第十六話 優しい罰
─── むかし昔の大昔
人々は、暗い森の中で夜に怯えて暮らしていました
森には人間の他に、妖精と精霊が暮らしています。
夜の暗闇や森の陰には、
穢れ者は人間をおもちゃのように殺しては、その肉を食べてしまいました。
その恐ろしい穢れ者たちは、かつて怒り狂った『夜の神』の呪いが創り出した怪物です。
─── 夜の神の怒りは、人間だけでなく、妖精と精霊それぞれに呪いをかけていました
人間は知恵が高く、色々な物を作り出せますが、弱くてすぐに死んでしまう。
だから穢れ者に壊され続ける呪いを。
妖精は魔力が高く、何でも魔術で出来ますが、悪知恵がよく働きました。
だから考える力を奪い、何も考え出せない呪いを。
精霊は優しい心を持ちますが、自分で何かをしようとはしません。
だから姿を見えにくくして、誰にも関心を持たれない呪いを。
─── それぞれが困っていましたが、人間は妖精と仲が悪く、精霊とはお互いに関心がありません
だからお互いに助け合うことはなかったのです。
人間の王は、何度となく穢れ者たちと闘って来ましたが、どれだけ退治しても闇からいくらでも沸いてくる怪物にはどうしようもありません。
多くの命が奪われ、闇に震えて暮らすしか出来なかったのです。
憐れに思った『朝の神』は、人間の王の夢に現れ、光り輝く世にも美しい鐘を授けました。
─── 朝、昼、晩にこの鐘を鳴らしなさい。
夜の穢れは晴れるでしょう
人間たちは大喜び。
すぐに朝の神の言う通りにしました。
すると、鐘の音が届く所までなら、穢れ者たちを追い出すことが出来たのです。
毎日三回鐘を鳴らせば、穢れ者たちに殺されたり、食べられてしまう事はほとんど無くなりました。
……それでもやっぱり、人間たちは暗闇に怯えて、小さくなって暮らしていました。
─── 風の吹く日、雨の降る日、雪の降る日は、鐘の音が響遠くまで響かないのです
そんな日は、鐘の近くに集まって、震えているしかありませんでした。
ある日、人間の王に、世継ぎの男の子が授かりました。
王はその子に『鐘』と言う意味の『ウィリーン』と名付け、それは大切に育てました。
ウィリーンはすくすくと育ち、やがて立派な若者となります。
ウィリーンはある日、妖精の姫エルデと出会い、恋に落ちました。
エルデもウィリーンを愛して、ふたりは結婚しようと約束しました。
─── それには、人間たちも、妖精たちも大反対
人間と妖精では、住む世界が違いますし、生きる時間も違います。
それにふたりはやがて人間の王、妖精の女王になる王子さまとお姫さまです。
何より人間と妖精は、お互いを馬鹿にし合ってずっと仲が悪かったのですから、許すはずもありません。
ふたりをあきらめさせようと、なだめたり、怒ったり、いじわるしたりしてみんなは邪魔をしました。
─── それに、反対する理由はそれだけじゃありませんでした
みんなは夜の神の怒りを恐れ、自分達の生活が変わる事をとても嫌がっていました。
夜の神が怒ったのは、ずっと昔のこと。
どうして夜の神を怒らせてしまったのか、もう誰も憶えておらず、ただただ夜の神に見つからないようにするしかありません。
─── 今までと違う事をしたら、また怒らせてしまうかもしれない
人間も妖精も、夜の神に目立つことを恐れていたのです。
それでも諦めなかったふたりは、人間と妖精たちを仲良くさせようと、説得を続けていました。
でも、やっぱり皆んなは、ふたりの事を認めようとはしなかったのです。
どれだけ反対しても諦めないふたりを、それぞれ閉じ込めて、会えないように離れ離れにしようとまでしました。
何とかそれを逃れたふたりは、お互いを愛する心を抑えきれず、とうとう国を飛び出してしまいました。
そして、長い旅の末に、清らかな土地を見つけ、そこに暮らしました。
─── やがてふたりの間には、男の子が生まれ、シリルと名付けました
母親譲りの美しい髪と瞳、父親譲りの賢く優しい心。
そして、清らかな大地で育った彼は、精霊たちと話が出来る不思議な力を持っていました。
シリルは、人間の父に愛され、妖精の母に愛され、精霊達に愛されて育ちます。
シリルは父から剣と知恵を学び、母からは魔術と愛を学び、精霊達からは自然の力と喜びを学びました。
そんなシリルが、立派な青年になったある日、彼は父と母に宣言したのです。
─── 夜の神をやっつけて、ふたりをお家に帰らせてあげたい
ふたりはたいそう心配して、シリルを止めましたが、彼の意思は強く、諦めさせられませんでした。
それに、諦めさせたくないとも思いました。
自分たちも結婚を反対されて、飛び出して来たのですから、大切な人たちから反対される辛さを知っていたからです。
反対して飛び出されるくらいならと、両親は身を切る思いで、シリルの旅立ちを応援してあげることにしました。
─── 父から剣をもらい、母からは守りの鎧を与えられ、精霊たちからは盾を授かり、シリルは旅立ちました
夜の神を求めてさまよい、その旅の途中に、たくさんの人たちを救いました。
北に行けば困った妖精を助けて知恵を授け、南に行けば悲しむ精霊を救い語りかけ、東に行けば人を救い勇気付ける。
人と妖精と精霊の心を持ったシリルは、それぞれの種族を愛していましたから、どれも見捨てることは出来ません。
それは決して楽な旅ではありませんでした。
─── 時には命がけで、恐ろしい魔物や穢れ者の群れと戦い、皆んなを守るために傷つきました
大変なのは戦いや危険な旅だけでなく、怖がられたり、馬鹿にされたり、誤解されたり。
永く続いた種族のすれ違いは、どうしても初めて出会うシリルに、冷たい視線を向けさせてしまうのです。
それは人間の土地でも同じで、妖精族の髪と瞳の色を持つ彼は、やはり歓迎される事はありませんでした。
─── でも、相手を理解しようとすれば、自分を理解してもらえれば、誰もが温かな顔を見せてくれます
結局、どの種族もお互いをよく知らなかったから、怖がっていただけなのかも知れません。
夜の神の呪いさえ解けば、きっとみんなで仲良く暮らせるのだと、信じるようになりました。
そうすれば、両親も故郷に胸を張って帰れるとも思いました。
愛する両親と優しい人間達、愛すべき妖精達に、心温かい精霊達。
父と母を国に帰してあげたい想いから、いつしかシリルの心には、そうした全ての者達の幸せを願う想いへと変わっていました。
─── そんなある日、シリルは夢を見ました
長旅と闘いに疲れ切ったシリルの前に、光り輝く美しい女神が現れ、優しく語り掛けたのです。
─── これ程に傷ついても、未だ親を想い、友を想い……なんと慈しみ深い青年でしょう
─── このまま西の地へ赴けば、夜の神の庭に辿りつきます
─── しかし、夜の神は強大で、貴方の想いを遂げる事は難しい……
─── これから示す地へと向かい、そこにいる者に私の名を告げなさい
─── その地に住む者が、貴方に力を与えてくれるでしょう
─── 私の名はセラフィナ
─── 貴方に光の守りがあらんことを
女神はシリルにとある場所を教え、それから癒しの光で、彼を包み込みました。
目覚めたシリルは、自分に起きた変化に驚き、夢ではなかったとすぐに気がつきます。
剣は輝きを取り戻し、鎧は堅牢な光沢を纏い、盾は陽の光を何処までも返す程に輝いていたのです。
─── 朝の神セラフィナ
かつて父の暮らした土地に、救いの鐘を授けた、慈愛の女神。
幼い頃から何度も聞かされてきた姿と、夢に出てきた女神の姿は、ぴったりと合っていました。
人々はずっと朝の神に見守られていたのだと知り、勇気と気力が湧き上がり、また想いを強めました。
傷つき疲れ果てた体も癒され、羽根のように軽く、シリルは教えられた通りの場所へと矢のように突き進みました。
その速さは風を追い越し、岩を飛び越え、湖すらもものともせず。
シリルはすぐに教えられた場所へと辿り着くと、そこには巨大な岩山の穴ぐらがぽっかりと口を開けていました。
─── なんじゃ、ここは人間の来るような場所ではないぞ、即刻立ち去れ!
穴ぐらの奥で、見上げるような屈強な巨人が、燃え盛る炎の槌を持って、シリルに怒鳴りつけます。
まるで大地の怒りのようでした。
シリルは逃げ出したくなる気持ちを抑え、夢で見た女神の名を、勇気を振り絞って告げました。
すると巨人はシリルの格好をしげしげと見て、ため息をひとつつくと、怒りを鎮めて言いました。
─── そうか。話は聞いておる、朝の神からの頼みじゃ、お前さんの武器達を夜の神に届くものにしてやろう……
巨人はシリルの剣を鍛え、鎧を張り直し、盾を磨き上げました。
瞬く間に仕上げられたそれらは、まるで神界の宝物のように、眩ゆいばかりに光り輝いています。
─── このガイセリックの鍛えし武器ならば、夜の神にも届くであろう
─── 夜の神に恐れをなしても、決して目を逸らさず、お前さんの気持ちをぶつけ通せ
─── 人の血で闘うな、妖精の血で闘うな、精霊の血で闘うな
……そのどれひとつでも敵わぬ相手、闘いに勝てると信じず、己の意思を信じよ!
最後に巨人はシリルの背中をひとつ、ドンと強く叩いて送り出してくれました。
その力は凄まじく、シリルの頭は冴えわたり、また矢のように西の地へと走り出したのです。
西の地には夜の神がいる、その姿を見なくても、手に取るように分かりました。
激しいマナの嵐の中に、山より高く練り上げられた魔力は、陽の光さえ遮る闇の雲を生み出しています。
その奥から、魔獣すらも震え上がる視線が、近づく者を射抜いているようでした。
怖い、怖い、怖い─── 。
……それでもシリルは諦めません。
鉛のように重くなる足を、シリルは力一杯踏み出して、夜の神の足下へと踏み出したのです。
─── 愚かなる者め! ここを誰の庭と心得る!
雷が落ちるより大きく、嵐の風鳴りよりも激しい、夜の神の声が響きます。
シリルはただ、自分の想いを叫びました。
両親の事、妖精達の事、精霊達の事、人間達の事、そして─── この地を幸せにしたい想いを。
─── 戯け者ッ! そんな高き夢、人の力でなせるものか!
聞いて欲しくば、力を示せッ‼︎
シリルと夜の神の闘いは、三日三晩続きました。
くたくたに疲れたシリルは、どんなに血を流しても、どんなに恐ろしい魔術に焼かれても、皆んなの幸せを想って立ち上がろうとします。
─── その心はたくさんの奇跡を生みました
精霊の慈しみが、妖精の光が、両親の愛が力を貸して、何度も傷を癒してくれました。
シリル本人が驚くべき程の力が与えられ、何度も起き上がっては倒され……。
─── 炎槌ガイセリックの鍛えた、神の武器を持ってしても、この程度とは片腹痛いわ!
それでも夜の神の力には遠く及びません。
……もう闘えない。
とうとう、そう思いそうになった時、シリルはガイセリックの言葉を思い出したのです。
─── ぼくの身は例えここで朽ち果てようとも、人、妖精、精霊の絆を、魂で信じる!
その心に、朝の神セラフィナの慈しみが力を貸して、傷が全て癒されました。
朝の神の友愛が、人、妖精、精霊の奇跡を結びつけたのです。
人間の父からもらった剣は、両断する光を天まで届かせ。
妖精の母からもらった鎧は、あらゆる苦難から守り抜く光を纏い。
精霊にもらった盾は、脅威を無にする光を放つ。
─── 全ての光がひとつとなって、夜の神の魔力の帳を、真っ二つに切り裂きました
晴れわたった目の前の光景に、シリルは息を呑んでしまいました。
天から注ぐ陽の光の下に、それは美しい少女が微笑んで立っていたのです。
─── かつて人は思い上がり、妖精と精霊とを蔑ろにしようとした
妖精も精霊も、それぞれを
……それを咎めた朝の神をも、蔑ろにしようとした
あの恐ろしい声が信じられない程、美しい声で歌うように夜の神は続けます。
─── 生ける者が、他の命を
なれば、命の温かさを知るまで、夜をくれてやるつもりであったが……
夜の神は恐ろしい程に美しく微笑んで、シリルに手を差し向けました。
─── 苦難の夜に強き意志は磨かれる
この夜が明ければ、誰もが思い直すであろう、命の温かさに秘められた本当の強さを
夜の神は、シリルに力を授けました。
この国のマナをも動かす、慈しみの力を。
─── 貴様の想いは聞き届けた
その覚悟、この地の運命を預けるに値する
……もう、この地に我は必要あるまい
その力を伝え、この地を守り続けて行くがよい
切り払われた暗い雲は、もう一欠片も残さずに消え去っていました。
穢れ者の気配も消え、夜の神の呪いはすっかり解けていたのです。
両親の待つ家に帰る道すがら、シリルは喜びに湧くみんなの姿を見て、自分の想いが正しかった事を知りました。
─── 人も妖精も精霊も、みな笑い、歌い、肩を抱き合って、喜びを分かち合う光景
シリルの活躍は、もう精霊や妖精から伝えられていて、どこへ行ってもみんなが大歓迎で喜びを伝えてくれました。
そして、シリルは夜の神がなぜ怒ったのか、どうして夜の神が許してくれたのかを、みんなに教えてあげました。
仲良く支え合って、同じ命どうし大切にし合うことが、大きな力になるのだと。
でも、もうみんなは気がついていたみたいです。
─── だって、それはシリルがずっと、旅で出会ったみんなにして来たことだったのですから
無事に帰ったシリルを、両親や精霊たちは泣いて喜びました。
みんなでお祝いをした後、シリルたち親子は両親の生まれた国に戻り、温かく受け入れてもらえました。
人間の王も、妖精の女王も、そしてそれぞれの国のみんなも、ずっと後悔していたのです。
みんなは再会を泣いて喜び、過去のあやまちを謝って、いちからやり直していこうと決めました。
人と妖精と精霊が、仲良く暮らす世界を目指して。
シリルは夜の神の言葉を胸に、また、夜の神に伝えた自分の想いを叶えるために、皆を繋ぎとめる旅を続けました。
─── そうして、人、妖精、精霊の絆を叶えたシリルは、皆を導く王となったのです
いつしか人と妖精はひとつになり、精霊たちは大地の力となって支え合うようになりました。
今もきっと、目には見えなくても、妖精や精霊たちは私たち人間の近くにいてくれるのでしょう。
こうしてこの国はいつまでも、平和に暮らしているのですから。
※ ※ ※
「めでたし、めでたし……」
スタルジャがパタンと本を閉じると、ティフォはスゥスゥと寝息を立てていた。
「寝ちゃった。……くすくす、本当にこのお話、好きになったみたいだね♪」
「なんか悪いなぁ、ティフォの世話みたいな事までしてもらって」
「え? 全然悪くないよ。私もこのお話好きだし。それにティフォちゃんがね、なんかこのお話は私の声で聞くと、落ち着くんだって……えへへ」
スタルジャの落ち着いた声で聞くのは、確かに心地が良かった。
ねだったティフォの気持ちも少し分かる気がする。
─── 今、俺たちは王都を後にして、シリル中央部から北部よりの小さな街の宿にいた
シリルの復活にはもう、俺達の手は必要ない。
旅立つ日取りを決めた時から、ゲオルグ王ひどくは寂しがって、連日のようにお別れ会名目の宴を開いてくれた。
クアラン子爵を始め、色んな人達が俺達を国境まで送りたいと言ってくれたが、お断りしておいた。
賑やかなのもいいけど、やっぱり旅はのんびりと楽しみたいし、両親に会うまでの行程は気楽に歩きたい。
メイド長は何度か、俺のズダ袋に潜り込もうと密航者まがいの犯行に及んだが、ティフォの触手の裁きによって全て未遂に終わった。
「─── に、してもだ。
やっぱり違和感はあるんだよなぁ……」
「え? このお話におかしな所があるの?」
「ああ、いや、内容を疑ってるとかじゃないんだ。セラ婆が美しい女神だったり、ガセ爺が巨人だったり、アーシェ婆が実は良い女神だったみたいな流れがなぁ……」
三人の容姿については良いとしよう、セラ婆の言動も良しとしよう。
ガセ爺、カッコ良すぎじゃないか?
まあ、確かに真面目に語る時は、知性派な雰囲気もあるけど、こんな精神論を綺麗に語る感じじゃない。
確実に殺しに行く武器の扱いと、想定される闘いに対して、最適な装備の提案を理論的にしたりするタイプだ。
毒とか生物兵器とかだって、当たり前に戦術に組み込んだ考えをするから、修行時代には結構グロい場面を見せられたもんだ。
あとアーシェ婆はそんな甘くないし、三日三晩は付き合わねぇと思うぞ?
普通は初手間違えた途端に、黒焼きにされるからな?
激情型なように見えるが、彼女は壮絶にクレバーだ。
ひとつの魔術に対して、何十、何百もの想定と演算を同時に行い、一瞬で最適解を出してくる大魔術師。
瞬時に理論的思考を組み立てられるから、たぶん普通の人とは、体感時間が全く違うんだろうな。
知能が高過ぎるせいで、基本的に『のろま』には、イライラするタイプだ。
実際、俺の修行時代も、始めの数秒は手加減しようと努力しているのを感じるが、その直後には花畑が見えてたし。
流石に自分が焼ける臭いを嗅いだ後は、肉を食べるのツラかったなぁ……。
「ま、まあ、大昔のおとぎ話だからね! 何度も作り直されたりしてるんじゃない?」
「そうだよね……そうだよな、うん」
なんか色々と修行時代のトラウマ事件簿を思い返していたら、スタルジャが切り替えようとしてくれた。
優しさが痛い……。
「ただいま〜♪ あら、スタちゃんに絵本読んでもらってたんですか?」
ソフィアが帰ってきた。
彼女は調べたい事があると、少し前に出かけて行ったが、何やら食べ物も調達してきたらしい。
「おかえり。ねだった本人は寝ちまったけどな。美味そうな匂いだなぁ、どこ行ってたんだ?」
「ちょっと観光地の案内を見てたんですよ。それと情報収集ですね。
で、ついでにあんまり美味しそうなんで、買ってきちゃいました♪」
「おかえりー♪ ふわぁ、なにコレ、すっごいいい匂い!」
街に着いたのが黄昏時で、その時に食事をとってしまったために、夕飯はとらなかった。
そんなに腹は減ってなかったけど、テーブルに置かれた包みから漂う匂いに、顎が痛む程に唾液が出て来た。
「うおぉ、急にすっごい腹減って来た! 俺も少しもらっていい?」
「もちろんそのつもりですよ♪
久し振りに街でお泊りですからね、ちょっと皆んなで一杯やりませんか?」
「「「おっほぉ……ッ!」」」
ん? いつの間にかティフォまで起きて、テーブル脇に陣取ってる。
つっこんでいる暇もなく、俺達は晩酌の用意に勤しんだ。
「「「かんぱーい!」」」
ソフィアのセレクトは、流石調律の女神といった所だろうか、包みから皿に移す時間すら待てない誘惑だった。
香辛料を擦り込んだ鰻を、濃い目の塩加減に衣を薄くつけて揚げ、甘酸っぱいタレをかけた『春鰻のシリアン揚げ』とやら。
それとシリル北部名産の、芋から造った『
それにライムと蜂蜜を入れ、お湯で割って飲む。
この地域の伝統というより人気の家庭料理らしいが、ライムの香る温かい酒に泣けてくる程に合うったらない。
外はパリパリ、齧るとホクホクした白い身が湯気を立てながら、舌の上でサラッと解れていく。
下拵えが良いのか、泥臭さは全く感じずに、香辛料と強めの塩がピリッとしていた。
その刺激と脂っぽさを、温かい酒で流すと、えも言われぬ幸福感が込み上げる。
その他に、名物のチーズを数種類と、ヤッケルと呼ばれる鹿の仲間の串焼き料理が今日のアテだ。
匂いにつられて、ティフォのポシェットからベビーモスが飛び降り、スタルジャの体からはミィルが飛び出した。
ふたりそろって、背伸びと欠伸をひとつ、テーブルの上の光景に目を輝かせている。
「─── それにしても、よかったよね!
精霊とシリル人も仲良しになったし、妖精も自由になったし、アネスさんたちもこれから楽しくなるね〜♪」
「フフ、私はまたアルくんに、お嫁さんが増えちゃうかと思いましたけどね」
「へ? 嫁? だ、誰が……?」
ソフィアとスタルジャが、カラカラと笑っている。
ティフォは『オニイチャだ、これこそオニイチャだ』と呟いて酒をなめていた。
「アネス母娘共々ですよ。フフフ、退廃的な事になりそうで、うずうずしたんですけどね」
「ほんとほんと。ミィルにヤキモチ焼いた時なんて、ふたりとも恋する乙女って感じで、私の方がドキドキしたもん」
「いや、何言ってんの? あれは焼きもちじゃなくて、人間の俺なんかが妖精の女王とだなんて、巫女として許せなかっただけだろ……」
三人娘は一瞬だけ固まり、急に乾杯し出した。
なんか分からないけど、凄く置いていかれた気がして寂しい。
「シリル軍も戦力的にいえば、世界最強になっちゃいましたし、今後はもう安泰でしょう。
ドワーフさんたちも、燃えに燃えてますからね、更に強くなって行きそうです」
「ダルンの『栄光の道』整備と、鉄砲の技術提供で周辺国も味方につけたしな。
エル・ラト教の裏にも気がついたし、もう帝国に手出しされる事もないだろう」
そう言いながら、ズダ袋から何種類かの酒を取り出す。
アケルとの貿易で、シリルに入るようになった南部の酒だ。
国内の問題、周辺国との関係、南側の国々との国交、全てが改善された今、シリルはこうして美酒を味わえる情勢になったわけだ。
「メイド長さんはついて来るかと思ったんですけどね〜」
「あの人、表情変わらないから、どこまで本気で、どこから冗談か分からなかったなぁ」
ほぼ初対面からヘンだったけど、他の人には普通だったし、狙われてたんだろうか……。
「ええ? 最初っから全力で本気でしたよ彼女は。
あの方はアルくんの運命に惹かれてましたし、多分また関わる日が来ると思いますよ?」
「……そ、そうなの……」
ソフィアの言葉は、予言めいて聞こえた。
女神の言う事だし、本当になりそうで、ちょっと怖いような……。
「と、ところでソフィは何を調べてたんだ?」
「ああ、それなんですけど、北部に入ったら国境を抜ける前に、ひとつ寄りたい所があるんです」
そう言って、ソフィアは地図のある地点を指し、優しく微笑んだ。
※ ※ ※
─── シリル最北部、国境ルートから少し外れた山岳地帯
「ここにも菩提樹か……」
「はい。かつての魔女狩りで使われた、処刑地ですね─── 」
岩壁に囲まれた場所に、ナタリア達の魂が縛り付けられた菩提樹と、同じような老木がひっそりと佇んでいる。
しかし、マナが正常になり、精霊達が働きかけたのか、そこには浮かばれない魂はもう無かった。
「─── 良かった。ここにいた犠牲者達は、もう解放されたみたいだな。
…………いや、ひとり残ってる」
かなり薄れてしまって、よく視ないと気づかないが、確かにそこにひとり分の魂が留まっていた。
ミィルがスタルジャから飛び出して、そこへ近づくと、金色の光の粒で包み込んだ。
─── ……よかった ここにいたのね……カテュラ……
ナタリアの声が小さく響くと、同じく仲間の巫女達の霊だろうか、少女達の声のざわめきが聞こえて来た。
カテュラ、アネスの過去に出て来た、両親を囮に捕らえられたアネスの娘のひとりだ。
─── ……ああ……姉様……
─── ずっとひとりで……頑張っていたのね……一緒に帰ろう……?
─── ………………だめ……
─── ……どうして……?
─── ……みんな……私のせいで……母様にも……迷惑をかけちゃった……
カテュラが罠にはまり、それを助けに出たナタリア達が捕らえられた。
彼女はその後悔に縛られていたのか……。
ミィルから溢れ出る光の粒子が、更にその輝きを増すと、菩提樹の周りにワンピースを着た少女達の姿が浮かび上がった。
カテュラを見つめる少女達は、その誰もが微笑みを浮かべて、一番下の妹を慈しんでいるように思えた。
そこに怒りの色など一切見当たらない。
それでもカテュラは、己の後悔に唇を噛み、目を逸らして、その事に気がついてはいないようだ。
─── カテュラ……カテュラなのね?
その時、強い光が発せられ、アネスの姿が現れた。
─── ずっと……探していたのですよカテュラ。私の可愛い娘……
─── か……母様……ごめんなさい……ごめんなさい……!
アネスが彼女を胸に抱き寄せると、小さな子供のように泣きじゃくり、アネスに強くすがりついた。
─── 私のせいで……姉様たちを……聖地にアルザス人を……
─── いいえ、貴女のせいではありません。いずれは大きな変革が起きる、世界のどこにも普遍な場所などないのです
─── うぅ……っ、母様ぁ……
アネスはカテュラの顔を離し、彼女を見つめて悪戯っぽく微笑んだ。
─── それももう大丈夫。……でも、
─── ……っ! ……な、なんでもします……!
─── 貴女の罪は、大事な悩みを家族にちゃあんと話さなかった事。
家族はただ居るだけでいい、そして、そのためにはしっかり話す事が大事なのですよ?
……だから貴女の罰は、この三百年の辛かった事、寂しかった事、甘えたかった事、それらを全部私たち家族に話しなさい……。
それが貴女の罰……よいですね?
俺の知る限り、一番優しい罰だった。
カテュラの泣き声に、菩提樹の葉が揺れ、光の粒をさらさらと辺りに降らせた。
─── オルネア様、この娘を見つけていただいて、ありがとうございます……!
もう、ご恩がいくつあるのか、数えるのも大変な程、何から何まで救って頂きました……
「いいえ、アネスさん。私には母と呼び、甘えられる存在がありません。
私こそ、貴方達から家族愛を、母の温もりと言うものを教わりました。ありがとうございます♪」
─── ふふふふ。オルネア様も『お母様』になる日は、そう遠くないのではありませんか?
ソフィアが弾けたように俺に振り向く。
真っ赤になった顔で俺の目を見た後、頰に手を当てて俯いてしまった。
髑髏兜の眼から、ピンクの炎がボボボと音を立てて上がっている。
……こ、この後まともに喋れなくなるから、止めてください。
─── アルフォンス様、またこの地に足をお運びの際は、私達の元にもどうかお立ち寄り下さいな。
ジゼルとティータニア、娘たちみんなでお待ちしておりますわ
「あ、ああ、そうさせてもらうよ。精霊神にこう言うのもなんだけど元気でな!」
アネスはにっこり笑い、娘達と共に頭を下げると、消えて行った。
娘達の魂は、一部妖精化させてこれからはずっと一緒にいられるようにするそうだ。
西の聖地も賑やかになるだろう。
ソフィアは未だに真っ赤になったまま、ブツブツ言っている。
「…………ま、まあソフィア、良かったじゃないか! カテュラの事まで忘れずに救うなんて、流石は─── 」
「でも、本当に私はお母様になれるのでしょうか……?
だって、もうアルくんとは、何度もせっぷんをしてるのに……私の所には未だに赤ちゃんが来てくれません……」
「「「─── ッ⁉︎」」」
こ、これは……! これはぁッ⁉︎
スタルジャは自分の口元を、手の平でぱちんと音がする勢いで覆った。
ティフォは片眉だけわずかに上げて、ソフィアに語りかけた。
流石は斬り込み隊長だ!
「ん、ソフィ。マヂか? マヂで言ったか?」
「……やはりこの身では、子を成せないのでしょうか。だって、もう何度もせっぷんしてるのに……」
「ん、マヂなんだな、ソフィ。ちょっとツラかせ?」
「はい、なんでしょう?」
最後にソフィアに全て持っていかれた感が凄いが、とにかく、シリルの未来は拓かれた。
俺達はこれからシリルを抜け、シモンの実家メルキアを目指す。
シリルの春は花が咲き乱れ、国中に喜びが溢れかえっているようだった─── 。
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