第五話 親子愛

 ローオーズ領は農業で成り立つ、穏やかな気候と風土の土地である。


 隣り合うキュルキセル地方とは地形と土質が大きく変わり、水はけが良く、しかし水持ちの良い土壌を持つ、環境に恵まれた地域だと言われている。


 それら環境だけでなく、穏やかなのには他にも深い理由があった。


─── 帝国の領土に面していながら、独立を頑なに保ち、エル・ラト教の進出も許してはいない


 それはこの肥沃ひよくな土地にまつわる、過去何度も繰り返された侵略と、その度に入れ替わる領主や権力者同士の争いが原因である。

 聖魔大戦を前に、いがみ合う当時の二大豪族の争いに、中央諸国が介入して激化。

 その紛争に土地を荒らされ、戦資金徴収に苦しみ続けた農民達が『土に冠は要らず』の号令の下に、一斉蜂起したのだ。


 それから三百年余り、王は置かず、他国の侵略も許さずに、自ら考え、自ら闘う農民の暮らす国として、独自の存在となっている。




 ※ 




「お、ブラド、あれが気になるのか!」


「うん!」


 セオドアが、街道の脇に生えていた木へと、ブラドを肩車したまま連れて行く。

 プラの実だろうか、幅広で分厚い葉を蓄えた枝が、鈴生りになった黄色い果実の重さに垂れ下がっている。


 『ブラド』は、未だ名前を思い出せずにいる少年に、一時の名前としてセオドアがつけた。

 

 初めて会話をした日から二日程は、ブラドは相変わらず上の空か、寝ているかだった。

 それが三日を過ぎた辺りから元気を取り戻し始め、だいぶ歳相応に喋るようになっていった。


 馬車での寄生虫大作戦が空振りに終わり、相手もその後の手をこまねいているのか、あれから襲撃は無い。

 結局、アホみたいに強力な結界を破れず、諦めたのだろうと、深読みするのは止める事にした。


「なあ! これ少し持ってったら良いんじゃねえか?」


じゃねえ! あー、誰かが手入れしてる風でも無いし、良いんじゃないか?

食べ過ぎて腹壊すなよー」


 ブラドにあげた初めての食事『ふに甘ぱん(命名:ティフォ)』を食べてから、セオドアは何故か俺を『親父どの』と呼ぶようになった。

 その辺りから、妙に俺に人懐っこく接するようになって、酷く微妙な心持ちだ。

 下手に餌を与えるべきじゃなかった。


 ちなみに少年の名前のブラドは、彼のいた国で『弟』とか『兄弟』って意味らしい。

 ……いやどう考えても、お前が『親父』でブラドは『息子』だろと。


 ブラドの記憶は変わらず、彼だけが生き残れた理由も分からず、それでも今はブラドとして皆んなによく懐いている。


 セオドアとアースラの怪しげな動きは、あれからは全く無く、ブラドの世話をイキイキとしてるし、彼に積極的だ。

 それに俺への態度も、親密になるばかりで、それが演技とは到底思えなかった。


 ……結局、何だったんだ? あの会話は……。


─── ……アルくん? だから考えるだけ無駄ですってば……


─── ……うわっ、顔に出てたか⁉︎


─── ……くすくす。アル、分かりやす過ぎ……


─── ……アル様、ジッと見過ぎなの……


─── ……尻尾がなくて良かったわアル様……


 ソフィアに続いて、スタルジャ、赤豹姉妹の笑い声が念話で響いた。

 セオドア達が何か怪しいからと、彼らに聞かれたら都合の悪そうな会話は、こうして念話でやり取りしている。


 何て言うか女の子って凄いな、念話で際どい事を話しながら、笑顔でセオドア達と違う会話をしてたりするし。

 俺なんか顔に出さないようにするので精一杯だってのに……。


「オニイチャ、ティフォもとりたい」


「ん、あいよー」


 同じく俺に肩車されてるティフォも、プラの実を欲しがり、おでこをぺちぺちされた。


 ティフォのやつ、プラの実なんか里にもいっぱいあったけど、見向きもしなかったのになぁ。

 ほんのり甘みがあって、酸味のあるプラの実は、他の果物と並んでいたら、まず手が伸びないって立ち位置の実だ。

 つまり、どストレートに言えば、あんまり美味しくない。

 どちらかと言えば、遊び半分でもぎ取って、ちょっと得した気がするそんなやつ。

 種でっかくて、食べるとこ少ないしね。


 ティフォも本当に食べたいわけじゃないのは、何となく分かるけどな。


 ブラドが俺やセオドアに懐いて、膝にすがりついたりする姿を見て、彼女も俺に甘えるようになった。

 赤ちゃん返りってのとも違うか、多分、父性への憧れとか、愛情の埋めなおしとか……かな。


 父親のアキレス腱ジャーキーをかじる姿よりは、何兆倍も良いだろう。

 だから俺もそう言う感じで来られた時は、思うがままに甘やかしてやる事にしてる。


─── ……アルくん! 次は私!


─── ……アル! 次の次は私ね!


─── ……つ、次にもぎ取れる木があったらな……


 ソフィアとスタルジャの念話が、示し合わせたように、ババっと入って来た。

 こういう時は赤豹姉妹は静かな辺り、やはり父性の問題か、それとも求めるカテゴリーが違うのか……。

 そんなこんなで街道を歩いて行くと、ローオーズ領の最初の街『ボラン』が見えて来た。


「アルおとーさん! 今夜はここにおとまりするの?」


「おー、そうだ。いい宿屋探さないとなー」


「わぁー! やったぁ〜」


 何てまぶしい笑顔か! 

 正直、ブラドにお父さんって呼ばれるのは、くすぐったさの中に、少し感じ入るものがある。


 普通の若者だったら、早いやつで十六、平均で十八には家庭に入るって言うしな……。

 俺も何かが違ってたら、ブラドよりちょっと幼いくらいの子供がいてもおかしくないんだよなぁ。


─── ……くすくす……


 振り返ると婚約者達がニヤニヤしてる。

 うん、女の子ってどうしてこう、心理に鋭いのでしょうか?




 ※ ※ ※




 薄暗い部屋の寝台に、熊のぬいぐるみを抱いたパジャマ姿のブラドが座っている。


 その寝台の前に椅子を置き、ソフィアは明かりを背にして、ブラドに向き合っていた。

 魔石灯の光で伸びる彼女の影が、ブラドを覆って、後ろの壁にシルエットを映し出している。


「無理に頑張って、思い出そうとは、しなくて良いですからね……」


「…………うん……」


 ソフィアの声は控えめに、言葉を区切って強調しながら、ブラドへ優しく語りかける。

 ここまでの導入で、すでに深くリラックスしていたブラドは、微睡むように目を薄く開けてうつむいている。


「あなたのお家、そう言われて、何か浮かびますか?」


「…………浮かば……ない」


「では、街、と聞いて、何か浮かびますか?

これは、あなたの住んでいた街、ではなくても良いんです」


「…………街……?」


「そうです。例えば、街に川が流れてる、とか、にわとりさんが、たくさんいる、とか」


「川……? うーん、ある……街の中、川が流れてる……」


「ふふふ、それはきっと、素敵な街なんでしょうね。川の近くには、何がありますか?」


「川……川の近く……には、時計がある……の」


 セオドアが思わず身を乗り出すのを、アースラが無言で首を振って止めている。

 

「時計? それは、大きな時計? 小さな時計?」


「おっきい……塔についてる、おっきな時計」


「皆んなに時間を教える、大事な時計なのでしょうね。他に何か、近くにありますか?」


「う……ん、教会……。灰色の……おっきな……教会がある……よ」


 うん、これは『催眠術で思い出そうの会』に見せかけた、ただの誘導尋問だ。

 彼の記憶に残ってるイメージを、言わせる為にやってるだけ、これで何か思い出す事は無いだろう。

 シチュエーションとソフィアの声で、リラックスこそしてても、催眠導入なんて最初からやってない。


 では、何故こんな事をしてるかと言えば、まさかブラドの記憶を覗いて、向かうべき場所を知っているとは言えないからだ。

 こうして、彼に言わせる事で、目的の場所を探しているように装っている。


─── ブラドの記憶にある、あの風景のある場所は、すでに俺の放った小蜘蛛達で確認済みだ


 そこへ真っ直ぐに辿り着いたら、なんか怪しいからな、こうして一芝居打つ事にした。

  さて、その効果たるや─── 。




 ※ 




「─── ブラドの言ってた条件と一致するのは、この街しかないそうだ」


「うおおッ! ソフィアさんよお、あんた、あんたぁ本物だぜッ‼︎ 俺が保証するッ‼︎」


 ブラドはあの後すぐに眠りに就いた。

 ユニとティフォ、それからスタルジャも何故か催眠導入の影響なのか、ブラドと一緒に寝てしまった。

 セオドアの興奮ぶりに、ソフィアはオホホと返しているが、もしかしたら本物だったか。


 今は宿屋に組み込まれてる酒舗で、セオドア夫妻とソフィア、エリンと地図を広げて酒を片手に今後の話をしている所だ。


 近くにいた従業員から聞いた、もうわかり切っていた場所を、地図で指差したらこの反応。

 効果テキメン過ぎて、可哀想に思えてくる程、セオドアは興奮していた。


 『さっきのなんたら術ってのは俺にも効くのか?』とか、ソフィアに食い入るように質問しているし、何度も地図をとっては鼻息荒く目的地を見つめている。


 さっきはソフィアが本物だと『俺が保証するッ』とか言ってたけど、一体こいつは何を保証しようと言うのか。

 騙されて変な保証人とかにならないか、将来が心配になる。

 四十過ぎのおっさんなんだけども、無邪気ったらない。


「どうせ俺達はこのまま北上する予定だし、ブラドの記憶と一致する街『ホーリンズ』へは、通り道だ。セオドア達はどうする?」


「何言ってやがンだよ親父どの、ここまで来て『んじゃまた』って別れられっかよ!

もちろん俺ァ、ブラドを家に帰すまでついてくぜ!」


 と、興奮するセオドアに、エリンは眉間にしわを寄せて目を閉じ、腕組みをした手で、自分の腕を強く握りながら呟いた。


「……これは言いたくはないけど……。その家に帰っても、ブラドの家族が居ないって、そんな可能性もあるのよ……?」


 セオドアはキッと彼女を睨んだが、すぐに辛そうな顔で椅子に座り直した。


「─── そん時ァ、俺が引き取る」


「セオドア……あなた、本気で言ってますの?」


「ああ、放っておけるかよ……」


「わたくしたちは無職、これからどうなるのかも分かりませんのよ?」


「んなモン……その時に頑張りゃあいいのよ!

護衛も傭兵もダメなら、農奴でも何でもやってやらァッ‼︎」


 セオドアの大声に、酒舗の客達が静まり返る。

 それを気にも止めず、顔を真っ赤にしたセオドアの手に、アースラがそっと手を重ねた。


「あなたなら、そう言うと知っておりますわ。長い付き合いですもの、あなたがあの子を放っておけるはず、ありませんものね」


「…………アースラ」


「あの子に家族も、親類も、温かな知人も居なかったら。

……あの子の居場所がなかったら、そういたしましょう、わたくしたちなら何とかなりますわ」


 このふたりは、やっぱり疑っちゃいけない奴らなのかな。

 俺の何を知ってるのか、俺をどうするつもりかは知らないけど、この数日嫌と言う程ふたりの良い所を見つけてしまった。

 こんなに戦意が鈍るのは、初めての事だ。


「─── 実際、その場所に行ってどうなるかは分からない。

急なお別れになるかも知れないし……。なら、明日はこの街で一日、あの子と三人で家族になってみれば良いんじゃないかしら?」


 エリンが再び口を開く、腕は組んだままだが、そこに緊張はない。


「ああ、それは良いな。どちらに転ぶにしても、あの子の良い思い出になるし、覚悟を決めるいい機会になるだろ?」


「い、いいのか……! 俺たちのために、あんたらも旅の途中なんだろ……?」


「ははは、俺達は全然構わないよ。むしろこっちが勧めてるくらいだ。

─── あー、後これ、少ないけど使ってやってくれ」


 キョトンとするセオドアに手を出させて、金貨を数枚もたせた。


「……こ、こんなモン、受け取れねえよ……」


「これはブラドのためだ。楽しい思い出、俺達の分まで作ってやって欲しい」


 何かしてやりたい気持ちもそうだし、どう転ぼうとも、ふたりの気持ちの後押しはしてやりたい。

 今まで傭兵家業を続けて来たと言っても、小さな領地同士の小競り合いじゃあ、それ程蓄えも余裕があるわけじゃないだろう……。

 言い方はアレだが、金で解決出来る事は多いし、懐が温かければ行動の選択肢が増える。


「─── くっ、うっ、うぅ……」


 セオドアが肩を震わせて、大粒の涙をこぼした。

 アースラはその背中にそっと触れている。


「すまねえ……恩に着る……う、うおおおん!」


「皆さま……ありがとうございます……」


 うん、何かと豪快なセオドアだけど、男泣きも豪快だな。


─── ……エリン、ありがとうな……


─── ……へ? 何が?……


─── ……言いにくい事を、エリンが言ってくれたから、皆んなの気持ちが救われた。ありがとう……


 念話でそう語りかけながらエリンの方を見ると、驚いたような顔をして、にこりと笑った。

 普段はむっつりしてる事が多いから、いや、元々美人ではあるんだけど、虚をつかれたように胸がどきりとしてしまった。


 大酒飲みのセオドアが、明日のためにと、早々にアースラとふたり部屋に戻ると、俺達はそのままのんびりと飲む事にした。




 ※ ※ ※




 ローオーズ領ホーリンズは街に流れるルミオ河の恩恵を受け、農業生産はもちろん、輸送の拠点ともなる領内屈指の大きな街だ。


 かつての紛争の名残りか、堅牢な防壁に二重に囲まれ、城下の面影を残している。


 門番に身分を告げ、ブラドの事を話すと、一度街の中に通され、広場の片隅で待たされた。

 すぐにでも街観光したい所だが、その広場から見える風景だけでも、異国情緒に胸が踊る。

 それは皆んなも同じようで、スタルジャが興奮した様子で、街を見渡していた。


「わー、風車小屋いっぱいだね!」


「小麦でも加工してんのかねぇ。倉庫の数も凄いな」


 農業に一家言ありのランドエルフだけあってか、作物流通拠点のこの街に、スタルジャは目を輝かせてキョロキョロしている。

 産業的な背景を抜きにしても、古く豪壮な建物の並ぶ中に、色とりどりの風車が回る風景に皆んな興奮気味だ。


 スタルジャでさえこうなのだから、子供のブラドは尚の事、さっきからぴょんぴょんと跳ねるようにしてセオドアの周りをウロチョロしている。

 その度に、首から下げた小さなネームプレート付きのペンダントを、大事そうに小さな手で握って守っていた。


「セオ! あれなぁに?」


「んあ? あれか、あれはな……なんだろ」


「うふふ。ブラド、あれは噴水ですわ。あら、でも凄いですのね、仕掛けでお人形が動くなんて」


 昨日たっぷりと絆を深め会った三人は、本当の親子のような雰囲気が出来上がっている。

 セオドアの過保護っぷりがやや心配ではあるが、彼なりにブラドの事を考えての事だし、微笑ましく眺めていられた。


「おおっとあぶねえ……。ほれ、あんまし走り回ってっと、転けちまうぞ?」


「えへへ……」


「うふふ、ペンダント、本当に気に入ってくれたのですねぇ。でも、片手が塞がってたら、転んだ時に危ないわ」


「だって……大事なんだもん」


「ばッか、おめえの方が大事なんだ。どれ、そんなに走るのに邪魔なら、短くしてやるから。……あ、これ、ジッとしてろって」


 昨日宿屋に帰って来た時から、ふたりに買ってもらったペンダントを、それは喜んでいた。

 石では傷がつきやすいからと、青魔鋼で作られたセイジンキキョウの飾りが付いている。


─── セイジンキキョウの花言葉は『愛に囲まれる』『家族愛』


 例え離れる事になっても、また、記憶が戻った時にこの記憶が消えてしまったとしても、俺達に愛された事を残してやりたいとの願いだそうだ。

 ネームプレートにはブラドの名前と、俺達の名前が小さく彫られていた。


 青魔鋼はただの金属と違って、人の念を増幅させる力がある。

 魔道具なんかの基材に使われるが、転じて願いを叶える鉱石とも言われている。


 ……セオドアとアースラの覚悟の象徴みたいなもんだな。


 遊び疲れたブラドは、うつらうつらとし始めても、興奮が冷めずに寝たがらなかった。

 セオドアと寝るって事で、ようやく寝台に向かい、すぐに寝落ちたそうだ。


 夜、セオドアと呑んでいたら、時々涙を浮かべて、ブラドとの一日を楽しそうに語っていた。

 アースラは残った金を返すと言って来たが、それは丁重にお断りしておいた。

 ホーリンズの例の場所に行って、どうなるのか分からないし、もしブラドの為に使い切れなくともブラドの為にふたりの定住に役立てて欲しいと思ったからな。


 二夜連続のセオドアの男泣きを食らったが、俺だって彼らには平穏に過ごして欲しい、色々な意味で─── 。




 ※ 

 



 ブラドは街に入っただけでは、特に反応はみられなかった。

 結局、彼の記憶喪失は原因が不明なまま、症状から言って、すぐにどうこうなるものとは思えないが……やはりちょっと残念だ。

 と、門番が何やらパリっとした出で立ちの一団を連れて、こちらに戻って来るのが見えた。


「S級冒険者アルフォンス・ゴールマイン様でよろしいでしょうか?」


「ん? ああ、そうだ」


「失礼いたしました。私、このホーリンズの警備庁所属、保安課を担当しております、ジェイコブと申します。

そちらのお子様が馬車に乗っていた身元不明者でしょうか?」 


 警備庁? ああ、自警団みたいなものか。

 結構大掛かりな組織として、しっかり構成されてるみたいだ。


「ああ、事故にでも合ったのか、馬車は損傷が酷くてな。たまたまこの子だけ助けられたんだが、他の者は……。

本人も事故のショックか、記憶に混乱がみられる、名前も分からないようだ。

川を跨いで時計塔と教会が向き合う風景だけは思い出せたみたいでな、とりあえず連れて来た」


 詳細な事実は伏せておく、それこそ、妙な勘繰りされても困るからな。

 ここでの口裏合わせは、すでにセオドア夫妻交えて設定済みだ。

 

「─── それはわざわざ御足労お掛けいたしました。

実は先日、街の商人や一般人の乗る馬車が、複数台暴走する事故が起きまして……。

現在私共で捜査を続けていたのです」


 そりゃあそうだわな、結界に突っ込んだ馬車は、おおよそ十三台。

 確認まではしてないが、あれだけの暴走だ、結界に辿り着く前に瓦解した馬車も相当数あっただろう。

 どれも大型の物が多かったようだし、ひとつの街から突然それだけの台数が不明となれば、大問題だ。


「出来ればその時の状況などを、詳しくお聞かせいただきたく思います。ご同行願いますが、よろしいでしょうか?」


「─── ん、まあいいけど、長くなるのか?」


「あ、いえ、S級冒険者の貴方様の足止めは、この地域にとっても不利益となりましょう。

それと失礼ではございますが、皆さまは入国許可審査はお済みでございますか?」


 入国許可審査? そんなもんあったのか。

 なる程、帝国すらも追い返す地域だ、他国の者の流入にも、神経を尖らせてるんだな。


「あー、不勉強で済まない。そんな審査があるとは知らなかった。必要とあらば受けるよ」


「いえ、こちらの不案内が元でございましょう。国境の整備が未だに完成しておりませんので。ご協力、心より感謝申し上げます。

─── では皆さん、長旅でお疲れの所、恐縮ではございますが警備庁舎までご案内いたします」


 うーん、なんて言うか洗練された物腰だな、兵士じゃなくて自警組織みたいだから、ちょっと舐めてかかってたかも。

 言葉遣いもそうだけど、彼らの歩き方はそこらの兵士より訓練が行き届いてるようだ。

 真っ直ぐ伸びた背筋に、一団の歩く速度と歩幅が自然と揃っている。


 なんかずらりと一団に囲まれて、強制連行みたいで肩身がせまいが、警備の一団は目が合えば軽く笑顔を返すくらいには気さくな雰囲気だ。


 しばらく街を歩くと、例の川が見えて来た。

 それにブラドのイメージに見た、あの時計台と教会も、視点こそ違うが全く同じものが建っていた。


「ど、どうなんだブラド、なんか思い出せそうか?」


「─── んん……なにも。でもあのおっきな時計は、なんかわかる……かなぁ?」


 背後でブラドとセオドアの会話が聞こえた。

 と、彼らの横を歩いていた警備の一人が、その会話を耳にしてか、穏やかに話しかけた。


「おっきいでしょう? あの時計はね、ずっと大昔に勇者さまがこの街に来た事があったんだよ。その記念に塔が建ってね、長い事鐘を打つだけだったんだけど……」


 へえ、ここにも勇者は来てたのか。

 ブラドは勇者と言う言葉にも記憶がないのか、小首を傾げながらも、相槌を返していた。


「ああ、そうだ。せっかくこの街に来たんだから『ローオーズトースト』を食べたらいいよ。甘くて柔らかくて、子供とか女の人たちに大人気だからね。

たっぷりバターとシロップを乗せて……」


 本当に気さくな人だな、まあ、ブラドが可愛いってのもあるんだろうけど。

 ……と言うか、そのローオーズトーストとやらは、明らかに『ふに甘ぱん』の事だよな?

 そんな街の名を冠した食べ物だったのか。

 まあ、これだけ農業の盛んな場所なら、あのレシピが生まれても不思議じゃないな。


 『子供とか女の人に大人気』って響きに、一番ガッついてたセオドアが、微妙な顔をしてる。

 その隣でブラドも微妙な顔で俯いていた。


 人見知り? それとも歩き疲れたのか?


「お疲れ様でした。こちらが私共の警備庁舎です。皆さまそれぞれご案内いたしますので、ロビーにてお待ちください」


 そう言ってジェイコブが立ち止まった建物は、この街の中でもかなり大きく、古い時代のものだった。

 なるほど、厳粛な雰囲気があるな。


 分厚い鉄扉を開けると、中は大理石を磨いた、重厚感と壮美を併せ持った、気品のある景観が広がっていた。


「すでに馬車の不明者のうち、子供を乗せていた馬車の関係者を呼んであります。

まずはアルフォンス様とお子様をご案内いたします」


 ロビーに入ってすぐに、ジェイコブはそう言って、俺とブラドを案内する。

 残りのメンバーにも、担当官がつくようで、それぞれが挨拶を交わしていた。


 皆んな別々なのか。

 そりゃあ、またしっかりしてんなぁ。

 セオドア達は傭兵だったわけだけど、大丈夫かねぇ、お尋ね者とかになって無ければいいんだが。


「ここからの眺めが、この庁舎の名物なんですよ、せっかくですからご覧になって下さい」


 三階の渡り廊下で、ジェイコブはその一角で足を止めた。

 背の足りないブラドを抱っこして、一緒にその風景を見下ろす。

 その瞬間、思わず声が出そうになってしまった。



─── ブラドのイメージと一致した⁉︎



 角度も位置も全く同じ、いや、どう考えてもこれは、ここからブラドが見た風景だ。

 頭にソフィアから受け取ったイメージを思い浮かべて、何度も重ね合わせたが完全に一致していた。


「……なあブラド。何かこれを見て思い出したか?」


「……………………」


 ブラドは初めて会った時のように上の空だ。

 虚ろな目で、もう景色を見てはいなかった。


「ここは普段公開されてませんから、こうしてお見えになられた方か、職員しか見られないのですよ。

─── では、参りましょうか」


 ブラドを抱っこから降ろすと、ジェイコブはまた歩き出し、渡り廊下の先の部屋の前で止まった。


「こちらの部屋でお待ち下さい。すぐに彼の関係者と思われる人物を呼んで参ります」


 庁舎の玄関と同じく、重苦しい鉄の扉が軋んで開き、絨毯の敷かれた部屋に案内される。

 勧められるままにソファに腰を下ろすと、ジェイコブは一礼して、扉の方へと戻って行く。


 部屋には三人掛けソファがひとつきり、何とも殺風景だし、これ話し合う時どうするんだろう?

 そんな事を思っていた時だった、部屋を出たジェイコブが、扉を閉めて外から何かをする音がした。


─── ガチャ……ガキンッ!


 ……鍵を掛けられた? 何故だ、これじゃあ容疑者扱いじゃないか。

 扉を確かめてみても、やはり閉じ込められているのが分かった。


 部屋にひとつある窓は、頑丈な鉄柵がつけられている。


─── まあ、最悪、壁ごと壊せばいいかぁ


 しかし、何故このホーリンズの警備庁の人間に、俺を取っ捕まえる必要がある?

 それよりも皆んなはどうなった?


 こりゃあ面倒な事になる前に、ここから離れた方が良さそうだな。

 ブラドを連れてじゃあ、あまり派手に暴れられないし。


「……ブラド、もしかしたら、ここから逃げる事になるかも知れない。

その時はセオドア達の言う事を─── 」


 ブラドは俯いたまま、小さく体を震わせている。

 そう言えばさっきの風景を見てから……いや、この庁舎に来る少し前からずっとこんな調子だったような気もする。


「……ブラド? どうした、体の具合でも」


「─── ……任務は……た、たた達成した……」


 そう呟いたブラドの顔が、ボコボコと音を立てて歪み出す。


 糸が切れたように膝から崩れて、床に四つん這いになると、全身が内部から弾けるように膨張して服が破れた。

 

─── やがて、それが立ち上がると、そこにはどこかブラドの面影を残す、男の姿があった


「……ここまで……上手く行く、とは、思わなかった……。お、お前は……甘い、アルフォンス・ゴールマイン……。

─── ひゃは、ひゃはははははははは……‼︎」


 どこか異国風の訛り、やや褐色のくすんだ日焼け顔、男は俺の名を呼び、狂ったように嗤笑ししょうを渦巻かせた。


 その首に揺れるセイジンキキョウのペンダントヘッドが、ネームプレートと擦れて鈍い音を立てている。


 こいつが、紛れも無くブラドだったと証明するかのように、かちかちと鳴り響いた─── 。

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