第三話 草原のエルフ

 地面に残された蹄跡の歩幅が変わり、血痕がそこから途切れていた。

 ティフォの触手も、馬が向かったであろう位置を指して、ピクピクと早目に先を動かしている。


「……ここから馬に乗って、集落に向かったってのか? あの傷で?」


「ん、まちがいない」


 魔族に襲われた生き残りの内、背後から爪で貫かれたはずの、兄の方が見当たらない。

 急所を外れていたとしても、治癒魔術でも使わなければ、そう長くはもたない深手のはずだ……。


「あ、兄上の事だから……。一族を連れて弔い合戦をするつもりかも知れません……」


 俺とティフォの後ろから、おずおずと馬族の少年が声を出した。


 うーん、彼はあの時、俺に掴みかかろうとするくらいの、酷い興奮状態だったからなぁ。


「途中で倒れてたら事だ、お前達の集落まで案内してくれないか?

俺達の事が誤って伝わるのも嫌だし、お前達の父親の最期を話す必要もあるだろうし」


「……やめた方が……いい。父上は改革派で外国人に理解があるけど、元々族長達は反対派なんです。

兄上も父上の手前、受け入れているように見せてたけど、本当はその……外国人が嫌いで……」


 末息子、パガエデは言いにくそうにうつむいて、語尾を濁した。

 ここの国も、世界流通の波で揺れてるって事なのかな?


「スタルジャだって、本当は殺されるはずだったんです……。でも父上がかばって、うちの奴隷にするって言ったから、族長達はずっと嫌な顔してたけど……」


 そのスタルジャは、あの時、ソフィアに視線を送っていたが、今はずっと顔を伏せたままだった。


「…………それじゃあ、この子はもう集落には帰れないって事にならないか?」


 パガエデはビクッと身を強張らせ、スタルジャの方を振り返った。

 スタルジャの目元は影になって見えないが、どこか口元に、微かな笑みが滲んでいるように見えた。


「……お前はどうするんだ? 今ならお前のいた場所に帰れる。このどさくさだ、逃げたって誰も責められはしないだろ……?」


 そう問うと、スタルジャは顔を背けて、答えようとしない。


「あの……! き、気を悪くしないでやって下さい。スタルジャは誰にだって、こうなんです。

僕にだって一度も……」


 パガエデはそう言うと、目元を真っ赤にして、気まずそうに口を歪めた。

 ……ん? なんか引っ掛かる表情だが、今はそれより聞いて置きたい事があった。


「スタルジャ……と言うそうだな、俺はアルフォンスだ。

まあ、お前の進退について、俺は何も出来ないし、口を挟むつもりはない。そこは男として自分で決めればいい。

……ただ、ひとつだけ教えてくれないか……さっきの事だ

─── 何故、彼女の事を見つめていた?」


 そう言ってソフィアを指差すと、スタルジャはワナワナと震え出した。

 伏せた顔がみるみる紅くなって行く。


 意味深な表情だったし、今パガエデが『誰にでもこうだ』って言ってたから、なんかあんのかと思ったが……。

 あれ? もしかしてただ見惚れてただけなの?


「……あ、済まない。お前も男の子ってだけだったか、今の質問は忘れて─── 」


「………………じゃない……」


 彼は更に震えを大きく、顔を真っ赤にして、何かをつぶやいた。

 パガエデが何故かえらくオロオロしている。


「……? すまん、よく聞こえなかった。失礼な事を聞いて悪かった。

で、パガエデ、お前はこれから─── 」


「男の子じゃ、ない!」


「…………へ?」


 真っ赤な顔を上げて、急に大声を出した。


「…………男の子じゃない……? え? 君は女の子だったのか……⁉︎」


─── バサッ!


 草の上に布の塊が叩きつけられた。

 スタルジャの頭に巻かれていたものだった。


「こんな格好で悪かったなッ! 私はこれでもオンナだ!」


 突然出された大声に、パガエデまで『しゃべった!?』みたいな感じで、スタルジャの横顔を二度見していた。

 ……ホントに話しをして貰えてなかったんだな。


 って、驚くべきはそこじゃない!


 薄緑色のショートヘア、褐色の瞳、長い睫毛に白い肌。

 ……そして、長い両耳。


─── 長い両耳ッ⁉︎


 思わず兜を脱いで、裸眼でスタルジャの顔を見て、思った事を声に出してしまった。


「は? へ⁉︎ ラウペエルフッ⁉︎ ……あっ、しまった……」


─── バチ〜ンッ!


って言うな! このクソ人間ッ!」


 うわぁ……ドギに注意しておきながら、俺が自分で口滑らしちゃったよ……。


─── 『ラウペ』はエルフ語で『地に這う』……蔑称べっしょう


 眼に涙を溜めて、顔を真っ赤にしたスタルジャは、俺の事を物凄い睨んでた。


─── 失言こいちゃったなり……


「─── いかんッ! ノーッ! ソフィ、ティフォ! ノーよッ! 話せばわかる!」


 二人の女神の殺気全力の神気が、大気を震わせて、バルド族の少年とエルフが泡を吹いて気絶した─── 。


 失神させちゃったなり……




 ※ ※ ※




「すまなかったーッ‼︎」


 草原に大声が響いた。

 おどろおどろしい鎧をいつの間か脱いで、屈強な大男が土下座してる。


「ハァ……。人間となんか話す事なんかな─── びくっ」


 ロープで簀巻すまきにされた、この男の連れの女二人が、またあの『怖い空気』を巻き上げてる。

 何、あの二人……破壊神か何かなの?


 二人とも多分人間じゃない、精霊? いや、多分もっと怖い人達だ。

 紅い髪の女は、魔族の戦士をおもちゃみたいに殺してたし……。


 白金の髪の方は……いや、きっと勘違いだ。

 そうだったら、人間なんかと一緒にいるわけないもの。

 それに───


「だから、ノーよ? ソフィもティフォもノーなの。優しくね、俺が悪かったんだから、今は話ややこしくしないで、ね?」


「……ハァ、このささくれ立った心を癒せる方法は、ひとつしかないんですけどねぇ……。

あの小娘を、八つ裂きにする以外の、優しい方法は……」


 え? 今、なんかスゴイこわいこと言った⁉︎

 男の方は、顔を真っ赤にしてオロオロしてる。


「え⁉︎ こ、ここで……⁉︎」


「オニイチャ、早く、あとがつかえてる。うぅ、じびょーの触手がぁッ!」


「持病なのかよ! え、俺のこれも感染させたって事になるよ⁉︎」


「「はーやーくーッ!」」


 はぁ、何やってんだか、やっぱり人間なんてうるさくて愚かで……



─── ちゅ……っ ちゅ……



 え? 何してんの⁉︎

 うそ、や、えぇ⁉︎ き、キス……?


 は、ふわ、はわわわわぁ〜ッ ///


「……ちょっと話すだけだから、ね?」


「「はーい♪」」


 わ、こ、こっち来た!

 ……く、唇が潤ってるぅ〜ッ⁉

「─── 申し訳ない。これであの二人も君にを向ける事は、しばらくはないだろう。

改めて、酷い事を言ってしまった、許して欲しい……この通りだ‼︎」


 『殺意』て、やっぱ殺す気だったの⁉

「……も、もういい! いいから頭を上げて、あの二人に殺される……!」


 今は確かに『怖い空気』は出してないけど、今度は何故か二人の周りの草が、散り散りになって消えてってる……。

 簀巻きにされてるのに、何をどうやってるの⁉︎ 貼り付けたような笑顔が、余計に怖い!



─── と、その時、懐かしい音の旋律が、私の耳に透き通るように届いた



【……実は『ラウペ』の意味を、存じておったでござる。それがしはハイエルフの義父の手にて育てられ候。エルフの言語も、習得してちょうだい仕って候……】


─── ふぇッ⁉︎ エルフの言葉を喋った!


【……あ、あなたのエルフ語は、なんだか物凄く古臭いけど、確かに文法も発音も、ネイティブなエルフ語だわ……】


【何と! それがしの言葉は、古臭いでござ候か! セラ婆殿……お歳を召しておられた故に……。

其方らダルンに住まう、エルフ族の呼び名が分からず、耳にしていた名を呼んでしまった事、平にご容赦願い仕る】


「ご、ごめん! 貴方のエルフ語、頭痛くなりそう……。人間語でいいから。貴方に悪意が無かった事もよく分かったし」


 なんかションボリしてる、ちょっと可愛いかもこの人間。

 それに言葉遣いは変だけど、久しぶりのエルフ語の会話、ちょっと嬉しかった。


 エルフ語は魔術に近い、言霊そのもの。

 人の身で扱うなんて、相当な努力をしたはず。


─── この人の言霊は、澄み切っていた


 悪い心の持主じゃ、あんな響きは出せない。

 もしかしたら、私の言霊の方が曇っていたかも知れないって、恥ずかしくなってしまった。


「あ、ありがとう。本当に申し訳なかった、とっさの事で驚いてしまって、配慮が無かった。

……そんなに俺のエルフ語って、変?」


「くすくす。なんだか幼い頃に見た演劇の、大昔の任侠エルフっぽかった。

どんな方だったの? 貴方のお義父とうさん」


「あー、義父とうさんは剣士でね、俺が七つの頃に死んだんだ。言葉を教えてくれたのは、精霊族のお婆さんでね、歳はその……俺のエルフ語から察して欲しいと言うか……」


「あ、貴方、精霊族と知り合いなの⁉︎」


「たまたまだよ……」


 道理で魔術のレベルが頭おかしいと思った。

 【針雷ニード・スンデル】なんて、単体を痺れさせるだけの、初歩の雷撃魔術なのにアレだもん。

 それに無詠唱だったし、魔力の制御も一瞬で、訳が分からなかった。


「うん、精霊族に教わったんなら、貴方の発音の古臭さが分かるわ。あの人達、生きてる桁が違うもの。だからこそ、貴方の言葉遣いで、それが嘘じゃないって分かったわよ」


「ありがとう。

……所で君はこれからどうする? 通り掛かった縁だ、助けられる事があるなら、協力はするが……」


 離れた所で、パガエデがビクっとした。

 彼はいつもそうだ、臆病で弱虫なクセに、私の事にいちいち首を突っ込んで来る。


 苦手なのよね……だって、臭いんだもん……。

 あの集落の人間達も、街にいた人間達もそう、お風呂にも入らないからちょっと。

 私達エルフは五感が鋭いから、嗅覚だって人間とは違う。

 もう奴隷にされて五年経ったけど、未だに慣れない。


 ……この三人は違うみたいだし、他の国から来たって言ってたけど、もしかして人間全部が臭いって訳じゃないのかしら……?


「……大丈夫か? そうだよな、いきなりこんな事になったんだもんな。困らせたのなら謝る」


「あ、ううん、違うの。臭いの事で考え込んじゃっただけ、これからの事は何も考えてなかったの」


 この人、アルフォンスって言ったっけ?

 さっきからちゃんと謝ってくれてるけど、どんな人なんだろう。

 人間ってみんな謝らない奴ばかりだと思ってたんだけどな……。


 私の事を本当に心配してくれてるみたいだし、いい人なのかな、精霊族とも知り合いなんだもんね。


「……もし、本当の家に帰りたいのなら、早く決めた方がいいかも知れない。

もし、あの馬族の長男が、弔いに仲間を連れて来たら、君はまた強制的に連れ戻される可能性もあるんじゃないか?」


「─── ッ! そ、そうね。私は人質って言うか、生贄みたいなものだったから……。

ブラウルが死んでしまった以上、彼らは私を慰み者にするか、すぐに殺すでしょうね……」


「そ、そんな事、ぼ、ぼくがさせない!」


 パガエデが急に大声を上げて、近づいて来たた。

 やっぱり盗み聞きしてたんじゃない、それを恥もしないでズケズケと。

 どうして人間達って、こうデリカシーが無いのかしら……。


「ぼ、ぼくが君を守る!」


「…………弱虫の貴方に、何が出来るって言うの、あっちに行って!」


 うぅ、臭い……。


「そ、そんな……。確かに今までぼくは弱虫だったかも知れないけど……

ぼっ、ぼくは! き、きき、君のことが」


「そこまでだ、もう遅い……『月夜の風狼家』のお出ましだ。

それも、どうやら話す気はないようだ─── 」



─── シュルル……ストトトトト……ッ!



「ゆ、弓を使った⁉︎ いきなり⁉︎ て、敵扱いじゃないかッ!

─── おおい! ぼくだ、パガエデがここにいるぞ! 矢を放つな!」


 あれは集落の戦士達だ、パガエデが叫んだのが聞こえたのか、馬上で何やら指示を出し合ってる。

 そしてすぐに向き直り、こちらを見ると、大きく膨らむように分かれて早駆けを始めた。


 青空の下に、刃の反射が一斉にきらめいた。


「……抜いたな。二人は下がってろ」


 アルフォンスが剣を抜いた。

 魔剣なのかしら、物凄く禍々しい不気味な風を纏ってる……。


─── でも、魔剣が持主に愛おしそうに微笑んでるような気がする


 この人は、一体何者なんだろう?

 自分の命の危機が迫っていると言うのに、私は彼の大きな背中に、興味を惹かれて仕方がなかった。




 ※ 




「チッ! 風の機嫌が悪ぃ、矢が当たらねぇ!」


「なぁ、オイ。パガエデが止めろって騒いでるぞ? 本当にやるのか……?」


「当たり前だ。ブラウル亡き今、もう俺達の伝統を侮辱するものはいない……。

パガエデには悪いが、兄と同じ所に行ってもらおう」


「……まあ、すでにひとり殺っちまったんだ、後には退けねぇか!」


 流石は草原、遮蔽物しゃへいぶつのない場所は、俺の【地獄耳デビルイヤー】がよーく仕事するなぁ。

 ……長男はすでに殺されていたか。


 『利害が絡むと血も涙もない』だったっけか、ドギのバルド族講習、すげぇ役に立ってんじゃねぇか!

 ブラウル亡き今、改革派を根絶やしにするつもりって事ね……。


 ……なら、火の粉は払うまでだ。



─── 【斬る】‼︎!



 彼らの握る薄く幅広でしなりのいい柳葉刀りゅうようとうの刃が、草原の空に砕け散った。

 同時に、いきなりあぶみを失った数名が、派手に落馬する。


 落馬を堪えた者達も、武器と鐙を失って勢いを急激に失い、馬のコントロールを乱した。

 ここで一気に決めるか。


 そう思って、夜想弓セルフィエスを喚び出そうと手を用意した時だった……



─── 【 息 あ る 事 の 幸 福 を 知 れ 】



 どこまでも透き通った、凛とした声が世界に響いた。

 突如、迫り来る馬族達が、胸や喉元をむしりながら、馬上から崩れ落ちた。


「あれ……殺しちゃったのか?」


「いいえ、血の中の成分を少し奪っただけですよ。急激に脳が窒息して、失神しただけですから、心配はいりません♪」


 今の『神の呪い』だよな……?

 ティフォの成長もヤバイけど、ソフィアの奇跡も大概だ。


 パガエデが混乱して、上ずった声を出してるけど、それは親類が襲って来た事に対してなのか、ソフィアの起こした目の前の事態に対してなのか。


「……やっぱり、私は殺される事に……なっちゃったみたいね?」


「そうだなぁ、目撃者も残さない勢いだったし、そのつもりだったろうな。もうすでにひとり殺してるみたいだしな」


「え? 貴方にもさっきの会話が聞こえてたの⁉︎ ……貴方たち、本当に人間? さっきの技も何? 魔力が凄く動いたけど、今のは魔術じゃなかった……」


 スタルジャが不審げな顔をしている。

 流石はエルフか、魔力の動きには敏感なようだ。

 その横でパガエデが、膝をついてブツブツと何かを呟いている。


「まあ、魔術みたいなものだ。俺達も冒険者の端くれだからな、戦闘の技術は独自に磨いてる。

……それよりも、今は今後の事だ、これでパガエデも居場所を失った訳だが……?」


「……ぼくは……誇り高き戦士、ブラウルの息子……ぼくは……誇り高き戦士、ブラウルの……」


 あぁ、壊れちゃったか。

 純朴そうな少年だもんな、身内に親兄弟が殺されて、自分も狙われてるとなれば……。


「取り敢えず、ここから移動して、パガエデを受け入れてくれそうな集落を探しに行くか。

スタルジャ、君は自分の所には戻れそうか?」


 何て微妙な顔をするのか……。

 見た目には、ティフォとソフィアの中間くらいの、あどけなさの残るエルフは、眉を困ったように寄せて頼りなく微笑んでいた。


─── 直ぐに帰りたいと言い出さない時点で気がつくべきだったか……


「どちらにしろ、ここを離れた方がいいだろう。パガエデの馬族とは関わりのなさそうな集落があればいいが……。

取り敢えずは、このまま北上して街を目指す方がいいだろ」


 そう言うと、パガエデは少し驚いたような顔をしてうなずいた。

 スタルジャも小さく頷く。


「今後の事も、ゆっくりでいい、話しながら歩くんだ。

重たい気分の時は、少しでも話した方がいいし、歩きながらの方が声が出るもんだ」


 パガエデの背中に手を当てる。

 細く見えて、筋肉はしっかりしていた。


 二人に少しでも気持ちを軽くして欲しくて、【浄化グランハ】の魔術を掛け、汚れを落として清める。


 今までスタルジャの耳を隠していた、打ち捨てられたボロ布を、ソフィアは忍びなく思ったのかスペアの僧服を彼女に着せていた。

 身長はソフィアと同じくらい、最初に男だと間違えたくらいだしな。

 僧服に袖を通した彼女は、すらっとしたなかなかの美人さんだった。


 幾分か気持ちが晴れたのだろうか、スタルジャはやや顔に明るさを取り戻し、ソフィアに礼をしている。



─── そこでもやはり、畏怖と歓喜の混じったような、不思議な表情でソフィアを見ていた



 彼女はソフィアに、何を思っているのだろうか……。




 ※ ※ ※




 ぼくが初めてラウペエルフを見たのは、八つの頃だった。

 酷く日照りの続いた年で、鳥も獣も獲れなくなったぼく達の一族は、西側のまだ獲物の多い地域に移動していた。

 ようやく馬を充てがわれたばかりのぼくは、皆におだてられながら、必死に家族の後をついて行くのがやっとだった。


 狩りをしながら移動して行くぼくらにとって、獲物を狩る事は、直接命に繋がる。

 あの時、とてもひもじい思いをしたし、大人達が皆、辛そうな顔をしていたのを、今でもはっきりと覚えてる。


 何日進んだのか、ある時から急に獣が多く見られるようになって、毎晩のように宴をしては、西へ西へと進んで行った。


─── そんなある日、ぼく達は遠くに、風変わりな集落を見つけた


 牛、馬、山羊、羊……家畜がほとんど見当たらないその集落には、牧草とは違う植物がたくさん育てられているのが見えた。

 それが畑と言うものだと、ぼくはその時、初めて知った。


 馬族と遊牧民以外の、農耕民族を見たのは初めてだったんだ。


「─── ありゃあ、エルフか! 初めて見たぞ。

そうか、あいつらは狩りをしないからな、だからこんなに獣が多いのか、この辺は」


「どうする? 思い切ってやっちまうか。大した数じゃねぇし、見れば男達もほとんどいねぇ」


 獲物の数が足りていれば、遊牧民達と交易もするけど、足りなくなれば力で奪う。

 野蛮な事だと父上は言っていたけど、ずっと馬族はそうして生きて来たと、族長達は当たり前の事だと言っていた。


「この辺はまだエルフの勢力圏の入口だ、あそこの集落は小さくても、その後ろは分からん。余計な騒ぎは起こすな、戦になったらどうするつもりだ!」


 父上がそう言うと、みんな黙ってしまった。

 誰もが父上を尊敬しているのだと、その頃のぼくは誇らしく思っていたりした。


 結局、問題を起こさないようにと、族長の息子達が狩りの許可を取りに行って、その間、ぼく達はそこから少し離れた場所で狩りをする事になった。


 交渉に行った人達が帰って来たのは、日が暮れた頃の事。

 大人達が声を荒げて話し合っているのが、とても怖くて、テントの中に縮こまっていたけど、よく聞こえてしまったし、その内容は忘れもしない……。



「狩りの許可どころじゃねぇ! アイツら、俺達をまともに見ようともしねぇで、顔を背けたまま『帰れ』の一点張りだったんだ!」


「……だからってお前!」


「それだけじゃねぇ! 獣を食う俺達は、獣以下だとか抜かしやがって、挙げ句の果てには俺達の神『風狼』を、存在しもしない寝言だと言いやがった!」


「「何だとッ‼︎‼︎」」


 戦士達が一気に殺気立つのが、テントの中からでもヒシヒシと感じられた。

 ……あれでは父上も止められないかも知れないし、もしかしたら、父上までひどい事をされるかも!

 そう思ってテントを飛び出したぼくは、みんなの集まる所に行って、その光景を目にした。



─── ……ひっ!



「パガエデ……テントに戻っていろ。ここは大人の大事な話の場だ」


 いつも優しい父上の声が、凄く怖く聞こえた。

 ぼくは立ちすくんで足が動かなかった。


─── 男衆の服は血だらけで、手には束ねられた生首がいくつもぶら下がってた


 それだけじゃない、顔をボコボコに腫らせたエルフの母娘が、縛られて転がされていた。

 何人かがまだ、その二人を蹴っている。


「……あ……う、ち、父上……?」


「テントに戻れッ‼︎」


 父上の怒鳴り声で、ぼくは弾けたように踵を返して、自分の寝所へと逃げ戻る。


「パガエデ……『』なんて大層な名前が泣いてる。情け無い」


「弟の悪口は止せ、あれは知恵がある。勇気は後から育つものだ」


 兄上と父上の声が、ぼくの胸を酷く傷つけたのを覚えてる。


─── その後、蹴られていた母親の方は死に、その娘を人質に、再交渉に向かったらしい


 でも、あの小さな集落は、エルフ族のはぐれ者だったみたいで、エルフ族との交渉は上手く行かずに、結局交戦になってしまった。

 エルフ達の使う毒矢と魔術に、ぼくらの一族も何人か死んでしまったけど、最後は勝利を収めた。

 その時は幼心に怖かったけど、誇らしさも膨れ上がって、はしゃいだのを覚えてる。


 ぼくらはその地で一年過ごし、やがて今の集落の地域へと帰った。

 人質の女の子は、何故かそのままうちの奴隷となって、一緒に暮らす事になる。


─── スタルジャ。白く美しいエルフの娘


 ぼくが彼女に恋心を抱くのに、そう時間はかからなかった。

 スタルジャは誰とも顔すら合わせないし、ほとんど口を利かない。

 だけど、時折月夜に隠れて歌う、彼女の歌声に心奪われてか、ずっと彼女を目で追い続けていた。


 男らしく、彼女を求める事が出来なかったのは、彼女が外国人と同じ余所者扱いだった事もある。


─── でも、本当の理由は、兄上とスタルジャの言い争いを耳にしたからだ


「……目障りなんだよ、ラウペ! 余所者が同じ屋根の下にいるのは反吐が出るぜ!

狩りも出来ない臆病者が、誇り高き俺達『月夜の風狼家』に養われるなんて、恥ずかしくないのか⁉︎」


 とある夜、眠れなくて散歩していたぼくの耳に、長兄の声が飛び込んだ。

 集落から少し離れた場所で、スタルジャと兄上の姿を見つけた。


「本当はあの時、お前はとっととくたばってたんだよ! お荷物は臆病者の国に帰ったらどうだッ!」


 父上の手前、みんなやらないけど、兄上達や集落のみんなは、時々隠れて彼女に言い掛かりをつけていたのは知ってた。

 そして、彼女はいつも何も言い返さずに、ただジッと顔を背けて耐えている。


 しかし、その時は違った……


「─── 臆病者? 井戸に毒を流して、野盗紛いの真似をするのが誇りなの……?」


 …………ずっと疑問だったんだ。

 どうしてぼくらの一族が、エルフなんかに勝てたのか。

 ぼくらの何倍もの寿命で、弓と魔術を鍛えた彼らに、どうやって勝てたと言うのか。


「……う、お、お前……ッ」


 兄が後退り、尻餅をついた。

 スタルジャの体から、薄緑色のオーラが渦巻いて、同じ色の髪をターバンごと空に舞い上げている。


 魔術だ……!

 兄上が殺されるかも知れないと言うのに、ぼくはその場で硬直してしまった。


「ま、魔術か! なんでお前が使えるんだ! シャーマンの入墨で、魔術は使えなくしたんだろ⁉︎」


「…………そんなの、貴方の父親の妄言よ」


「ひっ! よ、よせ! そんな事をしたら、お前を一族みんなで─── 」


「─── ちょっと脅かしただけよ。……臆病者ね」


 きびすを返して、ぼくの方を見ながら、彼女はそう呟いた。

 少し欠けた月を背に、薄緑色に煌めく瞳は、ゾッとする程に美しかった。


 あれから数年間、隠れて彼女に言い掛かりをつけていた連中は、急に大人しくなった。

 奴隷とは言え、普通に家の手伝いをして暮らす彼女は、穏やかに過ごしていたように思う。


─── 臆病者


 しかし、彼女の言葉は、ずっとぼくの心の底にくすぶり続けていた。

 そして、父上が彼女を守り続けていたのは、父上なりの罪滅ぼしだったのかも知れない。




 ※ ※ ※




「んじゃあ、行くとするか。ソフィ、この近くの街は見つけられそうか─── 」


「待って! ぼくは父上の意思を継ぐ! このままエルフ族の元へ、ぼくが彼女を返しに行くんだ!」


 なんか鼻息荒く、黙り続けていると思ったら、パガエデが急に気合の入った宣言をした。


「……貴方には関係ない。それに私は帰ったって、居場所がないのよ……」


「だからだ! 君が元々エルフ族でどうだったのかは知らない。でも、君達に酷い事をして、君を人質にしたのは、ぼくの身内だ。

しかも、また身内の愚策で、君の居場所を奪おうとしてる─── 」



─── ブチッ!



 パガエデがうなじに一本、長く伸ばしていた三つ編みを、ナイフで切り落とした。

 あれ、確かこう言うのって、その部族の男の証とか、そんなんじゃないのか?


「なら、ぼくは『月夜の風狼家』を抜ける。ひとりの男として、今度はぼくが君の居場所を作る!」


「…………殺されるわよ? エルフ族は誇り無き卑怯者を嫌うし、仲間への恨みは忘れない」


「─── 構わないッ!」


 うーん、弱々しい奴かと思ってたら、男気あるんだなぁ。

 こう言う実直な感じって、ポイント高いんじゃないの?


 そう思ってスタルジャを見たら、鼻を背けて震えてる。

 あちゃぁ、【浄化グランハ】じゃ臭い取り切れなかったか……。


 ソフィアとティフォはと言うと、話が長くなりそうだと察して、手遊びを始めていた。

 正直、俺もあっちに混ざりたい。

 あの手遊び、何回やっても覚えられないから、苦手なんだけどね。


 と、スタルジャが顔を背けたまま、顔を真っ赤にして震えてる。

 もしかして、脈あったか⁉︎


「…………………………って……」


「え? なんだい、スタルジャ。ぼくに何でも言ってくれ! ぼくにはその義務がある!」


 パガエデが情熱的な表情で、彼女に迫る。

 押せ、押せ押せパガエデ!


「お風呂に入ってって、言ってんのッ‼︎ あんたが臭くて、話が頭に入ってこないのよ!

─── うぷっ」


 えぇ……えずいた……。

 切なげに歌うような表情を、今もろに見ちまった!


 この時、ようやく分かった。

 ドギの説明で、バルド族が風呂に入らないって事と、この地のエルフが、人に対して顔を背けて距離を取ろうとするばかりだって事。


 んで、確かエルフは五感が鋭い。

 中でも耳と鼻は人間の数万倍も優れてるって、教わった事がある。

 そんな点と点が繋がって、線になった時、パガエデの気合の抜け切った、悲しげな呻きが木霊した。


「─── えぇ……。ぼく、臭い……?」



「「はいっ☆」」



 偶然のいたずらか、女神二人の手遊びのキメポーズと合わせて、元気な声を出すタイミングがバッチリと一致した。


 スタルジャと同時に、三人の女性に烙印を押された形になり、パガエデは膝をついていた。


─── ダラン最初の旅が、魔族襲来、馬族襲来、お風呂造りになるとは、誰が予想しただろうか……


 ともあれ、ただ通り過ぎるはずが、数奇な出会いによって、ダラン西側のエルフ族の領域に足を運ぶ事になりそうだ。


 エルフか、父さんと近親と言えば近親種族だしなぁ、長寿命のはずだから、この国の事にも詳しいだろう。


─── 『死の丘』について、分かるかも知れない


 あれがただの夢だったとは、未だに諦め切れない何かがあるんだよなぁ……。

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