幕間Ⅵ 【前編】遥かなる晩春

─── アルフォンス達がシリル誕生のおとぎ話を聞いていたその頃


「は……へ……っ、でぁっくしょッ‼︎」


 ラプセルの里近くの森に、豪快なクシャミがひとつ、澄んだ空に響いて行った。

 厳しい冬も過ぎ、春の秘境は山菜の宝庫、かごを背負ったガセ爺は鼻をすすり、空を見上げひとりつぶやいた。


「─── なんじゃい、誰ぞ噂話でもしとるんかのう……」


 言葉の終わりと共に、タイミングよくキツツキが『ギー』と、間の抜けた返事を返す。

 ガセ爺はそれにふんと鼻を鳴らして笑い、毎年訪れる彼だけの穴場へと向かって歩き出した。

 穴場と言っても、山菜を採るのはラプセルのガセ爺だけで、採ってもダグ爺やアーシェ婆は『なぜわざわざ雑草を食うのか?』と口にもしようとしない。


 では、ガセ爺も山菜が好きかと言われると、最初の数口は『乙じゃあ』とか『春はやっぱりこれじゃな』とか言うが、結局途中で腸詰なんかの肉料理に浮気してしまう。


「おん? この辺にベリーなんぞ生えておったか? こりゃあセラフィナの奴、教えてやったら喜ぶかのう……。

─── へ……は……っ、ハァックショエ!」


「あら、ガイセリック。風邪でもひいたのですか? 大きなクシャミをして」


「うおっ! な、なんじゃセラフィナか! きゅ、急に出て来たから驚いたわい。わははは‼︎」


 見ればセラ婆も籠を持ち、中にはすでに何種類かのベリーが入っている。


「今年も山菜摘みですか?

ほほほ、ガイセリックの作るゼンマイの煮付けは絶品ですものねぇ」


「お、おう! また出来たら、お前さん所にも持って行ってやるわい!

セラフィナはベリー摘みか。今年もお前さんのジャムは楽しみじゃあ。わははは‼︎」


「不思議な人ねぇ、甘い物苦手なのに、ジャムだけは喜ぶなんて。

─── そう言えば、山菜も最初は苦手でしたわよね?」


「んん? お、おう、そうじゃったな、い、今はその……大好きじゃ! わは、わははは‼︎」


 笑いながら森の奥の方に顔を向けるガセ爺に、セラ婆はクスッと笑い、懐かしそうに自分の手を見つめた。


「─── もう、ずいぶんと懐かしいですねガイセリック。

初めて貴方が、私の為に作ってくださったお料理が、山菜料理でしたね。

あれから毎年、貴方がお裾分けしてくださる度に、あの頃の事を思い出しますのよ……」


「ん? うーん、辛い事なんぞ、忘れっちまった方がええぞセラフィナ」


 そう言って、ガセ爺は少し哀しそうな顔をして、セラ婆の眼を見つめた。

 と、セラ婆はまたクスッと笑い、手で口元を隠した。


「な、何じゃ。何がおかしい……。

…………その指輪、まだ着けておったのか」


「はい。貴方からもらった大切な御守りですもの。山や森に入る時はいつでも」


「そんなもん……もう、効力はない。古過ぎるんじゃ、今度新しいのを作ってやる」


 セラ婆は自分の手に鈍く輝く指輪を見て、その手を後ろ手に隠すと、くすぐったそうに微笑んだ。


「いいえ、コレが良いのです。

それに、あの頃の思い出は、ツライものなんかではありませんよ?

─── だって、あの時からいつだって貴方がそばに……」


 ガセ爺はふいっと、視線を逸らすように樹を見上げる。

 近くでオオルリが、せせらぎのように澄んだ声で歌い始めた。


─── そう、あの時から貴方はいつも、そばにいてくれましたね




 ※ ※ ※




 まどろみの中、けたたましい音で目を覚ました。

 どれ程眠りについていたのか、目元に当てた手の感触が、嫌にカサついている事に気がつく。


─── ガチンッ ガッガッガッ……ガキッ!


 神殿に隠された、休眠用の琥珀こはく石の中、セラフィナは体を起こす。

 ただそれだけの事が、彼女には苦痛に感じる程、力が抜けている事に愕然とする。


 寝所の外で何が起きているのか、琥珀の外に顕現けんげんすると、騒がしい祭壇の間へと向かった。


「柱や壁の装飾は、精霊神を現す物以外は残して構いません、彫像や精霊文字は全て潰しておくように!」


 見慣れぬ僧服を着た男が、職人達に指示を飛ばしている。

 神殿の中は至る所に足場が組まれ、ノミや槌を振るう音で、慌ただしい熱気に支配されていた。


「─── あの……これは一体……?」


「あん? ダメだよこんな所に入って来ちゃ!

危ねぇからさっさと帰んな!」


 近くにいた職人に声をかけると、そう苛立いらだたしげに追い払われてしまった。

 セラフィナは事態が飲み込めず、精霊の声に耳を傾けようとするが、周囲に精霊の気配は無く、奇跡とも呼ばれた程の魔力が底を尽きかけていた事に困惑する。


「おや? ご婦人、このような所にどうして……」


 自分の神殿が破壊されて行くのを、呆然と見る事しか出来なかった彼女に、僧服の男が話しかけてきた。


「これは……一体、何をしておられるのでしょうか?」


「何を? ああ、ここは今まで邪教に汚されていた神殿なのです。

これからここは、光の神ラミリア様を祀る神殿として、作り直されるのですよ」


「まぁ……ラミリア様……ですか。では、はどうなるのでしょうか」


「ここに神などいません。周囲の村の人々も、今まで騙されていたと、大変嘆いておられています。

精霊などと不浄な物を信じたばかりに、いつまでも消えぬ疫病と、凶作続きでとうとう目が覚めたのでしょう」


 セラフィナは男の声に眩暈めまいをおぼえた。

 その声には明らかに、精霊や精霊信仰に対する、悪意と侮蔑ぶべつが込められていた。


 自分が寝ている間に、人々は彼女への信仰や想いを捨て、むしろ侮蔑の対象としていたのだと理解した。

 ただの人間のように、魔力も力も削ぎ落とされていたのは、マナが薄れて信仰も薄れたせいだと気がついた。


「……その、周囲の村の人々は、それ程に憎んでいらっしゃるのですか? ここにいた神を」


「ははは、これはまた当然の事を。それにここに神などいません。

最初から騙されていたのです。今や人々は何の奇跡も与えぬ精霊神に、全てを捧げようとは思っていないのですよ。

……この通り祭壇を破壊されても、何も出来ないではないですか」


「ええ……確かに。何も出来ないようですね」


「なかなかに理解の速い事で、実に喜ばしい限りです。さあ、このような不浄な場所は危険です、お引き取りください」


 背中を押され、セラフィナは未だ呆然としたまま、神殿の外へと追いやられてしまった。

 

 悪い夢でも見ているようだった。


 外の空気は重く、陽射しは肌にチクチクと刺すような痛みを与えた。

 如何に自分が今まで、魔力に守られていたのか、五感でひしひしと思い知らされる。


─── 精霊神は人々の想いで、そこに在る


 神と同等の存在でありながら、彼らを滅すのは簡単だ、忘れ去ってしまえばいい。

 彼女は僧服の男にここの神が『憎まれているか』を尋ねたのは、良くも悪くも人々に忘れられていないかの確認でもあった。


 かつては毎日のように、花をくれる子供がいた。

 かつては毎日のように、願う気持ちを捧げる若者がいた。

 かつては毎日のように、感謝を、苦しみを、悲しみを訴え捧げる人々がいた。


 いつしかそれらが無くなり、彼女は自分の力の衰えを感じつつ、それが自然だと受け止めていた。

 守護神と呼ばれる存在の中には、信仰を集めるために活動する者があるのも、見聞きした事はある。

 彼女はそうして、人を縛る事に強い抵抗を感じ、やがて多くの時間を眠るようになったのだ。


─── 今、人々はどう暮らしているのか


 気がつけば、近くにある人間の村へと、様子を見に訪れていた。


「おや、アンタ見ない顔だねぇ。どこから来たんだい?」


 村の入口近くで、老婆に話しかけられ、セラフィナは戸惑った。

 自分が何者で何処から来たのか、その受け応えを考えておらず、咄嗟とっさに言葉が出ない。


「……遠くから。その……こちらの皆様は、お元気でお過ごしですか……?」


 自分でも妙な物言いだと思いつつも、最も気に病んでいるその言葉が出てしまった。

 老婆は少し首を傾げ、不審な顔を見せたが、すぐに微笑みを作って答えた。


「ああ、元気さね。ラミリア様のご慈悲で、こんな田舎にまで回復術師が来るようになったんだ。

昔は毎年、冬の間に何人も死人が出てたけど、エル・ラト教様々だよ」


 少しだけ、眠りに就く前の記憶が戻った。

 異国からやって来た、新しい宗教と共に、効果の高い回復魔術の術式が広まりつつあると聞いていた。

 精霊の力を借りる事なく、自らの魔力で人を癒す、そんな考えの魔術の台頭。


 人は怪我や病気をするもの、その不幸との付き合い方を考え、そこから生きる幸せに気がつくものだ。

 精霊の力で癒すには、精霊と心通わせる必要があり、その神秘的な他者の慈しみに触れる事で多くの命への感謝を思い出す。


 かつてこのシリルの地をべた、慈しみ深き王の想いそのものと言っていい。


 人の魔術で治す事は、その知恵や想いを薄れさせてしまう。

 セラフィナは回復魔術の台頭を、否定こそしないが、そんな不安を覚えたりもしていたのだ。


「……精霊や妖精たちとは、仲良くされてますか」


「そんなもの、とっくの昔に薄れちまって、何もしてくれやしないさね。

そう言う古臭いしきたりみたいなもんは、今の若いのには、通じやしないよ」


 そう言って笑う老婆の、耳からあごにかけて、古い火傷の痕がある。


「この村の近くにも、古い精霊神の神殿があったけどねぇ。なぁんもしてくれないからってんで、近々エル・ラト教の神殿になるって話さ。

教団は色々良くしてくれるからねぇ、この村も大助かりだよ」


 老婆はすでに隠居の身で、息子夫婦が忙しく、話し相手に飢えていたという。

 セラフィナの相槌あいづちも待たずに、矢継ぎ早に喋る彼女から、多くの情報が得られた。


 人が精霊の声に耳を傾けるのを止め、気がつけばその声が聞こえなくなった事。

 精霊の声に疎くなったため、精霊術師が激減し、魔術に傾倒している事。

 文明が進み、土地を欲した人々は、精霊の住処まで開拓をしている事。


 そしてどうやら、自分は十年以上もの間、眠りに就いていた事を。


 人々の暮らしは、かつてのように妖精や精霊の力を、必要とはしていない。

 それどころか、彼らの暮らしに合わせる事に、煩わしさを感じてさえいるようだった。


「おっと、なんかベラベラあたしばかり喋っちまったねぇ。で、アンタは何しにここへ?」


「いえ、私は……」


「おばあちゃ〜ん!」


 セラフィナが口ごもった時、老婆の孫であろうか、幼い子供が駆け寄って来た。


「おばあちゃん、お母さんがさがしてたよ?

あれ? この人はだぁれ?」


「ああ、そうかい、すぐに行くよ。この人はね……ええと」


「こんにちは、おばあさん♪」


 ニコニコとこちらを向いて、子供が挨拶をした。

 セラフィナは必死で笑顔を作って、返事を返したが、自分の顔に思わず触れて確かめていた。


「あの……私……私は……失礼します!」


 老婆と子供が顔を見合わせて小首を傾げるのを背に、セラフィナは森の中へと消えていった。


─── 体が重い、目が霞む


 目覚めた時に己の腕や手の平を見て、薄々は感じていたが、顔を確かめる暇も無かった。


─── おばあさん


 静かな泉のほとりまで進み、セラフィナは自分の顔を水面に映す。

 そこに浮かんだ姿に、彼女は息を呑み、手で口元を覆ってしまった。


「……こ、これが……私……」


 白くウェーブの掛った美しい髪は、疲れ果ててバサバサになり、やや垂れた優しげな目はシワが浮いて落ちくぼんでいる。

 スッと通った鼻筋には、鼻骨が浮き出て、頰はげっそりと落ちていた。


 この世の無常、朽ち果てぬものなど無いと、自然に生きる彼女はそれを理解している。

 しかし、目が覚めたら老いさらばえていたとなると話は別だ。


─── 老い果て、朽ちる気配が突然に現れた


 水面から退き、朽木の根元にうずくまり、彼女は静かに目を閉じた……。




 ※ ※ ※




「─── 何じゃこれは」


 『朝の神』の神殿の前で、ガイセリックはポカンと口を開けて立ち尽くしていた。


 目の前には神殿の入口の両脇に、無残に削られた女神像の残骸が、その白い肌を露わにして佇んでいる。

 それだけでは無い、入口に施されていた装飾の内、精霊神の繁栄を願った精霊文字のレリーフまでもがぞんざいに削り取られていた。


─── お止め下さいなガイセリック、私は普通のままで良いのですから……


 質素な暮らしを望むセラフィナに、かつて『崇められる身ならばそれなりの体面は必要だ』と、彼が半ば強引に施した装飾の数々である。

 困り顔で断りながらも、完成した時には、初めて舞台を観る少女のように興奮していた彼女の姿が、何度も頭の中を巡っていた。


「ドワーフ……亜人種か、ここに何用だ?」


 神殿の中に入ると、現場を指揮しているらしい、僧服の男に咎められた。


「セラフィナは何処じゃ……? お前さんらは、ここで何をしておる」


「セラフィナ……? ああ、ここに祀られていた、異教の神の事ですか。そんなものは始めからいませんよ……立ち去りなさい」


「な、何を言うか……! セラフィナを何処へやった貴様らッ‼︎」


 ガイセリックの怒声が、神殿内を揺るがすと、作業していた職人達の手が止まった。

 その内のひとりが彼に気がつき、駆け寄って来る。


「が、ガイセリック様ではありませんか⁉︎

何故、貴方がこんな所に……」


「─── どうでもいいわ!

セラフィナは何処じゃと聞いておる……答えねば……」


 ガイセリックの怒りで、神殿内がビリビリと揺れ、天井から埃がパラパラと落ちている。

 その場の全員が震え上がり、床に平伏していた。


「答えぬか……ならば─── 」


 彼の腕に、炎が蛇のように巻きつき、巨大な炎の槌へと姿を変える。


「お待ちくださいガイセリック様! どうか怒りをお鎮め下さい!

ここには誰もいませんでした、本当なんです!」


「─── 本当に誰も居らんかったのか……?」


 一段と膨れ上がるガイセリックの殺気に、彼と話していた者が座り込んでしまった。


「……あ、そう言えば、変な婆さんがウロウロしてたけど、まさかアレが? んな訳ないよな……」


 そう呟いた若者の胸倉を掴み、振り回すようにして、床に押さえつけた。


「─── そ、その『』は何処へ行ったッ‼︎」


「わ、分かりません! フラッと外に出てっちまったんで……」


 ガイセリックは苛立いらだたしげに掴んでいた胸倉を離し、神殿の外へと飛び出して行った。




 ※ ※ ※




 切り立った崖の上を、河原で拾った枝を杖代わりにつきながら、セラフィナは歩いていた。


 人里から離れ、精霊の声が聞こえるようになると、少しだけ魔力が回復したようだ。

 しかし、心の回復は早々間に合うものではなく、ただ足の向くまま、フラフラと歩き続けている。


─── 彼女にはもう、帰る場所も留まる場所も、思いつかなかった


 そうして気がつけば、当て所もない何処かへ、いつか辿り着くのではないかと歩いている。


 自身の姿を確認した直後、泉のほとりで死を待とうと、力が抜ける一方の体を横たえたその時、少しだけ力が舞い戻って来た。

 それはあの村の入口で出会った、耳の周りに火傷痕の残る老婆のものだろう、少しだけ彼女の存在を思い出したらしい。


(……人の時間と言うのは、本当に一瞬なのですね……あの幼かった子が、もう孫を抱えて隠居しているなんて……)


 かつて神殿に、担ぎ込まれた女児がいた。

 親が目を離した隙に、暖炉に悪戯をして、首から耳に掛けて大火傷を負ったのだ。

 セラフィナはその子を治療し、深く感謝され、両親は毎日のようにその子を連れて、祈りを捧げに来ていた。


─── しかし、飢饉と疫病が襲った年から、親子は現れなくなってしまった


 あれからどうしていたのか、あの老婆にはその面影と火傷痕が残っていた。

 セラフィナにとって、人との時の流れの差は、理解しているつもりでもショックを受けた。


 同じ現世に魂を置きながら、生きる世界はまるで違うと言うのに、心まで衰弱した彼女はその答えなき問題に束縛されている。


─── ガラ……ッ


 突如、足元の岩が崩れ、バランスを失った。

 徐々に失ったのならまだしも、突然に力を失った彼女には、咄嗟に身動きをとる事も叶わない。

 彼女の体は、絶望的な谷底へと、放り出された。


(……ああ、これでいい。これで私の刻は止まるのですね……)


 真っ逆さまに落下する中、彼女はフッと寂しげに微笑んで、祈るように手を合わせる。



─── 【ノーミードよツタをとれぃッ!】



 地を揺るがすような雄々しい叫び声と共に、セラフィナの体に影が飛来した。


「─── が……ガイセリック……?」


「なにを散らかしとるんじゃお前はッ!」


 崖上から飛び降り、地の精霊の蔦を片手に、ガイセリックは彼女を抱き止める。


 ふたりの体は振り子のように大きく振れ、岩壁に叩きつけられるが、ガイセリックはその身を盾に彼女の身をかばう。

 大きくバウンドして宙に振り回され、彼の腕に強烈な遠心力が掛かった。

 肩の外れる音と、ミシリミシリと靭帯じんたいの千切れる音が、セラフィナの耳にまで届く。


「お離しなさいガイセリック! 貴方まで死んでしまう!」


「うるさい! 術の集中が切れる、黙ってつかまっておれ……ッ!」


 それでも何かわめく彼女を無視して、ガイセリックは蔦を徐々に引かせ、崖を上がり切った。


「ハァッ、ハァッ! お前さんの言う通り、術の練習をしとくべきじゃったな。死ぬかと思ったわ……!」


「……………………どうして……死なせてくれなかったのです……」


 セラフィナは地面に手をつき、顔を伏せたまま、呻くように呟いた。


「─── 大事なもんを守って何が悪い」


「…………貴方はいつも……そうやって私をからかって……。お願い、今は……ひとりにしておいて下さい」


「からかう? ドワーフのお屋形様に、そんな暇ないわい。

─── なぜ、顔を隠す……こっちを向かんか」


「…………見せたく……ありません。お願い、あっちへ行って……」


 セラフィナの震える肩を掴み、振り向かせようとする。

 その手を振り払うと、彼の体はあっけなく地面に倒れ込んでしまった。


 目の前に仰向けに倒れた彼の姿を見て、セラフィナは息を飲んだ。


「ガイセリック! 貴方その体は……ッ!」


「くっ……ふ、へへ。ちょっとヘマこいたのぅ」


 彼女をキャッチして岩に叩きつけられた時、鎖骨と左脚の骨が砕け、肩は異様に下り脚は明後日の方を向いていた。

 激痛に脂汗を流し、震えながらも彼はニコリとセラフィナに笑いかける。


「……済まんがセラフィナよ、癒しの術を頼む」


「─── 私にはもう……そんな魔力は残されていないのです……う……うぅ……っ」


「なぁにをちょっと老けたくらいで、呆けた事を抜かしとる……魔力なら儂のを好きなだけ使え……っ」


 ガイセリックの体から光が溢れ、セラフィナの中へと吸い込まれて行く。

 やがて光が消えると、仰向けに横たわるガイセリックの首が、力無く傾いた─── 。




 ※ ※ ※




 フクロウの低く短い鳴き声が、不揃いな間隔で暗闇に響いている。

 ボヤけた頭が覚めて、焚火たきびの音が聞こえてようやく、儂は自分が寝ておった事に気がついた。


(……ここは……どこかのほらか……?

儂は……セラフィナを探して……崖で見つけて)


─── ガバッ!


「─── セラフィ……ッ‼︎」


「よかった……お目覚めになられたのですね」


「お、おう…………お……?」


 体を起こしたはいいが、手足に力が入らん、後ろにぶっ倒れそうになる。

 その儂の頭を、セラフィナの手が包んで、そっと寝かせてくれよった。


「魔力を……消耗し過ぎたのですよ。

─── 全く……魔力を分けると言って、全部渡す人がありますか」


「そんな事より、お前さんケガはないか⁉︎」


「ふふ、貴方のお陰でこの通り、どこもケガなどしていません。ガイセリックこそ、具合はいかがですか?」


 そう言われて、自分の方が重症じゃったと思い出した。

 確か鎖骨と左脚が砕けたと思っておったが、綺麗さっぱり治っておった。

 あのフラフラの体で、ここまで運んで治してくれたのか……。


「んん? ああ、傷は治っとるみたいじゃな。ありがとよセラフィナ。難儀じゃったろうに」


「お礼を言うのは私の……いえ……。

貴方の魔力を使ったのです、お礼など必要ありません。

それに、少しだけ体が楽に動かせるようになりました。貴方のおかげですガイセリック。

ありがとうございます」


 そう言えばコイツ、死にたがっておったんじゃったな。

 それにこの姿は……。


「─── そのは一体どうした?」


 悲しげな目元に、薄っすらと微笑むような口が彫られた、青白く艶やかな金属製の仮面。

 まるで此奴の顔に合わせて造られたように、ぴったりと覆うそれが、焚火のきらめきを映していた。


「……分かりません。貴方に魔力を頂いて、気がついたらこのように」


 どうやら外す事も叶わんらしい、元々精霊術も魔術も呼吸するように扱う精霊神、見られとうない心が創り出した物か。

 精霊神とは言え、心はおなごじゃて、そりゃあいきなり老婆になれば辛かろう。

 仮面の頰に薄っすらと彫られた筋が、泣いているようにも見える。


「─── とにかく今は、貴方の魔力を回復する事が優先です。

ここは幸い、マナが豊富に巡っているようですから、少しでもお眠りになって下さいな」


「…………お前さんは……」


「ふふ、大丈夫です。ここからは動きません。

また貴方に無茶をされたら、それこそ心臓がいくつあっても足りませんから……」


「……ぷっ、うはは……そうじゃな。それなら少し眠ると……しよ……う」


 魔力切れなんざ、何百年振りじゃろうか。

 セラフィナの声に安心したら、また眠りに引きずり込まれてしまった。


 夢の間際の空耳か、それとも現か、セラフィナの呟きが聞こえた気がする。



─── ごめんなさい



 その言葉の意味を、分かろうとする余白も、儂の頭には残されておらなんだ─── 。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る