第十二話 渡したいもの

 真っ白い光が徐々に薄れて、王宮の景色が拓けた山の山頂付近のものへと変わった。

 数日前に降った雪は、都市部ではそれ程積もらなかったものの、聖山には掻き寄せられた雪が壁のように積まれている。


 聖地の中心の巨石を前に、ゲオルグ王は兎の毛皮をあしらった外套の襟を、グッと引き寄せながら見上げていた。

 転位魔術に驚いていた彼も、聖地の雄大な外観に、身が引き締まっているらしい。


「─── ここが聖地……。西の魔女のいるユゥルジョウフなんじゃな?」


「ああ、ただアネスは魔女なんかじゃ無い。この国を守り続けた精霊術師だ」


「……分かっておる。魔女は帝国の作ったレッテルじゃったな、失言であった。

これまでの事、国を代表して許しを請わねばならぬな……」


 流石の妖精王も緊張しているらしい。

 それは無理もない、アネスはこの三百年間、帝国の支配を退け続けたシリルの恩人だ。

 しかも、かつてはシリル人までもが魔女狩りに携わっていたのだから、国の代表としては胃が痛い思いだろう。


 知識としてユゥルジョウフの聖地は知っていても、触らずの地となって三百年の月日に薄れた認識は、クアラン子爵からの報告でかなりのショックとなったようだ。


「─── そんな事、先生はお気になさらないと思いますよ」


 澄んだ少女の声がすると、ゲオルグ王の護衛が瞬時に動く。

 王はそれを手で制し、白い少女の方を向き直る。


「あら、ジゼルちゃん♪ こんにちは。すぐに気がつくなんて流石ですね」


「ふふ、この結界内に急に凄い魔力が現れるんですもん、驚きますよ。

本当に転位魔術もお使いになられるんですね!」


「歩きでも良かったんだが、流石に雪がな。お客も連れて来たんで、転位魔術を使わせてもらった」


「よく結界で弾かれませんでしたね⁉︎

……えっと、そちらの方々は?」


 ん? 特に弾かれる感じもなかったけどな。

 ジゼルの言葉に、ゲオルグ王は一歩前に出ると、深々と礼を取った。


 ゲオルグは王にしては、その威光を振りかざす事をしないが、一般の、しかも獣人族の少女にこうした礼をするのは異例な事じゃ無いだろうか。


「ワシはゲオルグ・フリード・ウィル・ウィリンエルデ。

この国の王を名乗るもの、此度は突然の訪問をお許しくだされ、精霊術師殿」


「はぁ、ゲオルグ……って、へ? はれ⁉︎

─── おーさまですかッ⁉︎」


「いや、畏まらんでくれ。ワシは今、この国をお守り下さっておられる精霊術師の元に、礼を伝えに来た、ただの代表者。

王を名乗るのは、この国の代表として感謝と謝罪をするため」


 慌てふためいてカクカクしているジゼルに、王は微笑んで再び頭を下げる。


「で、でで、でも……ッ⁉︎」


「ええ、王の仰られる通りです。今は冠も王笏おうしゃくも持たない、ただのヒヒじじいですので、お気遣いなさらぬようお願い申し上げます」


「ひ、ヒヒじじい⁉︎」


「……ちょ、メイド長⁉︎ いつの間に!」


 どこに隠れていたのか、メイド長が王の前にズズいと出て、物凄く不敬な事を言っている。

 本当に神出鬼没だなこの人は、手を叩いたらやっぱりメイドさん達がどこからともなく、ワラワラ出て来るんだろうか。


 王も王で、自分より前に下の者が出た事より『ヒヒじじい』にショックを受けてるみたいだ。

 この王にして、この配下か。


「まあ、ヒヒじじいかどうかは置いておいて、お師匠さん目覚めたって、具合はどうだ?」


「置いておくんか……」


「ハイッ! アルフォンスさんのお見立て通り、自然治癒に任せたのが良かったみたいです。……魔力由来の治療が逆効果なんて、初めて知りました!」


 アネスは妖精ハーフの魂の内、人間の肉体と魂を失っている。

 そこに長く強力なマナと、聖剣の魔力に晒されていたため、魂自体に無理が起きていた。


 眠りについたのは、大きな魔力を使い、その反動で魂の存在が薄れかけたからだろう。

 初めてここに来た時、クアラン子爵が魔力酔いを起こした時と少し似ている。

 こういう時は、回復魔術や秘薬なんかの、魔力を含む対処が裏目に出てしまうものだ。


 ジゼルと出逢ったのも、元々弱っていたアネスに飲ませていた秘薬の材料が切れ、探しに出ていたからだったらしい。

 今はむしろ、魔力由来の物を遠ざけるようにと、指示を出していた。


「─── あ、ごめんなさい

寒い中、立ち話もあれなんで、皆さん中へどうぞ」

 

 あんまり軽くジゼルが案内を始めたので、王とその周りは戸惑っているようだ。

 ……もう少し、嫌がられたりするんじゃないかと、心配だったらしい。


 と、彼らとは別に、元気の無いのがいる。

 スタルジャだ。


「まだ見つからないのか?」


「……うん。どうしちゃったのかなミィル。私の事、嫌いになっちゃったのかなぁ」


 ここ五日間程、ミィルの姿が見えなくなっている。

 何かきっかけがあったという事もなく、ある朝に忽然と、スタルジャの中から居なくなっていたらしい。

 折悪く、急に天気が荒れたり、この地では非常に珍しい冬の落雷が相次いだりして、探しに行く事も出来なかった。


「ん、ミィルなら、だいじょぶ。たまにミィルっぽい、はどーを近くに感じるよ?」


「ティフォが言うなら、大丈夫だよね。うん、信じて待つしかないかぁ、でも心配だなぁ」


「ミィルがしんぱいなら、しゅじゅーかんけー、結んであげたほーがいいよ?」


「うーん、そう……だね」


 ミィルは彼女の体を間借りしているが、特に精霊達とのように、契約を交わしているわけではなかった。

 せめて契約で繋がっていれば、喚び出すのも簡単なのだが、スタルジャが束縛を嫌っていたのだ。


 妖精は可愛く見えるが、精霊の上位とも言える強力な存在だ。

 ただ友達のように接していては、その強い影響がどう出るか分からないため、本来なら契約でお互いを守り合う方がいいんだが……。


「─── では皆さん、扉を開きますので、ジッとしてて下さいね」


 そう言って、ジゼルが振り返り、俺達に立ち止まるよう指示した。

 初めて来た時と同じように、彼女が手をかざすと、白い光に包まれる。

 やがて、体に浮遊感が起こり、巨石の中へと移動が始まった。

 王達は王宮の仕掛けで慣れているのか、堂々としたもので、むしろ簡単に入れてもらえた事に驚きが隠せない様子だ。


 向こうも気がついたのか、巨石のホールの暖かな空気の中、その中央の窪みから澄んだ女性の声が響く。


「─── ああ、皆さん。

わざわざご足労いただいて、ごめんなさいねぇ。お話の途中で寝てしまうなんて、どうしようもないわねぇ……」


「いや、もっとゆっくり、休んでいてもいいんだ。…………今まで、大役だったんだもんな」


「あら……何だか大きな方に、そう優しく言われると、涙が出て来てしまいそうだわ。

……ジゼル、貴女がお話ししてくれたの?」


「はい、先生。後、ミィルが手伝ってくれました」


 アネスは目尻の涙を拭って、微笑みながら来訪者を見渡した。


「ああ、それになんて懐かしいお顔でしょう。ゲオちゃん……あら、今はゲオルグ王陛下だったかしら? お元気そうで何よりだわ」


「ワシを……知っておられるのか?」


「ふふふ、貴方は憶えていないでしょうけど、何度かここに遊びに来ていたのですよ?

貴方のお父上、エドワードに連れられて」


 何と、前王の時代には、王家の者がお忍びで聖地に視察に来るしきたりがあったらしい。

 まだ当時、動く事の出来たアネスは、何度か幼きゲオルグと遊んであげていたと言う。


 その話を聞く内に、驚いたりはにかんだりしていたゲオルグの顔が、哀しげに曇り出した。


「─── ワシは何も知らず……この国を守る事も出来んかった……。

ワシを怨んでくれ……アネス殿。貴女の弟子達も、この国の精霊術師達も守れなかったのは、ワシの不甲斐なさのせいじゃ!」


 王が膝をついた。

 床には涙がぱたぱたと滴り落ちて、黒い点を描いている。


 シリル王家の寿命は長い。

 親と死別してから三百年以上、自分の上から話しかけてくる者はなかったのだろう。

 アネスの穏やかな温かさに、ゲオルグは古き親兄弟に会ったような、そんな気持ちだったかも知れない。

 彼は今、一切の着飾りも無く、アネスに許しを請うていた。


「─── お父上に似て、優しい王になりましたねゲオルグ。

支配をされても、貴方がどれだけこの国を守り通そうとしていたかは、ここからでも分かっていましたよ……?

それに、貴方がこの国の悲劇を、背負う必要は無いのです」


「……し、しかし!」


「ゲオルグ……シリルの王よ。

アルザス人の暴虐は確かに災厄でした。しかし、その前から人間は精霊達と離れてしまっていた。そうですね?」


 建国のおとぎ話では、人と妖精と精霊とが、手を取り合って初めてこの地に安寧を築いたとされている。

 しかし、人間の歩みと精霊の営みは、その性質がまるで違う。


 人は進歩を求め、精霊は自然の営みと共にゆっくりと変化をする。

 寿命の短い人から見れば、その変化は立ち止まっているようにしか見えない。

 ……ある意味、人と精霊とが離れたのは、種族の違いによる必然とも言える。


「シリル人は精霊と離れ、力を失っていった。しかし、代わりに多くの子を成し、病や飢えに苦しまない国を作ったのです。結果的に侵略を許す事にはなりましたが……。

……でも、こう考える事も出来ませんか?

この三百年の苦悩は、それらをもう一度考え、これからの三百年の安寧を考える運命だったのではないかと」


「─── ッ!」


「全ての魂は、磨かれるために生まれる。運命はその磨き砂のようなもの。

ゲオルグ、前を見て歩きましょう。私たちは間違える。間違えるからこそ、正しき答えを見出せるのですから」


 泣崩れるゲオルグを、ジゼルが寄り添って手を差し出すと、アネスの元へと導いた。

 肘掛けの手に額を寄せ、すすり泣く彼の頰を、アネスは幼い子を安心させるかのように撫で続けていた。




 ※ 




 ゲオルグとアネスの再会のため、しばらく別室で待機する事になった。

 室内にはジゼルの淹れてくれたハーブティーの香りが漂い、王の護衛ふたりとメイド長を交えて、ゆったりと会話を楽しんでいた。


「─── 元々、聖地を守る巫女とは、王家の中で妖精の血が際立って濃く生まれた女性が選ばれていたのですよ。

妖精の血が濃いという事は、力も寿命もより妖精に近いわけですから、大役を預かるに相応しいと。

……それももう、四百年近く行われていない事になってしまいますが」


「へえ〜、流石はメイド長。王家の歴史にも詳しいんですね♪」


「……まあ、もちろん勉強もしましたけどね。代々、血の濃かった女性の内、巫女に選ばれなかった者はメイドとして王に仕えてまして。

─── 私もかつての巫女候補者だったんですよ」


 いや、さらっと凄い話を聞いた気がするが。確かにその方が、王家の近くに妖精の力の強い者が集まるのかも知れないな。


「最終的に巫女を選出するのは誰なんだ? どういった基準で決まる?」


「妖精の女王です。基準は……妖精の血の濃さと、巫女たる性格の資質らしいですけど、詳細は分かりません。

私はお会いする事も、許されませんでしたから」


「あ……ごめん。なんか悪い事を聞いてしまったか」


「いいえ。遠い昔の事ですし、何より私は巫女になるよりも、メイドの仕事に憧れておりましたもので、当時もどちらかと言えば歓喜しておりました」


 なんかそう聞くと、公務員試験っぽい雰囲気が出てきちゃうな……。


「……ボソボソ……(な、なぁ相棒)」


「……ボソ……(なんだよ)」


「……ボソボソボソリ(て、事はメイド長って、陛下より年上って事か?)」


「……ボソッ⁉︎ ボソボソボソリン(ば、ばか言うな! メイド長ってどう見ても二十代後半……いや、いくつなんだ……)」


「「……ボソソソ……(ロリババアではないな)」」


─── ピシュン! シュピピピッ!


「「ひぃっ!」」


「失礼、何やらコバエがうるさかったもので……」


 護衛ふたりの口髭が、一瞬でジェントルな感じに斬り揃えられていた。


 スカートを翻し、太腿に巻いたホルダーからナイフを抜いて一閃。

 おそらくふたりには、斬られる瞬間の残像くらいしか見えてなかったんじゃないだろうか。


 俺はと言うと、怖さよりも間近で見てしまった、スカートの中への動揺を抑えるのに必死だった。

 即座にティーカップに視線を逃す事で、気づかなかったフリは完璧なハ……


「……アルフォンス様。慰謝料として、お背中を流す権利を小一時間ほど」


「ば、バレ……いやいや、慰謝料って、俺が背中流されるのかよ! しかも小一時間って長くね⁉︎ ヒリヒリになっちゃうよ俺の背中!」


「お背中以外の場所でしたら、ヒリヒリするまでお世話しても差し支えないと、暗に示唆しさしておられるのですねマスター」


「示唆してないし、差し支えるよ! それより、いつからマスターになってんの俺⁉︎」


 眉ひとつ動かさないし、メガネはずっと光ってるしで、メイド長の表情は全くといっていい程つかめない。

 この人、いっつもこんな調子でグイグイ来るから苦手なんだよな……。


「「「……浮気……⁉︎」」」


「違うッ! おいティフォ、そのハンドサインは下品だからやめなさい!」


 こう言う時の、三人娘の連携の良さは何なのか、すっごい渋い目で見てくるのが痛い。


─── コンコン


 ゲオルグ王がひとり、扉を開けて入って来た。

 泣いたせいで目は腫れてるが、何ともすっきりとした表情をしていて、いつも以上に親しみやすさが出ている。


「おう、済まんかったのう。もう、ワシらの話は終わったわい」


「もう良いのか? 別にもう少しゆっくり話しててもいいのに……久し振りの再会なんだし」


「再会といっても、ワシはなぁんも憶えておらんのじゃがな。

それに、ワシは一刻も速く王宮に戻り、やる事を進めたい気持ちでバリバリじゃ」


 元々バイタリティある人物ではあったが、何かが吹っ切れたようで、ヤル気に満ち溢れているようだ。


「済まんが会長殿よ、ワシらをあの魔術で先に帰してはもらえんじゃろうか?」


「随分と急ぐんだなぁ、アネスとのお別れはしなくていいのか」


「もう済ませてある。良いアドバイスももらえたし、後はワシの行動で示すべき事じゃて」


 ゲオルグ王と護衛ふたり、そしてメイド長もまとめて、転位魔術で王宮へと移動させた。

 ひとり最後まで、ヒリヒリがどうとか、ブツブツ言っているのがいたが無視だ。


「─── 妖精の血が濃くて、妖精の女王に選ばれないといけないって……ぼくはどうなるんだろう……」


 人口密度の下がった部屋で、ジゼルの不安げな独り言がポツリと聞こえていた。




 ※ 




「病み上がりで大丈夫か?

余り長いと体に障るだろ、今日の所は日を改めて……」


「いえ、お話しさせてください。

─── 私に残された時間も、そう長くはありません」


 そんな事は無いと喉元まで出掛けていても、やや透き通ったアネスには、余計な慰めにしかならない気がしてしまった。

 アネスの側に立つジゼルも、顔色悪く苦笑いをするしか無いようだ。


「ジゼルを助けてもらって、ナタリア達も救ってもらって、ゲオルグとまで会わせてもらったのよ?

もう、何とお礼を言えばいいのか、わかりませんわね……ふふふ」


「どれも通りすがりの事だ、気にする必要はない。

─── それより、外に漏れていたマナが治ったついでに、結界も弱まっているようだが……?」


 あの楽園の如き世界が、雪が降ったとは言え、以前来た時の生命力の氾濫を感じられなかった。

 それに、転位魔術で来たわけだが、座標を指定している時に、妨害された形跡が一切無かったのが気になっていた。

 ……あれでは、高位魔術が使える者が、素通り出来てしまう。


「─── 流石は……神に選ばれし。外の様子にも察しがついておいでですね」


「……ッ! いつから……いつから、俺の事に気がついていたんだ?」


「ふふふ、私の体はもう妖精と変わりがないのですよ? 最初にお目に掛かった時から、気がついておりましたとも。

─── オルネア様、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。このアネス、貴女様にお目にかかれて、無上の喜びにございます」


 聖剣に打ち付けられた体を、少しでも起こそうと肘置きに腕を立てた彼女に、ソフィアが優しく触れて制した。


 今まではクアラン子爵がいたり、さっきはゲオルグ王達がいたから、気付かぬフリをしていてくれていたのか。

 これまで、慈母の如き微笑みをたたええていたアネスに、畏敬の色が差していた。


「いいのですよアネスさん。私はただの調律者、この地を守り続けた偉大な貴女に、頭を下げられるのは、流石に居心地が悪いです。

ソフィアで結構です、本当に今まで大義でした、何か私に出来る事はありますか?」


「ああ……その言葉だけで……その言葉だけで私は満たされております。

アルフォンス様、先程の貴方の言葉もそうです。

流石にひとりで背負うには、少々重たい運命でしたもので、より大きな運命を背負われた貴方がたの言葉は何より染み入りました……」


 そう言いながら、ジゼルの手を取り、頰に寄せて目を閉じる。

 アネスの目尻から涙がこぼれ出すと、ジゼルもまた、片手で口元を覆って嗚咽を殺した。


「─── 守り切る事だけが目標でした。ナタリア達を失ってから三百年、肉体すら失って怨念のようにこの世にすがり……。

でも、この十数年間は、この子が現れてくれて、側にいてくれた事がどれだけ救いであった事でしょう。

私は本当によい弟子達に恵まれて来ました」


「アネスさん、それは貴女が巫女のお役目に真摯であったからです。

それに貴女からは、そのお役目以上に、大きな視点で人を愛し続けていたのが感じられます。

─── それは、言葉以上に周りに伝わるもの、貴女も人に愛されていた証拠」


「……私は……私はただ……このユゥルジョウフを守るためだけに……。

愛する娘達を見殺しにしてまで……」


「それでも……

─── それでも彼女達の想いは今に繋がった

貴女を誇りに思ったからこそ、アルくんに最期の気持ちを託したのではないでしょうか?」


 アネスは聖地を守り通した。

 それは今、立ち上がろうとしているこの国の流れに、最高の形でたすきを渡したんだ。

 もし、あの過去の弟子達が彼女の事を恨んでいたら、最期の力を使ってまで、ナタリアは妖精を具現化させてまで託しただろうか?


─── いや、祝福を受けた俺だから分かる

アネスは母として、師匠として敬愛され続けていた


 でなければ、三百年もの間彷徨さまよって、悪霊化しないわけがない。

 何よりも、アネスと初めて会った時に、俺の体から抜け出たナタリア達の思念は、喜びに満ち溢れていた。


「ナタリア達の気持ちは、貴女自身が一番良く知っているはずだ」


 そう言うと、アネスは目元を手で覆い、ただただ深く何度も頷いていた。


「後はこの国の者達に任せて、今は少しでも休む事を考えればいい」


「ふふふ、そうですね。……ええ、そうしましょう」


「─── そう言えば、眠りに着く前に渡したいものがあると言っていたが……?」


「お渡しするものは……後でお話しいたしますわね。

それより今は、人とドワーフが協力して、お互いを支え合おうとしていると、ゲオルグから聞いたのだけれど……本当かしら?」


 休むとか言って、やっぱり国の事が気になるのか……まあ、仕方がないよな。

 人の生から離れたとは言え、シリルは彼女にとって愛すべき祖国、それが気になってたら休むもんも休めないか。


「シリル人の再起は何とかなりそうだ。もう少し、精霊と繋がりを強められれば安心なんだが、それも時間の問題だろう。

貴女の術で、民間人にも精霊の声に気がつき始めた者が出始めている」


「……そう、そこが問題なのです」


「問題?」


「私の掛けた術は、この国の人間達の中にいる、妖精たちを活性化させるものです。

本来はもっと劇的な効果が出るはずでしたが、活性化されるべき妖精の存在が、すでに薄くなり過ぎているようですね……」


 シリル人には、この国の妖精達が思念の霧のようになって、混ざり合っている。

 それは人と精霊とを結ぶための、妖精達の選択だったらしい。


 しかし、世代を重ねて人口が増えて行った事と、精霊信仰の低迷、そして帝国の策略によるマナと精霊への呪術の影響が出ていたようだ。

 ……精霊と強く繋がれるだけの、妖精の力が残されていない。


「呪術の影響から覚めた精霊たちは、すでに人々に語り掛けているはず。

それで『気づく者が出て来ている』程度では、再びアルザス人が攻めて来た時、太刀打ち出来ないでしょう……」


「─── 精霊信仰の自然復帰では、時間が掛かり過ぎるか

兵器開発を精霊寄りに考えていたが、魔力との併用も大きく盛り込んだ方がいいかな……。

いや、魔力頼りは帝国も対応がし易いか、ならば……ぶつぶつ」


「ふふふ、流石はガイセリック様の気配を持つ方ね。

決して人の努力だけに任せずに、最適解を用意した上で、最低限の要求に収めようとする考え方なんてソックリだわ。

……それに、その仕草も……ふふ、あははは」


 厳しい顔をしていたアネスが笑い出す。

 それも、俺とガセ爺が似てるとか言うから、思考が飛んでしまった。


─── いや、言われてみれば、今の独り言とか、考えながらウロウロするのはガセ爺っぽかったか……


 あれ? もしかして俺、何か考え込む時、いつもこうやってたのか⁉︎

 ガセ爺の事を尊敬はしているが、似てると言われると、何かえらくショックだ……。

 その俺の表情に気付いてか、アネスは余計に大笑いを始めてしまった。


 でも、あれ? ガセ爺達がここにいたのって、八百年前だったよな。

 そのガセ爺の仕草を知ってるって、アネスっていつからこの国の巫女やってたんだ⁉

 ……うーん、女性に年齢は聞き難いよなぁ、メイド長みたいにキレ出したらイヤだし。


「はぁ……シリル人に、精霊信仰の押売りでもするかね……」


「あ、いいですねソレ。何だったら私、洗脳でもしましょうか?

もう精霊無しじゃ、生きていけないってくらいベタ惚れに」


「いや……ソフィがやると、重くなり過ぎそうで怖いから……。逆に異教徒狩りとか、血生臭い事まで起きそうで不安だわ」


「えぇ……いいじゃないですか! 

精霊って聞くだけでハァハァするくらい、シリル人はやっといたってバチ当たりませんて。

異教徒狩りくらい、ウォーミングアップで済ませとけばいいんですよ☆」


「精霊ハァハァとか、そんなのに殺される帝国兵には、流石に俺も同情するわ。

……てか、それだとこっちから戦争起こすようなもんじゃねーか?」


「そのまま滅ぼせばいーんですよ帝国なんて。むしろ周辺国まで、精霊の存在をトラウマとして深く刻み込んで、世界を精霊信仰に染めてしまえばシリルの時代が─── 」


「……悪役じゃねぇかソレ」


 俺も人の事は言えないが、恋愛経験の無いソフィアが精霊スキスキ洗脳とかやったら、国民総精霊中毒患者になりそうでヤバイ……シリル周辺国の情勢が精霊でヤバイ。


「あははは……や、やめてちょうだい。ぷ、ふふふふ……本当におふたり仲がよろしいのね!

はぁ〜、こんなに笑ったのは久しぶりです。あははは!」


 気が付いたら、ジゼルとスタルジャまで、笑って聞いていたようだ。

 取り敢えずソフィアとふたり、深呼吸して落ち着いておく。


「─── ご心配なく、薄れてしまった妖精の問題は、私が何とか出来そうですから」


「や、やだなぁ。そんなのあるなら、最初から言ってくれれば……」


「ふふふ、最後にこんなに笑って、ようやく決心がついたのですよ。

どの道、兵力を上げただけでは、いつかはそれも対策されるかも知れません。必要なのは、この大地と人間とが繋がり合う力。

─── やはり人と妖精と精霊がそろって、初めてこの国は安寧を得られるのです……」


 ん? 今、って言わなかったか?


 ジゼルとスタルジャも笑うのを止め、ホールの中に沈黙が溢れる中、アネスひとり微笑んでいる。

 ジゼルの表情に不安と緊張と、そして諦めの混じったようなものが、入れ混じって行くのが見えた。


「私の魂も妖精なのです……

─── この魂をマナで膨張させて散らせば」


「─── 却下だッ‼︎」


 刹那、膨大なマナが、聖剣を伝ってアネスの中から膨れ上がる。

 近くにいた俺とソフィア、ジゼルは青白い光の壁に押されて、窪みの外へと弾き出された。


「これまで私は巫女でした……その終わりを考え続けて来た今、分かったのです。

……私もシリル人だったのですね。

─── どうせ消えゆく命、この国と共に在り続けられるのならば……」


「だ、ダメぇ! 先生、先生やめてッ! そんな事、先生のやる事じゃない!

もう充分、頑張って来たじゃないですか……ッ!?」


 青白い閃光を放ち、更に壁のエネルギーが高まる。


「ありがとう……ジゼル、私の可愛い最後の娘。

でも心配はいらないわ、私はみんなの魂の中に、この国の人々とひとつになるの」


「いやッ‼︎ 先生ッ! ……おかあさん、おかーさんッ! いやあああああーッ!」


「…………術衣の時は『先生』でしょ?

……アルフォンス様、この子は巫女としてではなく、精霊術師として育てて来ました。

この子は自由です、だから人の世界に戻してあげてもらえますか……?」


「─── それが『渡したいもの』か?

ふざけるなッ! それこそ自分で……」


 再び閃光が立ち、とうとう中の音が遮断され、声も届かなくなってしまった。

 それでも諦めず、ジゼルが狂ったように泣き叫びながら、光の壁を叩き続けている。


 その様子に困ったような微笑みを浮かべ、アネスはジゼルに向かい、唇を動かした。



─── あ い し て る



 光の壁が激しく瞬き、光の柱となってホールの天井に突き上げた。

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