第四話 獣人族の未来
─── また、ダメだったか……
乾燥してひび割れた大地に、枯れ果てた苗の残骸が、点々と広がっている。
「グレゴさん……しょうがないよ。最近また、水脈が減ってたんだ。……それにこの暑さじゃあ」
「族長、あんなに頑張って水瓶引いて、何度も河まで往復したのになぁ」
村の者達が、心配そうに私を見る。
─── お前達だって、辛いはずなのに、この不甲斐ない私を案じてくれるのか……
私はこの髭犀族の族長だ! こんな時に皆を勇気付けなくて何とする!
「フフハハハ……。なぁに、また色々考えれば良いのだ。
まだ、育苗の時間はある。もう一度、やり直そう。
もし、ダメでも食料を買い付ける位の蓄えはあるからお前達は心配するな。
うむ、今夜は私の家で慰労会だ、酒を振る舞うぞ?」
私は嘘が苦手だ……。
今の顔もどう作れていたのかすら、分からない。
しかし、彼らはそんな私に笑顔を見せてくれた。
─── この一族を守り通さねば
※
「族長! 薬湯を持って来た! 気休めかも知れんが、これを早く奥さんと息子さんに……」
「……ありがとう。感謝する。しかし、すまないな。
─── もう、必要がないんだ」
村人の手から小鍋が滑り落ちた。
門の前の乾いた土に、薬湯がこぼれて湯気を立て、直ぐに吸い込まれて跡を残す。
「……そ……そんな……。医者は……首都で食料を買い付けに行ったら、医者を呼ぶって……」
「…………今年も作物の育ちが悪かったろう?
他の土地は例年より、作付が良くてな。
……思った程、値がつかなかったのだ」
「な……! そんな、そんな事なら、みんなで出し合って……」
青ざめて震える彼の肩に手を乗せ、私は涙を堪えていた。
「─── これは、妻と息子の決めた事だ。
治るかどうかも分からぬ自分達より、皆が冬を越せる食料に金を使えと……」
「…………そ……んな。あれ程、族長はご家族と仲が良かったでは……ない……ですか……」
もう、堪える事は出来ぬ。
私は族長だ、村人に涙は見せられん。
「お前達も私の家族……なのだ……」
守らねば、せめて彼らを飢えさせぬよう、私は頑張らなければならない。
─── あれから十一年
去年の秋、我が一族に疫病が蔓延した。
妻と息子を奪ったあの病によく似ていた。
人間族が大きな街を、更に大きく育て上げ、人間族がこの南部の首長に就いた。
その時、私は初めて、人間族に頭を下げ助けを乞うた。
─── もう、愛する家族を失いたくはない
人間族の進歩は素晴らしい、あの命を奪う病を、今では治す薬があると言う。
知事は快く受け入れ、無償で薬を配り、荒野の部族をいくつか救ったのだ。
私は人間族に敬意を持つようになり、知事に恩を返すべく、開拓と土地改良に邁進した。
しかし、この荒地はそれを尽く、溜息に返すのみ……。
この地に諦めが湧いた頃、知事から打診があった……『新たな土地に行く気はないか』と。
それは渡りに船というもの。
一族の未来と、未だ返せぬ知事への恩に、叶えたいと言う想いが燃え上がっていたのだ。
最初は小さな指示から始まり、段々と私に与えられる使命は大きくなって行った。
言い訳ではない、私は誘拐に関しても、すでに使命感を持って臨んでいたのだ……。
─── あの赤髪の娘から、疫病の真実を聞くまでは……
※
「法廷には、私も全面的に協力させてもらいたい。その後の処罰も全てしたがおう。
全て私の一存で動かした事だ。
─── だが、家族だけは、我が髭犀の家族達にだけは……どうか、情けを!
抜け抜けと図太い願いだと自分でも分かっている! ……出来れば、私の亡き後、彼らを助けてやってはくれないだろうか……これらは全て私の一存で手を染めていた事なのだ……」
族長達は再び沈黙した。
彼らも獣人族の中では繁栄しているが、その暮らしは決して裕福なものではない。
今、彼らを受け入れて、その血筋を守れるだけの余裕と、彼らとの絆を持って受け入れられる保守派の獣人族はいない。
全ては聖魔戦争辺りの、権力争いから
「……それに関しても考えがある。新しい輸出品の提案だ」
「ん? それはまさか……」
赤豹族の族長がすぐに反応した。
「ああ、あの新しい魔道具の販売だよ。まだ、他に無いみたいだし、そうそう真似も出来ないように仕掛けもするさ。
その利益を獣人族全体に、獣人族の未来に活かせる仕組みを作ればいい」
「わしらの……未来?」
「このアケルでも、人間の繁栄は目覚ましい。それは人間族の富への目標が一致してるからだよ。
この地で獣人族が対抗するには、部族単位じゃダメなんだ。だからと言って、今更人間を排除も出来ない。
─── それならいっそ『獣人族』として、一つのまとまりになれば良い」
「……それは皆で手を組めと言う事か?」
「いや、もっと具体的な話だ。
まずは今の部族単位での生産とか、収穫とかをお互いに人を出し合って補う。土地を持たない者に土地を貸して、無駄なく生産力を上げるとかね。
そうして今までの生活の基盤を上げながら、それ以外に全体で担う事業を興す。その利益は全体の為の資産として考える。一部の経済力と運用を、獣人族のために皆で意見し合える、ひとつの国家になるんだ。
─── これなら縄張りの問題もクリアだろ?」
これはシモンやガセ爺から聞いていた、経済とか国家とかの、小規模な社会体系からヒントを得た考えだった。
発展が低い内は、弱い者同士結束して大きくなり、やがて強くなったら各々競争を始める。
─── そうしなければ、元から差のついている大きい相手に勝てない
これは獣人族の現状に当てはまる所が多い。
「ふふふ、そうなると南部だけでは済みそうにありませんね♪
ほら、アルくん、皆さんが生き生きしてきましたよ?
三百年のわだかまりが、解けるかもです」
「……まあ、そう簡単には進まないだろうけどな。それでも、今のまま先細りしていくよりは、戦う力も出せそうだ」
知事を狙って、帝国に国際裁判に持ち込むにも、その先の未来を視野に入れるかどうかで、物の言い方も変わるだろうし。
「もう、いっその事、アルくんが王様になればいいんじゃないですか?」
「…………適当な事を言うなよぉ」
「んー? オニイチャなら、出来るよ?」
ティフォのこの台詞、確か触手が生やされた時のと同じじゃねえか……?
神の言葉は強い運命の力を孕む。
中途半端な返答は後が怖いので、俺は話をはぐらかした。
─── 獣人族達の会議は、今までになく活気づいていた
目標を持った彼らの勢いは、アンデッドとの戦いのように、緩急自在で高速な危なげない議論を生み出した。
※ ※ ※
─── ブルル……ッ
木に繋いだ馬が、さっきまでは鼻でふうふうと不安げに鳴らしていたが、小さく鳴らして震わすと、ようやく落ち着いたようだ。
まあ、無理もない。
焚火の明かりの中、襲い掛かって来た魔獣が、結界に弾かれて背中から倒れた。
その魔獣は結界から生じた、無数の蟲に骨まで喰い尽くされ、目の前で居なくなった。
最初は驚いて暴れていた馬も、それが何度か繰り返され、自分に害が無いと分かると、鼻を鳴らす程度で落ち着く程には、慣れてしまったらしい。
「─── 魔術は……便利な物だな……」
焚火の向こうで、大きな黒い目を動かして、ヤモリ型の獣人が呟いた。
口数が余りに少ないものだから、静寂に慣れた耳を脅かしたが、彼もコミュニケーションは求めているのだと少し安心した。
「余程の相手じゃないと、この結界は越えられないよ。夜番は心配いらない、タイロンも寝たらいいのに」
「いや、我らは……夜に生きる種族。夜にはそれ程、眠らない……」
そう言って、大きな眼を閉じ、瞑想するように気配を希薄にした。
彼の名はタイロン。
夜行性のヤモリの獣人、ゲッコー族の戦士だ。
より原種に近いタイプで、人型ではあるが長身で平べったく、小さな鱗に全身覆われている。
夜行性とは言いつつ、普通に夜寝るらしいが、昼は更に無口だ。
彼は、赤豹族の族長から押し付けられた『案内役』二人を守る護衛として、付いて来てしまった。
「……アル様、眠れないのか? こっちのテントは寝心地の良い、首長羊のケットがある。
来るといい。
……も、もちろん、アル様がよいのなら ///」
さっきからテントの入口の隙間に、顔を押し付けてこちらを見つめていたエリンが、そっぽを見ながら言った。
テントの隙間からは、黄緑色の眼に代わり、今度はピンと立った赤茶の耳が飛び出している。
「……大丈夫だ。早く寝なさい」
そう言うと、隙間からはみ出していた耳が力無く倒れ、引っ込んでいった。
「アルフォンス……お前は…………。いや、何でもない」
タイロンが薄っすら眼を開けて、そう言いかけると、また眼を閉じた。
─── 俺達は今、アケルの中央部を目指して、旅をしている
知事への裁判は、ソフィアがアケルのギルドを手配して、すでに進行している。
事態を知ったアケルギルドは、憲兵よりも先に知事を逮捕して、事実の揉み消しを防ぎに動いた。
黒いソフトハットの一団も、全員捕らえられ知事との関係と余罪を追及されている。
一応、知事の周辺には、小さな蜘蛛を監視役として置いてあるし、ティフォも何らかの仕掛けをしているらしい。
裁判には時間が掛かる。
魔術付与の魔道具の製法も確立したし、族長達は商会を立ち上げや、部族同士の調整を図るため、奔走を始めている。
もう、俺たちのやる事は、南部には無い。
旅の続きに戻ると告げると、彼らは何かしらお土産や、お供を連れて行かせようと、連日のように訪ねて来た。
ある朝、宿泊していた一軒家のドアに、ちょっとした犬サイズのネズミと、魚の干物にリボンを掛けて吊るされていた。
ただのプレゼントだと思って夕食にしたら、族長の息子がやって来て、泣きながら『まだ頼りない所もあるが、大切にしてやってくれ』とだけ言い残して帰って行った。
俺が首を傾げていると、綺麗な民族衣装で着飾ったエリンとユニが、白い水牛に乗せられて家の前にやって来た。
─── あのプレゼントは、結納品だった
直ぐに族長の家に飛び込んで、そのつもりは無いと言ったら『決心をした生娘二人を突き返すつもりか』とゴネられた。
姉妹揃ってひとりの男に嫁入りとか、どうなんだと姉妹に聞けば『強いオスこそ、種をたくさん残すのが当然だ』と、ピンピンにした尻尾を、俺の体に這わせ、顔を背けて真っ赤にしながら言われた。
話し合いの末、嫁入りは免れたが、このアケルの旅の間は、案内人として同行する事を約束させられてしまった。
族長曰く、若い娘二人に旅を経験させ、尚且つ、俺と同行したと言う箔をつけさせたいのだとか。
そして旅立つ前日、彼女達の護衛として、有力獣人族の中から、ゲッコー族のタイロンがやって来た。
どうやら彼は戦闘能力が高く、獣人族の武術大会で優勝した事もある、棒術の遣い手らしい。
「…………この腕輪も……大した物だ。魔術は使えないが……これなら……戦いが変わる」
「戦闘能力に特化してるとは言え、獣人族の魔力は容量が大きいからな。発動型の魔術なら使いこなせると思ったんだよ。
……護符魔術とかなら、術式を描くだけだし、タイロンも覚えられるんじゃないか?」
「─── ‼︎ それは……! 是非とも……学びたい!」
大きい眼をくりっとさせて、口を大きく開けた。
……正直、可愛いなと思った。
「魔術式なら俺も描けるし、旅の間にでもちょくちょく教えるよ。タイロンには世話になってるしな」
「ありがたい。…………俺など、必要ないのかと思っていた……」
実際にタイロンは強い。
ここまでの旅でも、大型の魔物を何体も一撃で叩きのめしていたし、索敵能力もティフォといい勝負をしていたくらいだ。
更に魔術まで使えるようになったら、B級……いやA級の冒険者並みの戦闘能力になるんじゃないだろうか?
タイロンだけでなく、獣人族は一貫して戦闘能力が高い。
かつて人間族に追い立てられたのは、人間達の開発した武器と、魔術の性能に他ならない。
本能で肉体強化を使いこなす獣人族は、魔術の学問が必要なかったし、人間は詠唱魔術に傾倒していたから、護符魔術なんかの術式は余り一般的にはなってない。
─── 経済の次は、軍事力も必要か?
発動型術式の本でも、作ってみようかな。
魔術が使えない人間にも売れそうだ。
「今後共、よろしく頼むよ。……そろそろ俺達も寝よう」
そう言って焚火に大きな薪を放り込んだ。
夜の森には、火の爆ぜる音と、虫の鳴き声が小さく響いていた。
※ ※ ※
「わっ! 魔石の質も凄いですけど、素材も粒ぞろいじゃないですか⁉︎
……これなんて、シロクビジャコウグマの肝ですよね⁉︎
はぁー、こんな可愛い駆け出しの冒険者さんが……。
あの、獣人族に冒険者希望のお友達、たくさんいたりしませんか? 是非、ギルドにご紹介を」
エリンとユニがギルド職員を沸かせていた。
買取カウンターが、二人の並んだ所だけ、長い事、時間が掛かっている。
─── 一族への帰属思考が強い獣人達は、人間の作るギルドに余り興味を持たない
ギルドもそれを知っていて、獣人への勧誘なんかは発想にないのが普通だが、彼女達二人の階級と持ち込んだ素材のギャップに舌を巻いていた。
エリンとユニは、旅の路銀を稼ぐ為に、冒険者登録をした。
俺が持つから金の心配はするなと言ったが、彼女達はそれを拒み、旅の途中で素材を集め、各街のギルドで換金していく方法を選んだ。
依頼をこなす訳ではないので、F級のままだが、討伐した魔物のグレードも、持ち込む素材の種類も上級冒険者のそれだった。
金貨多目の報酬を受け取り、二人はホクホク顔で戻ってきた。
「たまには魔獣とか、野生の獣の肉じゃなくて、家畜の柔らかい肉が食べたい!」
「お姉ちゃん、私……お魚が食べたい!」
年齢の割にかなりの収入がありながら、彼女達は物欲が薄い。
人間族の街は生活用品以外の、アクセサリーとか趣向品が多く出揃っているが、楽しそうに眺めはするものの、手に入れようとはしない。
とは言え、流石は豹の眷属。
肉と魚へのこだわりは強く、換金する度に食堂に鼻を利かせていた。
「─── ええ⁉︎ これ、ランドタートルの甲羅⁉︎ タイロンさん、貴方は上級魔術が使えるんですかッ⁉︎」
買取カウンターから、職員の感嘆の声が上がった。
赤豹の姉妹と同じく、タイロンも冒険者登録をして、路銀を自分で稼いでいる。
今騒がれてるのは、湿地帯で襲い掛かってきた、大型の魔獣の素材だ。
別名『
首は龍種のように長く、硬い鱗に覆われていて、素早く攻撃を仕掛けてくる。
甲羅や鱗自体の防御力も高いが、魔術で更に防御力を上げているため、普通の攻撃はほとんど意味がなくなる程だ。
タイロンは上級の氷魔術で動きを鈍らせ、闘気で貫通力を上げた棒の先で、脳を破壊して倒していた。
─── 護符魔術の作製と利用を、彼はすぐにマスターしてしまった
いや、彼だけでなく、姉妹も護符魔術を覚え、タイロン程ではないが、相当な戦力増強を実現している。
「……師匠、待たせたな。……用事は済んだ」
そう言ってタイロンは、重そうに膨らんだ革袋をぶら下げて見せた。
彼は術式の指南を受けてから、俺の事を『師匠』と呼ぶようになっていた。
棒術の稽古も何度かしているが、ダグ爺程じゃないにしてもかなりの腕前で、俺との模擬戦をこれ以上ない程に喜んでいた。
「これから飯食いに行くけど、タイロンはどうする?」
「……いや、いい。食生活が……合わん」
ヤモリのゲッコー族。
彼は酒の席には顔を出すが、食事は一度も一緒にした事がない。
理由は『ゲッコーの食事は人に見せられない』んだそうで、彼が何を食べているのかは、大体想像もつくので触れてない。
飲み屋でもまず料理に手をつけないが、一度だけ川エビの素揚げを、無感動に口にする姿は見た。
『これなら近いかと思ったが、生きてないのはいただけない』とか呟いていた。
※ ※ ※
「あいよ! 『子牛の南部風ステーキ』と『棘ナマズの酒蒸し』それと『長瓜の塩揉み』」
テーブルに置かれた皿から、スパイシーな匂いが漂っている。
アケル南部は気温と湿度が高く、春のこの時期でも森を抜けた平地では汗ばむ。
そのせいか、辛さや酸味の強く、刺激的な味付けが多い。
見た目にはあっさりでも、塩が効いていて、汗をかきやすい気候に、それぞれの工夫が凝らされていた。
「わ、この酒蒸しのスープ、結構辛いですね! 後からピリピリしてきます♪」
棘ナマズは唐辛子と酒で蒸焼きにした後、一旦ナマズを除けて、魚の旨味を引き出した塩味の澄んだスープを作る。
盛り付けは、深皿に置いたナマズの酒蒸しが、半分程沈む量のスープを掛け、仕上げにネギ、しょうが、唐辛子を高温の油で炒めたものを垂らしてあるようだ。
柔らかな白身は、ほろほろと身離れがよく、淡白な味わいにほんの少しだけ川魚のクセがある。
そのクセを刺激のあるスープと、振りかけられた香味油が、個性的な風味として完成させていた。
スープに崩れた身を吸わせて、付け合わせの細長く硬い揚げパンに乗せて食べると、より魚の身の味を強く感じさせた。
ティフォとソフィアは、結構辛い物が好きだ。
鼻の頭に薄っすら汗を浮かべて、柄の長いスプーンを、せっせと口に運んでいた。
この料理を所望したユニは、流石は南部育ちと言うか、涼しい顔をしてピリ辛なスープを楽しんでいる。
「はぁー。やっぱり育てられた肉は、柔らかくて美味しい!」
エリンが舌鼓を打っているのは、オーブンで軽く炙り焼きにした、子牛の骨付き肉。
焼き色のついた肉の上には、小さな緑色の野菜の粒が所々に入った、白いペーストが乗っている。
『エラゴンソース』と呼ばれる南部の名物ソースだ。
森の日陰によく生える、エラゴンと言う草の白い球根を刻んだもので、玉ねぎとニンニクの中間のような風味がする。
それに野菜の酢漬けを刻んで、漬け汁と和えただけの柔らかな酸味と、ツンとした辛さのある野趣溢れるソースだ。
サッと炙られただけの肉は、ナイフを入れると赤くほんのり温かい内部が顔を出す。
冷たいエラゴンソースと口に入れると、直ぐに温度が一緒になり、子牛の爽やかな肉の味と、ソースの香味が合わさってサッパリする。
「オニイチャ、この酒、やばい」
一緒に頼んだのは、これも名物の火酒『悪魔の峠』だった。
サボテンから作られたややとろみのある透明の酒。
小さなグラスに、キンキンに冷えた酒が並々と注がれている。
「ん? どれ…………くあぁッ!」
喉が焼けるかと思う程に酒精が強く、辛い料理にヒリついた舌が、トドメを刺された。
毛穴が瞬間的に開き、ドッと汗が吹き出して体が火照り、まさに峠を登っている最中のような熱感が生まれた。
姉妹も酒が好きだが、これの代わりにヨーグルトを牛の乳で伸ばした、冷たく甘いジュースを飲んでいる。
─── あっちの方が良かったか? 体が熱くて敵わない
そう思った矢先、汗で体が一気に冷め始め、また辛い料理に手が伸びた。
『峠を越えたら涼しい山頂』と説明されていたが、本当だったようだ。
「アケルの中部は、海風が通らないから、南部より暑い。あたし達は大丈夫だけど、アル様達はあの辛さについていけるかどうか……」
「え! そんな辛いの⁉︎」
「だいたい真っ赤です……初めての人は、目が痛いって逃げ出しちゃうの」
うーん、俺の肛門大丈夫かな……。
あんまり辛いと翌日ね……ほら、デリケートじゃない?
「ふふふ、暑い地域は辛い料理が多いですからね。スパイスもふんだんに使う事が多いですから、慣れるとクセになるんですよねー♪」
「口がとじなくなる、それくらいのが、好き」
それ、拷問じゃねぇか?
そこに行ったら、出来るだけ辛くなさそうなのを選ぼう。
見た目に赤くない奴とか、白っぽいなら大丈夫だろ……。
─── 後に熟れてないから安心と齧った、緑色の唐辛子で死に掛ける事になるが、それはまた別のお話
デザートに甘いものを頼んだら、今度は驚く程甘い砂糖漬けのフルーツが出てきた。
熱帯とは、色々、極端になるんだろうか?
こうして、アケルの南部料理は、味覚だけでなく、痛覚でも楽しめる新鮮さを味わう事が出来た。
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