第十三話 西の魔女

 ……自分が純粋な人間ではないと自覚したのは、いつの事だったか。


 人と妖精とのハーフである事を嫌だと思った事は無かったし、母様と同じ妖精に近い存在だと知って、幼い頃から誇りに思っていた。

 歳の離れた兄様が、妖精王としての務めを終えようとしていた時、ようやく人間との違いを理解した。


─── 人間の血が濃く出た兄は、人と同じ速さで歳をとり、妖精の血が濃く出た私はほとんど歳をとらなかった


 その私以上に、母様の見た目はいつまでも変わらなかったのだから、妖精と人との時間の差は嫌という程わかっていた。


─── 父が死に、やがて兄も死んだ


 息子である兄と、夫である父を先に喪った母様の辛さ、愛する人が死に絶えて行くその絶望感は私にも付きまとうものなのだと理解した。


 人は速い時間の中を生き、どんどん成長を続けていく生き物だ。

 まるで彼ら全部で、ひとつの生き物であるかのように、色々なものを引き継いで進んで行く。


─── 人間と同化して、精霊と仲介しながら、共に成長する生き物となりたい


 母の提案は、人間のきらめきに心動かされ、そしてそれを喪う辛さを知る、妖精族のほとんどが従った。

 残った者たちは、精霊の方を導き、いつでも人と協力出来るようにと精霊界に散っていった。


─── 妖精ですらない半分の私は、残されてしまった


 母様の気持ちは分かっているつもりだった、でも、それは辛い事から母様は逃げたのだとも思えてしまった。

 だからせめて、私は妖精と精霊の助けになろうと、マナの湧き出る聖地を整備していく事にした。

 それにそうすれば、人の暮らしから離れられる。


─── もう身内や知り合いが、先に死んでいく様を見なくて済む


 そんな私を理解して、支えてくれたのは母の姉妹、叔母に当たる女王ティータニアだった。

 女王は私と同化して、この巨大な聖地を制御する大役をこなして来れた。


 そう、私はこのシリルの

 建国から生きながらえる、人でも妖精でもない存在。


 その契約に縛られて、この地を離れる事は出来なくなったけれど、何も不満は無かった。

 多くの巫女を育て、この国のユウルジョウフを守ってこれた。


 可愛い弟子たちにも巡り会えて、いつしか私は人並みの幸せというものすら、感じられるようになったのだから。

 初めてあの子たちに『母様』と呼ばれた時、母様の気持ちをもう少しだけ、分かった気がした。


─── 己の母は逃げたのではなく、ひと塊りでひとつの巨大な生物である人間を、人間そのものを愛し続けようとしたのだと


 恐らく私の今の魂では、人々の糧となった後、二度と自我を持つ事も、魂の輪廻に入る事も出来ないでしょう。

 それだけ、多くすり減ってしまった……。


 家族を喪った、愛娘たちも喪った、人の部分を失い叔母とも離れてしまった。

 思えば、自分のために生きた時間など、無かったのかも知れない。

 ……でも、それでもいい。

 もう、私は私の運命に、充分尽くして来れたのだから。


 ジゼル……あの子だけは心残りではあるけれど、きっと大丈夫。


 あの子には師匠ではなく、先生と呼ばせた。

 あの子には母様かあさまではなく、お母さんと呼ばれた。


 あの子の前にいる時、私はお母さんであり、先生として生きていられた。


 あの子の幸せは、巫女ではなく、人として叶えて行く事だろう。

 最後に現れた適合者は、それをしてやれない情けない私への、神のお情けだったのかも知れない。



─── 己の幸せを叶えられぬ私には、あの子は勿体なさ過ぎる



 いつの頃からだっただろう、己のために生きてこなかった事は、人として成し遂げる何かが足りないのではないかと不安を抱いていた。

 それは維持するだけの、運命任せな消極的生き方だったのではないかと。


─── アルフォンス・ゴールマイン


 彼がどれだけの運命を背負っているのか、私には見当もつかないけれど、オルネア様との関係を見れば分かる。


 彼はきっと、全ての調律をこなして、人々に安寧を取り戻す存在。

 行く先々で運命に導かれ、その運命に流される事なく、自分の想いで乗り越えているのだろう。

 だからこそ彼の声には、安心感と確かな強さを感じられる。


 あの子の幸せは、彼の作るこの先の世界にこそふさわしい。


 もう、誰とも会う事も叶わないけれど、そんな私でもせめて人の役に立って消えていけるのなら、ワガママは言えない───



─── 『斬る』……



 雄々しい声が、頭の中に響いた。

 膨れ上がるマナの暴威の中に、私を捕らえんと、その黒い手を伸ばして来る。


─── 闇より暗い漆黒の鎧、世界の苦痛を現したような禍々しい造形、いばらの冠をいただ髑髏どくろ


 その手が、私をこの世に繋ぎ止めていた聖剣の柄を、強く確かに握り締めた。




 ※ ※ ※




 気がつけば俺は鎧を身に纏い、夜切を片手に光の壁へと、【斬る】奇跡を放っていた。


 止めてどうなるとか、アネスに残された命の時間だとか、何か考えがあったわけじゃない。

 ただただ、そうするべきだと、アネスというこの女性ひとりに偏らせるべきではないと、本能のように突き動かされていた。

 斬り裂かれた光の壁から、膨大なマナが溢れ、押し戻されそうになる。


─── この程度で諦めて、適合者の運命など背負う資格は無い


 鎧からはキンキンと警告のように、装甲の軋む音が鳴り響いているが、全魔力を使い切るつもりでユゥルジョウフのマナの激流に抗った。

 凄絶な力の暴風の中、目を見開くアネスの姿を見つけ、手を伸ばす。


「誰かひとりの犠牲で成り立つ未来など、そんな、か弱い運命で人が進めるものか!

─── これ以上、貴女が犠牲になるなんて、この俺が認めないッ‼︎」


 俺の言葉に鎧が反応し、更に肉体強化を強めんと、呪いの力を爆発的に高めた。

 魔力と生命エネルギーをごっそりと引き抜かれ、視界がグラリと揺れるのを、奥歯を噛み締めて耐え凌ぐ。


 一瞬、籠手こての中の腕に、白く細い手が滑り込み、俺を補助するように添えられるイメージが頭に浮かんだ。


─── 直後、俺の体に感じた事もない程の、莫大な魔力が漲った


 押し返され掛けていた腕が、水の中のように微かな抵抗を感じて、目の前の聖剣の柄に届いた。

 その瞬間、地の底から響くような、重苦しい聖剣の声が頭を突き上げる。


─── ……無垢なる者の願い……聞き届け届いたけ届けとどどどどどどど……


 あん? なんだこりゃ?

 マナの噴出がピタリと止まり、光の壁が消え去った。

 頭の中には、聖剣の声が悪戯で打つ子供の太鼓のように、どどどど言い続けている。


「─── せ、聖剣の力を……ユゥルジョウフの力を……止め……た?」


 静まり返ったホールに、アネスの戸惑う声が、弱々しくこぼれ出た。


「ん、バグった。オニイチャのけーやく、ぽんこつ。ふつうの武器は、さわっちゃノンノン」


「え? 聖剣って、普通じゃねぇだろ? いや、確かに呪いの武器ではないが……」


─── パッキイィィ……ンッ!


「「「……ああッ⁉︎」」」


 聖剣が粉々に砕け散り、銀色に輝く霧を降らせている。

 中に残されていた魔力だろうか、強烈なエネルギーの波が、立て続けに数回通り抜けて行くのを感じていた。


「あ〜あ、オニイチャ、こわした」

 

「え、嘘……えぇ? 俺、俺が壊しちゃった⁉︎」


 急にサーッと悪寒が走り、背中に変な汗が流れ出し、唇が緊張で脂っぽく感じる。

 ガキの頃、やっちまった直後に感じた『これ怒られるやつだ』によく似てる。


─── ……【修復術アートフェル】っ!


 うん、この魔術はそんな時に真っ先に憶えた、やんちゃを無かった事にする奇跡の魔術だ。

 ダグ爺の盆栽とか、アーシェ婆ん家の花瓶とか、救ってきた頼れるやつだ!


 唖然としたまま硬直しているアネスごと、砕けた聖剣が光に包まれて行く。

 ……ん? アネスごと?


「だからオニイチャ、魔術もぽんこつ……」


「─── ……ぬあぁっ‼︎ どどどどーしよ⁉︎」


 攻撃魔術は手加減知らず、蘇生魔術はゾンビ製造、契約書き換えで妖精を破壊神化……。

 じゃ、じゃあ剣ごと人に、壊れた物体を治す修復術を掛けたら……どーなるの?


─── シュウゥゥゥ……パキ……パキキッ


 おおよそ人っぽくない音を立てながら、白い光のシルエットが、ヨロヨロと立ち上がる。


「……お、おかぁ……さん?」


 ジゼルのかすれた声が聞こえるが、申し訳無さ過ぎて、そっちを見る事が出来ない。


 白いシルエットは、俺の前までフラつきながら近づき、ゆっくりと光を弱めて行く。

 何が起きるのか、何をしでかしちゃったのか、早まる鼓動の中で立ち尽くす。



─── ぎゅ……っ ムニュ……



 そのシルエットに抱きつかれて、思わず息を呑んだ時、鎧を通して妙に柔らかい感触が伝わる。

 その白い影がゆっくりと顔を上げるのと同時に、強い光が消えて、ようやく姿が確認できた。


「ぷっ、ふっ……あはははははははは!」


「─── いや、あの……だ、だれ?」


 紫色の艶やかな長い髪、優しげに少しだけ垂れた、すみれ色の瞳。

 年は俺と同じ十九〜二十歳といったところだろうか、一糸纏わぬ美しい女性。

 それが、ガッチリと俺に抱き着いて、俺を見上げながら、目の端に涙を浮かべて笑っている。


「まさか……く、ふふふ。まさかこんな方法で、消え行く魂を救うとは……思いませんでしたよ。

あははは、もう、私の苦悩なんて、笑うしかありませんね! あははははは!」


「……あ、アネス……なのか?」


「─── はい、貴方の手によって、新たな存在となったアネス・フィン・ウィル・ウィリンエルデです」


 そう言って一歩下がり、俺の前で両手を広げて見せ、ニコニコと笑っている。

 うん、無事みたいだけど、これは問題だ!


「……そ、その。済まないが、ふ、服を着てもらえないだろうか……」


「はい……? え、きゃあっ⁉︎」


 後ろを向いて見ないようにしていると、シュルシュルと衣擦れの音を立て、魔術が使われている気配を感じた。


「お、オホンっ……。し、失礼しました。も、もう振り返っても結構ですよアルフォンス様」


「衣服の生成、物質創造、それも一瞬で……か」


 魔力で物質を創り出すのは、物によっては非常に難しい。

 氷や炎なんかの、物理現象由来のものなら簡単だが、衣服のように繊維や生物由来の『物』を創り出すのは超高難度だ。

 精霊術師であるはずの彼女が、魔力を使ってこれを成し遂げたとなると、大きな疑問が残る。

 これは人が簡単に出来る代物じゃない。


「─── 精霊神……それも守護神クラスの上位霊的存在になっちゃいましたね」


「はい、オルネア様。流石は貴女様のお選びになられた適合者。

アルフォンス様は、ちょっと常識の範囲内に収まらない英雄であらせられますね……うふふ」


 何で……精霊神になってんの?

 あ、そう言えばジゼルとミィルの話の中で、聖剣の生まれの話があったけど……。



─── 炎神ガイセリックの手で精錬された、数多の大地の精霊神そのものの集合体



 それごと修復したら、全部一緒になっちゃったって事か……⁉︎

 え? それ大丈夫なの? えぇ⁉︎ 怪人とかになってないよな……?


「……おかあさん」


「ジゼル……!」


 ジゼルが不安げな声で呼ぶのを、アネスは駆け寄って抱き締めた。


「おかあさんの馬鹿っ! ほんとうに……本当に怖かったんだから……ッ」


「ごめんねぇ、ごめんねぇジゼル……!」


 師匠じゃなくて、先生で、お母さんってのは、こういう距離感なのかな。

 母親を知らない俺には、眩しいというか、ジャンルの違うものなのだと思う。

 ……でも、これが家族なんだと、痛いほど見せ付けられた気がする。


 なんかセラ婆とアーシェ婆が懐かしいな。

 ……ああ、俺も寂しかったのかなぁ。


 そんな事を考えていたら、ティフォが手を繋いで来た。

 そう言えばこの子も、波乱に満ちた家族関係だったんだっけか。

 手を軽く握り返したら、母娘に視線を向けたまま、俺の腕に抱き着いた。




 ※ 




「え? じゃあ、聖剣が俺の願いを叶えちゃったって事か……」


「彼の声が聞こえたでしょう? 

『無垢なる者の願い、聞き届けた』って。あの時、貴方の願いが叶えられたのです」


「後半どどどどって、おかしくなってたけどな……。でも、俺の願いなんて─── 」


 特に聖剣に何とかして欲しいなんて、これっぽっちも思って無かったんだけどな。

 おかしくなった聖剣の声を思い出したのか、アネスはクスクスと笑っている。


「アルくんは、アネスさんひとりの犠牲で、この国が救われるのを認めないって言ってましたよね?

多分、それが叶えられたんじゃないでしょうか」


「私の魂をマナで膨らませて、この地の人間たちに配るはずが、それをわずかな代償で聖剣が奇跡を起こしたようです。

聖剣は元々、複数の精霊神を纏めて、炎槌ガイセリックが鍛え上げた呪物。超自然的な意思を持つ霊剣だったのですが……。

中に眠る精霊神の魂をいくつか、私の魂の代わりに配ったようです」


 で、残りの精霊神の魂と、アネスの魂が俺のポンコツ魔術で合体されてしまったと。


「じゃあ、妖精の強化自体はもう、問題が無くなったって事か……」


「ええ、妖精だけでなく、精霊神の因子まで配られたわけですから、シリル人の霊的な感覚は今までとは比べ物にならないものとなっているはずです」


 今頃、国民総精霊術師になってるかも知れないって事か? 流石にランドエルフ程の力は持てないとは思うけど、人間族としては破格の能力を得たも同然だな。

 精霊石屋の爺さん、仕事失わないかな……それ。


「聖剣が無くなっちまって大丈夫なのか?」


「その力は私が受け継いでいますので、問題はありません。元々、聖剣はマナの出力を制御するためのものですから、剣として存在していなくてもいいのです」


 アネスはガセ爺やセラ婆と同じく、加護を与えられるだけの力を持った、守護神として転生しているそうだ。

 ここから国中のユゥルジョウフに、干渉する事も出来そうだという。


 ……天候も操れるらしいので、今やシリルで怒らせちゃいけない人第一位に躍り出たわけだ。


 ん? マナを操る精霊神と、精霊神と妖精の因子を持った精霊術師のいる国って、世界最強のじゃねぇのか⁉︎


「ひとつ問題があるとすれば、巫女がもう居なくなってしまったという事でしょうか……」


「巫女って、具体的には何をする存在なんだ?」


「妖精の女王との契約なのですよ。マナを操るという事は、神に等しい存在となってしまう。

神が人の世に干渉するのは、好ましい事ではないし、越権行為となりかねない。

だから聖剣を使って、人からの願いとして干渉する形をとっていたのです。

巫女が人の代表として、聖剣に頼んでマナを調整し、またマナの性質を良くするために無垢なる心を捧げるのです」


 世界は人の手によって営まれる事が望ましいってのが、神々の意思なんだもんな。

 ソフィアや守護神達の越権行為みたく、地上での神の行動は、制限されてるって事か。

 今やアネスは自分の意思で、マナを操れるわけだけど、それは神々の掟からは逸脱する事になる。


「マナの制御には、神の力を直接使わない為にも、巫女が必要不可欠ってわけなんだな……?」


「はい、その通りなのですが、中々に巫女の選定には時間が掛かるものなので……」


 と、ジゼルがアネスの前に歩み出た。


「わ、私が巫女になります!」


「…………ジゼル。ありがとう、でもね。貴女は妖精の魂を持っていないの……ティータニアとの約束では、人の心と妖精の魂を持った者だけが巫女になれるのよ」


「そんな─── 」



─── 話は……聞いたぞ……



 突如、神気にも似た、圧倒的な魔力がホールに吹き荒れた。

 この気配は何処かで─── ?


「そ、その声はもしや……」


─── ……フフフ、久しいのう……アネスよ


 怖気がする程に澄み切った、女性の声がホールに響き、光の粒子が集まる。

 それはやがて人の形を成して、目の前に顕現した。


「……お久しぶりです……叔母さ……女王ティータニア」


「久しく見ぬ内に、わらわより出世したではないかアネスよ。フフフ、そなたの母もさぞかし鼻が高かろうて」


「ところで女王? ……何故、そのようにボロボロに……」


 ティータニアの服は所々破れたり、焦げ跡や泥がついていて、頰や腕にも擦り傷や歯型がついていた。


「……いや、何。世継が言う事を聞かなんだ。力づくで後を継がせようとしたのだが─── 」


︎ ─── オラァッ! 女王ッ、どこいったぁッ‼


 聞き覚えのある舌ったらずな声と共に、女王と負けず劣らず強烈な魔力が吹き出した。

 ブンッと魔力の唸りを上げ、光り輝く何かが高速で空間から飛び出し、女王に飛び膝蹴りを食らわす。


「オイッ! 今は待て、このチビ助! 後でゆっくり泣かしてやる!」


「うるせえババアッ! お前に勝って、もう一周女王やらせてやんよッ」


「「きぃーっ! くぃーっ‼︎」」


 目の前でデカイ妖精と小さい妖精が、掴み合って転げ回っている。

 ふたりともボロボロな辺り、相当長い事、取っ組み合いを続けていたようだ。


「ミィル! 良かったぁ……ずっと探してたんだよ……」


 スタルジャが目尻の涙を拭きながら、微笑んでそう言うと、キャットファイトを繰り広げていたふたりの動きがピタリと止まった。


 いや、感動の再会と言うには、余りにもあんまりな情景だが。

 流石はスタルジャ、この状況で妖精を我に返らせるとは、恐ろしい程にピュアだ。

 ふたりは離れて、服を整えつつ、バツが悪そうにうつむいている。


「─── ごめんねスタちゃん。このババアが、私に女王やれってしつこくて……」


「誰がババアじゃ! それだけの力を持っておいて、一族のために立とうとせんとは、妖精根性が無いのか貴様は……」


「妖精にこんじょーなんて聞いた事ねーわ!

やってもいいから、好きな事を好きなだけやってからだって言ってんでしょ!

女王なんてクソつまんねー仕事、そうでも無けりゃやってられるかってーの!」


 きぃぃっと、再び掴み合おうとするので、触手二割り増しで自由を奪っておく。


「……な、なんじゃこれは! このわらわが動けんだと! そ、それにソコはやめ……」


「あうぅ、こんなの、くつじょくだよアルフォンスぅ……」


 美少女妖精ふたりが、触手に纏わり付かれている絵面はかなりアレだが、殴って眠らすわけにもいかないしなぁ。

 加護の『淫獣さん』は発動してないから、変な事はしてないはずなんだけど……見た感じ退廃的だ。


「どうどう! 話が進まねえから、ちっと頭冷やせふたりとも」


「き、貴様! 人間の分際で……ひゃうっん」


「くっ……まけない! あたしは人間の触手なんかに……負けな……ふあぁッ!」


「ん、負けにいってるよーにしか、見えない」


 ちょっと変な空気にはなったが、ケンカは止められたようだ。

 ハアハア肩で息をしながら、上気したふたりはぺたんと座り込んでいる。


「えーと、つまりふたりはここ数日、後継者騒動で闘い続けていたと……」


「ほら、せーれー石屋のカベに『境界』あったじゃん? あそこで見つかっちゃったんだ。すぐに狸寝入りしたんだけど、追っかけて来てさぁ〜」


 ああ、確かにあの時、凄い視線を感じたけど、あれは女王のだったか。

 スタルジャがミィルに話し掛けた時、寝てるって言ってたな。


「フン、その前から気づいておったわ! 急に縄張り内に、生意気な魔力ぶち上げられたら、気にするなと言う方が無理じゃ」


「まぁ、確かにな。でもミィルの魔力が上がったのは俺のせいなんだ。悪気があってやったわけじゃない」


「分かっておる……ただ、妾も少しばかり焦っておっただけじゃ」


 女王はアネスの前で、顕現けんげんこそ出来なくなったものの、ずっと心配していたらしい。

 新しい巫女が来たら、すぐにでも手を貸してやりたいと思っていたが、アネスの下に新しい巫女はやって来なかった。


 ジゼルはアネスに師事したが、妖精の血を持たない彼女と契約する事も出来ずにいた。


 そして今回、アネスの命の危機を前に、無理矢理にでも自分の後継を探して、女王をやめて契約破棄する事を考えたそうだ。

 女王を止めれば契約の縛りが取れ、個人的にアネスを助けられると思ったらしい。


「─── で、やっとこさ後継を見つけて説得してる最中に、アネスは危機を乗り越えたわけじゃがな……。

うむ……よかったのうアネスよ……」


「叔母さま……ずっと見守っていて下さったのですね……ありがとう……ありがとう叔母さま……」


 再開場面はアレだったけど、アネスも助かった事だし、アネスがずっと孤独じゃなかった事が分かったのは嬉しく思えた。


 後は巫女の世継問題だけか……。

 最悪、メイド長辺りに頼み込んで、何とかならないだろうか。

 元巫女候補者だしな、一度は女王にシカトされたわけだけれども、本人さえ良ければ万々歳じゃないか?


「女王……さま。あの……」


「おお、そなたがジゼルか。こっちへ来い。こうして言葉を交わすのは初めてじゃが、そなたの事もずっと見ておったぞ……」


 女王はジゼルを抱き寄せて、孫を愛でるように何度も何度も頭を撫でては、目を細めて頬擦りをしている。


「ずっと母を案じ、健気に尽くそうとするそなたを、見る事しか出来なかった妾を赦せ……。

何か欲しい物はないか? なんでも買うてやるぞ?」


 ダメなお婆ちゃんみたいな事を言い出してるが、入り込む隙間も見当たらない。

 女王がどれだけアネスを愛していたのか、ジゼルを愛おしく思っていたのかが、嫌と言う程に分かる。


「女王さま……私、巫女になりたいんです。おかあさんを支えたいんです!」


「うむ、妾が女王の座を退けば、すぐにでもそなたと契約し、妾の魂を預けてやれるのだがのう…………チラッ」


 女王がそう言いながら、ミィルの方をチラ見している、手管が老獪そのものだ。


「はぁ……最初から、ちゃんとそうやって説明してくれればさあ……。

でも、名前だけ女王で、しばらく実務はナシとかって出来ない?」


「うむ、もうアネスの危機は去ったしのう、それならば良かろう。まぁ、貴様にも急いて悪かった……。

それに、力は申し分ないが、現世に未練があるままでは、女王の大任は辛かろう。気がすむまでやりたい事をやって来るがいい。

─── ところで、貴様のやりたい事とはなんじゃ?」


「食べ歩き!」


「お……おう。そうか……。好きにせい」


 言い方ひとつでずいぶんと印象が落ちるが……。

 でも、人格の無い霧として、精霊に溶け込むのも、そりゃあ辛いだろうな。


 女王は葉のついた小さな枝を取り出して、ミィルに向け、枝の先で宙に印を結ぶ。


「─── では、冠だけでも譲渡しておこう

以後、貴様が女王を名乗るのだミィルよ……」


「はいはい」


「……はい、は一回でよい……『戴冠の儀』を執り行う……」


 ティータニアのイラっと感が凄く伝わって来るが、背に腹はかえられないのか、苦虫を噛み潰したような顔で堪えている。



─── ブロゥムブラマにおわす精霊の神々よ


─── 妖精族の女王ティータニアの名において


─── 新たなる王を承認せよ


─── 火、水、土、風……光と闇


─── 我等が眷属の頂、我が眷属の統治者


─── その名は『ミィル』



 周囲から光の粒子が舞い上がり、天井付近で強い光の球に形作ると、ゆっくりとミィルの頭へと降下する。

 頭に触れる直前に、光の球は一瞬躊躇ちゅうちょするように動きを止め、スウッとミィルの中へと入り込んで行った。



─── 「「「……認めよう」」」



 大勢の姿無きこえが、一斉に響き渡った。

 その直後、ミィルの体から今までとは比べ物にならない程の、膨大な魔力が爆風を起こす。


(……今まででも充分ヤバかったのに、まだ膨れ上がるのか!)


 ミィルの髪が舞い上がり、衣服が激しくはためいている。


─── 激しい光が消えた時、そこには妖精の女王となったミィルの姿があった。

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