第四話 ツェペアトロフ家のヴァンパイア達

 吊り上げた口角に、白磁の如き頰を歪ませ、プリシラは腕を突き出す。

 部屋を埋め尽くさんとする、彼女の喚び出した膨大な数の蝙蝠こうもり達が、紫の炎を纏ってソフィアへと押し寄せた。


 部屋に飾られた花々が、瞬時に枯れ果て、蝙蝠の触れた家具や調度品は一瞬にして灰となって散る。

 古い闇属性の魔術と召喚魔術を掛け合わせたものだろう、少量の魔力で生み出された蝙蝠は、周囲のマナや物質を魔力に変換して自らの力に変えているようだ。


「おやめ下さい! プリシラ様─── 」


 扉を開けて廊下に出ていたモンドが、血相を変えて飛び込もうとするのを、俺は押し戻して留める。

 ソフィアを守ろうとしたのを、その仲間である俺に止められ、モンドが呆気に取られた表情で見上げた。

 その瞳には、蝙蝠の群れに今まさに囲まれる僧服の女の華奢な後姿が映る。


─── フ……ッ


 蝋燭を吹き消すような音を立て、蝙蝠の姿が淡い黒霧を残し、残らず消え去っていた。

 術の詠唱にトランス状態に入っていたプリシラは、その様子に気が付かず、勝ち誇った顔で魔術での追い打ちを掛ける。


─── 【封魔黒雷球マグ・ア・メルゥト


 半透明の黒ずんだ球体がソフィアを囲い、紫の閃光を放つ黒い雷撃が、その表面を撫でる。

 複数の魔術印が浮かんだ帯が、球体を取り囲み、更に魔力を増幅させて行く。


「キャハハハハハ! 地獄の稲妻に力を奪われ、魂の奥から焼き尽くされてしまえ! 

にえが真祖たる私に楯突こうなど─── 」


 勝ち誇り、そこまで言い掛けてプリシラはようやく異変に気がついたようだ。


 放った蝙蝠は全て姿を消し、球体に囚われたはずのソフィアは、変わらずゆっくりと歩いて進んでいる。



─── 【 業 は 巡 る 】



 澄み切った言霊で【神の呪い】が告げられ、その神言が結ばれた刹那、ソフィアを捕らえていた球体は、音も無く消え去った。

 それと同時に、プリシラの周囲の重力が切り離されたかのように、驚愕に目を見開いた彼女は宙に持ち上げられていた。


 プリシラの放った闇の上級魔術が、光属性に反転されて撃ち返され、黄金色の光柱となって彼女を捕縛する。



─── 【 想 う 事 之 即 ち 業 、超 え ね ば 業 に 終 わ り 無 き 哉 】



 相手の魔術を支配して、更に大きくして撃ち返す。

 一部の反射系魔術に似たようなのがあるが、これは……全く別次元、まさに呪いだ。

 解呪成功するまで、延々と破壊力が上げられて行くように、一瞬にしてプリシラの術式が書き換えられている。


 つまり、手に負えない格上の魔術を、自分に対して無理矢理に使わされ、その魔力も支払わされる鬼畜仕様。


─── 結果は言うまでも無い


 そもそもが闇の眷属であるヴァンパイアに、絶望的な光属性の超上級魔術が、断続的に威力を上昇させながら放たれたわけで……。

 初撃で瞬時に蒸発したプリシラは、肉片が再生するそばから神聖な雷撃に自由を奪われ、痛覚を取り戻した辺りで更に強い雷撃に襲われるのを繰り返されている。


 ご丁寧にプリシラの周りには、強力なソフィアの結界に護られて、光以外の音と振動、熱と衝撃波なんかは完全にカットされている。

 無音声の世界だと、何故か凄絶な惨劇も、シュールに映るから不思議だ……。


 耐性が低ければ、目にしただけで失明するであろう壮絶な閃光が、部屋を真っ白に何度となく染め上げる。

 彼女の焼かれる臭いすらカットされているが、雷撃の強烈な光に焼かれ、空気が変質した薬品のような臭いが部屋に充満していた。


「─── どうしました?

ヴァンパイア風情が、あれだけ息巻いていたのですから、相当な魔術解析能力があるのかと思ったのですが……」


 唐突に雷撃魔術を停止させ、ソフィアは興味無さげに爪の手入れをしながら、冷え切った口調で吐き捨てた。

 その数歩先には、骨格に神経だの血管だのを、シュルシュルと這わせるように再生していくプリシラの肉体がある。


「─── お手上げみたいでしたので、停めて差し上げましたよ……?

まだ貴女には、この魔術の術式は早過ぎたみたいですね。

もう少し、にしましょうか」


「……グ……グガ……ご……ぎっ……」


 全身に湯気を立たせながら、プリシラの喉から声が漏れ出た。

 それを一瞥して、ソフィアはつまらなそうに、爪についたちりをフッと吹き飛ばしてから、ゆらりと歩みを再開した。


「私もね、鬼ではありませんから、今一度貴女にチャンスを差し上げましょう。

─── これから五つ数える内に『ごめんなさい』出来たら、消滅だけは免れられますよ?」


 プリシラの再生を待ち、ソフィアの抑揚のない控え目な声が、部屋に反響して嫌に耳の近くに響いた。

 再生を終え、うつぶせから弱々しく身を起こそうと手をついたところで、ソフィアが手の平を向けて指折り数え出した。


「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……。

─── いつつ

……ハァ……言えませんでしたね、残念です」


 ソフィアを鋭く睨んだプリシラの口が、パクパクと動いているようだが、結界に音が遮断されて聴き取ることは出来ない。

 更に彼女へと一歩近づいた、ソフィアの姿が残像を残してブレる。


─── ドボォッ!


 身を起こしかけていたプリシラの腹部へ、ソフィアはボールにするそれと同じく、目の覚めるような蹴りをぶち込んだ。

 不可視の結界の内側に、吹き飛ばされたプリシラの体がぶつかり、成す術なくバウンドして再び地面に転がる。

 たまらず腹部を押さえ、のたうち回るプリシラの頭を、当然のように踏み付けてソフィアは微笑む。


「おや? 失礼、結界を解除するのを忘れていたようですね……。音が遮断されて聞き取れませんでしたが『謝罪』をしようとしていたのですよね? 

しかし、貴女は少し血の気が多過ぎるようです。お詫びにエネルギーを抜いて差し上げましょう」


 プリシラの背中に向けて、突き出したソフィアの手の平へと、白い光の粒子が吸い込まれて行く。


「……な、なぁおい。アレ、本当に女神なんだよな……?

あのままじゃ、マジであのガキ、消滅しちまうぜ⁉︎」


 黒スタルジャがオロオロして俺の袖を掴んだ。

 不安げに耳の先が垂れてる。


「もしかして、今吸い上げてるのって……」


「魂だよ! 直接魂から光の因子を抜いてんだ、死ぬどころか存在ごと消されるってんだよ!」


 流石にやり過ぎだ。

 廊下に押し戻していたモンドに振り返ると、彼はプリシラそっちのけで、ティフォから手遊びのやり方を教わっていた。


「……いやぁ、幼少の頃はよく姉に付き合ったものですが、これは中々に奥が深いものです」


「ん、どーしんにかえる、それもたまにはひつよー。ハイっ、そこで両手をあわせてかけごえっ!」


「「タン、タン、はいっ♪」」


 ダメだこいつら……きゃっきゃしてるわ。

 取り敢えずソフィアの手首を後ろから掴み、静止させた。

 ピクリと反応したソフィアが、微笑みながら俺に振り返る。


「あら、アルくん。どうしました? まだ手緩てぬるいでしょうか。

貴方の大切な人を貶めるような輩には、幾万幾億の死が相応しいですものね」


「あー、俺はそこまで気にしてないし、もういいから。

プリシラ消えたらシモンも悲しむだろうし、顔向け出来ないから、その辺にしておいてくれ」


「はぁ〜、本当にアルくんって優しいですね。私なんてコレの魂を再構築させて、マジモンのフンコロガシにしてやろうかと思っていたのですが♪」


 黒スタのゴーレムといい、ヴァンパイアってフンコロガシとなんか因縁でもあんのか?


「……そ、そんな事して、変な業をソフィアに負わせたくないからな。それより一緒に美味いもんでも食べよう、な?」


「はわぁ〜、私の心配してくれてたんですね。やっぱり優しいなぁ、はわぁ〜」


 よし、毒気が抜けたな!

 プリシラから抜き取ったものを返させて、胸を撫で下ろしていたら、モンドがいつの間にか隣に立ってうなずいている。


「いやぁ、お懐かしゅう御座います、この光景は……」


 ん? ティフォとの手遊びで妙な郷愁でも植え付けられたか?


「この光景が懐かしい? 仕えてる主人の娘が死にかけた事でもあんの?」


「いえ、我が主人フロレンス様の曽祖父にあたる方の事で御座います。その方もかつては控え目に申し上げて、のぼせ上がりクソ野郎でございましたが、勇者のお連れ様に同じく殺されかけまして。

それが元で厚生なされたので御座います」


「勇者の一行に? ああ、そういう血なのか……。そう言う事らしいから、ソフィ、許す方向で頼むよ。はしかみたいなもんだろ」


「はーい♪」


 ソフィアはもうプリシラに興味を無くしたのか、モンドと話す俺の服の裾を掴んで、上機嫌で揺らしてる。

 ソフィアも完全復活か、なんでおかしくなってたかは分からないが、終わりよければ全て良しだろう。


 しかし、ここにも勇者は来ていたのか……。

 そう思ってソフィアを見ると、彼女は黒スタルジャに詰め寄られていた。


「お、おい! いくらなんでもやり過ぎだろ、ヴァンパイアとは言ったって、まだ幼い子供に……」


「スタちゃん、あれでも中身は百歳を超える成体ですよ?」


「そ、そりゃあそうだけどよぉ……」


「─── それに何か良からぬ事を企てているようでしたので、少し細工もしておきたかったのです。ふふふ……」


 モンドに上着を掛けられて、プリシラが立ち上がると、ソフィアに怯えた目を向けている。

 そこにはあの高慢ちきな態度は、どこにも無く、申し訳なさそうな表情すらうかがえた。

 やがてモンドに呼ばれたメイドが現れ、彼女は部屋へと連れて行かれたようだ。

 その間も毒気が抜かれたのか、不遜な態度は見られなかったが……。


 魂を一度抜かれ掛け、ソフィアに戻された時に、何かされたのだろうか。

 魔力の質まで、清廉なものにされていた気がする。


 ソフィアに前任者の記憶が、何処まであるのか分からないが、プリシラの曽祖父も同じ道を調律の神にされたというのも不思議なものだ。

 『破壊の存在』であるダークエルフに、やり過ぎだと言われる女神も、大概なもんだけど。


「しかし、お連れ様は、不思議なお方で御座いますな。どこか勇者のお連れになられていた、大魔導士に似た面影が御座います」


「大魔導士……リディの事か。って、モンドさん、あんた歳はいくつなんだ⁉︎

いくらこの八十年近くは不老不死だったとは言え、その前は人間だったんだろ? 勇者の頃って言ったら三百年前じゃないか」


「私めはこのツェペアトロフ家の初代から仕える者でございます故、千と三百四十になりますかな?

この魂尽きるまで大恩に報いようと、真祖の身ではありますが、初代に使い魔としていただきました」


 使い魔契約は、生ある存在から精霊に近い存在へと作り変えられる。

 その契約を代々の当主に更新して来たそうだ。


 勇者の事を色々と聞き出せるかとも思ったが、ここには旅の途中で寄っただけらしく、新しい情報は特には得られなかった。


─── その時、部屋の前に白で統一された、高貴な身形の男が現れ、真っ直ぐに俺を見つめた


 海より深い青の瞳を驚愕に震わせて、手指をぎこちなく数回握っては開いて、男は堰を切ったように俺に飛びついて熱く抱擁した。


「おお……我が息子よ……ッ!」


 え、誰?




 ※ 




「あっはっはっは! いやあ君も人が悪い、先に息子ではないと言ってくれれば……」


「アナタ、事前に聞いていらしたでしょ? シモンのご友人の方が、訪ねて来られたって」


 プリシラと悶着のあった部屋の前で、俺の事を抱きしめて来たおっさんは、シモンの父親でツェペアトロフ家当主のフロレンス卿だった。

 夫婦で執務から帰宅して、俺の話を聞いて飛んで来たらしい。


 ガッチリとホールドされて戸惑う俺をよそに、涙と鼻水でグズグズになりながら頬擦りをされた。


 困惑から現実逃避しかけていたところへ、奥さんが現れて、綺麗なストレートをフロレンスおぢさんの後頭部に入れて止めてくれた。


「どうりで髪も黒いし、目も紅いとは思ったんだよねぇ〜♪

えらく逞しくなって帰って来たなぁって、感動しちゃったよマルフォイ君!」


「……アルフォンスです。シモン君から妹さん宛に手紙を頼まれまして。後、この宝剣を預かって来たのですが……」


「おおっ! これはプレ……プレ……宝剣だね! シモンが出て行く時に持って行ってしまって、困っていたんだよ」


 ……名前出てこなかったな?

 奥さんがコンパクトなレバーブローを入れて、宝剣の名前を囁いていたが、本人は『そのヤツだ』と、ヘルプを水の泡にしていた。


 しかし、流石はシモンの両親とあって、ふたりとも恐ろしく美形だ。

 お袋さんの方は、プリシラに似て少しキツそうだが、親父さんの方は空気まで生写しだった。


「宝剣に関しては特にシモン君から、どうするものか聞いて無かったのですが、ここでお返ししておきます」


「うん、助かるよオリバー君……ぐほっ!」


 今度は体が曲がる程のレバーブローが入り、耳打ちされた親父さんは、ようやく俺の名前を呼んでくれた。

 改めて宝剣を渡すと、親父さんはしげしげとそれを手に取って検め、ニコニコと微笑んだ。


「紛れも無く本物だね! アルフォンス君は、この剣の力を試した事はあるのかい?」


「……? いえ、無いですが……」


「アナタ、それは簡単に人に教えて良いものではありませんよ」


「いやぁ、ここまで持って来てもらったし、シモンの事も聞きたいからね、御礼としては安いもんさ」


 そう言えばプリシラも、この宝剣があれば他の公爵の鼻を明かせる、みたいな事を言ってたっけ。


 おぢさん、かなり天然っぽいから、ホイホイ教えちゃいけない事なんだろうけど、後で俺に宝剣の力を見せてくれるらしい。

 俺達は一旦、部屋で休ませてもらった後、夕食をご馳走になる事となった。




 ※ 




 メルキア料理の中でも、一般的な家庭の味と言われるものは、大きく分けて三つあるそうだ。


─── 挽肉料理、芋と豆のマッシュ、酸味か特徴のスープ


 特に重要なのは挽肉料理で、特に豚肉を使用した物が多く、香辛料を効かせて網焼きにした物をグリュール、ミンチにしてまとめて焼いた物をミンテュールと呼んでいる。


 香辛料と玉ねぎ、ベーコンを詰め込んで焼いた子豚の丸焼き(グリュール)は、生後二ヶ月の瑞々しく何処までも柔らかい肉質。

 風味が少ないため、詰物で工夫がされている。


 細長い棒状のハンバーグ(ミンテュール)には、生後六ヶ月の豚と老成した豚を合わせた挽肉が使われ、柔らかい若豚と、固いが味の濃厚な老豚のいいとこ取りだ。


─── とにかく豚肉の扱いが上手く、特に唸ったのはミンテュールをキャベツに巻いて煮込んだ『ロールキャベツサワーレ』というスープ


 香辛料と香草で臭みを消し、玉ねぎで豚肉の甘みを複雑かつ芳醇なものにしながら、キャベツで旨味を包み込んだ家庭料理だそうだ。

 薫製肉と香味野菜のブイヨンで丁寧にじっくりと煮込まれ、仕上げに生乳とサワークリームでコクと酸味を加えてある。


 ナイフが音も無く通る、とろとろに柔らかいロールキャベツは、切り分けた途端に透明の肉汁を溢れさせる程にジューシー。

 香辛料で絶妙に整えられた豚肉独特の風味が、キャベツの甘みと旨味、スープのコクと酸味で完成されていて思わず笑みがこぼれる。


─── その旨味が口中に余韻を残している所に、ロックの『ケルブォグ』をチビリと入れる


 ケルブォグは酒舗のマスターからもらったものと同様、この国伝統の火酒で甘く香り高い果実酒だが、蒸留と熟成を重ねられて酒精はべらぼうに高い。

 細身で足の高いグラスに注ぎ、氷が溶けて薄まったタイミングを見計らって口をつける。

 ……水とケルブォグのバランスによって、急にふくよかな甘味を生み出す瞬間があって、その度に味が変わって飽きる事がない。


「「「ふわぁ〜」」」


「いやぁ、そこまで美味しそうに飲んでもらえると嬉しいねぇ〜♪

ケルブォグは一応食後酒なんだよ、風邪に怪我になんでも効く万能酒とも言われていてね、食後酒だとされてるのは『止まらなくなるから』だって由来があるくらいなんだ」


 うん、これヘタしたら法律で一日の適量決めないと、人間ダメになっちゃうんじゃないか?

 フロレンスおぢさんのウンチクも、聞いてはいるけどコメントが返せないくらい、俺達はトロけてしまっていた。

 超反抗期に突入した黒スタルジャですら、目を細めて日向ぼっこを楽しむ、猫のように穏やかになってるくらいだし。


─── とは言え、タダ飯喰らいはアレなので、居場所は伏せながら、シモンの近況なんかを話して聞かせた


 最初は涙して聞いていたご両親だが、俺とやらかした失敗談なんかでは大声で笑ったり、森での魔物との闘いには目を輝かせて聞いていた。


「……そうかぁ、シモンはまだ、ヴァンパイアを人に戻す研究をしてたのかぁ」


「あの時も……あの子はダリアちゃんを救おうと必死でしたものねぇ……ぐすっ」


「……ダリア……?」


 シモンからその名を聞いた事がない。

 俺の疑問の呟きに、両親は顔を合わせて溜息をついた。


「─── ダリアちゃんは……あの子、シモンの幼馴染で婚約者だったのですよ」


「ふたりは本当に仲良しでね、微笑ましかったなぁ……。

一緒に薬学の研究しててね、でも……ヴァンパイア化が始まったあの時─── 」


 約八十年前、百数十年ぶりのヴァンパイア化が起こり、真祖の血筋に当たる人々は変貌を遂げた。


「私達はもちろん、シモンもヴァンパイアになったんだけどねぇ……。

ダリアちゃんはヴァンパイアにはなれなかったんだ……」


「人とヴァンパイアじゃあ、寿命が圧倒的に違うでしょう? あの子達はそれでも良いって、婚約を継続したがってたのだけれど、先方のご両親が納得しなかったのよ。

ダリアちゃんを取下げて、まだお喋りもおぼつかない妹ちゃんがヴァンパイア化したからって、代わりにしたいと聞かなくて……」


 頑としてそれを受け入れないシモン達に、焦った先方はダリアを隣国の人間の貴族に嫁入りを決めてしまったそうだ。


「そうして、ある日突然駆け落ちしてしまって……。

でも、すぐに見つけられてしまったの。直ぐにダリアちゃんの身柄は何処かに隠されてしまったのだけれど、余計にそれがふたりを熱くしたのでしょう」


「シモンも謹慎中ではあったんだけど、抜け出してしまって、どうやってかダリアちゃんをさらって居なくなってしまったんだ……」


 ふたりは無事に他国へと逃げ延びたが、数年後に中央のとある国で捕えられた。

 捕えられたのはヴァンパイアにでは無かった……。


─── エル・ラト教の信徒によって、悪魔憑きとして世間を賑わす捕縛騒動となった


 ふたりが捕えられた時、シモンは酷く衰弱していて、教団の修行僧の執拗な追跡に倒れた。


─── そして、捜索願が出されていたダリア・ウィルキンストンは吸血鬼となっていた……


 『恋人を吸血鬼にした悪魔』シモンは事情聴取と称した拷問を受け、一ヶ月後に脱走したが、すでに元婚約者のダリアはエル・ラト教から異端者として処刑された後だった。


「私達とウィルキンストン家は、エル・ラト教に猛抗議してね、戦争も辞さない構えだったんだけど……。

─── 私達メルキアのヴァンパイアには、過去に建国を認めさせるために、魂を担保にした契約を人間側と取り交わしていたんだよ」


「あの時ばかりは、ヴァンパイアである我が身を呪いました……。

私達は息子の受けた非道を訴える事はおろか、あの子を助けに出る事も出来なかったのですから」


 それからシモンの消息は、パッタリと途絶え、表向きは死亡した者として処理されてしまった。

 ツェペアトロフ家は当時、メルキア最高の序列にあったが、四公爵の評議会でランクを大きく下げられてしまった。


「シモンは……私の息子は……元々、この地に縛られた私達ヴァンパイアを、解放するために研究していたんだよ。

─── でも今は、ダリアちゃんを救いたかった想いが、そうさせているのかも知れないね……」


 エル・ラト教に開示させたシモンの調書には、愛するダリアと永遠に過ごすために吸血鬼化させたとあったそうだ。

 しかし、ダリアは知性を持たない、吸血衝動だけで生きる怪物のような存在となってしまった。


 シモンが衰弱していたのは、彼女に自分の血を数年間与え続けていたためだという。


 ……いつだったか、俺が彼のヴァンパイアとしての回復能力をうらやんだ時には『残って欲しい傷跡だってある』と寂しそうに微笑んでいた事があった。

 あれは、自分の身に残らなかった、ダリアからの吸血の傷跡の事を言っていたのだろうか……?


「─── シモンは……私達を恨んでいるだろうか……。何もしてやれなかった、私達家族を」


 フロレンス卿は、疲れ切ったような顔でそう呟いた。

 その肩に夫人が手を乗せて、慈しむようにさすっている。


 ……ヴァンパイアと言っても、彼らは紛れもなく家族愛を持って生きる人の子だ。

 ここに漂う苦しみと哀しみ、そして慈しみの心は何よりの証拠だろう。


「─── シモンは……よく俺に貴方達家族の話をしてくれましたよ。

友達みたいだけど、いざとなったら頼れる父。すごく厳しいけど、本当は誰よりも愛情深い母。そして、甘えん坊で思い込みが強いけど、家族の事を誰よりも大事にしてる妹の事。

この家に仕える人達の事なんかも、よく話してました。

……恨んでいたなんて、俺は一度も感じた事はないし、そうだったら俺はここには来てませんよ。

─── あいつはこの家を、この郷を愛している。そんな奴だから、俺もあいつが好きなんです」


 すすり泣いていたふたりは、いつしか泣き崩れていた。

 見れば使用人達までもが涙を流している。


─── なんだよシモン、皆んなからも凄く愛されてるじゃないか


 まだ見ぬ俺の本当の両親は、ここの人達みたいに俺との再会に、心を動かしてくれるのだろうか……。


 シモンがダリアの想い出を口にしなかったのは、未だ整理がついていないのか、自分だけの胸に留めておきたい事だったのか。

 彼がもし、この地に戻る事があったのなら、ここで涙している家族には、その想いを打ち明けられる状態であって欲しいと思った。




 ※ 


 


「はっはっは、君達にお礼をするはずが、すっかり我が家の事情に巻き込んでしまったね」


 夕食後、俺達は別室に案内され、使用人達は人払いを受け誰もいなくなった。

 そこでも再三お礼を言われた後、フロレンス卿は宝剣を出して鞘を抜き、鉛色に曇った刃を指でなぞった。


「色々お礼をしたいけど、まずはこの宝剣の力を君達のために使おう」


 メルキアの古い言語だろうか、聞き慣れない言葉の呪文を唱えると、くすんでいた刃が鏡のように光沢を持ち光を纏った。


「プレジチェフルンゼは、私達の古い言葉で『予言の葉』と言う意味でね。近い将来に起こる事を教えてくれるんだ。

─── やってみるかい?」


 正直、光の神ラミリアの予言のせいで、聞きたかないが、せっかくだしもう始めちゃってるしで受ける事にした。

 フロレンス卿に言われるまま、刃先に指先をあてると、刃に波紋が走りほんのりと紅く光を帯びた。

 象形文字に似た記号が刃に浮かび、ザァッと流れると、部屋に女性の声が響き出す。



─── ……白が黒となり、黒が白となる刻、愛すべき者達を喪う……


─── ……大いなる運命は、そこから動き出す……


─── ……魔王は勇者に敗れる定め……


─── ……そして神界は覆る……



 声が途切れると、宝剣から光が消え、元の曇った色に戻ってしまった。


「魔王……勇者に神界だって……? アルフォンス君、き、君は一体……。

ま、まあ、不吉な言葉も聞こえたけど、予言は予言だからね、心の持ちようで未来は変わるから……ははは」


 何これ? 中にラミリアでも入ってんの?

 あの時とほとんど似たような事を言われて、内心ガクブルなんだけど……。


 何とも言えない空気が流れる中、ベヒーモスが空気を読んだのか、俺の肩に飛び乗って甘えて来た。

 その尻尾の先のフサフサが、黒スタルジャの鼻先をくすぐったらしく、ひゃっと声を出していた。


「へ……ふぇ……。ヘックシュッ!」



─── べちゃっ! ぎゃっ……



 何かが凄い勢いでテーブルに叩きつけられると、すぐさま慌ててキョロキョロとしている。


「……なんだ、ミィルか、おどかすなよ……。

─── って、ええええっ⁉︎」


 黒スタルジャが白スタルジャに、いや、普通のスタルジャに戻っていた。

 本人はきょとんとしていたが、隣に俺がいるのに気がつくと、胸元に飛び込んで来た。


「よ、よお。お帰りスタルジャ……」


 小さく震えながら、ぐりぐりと頭を押し付けて擦り付いていたが、しばらくすると離れて弱々しく微笑んだ。


「─── ただいま……アル。お腹すいた……?

あれ、いっぱいだ……?」


 本人も自分の様子に混乱しているらしい。

 ソフィアから説明を受けているが、本人は黒スタルジャの間の記憶がないようだ。


─── 白が黒となり、黒が白となる刻……


 特に何かが起きる様子はない、どうやら予言はスタルジャの変化ではないようだ。


 当主夫妻が唖然としている中、ベヒーモスがスタルジャの膝に乗ってゴロゴロ喉を鳴らすのを、彼女は呆然としながら撫でていた。

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