれる。

クヌルギアの祝福は、破壊神とも呼ばれる、強大な存在に勝たねばならない。

そして、エルネアの加護は、引き寄せる運命の大きさが無ければ、出会う事すら叶わない。

─── 神とは言え、契約するまで私達は非力な生物に身をやつして堕とされますから、出逢う前にこちらが絶命する事だってあり得るのです」


『─── それ程……適合者は運命に求められる必要があると……そう言う事か……』


 ソフィアは一歩前に出て、俺の手を取り、苦笑を浮かべて続けた。


「─── ご安心下さい、オリアル王太子殿下。

加護を受ける守護神の数に、ただひとりなんて、決まりは無いのです。

ふふふ、もうすでに彼は『調律神オルネア』と『異界の神ティフォ』……そして『光の神ラミリア』と契約を済ませていますしね」


『…………ッ⁉︎ 三柱もの神々……それもラミリアまで……ッ! アルファードに絡んでいると言うのか……⁉︎』


「魔王フォーネウスの跡取たる殿下が、何故、このような場所にいるのか……。

何故、アルくんが剣聖と旅をしていたのかは、知りません。

彼が魔王の系譜に連なる者だと知ったのは、契約してからでしたしね……。

─── 私たちは運命によって出逢い、契約しただけ。彼がこの後にどんな運命を選ぶかは、彼の自由ですし、私たちの口を挟む所ではありません」


『魔王となるも、勇者となるも自由……か』


「それだけでは無いのではありませんか? その両方、もしくは……。

─── そのどれでも無い、アルファードでも無い、アルフォンス・ゴールマインと言う道も」


『…………』


「…………」


 俺は何も言えなくなってしまった。

 部屋には沈黙が流れ、全員の視線が俺に集まっている。


『─── 一度、仕切り直すとしよう。互いに情報が多過ぎた、吟味を重ねる必要があろう。

部屋と湯、食事を用意させよう、一晩ゆっくりと考えるがいい……。

─── アルファード、お前には明日、全てを話す』




 ※ ※ ※




「……ごめん。エリン、ユニ……俺、大事なことを今までずっと隠してた。

こんな所まで付いてきてもらって、今更なんだけど、俺は調律の神に選ばれていたんだ」


「「…………」」


 客間に通されてすぐ、俺はふたりに頭を下げた。

 ふたりは無言でお互いを見合って、俺をジッと見つめた。


「─── 本当はもう少し早くに、ここで全部の話を聞いた後、ふたりに会いに行って話そうって思ってたんだ。

でも、思ったより時間が掛かって……」


「「…………」」


 沈黙が辛い。

 最後の最後まで、運命を知ってから話そうって思ったのが良くなかったな……。


「騙すとかそう言うつもりは無かった事は信じて欲しい……。

俺の背負ってる運命が、どれだけ危険か分からなくて、ふたりの気持ちにすぐに応えるのは不誠実だと思ったんだ。

─── だから、どうか……」


「お義母かあさまには、どうご挨拶すればいいのかしら?」


「…………へ?」


「……へ、下手なご、ごご、ご挨拶なんかしたら、ダメな女だと……思われないかにゃって」


 そう言って、エリンは顔を真っ赤にして、床につま先でくりくり円を描いている。


「ごあい……さつ?」


「だって、私たちは王族に嫁入りするの。嫁姑関係は、第一印象が大事だってばっちゃがいつも言ってたの」


「あ、あたし、良い服なんか持ってない……。お土産……お土産……! ちょっと猪でも狩ってくるにゃっ‼︎」


 飛び出そうとするエリンを取っ捕まえて、一緒に十まで数えて落ち着かせる。


「ちょっと落ち着こうエリン。深呼吸ー」


「ひっひっふー……ひっひっふー……」


「お姉ちゃんそれ、多分落ち着くのと違うと思うの……」


 そう言って姉妹はケラケラと笑っている。

 正直、その笑顔に救われた。


 体から力が抜けて、言いようの無い脱力感にさいなまれている。


「ふ、ふたりとも、怒ってないのか……?」


「え? 何故あたしたちが怒る必要が?」


「怒る理由なんて全然ないの。

だってアル様は、私たちの事に心を配って、まず運命を知ろうとしてくれてたんでしょ?

危険に巻き込まないためにって、ちゃんとリスクを表に出そうとしてくれてたの」


「ユニ……」


「それにね……今本当にショックを受けてるのは、アル様でしょ?

だって、自分が何者かずっと知らずに居て、初めて親に会えて……また自分の事を知って。

なのに、私たちの事を一番に気にかけてくれた……ぐすっ、不安だよね……怖いよね……?」


 そう言って泣くユニを、思わず抱き締めてしまった。

 そうか、俺は不安だったんだな……。


 色んな事が一度に明るみに出て、正直心が剥離してるんだけど、そうか……この全身の脱力は緊張が抜けた後だったんだ。


 幼い頃から、辛い修行でも何でも『いつか何とかなんだろ』ってやってたからなぁ。

 その時に感じてるストレスは、それ程無かったつもりだったけど、本当の心は疲労をしっかり溜め込んでたかも知れない。


「ありがとうユニ。ありがとう。

正直さ、実感が湧かなくて、宙ぶらりんな気持ちの方が強いんだよ。

でも、なんか変な言い方だけど、ユニに指摘されて俺、初めて自分の不安をちゃんと分かってやれた気がするよ」


「……だって、いつも頑張ってる人に、頑張れなんて言えないの。私はアル様の辛い事だって、一緒に考えてあげたい……!」


 鼻がツーンとして、ちょっと泣きそうになってしまった。

 分かろうとしてくれる人がいるって、こんなに肩が軽くなるもんだったのか……。


「ふふ、それにアル様は勘違いしてるわ。アル様が何者であっても関係無い。……ほ、惚れたのは、アル様自身になんだから。

危険な事? それで共に傷つけるなら、あたしの体に貴方と同じ傷が残るなら、誇らしいと思うのが赤豹族ってものよ?」


「エリン……。そうか、そうだったな、獣人族の赤豹族は、強くて誇り高いんだもんな。

もっと背中を預けて、頼っていいんだな……」


「「あったり前!」」


 そう言ってエリンも飛びついてきて、三人で笑い合った。


「……まだ、父親から全ての話を聞いてないけど、俺も覚悟が決まったよ。

─── エリン、ユニ。俺とずっと一緒に居てくれ」


「「はい、アル様‼︎」」


 俺達が今いるのは、魔王一族の方星宮。

 全く勝手の分からない実家で、父親の姿は見えず、母親にもまだ会ってない。

 しかも死んだはずの養父が、九人も分裂してるってえ混沌とした状況なのにな……。


─── 何だか凄く和んでしまった


 姉妹に焚きつけられたのか、ティフォもぐいぐい甘えてくるし、スタルジャは涙でぐしょぐしょで姉妹を抱き締めたりしてる。


 ただ、やっぱりソフィアはまだ、少し緊張した様子が伺えた。


 俺の出生の話を全部聞いて、これからどうするか決まるまで、彼女の気は休まらないのかも知れない。

 何かの気休めを言うよりも、今は俺がリラックスしてる方が、彼女には安らぎになるだろうか?


 食事と湯を取った頃には、ソフィアの表情も多少穏やかにはなった。

 エリンとユニに、今までの旅の中で話せていなかった事を、楽しそうに話して聞かせていた。


 ようやく全て話せた事で、彼女達の仲も一段と深まっている気がする。


─── キュルキセルに入ってから、気の抜けない日々が続いたせいか、堅牢な部屋の一室に、俺達は深い安心感を抱いていた


 分身とは言え、剣聖が九人もいる館に、警戒する必要は感じられなかったしな。

 そう思うと、義父さんと一緒に寝た幼い日の夜を思い出して、何だか温かな気持ちさえしていた。




 ※ ※ ※




『─── 昨夜はよく休めたようだな。

星空こそ見えぬが、マナの流れる気脈を眺めて寝るのも、なかなか悪くはあるまい?』


 方星宮に入る前に見た、暗闇に浮かぶおびただしい数の血管のような仄かな光の筋は、世界に流れるマナの光なのだそうだ。


 延々と見渡す限りに続くそれらの光が、マナだと聞いてから、余計に幻想的なものに見えてしまった。

 部屋の窓からもそれは一望できて、この光の血脈が、シリルのユゥルジョウフにも繋がってたりするのかと感情的にもなった。


 今日は朝食を済ませた後、軽くこの建物内を、一番若い義父さんの姿のフィーア(4)に案内してもらった。

 それらが済んで、部屋で寛いでる所にお呼びがかかり、ソファと椅子の並ぶ応接間のような部屋に通されて今に至る。


『この方星宮は、魔王殿の居殿“千星宮”を再現したもの。

普段、休眠するしか使われぬこの建物、構築したイングヴェイもさぞかし喜んでいるであろうな……』


「……えっとな、んー、一応聞いて置きたいんだが……。

─── その姿は一体何なんだ?」


『─── “”に相違ないであろうな』


 いや、確かに蛙なんだよ。

 何処からどう見ても、蛙の置物なんだよなぁ、石の。

 昨日は色々圧倒されてて、それだとは気がつかなかったんだけど、俺の父親は小さい蛙の置物だった。


 いや、自分でも何言ってんのかよく分からないんだが、石で出来た蛙なんだからしょうがない。

 昨日だって、なんか玉座に小さな塊があるなぁとは思ってたけど、自分の父親がこれだと誰が発想に結びつくと言うのか。


『─── これもイングヴェイの作でな、地の術を使い、器用にこうしてよく役に立たぬものを造っておったのだ彼奴きゃつは……。

私がこの姿である理由も、これから見せよう』


 そう言うと、俺達の座る中央の空間に、黒い球体が現れて膨らんで行く。

 それが人ひとり分程の直径になると、青白く光って何かを映し出した。


『私の記憶を、像に結んだものだ。

─── 話しに聞くよりも、見る方が確実であろう』


 やがてぼんやりとしていた球体の中の映像は、目の焦点が合っていくように鮮明になり、中から話し声も聞こえて来た。




 ※ 




『ほお、もうこれ程に大きくなったであるか!

子の成長とは、目を見張るものがあるであるな』


 義父さんの緩み切った顔が、球体の真ん中にぽんと現れて、こっちの左下の方を見ている。

 見た目は俺の知ってる最後の義父さんより、大分若く見えた。


 そちらにつられるように視点が動いて、今度は幼い子供の顔が、視界の真ん中に現れた。

 ……どうやら誰かの腕に、抱き抱えられているらしい、これはその抱いてる人物の視界のようだ。


 球体の中央には、紅い瞳に黒髪の子が、ぽやっとした顔で指をくわえ義父さんの方を見つめ返す姿が映し出されていた。


─── 俺は思わず、自分のこめかみに手を当ててしまった


 これは間違いなく俺だ、体の釣り合いから、まだ幼児に差し掛かったばかりの。


 そして、その俺の額の両脇には、小さな紫水晶のような透き通った角が、チラチラと紅い光の粒を内部に輝かせている。

 角……今の俺には無い、だ。


『実に同感だ。もう二歳になる、これが物心つく前には、停戦にならぬものかとヤキモキしてならんが……』


 声が近くで響くように、やや大きく聞こえると、幼い俺の頰を指先で軽く撫でながらそう言った。

 ……これはおそらく父親の腕の中だ。


─── つまりこれは、父の視界と言う事になる


 惜しむらくは、父の視界の映像であるために、父自身の姿が見えない事だ。

 目の前の椅子に鎮座、いや、ポツンと置かれた無駄に愛嬌のある雨蛙の置物からは、父親の面影など感じ取れるはずもない……。


『停戦か……アルザスの王はどう出るものか、ハンネスの坊やからは、まだ連絡は無いと……?』


『ああ、まあ難しいだろうな。勇者とは言え、アルザス王にとっては、ただの末端貴族の小倅こせがれ

突然の宣戦布告から二年、戦況を考えずに頑なに戦に狂う王を、止められるわけもあるまいが……』


『賢王と名高かったアルザス王を、何が狂わせたのであろうか……。

最近では“アルザス魔界侵略”を“聖魔大戦”などと言い換え、自作自演の被害まででっち上げ、大義を無理に押し固めておるようであるが。

─── 勇者ひとりの存在では、この流れはいささか重過ぎるか……』


 アルザス魔界侵略? 伝わってる話とは大分印象の違う名前だ。


─── 無益な戦いの始まりは……とは、お考えになられないのですね?


 魔公将パルスルの言葉が思い起こされる。


『イングヴェイ、お前の息子なら多少はアルザス王も耳を傾けるのではないか?』


『ランバルドか、あれは剣以外はからきしであるからなぁ……。女と見れば口説き、ふらふらと……全く誰に似たものやら』


『いや、それこそお前と生写しではないか⁉︎』


─── ガチャッ!


『お、オリアル殿下ッ!』


『何だ騒々しい、どうしたと言うのだ?』


『勇者一行がお見えになりました。現在魔王陛下並びに、エルヴィラ王太子妃殿下、イロリナ内親王殿下が緑星殿にてご対応されております!』


『緑星殿? 敵対国の伝令を、王族の遊戯室に迎えるとは、幾ら何でも親しくなり過ぎであろう……。全く、父上の人間好きにも困ったものだ』


『とうとうアルザスの意向が出たであるか。

ふむ、王室総出でお迎えとは、エルヴィラ殿下とイロリナ殿下共に、相変わらずの冒険譚好きであるな。

イロリナ殿下ももう十八、そろそろ淑女然とした振る舞いも……うむ、吾輩が手取り足取り……』


『イングヴェイ、釜茹でか? それとも金の雄牛の中で燻製か? どちらかを決めてからの覚悟でものを言え……。

─── 報告ご苦労、分かった、すぐに向かおう』


 視点が動き、長い廊下を義父さんと歩いて行く映像が続く。

 時折、腕に抱いた俺の顔に視点を合わせ、きゃっきゃと笑うのが球体いっぱいに現れた。


 アルザスが魔界に侵攻、この雰囲気だと魔族側には、かなりな余裕を感じるな。

 更に暗殺者もしくは、斬り込み隊とも言える勇者と親しいとか、勇者物語とは現実は大分違うらしい事が伝わって来る。


 渡り廊下を進み、別棟の建物内に進むと、奥の部屋の入口に立つ騎士風の男が敬礼をする。


『─── 陛下、オリアル王太子殿下がお見えになりました』


『うむ、通せ……』


 扉の向こうから響く、重苦しいしゃがれ声と共に、扉が開かれた。

 途端に視界が揺れ、俺が駆け込んで行く姿が映った。


『おじー!』


『おお、アルファード! お前も来たか、よしよし、クッキーか? それとも果物がいいか?

うーん、どっちもあげちゃう♪』


『陛下……甘やかすのはおやめくださいと、お約束いたしましたよ?』


『う……っエルヴィラ……。

ほれみろ、イングヴェイ。この通りワシが孫を愛でるのを、咎めるのじゃ息子夫婦は……!

ワシを孤独死に追い込む気ではないかと、最近夜も眠れんのよ』


『毎日きっかり八時には、お眠りになられてるではありませんか……』


 あれが……! あれが魔王フォーネウス‼︎

 水牛のような強大な角をいただき、真っ白な髪と髭を伸ばした、大柄な男。

 球体に映る記憶の風景だと言うのに、迫力が違うと言うか、オーラを感じる。


 でも何だろう、孫にくしゃくしゃになってる、ただの優しそうなお爺ちゃんにも見える。

 寝る時間も早いし。


 その隣で、ニコニコと俺に微笑み掛けているのが……母さんか!


 長く艶やかな黒髪に、優しげにやや垂れた感じの赤い瞳、そして何処と無く俺に似ている鼻と口元。

 母さんにも幼い俺と同じ、紫水晶の角が生えていて、並ぶと本当に母子だと分かる。


 自分の記憶に無い、己のルーツを感じて、思わず胸が熱くなってしまった。


『何だよ、親父も来てたのかよ!』


『む、ランバルドか。何だとは何であるか、この偉大なる父に対して。

そのようにカリカリするとは……どうせまた、女関係でアルザスに居辛くなった体であるな?』


『一緒にすンなッ‼︎ 俺は商売女しか抱かねえから、親父みてえに迷惑は掛けねえんだよ!』


『相変わらず、責任がどうとか言っているであるか……。後先考えずに愛する気概は無いのであるか、このフニャ○ンエルフめが』


『─── おお、上等だ! 今日こそ決着つけようじゃねーかクソ親父!』


『『ギャーギャー』』


 剣聖イングヴェイの嫡男にして、現代の武芸と兵法の教科書ともされる八極流の開祖、戦士ランバルド・ゴールマイン。


 勇者物語では、岩山の如き豪傑とされる事も多い彼だが、本人は意外と線が細くて美青年だ。

 挿絵によく描かれているような、無骨な全身鎧ではなく、機能性に重点を置いた必要最低限でスタイリッシュな出で立ち。

 エルフそのものって感じだ。


 人の背丈程もある幅広の曲刀、全身至る所に、様々な種類の武器が仕込まれているようだ。

 盾役と言うより、完全に攻める戦闘のスペシャリスト、と言った方がしっくり来る。


 ……考えてみたら、彼は俺のになるのか?


─── ドゴォッ! ズダァンッ!


『アルファードの前で、何を大声で抜かしてやがるのかしら……? 教育に悪い子は修正して差し上げましてよ?』


『』


『』


『─── エルヴィラ、その大切なアルファードが怯えている、ふたりの頸動脈から手を離しなさい』


 剣聖と八極流創始者が、母さんの白く細い手にそれぞれ喉元を掴まれ、ブリッジの姿勢で悶絶している。

 それをケラケラ笑いながら、ショートカットの女性が、幼い俺にしゃがんで何か言っていた。

 その女性に、母さんは溜息混じりに振り返り、話し掛ける。


『テレーズさんも、こんな男に騙くらかされたらダメですのよ? 男は寡黙で、よく働く人をお選びなさいね』


『はぁ、王太子妃殿下、そのご心配は無用です。ランバルドの事は、靴底に噛んだ小石くらいに思っていますんで』


 冒険者テレーズ、勇者一行の旅と戦闘両面でマネージメントしたと言われる、テレーズ商会の創始者……!


『キャハハ! テレーズ様、辛辣ですよぉ!

でも、そう言いながら、ランバルド様とは仲がよろしいんですもんね〜♪』


『ハァ……イロリナ内親王殿下、それは大きな誤解ですって。こいつとはただのギルド時代の腐れ縁だと、申し上げた通りですから』


 溜息混じりに髪をかきあげるテレーズに、母さんとそっくりの可憐な少女が、憧憬の眼差しを向けている。

 イロリナ内親王殿下って事は……魔王の孫娘、ん? って事は……⁉︎


『これ、イロリナ。王族の女たるもの、大口を開けて笑うものではありませんよ?

弟のアルファードがいる時くらいは、姉としてしっかりなさい』


『はぁ〜い……』


 姉……俺に姉さんがいたのか、これが俺の血を分けた姉弟……。

 と、僧侶姿の少女が、端っこにいる少年の背中を叩き、前に出させようとしていた。


『フフフ、カルラちゃんも大変ですわね♪

彼も人族の代表なのですから、もう少し自信を持っても良いでしょうに』


『もー! その通りなんですよエルヴィラ様ぁ、何でこんなウジウジが選ばれたんだか……。

─── コラ、ちゃんと自分から話しなさいって!』


 裏切り者のカルラ……?

 伝承では勇者一行を罠に嵌めた、勇者の幼馴染の悪女、それがこの場でムードメーカーになっている。


 じゃあ、そのカルラに尻を叩かれてる少年の隣に、一言も喋らずに立ってる長身の美女は……。


「─── 大魔導師リディ……私の前任者ですか、あれが……」


「あんまり……ソフィに似てないな、ん、いや、顔の造りは同じ、表情の差か?」


「彼女までの調律者は、感情を与えられていませんでしたからね。自分で見てても、何だか不気味に思えてしまいますね……」


 うーん、自分の別人格みたいなもんだもんな、それが全然自分らしく無かったら、不気味にも感じるか。


─── いや、それよりもリディの隣の少年だ!


 ……朝日のように明るい黄金色の髪に、灰色がかった藍色の瞳、白銀の軽鎧に身を包んだ少年。

 彼こそが─── !



『うぅー、言いにくいよぅ……。お願い、カルラから話してよぉ。ぼくはちょっとお腹が痛くて』


『ハンネス……あんたホント、いい加減ぶっ飛ばすわよ?』


『ふぐぅ……分かったよ、分かったよぉッ‼︎』


 全世界の子供に、勇気と諦めない心を与え続ける、



─── 勇者、ハンネス・オルフェダリア



 伝説の男が魔王フォーネウスの前に立ち、グッと顔を引き締めると、深く息を吸い込んで真っ直ぐに見上げた。


『ご、ごめんなひゃい! ぼぼぼぼくは、王様を説得……できまひぇんでしたッ‼︎』


 人族の希望が、世界の絶望に、飛び込むように土下座をしていた─── 。

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