第四章 草原のダラングスグル共和国

第一話 ダラングスグル共和国のバルド族

 水龍船がアケル最北部に差し掛かると、南北に真っ直ぐ続いていたガグナグ河が、細く緩やかに、大きく西側へと曲がり始めた。

 段々と河岸の森が消え、右手は険しい岸壁、左手は砂地と、風景が二分されて行く。


 岸壁側は密林国アケル、砂地の先には次の通過国『ダラングスグル共和国』

─── 通称ダランがある。


 もう間もなくその入口となる、アケル最北の川港に到着するだろう。

 船旅はそこで終点だ。


 父さんの手紙に示された、俺の両親のいると言う場所

─── 『キュルキセル地方ケファンの森』


 そこを目指すには、必ず通らなければならない国がダランだ。

 ダランからケファンの森へは、二つのルートがある。


─── 最速ルートと、最短距離ルート


 最速ルートは遠回りにはなるが、世界最大の貿易陸路『栄光の道』の、整地された馬車道が使えるため、結局は最速となる。

 最短距離ルートは、通る道を二カ国減らせるが、砂漠と高山地帯の険しい悪路を通るため、時間が掛かってしまう。


 俺達は最短距離ルートを選んだ。

 悪路や気候の厳しさは、俺達には全く問題ないし、この旅に出る時に頼まれた事があったからだ。


─── シモンの妹に、託された手紙を渡す


 『栄光の道』を通る最速ルートは、シモンの故郷である、メルキア公国を通らない。

 最短距離ルートなら、ダランとその次の『シリル王国』を越えれば、シモンの実家『メルキア公国』を通過する。

  もちろん、世界最大の貿易陸路だって通ってみたいから、そちらは帰りの道で使うつもりだ。


 俺の実の両親と会って、俺の出生を知る事は、ソフィア曰く『大きな運命に巻き込まれる』事になるらしい。

 もし、何か大変な事になったら、その時こそ最短ルートを通れなくなって、メルキアに寄れなくなるかも知れない。

 だから、俺達は最短ルートを選んだ。



「うおぉいッ! 見えて来たぞッ!」



 熊耳の親方が船室の外で叫んだ。


 砂地側の岸に、薄っすらと街が見えている。

 今までの密林を通る河と違い、砂地の続く土地の風景は、遠くまで見渡せた。

 と、船室から顔を出した俺達に、ペイトンが声を掛けて来た。


あんちゃん、もうちっとで終点だ。わしらは二、三日ここで商談があるから、着いたら一旦お別れだ。

─── おおい! ドギ、こっち来い!」


 そう呼ばれて現れたのは、狼顔の獣人だった。


「おめぇなら適任だな! ちょっくら街で兄ちゃん達を案内しがてら、ダルンの事でも教えてやれや」


 ドギと呼ばれた獣人は、気楽にへいへいと返事を返して、手を差し出して来た。


「あ、ども。背黒狼族のドギっす。……まあ、ダルンの連中はクセがあるっつうか、個性がこんがらがってんで、オレがご案内するすよ。

どぞ、よろしく」


「俺はアルフォンスだ。済まないがよろしく頼むよ、何分この国は初めてなんだ」


 ドギは眼を細めて人懐っこく笑った。

 うはっ、狼はいっぱい見てきたけど、友好的に笑ってくれる狼は初めてだ……!

 いや、彼は狼じゃなくて獣人なんだけど、顔が丸々狼だから、妙に感動してしまった。


「もちろんっすよ! お任せくださいな。会長様に失礼があっちゃあ、オレっちなんざ暖炉前の敷物にされちまいますからね」


「『』ではないん……いや、もういいや。こっちは連れのソフィアとティフォだ」


 もういい加減、彼らに俺がである事を否定し続ける意味がない気がして来た。


 ドギはソフィアとティフォにも、頭を下げてにっかりと笑った。

 だが、やっぱりティフォを見た途端に、尻尾が股下からシュパッと丸まって下腹部にくっついた。


─── あ、服従しちゃった


 心なしか、手首も力なく、内側に曲げている。


「あ、貴女様が……ッ‼︎

ティ……ティフォ様で、あ、あらせられるろ……でしたか……」


「ん、くるしゅーない。よきにはかれッ」


 なんか二人して、慣れない物言いで、地が出てるし噛んじゃったよ。

 ドギは微妙な表情で、顔をそらしてる。


「エリンとユニを思い出しちゃいました。

あの子達も今頃、もう旅を始めているんでしょうね♪

困ったりしていなければいいんですけどね」


「えらく張り切ってたもんなぁ。あっちはアケル国内の旅だから、色々助けも入るだろうし、タイロンも一緒だからな。まず大丈夫だろ」


 三人とは予定通り、アケル北部首都の川港でしばしのお別れをして来た。

 ……なんか時折、唇に指を当ててたエリンを直視し辛かったし、ユニも頰を赤らめていた。


 それでも彼女達は、獣人達の地位と戦力向上に、今までになく燃えていた。

 タイロンは相変わらずのポーカーフェイスで分からなかったが、決意の固さは見て取れた。


─── うん。大丈夫だろきっと


 やがて水龍船は、岩を積み上げた、長い桟橋の先に舳先を向けて、そろそろと動きを変えだした。




 ※ ※ ※




「む、ほれ握手握手ッ!」


 顔に垢染みの浮いた褐色の男が、肩と肩がぶつかった瞬間に、険しい顔で早口にそう言う。

 こちらも手を出せば、ガシッと掴んで二、三回ブンブン上下させて去って行った。


─── もうこれで何度目だろうか


 人、人、人、出店のテントがひしめく市場の路地に、バルド人が溢れ返っている。


 ガッシリした体型に、褐色の肌、赤茶の縮れ気味な髪。

 細目が鋭く、油断ない顔の人が多く感じられた。


 衣装は草原を走ったり、馬に乗りやすいように、工夫がされているようだ。

 丈の長い前合わせの服で、背中側は腰辺りまでスリットが入っていて、馬にまたがり易く出来ている。

 その下にゆったりしたズボン、ブーツを履いている。


 紺色の衣装の者が多いが、毒蛇除けに藍染を多用するからだとか、これも草原の知恵だ。

 皆、背中に小型の弓、腰には麻糸を編んだ投石器と細身の曲刀を提げていた。


─── 馬に乗りやすく、背の高い草原も進みやすい、機能的な装備だ


 ここはまだ、アケル国内だが、貿易の街としてバルド人が多く行き交っていた。

 皆、一様に忙しなく速足で歩き、サクサク交差している。

 ……で、ぶつかると今の感じで、ぶっきら棒に握手をして、さっさと別れて行く。


 最初は外国人の俺が珍しくて、握手しに来てたのかと、自意識過剰に恥ずかしがっていた。

 しかし、ドギの説明で合点がいった。


「ここはバルド人が多いんす。やつらは遊牧民育ちで、自分達の力だけでサクサク生きて来たんですよ。

だから、いちいち揉め事にしたりしねぇで、ぶつかった程度なら、握手で即手打ちってのが流儀なんすわ」


 なるほど、小さな里でお互いの関係を重視して育った俺には、カルチャーショックだ。

 一瞬でも自意識過剰になった自分が恥ずかしい……。


「パッと見、不機嫌そうなのが多いすけど、ありゃあ強い陽射しに耐えて来たせいで、目元が険しいだけなんす。酒が入るとゆるゆるになるっすよ。

……オレも初めてん時は、みんな怒ってんのかって、居心地悪かったすけどね?

基本は酒と歌と踊りの好きな、気の良い連中なんで、気にしない事っすわ!」


「へえー、国の違いで色々分からない事もあるもんだなぁ」


 言われて見れば、彼らは忙しなくしているものの、立ち止まっている人々は、誰もが大声でペラペラとよく話して盛り上がっている。

 これだけ人が激しく行き来していても、喧嘩しているのはひとりもいなかった。


「お、握手握手!」


 と、人々を眺めていたら、またひとりぶつかってしまった。


「おお、気にしてねぇよ。あんたも気にすんな」


 そう言って手を握ると、ニカッと笑って去って行った。


「おん? 会長、バルド語話せるすか⁉︎ えっらい流暢に話すんすね!」


「いや……まぁねぇ」


 バルド語は特殊な言語だ。

 北は大国シリル、南はマスラ王国の山脈に挟まれ、アケルとは河で隔絶されるダラン。

 馬族は馬が何よりも大事で、移動は馬が基本なのだ。

 小さい船は作れても、大量の馬を載せられる、大きな船の造船技術には至らなかった。

 草原が多く、木材が少ないというのも理由のひとつかもしれない。


 つまり、他国との行き来が少なかった、独自文化の国である。


 ……だから、言語体系は、かつて何処かの地域から流れて来た時のまま。

 文字も文法も異なるため、言葉での意思疎通も、学ぶ事も難しい。

 もちろん俺はさっぱり分からない。


─── ソフィアが奇跡を使ってるだけだ


 これがもし、ソフィアと再会していなければ、もしくは出会うのがダランの先だったら、ここでかなりの苦労をしてたと思う。

 ありがたいし、運命感じちゃうなぁと、都合のいい方に考える。


「あれ、オレもしかして必要ないんじゃないすか会長……」


「いやいや、言語が使えるってだけで、本当にこの国は初めてなんだ。文化とか必要な事を教えてもらえて、凄く助かるよ」


 ドギの垂れてた耳がぴんと立って、無茶苦茶嬉しそうな顔をする。

 ふさふさの尻尾が、千切れんばかりに揺れて、パタパタいってる。


─── うあぁ……でてぇ……


「……あ、もしかして、それも魔術で話せるようにしてるんすか⁉︎」


「ま、まあ、そんなようなもんだよ」


「かぁ〜! やっぱスゲェや会長様は! オレなんてバルド語憶えんのにどんだけ苦労した事か……」


 ソフィアのおかげなんだけどな。

 ……後でやり方教わっておこう。


「いや、自力で憶えたドギの方が凄いだろ。語学って時間かかるからなぁ」


 苦し紛れにそう言ってみたら、ドギの反応は分かりやすかった。

 ……どうにも褒められるのが好きらしい。


 それとなく耳を下げながら、頭を近づけて来たので、思わず撫でてしまった。

 怒られるかと思いきや、はふはふ呼吸を荒くして喜んでもらえた。


「えへへへ。んじゃあ、オレ、皆さんの宿と必要品用意調達してきますんで、会長達はそこのパブででも待ってて下さい!」


 そう言って、ドギは弾むように、人混みの中を走っていってしまった。


「アルくん、にやけてますよ?」


「いや、ドギの頭がもふもふで……。て、ソフィもにやけてるじゃん」


 なんかソフィアが俺を見て、嬉しそうににやけてた。


「だって、アルくんが褒められたんですよ? 嬉しいに決まってるじゃないですか♪」


「っても、バルド語に関しては、ソフィアの奇跡のおかげじゃないか。俺が褒められるのは、心苦しい」


 そう返しても、ただニコニコ嬉しそうに、腕に抱きついてくるだけだった。

 それに触発されたのか、ティフォまで腕に抱きついてくる。


 わらわらと人々が行き交う市場で、初めて見る光景に心が刺激されるのは、旅ならではなんだろう。

 そんな時にふと浮かぶ『遠くに来ちゃったな』と言う、ほんのりした寂しさも、今は二人の女神のお陰で吹き飛ばされていた。




 ※ ※ ※




「くほぉ〜、これは効きますねぇ〜☆」


 ソフィアがほんのり頰を紅くして、椀に注がれた酒をグイっとあおった。

 左手には真っ白になるまでかじられた、牛の骨がプラプラ揺れている。


「あー、ソフィアさん、その酒はつよいれふかられ? ゆっくりのまらいと、やば……まあ、いいや! うへへへへ……」


 ドギがテーブルに突っ伏して『伏せ』したみたいになってる。

 宿を取って、そこに必要品を預けてくれた後、彼は俺達のいるパブに来て、そのまま食事になった。

 とは言え、バルド人相手のこの店は、基本飲み屋で、結局ただの酒盛りに流れ込む。

 バルド人はかなりの酒好きらしく、まだ陽の高いこの時間から、ヘベレケになってる者が多い。


 ドギを待ってる間、簡単なチーズと薫製肉をつまみに、馬乳酒を呑んで待っていたが、ドギが参加してからは、この国伝統の火酒の試し飲みになっていた。

 最初に飲んでいた馬乳酒は、馬の乳から作った酒で、味は酸っぱい乳、酒精は麦酒より弱いくらい。

 パブには子供連れもいて、これを小さな子が呑んでいるのを見て驚いた。

 彼らは幼い頃から、蛋白源と水分補給にこれを飲むそうで、だからみんな酒好きなのだと言う。


 で、今飲んでいる火酒だが、基本はこの馬乳酒を蒸留した透明な酒で、やや乳の匂いがして飲み口は柔らかいが、とにかく強い。


「あー、ティフォが黙々と呑んでるって事は、これ相当強いぞ……? てか、味比べとか言っても、もうどれがどれだか分かりゃしねぇ……」


「ん、オニイチャ、それは赤い馬の絵のかめのやつ。さっきのより澄んでて、やらかい感じ」


 俺達のテーブルには、少しの料理と、酒のかめが所狭しとゴロゴロしていた。

 確かに彼女の言う通り、さっき飲んだやつは、少し黄ばんでて、薄っすら脂が浮いていた。

 ちゃんと飲み比べを続けてたのか……。


 顔色は全然変わらないが、ティフォの目は少しトロンとしてる。

 そう言えば、彼女が酔い潰れてるのを、俺は見たことが無い。

 ソフィアは結構、酒乱のクセがあるが……。


 そのソフィアはと言うと、左手に持った牛の骨をフリフリして『あ、柔らかくなった?』とか呟いて笑っている。

 うん、末期が近いな、これは。


「うい、ソフィ、これ飲んどけ……」


「あら、アルくんありがと……グビッ……。

─── ブフォッ!

……何れすかこれ、ただの水じゃですか!」


 気づかれたか。

 と言うか、後半呂律があんまり回ってなかったぞ?


「ちょっと飲み過ぎだよソフィ、一旦でいいから、水飲んで酔いを軽くしとけって」


「─── はぁうぅ……やっぱり、私のアルくんは、やさしぃ〜 ///」


 と、言いながら、また酒の入った椀を煽ってる。


「アルくん……貴方はいっっつも、優しいすけどぉ、ここは譲れんのれす……

神界で溜まった苦悩は、おしゃけだけが、薄めてくれるんれすよぉ……」


「…………なんか知らないけど、大変だったんだなソフィも……」


 そう言いながらティフォを見ると、うんうん頷いている。

 どの世界の神界も大変って事か。

 ……なんか夢ねぇなぁ。


「……うぅん? しんかい……れすか……?

かいちょー、何の話してんすかぁ、オレも仲間に…………うぼぼぁっ」


「うわっ! ドギが吐いたッ⁉︎」


「あはっあはははは♪ 呑むなら吐くな、吐くなら呑むなーれすよぉ?」


「……でも、ドギえらい。ちゃんと、空の甕にはいた。ひがい、ゼロ」


 ドギはかめを抱えて突っ伏したまま、ぱた、ぱた、と弱々しく尻尾を振って、ティフォの声に応えていた。

 小さく呻くように『案内人根性っすよぉ……』と甕にこもらせて呟く。


 一番先に酔い潰れて、案内人も何もあったもんじゃないとは思うが……。

 結局、その後にすぐソフィアも寝始めてしまい、お開きとなった。

 飲み口の柔らかい蒸留酒とは、恐ろしいものである。


 二人を宿まで運び、寝台に横になった時には、外は暗くなっていた。

 ティフォは甕を抱えて、ソファに正座していたので、まだ飲み続けるつもりだろう。


 いくつかティフォと会話しているうちに、俺も気がついたら、カクンと眠りに落ちていった……。




 ※ 




─── はた……はたはた……


 ふと、目を覚ますと、真っ暗な部屋の天井に、黒アゲハが飛んでいる。


(夜切か……? 今日はお休みじゃあ……)


 蝶の飛ぶ姿を見ながら、そんな事をぼんやりと考えていた時だった。


─── …………シャ…………ン…………


 何か遠くで音楽が聞こえた気がした。

 そちらに意識を向けたが、よく分からない。

 聞き取るのを諦めて、天井に意識を戻すと、黒アゲハの姿は消えていた。


(……帰ったのか……夜切……?)


 と、その時、今度は確かに音が聞こえた。

 さっきまで聞こえていた音楽は、音楽ではなく、一定リズムで振られる錫杖しゃくじょうか、鈴のような物の音だと分かった。


─── 何かが近づいている気配が、部屋をざわつかせていた


「……だぁ……れぇ……だ……⁉︎」


 声を出そうとすると、口と舌が上手く回らず、言葉にならない。

 どうやら身体の自由も、ほとんど奪われているらしい。

 

 成長期の頃に何度か金縛りになった事があったが、それに似ている。

 それならばと、力任せに勢いよく足を動かそうと試みるが、何の効果もない。

 ……その内に全く動けなくなった。


(これは……金縛りとか、単なる寝ぼけ何かじゃない……ッ‼︎)


─── 部屋中に、途轍とてつもない圧迫感が生まれた


 その直後、さっきまで夜切が羽ばたいていた辺りの天井から、光の球が音もなくすり抜けて現れた。

 それはゆっくりと俺の真上に移動して、緩やかに上下している。



─── ……エ…………スカ……?……



 琴のように済んだ女性の声が、頭の中に響いた。

 何かを問われたようだが、よく聞き取れなかった。



─── ……コエ……マス……カ……?



 『き こ え ま す か』と言っているようだ。

 その問いが何度か繰り返され、声が近づくように、少しずつ聞き取れるようになった。



─── ……私……ハ……※※※※……


─── ……死の……丘……で……


─── ……お待……ち……しています…………



 声が終わった瞬間、強いノイズが頭を揺らし、部屋の圧迫感と共に光の球は消えていた。


「……夢……だったのか……?」


 声が出せた。

 体も動くようになっている。


 思わず跳ね起きたが、部屋には何の異常もなく、皆の寝息が聞こえていた。

 ティフォはソファで寝落ちている。

 体が動かなくなる直前、錫杖のような音が聞こえた時、ソフィアのうなされる声が聞こえた気がしたが、今はスヤスヤと眠っていた。


─── 何も異常は起きていない


 まだ少し心臓は高鳴っていたが、横になるとすぐに眠気の波が襲って来たのか、思考が上手くまとまらなくなって行く。


 手足の力も抜けて行き、しかし力がみなぎる感覚も湧き上がっていて『ソフィアと契約更新した時みたいだ』と感じた時、俺は眠りに落ちて行った。




 ※ ※ ※




「……とまあ、そんな感じで、この国は三つに分かれてるんすわ」


 翌日、ドギは俺達に、ダラン国内の情勢について説明してくれた。


 かつて大昔のダランは、西側に広がる海に面して、大きな国が独自の文明を築いて、存在していたと言う。

 その国は何度かの戦争と、気候変動で滅亡し、今は広大な砂漠に呑まれている。

 そこには現在『ムグラ族』が住む。


 ムグラ族は、かつて獣人と交わって、過酷な環境に生きる力を手にした種族で、今はその地域から一歩も出ずに暮らしている。


 文明は滅びはしたが、当時からこの地にいたエルフの亜種族『ラウペエルフ』は健在で、姿を隠して草原の何処かに暮らしているらしい。

 極稀に姿を見せるが、人をえらく嫌っているのか、すぐに顔を背けて去って行くそうだ。


 ちなみに『ラウペ』とは『地を這う』とか『這いずる』と言う意味のエルフ語だ。

 おそらく森に住むエルフ達から、呼ばれていた蔑称べっしょうだろうと思う。


 エルフ族は基本的に森に暮らし、森の智慧者である事を誇りにする傾向がある。

 ドギは知らずにその呼び名を使っていたが、多分本人達の前で言ったら、ブチ切れるんじゃないかと思った。


 そして一番数の多いバルド族だが、文明が滅びた後、土地が落ち着いた頃に何処からか流れて来た遊牧民族だと言う。


 数百年前までは、それ以外の少数民族もいたが、当時かなりやんちゃだったバルド族に滅ぼされ吸収されて行き、今は存在しない。

 過去に何度か、ラウペエルフとも抗争を起こしたが、これを討ち亡ぼす事は敵わず、今の状態に至るそうだ。


 バルド族は砂漠以外のほとんどの地域。

 ラウペエルフは西側の一部草原に。

 ムグラ族は最西の砂漠地帯に。


 住む環境の差もあるが、大まかに種族はこの三つに分かれて、この国は存在している。

 『ダラングスグル共和国』は、この三つの勢力が共存していると言う事ではない。

 バルド族の複数の血縁勢力同士に別れて、それぞれの自治区で成り立っているからだそうだ。


 これまでは、それぞれの土地問題が課題のバルド自治だったが、最近は一部の自治区に帝国派が現れて何かしら、いがみ合っているとも言う。


「エルフの方は、まあ会う事もないでしょう。オレ達の中では、ただの迷信じゃねぇかって噂になるくらい見ないですし。

ムグラも栄光の道から、かなり西にいかねぇと会えませんからね」


「じゃあ、とりあえずバルド族についてだけ知っておけば良いって事か」


「そうすね。バルドの連中は、基本的には昨日見たままっすけど、いくつか注意点はあるっすよ」


─── バルド族は家族単位で遊牧していて、親や本家への尊敬が高く、特に神への信仰が強い


「これを侮辱すると、親族総出で大暴れっす」


─── 地位の高い者は、賄賂わいろが当たり前


「基本的に金を喜びません、特に街から離れる程、自給自足なんで鼻で笑われます。

賄賂わいろの品は、オレ達が用意してますんで、後で持って行って下さい」


─── 出された食べ物は、絶対残すな


「彼らの信条に関わりますんで、キツくても食べ切った方がいいす。

下手すると、これだけで友好関係が白紙にされるんすよ……」


─── 狩猟系馬族は、利害が生まれると、血も涙も無い


「別に商売とかで関わらなければ、特に問題はありませんが、利のある事には容赦ないす。

遊牧系はしませんが、狩猟系は奴隷を使います。もし奴隷を見かけても、この国では合法っすから、何も言わない方が賢明すな」


─── 風呂が無い


「乾燥地帯で水場がほとんどないんすわ。んで、乾燥してるからほとんど汗かかないんで、たま〜に体を拭くくらいす。

極たま〜に水浴びか、もっと極たま〜にお湯沸かして布で拭きます」


「……まあ風呂が無くても、俺達には【浄化グランハ】の魔術があるから、問題は無いけど……」


「あ、会長達が風呂に入れないって事の心配じゃないす。つまり彼らの体は……」


 ……それは市場で、彼らとすれ違った時に、何ぁ〜んとなくは……ね。

 まあ、そこはそう言うものだと、気にしない方向で……


「普段はいいすけどね。これは気候上まず無い事っすけど、もし万が一雨に振られて、彼らのテントに招かれた時は、覚悟してください」


「……分かった。それはいいとして、賄賂わいろが金じゃダメって、どうすりゃいい?」


 行政が進んでない国内を移動するってのは、思いの外、その地域の権力者に融通をお願いする場面があるもんだ。

 ギルドもないこの国では、魔石なんて意味ないだろうし、お金が通用しないのは問題だ。


「基本は食べ物なんかの嗜好品、珍しい道具とかも有りっすかねぇ……。

でも、やっぱり一番はっすよ!」


 そう言って、ドギは小さな直方体の木箱を取り出した。


「……へへへ、これの魅力には、彼らもイチコロっす。一度この快楽を味わったら、効果が切れて来た頃にはもう……へへへ」


「……おい、変なクスリとか、ヤベェのは願い下げだぞ⁉︎」


─── パカッ


 ドギがニヤリと笑って、箱の蓋を開けた。

 中を覗き込んで俺は小首を傾げ、ソフィアとティフォは、むふふと笑っていた。


「……これが……これがそんなに凄いのか?」


「へへへ。ってみりゃあ分かるっすよぉ」


 なんだかドギが物凄く悪い顔になってるが、俺は今いちピンと来なかった。

 賄賂の品については、その後、遊牧民の生活様式から説明を受けて、ようやく理解できた。


 そんな感じでギドからレクチャーを受け、この国の文化について教わっていた。

 今までの国でも、文化の違いはあったが、地続きで交流のある土地なら、それ程大きくは変わらなかった。

 ペイトンの爺さんが、ドギをつけてまで教えようとしてくれただけあって、この国は中々に文化の隔たりがあるようだ。

 途中、何となく気になっていた地名を、彼に聞いてみた。


「……なぁ、ドギ。『死の丘』って、聞いた事あるか?」


「………………んー、聞いた事ないすねぇ。名前からすっと曰く付きっぽいすけど、バルド族は話好きなんで、有名だったらオレも聞いてるはずっすけどね。……調べましょうか?」


 有名な土地でもないのか、それとも昨夜のは本当に夢だったのか。

 あの時飛び回っていた夜切に聞いても、昨日は俺の寝始めの心が乱れていて、繋がらなかったとボヤいていた。

 ソフィアとティフォは、何も分からず寝ていたらしいし、あの出来事は突拍子もない夢だったように思えた。


 ……体にみなぎった力は、今もそのままだ。

 ただ、それも気分の問題だと言っても良いくらい、わずかな違いでしかない気がする。


「いや、多分気のせいだ。調べなくていい。話を遮って悪い、続けてくれ」


 そうして案内役のドギから、二日に渡ってこの国の歩き方を聞いた後、俺達はペイトンのいる『熊耳商会』へ向かった。


─── いよいよ明日から、このダルンを三人で旅する事となる

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