第四話 緑児

 大鍋のスープに腸詰を投入し、チーズをナイフで削ぎ入れる。

 仕上がりが近いのだろう、ソフィアは味見をして、岩塩をパラパラと振り、かき混ぜる。

 その横で俺は小鍋に煮立てた、薄緑色のポタージュに、ハーブを散らし入れて完成させた。


「ん? スープが二つ? 今日はスープまつり?」


 パンを炙り終えたティフォが、小首を傾げて不思議そうに鍋を見てる。


「楽しそうだけど、腹タポタポになりそうな祭りだなそれ。

こっちはスタルジャ用のエルフ飯だ。肉も乳製品もダメなはずだからな、豆のポタージュに、干した魚介のダシで仕上げてある」


「ふーん。あっちは、まだ、話してる。よぶ?」


 つつがなく、パガエデの初入浴が済み、スタルジャのOKが出た後、二人は過去の事から今後の事を話し合い始めた。

 彼女が奴隷となってから約五年、ほとんど口を聞いた事が無かったらしく、交わすべき話題は膨大だったようだ。


(パガエデの方は、スタルジャにかなり気があるみたいだし、いい方向に行くといいなぁ。

いや、スタルジャの気持ちからすると、それは酷な事か……)


 どうもスタルジャの家族は、パガエデの一族に、酷い殺され方をしたらしい。

 二人の会話の始まりは、スタルジャの恨みつらみとパガエデの土下座から始まった。

 これらの話が終わらない事には、今後の進退をどうするか決めかねるだろうと、二人にはゆっくり話し合うように言ってある。

 俺達は今『月夜の風狼家』の目が届かないであろう位置に移動して、野営地を決めた所だ。


「うーん、まあ腹が減ると余計にカリカリし兼ねないからな。ソフィの方はどう?」


「ズズ……うん♪ これでイイでしょう! もうOKですよ〜♪」


 味見をした途端に、快心の笑みで体を弾ませ、小さくガッツポーズをした。

 大人っぽい絶世の美女が見せる、無邪気な仕草は途轍とてつもない破壊力だ……。

 思わず見惚れてしまうのを、首を振って正気に戻す。


 彼女の料理は、びっくりする程、美味い。


 今までは俺の料理を食べたがっていたので、ずっと俺が作っていたのだが、最近は彼女もよく作ってくれるようになった。

 それまでほぼ料理をした事がなかったのに、どうしてかと聞いてみれば、彼女曰く視覚、聴覚、味覚、相手を喜ばす全ては『どうしたら嬉しいかな』と考える事だと言う。

 すごい料亭の大将の言葉みたいだと思った。


 幸い、俺のズダ袋の中には、時間を止められた料理や食材が大量にストックされている。

 魔術と合わせれば、大抵の料理が家にいるのと同じように作れるから、最近は旅の途中にちょくちょくふたりで手の込んだ調理をしたりしている。

 ソフィアはそれほど経験は無くとも、知識と舌が敏感なのか、その思想の上でメキメキ腕を上げ続けている。


「うん、じゃあ呼びに行くかぁ。穏やかに話が進んでればいいんだけどなぁ」


「ん、オニイチャ、あたしが行ってくる。オニイチャは、用意してて」


 そう言って、ティフォは二人を呼びに行った。

 ベヒーモスが何だか機嫌良さそうに、尻尾を立ててその後をついて行く。


 俺とソフィアはテントの前に、夕食の支度を始めた。




 ※ 




「……う……そ……」


 スタルジャは呻くようにつぶやくと、一筋の涙を零した。

 手には渡されたばかりの、スープがよそわれた、木の深皿が湯気を立てている。


「……あれ? お気に召さなかったか。エルフの好みだと思って作ったんだが……」


「……ち、違う! い、いただきますッ!」


 そう言って、彼女は木の匙ですくった豆のポタージュを、息で冷ましてかぶりついた。


「─── 熱……っ!」


 目を白黒させて、口の中に空気を転がすようにハフハフさせ、またすぐに匙でスープをすくう。


「熱いからな、ゆっくりにしとけよ?」


 スタルジャは涙目で頷きながら、ふーふー息を掛けて冷ますのに夢中だった。

 良かった、お気に召してくれたらしい。


「─── うわ、これ美味い……ッ!」


 パガエデがソフィアの作った、腸詰と野菜のスープに驚きの声を上げる。


 バルド族の食文化は、極シンプルだから、こう言った味付けは初めてなのだろう。

 それだけに、パガエデの反応はすこぶる良かった。

 ソフィアはその様子を見て、ふふふと嬉しそうに笑っている。


 彼は泣き腫らしたまぶたを、懸命にこじ開けて、その味に目を見開いていた─── 。


 俺達が食事の用意をしている間、パガエデは相当凹まされたのか、ティフォに呼ばれて来た時には、涙と鼻水でグシャグシャになっていた。

 魂の抜けたような顔で、最初は『要らない』と言っていたが、一口でもいいから入れておけと勧めて座らせた。


 二人には、ショックな事が続いた後だし、食欲も無かろうと、ソフィアと二人口当たりの良いスープにしようと決めて正解だった。


「パンも温かい内にな、おかわりもいっぱいあるから、遠慮せずに食ってくれ」


 そう言って、俺もソフィア作のスープをひと啜り……


─── ぅんまぁ……ッ!


 ベーコンと玉ねぎ、セロリが利いているのか、薫製肉の旨味と野菜の甘さが、絶妙なバランスだった。

 最後に付け加えた腸詰めも出汁と食感を両立させて、程よく熱が通り、噛んだ瞬間にプツリと皮が弾けて旨味を増幅させる─── 。


 腸詰めの歯応えと濃厚な肉の味に、柔らかく煮込まれた、賽の目の芋がさらりと舌に溶けて、滋味深い甘さと薫りが合わさる。


 しばし、全員が無言で匙を動かし、パンを頬張っていた。


「─── あの、アル……フォンス……さん? このスープって……」


 何度かおかわりをしたスタルジャが、顔を火照らせて、恥ずかしそうに上目遣いで問うた。


「ああ、このポタージュは俺の幼い頃、父さんが何度か作ってくれたんだ。父さんの『お袋の味』だって」


「ハイエルフの……道理で。

これ凄く美味しい! 肉も乳も入れられてないごはん、何年振りだろ……夢中になっちゃった。

この風味はお魚? お豆のコクとすっごく合ってる」


 あー、やっぱりそうだよな。

 獣の臭いと味を嫌うエルフが、よりにもよって狩猟を主にする馬族に捕らわれたわけで、むしろ肉料理しか無かったんじゃないだろうか。


 ちなみに父さんは、エルフの中でも更に神聖に近いハイエルフだったけど、肉大好きだった。

 『食生活が合わない』てのが、ハイエルフの隠里を出た理由だったらしい。

 うん、それはしょうがないよね。


「父さんのポタージュには、実は肉のダシが入ってたんだけど、自分でも悪食だって言ってたからさ。

これには代わりに魚醤ぎょしょうを入れてある」


「魚醤……?」


「小魚を塩漬けにして、発酵させて作る調味料だよ。少しクセはあるけど、旨味が強くてな。

魚は大丈夫だって聞いてたから、それを入れて味に膨らみを持たせてみたんだ」


 スタルジャは、はーっと感心したようにスープの表面を観察している。

 魚の姿は無いけどな、うん、何となくそうしてしまう気持ちは分かる。


「驚いた……人間って、こんなに手の込んだ料理を作るのね……」


 父さんから聞いていた話では、エルフは基本森に住み、木ノ実や野草を中心にした食事。

 よく言えば素材の味、悪く言えば味のない料理ばかりだったそうだ。

 舌にガツンとくる食事は、エルフ文化には無いと思った方がいいらしい。


「スタルジャのいた所じゃあ、どんな食事だったんだ?」


「うち? 大体はパンと野菜に軽く火を通したものばかりだったかなぁ。たまにお母さんが小麦で麺料理とか、焼菓子を作ってくれるのがご馳走だったの……。

シチューもご馳走でね、このスープはそれに似た匂いがしてたから、感動しちゃった」


 そう言って、スタルジャの目元に少し硬い影がさして、泣き出しそうな表情になった。

 色々、思い出させちゃったかな……。

 今はそっとしておくのが良いか。

 余計な事はこれ以上言わない方がいい。


「…………まあ、しばらくは俺が飯を作るから、安心して食ってくれ。良い考えを生むには、エネルギーが必要だからな」


「………………あ、ありがとう」


 ベヒーモスが満足したのか、大きく伸びをして、スタルジャの脚に体を擦り付ける。


「─── あ、あのね? 変な事を聞くようだけど、こ、この子って猫じゃないよね……?」


「ん? それ、ベヒーモス」


「─── ひうッ!」


 思わず足を引いたスタルジャを、ベヒーモスはチラリと見上げ、我関せずとスリスリを再開した。


「ベヒーモス……って、なんですか?」


 パガエデがいぶかしげに聞いた。


「あー、魔物だよ。本当はコイツ、超でっかいんだけどな。ティフォに懐いてて、今は彼女の言う事を聞いて、小さく縮んでる奇特な奴だ」


「べ、ベヒーモスって言ったら、破壊神の使いで、人なんかじゃ軍隊で掛かっても消し飛ばされるって聞いたわよ……!」


 まあ、S級指定の災害野郎だしな。

 生半可な武器も魔術も、コイツにはそよ風くらいにしか思わないんじゃなかろうか。


「ん? 大したこと、なかったよ?」


「そりゃあ、お前にしたら、ほとんどの生命体は大した事ないだろう。ティフォに天敵っているのか?」


「─── クソおやじ。……がじがじ」


 わっ! 久々に見たわ『父のアキレス腱ジャーキー』……。

 普段どこにしまってんだろ?


「あ、貴女が倒したの⁉︎ ベヒーモス……『破滅の黒星獣』を⁉︎」


「ん、そだよ」


 スタルジャはしばらく茫然とした後、大きく溜息をついて、首を振った。


「……信じるわ。だってヒルコや魔族の戦士を、あんなに簡単に……。

─── ねぇ、貴方達は一体何者なの?」


 んー、答え難い質問だなぁ。

 五感が鋭く、魔力に敏感なエルフ相手だ、もしかしたら二人の事は何かバレてるかも知れない。

 最初に見せた、ソフィアへの表情も、普通じゃ無かったしな。


 チラリとパガエデを見やる。

 彼は何も気がついては居ないだろう。



─── さて、何処まで話していいものか



「私達はバグナスから来た、ただの冒険者ですよ。ギルドがほとんど動いて居ない、この国では知られて居ないかも知れませんが、三人共S級です」


「─── S級ッ⁉︎ ……は、話に聞いた事があります。ギルドの冒険者は世界中にいて、何でも屋みたいな事をしてるけど、実際は戦闘集団。

その頂点に立つS級は龍でも単独で殺すと……」


 パガエデが食いついた。

 まあ龍種だったら、色々グレードあるしな。

 低いのだったらB級でも単独撃破出来るんじゃないだろうか。


「よくご存知ですね。流石は改革派のお父様を持つ方だと言っておきましょうか。知識の広さは財産です。

そうですね、確かに私たちなら龍種程度は、特に問題にもなりません」


 そう言ってソフィアは鞄の中から、一本の長い龍の牙を出して、パガエデに手渡した。


「これは古代龍の一種『虹龍』の牙です。幸運を思うままに操る龍とも言われてます。

迷信ですが、想い人探しにはご利益があるなんて言いましてね、昔、何となくゲットしました

─── チラリ」


 ソフィアが熱っぽい視線を送って来た。

 あー、必死に俺を探してくれてた頃にすがったんだろうか。

 彼女にもだけど『何となく』で殺された虹龍は、なんとも申し訳なく思えてしまう。


─── と言うか、何となくで龍種を殺せるって、充分普通じゃないな


 とりあえず微笑みを返しておこう。

 そうしたら、鼻息荒く凝視されて、悪手だったと知らしめられた。

 そんな事はつゆしらず、パガエデは溜息をついて、俺を見上げた。


「……なるほど。これだけの物を持っていると言う事は、本当に一流の冒険者なんですね。

確かメルキアを目指して、山越えをすると父上に話しておられましたよね?」


「ああ、メルキアに知り合いの家族がいてな、渡す物があるんだ。だからダルンを通過するために旅をしてた」


 ソフィアのお陰で、とりあえず説明しづらい内容には、触れずに話せたか。

 驚くような事実を先に知らせて、詳細を会話から飛ばしてしまうとは……。

 相変わらず頭の回転が速いなぁ、うちの女神は。


 ただ、スタルジャは聞きたい事が聞けなかったからか、少し表情が固い。

 たまにパガエデをチラ見して、溜息をついているようだ。


─── 彼が居るから、俺達が本音で話さないと、勘繰っているのだろうか?


 まあ、この二人がこれからどうするかも決めてないし、今はこれくらいの説明で我慢してもらおう。

 満天の星の下、腹も満たされた俺達は、ポツリポツリと会話をして、少しずつ親睦を深めて行った。




 ※ ※ ※




 夜も更け、パガエデとスタルジャはテントの中で眠りに就いた。

 俺と女神二人は、野営場所から少し離れた所へ移動して、今後の話し合いをしていた。


「スタルジャさんを、エルフの領域に連れて行くのが正しいのか、それが少し気になりますね……」


「ああ。元々、領域の片隅に追いやられてたみたいだしなぁ。幸せにやって行けるのか……。

かと言って人間の社会は、もっと難しいだろうし」


 うーん、と二人腕組みをして唸る。

 ティフォは何かに気がついたのか、テントの方に振り向いて、何かを聞き取っている。


「ん、足音。忍ばせてる小さな足。スタルジャ?」


 寝たと思っていたけど、起きたのか?

 確かにこちらに歩いてくる姿が、俺の目にも確認できた。


「こんばんは。ごめんね、お話の邪魔をして」


 そう申し訳なさそうに言って、彼女は気まずそうに手指をモジモジさせていた。


「いや、問題ない。今、丁度、君の今後について、何が一番か考えてた所だ。

スタルジャ、君は今どう考えてる?」


 彼女は少し困ったように微笑んだ後、ソフィアの方を見て、畏れるように目を伏せた。


「……その前に、あの……変な事を言ったらごめんなさい……

─── 貴女は『光の神』様ではありませんか?」


 月明かりの下、スタルジャがソフィアの目を真っ直ぐに見つめた。

 ザァッと夜風が吹いて、草原の表面をざわめかせる。


「……残念ですが、人違いですね」


 ソフィアの声が凛と通った。

 満月のせいか、魔力の高まりが強くて、彼女の言葉は言霊に近いエネルギーを含んでいる。


「そ、そうです……か。も、もしそうだったとしても、私みたいな『』は相手にされないかな。でも……

─── じゃあ、貴女はなんですか」


 ソフィアはくすりと笑い、纏った空気を柔らかなものに変えた。

 何かを覚悟したらしい。


「……貴女達エルフは、本当に霊的に鋭いのですね。ええ、確かに私は神のひとりです。

何の神か……は、ひとまず貴女の言う『緑児みどりご』についてお聞かせ頂いてからでも?」


 スタルジャは深く静かにうなずいて、ゆっくりと落ち着いた声で語り出した。


 ラウペエルフと呼ばれる彼女達『草原のエルフ』は、遥か昔に森を捨て、農耕を中心に土地を渡り歩いた。

 このダランに根付いたのは、かつて滅びた草原の国『シノンカ霊王朝』があり、そこでエルフの彼等は神聖な存在として温かく迎え入れられたからだと言う。


 シノンカにはいくつもの神殿があり、それぞれの神々や、守護神となっている霊的存在を篤く崇拝していたそうだ。


「私達の崇める神はラミリア様。風の神様も土の神様も崇めているけど、ラミリア様は別格なの。太陽だもんね。

シノンカもそうだったから、私達エルフは亜人として、ムグラの民とシノンカのラミリア神殿を守ると誓った」


 でも、シノンカは戦争と内乱、気候変動でそれまでの国の体制が保てずに滅びた。

 シノンカの領土は砂漠に呑まれ、乾燥と砂に強かったムグラ族だけが残り、人間もエルフも離れてしまった。


「神殿を離れても、ラミリア様への信仰は変わらなくて、私達の祖先はよりラミリア様を求めるようになったんだって。……草原に住んでから、色々大変だったみたいだから、余計に信仰に頼るようになったみたい」


 あー、何か分かる気がする。

 苦労してる時は、何かしらジンクスとかゲン担ぎが流行るもんだ。

 それが信仰ともなれば、増えたルールを守る義務も強かっただろう。


「……そんな中、私達の中に魔力の弱い、緑色の髪を持ったエルフが生まれる様になった。

それまでは皆んな白い髪で、ラミリア様の白金の髪に近いからって、自慢だったらしいの」


「それで『緑児みどりご』って?」


「うん。馬鹿馬鹿しいよね。でも、少しでも暮らしを安定させたかった草原のエルフ達は、私達を端に追いやって、集落を分けていたの。

……理不尽な嫌がらせもあったわ。

だから私達はそっちの本家とは、全然関わりがなかったし、馬族が攻めて来た時も向こうは知らんぷりだった」


 スタルジャの集落を襲った時、馬族は毒を使ったと言っていた。

 いくら馬の移動力があっても、エルフ全体に施すのは無理だと思っていたが、戦に関わったのは『緑児』のエルフの集落だけだったか。


 同じエルフから見捨てられたのか、相手にもされていないのか……とことん救いのない話だなぁ。


「私の集落は今もあるのか分からないし、帰っても家族はもういない。

……せめて、挨拶くらいはしたいけど、昔の事を思い出すと色々ね……」


「…………もし、私がだったら、どうするおつもりでした?」


 ソフィアの質問に、スタルジャは涙を溜めた目で、再び真っ直ぐに見つめて答えた。


「何も……何も望みません。生きる道は、自分の手で切り拓かなければいけないから。

でも、私達の……『緑児』の存在が、本当にエルフ全体の足を引っ張るものかどうかは、聞きたかった……」


 なるほど、もし集落に戻っても、自分達の存在が、エルフ本家にも迷惑なものだと思って生きるのは辛かろう。

 彼女が戻りたがらない理由は、ここも大きいのかも知れない。


「……話し辛い事を、話させてしまいましたね。では、私も約束を果たします」


 そう言って、ソフィアは優しく微笑むと、スタルジャの腕を取って向かい合った。

 どこまでも穏やかで温かな神気が、辺りを包み込む。



─── 私は調律の神オルネア。世界のバランスを見守る神として、貴女達に告げます


─── 貴女達、緑の髪のエルフ族は、自然界の精霊に愛された存在です


─── 土を愛し、雨を喜び、風の恩恵を受け、光の慈しみを持って、植物と共に生きる証がその髪色


─── 貴女達の魔力は、個で持つものではありません。自然と共に、精霊達と協力する為に、大地と共有しているのです



 ソフィアの言霊が紡がれ、スタルジャの周りに薄緑色の光の粒子が漂った。

 それは意思を持ちかけたマナが、精霊の眷属として、妖精になり掛けている微かな存在。


 彼女の周りを踊るように飛び回る光景は、まるで自然界の喜びを表しているかのように、美しく軽やかだった。


「……わ、私は……私達は……」



─── 胸を張りなさいスタルジャ。古き民の言葉『輝く星』の名を持つ草原のエルフの子よ。

貴女達の力は、自然と共にあってこそ


─── 自然は泣きません、自然は俯きません。

ただひたすらに、生命の営みを見出すものなのです……



 せきを切ったように泣き崩れ、ひざまずくスタルジャの肩をソフィアが抱きしめた。

 彼女の嗚咽おえつ感泣かんきゅうだろうか、哀しみではなく、今までのしがらみを洗い流すような、大きな感情の高まりを感じさせた。


 ふと、何かが手を握った。

 ティフォが俺の手を握り、ただジッとその光景と対峙している。

 何か思う所があるのだろうか、俺はそんなティフォの姿にも切なさを感じて、応えるように強く握り返した。


 月明かりの下に、可憐な微笑みが咲いた。


 隣に座って抱き寄せると、彼女は俺の膝に腰を下ろして、胸元に身を預けて頬ずりをして来る。

 何かに愛され、必要とされるのは、こんなにも大きな事なんだと噛み締めていた。


 ティフォの耳元で、彼女が必要である事、愛している事を告げる。

 それにティフォは小さく頷くと、額で俺の胸にトントンと返事をするように当てている。


 夜風にさざめく草原に、スタルジャの泣き声が、いつまでも響いていた。




 ※ ※ ※




「うっひょーッ♪ 客人だ、客人だぁっ! 皆んな来いやぁ〜ッ! ッピィ〜……ッ!」


 底抜けに明るい爺さんが、草原に向かって指笛を高く長く、独特な抑揚で響かせた。


「おぅおぅ、これで皆んなす〜ぐ集まるじゃろ! こっちこっち、こっちについて来ぉッ!」


 あの夜、スタルジャが自分の一族のしがらみを超え、翌日には答えを出していた。



─── 緑の髪のエルフに、明日を待ち望む力を与えたい



 その決意には彼女の魔術を鍛える事、白髪のエルフと『緑児みどりご』の地位向上の話をつける事が、含まれていた。

 パガエデの決意も硬く『スタルジャの居場所を見つける』までは、何があっても協力したいと、スタルジャに頭を下げ続けた。


 そうして、とうとう彼女も折れ、一先ず緑の髪のエルフに会いに行く事が決定したのだ。


 移動しながらスタルジャは、自分の魔力の使い道を学び、緑児にとって新たな魔術の世界を確立しようとしている。


─── で、途中にこの遊牧民の老人と出会った


 老人の移動中、お供の老いたロバがヘソを曲げて動かなくなった所を、鳥型の魔獣に襲われていた。

 ティフォの凝視ひとつで、魔獣達が硬直し、それをスタルジャの実験台となって、一瞬で牧草の肥やしとなって散らばった。


「お嬢さん方、皆んな揃いも揃ってみぃんな別嬪べっぴんじゃなぁ! 全部、あんたのコレか?」


 老人のハンドサインにモザイクが掛かった。


「爺さん、そこは小指立てる所じゃねぇか? それはとっても不適切なサインだぞ⁉︎」


「んあ? うひょぉ、こいつはいけねぇ☆ つっても、まあ、あんまし変わらんじゃろが♪」


 女神二人の意味深な微笑み、さっぱり分からず困惑するパガエデ、そして顔面総真っ赤に染まったスタルジャ。


「こっちの二人は婚約者だ。彼女は旅先が一緒でね、そこの男とも同行してる」


「ほぉ〜! まだ若いのに、もう婚約者が二人とは、やり手じゃなぁ! ……わしの孫にも、あんたの爪の垢、麻袋いっぱい食らわせたいわ」


「……そんなに垢出ねぇよ。もう病気だろそれ」


「うがっはっはっはっは‼︎ こりゃ、一本取られたのぅ!」


「取ってねぇよ、自爆じゃねぇか……」


 なんだろ、この既視感……ああ、謎の旅人ザックだ。

 あいつ元気にしてるかなぁ。


 とか言っていたら、本当にわらわらと遊牧民達が集まって来た。

 今まで見渡す限り草原の中、何処にいたのかと不思議に思うくらいだ。


 皆ゾロゾロと揃って歩き、あーでもない、こーでもないと、ドギから教わっていた通りの話好きで、隙間なく会話が交わされていった。




 ※ 




「こんな所まで外国人が来るのは珍しいな! なんだ、スパイか何かか? ずはははははッ!」


 この笑い声が悪役然とした男が族長、五十代差し掛かったくらいだろうか。

 さっきの老人の息子で、数年前に代替わりしたらしい。


「まぁまず、飲めッ! ずはははははッ!」


 そう言って、透き通った酒の入った盃を差し出した。

 あー、ドギ先生の言う事にゃあ、この国では家の主人が一番。

 盃を受け取って、族長が口をつけるのを待ってから、俺も口をつけて一気に飲み干す。


「おぅおぅ! あんたは若いのに、よく分かってんだな! 気に入った、おおいっ、もっといいのを持ってこんか!

無ければ今すぐ蒸留せい‼︎」


 蒸留酒はしばらく寝かしてガス抜きした方が美味いんだが、こっちでは違う。

 家主からの最高のもてなしに相当する。


「ご馳走してもらってばかりは気の毒だ。これを皆んなで分けてやってくれ」


 ズダ袋から、ペイトンにもらった例の木箱のをいくつか手渡した。



─── 族長の目が座った



 見ればさっきまでつられて笑っていた遊牧民達も、異様な目で木箱に魅入っている。



「─── おめぇ、こりゃあ……『クマミミ』か?」



 族長の声が一層低く、天蓋てんがいの中に響いた。


「ああ、熊耳商会謹製『芋羊肝いもようかん』だ。口に合うかどうか─── 」


「「「クマミミ! クマミミ!」」」


 天蓋の天井付近が、揺れんばかりの合唱が起きる。

 ……ドギよ、やっぱヤベェ奴じゃねぇかコレ。


「訂正だ! 蒸留は俺がやる! 羊を潰して来いッ! 火だッ、火を起こせッ!」


 全員が慌ただしく動き出し、あれよあれよと言う間に宴の準備が始まった。

 何らかの指示が出るたびに『クマミミ』と、返事のように飛び交う辺り、やっぱり麻薬みたいなものじゃねーかと震えた。


 確かドギの説明では、時間を掛けてじっくり蒸した熟成芋に、砂糖とガグナグ河で取れた水草の抽出液を加えて、固めた甘味だと聞いた。

 一切れ食べてみたが、素朴な甘味に芋の香りが香る、潤いのあるデザートと言った感じだった。

 そう正直に感想を述べると、ドギは『会長、そりゃあ会長の食生活が豊かだからっす』と、ヤレヤレ風の妙に上からの態度で言われて、何故かしゃくに触ったものだ。


 バルド族は遊牧民と馬族の国、定住せずに移動する人々だ。

 だから発酵調味料とか、甘味になる調味料なんかの複雑な味が発展しない。

 だからこそ、甘く柔らかく、日持ちのする菓子は絶大な支持を得るのだとか。


 一度味わえば……と悪い顔をしていたドギの言っていた事が、ようやく理解出来た。


「カイチョーさん、こっちこっち♪」


 若い娘が、顔を真っ赤にしながら、広場の席へと連れてってくれた。

 ……おい待て、今なんつった⁉︎


「いや、俺は『』ではないがッ?」


「うふ、やーね。外国人は嘘が下手なんだから!」


 そう言って差し出して見せてくれたのは、俺とペイトンが笑顔で腕を組んでいる、精密な絵が刷られた厚みのある紙だった。

 ご丁寧に俺の所に『 会長』とか書かれているし、サインっぽく『アルフォンス』って被せて入ってる。

 絵が妙に上手くて、似ているのがまた腹立つ。


「な、なんだコレ⁉︎」


「えぇ? クマミミの下に敷いてある奴よ。これを五枚集めると、クマミミがひとつ貰えるの。あなた、カイチョーなのに知らないの?」


 地に手足をつけさせられたのは、何年ぶりだろうか。

 地面に四つん這いになる俺を娘達が笑い、無理矢理起こすと、用意された席へと引きずって行った。


 ……やるなペイトン、商魂逞しい新しい試みじゃないか! 集めてもうひとつ貰えるなら、そりゃあ求められるよな。

 しかも下まで食べないと手に入らない。

 最後のお楽しみ要素じゃねーか!


 おそらくあの絵も、印刷機を利用した版画だろう……老獪ろうかいと新技術の融合か。


─── なんでそこまでして、俺を『会長』だと広めたいのか


 その疑問は、飲み始めてすぐに分かった。

 元族長の老人は、魔物を倒した俺達の事を、より大袈裟に話して聞かせ『会長』の名が強調して伝えられていた。

 それには必ず『クマミミのカイチョー』や『獣人族の主人、カイチョー』『アルフォンス商会のカイチョー』なんて言葉が飛び交っている。


─── 『会長』が、獣人族の強さを知らしめる、ひとつの広告塔になっていた


 完敗だよ、俺の完敗だ、獣人族よ。

 もう好きに使えや、会長って。


 ペイトンが頬白熊族の族長をやめて、バグナスに行った時『獣人族の未来を育てる』と言ったと聞いた。

 今この時点でも、タイロンとエリンとユニの三人は、獣人族に魔術の技法を伝え歩いているだろう。

 獣人族の地位向上は、今この時も続いていて、この菓子の敷紙にまで、工夫が凝らされていると思うと、最早晴々とした気にさえなる。


「わ、三頭も潰すんだ⁉︎ 大盤振る舞いだなぁ」


 パガエデの声でそちらを見ると、男達が羊を抱えて敷物の上に横たえる所だった。

 大人しく転がされ、声ひとつ上げる間も無く、ナイフの一突きで屠殺とさつされる。

 次の瞬間には、くるりと体勢を変え、もう腹の皮に真っ直ぐ切れ目を入れ始めていた。


「流石に手速いな! 血抜きもしないで直ぐに解体に入るのか」


「苦しませないのが優しさと言うか、穢れを生まないための知恵なんですよ。

それに地面を血で汚すのは、大地の精霊に嫌われますから、首から血を抜くやり方をしません。

肉に血の力を残したまま食べるんです」


 パガエデが解説してくれた。

 バルド族は家畜の血で、大地の精霊が怒ると信じているようだ。


 実際には、そんなに気の小さな精霊はいないとは思うが、人の言葉には言霊が宿る。

 そこに何もいなくても、そう信じて言葉にして、行動を続けていれば、やがて本当にそうなったりするものだ。


 例えば彼らの信心は、自然界に溢れるマナに働きかけ、やがて精霊を創り出す。

 そこに今の『血で汚さない』とか、戒律を設けて、よりそこに精霊がいると強く信じていけば、その力もみなぎってくものだ。

 守護神への信仰と、力の関係に似ている。


「もう終わり⁉︎ 本当に速いな!」


 肉、内臓、血がそれぞれ桶に分けられて、運ばれて行く。

 毛皮を剥ぐのも、部位ごとに分けていくのも、あっという間の出来事だった。


「羊は彼らにとって財産ですから、それを振る舞うのは大歓迎の証です。良かったですね、アルさん」


「うーん、気持ちは有難いんだけど、大事なものなんだよなぁ。

財産って事は、貯えにも限界があるよな? 家畜は無限に増やせないし……」


「そうですね……。最近は織物とか、家畜を売ってお金に換える遊牧民も増えて来てみたいですけどね。

家畜を増やすのは大変だし、織物は時間が掛かりますから、暮らしはそれ程でもないみたいです」


 現金化するのは、寿命のある家畜を財産とするより効率がいい。

 でも、身入りや日々の食生活を考えれば、この国の中で経済が回り難くないだろうか?


「畑とかは作らないのか?」


「牧草を求めて、大体二ヶ月置きには移動しますから、作れないんじゃないでしょうか。

あまり聞いた事がないです」


 何となくズダ袋を覗いて、いくつかの種類の芋と、種を取り出してみた。


「……あれ? 何ですかそれ。土で汚れてるみたいですけど」


「これは芋だよ、ほらたまにスープに入ってたりする、黄色っぽいホクホクしたやつだ」


「あ、これがそうだったんですか! あれ、美味しいですよね」


 俺は近くにいた娘を手招きして、芋をいくつかまとめて渡した。


「これを茹でてみて欲しいんだ。茹で加減は……串が簡単に中まで刺さるくらい。

味付けは─── 」


 そうして指示を出して、調理してもらう事にする。

 後で彼らに食べさせてみよう。

 気にいるようだったら、もしかして彼らの生活に良い変化が生まれるかも知れない。


 パガエデは不思議そうに、俺と娘の会話を見ていたが、酒が振舞われると同時に楽器の演奏が始まって、皆の注意はそちらに集まった。


 馬の尻尾の毛で作られた弦楽器の大小と、骨で作られた笛、牛の革が張られた太鼓。

 今まで聞き慣れた曲調とは、何処か拍子の違う曲は、この草原の風景にぴったりな気がする。


 やがて蒸留を終えた族長が、出来立ての火酒や、秘蔵の酒を持ってやって来た。

 羊肉の調理も終わり、本格的な宴が始まった。




 ※ 




「……なんだこりゃ、羊の脳みそか? いや、違うな……」


 族長と幹部の集まる席へと、黄色味がかった白色の実に、白い塊の乗ったものが配られた。


「それは俺からの土産だ。芋を茹でて、バターと塩を乗せてある。熱いから気をつけてな」


 とにかく肉、肉、肉の食事が続いて、彼らの食事情が分かった今、これが受け入れられるかどうか。

 本当にバルド族は肉ばっかり食うみたいだし。


「カイチョーの料理か、どれ……」


 小さな木のヘラで、族長がそれを一口頬張る。


「─── むおッ! こりゃあ美味いな! 酒とも良く合うぞ」


 驚きつつも、すぐに口元を綻ばせて、また一口運んでは酒を飲む。

 馬乳酒から作った蒸留酒は、どこか乳臭さがあるから、バターとの相性もいいだろうと思ったが、正解だったようだ。

 続いて口にした者達も、同じように驚いては、酒を飲んでわいわい騒ぎ出した。


「これは芋って言ったか? これはどこで採れるんだ」


 族長はかなり興味を持ったようだ。


「これを植えればいい。百日もあれば土の中で増えて行く」


「百日か……移動場所を考えれば出来なくもないか……どう思う?」


 そこから幹部会議が始まったが、話が速いのなんの。

 獣人族の会議も速かったが、彼らの話し合いはほぼ即決で進んで行く。


 俺は育て方と注意点をいくつか教えただけで、すぐさま芋の作付けが決定した。

 農具もいくつか渡しておくか……。


「しっかし、カイチョーの嫁はみんな別嬪べっぴんだなぁ! 見ろよあれ!」


 いつの間にか、ソフィアとティフォとスタルジャの三人が、民族衣装を着せてもらって、音楽に合わせて踊っていた。

 男達だけでなく、女性陣までが声を上げていた。


 陽が沈み切ったばかりの暗い紫色の空の下、篝火かがりびに照らされた三人は、お揃いの赤い衣装を身につけて、長い裾をふわりと舞わせている。


 その姿が余りにも美しくて、本気で見惚れてしまった。

 隣で小さく『スゲ……』と、パガエデが間の抜けた声を出さなければ、ずっと見惚れていたかも知れない。


 バルド族の酒は、酔潰れるまで続く。


 空を覆い尽くすような星空の下、とことん楽しみ尽くそうとする彼らの宴は、ひたむきな彼らの暮らしを表しているようだった。

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