第十話 地下室の覚悟
熱帯雨林の押し広がるような密林が、一本一本、高くそびえる深い緑の葉を茂らせた樹々の森へと移り変わる。
切り立った岩肌と、起伏の激しい北部の大地は、自然の厳しさの性質が異なっている。
今、その大地を包む、
※
「父上、これから私達は、一体何処へ向かえば……」
ようやく逃げ切れたと思った矢先、影から湧き出すように、あれらは大地に押し寄せた。
共に逃げていた獣人族の人々と、よじ登るように上がった岩山まで、流石に追っては来れないだろう。
ここにいる限り、襲われる心配はなくなった。
─── しかし、切り立った岩山のここから先はなく、すでに退路も絶たれている
「……ここでしばらく息を整える。
魔術を扱えぬ獣人達に、アンデッドとの戦いはのぞめまい。
もしもの時は、我ら鬼族が妖術で引き留め、彼らだけでも逃す……。鬼の誇りだ。
絶対に生きろ、しかし、無理なら己を責めるな。
…………その時は、共に死んでくれるな?」
「─── はいッ!」
屍人に埋め尽くされた、谷底の道を父上は見下ろしたまま、そう私に告げた。
水も食料もない、この岩の上ではそう長くも留まれまい。
『鬼族の誇り』今はただそれだけが生きる理由でしかない。
……それだけ、下の光景は絶望的だった。
─── 地獄の蓋が開いたかの如く、死霊共で街も谷も埋め尽くされた
「……お、おい……嘘だろ……」
ふと背後の獣人達が、そんな声を漏らした。
彼らは遠くの空を指差し、力なくへたり込んだ。
「…………ッ⁉︎ 父上ッ! 東の空をッ‼︎」
黒い雲の流れかと最初は思った。
しかし、獣人の視力と鬼族の千里眼は、それがより大きな絶望をもたらすものだと、知らしめる。
「ワイバーンの群れ……。いや、グリフォンの……群れまで! な、何故、この地方に……」
「戦える者は前に立てッ! 戦えぬ者を一つにまとめ、囲い込むッ!」
─── 無理だ
そんな事が無理な事は分かっている。
ワイバーン一体でも、その爪と牙だけで、小さな村など簡単に壊滅する力を持つ。
……それがあんなにも空にひしめき合って迫っている。
更には、それよりも強力だと言われているグリフォンの群れまで。
「…………鬼神様、我らに最後まで誇り高く闘える、荒ぶる御心をお与え下さい……」
ここまで共に逃げ延びた鬼達から、誰ともなく我らの神への祈りの声が絞り出された。
「……速いッ! もうあれだけ近くに……!」
「武器を構えろ! せめて一太刀、奴らにくれてやれッ!」
獣人達も魔物となら戦える。
父上の声に応え、その鋼のような肉体に闘気を纏わせた。
そして、迫り来る影は、世辞の歌を詠む
─── ………………ゴゥ……ッ‼︎
上空を影が覆う。
間近にすれば、その群の規模は圧倒されるばかりだった。
しかし───
「………………通り……過ぎ……た?」
直後、足元から轟音と衝撃が、突風の如く吹き上がった。
地に
「ワイバーンとグリフォンが……屍人共を捻り潰して……いる……?」
まるで理解の出来ない光景が、今まさに繰り広げられていた。
ワイバーンは急降下を繰り返し、爪、牙、翼で掻き回す。
グリフォンは稲妻と炎を振り撒き、消炭のまだらを地に描き出してゆく。
─── ドゥ……ンッ‼︎‼︎
呆然と眺めている目の前が、突如暗闇に変わり、強烈な衝撃波で岩山が悲鳴を上げた。
転がり落ち掛けるのを、皆で掴み合い、何が起きたのか必死で検める。
この岩山の頭ほどあろうか、黒く巨大な有角の獅子が、脚先に青白い炎を纏って浮いていた。
「べ、ベヒーモ ─── 」
─── ……ヒュッボオオオオォォォォンッ‼︎‼︎
凄絶な光と、熱気を伴う衝撃が、吹き抜けた。
悪夢のような巨体から発せられた、光の
激しく地面が揺れ、岩山にいた私達は、ただ地に張り付いているのがやっとだった。
「─── 一体……何が起きている……!?」
父上の声に頭を起こすと、空を埋め尽くしていた魔物達の姿はなく、今は谷の奥の方から
「お、おいッ! あれを見ろッ!」
背後にいた獣人達が騒ぎ出した。
たった今、空の魔物達がやって来た方角の谷間から、遠く長く続く
「……また、アンデッドの大軍が来たのか?」
「い、いや、違う……あれは……人だ!」
魔物達の
遠く小さく閃光が発せられる度、屍人の軍勢が押し削られて行くのが見える。
確かに人、獣人の姿もある、いや、それだけではない……。
─── 魔物が共に行軍している⁉︎
「ち……父上……あれは……」
「分からぬ……。しかし、あの統制の取れた動きはどうだ? あれは、練りに練られた、強者の兵団ではないか……!」
段々と距離が近づき、目に飛び込んで来た彼らの姿は、現実感を失わせ、息を呑む事しか敵わなかった。
人間、獣人、魔物……。
─── 全員揃いの朱色の戦帯を着け、人間が他種と連携し、獣人が魔術を放ち、魔物が彼らを守るように動いている
あれだけの数の死霊を相手に、声も荒げず淡々と殲滅するとは……。
一体、どちらが冥府の軍勢なのか、分からなくなる程の、
「…………かいちょう……?」
「今、聞こえたよな! あの一番後ろの、ひとり離れた黒いのが……あれが族長の言ってた…⁉︎」
「「「かいちょうだ!」」」
彼らは口々に叫ぶと、岩山を駆け下りて、軍勢へと向かって行ってしまった。
獣人族は耳が良いが、私には軍勢の発する声など、聞き分ける事は出来なかった。
しかし『かいちょう』と彼らの指差した方向を見て、それがこの軍勢の総大将であると、一目で知らしめられた。
─── 全身漆黒の鎧を纏い、青白い鬼火を漂わせながら、悠然と剣を肩に担いで歩く姿
その背後に霊気の霧をたなびかせ、それはゆっくりと腕を上げると、軍勢の進行方向を指差した。
─── カッ‼︎
禍々しくも強大な魔力が押し寄せ、私達のいる岩山ごと、谷の一帯が温かな光に包まれた。
「……こ、これは、聖なる結界を張ったのか⁉︎ この一瞬で、この規模で、あの者は詠唱する素振りすら……‼︎」
父上の声が震えていた。
一族最強の戦士にして、精神修練の高みを極めた、あの父上が声を震わせて膝をついていた。
「……かいちょう。……獣人達はそう言っていましたが、一体何者ですか。到底、人間だとは思えない……」
「かいちょう……怪長……。怪物の長と言う事か?
……何故、そんな者に人が付き従うのだ。
いや、まさか先程の空の魔物達までもが……その
獣人達が去ってしまっては、それ以上の事は、鬼族の私達には分かる事などなかった。
─── その禍々しくも勇壮な、獄卒鬼の如き殺戮の軍団が通り過ぎて行くのを、私達は震えて見ている事しか出来なかったのだ
その後、私達は中央部へと逃げ延び、やがて鬼族とそれに関わる全ての者達へ、彼らの事を広めた。
───
※ ※ ※
「怪我人を一箇所に集めろ。多少アンデッド化していても構わない─── 全員まとめて救う」
避難時に怪我を負った人々と、拘束されひとつなぎにされたアンデッド達に、光の柱が天から舞い降りた。
怪我人は瞬く間に全快し、体力も取り戻す。
アンデッド化してまだ浅い者達は、清浄な魂を取り戻して、人へと復帰する。
「…………おお、奇跡だ……」
彼らから口々に、そんな言葉が呟かれたが、これは奇跡じゃない、ただの魔術だ。
ここに来るまでにもよく言われたけど、ソフィアとティフォの前で奇跡とか言われると、むず痒いんだよなぁ……。
─── でも、この惨状なら、そう言いたい気持ちも、分からないでもない
アケル北部州首都ペリステムの街は、ほぼ壊滅していた。
最初に庁舎とギルド並びに、軍の本拠地近辺に、何の前触れもなくアンデッドの大規模な襲撃を受け、統制も取れないままだったと言う。
─── ほぼ、一夜にしての壊滅だった
今までのアンデッド出現とは、明らかに違い、戦略的な侵略であった事も分かる。
街にはそれでも、
何とか生き延びた人々がいて、アンデッドの殲滅が終わると、疲弊し切った様子で姿を見せてくれた。
……それらは、かなり衰弱していたし、間に合わなかった人も多かった。
魔術で蘇生やアンデッド化を解くにしても、すでに魂が失われたり、穢れ切ってしまった者は手の打ちようがない。
魔術では魂の回復まではできないのだから。
─── アンデッド襲来初日に、あえなく死亡した人達は、全て手遅れだった
「中央部州知事は? 庁舎の中枢は鍵が掛けられていたんだろ?」
「……全滅でしたね。最初に襲われたと言うのは本当みたいです。
部屋の中には、すでに魂まで染め抜かれた知事と側近のアンデッド。
庁舎内はもと人間達で溢れていました……」
ソフィアは調査から戻ると、そう言って俺の隣に腰を下ろした。
アンデッドに直接傷を負わされた者は、時間経過でアンデッド化はするが、魂への汚染は遅く、穢し切られる前であれば治療は出来る。
しかし、アンデッドに殺された場合、体から放り出された魂は即座に穢され、完全なアンデッドとして転生してしまう。
こうなったらもう元に戻す事は出来ず、ただの魔物として存在するだけだ。
─── 知事から話を聞く事が出来ない
「……ここでも『不死の夜王』の手掛かりは、見つからないか……せめてギルドが焼け残っていれば……」
アンデッドの襲撃に、かなりの火が出たらしい。
事もあろうか、魔族の資料が残っている可能性のあった、北部ギルドは全焼してしまっていた。
「おそらく前回のように、樹海の何処かに再出現しているのでしょうけど……。
一晩で首都を潰せる相手ですから、闇雲に踏み込むのは、悪手になりかねませんものね……」
「ここで片っ端から、アンデッドを葬った所で、更に創り出されるのがオチか。
一先ず、ここにも【
アケル北部に広がる樹海は、余りにも広大だ。
古代に噴火を繰り返した跡があり、足場は鋭い火山岩と溶岩の起伏があり、人の侵入を拒む。
そしてそう言った自然の脅威が溢れる場所は、強い魔力溜まりも多い。
─── 魔力察知も出来なければ、方向感覚すら保てない
情報も無しに、この大人数で攻め入るには、自殺行為と言ってもいい難所だ。
(…………これはもう、俺達だけで攻め入るか)
当初はアケル中央部以北の安寧を、新たな戦い方を身に付けながら、種族を超えた連携を確立して欲しいと思っていた。
─── もう充分に、彼らは戦い方を習得したと言ってもいい
南部からも援軍が来ているとの報告もある。
彼らには俺が点々と置いて来た【
─── 俺と、ソフィアと、ティフォ、この三人なら樹海の中でも、何ら問題がない
最悪、樹海ごと斬り払って『不死の夜王』とやらの首を取れば、この馬鹿げた騒動を終わらせられる。
もう、この事態をこの地に生きる者達だけでは、どうしょうもない所に来てる。
そんな事を考えていたら、俺の手にソフィアの手がそっと乗せられた。
「アルくん? ……また、救っちゃおうと考えてますね」
「…………バレてるか。ははは、だってこれはもう、彼らではどうしょうもないじゃないか」
そう言うと、俺の手を取って両手で包み、彼女は自分の額にそれを祈るように当てる。
しばらくそうしてから、俺の眼を見つめて、信じられない程に美しい微笑みを浮かべた。
「本当は……通り越しちゃっても、許されるんです。でも、貴方は誰に頼まれるわけでもなく、この偏ったバランスに抗おうとする。
─── 貴方の守護神として、誇りに思います」
ドクンと、身体の奥底で何かが鼓動を打った。
魔力がみなぎり、感覚が研ぎ澄まされる、覚醒感が沸き起こった。
「…………今、何か……?」
「ふふ、貴方の『覚悟』に、私との契約が更に強まったみたいです。
もう……守護神としてだけじゃなくて、どれだけ私は、貴方を好きになればいいのでしょうか」
契約強化で、俺の感覚が研ぎ澄まされたのか、それとも彼女の女神としての力が増幅したのか。
彼女の美しさまでもが、とんでもなく増して見え、思わず息を飲んでしまった。
─── 会長ッ! 会長ーッ!
獣人の一人が、俺を探してるようだ。
ソフィアと眼を見合わせると、くすりと吹き出され、俺までつられて笑った。
「どうしたー? 『
「あ、良かった! また生存者です、ちょっと状態がヤバいんで、来てもらえますか」
今は人と獣人と、合同で生存者捜索を続けてもらっていたが、首都だけあって広大だ。
動ける者達は自分の足で出てくるが、これから見つかる者達は、それも出来ない状態だと言う事になる。
「分かった、今一緒に行くから、案内を頼む。それと『
「ありがとうございます! ついて来て下さい」
「頼んだ。ついでで申し訳ないが……『
現地に着くまでの会話でも、何度か『会長ではない』をねじ込んだが、完全にスルーされていた。
中央部に入って、戦いが激化して来ると、余計に俺を会長と呼ぼうとする動きが強まった。
中には人間の冒険者まで、そう呼ぼうとする輩が出て来てる始末だ。
……俺も頑なら、こいつらも頑なだと思う。
※
─── グルアッ! グガ……グゥ……!
案内されたのは、大きな屋敷の地下室だった。
そこには、アンデッド化した人間の男性が、冒険者二人に取り押さえられ、唸り声を上げていた。
良い暮らしをしていたのだろう、男の服は乱れているものの、素材が良い物である事が分かる。
屋敷の主人であろうか、青白い顔にドス黒い静脈を浮き立たせ、虚ろな目は何もとらえていない。
口からは、黒ずんだ血混じりの唾液を、だらりと垂らすままにしていた。
男の魂は、完全に穢されている。
人への復帰は不可能、もうすでに彼は生者を喰らうだけの魔物と化していた。
「……これはもう……手遅れだ。始末するしか」
─── ガタンッ
言い掛けた時、地下室の壁にある、小さな木の扉から物音がした。
「ええ、この人はもう無理だと思ってました。……生存者はこの扉の向こうにいるんです」
「何故、出してやらない?」
「…………いや、それが……」
─── ……だ……れ? パパ……?
今にも消え入りそうな、か細い声が聞こえた。
性別も分からない程、幼い声だった。
「君を助けに来たよ。ここを開けられるか?」
─── い……や……。こない……で……
ここまで連れて来た獣人に振り返ると、彼も肩を竦めて首を傾げた。
「……ずっとこの調子で。さっきまではもう少し話せたんすけど、何を言っても父親じゃないと開けないって言い張るんですよ……」
恐らくこの子の父であったであろう、そのアンデッドを外へと運ばせた。
引きずられる時に、唸り声を上げたが、その時もやはり扉の中から物音がした。
─── 扉には父親がつけたのか、
ここまで逃げ、子供を扉にかくまって、自らはアンデッドに命を奪われたのだろう。
扉の傷跡は、父親では無くなってしまった後、生者を求めて
子供は中で三週間、自らの父親だった者に、命を狙われ続けた。
……どうにも救われない話じゃないか、救われても、その父親はすでに……
「もう、怖いのは居なくなった。安心していい。君の体が心配だから、ここを開けてくれないか?」
─── うそ……パパじゃ……な……い
パ……パ……。あける……な……って……
浅く速い呼吸が聞き取れた。
一刻も争う、ここは力づくでも扉を開けるべきか……?
「よく頑張りましたね。貴方のお父様は、少しケガをしてしまったの……。
あなたがここに居たら、お父様はやすめないの」
ついて来て居たソフィアが、俺を下がらせて、扉の向こうに話しかけた。
─── …………パ……パ…………が……?
「そう。でも少し休めば……きっと、ね。だから、ここを開けてください。お父様を休ませてあげましょうね」
嘘は言っていない、この子が救われ無ければ、本当の意味で、父親は休めないだろう。
─── …………ガタン
扉を中から押さえていた、何かが外されたようだ。
しかし、扉が開く気配は無かった。
「開けるからな……?」
最後の声は更に弱々しく聞こえた。
問いかけに返事は無かったが、扉を開けて中を見ると、異臭が立ち込めていた。
小さな女の子が倒れて、弱々しく、消え入りそうな呼吸をしていた。
─── 【
地下室の狭い物置スペースに、三週間だ。
保存食があったのが幸いしたのだろうが、充分な量ではなかったようだ。
すでに空になった空瓶や容器が、床に転がっていた。
いつ食料を食べ尽くしたのか、少女はやつれ切っていて、目の周りは落ち窪み、弱り切っている。
むしろ、生きていられた事が、奇跡に近い。
死んでいてもおかしくはない衰弱だった。
……それでも体は排泄を要求する。
直ぐに魔術で彼女を清めてやり、特に怪我は無かったが体力の回復をさせる。
しかし、精神の衰弱が激しく、意識は戻って来なかった。
─── 心まで回復できる魔術などない
「……エリンかユニを呼んでくれ、彼女らは女性だし、回復魔術を扱える。
目覚めるのに何日掛かるか分からないが、医者の手配がつくまで、魔術を掛けてやってくれ。
……これで餓死をさせたら、それこそ誰も救われない」
回復魔術で、腹が膨れるわけではないが、急な栄養失調での、内部からの崩壊はかなり抑える事が出来る。
ただ、目覚めたとして、彼女がどうなるのかまでは分からない。
獣人は彼女を背負い、救護所へと連れて行った。
「アルくん……私達で早く終わらせましょう」
「ああ。俺も決心がついたよ」
今までは、俺はたまたま魔族に通りすがっただけだ。
でも、今は違う、覚悟が決まった。
─── 許さない
樹海に身を潜めているのなら、引きずり出すまでの事だ─── !
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